国選弁護の問題点

 保釈とは、簡単にいえば、逃亡しない保証として保釈金を積み、身柄拘束から解放してもらうことである。仮に保釈金が積めたとしても裁判所が認めない場合もあるのだが、身柄拘束から解放してもらう利益は自由を奪われている被告人にとっては極めて大きいとも言える。

 ただし、保釈金は、犯罪にもよるがそこそこの金額になることが多い。先だって有罪判決を受けて再度身柄拘束された押尾学氏が、起訴後に保釈されたときの保釈金額は、報道によれば400万円だったそうだ。

 さて、ある国選事件の被告人である。確か、貧困で弁護人に依頼できないという理由で、国選弁護人を依頼していたはずだった。

 「どうしても保釈して欲しいって、いうけど、保釈金積めるの?100~200万円くらい要るかもしれないよ。」

 弁護士としては当然の質問である。

 ところが、貧困を理由にしていたはずの被告人はいう。

 「私の△△を解約すれば○00万円くらいはありますので大丈夫です。」

 結局この被告人は、国選弁護人が保釈請求書を作成し、保釈金を積んで保釈となった。

貧困を理由に国選弁護を依頼する際には、自らの資力を申請しなければならず、虚偽の申告をすれば過料の制裁もある(刑訴法38条の4)。政令で定められた資産の基準は50万円でありこれを超える現金・預貯金を有する者が国選弁護制度を利用するためには、まず資力申告の書面を提出し、私選弁護人の紹介手続を経なくてはならない。

 しかし資産があれば必ず私選弁護人を選択しなければならないというわけでもないから、国選弁護制度を利用できてしまう場合もある。

 また、△△の解約返戻金は、政令で定められた資産とはされていないようなので、今回の被告人は資産がゼロということで、悠々と国選弁護を受けることが出来る。○00万円の実質的資産を持ちながら、貧困などを理由に国選弁護制度を利用できてしまうのである。

 この場合、仮に有罪判決となり、訴訟費用を負担させられるとしても、通常の私選と比較してべらぼうに安い(ひどい場合は10分の1未満)の国選弁護費用ですむ可能性が高い。適正なサービスを受けるためには適正な費用が不可欠なはずなのだが、ここでも真面目にきちんと弁護する弁護士は、適正なサービスを提供しながら適切な報酬をもらえず、その分、自腹を切らされることになる。

 確かに、国選弁護事件は、熱心に弁護してくれるかどうかは弁護士次第(とはいえ、多くの弁護士は熱心なはずだ。)という面もあるし、弁護人自体を自分で好きに選ぶことも出来ない。

 しかし、「身柄拘束から解放されるためには金を払うが、弁護してもらう弁護士には基本的には報酬を払いたくない、可能な限りボランティアでやってくれ。」、という結果を招く可能性がある現行制度(そしてその維持に弁護士のボランティアを不可欠の前提とする制度)は、やはり問題があるように思われる。

 他人に頼らずに自力で、保釈金を積める被告人には、(当然逃亡せずに裁判を受けて結果が出れば返してもらえる)保釈金の還付の際に、せめて、弁護士会基準での弁護士報酬を請求できるようには出来ないものか。

 だって、現実に、それだけのサービスを受けているんだから。

大学院の講座

 5年ほど前から、関西学院大学法学部で「司法特別演習」を担当させて頂いておりますが、今年の秋期から、さらに、関西学院大学大学院法学研究科で、「ビジネス法務特論」という講座を受け持っています。コーポーレートファイナンス関連で、主に株式について大学院の学生さんが勉強するお手伝いをさせて頂くことになりました。

 このように書くと、「なんだ、坂野は法科大学院に反対しながら講師になっているのか、スジの通らん奴だ」。と思われるかもしれませんが、そこは筋を通して、法科大学院である司法研究科ではなく、法学研究科での非常勤講師です。

 今日で2回目ですが、なかなか優秀な大学院生さんなので、こちらも頑張って勉強しなくては、と考えております。少人数・アットホームな雰囲気であることを生かして、問答形式で進めたり、知識定着のために新司法試験用の教材などを利用したりしてみました。大学院での講座は初めてなので、大学院生諸君の意見も聞きながら、より役立つ講座に出来るよう頑張るつもりです。

