新司法試験合格者数の予想

明日の午後4時に、今年の新司法試験の合格者が発表される。

 昨年度は、司法制度改革審議会意見書の目安を下回った人数しか合格させなかった司法試験委員会だが、今年はどうだろうか。

 合格者を昨年の約2000名より増やす方向で考えられる要素としては、昨年の合格者数に対するマスコミや法科大学院からのバッシングだ。

 特にマスコミは、これまでの長年据え置かれてきた合格者500名程度から、現状が2000名まで増加している事実や司法制度改革で実現されるべき施策が殆ど実現されていない(皮肉なことに司法制度改革で提唱された施策のうち、最も実現されているといっても過言ではないのが弁護士の増員なのである)ことなども無視して、わずか20名程度の合格者減を大げさに騒ぎ立て、司法改革の後退と言わんばかりの論陣を張ったように記憶している。そして法科大学院の定員削減の動きも間接的には、法科大学院の努力とみなされる可能性もあるだろう。まだ新司法試験合格者数の目安を定めた閣議決定が改められていないこともこの要素といえるだろう。日弁連の緊急提言が今年はなされていないことも、物凄く遠い理由になるかもしれない。

 合格者を昨年度よりも減らす方向で考えられる要素としては、新司法試験採点者の採点雑感が年を追うごとに受験者の成績が悪化傾向にある旨を警告し続けていること、最高裁も国会の法務委員会で成績下位合格者の実態について改善が見られていない旨述べていること、などから、合格水準に達する受験生が昨年ほどの人数は存在しない可能性が見込まれることなどである。合格者数の目標について再度念を押す閣議決定が今年はなされていないように見えること、なども遠い理由になるかもしれない。

 昨年、予想を外した経験を踏まえた上での私の予想は、司法試験委員会が圧力に屈しないのであれば、合格者数は昨年並みか、若干減少というあたりではないかというものだ。

 いずれにせよ、マスコミの方々にお願いしたいのは、思い込みで記事を書かれるのではなく、きちんと取材し、裏付けをもって記事を書いて頂きたいということだ。合格者が減った場合には、その理由を司法試験委員会に必ず取材して欲しい。私がお会いした現場の記者の方々の多くはそのような姿勢で書いておられるのだが、なぜか社説・コラムを書かれる方は、そうでない傾向にあるように思う。

 僭越ながら、マスコミの記事まで予想すると、昨年より合格者減の場合=司法改革の後退だ許せない、昨年より合格者増の場合=法科大学院の成果(大幅増)or司法改革が後退しかねない(小幅増)、というものだ。

果たしてどうなるだろうか。

「星守る犬」~村上たかし

 知人に勧められた漫画である。 ネタバレを避けるために内容には詳しく触れない方が良いと思う。

 犬好きの方には、辛いお話かもしれないし、絵柄が好みでない方もいらっしゃるかもしれないが、この漫画を、どうか、まずは一度真っ白な状態で、読んで頂きたい。

 あとがきで、作者の「村上たかし」さんは、こう述べている。

 ~(前略)自分で書いててなんですが、作中の「お父さん」は、こんな結末を迎えなくちゃならないほど悪人じゃありません。ちょっと不器用だけど、普通に真面目なタイプ。ただ、ほんの少し、家族や社会の変化に対応することを面倒くさがったり、自分を変えることが苦手だったり・・・というだけで、昔なら、いたって平均的な良いお父さんです。しかしそれが、いまでは十分「普通の生活」を失う理由になり得るようで、本当につまらないことになってきたなあと思うのです。ちやほやしろとは言いませんが、普通に真面目に生きている人が、理不尽に苦しい立場に追いやられていくような、そんな世の中だけは勘弁して欲しい。と、やるべきことすらちゃんとで出来ていないダメな僕は、切に思うのです。(中略)計算やかけひき無しで、こっちが申し訳なくなるくらい真っ直ぐに慕ってくれる犬。僕自身も愛犬にどれだけ救われてきたかしれません。傍らに犬。二人は絶対に幸せだったと思います。(後略)~

