日弁連の副会長のうち、2名はクォータ制により、女性と決まっている。
日弁連が女性が副会長になりにくい制度を採っているわけではないと思うので、私個人としては男性への逆差別ではないかと思うのだが、男女共同参画の理念からすると私の感覚がどうもおかしいらしい。
それはさておき、クォータ制の女性副会長の選出経緯は実に複雑怪奇の伏魔殿的な様相を呈していると私は思っている。
クォータ制女性副会長になるには、弁連等から推薦される方法・自ら推薦人を集めて立候補する方法があり、最終的には日弁連会長が座長を努める委員会で候補者から選出される仕組みだったように記憶している。
もちろん、他人に推薦されるのをじっと待っている候補者よりも、自ら女性共同参画の理念を日弁連執行部に実現するべく、推薦人を集めて立候補する人の方がやる気があるわけだし、日弁連のためにしっかり働こうとする意欲は高いと思われるのだが、実は、日弁連は推薦候補者を優先させ、立候補した候補者を落選させた前歴がある。
さらに、立候補者がいないのであれば、弁連で推薦する、というのなら話は分かるが、クォータ制立候補者を募る公示をする前から既に弁連候補者を内定させていたという、本末転倒したようなお話(しかも、クォータ制導入する日弁連総会決議があったわずか3日後に既に弁連推薦候補者がきまっていたらしい)もあったりするのだ。
日弁連代議員会で、何故立候補した方をクォータ制副会長に選出しなかったのかという質問も出たように思うが、日弁連執行部は政府答弁のように木で鼻をくくったようなお茶を濁した適当な説明だけをして、具体的な説明は、なにもなかったように記憶している。
簡単に言ってしまえば、女性の積極的な参画を促しながら、積極的に立候補された、やる気のある方を排除するなど、私には到底理解不可能な選考を日弁連は行ってきたということだ。
この点、確かに、弁連推薦のクォータ制女性副会長候補者は、弁連から推薦を受けていることからも分かるように、もともと弁連を押さえている日弁連主流派の息がかかった人材、すなわち日弁連執行部に逆らわないイエスマン的候補者だと思われるため、日弁連執行部としても、その方が楽に会務を遂行できるというメリットはあるだろう。
しかし、そもそも何故日弁連はクォータ制女性副会長を導入したのか。
それは、日弁連執行部の会務を円滑に行うことが主目的ではなく、女性ならではの視点を日弁連執行部に積極的に取り入れようとする目的からではなかったのか。
だとすれば、より日弁連に女性の視点を反映させようと決意して、自ら推薦人を集めて立候補する人材は、やる気という点で弁連推薦者よりも優位に立つはずだし、能力面についても多くの会員から推薦を得られているのであれば大きな問題はないと考えられるから、明らかにクォータ制導入目的に沿う人材であると考えられる。
それでも、日弁連は、クォータ制副会長に立候補した方を未だ選出したことがないはずだ。
このように、私から見れば全然なっちゃいない日弁連のクォータ正副会長選出の経緯なのであるが、2度も立候補して煮え湯を飲まされていながら、負けずに再度チャレンジしようとする方がいらっしゃる。
兵庫県弁護士会の武本夕香子先生だ。
武本先生は、長年、伊丹市、尼崎市及び芦屋市において、女性のための専門法律相談員を務めてこられ、上記各市における男女共同参画推進審議会委員等を務めるなど、男女共同参画問題について積極的に取り組んで来られた方だ。
兵庫県弁護士会の会長も務めた経験をお持ちで、経歴的にも日弁連副会長として何ら問題がない方でもいらっしゃる。会派などに阿ったりせず、是々非々で堂々と議論できる貴重な方である。
なにより、女性の視点を日弁連執行部に反映させるために強い意思を持って再度立候補を表明されたやる気と行動力を、日弁連は汲み取るべきだろう。
その武本先生が、クォータ制副会長立候補予定者として推薦人を募集しておられる。今の硬直化した日弁連執行部に対し、風穴を開け、日弁連執行部の会員無視のやり方を是正させる一筋の光となるかもしれない可能性をお持ちの方だ。
武本先生のHPには、推薦人の書式も掲載されている。
http://www.veritas-law.jp/newsdetail.cgi?code=20201016204214
(リンクが上手く張れないので、コピーアンドペーストでお願いします。)
推薦をして頂ける方は、お手数をおかけしますが、ダウンロードして署名(自署が必要だそうだ)、押印のうえ、武本先生の事務所宛にお送りして下さいとのことだ。
日弁連執行部の硬直化は、おそらく誰もが感じていることだろう。高い会費を徴収しながら、会員の生活を無視してボランティアを求める執行部の施策に違和感を覚える会員も多いのではないだろうか。
確かに、思っていても行動しなくては何も変えられない。
しかし、自ら行動できなくても、変えようとしている方を支援することで、変化に向けた動きを起こすことはできる。
そろそろ我々も、「執行部に任せていれば上手くやってくれるはずだ」という幻想から目を覚ますべきときが近いのではないか、とも思うのだが。