尖閣諸島問題~船長釈放へ

今日、尖閣諸島問題の船長が釈放されるとのことだ。

官房長官のコメントでは、検察庁の判断としているが、私から見ると官房長官のコメントは、かなり不自然に写る。

検察庁は、もちろん司法に携わるし、検察官も司法試験に合格した法曹だ。しかし、検察庁は行政に所属する組織だ。だからこそ、検察官は法務大臣の持つ一般的指揮権に服するし、個々の事件に関しても法務大臣には検事総長を指揮する権限が検察庁法14条で定められてもいるのだ(この指揮権は、造船疑獄事件で唯一発動されたとされている~指揮権発動後、当時の犬養法相は辞任)。

つまり、検察庁には、基本的には独立性はあるものの裁判所・裁判官のような高度の(同程度の)独立性は保障されていない。

 つぎに、今回の船長釈放について、那覇地検の次席検事は、外交問題等の配慮もあったように述べているが、外交問題の配慮は検察庁の職域というより、政府・外務省の職域のはずだ。しかも、ここまで大きくなった問題を、検察庁が政府にはかることなく勝手に決定することはかなり不自然だ。政府の意向に反していたら、政府・官房長官から当然批判されるだろうし、政府は、自らの意向に沿った措置を執らせるよう、必ずや何らかの手段を執ったはずだ。官房長官は刑訴法248条(起訴便宜主義)の意を体して、那覇地検が処分保留で釈放したと述べていたが、那覇地検としても単独での判断は困難だったようで、最高検と協議したようだ。

 検察庁としても、現在証拠ねつ造問題で大きな火種を抱えている時期でもあり、政府の意向に反しさらに独断専行と言われかねない行動をとれる状況にはないと思われる。

 そうすると、今回の釈放は、検察庁の判断のみで行われた可能性は極めて低いだろう。すなわち、船長保釈は、明確な指示があったかどうかは別として、政府の意向であった可能性が極めて高い。

 確かに、中国は、対応をエスカレートしてきていた。中国に駐留する大使を何度も呼びつけたり、閣僚交流を停止したり、今日などはレアアースの禁輸措置を執ったとの報道まで出た。きちんと話し合う姿勢よりも対決姿勢を見せつける対応をとっていた。

しかし中国の主張は、「不当に身柄拘束を受けた船長を即時釈放しろ」というものであり、「不当」という以上、そもそも日本の領土であるはずの尖閣諸島が、中国の領土であることが前提とされている。

おそらく中国側は、不当に船長を勾留していた日本が非を認めたという対応をするだろう。尖閣諸島を自らの領土と主張する中国からすれば当然の主張になる。逆に言えば、日本は尖閣諸島の領有問題で大きくダメージを受けたことになるだろう。

今後尖閣諸島の問題が再燃した際に、2010年に中国人船長を逮捕・勾留しながら、日本政府は日本法による処罰をできなかったのだから、その事実は尖閣諸島の領有権が中国にあることを認めたからだろう、と言われた際にどう反論するのだろうか。

また、日本と領土問題で対立しても、強硬な姿勢で貫き通せば、いずれ日本が折れる、との印象を国際社会に与えかねないだろう。領土問題ですら折れてくるのなら、通商問題なら、なお折れてくると見られても仕方あるまい。

国際問題で、利益が対立した場合に、勝手に一方が譲歩して、その譲歩に相手方が感激するなどして、お互い譲歩しあうという美談調でうまくまとまったためしはあまりないように思う。一方が譲歩すれば、譲歩させた一方が、かさにかかってさらに相手方に譲歩を求めていくことが多いようにも思われる。

 外交上、何らかの取引等があって、今回の釈放が日本の国益に沿うだけのなんらかの見返りがあるのであれば、やむを得ないかもしれない。

 しかし、あくまで自国の領土内で起きた公務執行妨害事件での、この日本の対応は、私から見れば残念というほかない。

霧越邸殺人事件~綾辻行人著

~ある秋深き日、山深い信州の山中で、猛吹雪に襲われた劇団員たちの前に、忽然と現れた謎の洋館「霧越邸」。あまり好意的ではない住人に無理をいって一夜の宿を求めた劇団員たちだったが、猛吹雪で外界との連絡は遮断される。雪に閉ざされ孤立した洋館の中で、起こる連続殺人事件。屋敷に起こる兆しは何を意味しているのか。屋敷の主から探偵役を言いつけられた槍中は、必死に犯人を推理していくのだが・・・・・~

