OJTの必要性~その2

誤解なきよう、記載しておくが、先日のOJTの必要性について、記載したブログの記事において、私は、相手方弁護士先生の能力が問題だと言っているわけではない。

弁護士の先生の能力は、実際に訴訟をやって主張を戦わせてみないと分からないし、その先生の得手不得手もあるだろうから、訴状だけでは到底、その全てを判断することはできないのだ。

しかし、訴状の形式的な面や記載の仕方(作法)については、書式等にまとめられたものもあるが、書式例と全く同一の事件などあり得ないので、経験がものを言う場面も多い。私とて弁護士に成り立ての頃には、書式を参考にしながら訴状を起案したものの、ボスに何度も直された経験がある。多くの弁護士はそうだろう。このような経験を積んでいくと、おかしな記載は直感的に分かるようになることが多いし、ミスは少なくなっていく。

これがOJTの一つのメリットだ。

不幸にも極めて早期に独立せざるを得なかったり、ボスが高齢で指導してくれなかったりして、ボスや兄弁の指導(OJT)が十分でない場合は、上記のミスを理解し、直していくチャンスが与えられていないか、チャンスがあっても不十分だったということなのだ。

いま、需要を無視した弁護士激増により、若手弁護士が先輩に直接書面を添削指導してもらえる機会は従来より激減していると思われる。全裁判所の新受全事件数は、平成23年度は4059776件であり、平成元年度の同事件数4399574件よりも30万件以上少ないのだ(2012裁判所データブックによる統計)。一方弁護士は、平成2年に14173名だったものが、平成24年には32134名になっている。裁判所が1年間に新しく受理する事件が30万件減っているのに、弁護士数は約2.27倍になっているのが現状だ。
ただでさえ、指導しなければならない弁護士は激増しているのに、事件数が減ってなお指導の機会が減っているというべきだろう。
医師に例えれば、手術の技術を指導しなければならない若手医師が激増しているのに、ベテランの指導を受けながら手術の体験ができる機会が激減しているということだ。これで、従来の手術のレベルが維持できるはずがなかろう。

弁護士の作成する書面は形式面・内容面とも、職人技的な部分もあって、諸先輩から技術を学ぶ(盗む)場面も多い。上記の医師における手術の技術と似たような面があるように思う。

質・量ともに豊かな法曹を目指したのが今般の司法制度改革だったはずだが、今のままでは到底十分なOJTができず、全体としての法曹の質の低下は避けられないように思う。

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