平成20年新司法試験採点実感等(憲法)

 法務省のHP→審議会等情報→司法試験委員会会議→第51回司法試験委員会会議→配付資料1「平成20年新司法試験の採点実感等に関する意見」をご覧頂きたい。

 憲法の採点実感、3 「改めて学んで欲しいこと」(1)、アを読んで、驚かない法曹関係者はいないだろう。

 そこにはこう書いてある。

 「今回の設問も、法令違憲と適用違憲(処分違憲)とを区別して論ずるべきであるが、法令違憲と適用違憲(処分違憲)の違いを意識して論じている答案は少なかった」

 こんなの、憲法の答案のイロハのイ以前の問題である。

 旧司法試験は紋切り型の答案が多い等と批判されてはいたし、私も憲法が得意だとはとても言えなかったが、少なくとも、私の受験時代では、憲法の論文試験2問のうち、1問でも上記のような間違いをやらかしたら、その答案はサヨナラ答案(その年の合格はサヨナラ=不合格を決定づける答案)であり、まず絶対と言っていいほど合格できなかったはずである。

 しかも、最悪答案の例として、「法令違憲と適用違憲の区別が付かないという信じ難い答案が若干あった」というのであればともかく、「法令違憲と適用違憲の区別ができていた答案が少ない」とは、信じがたいし、あってはならない状況ではないかと思う。

 憲法の司法試験委員も、

「法科大学院での教育成果は、なお、産みの苦しみの段階にあるといえよう」等と回りくどいことをいわずに、

「法科大学院での教育成果は上がっていない。このままでは、本当にひどいレベルの法律家が生み出され続ける。直ちに改めるべきだ。」と分かりやすく述べてくれればいいのに・・・・・。

「ダナエ」 藤原伊織 著

 世界的名声を得た画家、宇佐美が、義父を描いた肖像画が切り裂かれ、硫酸をかけられる事件が発生する。その事件は、エルミタージュ美術館で起きた、レンブラントの「ダナエ」毀損事件と酷似していた。犯行を伝える女性の声は、これは予行演習だと告げる。宇佐美は義父への危害を心配するが・・・・・。

 「う~ん読むんじゃなかった、少なくとも電車の中では。」

 そう思いながら、藤原伊織の残した最後の中・短編集に収録されたこの作品に、私はまたも、やられてしまった。眼鏡をはずしハンカチを手にせざるを得なかったのだ。

 この作品の前半部分で、主人公が愛読する、萩原朔太郎の「乃木坂倶楽部」という詩の一部が引用される。

 わが思惟するものは何ぞや

 すでに人生の虚妄に疲れて

 今も尚家畜の如くに飢ゑたるかな

 我れは何物をも喪失せず

 また一切を失ひ尽くせり。

 宇佐見は、どうしようもなかった過去を忘れ去れずにいる。若さの純粋さ故に別れるという解決方法しか選び得なかった、元妻の面影を苦い思いと共に抱きつつ、今を生きている。傍目には成功している宇佐見。全てを手に入れたかのように見える宇佐見だが、間違いなく宇佐見は、傷つき、その傷を癒せずにいる。若さ故に何の力も持ち得なかった自分の無力さ、若さゆえに思い至れなかった、元妻の自分への思いに対して。

 しかし、世間にその存在すら認められていなかった当時の彼に何ができただろう。やはりどうしようもなかったのか。いや、何かできたはずではなかったか。自ら別れることを選択した彼女に対して・・・。

 彼の苦渋に満ちた記憶は、上記の朔太郎の詩の後ろ2行、「我れは何物をも喪失せず」 「また一切を失ひ尽くせり。」に集約されている。

 そして、事件が明らかになるにつれ、上記の朔太郎の詩の続きである次の部分が小説の中で展開されるように私には思われる。

(中略)

 虚空を翔け行く鳥のごとく

 情緒もまた久しき過去に消え去るべし。

 しかし、宇佐見には消し去ることはできないのだ。おそらく永遠に。文中で 宇佐美自身が語っている。

「・・・それでも、もしそれまでのずっと以前に知っていたとしても、僕になにかできたかどうか、それがわからない。救いの手すら差しのべられたかどうかがわからない。なにしろ、僕は無一文でどんな力もなかった。いまもわからないでいる。当時、結論の出るわけもなかった。答えのないあの問いは、一生、後悔として残るだろう・・・・・・」

