かつて法科大学院導入当時、法科大学院側は、きちんと適性試験と入試を行って、質の高い入学者を確保し、質の高い効果的な教育を実施し、厳格な成績評価・修了認定による終了者の質の確保を行う、と約束したように記憶している。
ところが、文科省の法科大学院特別委員会第51回議事録を読んでみて驚いた。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/012/gijiroku/1331297.htm
法科大学院によっては、適性試験の成績が下位15%に含まれる受験者も合格させ、入学させているという。
確かに、適性試験と司法試験成績の相関関係に疑問を投げかける見解もあるようだが、適性試験自体が問うているのは、基礎的な判断力、思考力、分析力、表現力のはずだ。
適性試験の成績が下位15%というレベルは、上記議事録によると15問中2問正解すればほぼ達するレベルのようだ。つまり、分かりやすく100点満点で換算すれば(2÷15×100=13.33333・・なので、)13点の成績しか取れなくても、適正に問題なしと判断しているということだ(日弁連法務研究財団が公表した資料にある実際の得点分布とは異なるが、永田委員が何度もそう説明しているらしいので、ここでは永田委員の発言を正しいと考える)。
それでも合格させるというのは、よほど試験で図れない分野における人の才能(しかも法的素養)を見抜く力がその法科大学院にあるか、あるいは、ある程度の学生を入学させないと大学側の経営戦略上・文科省の補助金政策との関係上で支障が生じるかのいずれかだろう。
常識的にいって、前者はまずあり得ない。そのような才能を見抜く能力が法科大学院側にあるとすれば、当然素晴らしい素養を備えた学生をたくさん採用できるはずだし、法科大学院が言うところの素晴らしい教育を施せば、その結果、当該法科大学院は驚異的な司法試験合格率をたたき出せるはずで、予備試験合格者ごときに合格率で圧倒されるはずがないからである。
合格率トップ5くらいの法科大学院では、ある程度理念に沿った教育とその結果が出せているのかもしれないが、全体としての法科大学院制度は既に死んでいるといわれてもしょうがない。
直近合格者(H24年度)がいない法科大学院が74校中19校もあるようでは、法科大学院卒業を司法試験受験の資格とする意味などもう無いではないか。