花岡幸代さん(シンガーソングライター)のこと~続き

 インターネット検索で見てみると、花岡さんはやはり、私の手に入れていた2枚のアルバム以外にアルバムは出されていないようだった。

 ただ、花岡さんの廃盤となっていたCDが復刻されていることはわかった。花岡さんを覚えている人達が後押ししたのか、もしくは覚えている人がCDを復刻する会社にいたのかそれはわからない。ともあれ、私には、花岡さんのあの素晴らしい曲達がまた世の中の方々に聞いてもらえる状態になっていることが嬉しかった。

 そして検索2頁目以降を丹念に見ていって、そのページのリンクまでチェックしていき、私はついに花岡さんのブログを発見することができた。

 今年の6月21日開始されたそのブログは、現在記事はまだ4つだけ。
 だが、その記事のふたつめ、「背中を押してくれたアダマス」には、どうして花岡さんが歌から離れていたのかに関する記事がある。私が下手に要約するよりも、花岡さんの記事をそのまま引用させて頂いた方が良いと思うので、以下に引用させて頂く。

(引用開始)

みなさん、お元気でしたか?
あらためましてお久しぶりです。
花岡幸代です。
ずいぶん長い間ご無沙汰してしまいました。
そう、18年間も…。

18年前、私が作る歌の主人公だった“世界で一番大切な人”と暮らし始めました。
歌を歌う毎日とは全然違うけれど、心のどこかでのぞんでいた、平凡だけど穏やかな日々。
その時間を大切にしたくて、私は歌から離れてしまいました。
優しさと笑顔に包まれて、そのままずっとそうしていたかった。

でも、神様はそれを許してはくれませんでした。
世界で一番大切な人は突然、本当に突然、星になってしまいました。

自分の体が半分死んでしまったみたいな日々、気持ちが後ろ向きだった時に、
『ねぇ、また歌ってみれば?』
って、18年間も置き去りにしていた当時の相棒ギターの“アダマス”が、私の背中を押してくれたような気がしました。
ホコリをかぶったケースを開けて、本当に久し振りにそのギターと向き合った時、うつむいていた心から水が溢れるように、私の気持ちが動き始めるきっかけになったと感じています。

…まもなく、世界で一番大切な人が星になった季節がまたやって来ます。
その時が過ぎたら、LIVEを再開したいと思っています。

今は、またみなさんにお会い出来る事を、心から楽しみにしています。

花岡幸代

(引用終わり)

 私は、この文章を読んで、CD「さよならの扉」に収録されていた「さよならの扉」、「サイド・バイ・サイド」を想いだしてしまった。
 花岡さんのCDには、当たり前の日常が大切であることや、生徒時代の淡いけれども強くしかし伝えられない恋心などが、優しい風のような曲となって流れている。そこには相手を大事に想うからこそ、相手が自由を求めているのであれば自分の想いを抑え、自分の身を引いてでも相手の自由を尊重する、相手を本当に思いやれる凛とした愛情が溢れている。

 私の記憶している「サイド・バイ・サイド」の歌い出しは、確かこうだ。

 「遠回りしたけど こうして2人 歩いている川のほとり」

 この歌詞から私が勝手に想像する限り、おそらくこの曲を書いたときの花岡さんは、様々な困難を乗り越えて世界で一番大事な人と一緒に歩けることになり、その幸せを感じていたのではないか。しかし、それの幸せを抱きしめながら、幸せすぎる心のどこかで、この幸せが永遠に続くことがないという不安を感じ、予感していたような気がしてならない。

 私は、あまりライブコンサートに出かけたことはないが、花岡さんのライブコンサートがあるのなら、行ってみたいと思っている。

花岡幸代さん(シンガーソングライター)のこと

20年近く前だと思うが、ふと気になって購入したCDがあった。

花岡幸代さんの「金のりぼん」 である。

 アコースティックな響きを大切にした曲がとても気に入り、これは大当たりだと1人で宝物でも見つけたかのように興奮したことを、いまだに覚えている。貧乏な司法試験受験生だった私には、もう一枚出されていたCDをすぐに買うことができず、食費をけちって、その翌月にもう一枚のCD「さよならの扉」を買い求めたものだった。

 花岡さんは、確かデビュー時にすでに30歳くらいの、かなり遅咲きのシンガーソングライターだったと思う。遅咲きのデビューにはきっとなんらかの理由があり、花岡さんは間違いなく苦労されていて、それでも自分の道をつらぬいて夢をかなえたアーティストなのだと、私は、彼女の曲から何の理由もなく勝手にそう感じていた。
 そして、なかなか司法試験に合格できず先の見えない自分を、花岡さんのような人もいるのだから、と励ましつつ、勉強に疲れた頭に彼女の清潔感あふれる曲と歌声を聞かせてやったものだった。

 その後、私はなんとか司法試験に合格したが、花岡さんは次のアルバムを出さなかった。
 私は、ときおりCDショップに行ったときに、邦楽ハ行のコーナーをチェックするのが癖になってしまったのだが、何度行っても彼女の新しいアルバムは見つからなかった。

 いつしか、私はCDショップのハ行のコーナーをチェックすることもなくなり、次第に、花岡さんはもう消えてしまったのだと考えるようになっていた。私は、引っ越しのどさくさでCD「金のりぼん」をなくしてしまったが、幸い手元に残っていたCD「さよならの扉」は、自動車のミュージックボックスに録音して時折聞いていた。

 先日、「さよならの扉」を聞いていたときに、花岡さんはひょっとして新しいアルバムを出していないのだろうか、と不意に私は思った。

 20年前と違い、今はインターネットという便利な道具がある。

 私は検索をかけてみたのだった。

(続く)

責任者出てこい!