 このような男を描かせたら、藤原伊織は抜群の冴えを見せる。

 私自身決してドラマティックな過去を持つわけではないが、決して答えのない問いを問い続けなければならない宇佐美に激しく共感させられてしまう。

 ただ、個人的に言えば、ラスト10行はなくても良かったように思う。私の勝手な邪推であるが、最後の10行について、藤原伊織は、付け加えようかどうか迷ったのではないだろうか。その上で、ラスト10行を付け加え、主人公宇佐美に微かではあるが確かな希望を与えてあげたのではないか。的外れもいいところかもしれないが、私にはどうも、そのように思えて仕方がないのである。

 ・・・・・・・・私がハンカチを取り出し、目をぬぐう間、隣の乗客は、一瞬、訝しげに私のほうを向き、その後何も気づかなかったフリをしてくれたようである。その誰だかわからない乗客に、少しの優しさを感じたのは、「ダナエ」を読んだからなのかもしれない。

 そんな小説である。

第4回 常議員会

 第4回常議員会は、いつもと違った雰囲気でした。正面を見ると執行部の半分近くがマスク姿で、畑会長もマスク姿での常議員会となりました。今思い返すと、常議員の方も相当数マスク姿で来ておられて、見た目は少しコミカルな感じになっていたかもしれません。

 本日も様々な案件が、決議されていきましたが、来る5月29日の日弁連総会における、大阪弁護士会としての姿勢をどうするかという案件もありました。

 日弁連が、「司法改革宣言」を出すこと(日弁連総会第6号議案)について、常議員会に意見を諮られたので、質問をしてみました。

 そもそも法曹人口の激増を容認する、平成12年11月1日の日弁連臨時総会決議案は、次のように記載されていました。

「当連合会は、かねてより、21世紀の我が国の司法制度を「大きな司法」とし、市民が参加し、市民に身近で役立つ「市民の司法」とするため、法曹一元制及び陪・参審制の実現を求め、弁護士の自己改革を行う決意を表明してきた。また、本年5月の定期総会においてもその旨の宣言を行った。我々は、司法制度改革審議会の審議の現状を踏まえ、審議会に対し、改めて、法曹一元制と陪審制の実現について要望するとともに(中略)、法曹人口については、法曹一元制の実現を期して憲法と世界人権宣言の基本理念による「法の支配」を社会の隅々まで満たすために、国民が必要とする数を、質を維持しながら確保するように努める(以下略)」

 要するに、平成12年の決議案では、法曹人口を増大させるための大きな理由付けとして、法曹一元制の実現を期してのことであることが明らかにされています。

 ところが、その決議から9年経過した、平成21年日弁連総会の決議案(第6号議案)はどうでしょう。司法改革、市民の司法、という言葉はありますが、法曹一元という言葉は何処にもありません。

 そこで、執行部に「確か法曹人口激増容認の理由は、法曹一元を目指してのことだったはずだが、そのようなことは何故、決議案に書かれていないのか。現在、日弁連で、法曹一元を目指して具体的な活動がおこなわれているのか。」という趣旨の質問をさせて頂きました。

 会長からは、日弁連で法曹一元実現に向けての具体的活動・施策が実行されているとの説明はなかったので、法曹一元の実現については、日弁連も内心あきらめているとしか考えられません。

 法曹一元を目指さないのであれば、法曹人口5万人を日弁連が容認した最大の根拠はなくなります。

 平成12年の臨時総会議事録p26には、平山正剛日弁連副会長(当時)が、「法曹一元を考えてみますと(中略)分母としては4万人ぐらい必要ではないかということは議論いたしておりますけれども(後略)」と発言されており、あきらかに、法曹人口増大を正当化する理由として法曹一元制度の実現が挙げられています。

 つまり、当時の日弁連執行部と現在の日弁連執行部に連続性があるのなら(法曹人口5万人を目指すと言い続けていることから連続性は明らかですが)、会員に対しては、法曹一元に必要だから弁護士を増やすのですといいながら、法曹一元を目指す方策を継続してとることもなく、弁護士の増加だけを実現させているということになります。

 例えは悪いかもしれませんが、これだけのお金を払えば、素晴らしい夢が叶いますよと言ってお金を集め(負担を負わせ)ておきながら、集めたお金を持ち逃げするのとさして変わらない状況でしょう。