 普通に真面目に生きてきた「お父さん」。私もそう思う。

 普通に真面目に生きてきた人が理不尽に苦しい立場に追いやられていくような、そんな世の中になりつつあることも、私は同感だ。

 お話の途中で、お父さんが犬に語る。

 「落ち込んでいるのは、断じて金がなくなったからじゃねーぞ。素直に甘えられなくなっているあの子が悲しすぎるんだ。」

 どうしてこのような考えが出来る人が、辛い目に遭わなくてはならないんだ、どうしてこうならなくちゃいけなかったんだ、と、物語の結末に怒りを覚える人も多分いるだろう。

 結末は悲劇に思えるかもしれない。読者は涙をこらえきれないかもしれない。

 しかし、作者が、「お父さんと犬」とか、「一人と一匹」と言う表現ではなく、「『二人』は絶対に幸せだったと思います」と述べているのだから、私達読者はそれを信じ、このお話から感じる「何か」を大事にしていかなければならない、そんな気がする。

双葉社 762円(税別)

日経新聞コラム「大機小機」

 2010年9月4日付、日経新聞朝刊の「大機小機」に、「司法試験合格者数と職域問題」との題名でコラムが掲載されている。

 まあいつも通り、弁護士の活動領域は多くあるのだから、もっと努力しろ、弁護士側から合格者削減をいうな、という論調である。

 このコラムを書かれた「腹鼓」氏は、こう述べる。

 「企業や行政の内部で弁護士が活躍できる余地はいくらでもある。」

 果たして、腹鼓氏は本当に、企業・行政内部にその余地がいくらでもあることを、実際に調べた上で書いているのだろうか。

 もし本当に企業や行政内部に弁護士の活躍余地がいくらでもあり、企業や行政が弁護士雇用を望んでいるのなら、どうして、もうすぐ弁護士になる(可能性が極めて高い)修習生を争って雇用しないのか。まだまだ、修習生の就職は困難を極めている。

 現状では、いくらでも新人弁護士を雇用可能なのだ。

 実際に、関東のいくつかの弁護士会では中小企業等に弁護士雇用の可能性をリサーチしたが、そのような余裕はないという中小企業がほとんどだそうだ。大阪でも、社員にボーナスを出せない中小企業が半数近くになるといわれているのに、どこにニーズがあるのだろうか。

 日弁連のシンポジウムでも某地方自治体の方が、弁護士を雇用する見込みはないといっているのだが、そのようなことも、腹鼓氏にかかれば、緑の地平に見えるのだろうか。

 腹鼓氏が、弁護士の活躍できる余地があると言い張るのなら、弁護士を求めている企業・行政を具体的に日弁連に教えてやってもらいたい。おそらく具体的な内容は、少なくとも「いくらでも」というレベルでは、明示することはできないだろう。

 腹鼓氏が、論じているのはニーズではない、活躍の余地の話だと言い逃れるのであれば、このコラムは何の意味もない。就職氷河期で就職できない大学生に向かって、大学卒業者の活躍の余地はいっぱいあるといってどんな意味があるというのだ。ポスドク問題で就職できないドクターに活躍の余地がいっぱいあると言っても、現実的な就職問題の解決はもちろん、何の慰めにもなりはしないではないか。

 企業に弁護士の活躍の余地がいくらでもあるのなら、何より日経新聞にどれだけの弁護士が雇用されているのか明らかにして欲しい。さぞかしたくさんの弁護士を雇用されているはずだ。なにより、日経新聞だって企業なんだし、企業に弁護士の活躍の余地はいっぱいあるはずなんだろうから。

 日本組織内弁護士協会の最新の資料によると、日経新聞は採用数上位20位に入っていないから、少なくとも4人以上の弁護士を2009年下半期には採用していないようにみえるのだが、事実はどうなんだろう。