 推理小説ですので、これ以上のご紹介は出来ません。

 綾辻行人さんは、いわゆる「館シリーズ」で非常に有名な推理小説作家ですから、今さらご紹介するまでもないでしょう。私も、綾辻さんの小説は大好きで、文庫化された「館シリーズ」は全て読んでいます。

 館シリーズではないのですが、この「霧越邸殺人事件」は、私が相当気に入っている作品です。

 謎めいた力を持つ不可思議な霧越邸。そこを舞台に展開される連続殺人事件。殺人というあまりにも非人道的な行為が連続して起こるのですが、なぜか、静謐というべきか美しいというべきか、誰もたどり着けない山奥で、いつも霧に包まれ、人知れず、いつまでも佇む深い湖のような、作品に漂う独特の「幻想的な雰囲気」は最後まで壊れることがありません。

 おそらく忠実な映像化は非常に難しいでしょう。日テレで、湖畔の館殺人事件としてドラマ化されたことがあるそうですが、「霧越邸殺人事件」として万一映像化できるのであれば、絶対にTVドラマではなく、銀幕で上映して欲しい。そして、深月役には、本当に清潔感ある美しさと儚さとを併せ持つ女優さん(具体的に思い浮かばないのが残念)に演じてもらいたい、と強く思います。

「幻想的な雰囲気」がお好きな方には、秋の夜長に、オススメの一冊だと思います。

 新潮文庫 900円

最高裁が日弁連に質問書?

 司法修習生の給費制維持を求めて活動中の日弁連に対し、最高裁が、質問書を出しているという報道が先日ありました。

 ちょっとネットで探してもその本文が見つからないので、どのような意図で最高裁が日弁連に対して質問しているのか分かりかねるのですが、この問題は、司法修習生の給費制維持の問題だけに限ってみるのでは、問題の本質は分からないのではないかと考えています。

 新司法試験を合格して司法修習生になった人に対して、これまで国費で給料が支払われていました。これを司法改革の際に、法科大学院新設(実現)、法曹人口の増大(弁護士に限っては実現)、法律扶助制度の飛躍的拡充(全然実現されていない)などとセットで、貸与制に切り替えることにしたのです。

 これまでなぜ、給費制という制度があったのか、詳しく調べたわけではありませんが、私が推測するに、日本は三権分立を取っており、そのうち最も脆弱とみなされていた司法に優秀な人材を集める必要もあったのではないかと思います。

 旧司法試験は確かに難関でしたが、合格すれば、(決して贅沢は出来ませんが)一応生活の不安なく司法修習生活を送り、そこで実務の基礎を身につけることが出来る、そういう制度でした。だから、お金がなくても優秀な人材は頑張って司法試験を目指すことができましたし、税金で育ててもらったという気持ちがあるからこそ、プロボノ活動を行う素地があったように思います。私自身も、未だに国選弁護を引き受けることがあるのは、そういう気持ちがどこかに残っているからです。

 ところが、法科大学院制度が出来たため、これまでは司法試験に合格した者に対して税金を投入して人材育成をすれば良かったところが、法科大学院自体にも補助金名目で多額の税金の投入が必要になりました。法曹を目指す側からしても、法科大学院の授業料が必要になりました。国民・受験者双方とも費用の負担が増えたのです。

 ここで、法科大学院が、理想通りに人材育成に役立ってくれるのであればその税金の投入も、意味があるのかもしれません。しかし、合格率25%程度しか法曹の人材育成をできない法科大学院に、何百億円も投入するということは、誤解を恐れず単純に考えれば75%は投入した税金が法曹養成のためには無駄になっているということです。この点では、司法試験に合格しほぼ全員が法曹になった旧制度の方が、法曹の育成に関して税金の無駄遣いにはならずにすんでいたと言えましょう。

 受験生側の学費負担も馬鹿になりません。中には1000万円を超える借金をしてしまっている人もいると聞いています。

 これまで法科大学院制度万歳だった、法科大学院側や、マスコミも、ようやく少しは、この問題に気付き始めているようで、論調が変わって来つつあります。しかし現実は、大変な状況にあります。