 私は、日弁連の決議案に関して、賛成しませんでした。

 日弁連執行部には、どうしてこのような方針転換をしたのか、そうでないとすれば何故結果的には会員を騙すような事態になったのか、きっちりと説明して頂きたい気持ちでいっぱいです。それと同時に、大阪弁護士会執行部には、日弁連執行部に対し、会員にきちんと説明をするよう、強く求めて欲しいと思っています。

 参考までに私の尊敬する弁護士のお一人である、小林正啓先生が、ブログで非常に緻密に分析されています。

 以前も、先生のブログをご紹介したと思いますが、シリーズものの「日弁連はなぜ負けたのか?」という論文がPDFファイルになって更に読みやすくなっています。

 下記のURLをご参照下さい。

http://hanamizukilaw.cocolog-nifty.com/

迷いクジラ

 先ほど、インターネットで、私の田舎の近くにある和歌山県田辺市の湾内にマッコウクジラが迷い込み、かなり衰弱しているというニュースを知りました。

 放水などして湾外に誘導しようとしたが反応しないと書かれており、おそらく相当衰弱が進んで泳ぐことも難しくなっているのでしょう。ロープで曳航しようにも、15メートルもある雄のマッコウクジラでは、元気があるうちは危険が大きすぎます。

 個人的には放水の方法よりも、元気でいるうちに音で脅かして追い返す方法ができなかったのか、と思います。

 私の田舎の太地町でゴンドウクジラの追い込み漁を行う際には、(現在はよく知りませんが、少なくとも私が子供の頃は)鉄パイプを海中に突っ込んで、そのパイプをハンマーでガンガンとぶっ叩いて、ゴンドウクジラを追い込んでいました。

 漁師のおっさんに聞いてみると、海中で響くその音が、人間で言えばすりガラスをひっかくときに出るような音のように、クジラやイルカの嫌いな音なのだそうです。

 田辺市としても、太地町のクジラの博物館などに対処法を問い合わせているでしょうから、おそらく、その方法も既に試みられているかもしれません。しかし、迷い鯨の場合は脳に寄生虫がとりついて正常な判断ができなくなっている場合もあると聞いたこともあり、もしそうであれば、どんな方法をとっても海に返すことは難しいのかもしれません。

 田辺市には、私の友人が勤めていますが、きっと大変なんだろうと思います。

富士山

 昨日深夜、もう寝ようと思いながら横になり、何気なくつけたTVで、厳冬期の富士山についての番組をやっていました。

 厳冬期の富士でしか眺められない、とっておきの光景として、富士山の火口の中に入ってそこから見上げる青空が紹介されていました。

 火口の中は、雪が積もってはいるものの風はなく、実際に見た人によると、火口から見上げる空がまるで鏡ではないかと錯覚してしまうような感覚になるということでした。

 私も、大学時代に、1度だけ富士山に登ったことがあります。友人3人の合計4人で、河口湖の方から5合目まで車で上り、そこから上りました。当時の若さにまかせて、ペース配分など考えずとにかく、急いで上りました。

 今は女優の酒井法子さんが、当時はまだアイドルで、ノリピーと呼ばれ、ブレイクしていた頃でした。しかし、かなりの急ピッチでくたくたになりながら8合目まで登ったときに、ノリピーグッズを売っているノリピーハウスがそこに存在しているのを見たときには、腰が砕けそうになったのを覚えています。

 軽い高山病の症状である頭痛に悩まされながら8合目の山小屋に宿泊したのですが、夜10時頃、雲が全くなくなり、それこそ満天の星空になりました。

 確か8月下旬で気温は5度だったと思います。風が強いせいか、星がものすごく瞬いて見えました。下界の方を見ると、今度は街の灯が同じように輝いています。大げさに思われるかもしれませんが、上を見ても下を見ても星空という不思議な感覚に浸ることができました。

 もうこの年齢ですから、厳冬期の富士山に登れることは多分なく、火口からの絶景を見ることはおそらく無理でしょう。しかし、身体を鍛えてもう一度くらい、「天に星、地にも星」という光景に会えないか、チャレンジしてみたいと思っています。

畑会長からのご回答

 昨日のブログに記載していた要望書について、本日、5月11日付の大阪弁護士会畑会長からご回答が届きました。

 一会員からの要望に対し、ご検討の上、お忙しい中、ご回答頂いたことについては、本当に感謝しております。

 ご回答頂いた内容は、常議員会で畑会長にお答え頂いた内容とほぼ同じであり、「同一問題について既に検討している委員会があるので、職員の負担、会費の問題、会務の整合性等の観点から、新たな委員会等の設置は適当とは解されない。」というものでした。