 資料から分かるとおり、現実の企業の弁護士ニーズ~活躍の余地とほぼ重なるだろう~は、微々たるものだ。もし、日経新聞が弁護士をひとりも採用していないのなら、いい加減なことを言うなと批判されても仕方ないように思うのだが。

今日の少年審判

 今日、少年事件の審判があった。

 相当重い事件であったが、幸いにも示談が成立できたこと、ご両親がしっかりされていたこと、本人の反省も深まったこと、良い調査官・裁判官に恵まれたことなど、様々な要因が全てうまくそろって、なんとか保護観察処分を頂くことができたように思う。

 少年は昨晩は全く眠れなかったという。審判の最中、これまで一生懸命に考えてきたことを彼は、時に涙に声をつまらせながら真剣に語った。私もこれまでの身柄拘束中、彼と何度も面会し、彼の考えの浅はかさを指弾し、考えるよう促し、間違いは間違いであるとして断じて譲らず対応してきたつもりである。

 それだけに、彼が内省を深めることができつつあること、調査官・裁判官にその事実が伝わったことは、私としても嬉しい限りだ。今日は良い気分で床につけそうな予感がする。

 しかし、保護観察処分は決して無罪でもなんでもない。非行事実は厳然として存在する。非行事実は決して消えることはない。だがその中で、彼の可能性に賭け、彼の反省しているという事実を、一度は社会の中で信じてみようという処分なのだと私は理解している。

 おそらく少年も分かっているだろう。 

 この処分は、終わりではなくスタートなのだ。そこまでは、周囲の人の尽力でなんとかなる場合もあるが、スタートを切ったあとは、自分で頑張っていくしかない。

 ふらつくこともあるだろうが、なんとか、自分の力で歩いて行ける力を身につけていってもらえれば、と切に願う。

韓国弁護士事情~東亜日報から

 先日裁判官の官僚化の危険性について、東亜日報(2008.8.19)から韓国の事情を引用した。同じ日の東亜日報の記事には、増加する弁護士犯罪・不適切と思われる弁護士の活動にも触れられている。

 不適切な例として、ソウル中央地裁のある判事によれば、「弁護士が成功報酬を狙って、和解で終わる事件を無理矢理正式裁判へと進める事例が多い」と指摘されているそうだ。

 私の感覚からすれば、和解で終わる見込みがあるなら和解で終わらせるのが、適切な弁護活動(代理人活動)というべきだ。なぜなら、お互い譲り合っての解決だから遺恨が残りにくいし、時間も費用も訴訟ほどかからず、依頼者のためになると思われるからだ。

 しかし、敢えて言うなら、和解で終わる見込みの事件を正式裁判に持ち込んでも、違法でもなんでもないし、「法の支配」を標榜する司法改革論者からすれば、当事者の話し合いよりも法によって白黒つける社会なんだから、むしろ正式裁判にする方が「法の支配」の理念に沿っており、適切という意見もあり得るだろう。

 もちろん、訴訟にすれば弁護士費用はかかるし、お互い譲り合って解決したわけでもないから遺恨も残りやすい。判決では、基本的に一方の主張を認め、他方の主張を認めないことになるから、当然納得できない方は、控訴してさらに訴訟費用がかかることも多くなる。いきおい、解決に時間もかかる。

 しかし、これが法化社会の姿なのである。 

 再度いうが、司法改革論者が国民が求めていると主張してきた、「法の支配」からすれば、お互いが話し合い譲り合うより、法により白黒つけるわけだから、すぐに正式裁判に持ち込んで解決させる方が理想の社会ということになってもおかしくない。また、司法改革論者によれば、そのために法曹人口の増大が必要なのだそうだ。

 本当に国民の皆様はそう願っているのですかね?

 誰が調べたんでしょう??