 この前のブログで、過払いバブルが崩壊し仕事が大きく減少傾向にあると指摘したところだが、どうせ元に戻っただけでしょ、とのご指摘もあるようだ。元に戻るとしてもどこまで戻っているのかちょっと調べてみた。

 単純に、各地方裁判所(支部を含む)民事通常訴訟事件が平成25年に何件新しく受理されたかというと、その件数は14万7390件(速報値)である。
 地方裁判所に提起された新しい訴訟事件数が上記の数に近い年度を裁判所データブックに出ている平成元年からの資料でみてみると、平成5年から9年までは14万件台である。その後平成10年から15年までは15万件台に増加し、平成16年、17年は13万件台に減少、過払い事件が本格化する平成19年以降は18万件~23万件台になっているが上記の通り平成25年は14万7390件にすぎない。

 何のことはない、よく見てみると、平成25年の民事通常訴訟事件数は、20年前の平成5年の事件数と大して変わらないのだ。

 その間の弁護士数の増加はどうか。
 平成 5年の弁護士数は、14596名
 平成25年の弁護士数は、33624名(約2.3倍)

 さて、司法改革推進論者が振り回してきた司法制度改革審議会意見書(H13)には、こう書かれている。

「今後の社会・経済の進展に伴い、法曹に対する需要は、量的に増大するとともに、質的にも一層多様化・高度化していくことが予想される。」

 結果的に見れば、少なくとも量的予想は大ハズレのコンコンチキである。どこの誰が、一体どんな資料に基づいてこんな大ハズレの予想を立ててくれたんだろうか。
 よくもまあ、こんな大ハズレの予想を基にして司法改革をやってくれたもんだ。しかも様子を見ながら徐々に変えていくという方法もとらずに、マスコミにあおられるまま、予想が正しい前提で突っ走って、法科大学院制度という金食い虫(法曹志願者にとっても、国民にとっても)を生み出し、修習生の給費制を失わせ、挙げ句の果てには法曹志願者を激減させてしまい、法学部の人気すら凋落しているという。

この惨状を引き起こした人は何にも責任を負わなくても良いのだろうか?

 責任者出てこい!

 ・・・といいたくなるね。

ショッキングなデータ

 今日の大阪弁護士会の司法改革・法曹養成に関する委員会で、弁護士の某先生が裁判所の公表されているデータから作成されたショッキングな資料を頂いた。

 いわゆる過払いバブルといわれた時代が過ぎ、事件が減ったと良く言われるがその実態を示す資料だった。

 弁護士の仕事は訴訟以外にも確かにあるが、民事通常事件(いわゆる(ワ)号事件)がどれだけの件数、各地の地方裁判所に提訴されているかということは、弁護士の仕事の増減を示す一つの指標であるところは疑いがないだろう。

 さて頂いた資料では、過払いバブルの影響もあって、235508件と全国で近時、最も(ワ)号事件が多かった平成21年度(ワ)号事件を100として、平成25年度の(ワ)号事件を指数化したデータも入っていた。

 つまり、平成25年度(ワ)号事件の指数が50ということは、平成21年度に比べて、平成25年度の(ワ)号事件の数が半分になっているということだ。
 マスコミだって弁護士不足を未だに言っているし、わずか4~5年で事件数が半減することを示す50のようなべらぼうな指数が出るはずがないと思われる方もいるだろう。

 しかし現実はあなたの想像を超える。

 指数のワースト10を以下に挙げる。

 1.青森地裁管内 26.8
 2.秋田地裁管内 30.1
 3.盛岡地裁管内 33.0
 4.福島地裁管内 34.9
 5.宮崎地裁管内 37.4
 6.佐賀地裁管内 37.9
 6.旭川地裁管内 37.9
 8.函館地裁管内 38.1
 9.松江地裁管内 38.4
 10.長崎地裁管内 40.1
(全国指数)    62.6

 どうみても、弁護士の仕事は大幅に減少しているということが看て取れる。この指数を見れば、弁護士の仕事が増加していると強弁することは日弁連会長だって無理だろう。

 一方、平成21年度の当該地域の弁護士数を100とした場合の、平成26年3月末時点での上記地域の弁護士数の指数もあった。
 上記の地域で見てみると次の通りだ。

 1.青森地裁管内 161.1
 2.秋田地裁管内 123.8
 3.盛岡地裁管内 135.6
 4.福島地裁管内 145.1
 5.宮崎地裁管内 143.0
 6.佐賀地裁管内 151.6
 6.旭川地裁管内 154.5
 8.函館地裁管内 141.2
 9.松江地裁管内 154.3
 10.長崎地裁管内 141.2
 (全国指数)   130.0

 つまり、青森でいうならば、平成21年から平成25年まで(ワ)号事件訴訟の新受件数はほぼ1/4になったが、弁護士数は、1.6倍に増えているということだ。100→26に減った仕事を、100→160に増加した弁護士で分け合うということだ。
 全国的に見ても、100→62.6に減った仕事を、100→130に増加した弁護士で分け合うと言うことだ。

 弁護士不足、潜在的需要はある、と言い張ってきた一部の司法改革信奉者は、この数字を見てもなおその論を変えないのだろうか。もしそうだとすれば、現実に目をふさいでいるとしか思えないのだが。