 それならどうして、前会長はPTを設置したのだろうか、1年で法曹人口問題がケリがついたのだろうか、という疑問は出ますが、会長のご見解なのでやむを得ません。

 また、法曹人口に関する委員会に参加する希望があれば、特別依嘱の可否をお考え下さるとのことのお答えも頂きました。常議員会以上に時間を取られるのは正直辛いのですが、是非希望してみようと考えております。

 前会長の際にも感じましたが、大阪弁護士会執行部は、おそらくいろんなしがらみはあるとは思われるものの、どんな若輩の意見であっても、会員の意見には真摯に耳を傾けてくださる部分はまだ残っているように思います(それが具体的施策に結びつくかは別として)。ただ、このような大きな団体の舵取りをする忙しさのためか、執行部のかたには、わざわざ会員(特に若手)の意見をすくい上げに来てくれる余裕まではないのかもしれません。

 理想的には、以前の選挙の際に阪井先生が仰っていたように、企画調査室を拡充して若手を組み込むなど、若手の意見を反映する機構を弁護士会内に作って頂くことでしょうが、残念ながらその気配はありません。

 現状では、怖がらずに、どんどん声を上げ続けていくことが必要なのではないでしょうか。

 執行部に意見したいけど一人では気がひけるという方は、そのご意見に私が賛同できるのであれば、一緒に意見させて頂いても構いません。また、ある程度の人数の方々のご意見であれば常議員会に提出して審議して頂くこともできるかもしれません。

 多分黙っていても、何も変わらないし、変えられないと思います。

要望はしたけれど・・・・・

 去る、4月22日、私は、大阪弁護士会畑会長宛に、要望書と題する書面を送らせて頂きました。普通郵便でお送りしたので、届いているかどうかの確認のしようがないのですが、その内容は以下のとおりです。

                             要 望 書

大阪弁護士会会長 畑守人 殿

                                                   平成21年4月22日

                                          大阪弁護士会会員 坂 野 真 一

 冠省、畑会長におかれましてはますますご清栄のこととお慶び申し上げます。

 当職は、大阪弁護士会に所属する若手会員の一人です。司法改革仕上げの年であるともいわれる昨今ですが、司法改革という名の下に弁護士人口だけが激増され、その歪みがほぼ全て弁護士(特に若手)に押しつけられているように感じております。ノキ弁・宅弁・即独・携帯弁護士、OJTの困難など、ほぼ数年前までは全く問題が生じていなかった様々な問題が、若手中心に生じていることは、畑会長もご存じのところと思います。

 先だって、第1回常議員会で、畑会長は、法曹人口5万人の目標を変更する理由はないとお考えである旨発言回答されました。しかし、法曹人口5万人を必要とする国民的な需要はあるのでしょうか。もし、本当に国民的な需要があるのであれば、新人弁護士の就職難など生じるはずがありません。地裁受理事件は微増に過ぎず、また、その約半分以上が過払い事件であるという情報もあります。その情報が事実であれば、過払い事件が一過性のものであることから、司法に対する国民的需要はむしろ減っているというべきだと思います。本当に司法に対する国民的需要が増加しているのであれば、1990年頃に比較して現在では、弁護士が倍増しているのですから、地裁受理事件が激増していてしかるべきだからです。

 私の目から見れば、明らかに、法曹に対する需要は司法改革を始めた頃に想定された需要を大幅に下回ったままであるとしか思えません。
 この状況下で、法曹人口5万人(その多くが弁護士だと思われますので)を目指すということは、法曹に対する国民の需要が減少傾向である中で、現在約27000名の弁護士をほぼ倍増するものであると言っても過言ではないと思います。

 平成20年12月11日には、自由民主党「法曹の質について考える会」が法務大臣宛に、現状を憂慮し、司法試験合格者1000名程度とすべきなどの提言を、意見書として提出しております。
 さらに、平成21年4月17日には、高村正彦元法務大臣を会長とする「法曹養成と法曹人口を考える国会議員の会」が、法科大学院を基本とする法曹養成制度の問題点とこれまでの法曹需要増加の論拠が杜撰であったことなどから、現実を直視し、国民の利益のために変えるべきところは勇気を持って変えるべきであるとし、①予備試験の簡素化・簡易化、②司法試験合格者の目安の撤廃、③養成課程の少数化・厳格化、④司法試験の受験資格制限について、⑤法曹人口のあり方について、等の緊急提言を行っております。

