映画 「ビハインド・ザ・コーヴ」

(イントロダクション)
「2010年、日本の和歌山県太地町でのイルカ漁を題材にしたドキュメンタリー映画『ザ・コーヴ』がアカデミー賞を受賞した。作品は全体としては一方的にイルカ漁を批判するものであった。「全てが真実ではない」「ドラマ仕立てで嘘だ」「隠しカメラやカメラの技術で海の色を変えたり、事実と違う」、という声が当初より多くの人々から聞こえてきた。それ以上に重要なのは、それなのに、なぜ今まで『ザ・コーヴ』に対する日本からの反論映画がなかったのかということだ。

 捕鯨問題を紐解くため個人的に始めた調査は、必然的に彼女を論議の中心であり『ザ・コーヴ』の舞台となった和歌山県太地町へ導くこととなった。そしてこの問題を探ることから、偶発的に『ザ・コーヴ』の反証映画が生まれたのだ。

 『ビハインド・ザ・コーヴ』は、捕鯨論争における両派の人々へのインタビューを基軸に、太地町の問題だけでなく、これまで民間まで届いてこなかった政治的側面の実情にも迫っている。『ザ・コーヴ』が提示できなかった”鯨類”とされるイルカ・クジラ問題の包括的な映像を発表せんとする、監督・八木景子の他に類を見ない試みである。」

公式HP http://behindthecove.com/ から引用。

(以下、坂野の雑駁な感想である。)

 私が和歌山県太地町出身で捕鯨に賛成であることは、ずいぶん前からブログにも記載してきたし、映画「ザ・コーヴ」がドキュメンタリー映画とは到底いえない偏向映画であることも指摘したことがあったはずだ。

 ただ、私自身、正月にたまに帰省することくらいしかないので、シーシェパードらの悪辣な活動振りは、はっきりと目にしたことはなかった。
 ふとしたことから、「ビハインド・ザ・コーヴ」の存在を知った私は、直接公式HPより映画のDVDを買い求めた。

 映画は、私が見る限り中立の立場でインタビューを中心に組み立てられているように見える。シーシェパードの連中の活動により太地町の観光にも打撃が与えられていることもこの映画は浮き彫りにしていく。
 「映像の借りは映像で返す」との記載もあったが、決して内容的に偏向している映画ではない。偏向した映画を作成すれば確かに、ある程度のインパクトは増すだろう。しかし、それでは結局偏向した主張のぶつかり合いになって、なんの解決にもつながらない。
 おそらく、八木監督はそう考えたのだろう。
 八木監督の手法は、双方の主張を取り入れつつ、淡々と事実と証言を積み重ねて、次第に根本の問題を浮き彫りにしていくものである。このような手法こそ、ドキュメンタリー映画にとって正しい方法であり、「ザ・コーヴ」がアカデミー賞を取れるのであれば、八木監督の、この映画であればなおさらその栄誉に浴しても良いはずではないかと私には思えた。
 また、八木監督のお人柄のせいなのか、かなりきわどいところまで出演者が喋ってしまっているのも興味深いところである。

 映画の中にはシーシェパード代表の発言も、ザ・コーヴの監督の発言も入っている。捕鯨に反対する連中の発言は、ほぼ一様に自分の価値観を絶対視しているように感じられた。
 自分の価値観(捕鯨反対)は正しいのだから、それに従わない行動は野蛮であり、改めるべきだという尊大な態度が常に見え隠れしているようだ。
 捕鯨以外にも生きていける手段(例えばホエールウオッチング等)があるのだから、捕鯨をやめてそちらの手段をとるべきである、という主張も、他人の人生の生き方に関して勝手に決めつけるに等しい傲慢な主張である。ヨーロッパの羊飼いに対し、羊の展示等でも生活できる手段があるから、羊飼いを辞めろと彼らはいうのだろうか。

 イギリスではキツネ狩りを辞めているから、日本でも捕鯨を辞めるべきだとの発言もあったように記憶するが、キツネ狩りは生活のためや、食用にするためではなくスポーツとして行われていたものだ。全く次元の違う捕獲行為を、動物の捕獲という一点では同じだから、同じように辞めるべきだとの主張は詭弁以外の何物でもない。

 クジラが泳いでいる姿を見たいという人の要望が高尚であって尊重されるべきであり、他方、クジラを食べたいという人の要望が野蛮であって、尊重されるべきでないと何故言えるのか。牛を神の使いとして崇める風習があるインドに育った人が、牛が歩いている姿を見たいという要望をもっていたとして、欧米で大量消費されている牛を食べたいという人達の欲望よりも尊重されなくてよいと何故言えるのか。

 誰が彼らの価値観の正しさを証明するのだろうか。自分がそう信じ込んでいるだけなら宗教と変わりはしない。そして歴史上、宗教の違いで大量殺戮が生じたように、他者に不寛容な態度は、他者との共存を難しくするものであることは間違いない。

 かつて捕鯨国であったアメリカも、ある時期から反捕鯨運動をとるようになるが、その動機はベトナム戦争の環境破壊問題から目をそらせるためだったという事実(もちろんその証拠も映画の中で提示される)もあるし、反捕鯨の立場をとりながらも、ある時期まで宇宙開発に不可欠であったマッコウクジラの鯨油について、アメリカは日本から輸入していた事実もあるそうだ。
 その際に、輸入品の名目としては「高級アルコール」と名前をつけ反捕鯨の立場と矛盾しないような小細工も弄していたという。

 更に現在ではクジラが増えすぎて、アメリカの沿岸での船舶とクジラの衝突事故の多発や、水産資源の減少も指摘されているそうだ。クジラを保護しすぎてホエールウオッチングに興じる人達が満足する一方で、イワシやサンマが枯渇して食べられなくなり、水産資源を生活の糧としている人達の生活が脅かされるというのでは本末転倒ではないだろうか(もちろんそうなっても陸上の蛋白源を中心とする欧米社会はそう大きな打撃は受けないだろうが。)。

 アメリカ人がアメリカリョコウバトを営利目的で絶滅させたことは以前書いたが、アメリカと並び、反捕鯨の急先鋒たるオーストラリアでは、コアラを毛皮目的で乱獲して絶滅寸前まで追い込んだ歴史があるし、私から見れば可愛いカンガルーだって大量に殺してきている。
 日本では50年近く前に捕獲が禁止されている、ジュゴンですらオーストラリアでは現在でも先住民に捕獲を許しているそうだ。
 では、ジュゴンは可愛くないのか?ジュゴンは可愛くなくても頭がよくないから食用として捕獲してもいいのか?

 自国の先住民の食文化は尊重するが、他国の食文化は尊重しなくても良いのか?

 
 結局彼らの価値観からすれば、自分達に必要なもの・都合の良いものは捕獲してもOKであり、自分達に不要のものであれば可愛いからとか、頭が良いからなどと理由にならない理由を述べて捕獲に反対しているようにすら感じられる。

 私は、映画の中に出てくる太地町の町並みを懐かしく感じ、そちらに気をとられてしまったところもあり、また一度見ただけなので、誤解もあるかもしれないが、それを措くとしても、様々な示唆を与えてくれる素晴らしい映画である。

 公式HPhttp://behindthecove.com/ から問い合わせて購入すると、監督のサイン入りパンフレットなどがもらえる特典(私はサイン入りパンフレットを希望したところ、可愛いクジラのイラストとサインが記入されたパンフレットが同封されてきた。)もあるようだ。

捕鯨賛成の方だけではなく捕鯨反対の方にも、是非ともご覧になることをお薦めしたい。

公式HPでは税別4400円+送料300円 ・ アマゾンでは4272円で販売中。

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