 近時の新63期の司法修習を担当されている実務家(裁判官・検察官・弁護士)の、協議会で議論された内容を拝見する機会があったのですが、新61・新62期と比べて、全体として同等レベルと評価する人、レベルが下がっているという評価をする人はいましたが、優れているという評価をしている人は、私が見る限り一人も見当たりませんでした。もちろん、個々の司法修習生に関していえば当然上位の方は素晴らしい能力をお持ちだろうと思います。しかし、全体として同等と評価される方においても、マニュアル志向が目立つ、刑事事件よりビジネス法務をやりたがる、日本語の文章作成能力が落ちているという指摘がなされています。

 そうだとすると、法科大学院は、全体として質の維持も出来ていないし、マニュアル志向かつビジネス法務志向の学生を大量に輩出させている可能性があります。国民と受験生に多大な費用負担をさせながら、全然当初の理想と違った人材育成しかできていないといわれても仕方がないでしょう。

 そのような法科大学院に多大な税金の投入を続けるより、現在の法科大学院生に対する配慮をしつつ、失敗した法科大学院を廃止して、その分の税金を司法修習生の給費に振り向ける方が、よほど司法に有為の人材を招き入れることになるように思います。

 マスコミのは、社会的・経済的に恵まれた法曹になるんだから、給費制なんていらんじゃないかと論じがちです。確かに弁護士になれば高額な収入が保証されているのであれば、マスコミの主張も一理あるでしょう。しかし、需要を無視して弁護士を急増させ、その結果、就職できない新人弁護士が、3~4割くらい出るのではないかといわれている現状で、社会的経済的に恵まれている弁護士(法曹)という見方自体が間違っていますし、なにより、マスコミの見方には、長期的に見て優秀な人材を集め育てるという観点が全く欠落しているように思います。

 例えば、大手新聞社が(労働法上の問題は無視して)、内定者を決定する際に、

 「大学卒業してから少なくても2年は専門職大学院で自腹で学んでこい。そのうちの25%を採用してやるよ。また、うちに勤められるのは名誉なことだから、採用してもきちんと仕事の出来ない見習い期間の1年間は給料は出さない。ただし、そのあと、他よりも少し高額の給料を出す見込みだからいいだろう。但し少し高額の給料はあくまで見込みで保証してる訳じゃないよ。」

 として記者を募集した場合、優秀な人材は集まるでしょうか。特に経済的に困窮している優秀な人が集まるでしょうか。

 最高裁の質問書は、原文を見ていないので分かりませんが、場合によれば、現在の法曹養成制度、人材育成に対する問題点に目を向けて欲しいといっているのかもしれません。

債務整理の、ちょっといけない問題

 今日午前に、お二人で来所された相談者の方は、司法書士に債務整理を依頼したが、果たしてこれで良かったのだろうかという相談でした。

 具体的には(とはいえある程度抽象化してますが)、某司法書士さんに債務整理をお願いしたところ、殆ど説明もなく「過払い金がこれだけありました。報酬はこれだけ頂戴します。」といわれました。お金が戻ったのは嬉しかったので、いわれるままに報酬を支払った(差し引かれた)のですが、振込料の他に振込手配料名目で意味不明な実費が計上されていたり、訴訟の着手金を支払ったのに準備書面作成料をとられているとか、よくよく見てみるとたくさん報酬を取られている。ちょっと妙に思うのですが、果たしてこんなもんなのでしょうか?

 そもそも、債務整理の状況についても殆ど報告してくれなかったし、実費の明細を見せて欲しいとお願いしても見せてくれないし、取引履歴を見せて欲しいとお願いしても、自分でサラ金からもらってくれと突き放された。これも正しい対応なのでしょうか?

 という、ちょっと困ったケースでした。

 まず、債務整理を受任した場合、弁護士としては債権者(サラ金・信販等)に取引履歴を出してもらいます。その上で、利息制限法に引き直し計算を行い、どれだけ借金が残っているのか、どれだけ過払い金が発生しているのかを明らかにします。

 その上で、計算結果を依頼者の方に示しながら、借金の方があまりにも多く、そのままでは到底返せない状況になっていれば、破産・民事再生を考えます。借金が返せる範囲であれば任意整理ですませることもありますが、そこは、必ず依頼者と相談し、それぞれのメリット・デメリットをきちんと説明した上で、その意向を聞いて決めます。