 本来上記の問題点は、当事者である弁護士が最もよく知りうるところであり、日弁連、各弁護士会が提言していくべき内容であります。
 ところが、大阪弁護士会では、昨年度上野前会長が設置された法曹人口問題PTも消滅し、国会議員ですら理解できる問題点を無視したまま、法曹人口問題についてこれまでの日弁連執行部路線を墨守し続ける委員会しか残されていないように見受けられます(平成21年3月10日臨時総会議案書添付資料参照)。また、司法試験予備試験に関するパブリックコメントに対して、意見を提出すべきであるとしたのは法曹人口問題PTだけでした。本来、司法試験合格者の最も多くが弁護士になるのですから、予備試験に対するパブリックコメントを各弁護士会が行うことは当然だと考えられますが、他の委員会(司法改革委員会、法曹養成・法科大学院協力センター、司法改革推進本部、就職支援委員会など)からは、何らかのパブコメを出すべきだとする意見は出ていなかったように思われます。

 以上のように、法曹人口問題に対応して行くには、現存する委員会等だけでは不十分であることは明白だと当職には思われます。
 よって、直ちに、法曹人口問題について検討する委員会ないしプロジェクトチームを立ち上げて頂いて、迅速且つ適格に情勢の変化に適応する体制をとって頂きたいと考える次第です。その際には、法曹人口問題に最も利害関係の深い若手を中心に委員を選定して頂くことが望ましいと思われますので、念のため申し添えさせて頂きます。
 

 畑会長におかれましては、日弁連副会長も兼務され非常に多忙であることは十分分かった上で敢えて、事態の緊急性に鑑み、要望させて頂く次第です。

 是非ともご検討頂き、ご回答頂けますよう、よろしくお願い申しあげます。

                                                           草々
 

 その後、特にお返事も頂けないまま昨日の第3回常議員会が開かれました。そこでは昨年度の決算書類に関する常議員会の承認と、本年度予算案の臨時総会提出についての決議が図られました。

 平成20年度上野執行部の報告書の中に、平成21年度に大阪弁護士会が取り組むべきと考えられる各種問題を列挙された部分がありましたが、その中で最初に挙げられていたのが法曹人口問題への取り組みです。

 平成21年度の畑会長の「平成21年度の事業計画と予算編成について」という書面にも、法曹人口に触れた部分がありました。

 現状は、ようやく増員一辺倒であった政府自民党内部にも異論が出始め、マスコミの論調もようやく法科大学院制度の問題点を指摘し始めるなど、法曹人口問題がやっと動き始めた状況にあると思います。

 そこで、この問題につき最も現場に近い弁護士の意見を反映すべく、法曹人口問題に関するプロジェクトチームないし委員会を、再度予算を投じて(といっても昨年度の法曹人口問題PTが使ったお金は475,735円)設置して頂くお考えはないか、質問させて頂きました。

 執行部の回答は、既に法曹人口問題に関して検討できる委員会ないしPTがいくつもあるので、敢えてそれ以上、設ける必要はないとの考えであるとのことでした。

 それに対し、(緊張して明確に言えたかどうか分からないのですが)3月の臨時総会議案の参考資料を見れば分かるとおり、今残っている委員会は日弁連万歳の意見しか出せない、予備試験に関するパブコメにも意見を出していない、若手のことを本当に考えていないのではないかという趣旨の意見を申しあげたところ、執行部から、「確かに委員の固定化はあるかもしれない。希望されるのであれば、会長委嘱という形でもいいので、委員会に入って頂いて、そこでご意見を言って頂いても良い」旨の回答を頂きました。

 平成20年度の会長選挙では、3候補全てが法曹人口問題は大問題であると指摘され、選挙の大きな争点となっていたはずです。平成21年度は会長選挙は無投票でケリがつきましたが、法曹人口問題は全く解決されずむしろ放置されたまま悪化の一途をたどっているように思います。

 本当にこれで良いのでしょうか?

