蛍の孤独

 先日、仕事を終えたあと、夜10時頃に帰宅できたので、健康のために鴨川の河川敷にジョギングに出た。
 大体3キロほどをジョギングするのだが、季節によって川の風景も、通行人の様子も変わる。
 その日は、季節外れの肌寒さだったが、良い天気でたくさんの星が出ていた。

 約1.5キロほど走って、大きな橋の下にさしかかろうとしたときに、空中をボンヤリと点滅しながら移動する小さな涼しい光が目に入った。
 
 走りながら見ていると、光は不安定に揺れながら降下していった。蛍は橋の下の石畳に降りたようで、石畳に小さい光が灯った。
 私は、今年初めて見た蛍に季節を感じながら、その淡い光を通り過ぎ、自分が決めているいつもの折り返し点でターンをし、帰路に入った。

 先ほどの橋の下までもどって来ると、石畳の同じ場所が小さく光っている。鴨川河川敷は人や自転車も結構通る。これでは自転車に轢かれてしまうかもしれない。そう思って、顔を近づけてみて蛍の状況が分かった。

 蛍は、仰向けになったままだった。光を点滅させているものの、起き上がることもできない状態だった。そっと拾い上げてみたものの、やはり動きは鈍く、寿命が近いのかもしれないと私は感じた。
 ひょっとしたら、さっき私が見たのが、最後の、彼の飛行かもしれなかった。

 その蛍を、自転車や通行人に踏まれるおそれのない川沿いの草むらに戻し、私は、ジョギングを続けた。

 残り1.5キロを走りながら、あることに気付いた。

 先ほどの蛍以外、私が見る限り、この1.5キロには、一匹の蛍も見当たらないのだ。

 彼の生まれる時期がずれてしまったのか、誰かに他所で捕まえられてここで放されたのか、それとも本当はたくさん蛍がいることに私が気付かなかっただけなのか、それはわからない。

 しかし、ジョギングのあと弾む息で、星空を見上げながら、私は、つい、蛍の孤独を考えてしまった。

 もし、私が見たとおり、他の蛍がこの1.5キロにいなかったとするならば、彼の孤独はどれだけのものであっただろうかと。
 もし、私が感じたように、彼の寿命が尽きようとしていたのなら、パートナーを探し、体力の続く限り、夜間飛行を続けてきた彼は、いまたくさんの星の下で何を想っているのだろうかと。

日弁連・村越会長の声明について~2

(続き)

 司法審意見書の予想が大ハズレに終わっている点に関して、松葉会長は、それでも掬いきれていない需要はあるとお答えされたので、私は、会長の仰る需要は、「100円の新聞を、10円なら新聞を読みたいという人がいるから、新聞の需要はたくさんあるというのと同じではないか」と意見させて頂いた。

 会長は、その10円で新聞を読みたい人も需要であり、その需要を顕在化させる手段を考えること(保険などの利用も含めて)が重要だとの見解を示された。そのお言葉に頷いている副会長も複数いたし、もっともな御意見ではあった。理想論を語るなら、という限定つきだが。

 考えて見ると、会長の視点には、何故、新聞社が自社の新聞を一部100円と設定したかについての考察、そして弁護士といえども職業であるという大前提が抜けているように感じた。
 新聞だって同業者がいるから当然、価格競争も行われている。もちろん利益を出さなければ、会社は維持できない。資本主義経済である以上は当然だ。価格競争だけ考えれば、新聞の値段は可能な限り安くしたほうがいい。しかし、新聞を一部10円にできないのは、新聞を作るにもコストがかかっているから、そして一部100円にしなければ採算が取れないからである。
 すなわち、サービスや商品には、それに見合った適正な価格というものが、当然ある。10円の新聞購読希望者を敢えて取り込もうとしない新聞社は、その適正な価格を守っているだけなのだ。裏を返せば、100円を出して新聞を読みたいという希望を持つ人以外は、新聞社から見れば、需要とは言えないことになるはずだ。

 新聞社の取締役会で、「10円で新聞を読みたい人も当社の新聞の潜在的需要と言えるから、それを取り込む努力をするべきだし、それを見越して新工場を建設し、記者も増やそう。その需要を顕在化させることが重要だ。」とか、自動車会社の取締役会で、「10万円であれば新たに新車を買いたいという人は、全人口の9割に上るので、潜在的需要はいくらでもある。だからどんどん新従業員を雇用し、新工場を建設して生産台数を増やそう。その需要を顕在化させることが重要だ。」なんて発言したら、その需要を開拓する具体的な方法を提示しない限り、役員を解任されるんじゃなかろうか。

 確かに、弁護士が公務員であり、社会的インフラとして、提供するサービスに見合わない低価格で、サービスを提供するという制度なら話は分からなくもない。弁護士全ての生活が保障されており、老後の生活も見通しが立つなら、それもありかもしれない。