 また、過払い金が発生していたとしても、過払い金返還請求が物凄い数に上っている現状では、こちらの計算通りに過払い金を返してくれるサラ金など、そうありません。大抵が、何割かの減額や分割払いを申し出てきます。当然その場合は、訴訟という手段がありますが、その場合でも、「計算上はこれだけの過払い金があります。相手方サラ金は○割引なら2ヶ月後に払うといっており、ずいぶん交渉しましたが、これ以上進みません。訴訟にするなら~~のメリット・デメリットがあり、ここで話し合いでまとめるなら~~のメリット・デメリットが考えられます。どうされますか?」

 と必ず、依頼者の意向を聞いて決める必要があります。

 今回の司法書士さんは、取引履歴や計算結果を全く依頼者に示さず勝手に和解しているとのことでしたが、これは委任契約の善管注意義務違反・報告義務違反に該当しかねない行為だと思われます。

 例えば、依頼者の方は、「80万円過払金を取り返しました。良かったですね。」と、問題の司法書士さんにいわれた際に、借金がなくなってお金が戻ったのだから嬉しくてそれで終わってもいいや、と思うかもしれません。

 しかし、利息制限法の計算上では、本来サラ金に請求できた過払い金は実は140万円だったのかもしれません。計算結果を依頼者に知らせないのであれば、そのようなことも出来てしまいます。もちろん、利息制限法引き直し計算とほぼ同じ額で和解しているのであれば、まだ良いのですが、原則としては、きちんと計算上は過払い金は○○万円、~~の事情から和解しようとしている額は△△万円ですが、それでよろしいですかと、合意を取ってから和解すべきでしょう。

 いずれにしても、取引履歴・利息制限法引き直し計算結果を少なくとも明示した上で、話を進める弁護士・司法書士でないと、ちょっと信頼性に黄信号が点っていると考えて良いかと思います。

 さらにいえば、この問題の司法書士さんは、某日刊大手新聞に広告を行い、依頼者の方には「弁護士に頼んだら高いですよ。」といいつつ、実際には、弁護士会法律相談センター基準よりも高額の報酬を取っているようでした。

 お金を出して大々的に広告するのであれば、当然その広告費用は、報酬に跳ね返っているはずです。だってボランティアのためではなく、儲けるために広告をしているのですから。

 よくよく、見定めて依頼しないといけない時代になってきたようですね。

 ps 当職も債務整理サイトを作りました。誠実な処理をお約束します。

    http://forest.idealaw.jp/

司法過疎と「全国の弁護士需要」連載終了

日弁連が会員(つまり弁護士)向けに発行している「自由と正義」という月刊誌がある。

 その自由と正義に2009年1月から「全国の弁護士需要~地方での開業を考えてみませんか・あなたを必要としている地域があります」という記事が、連載されていた。狙いは、地方に弁護士需要があることを若手弁護士に伝えることが主であったようだ。

 その連載が、今月号(2010年9月号)で終了する。これまで42の弁護士会からの記事が掲載されてきた。私も時々見ていたが、最近は、「大きな需要は見込めない」、「会員の急増で、若手会員は先行きへの漠然とした不安を抱いている」などの記事があり、弁護士不足なのでどんどんうちの弁護士会に来て欲しいと両手をあげて弁護士を求めている弁護士会は、ほぼ見当たらなかったように思う。

 連載終了にあたって、日弁連公設事務所・法律相談センター委員の岩田研二郎弁護士(私も若干面識があるが、非常に温厚な先生という印象がある)が書いておられるが、「特に、ここ2,3年で地方弁護士会における若手会員が急増している状況の下で、どこでも本庁における弁護士需要は充足感があり、必ずしも『地方に来ればなんとかなりますよ』と手放しで言えない状況」になっているのだそうだ。

 「あなたを必要としている地域があります・地方での開業を考えてみませんか」と副題をつけたこともあり、執筆をお願いしても、執筆を見合わせる弁護士会もあったそうだ。

 地方にさえ行けば、緑の地平が広がっているという時代はもう過ぎたと言わざるを得ない。

 逆に言えば、司法過疎もかなり解消されているはずだ。ここ10年で弁護士の数はほぼ2倍になったのだし、地方でも法律相談の予約枠が埋まらないなど、法律相談のために弁護士を配置しても相談者が来ないこともあるそうだ。