インスブルック

 ヨーロッパ旅行に行くときに、何度か使ったのがルフトハンザ航空です。ルフトハンザを使うと、関空からドイツのフランクフルト空港に到着し、トランジットして別の国に向かうことになります。

 イタリア北部のボーツェンという街に2度ほど行く機会がありましたが、その際には、フランクフルトからインスブルック(オーストリア、チロル州の州都)まで飛び、そこから国際列車に乗り換えて、ボーツェンに向かうルートをとりました。

 その、フランクフルトからインスブルックまでの飛行が、結構楽しいのです。大きなエアバスなどが沢山駐機しているフランクフルト空港から、小さなプロペラ機で飛び立ち、山間を縫って、インスブルック空港に到着します。その途中、大きな風力発電の風車群が見えたり、グライダーを飛ばしている光景が見えたりします。

 インスブルック空港近くでは山の尾根のすぐ近くを飛ぶことになり、なんだか華奢な小さなプロペラ機であること等から、風が強かったりすると、定期航路でありながら結構スリルを味わえたりもします。

 実は、これまで通過するばかりで、インスブルックの街を観光したことはないのですが、見た感じ山あいの美しい小都市のようでここを散策しても楽しそうだなと思っています。何度か冬季オリンピックが開かれたことからも有名です。

 いずれゆっくり訪れる機会が、あればと思っています。

鯨を食す。

 「鯨を食べる」というと、ホエールウォッチングが好きな方には野蛮だ、といわれかねない昨今ですが、私は鯨の刺身が大好物です。アイスランドでも、シーフードレストランには鯨の刺身があり、メニューには「ロー・ホエールミート・ジャパニーズスタイル」と書かれていました。きちんと醤油も付いていましたし、箸も添えられていて、食べ方までジャパニーズスタイルなんだと、ちょっと面白く思ったものです。

 もともと、私は古式捕鯨発祥の地として有名な太地町出身です。小さい頃から沿岸捕鯨で捕獲されるゴンドウクジラは、よく食べていました。1~2度ですが、父親と追い込み漁に参加したこともありますし、沿岸に追い込んだクジラを魚市場に水揚げし、解体している様子を何度も見て育ちました。私の故郷では、鯨は食文化の一つとなっているように思います。

 解体しているところを遠巻きにして見ていると、無口で無骨な漁師のおっさんが、気を利かせてくれたのか、解体したてのクジラの刺身を醤油につけて、「ほれ」と顔の前に突きだして、食べさせてくれようとすることもありました。

 さすがに、解体したての、なま暖かい鯨の肉はちょっと気がひけるものですから、食べずに逃げたような気がします。今思えば、好意で食べさせようとしてくれたのに、申し訳ないことをしたという気になります。

 ずいぶん前から鯨は、貴重品となってしまいました。良質なタンパク源であり、牛肉よりも身体に良いとされる鯨をどうして捕ってはいけないのか、私には理解できません。調査捕鯨では鯨は明らかに増加していることが分かっており、鯨の激増により、他の生態系に影響が出ているのではないかという報告もされていたと思います。

 調査捕鯨を行う船舶に、体当たりしたり薬品の入ったビンを投げつける妨害行為の方がよっぽど野蛮だと思うのですが、国際世論は捕鯨国に味方してくれなさそうです。そもそも、鯨の激減はかつて、欧米諸国がおこなった鯨油目当ての乱獲が最大の理由ではないかと私は思っているのですが、実際は勉強してみないと分かりません。しかし、ペリーが黒船で浦賀に来航したのも、捕鯨のための寄港地を探すのが最大の目的だったという話を聞かされたこともあり、欧米の捕鯨は鯨油だけとって、後は捨ててしまうものだったとも聞いていますから、相当激しい乱獲が欧米諸国で行われていたことは間違いないでしょう。

 そうだとしたら、クジラの激減の責任は欧米諸国にあり、肉だけでなく、皮・骨・筋・歯までも利用する日本には責任はないように思います。クジラが可愛いからという感情的な理由で捕るなというのであれば、牛だって、インドに行けば神様の使いのはずです。

 ちなみに、今回の帰省では親戚から頂いた、イワシクジラ(調査捕鯨で捕獲)の刺身を食べることができました。良く出回っているミンククジラよりも、柔らかく、臭みもないので、非常に美味しく食べられました。

 文化に対する見方や、価値観など、なかなか乗り越えがたい障害はあるでしょうが、なんとか国際世論と折り合いをつけて、鯨が減らない範囲で捕鯨が再開できることを願っています。

