あさくま

 「あさくま」という、ちょっと変わった名のファミレスがあります。

 名古屋が本店らしいのですが、私が大学生の頃は京都にも3~4店舗展開していたと記憶しています。名古屋出身のちょっと裕福な司法試験受験友達が連れて行ってくれたのが最初でした。

 当時は、学生ですからお金もありません。出来るだけ安くて出来るだけ美味しそうなメニューを探すと、「学生ステーキ」というメニューがありました。確か700円くらいだったと思うのですが、当時の私にしてみれば700円でステーキが食べられるのなら奇跡のようなものです。妙に歯ごたえのあるお肉を、照り焼きソースで美味しく食べたことを覚えています。それから、京都で「あさくま」に行く機会があったときは、判で押したように学生ステーキを頼むのが常になってしまいました。

 それから、15年以上経った今年の春のことです。名古屋で仕事があった際に、たまたま「あさくま」を見つけました。仕事を終えた後、学生時代の味を思い出したくて学生ステーキから名を変えた学生ハンバーグを注文してみたのです。

 独特の歯ごたえも、味も、全く私の記憶通りで、何一つ変わっていません。

 「あさくま」の味が変わっていなくて嬉しいと思うと同時に、いつ合格できるかも分からず、合格率2~3%の試験に立ち向かっていた当時の私の心情、目標はあってもそれが叶うのか、叶うとしてもいつ叶うのか、もしかしたら、ずっとこのまま叶わずに終わるのではないかという何とも言えない不安を常に下敷きにした、いつも揺らいでいた希望に満ちていた、当時の私の心情が、ゆっくりと蘇ってきました。

 例えば(今でも滅多に食べる機会がない)カニを食べても、以前カニを食べたときの記憶が鮮明に思い出されることはないようなのですが、(今食べようと思えば普通に食べられる)「あさくま」の、特に学生ステーキの味覚は、どういうわけか私の記憶と深く結びついてしまっているようです。

 間違いなく、ある種の味覚は、記憶を呼び覚ます能力を持っているようです。

 単に当時の味を思い出したくて学生ハンバーグを注文した私でしたが、思いがけず、当時の切ない思いまで蘇ってきて、ちょっと辛いけど少し得したような、複雑な気持ちで食事を終えることになったのでした。

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