 マスコミが何十年も言い続けている司法過疎は、昔はともかく、今では、ひょっとしたら実態のない「お化け」なのかもしれないね。

尖閣諸島問題

 尖閣諸島の領有権について、日本・中国・台湾の間で争いになっていることは知っていたが、今回の中国船舶の行為や船長逮捕に関し、中国高官が日本大使を、夜中に呼びつけるなど、相当高圧的な態度に出ているという報道がある。

 外務省基本見解によると、尖閣諸島は、「1885年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行ない、単にこれが無人島であるのみならず、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認の上、1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行なって正式にわが国の領土に編入することとしたもの」であり、太平洋戦争に敗戦した後、日本の領土としてアメリカの施政下におかれ、いわゆる沖縄返還協定により、アメリカから日本に施政権を返還された地域に含まれている、れっきとした日本の領土なのである。

 仮に、尖閣諸島が中国乃至台湾領であったとするならば、アメリカが施政下においたことに関して、中国・台湾の当局から抗議があって然るべきである。しかしそのような抗議は一切なかった。この点からも、中国・台湾双方が、尖閣諸島について日本領であることに何ら異議がなかったことを示している。ちなみに、アメリカの態度は、尖閣諸島に関する日本の施政権を認め、日米安全保障条約も適用される旨を述べている(但し主権については中立をの立場を取っているとのことである。)。

 ウィキペディアによると、「中華人民共和国発行の社会科地図で、地下資源が確認される以前の1970年の南西諸島の部には、はっきりと”尖閣諸島”と記載され、国境線も尖閣諸島と中国との間に引いてある。しかし、地下資源が確認された以後の1971年の南西諸島の部では、尖閣諸島は”釣魚台”と記載され、国境線も日本側に曲げられている。」とのことであり、この記述が正しければ、中国も尖閣諸島を日本領と認めていたことになろう。

 中国も台湾も、1970年代後半、海底油田の存在が取りざたされるに及び、領有権を主張し始めたようであり、大陸棚の資源は国家にとって極めて大切であるから、国家の利益のために領有権を主張したくなる気持ちも分からないではない。

 しかし、日本国民の生命を守るのと同じく、日本の領土を守ることは、日本という国家にとって絶対の正義である。

圧力に負けず、毅然とした態度で対処して頂きたい。

朝日新聞の社説に批判

 今日(2010.9.12)の朝日新聞に、「司法試験~改革の原点をふまえた論議を」と書かれた社説が掲載されていたのを、お昼を食べに行ったお店で読んだ。

 「3000人を墨守する必要はない」ということなので、以前の社説に比べれば随分トーンダウンしてきたようにも思われる。

 確か私の記憶では、僅か2年半ほど前の社説(2008.2.17)では、随分違うトーンで社説を書いていたはずだ。そのときの題名を、社説氏は覚えておられるだろうか。

題して、

「弁護士増員~抵抗するのは身勝手だ」

かなり偏った社説だったので私もブログで若干反論させて頂いているはずだ。現実はどうなってきたか、もう一度社説氏には現状を見据えてもらいたい。

 新司法試験合格者について、政府目標があったとしてもそれを実現できていないというのは、どれだけ司法試験委員会が受験生を合格させようとしても、そのレベルに達した人間がいなかったということだ。近年の新司法試験採点雑感を見ても、こんな実力で実務家になってしまうのはいかがなものか、という趣旨の批判がなされている。

 つまり、法科大学院には、(随分甘く見てもだが)せいぜい年間2000名程度しか、実務家としての最低限の基礎を有する卒業生を送り出す能力がない、ということに他ならない。

 その点を社説が批判すれば、まあそうかなと思うのだが、社説氏はそこには明確に触れず、軌道修正が必要とごまかし、法曹人口が多すぎるという主張の批判に話をすり替えていく。

『だが、弁護士の飽和状態を憂う声が上がる一方で、「弁護士が見えない」と嘆く市民は少なくない。このギャップの原因を解き明かす必要がある。』と社説氏は述べる。

 まず、「弁護士が見えない」と嘆く市民は少なくない、と社説氏は断言する以上、そのような市民の方を、現実に多数知っているのだろう。

 じゃあその市民の方に、弁護士会の電話番号を教えてあげてくれれば良いではないか。そうでなくても、こんな市民の方が弁護士に依頼したいと思っていますよと、その市民の方々の同意をもらって、連絡先を弁護士会に通知してくれればいい(市民の方としても弁護士に依頼したいんだろうからきっと同意するはずだ)。

