私が司法試験の受験生であった頃、司法試験には、口述試験が課せられていた。
一流の実務家や学者2名が試験官(主査・副査)となり、くじ引き(封筒の中に番号札が入っているくじ)で順番を決められた受験生が、たった1人で2名の試験官の前に座らされて、15~20分間口頭で質問を受けて返答するという試験である。もちろん受験生レベルの勉強で、一流の実務家や学者に知識面でかなうはずもなく、付け焼き刃など一瞬で見破られるという、受験生からすれば大変恐ろしい試験だった。
また、司法試験受験生のうち、口述試験までたどり着ける受験生の数はわずか3%程度だったので、口述試験がどういうものなのか、情報も極めて少なかった。
そのためか、口述試験に関しては様々な噂が飛び交っていた。
一番有名な噂で最も信じられていたものが、一番くじを引いた受験生と、最後の順番のくじを引いた受験生は落ちない、というものだった。実際には、当時の口述試験の合格率は95%程度あったので、1番くじを引く・引かないに関係なく落ちる人の方が圧倒的に少なかったのだが、少しでも安心したいのが受験生の心理だったのだろう。1番くじを引いた場合は、試験官としても受験生のレベルを最初の受験生で測るため落としにくい、ラスくじを引いた場合はかなり長時間待たされるのでかわいそうだから落としにくい、等といわれていた。
伝聞だが、口述試験に失敗したと思った受験生がいたが、1番くじを7科目中4科目、ラスくじを2科目で引いたので助かった、等との噂もあったように記憶している。さらに、その人にどうやって6つも落ちないくじを引いたのか尋ねたところ、『「封筒が光って見えた!」と答えた』等、ほとんどオカルトまがいの話までくっついていたりもした。
噂は、それだけではない。
上手く応えられなかった受験生が試験官から灰皿を投げつけられたとか(伝聞なので真偽は不明)、緊張のあまり妙な答えをした受験生に対して試験官が優しく諭すように「勉強が足りなかったんだね、今年は、僕が、責任を持って君を落とすから、来年頑張るように。」と、受験生からすれば絶望的な言葉を聞かされた(伝聞なので真偽不明)とか、恐ろしい話も多々あった。
私は、刑訴・刑事政策を選択していたのだが、当時刑事政策では森下忠教授と、藤本哲也教授が学者試験委員の先生方の中では、大御所であり中心的な方々と言われていた。両先生の問題意識が司法試験の試験問題に反映されるかもしれないということで、森下教授や藤本教授が、それぞれお勤めの大学で実施された授業の中で、どのような分野から講義が開始されたのかなどについても、受験生は神経を尖らせていたくらいだった。
森下先生は、確か1924年のお生まれだから、もう相当のお歳のはずだ。判例時報に「海外刑法だより」という論考を定期的に掲載されておられた。私は、特にその論考を愛読していたわけではないが、表紙に記載される森下先生の名前をときどき見かけて、未だに頑張っておられるのだな、と思っていた。
ところが、先日の判例時報№2177(平成25年4月21日号)で、横浜弁護士会会長談話という異例の記事が掲載されていた。その記事によると、国選弁護人名簿登載についての事前承認手続き、国選弁護人としての推薦手続に関し、森下先生が、ご自身の所属する横浜弁護士会と一悶着あったようである。
問題の記事は判例時報2153号、2159号、2162号で、「弁護士会による取調(上)、(下の1)、(下の2)」として連載されたようだ。
森下先生と横浜弁護士会の言い分のどちらが事実として正しいかについては、私には分からないとしか申しあげようがない。しかし森下先生の仰る事実が正しいとしても、弁護士職務規程49条からすれば、お返しするつもり受け取り、実際に3日後に返還したとはいえ国選弁護で担当した方の親族から金銭を受け取ってしまった行為自体を問題にされても仕方がないと思われる。
通常では、国選弁護の親族が自発的に御礼を申し出た場合、誰にも迷惑をかけないから良いのではないか、と思われるだろう。しかし、そのようなことが横行してしまえば、国選弁護でも弁護士に何らかの謝礼を渡さなければきちんとした弁護をしてくれないのではないかとの疑念を国民の皆様に与えかねない。そのような事態になれば、国選弁護制度が崩れてしまう。
だからこそ、弁護士会は潔癖なまでに国選弁護に関して関係者からの対価の受領を禁止しているのだ。国選弁護の対価として国から弁護士に支払われる金額は悲しいほど少ない。
それにも関わらず、国選弁護の制度を守るために、弁護士会は可能な限り厳しく自らを律するよう求めている。
こんな業界、今どきそんなにないと思うんだけどなぁ。