GWがなかった頃

 私が司法試験受験生であった頃からずっと、司法試験の第1関門である短答式試験(マークシート方式)は、5月の第2日曜日である。

 つまり、世間はGWで華やいでいる頃、司法試験受験生は短答式試験の最後の追い込みに追われていたのだ。新司法試験も5月中旬なので、新司法試験受験生も最後の追い込みという面では、私達が受験生だった頃と同じく、GWなんて関係ないはずである。

 新司法試験と異なり、私達が受験生であった頃の短答式試験は、単なる足きり以上の過酷さがあったように思う。冷やかし受験の人がいるにせよ、競争率は5~7倍、ほぼ競争試験である。しかも、司法試験に合格して受験界から出て行ってくれるのは、合格した500人と受験をあきらめた方であり、再受験する人も相当いた。10年以上受け続けても短答式に合格できない人もいたし、わずか3時間~3時間半の一発勝負であるため、前年度の論文式試験で総合A評価を受けた実力者でも油断すると足下をすくわれる危険があった。  

 私は、短答式試験は京都大学で受験していたが、変な体験もある。

 武田鉄矢主演のトレンディードラマ(?)「101回目のプロポーズ」が放映されていた頃、ドラマの中で武田鉄矢が振られた腹いせだったのかどうか忘れたが、一念発起して司法試験に挑むという設定があった。しかも、理由は忘れたが、武田鉄矢が、走行してくるトラックの前にいきなり飛び出し、「僕は死にませ~ん」と叫ぶ妙なシーンもあった。確か、「僕は死にませ~ん」は、かなり流行語にもなったような気がする。

 そんな頃、京大の教養部で行われた短答式試験に私は参加していた。外はGW最後の日曜日であり、京大を公園代わりにお弁当もって散歩に来て騒いでいる人たちもいた。試験が始まり、みんなが必死に試験に取り組んでいるのに、散歩に来た人たちの大騒ぎは止まらない。たまりかねて、同じ教室の受験生が試験官に注意してくれるよう頼んだ。試験官も、腹に据えかねていたのだろう、すぐに出て行って注意してくれたようだ。

 試験官がぼそぼそと注意する声が聞こえたあと、おそらく酒によっているであろう人の、馬鹿でかい声が聞こえた。

 「お~い、騒ぐなってよぉ!」

 「なんでやねん。ええやんか、休みの日やねんから!」

 「なんか知らんけど、司法試験やってるんだとさ!」

 「けっ、司法試験!『僕は、死にませ~ん』か!勝手にやってろ!」

 ・・・・・・・・・・・・・諸行無常の意味を身にしみて感じたような気がした。

 こんな体験もある。

 短答式試験の受験会場に、帽子をかぶったままの受験生がいた。その受験生のためにか、わざわざ試験前の注意でも帽子はかぶらないよう指摘されていたが、その受験生は注意など全く意に介していなかったようだ。試験官も試験が始まれば帽子を取るのだろうと考えていたようすである。

 から~ん・から~んと、試験開始の合図がならされた。当時の試験開始はハンドベルのでかい奴で告げられていた。受験生は飛びつくように試験問題に取りかかる。

 ・・・・・・? 後ろの方から、妙な押し問答が聞こえる。

 「君、帽子を取りなさい。」

 「取りません。」

 「もう一回いうけど、試験の公正さを保つために、帽子を取りなさい。」

  「いやです。」

  「きみ、・・・・」と三度目の注意をしようとした試験官の言葉を遮って、帽子の主は大声で言った。

  「服装の自由は憲法13条の幸福追求権で保証されているはずです!」

 その後のことは、覚えていない。幸い私は、問題に集中できたので、その後のいきさつは覚えがない。

 試験後、その帽子の主の周辺で、呆然としている受験生が何人かいた。おそらく、この騒ぎで集中できなかったのだろう。一発勝負の競争試験である短答式試験で集中できなかったということは不合格とほぼ同義である。まさに、運が悪かったとしかいいようがない。

 他に受験仲間から聞いたところ、試験開始前から終了後までずっとひどい貧乏揺すりをされて困ったとか、臭い奴がとなりで集中できなかったとか、一問解くたびにガッツポーズをする奴がとなりにいて泣きそうになったとか、僅か3時間あまりの試験時間にとなりの奴が6回もトイレに立ったのでそのたびに通してやらねばならなかったとか、みんな様々な苦難に直面していたようだった。

 今年の司法試験・新司法試験の受験生も、私達と同じでGWなど関係ないだろう。大変だろうが、頑張ってもらいたい。