 ギャップの原因なんか解き明かさなくても、それだけで、社説氏の言う市民の方々には、すぐに弁護士が見えるようになるはずだ。それくらいやってもいいだろう。ファックスひとつで済むかもしれない問題だ。

 しかし、これまで散々弁護士について論じながら、朝日新聞(その他のマスコミも)どうしてそれをやらないんだ。まさか、市民の声とかいいながら、勝手に自分の(事実に基づかない)認識を、「市民の声」にすり替えて社説に書いているわけではないはずだろう。

 更に言えば、朝日新聞は、そのギャップを憂いているんだから、何とかしたいと思っているんだから、毎日無料で弁護士会の連絡先、弁護士の出来る仕事などを全国版に一面で広告してくれたっていいんじゃないのか。あっという間に、市民の方々に弁護士へのアクセスルートが明確になるだろう。

 次に、社説氏は、法テラス勤務弁護士の次のような言葉を引用する。どうもこのような弁護士になれと言いたいらしい。

 『その一人が語った「私たちは、そこそこ小金を持ち、知恵がある人を市民と言ってきただけで、本当に法的ニーズがある人々を見ていなかったのではないか」という言葉は重く響く。』

 これをパロディにさせてもらうとこうなるかもしれない。「私たち(新聞社)は、新聞を購入する余裕があり、テレビ欄以外も目を通す人を読者と言ってきただけで、(新聞を購読する余裕が全くなくても)本当に新聞を読みたい人々、テレビ欄だけでも読みたい人、無料(若しくは一部10円で)で新聞を読みたい人を見ていなかったのではないか。」

 私は、このブログで繰り返し言ってきたが、「弁護士も職業である以上、生活を維持する手段でもあるのだから、原則としてペイする仕事が中心にならざるを得ないし、それを非難されるいわれはない。しかしそれは経済的に弁護士に依頼出来ない人を切り捨てろと言っているのではなく、そのような人々も弁護士に依頼できるよう、国民の理解の下で財政的措置を講じるべきである、」ということなのだ。

 誤解を恐れずに言えば、法テラス勤務弁護士は、仕事がどんなにペイしなくても、(決して高給ではないと聞いている)給料をもらって生活が安定しているから、理想に近いことが実践しやすいし、言いやすいのだ。

 もちろんこれまでの弁護士も、何とか生活が安定していた間は、弁護士会費の納入を通じて、また自ら手弁当で、そのような仕事を出来る限り行ってきた人が多くいる。法律扶助の拡充も求めてきた。

 しかし、弁護士人口の増大は実現したが、司法予算の飛躍的増大も、法律扶助制度の飛躍的拡充も出来ていないのだ。そればかりか、弁護士人口の急増により、弁護士自体も生活のために競争を余儀なくされる事態を招きつつある。

 自由競争は、いい仕事をするものが必ずしも生き残るとは限らない。結果的に儲けることが出来たものが生き残るものだ。このような自由競争を弁護士業に持ち込むことは、弁護士にとってはいかに競争に勝つかと言うことだが、結局どれだけ手間を掛けずに利益を上げられるかに帰着する。いきおい、業務のビジネス化はさけられない。そうなると、社説氏の引用する法テラス弁護士のような、弁護士像とかけ離れていくことはやむを得ない。

 つまり、朝日新聞は、これまでの社説のように一方では、自由競争で「儲けた者勝ち」の弁護士業界にしろと言いつつ、もう一方で、(生活が安定していなければ到底出来ない)ペイしない仕事をやれと弁護士に無理難題を言っているのだ。

 社説氏は更に続ける。『活動領域を法律事務所や法廷の外に広げ、市民や企業・団体の中に飛び込んでこそ見えてくる需要がまだあるはずだ。気になるのは、経済界や労働界、消費者団体など司法制度改革を唱えてきた人々の声が最近あまり聞こえてこないことだ。』

 これは、ニーズがないことの裏返しではないのだろうか。

 経済界・労働界、消費者団体など、結局弁護士をほとんど採用していないはずだ。一時の熱病のように弁護士不足を叫んでみたものの、実際弁護士が増えてみれば、よく考えてみたら弁護士がいなくても法務部があるよね、といったところだったのだろう。