 しかし、弁護士は公務員ではない。だれも生活を保障してくれない。給与所得者のように会社が健康保険や年金保険料の半分を負担してくれることもないし、退職金制度もなければ、老後は国民年金だ。なにより弁護士だって職業だ。この仕事で稼いだお金で生活し、子供を育てなければならない。提供するサービスに見合わない対価しか得られない需要を潜在的需要があると強弁して、その需要を開拓すべきだと言われても、具体的方策なんかあるのだろうか。随分前から潜在的需要論はあったし、日弁連も各単位会もその開拓に躍起になっていたはずだが、現実に需要が大きく開拓された具体例を知らないぞ。

 例えば、これまで人類が掘り出した金の総量はおよそ17万トンくらいであるらしい。一方、海水には約50億トンと、桁違いの量の金が溶け込んでいるといわれている。しかし、海水から金を取り出そうとする会社はない。現在の技術では、採算が取れないからだ。潜在的需要論は、海水には大量の金が溶け込んでいるから、その方法さえ見つければ大丈夫だ、というのと何ら変わらない。

 困っている方々にもれなく法的サービスを提供する、という目標自体は誤りではないように思う。その意味で、会長のお話は、分からなくもないし、それを目指すべきだという理想論は、あっても良いと思う。
 しかし、それは法的サービスを提供する側が食うに困らない場合に、初めて実現可能となる理想論である。古き良き時代の弁護士先生なら、それでも良いのだろうが、現状はどうか。

 平成元年から10年まで10年間で弁護士数は2764名増加、平成11年から20年まで8736名増加、平成21年から今年まで7年間で9507名増員され増員ペースは収まっていない。しかも、裁判所に係属する事件数は減少だ。この状況下で、仕事を開拓しろ、競争しろと言われる現在の弁護士に、そこまで求めるのは無理なんじゃないだろうか。

 村越日弁連会長、執行部の方々(さらには、法曹養成制度改革顧問会議の顧問の先生方や、アンケートを分析した推進室もそうかな)、餅を絵に描いて見せて頂くことには飽きました。仰っている潜在的需要とやらを、早く顕在化して見せて下さい。

日弁連・村越会長の声明について~1

 昨日の、大阪弁護士会常議員会で、平成27年5月21日に村越日弁連会長が出した、「法曹養成制度改革推進室作成の法曹人口のあり方について(検討結果取りまとめ案)に関する、会長声明」(以下「村越声明」という。)の説明があった。

 その村越声明の中に、「法曹志望者の減少をもたらした要因を解消する実効的な措置を講ずることなく、ことさらに司法試験合格者の数を追い求めるならば、新規法曹の一部に質の低下をもたらす・・・」とのくだりがあった。

 このような声明を出す以上、日弁連としては法曹志望者減少の要因を知っているはずだろうから、大阪弁護士会の松葉会長にお尋ねしてみた。あわせて、村越声明は冒頭から、未だに司法審改革意見書を振りかざしているので、司法審意見書は今後の需要増が見込まれる前提での話であり、その空想が案の定大ハズレに終わり、弁護士会も需要開拓さんざんに努めてきたがほとんどがむなしく空振りに終わっている現状でも、なお需要があることを前提にする司法審意見書に乗るのは、おかしいのではないかと聞いてみた。

 誤解なきよう、先に申しあげておくが、私は、松葉会長を尊敬している。私のような若輩が無茶な意見を申しあげても、逃げたり誤魔化したりせずに、きちんと向き合ってお話ししてくれる。弁護士としても一流だとお聞きしているし、お人柄も私なんかより数段上でいらっしゃる。ただ、大阪弁護士会会長、日弁連副会長としてのお立場もあるだろうから、大人の事情で、公的な場で本音のお話しをして下さるとも限らないことは、ご理解頂きたい。

 私の記憶に依るものなので、不正確な部分も当然あるため、きちんとしたやり取りは、常議員会議事録をお読み頂くことになるが、松葉会長のお答えは、概ね以下のとおりだった。

 法曹志願者減少の要因については、就職難、経済的困窮、法曹になるためのコスト等が理由だと日弁連は考えているそうだ。

 そして、司法審意見書に関しては、まだ掬いきれていない需要はあるとの考えのようだった。

 しかし、法曹資格取得にどれだけコストがかかろうと、それに見合うリターンが見込まれれば、志願者は減少しないと思われる。現在よりも遥かに競争率が高かった旧司法試験時代は合格率が1~2%台の時(平均合格のための時間的コストは相当高かった)でも、受験者は増加の一途だった(丙案導入時の受け控え除く)。このことからも、法曹になるコスト(時間的・経済的コスト)だけが原因でないことは明らかだ。

 だから私は、端的に職業としての法曹の魅力が低下したからではないか、と意見した。
 わずか8年間で所得の平均値も中間値も半分に減少し、家事を除いて一向に裁判案件は増加の傾向を見せない。将来有望かどうかの資格としてみた場合、月刊プレジデントではブラック資格とまで書かれている。潜在的需要論は、いわれているだけで一向に顕在化しない。

 むしろ、法曹界に良い人材を呼び込もうとするなら何らかのリターンを用意しなければならないのではないか。一般社会でも、ヘッドハンティングのように、良い人材を得ようとするなら、報酬や地位などそれなりの見返りを準備することは当然だ。どうしてそれが弁護士というだけで批判・否定されるのか考える必要もあるのではないか。

ということにも触れたように記憶している。

(続く)