 それに、朝日新聞だって弁護士不足をあれだけ叫んでいたのだから、経済界・労働界・消費者団体のせいにするのは狡いだろう。あれだけ弁護士不足を喧伝し、この社説で弁護士は企業に飛び込めと高らかにいう朝日新聞が、いったい、どれだけの社内弁護士を雇用しているのだろうか。

 日本企業内弁護士協会の資料によると、2009年後期の資料で、企業内弁護士の数は412名、そのトップ20位に朝日新聞は載っていないから、おそらく3人以下の弁護士しか採用していないのだろう。当然ニーズがあれば採用しているだろうから、朝日新聞の姿勢自体、企業に(少なくとも朝日新聞に)弁護士のニーズがないことの裏返しではないか。それでいながら企業に飛び込めとはどういうことだ。

 ちなみに、2001年の企業内弁護士数は64名だそうだ。2001年から2009年後期まで、弁護士数は1万人程度増えている。弁護士を1万人増やして企業の採用数増加は350名弱なんだから、当初の企業のニーズ予想は大外れも良いところだというべきだろう。どこのパン屋が350名のために1万人分のパンを焼く必要があるのだ。

 その大ハズレのニーズ予測に基づいたのが、司法制度改革だったのだ。

 だから、今回の司法制度改革の原点に戻っても、間違った予測に基づいた改革なので意味がないように思う。

 若干眠いため、散漫な文章になっていると思います。

 申し訳ありません。

今朝見かけたダックスフント

 今日は、大阪桐蔭中学・高校での出張授業があり、京都の自宅から直接学校の方へ向かった。

 朝早めに出たため、お腹がすいており、時間調整と朝食を兼ねて、桐蔭中学・高校の近くのコンビニエンスストアに車を止め、朝食を買おうとした。

 すると、コンビニエンスストアの入り口のマットのあたりに、首輪はしているがリードをつけていないダックスフントが座っている。

 えらいな、飼い主待ってんのか。でももう少し横に寄って欲しいぞ。それに、リードをつけておくのがマナーのはずだ。ダメな飼い主だな。

 と思いつつ、コンビニエンスストアに入った。そして朝食を買い、自動車に戻って私は食べ始めた。

 ダックスフントは、まだ、コンビニエンスストアの入り口に座っている。

 私がジロジロ見ている視線に気付いたせいか、ダックスは、私の車の方に近寄ってきて、また入り口に戻っていく。

 ??・・・・おかしな動きをする犬だな。

 普通ご主人を待つ犬はみだりに、位置を変えないものだ。よくよく考えてみると、犬を見始めてから結構時間が経っている。私がコンビニに入った時を思い出すと、私以外にお客はいなかったようにも思う。

 もう少し見ていると、新しいお客がコンビニエンスストアに入ろうと入り口に近寄ると、犬は必ずその人間に近寄っていく。そして近くまで寄ってすぐに小走りに離れる。

 そのような犬の行動が数回繰り返され、ようやく私は理解が出来た。

 この犬は、置いてきぼりを食ったんだ。

 ご主人がコンビニに入る姿は見ていたのだろう。しかし、その後、何かの事情で置いていかれてしまったのだ。

 ご主人を捜しているのだ。

 朝食を食べ始めてから、15分くらい経っただろうか。

 犬はまだ、ご主人を待っている。

 私には、約束の時間が迫っている。出張授業は大阪弁護士会の事業の一つだ。遅れるわけにはいかない。しかし、せめて飼い主に連絡できないか。

 ひょっとして首輪に連絡先があるかもしれない。

 そう思って、私はダックスフントに近寄る。姿勢を低くして近寄ると、ダックスフントは小走りに近寄ってきた。一瞬ご主人かと思って期待して近寄ってきたのだ。

 しかし、私が、手がかりがあるかもしれないと思った首輪にわずかにさわることができた瞬間、犬は身をかわし、私から小走りで離れていった。犬の気持ちは分かるつもりだ。一瞬だけでもご主人かと思って他人に近寄ってしまった自分を許せないのだろう。

 私は、もう一度犬に近寄ろうとしたが、今度は犬が寄ってこない。ご主人以外の人間には気を許さないのだ。

 申し訳ないが、私には、もう時間は残されていなかった。

 あの子は、あのあと、どうしただろうか。

 ご主人が早めに気付いて迎えに来てくれたのなら良いのだけれど・・・・・。