良く帰ってきたね

 先日、「帰らぬ君へ」と題したブログをアップしましたが、その少年が戻ってきました。

 おそらく、ものすごい葛藤があったと思います。試験観察中に行方不明になれば、少年院を覚悟しなければならないことくらい、少年は当然知っています。

 それでも、少年は帰ってきたのです。 連絡を受けたとき、まず、「生きていてくれて良かった。」と思い、次に「良く帰ってくる気になってくれた」と、思いました。

 一度チャンスをくれた裁判所を、結果的にであれ、裏切ることになってしまった少年に、次の審判は決して甘いものではないでしょう。それでも、厳しい審判があることを知りつつも少年は帰ってきたのです。少年の中に、やはり、正しく生きたいという気持ちがどこかに眠っているのではないでしょうか。

 その少年の心の中の小さな種をどうやって、芽を出させるのか、弁護士や両親、家庭裁判所が真剣に考えていかなければなりません。しかし、何よりもその少年自身が小さな種を持っていることに気づき、その種が花開くことを何らかの理由で自ら妨害してしまっていることに気づかねばなりません。それは、これまでの自分の生活を否定することにもなりかねず、極めて苦しいことでもあります。

 しかし、少年が更生への入り口へと自分の力で戻ってきたのですから、私達は少年の力を信じてみることからはじめなければならないと思います。無理せず、一歩ずつで良いから私も少年と一緒に付き添って歩いてみようと考えています。

ダスキン大肉まん事件、ようやく確定!

 私と当事務所の加藤弁護士が参加している、弁護団事件、「ダスキン大肉まん事件(最高裁係属中)」が、ようやく確定しました。最高裁判所の書記官から、弁護団事務局に連絡があったそうです。

 上記「ダスキン大肉まん事件」は、未認可添加物が混入していることを知りながら、ミスタードーナッツ(ダスキンが経営)が肉まん(商品名:大肉まん)を販売した事件であり、昨今多発している食品偽装事件や最近話題になった内部統制システムに関する問題の先駆的裁判といっても良いでしょう。

 食品偽装や内部統制に関する書物では、必ずと言っていいほど取り上げられている事件ですので、耳にされた方も多いのではないでしょうか。内部統制に関するセミナーや研修に出ても、間違いなく紹介される事件の一つですが、その事件について、講師の方がなんだか少し違うことを仰っておられたりすることもあり、やはり当事者でないとハッキリしたことは分からない場合もあるようです。

 当事務所の加藤弁護士及び金沢のネクスト法律事務所の細見弁護士、そして私が、この事件を題材に「企業不祥事に関する取締役の責任」についてビジネス法務8月号に共著の論文を発表したことは既に当ブログ(2007年6月26日付)に記載したとおりです。3人とも弁護団構成員であり、裁判の内容の理解については、弁護団に参加されていない方よりは理解しているつもりですので、お時間があれば、一度ご覧になって下さい。

 特に、高裁判決は不祥事に直接関与していない取締役にも善管注意義務違反の責任を認めたものであり、非常に意義の大きい判決です。詳しくは、追ってご説明する機会があると思います。

 取り急ぎご報告までにて。

苦渋の選択?

 日弁連会長選挙は、現執行部体制の維持を主張するM候補と、現執行部に反対の主張をしているT候補の一騎打ちの状況です。

 法曹人口の問題に関しては、T候補は当初から増員反対でしたが、M候補は検証してからと言う条件付きですが、増員見直しを言い始めました。ですから、マスコミが図式化してきたように、

 増員反対=T候補、

 増員賛成=M候補

 と割り切ることは出来なくなったと思います。

 T候補の増員問題への態度は、若手の共感を得るとは思いますが、T候補の他の公約は過激に過ぎる部分もあり、全面的に賛成できない方も多いと思われます。かといって今までの執行部路線を継承するM候補を全面的に支持することも出来ない方も多いでしょう。

 私の感覚で誤解を恐れずに分かりやすく例えていえば、「どうしても欲しいゲームソフトをT店では売っているけど、要らないソフトと抱き合わせ販売になっている」、「M店の抱き合わせ販売は、大して欲しいゲームソフトは入っていないが、全く要らないソフトというわけではないかもしれない」というところで、小遣いが限られている中で、結局どちらの店で買うのがましなのか、若しくは買わずに小遣いを捨てるのか(白紙投票など)、という苦渋の判断を迫られるということのようです。

 いずれの候補が当選されても、マスコミが報道してきたように、増員反対=T候補、増員賛成=M候補、とすんなり割り切れるわけではないことをご理解して頂きたいと思っています。

NHK特集 ウェイクアップ コール

 NHK特集でウェイクアップコールという番組をやっていました。宇宙飛行士が目覚めるのは、地上から送られる目覚めの曲によるものであり、その曲は宇宙飛行士やその家族のリクエストで決まるものだそうです。

 宇宙から見た荘厳な地球の美しさと、それぞれの曲にまつわる人間ドラマなどを交えて構成された、非常に見応えのある番組でした。アメリカの9.11テロやスペースシャトル・コロンビアの悲劇にまつわる話も含まれています。

 幾人もの宇宙飛行士が宇宙から地球を眺めているうちに、人生観が変わるといいます。宇宙飛行士達は口をそろえて「かけがえのない地球」と言うようになるそうです。宇宙の不思議、地球の不思議、人間が存在する不思議、自分の存在のあまりの小ささなど、様々な想いが宇宙飛行士の心を動かすのでしょう。番組中、美しい地球の姿をバックにジョン・レノンの「イマジン」が流れたとき、思わず泣けてしまった方も多いはずです。

 私は、本放送と再放送と2度見ましたが、宇宙に浮かぶ地球は荘厳としかいいようのない美しさを持っています。私も空から地上や空を見ることが大好きで、飛行機に乗るときは可能な限り窓側の席をとるようにするのですが、やはり宇宙からだと完全にスケールが違います。

 漆黒の宇宙に奇跡のように浮かぶ地球。今は限られた人しか行けない宇宙ですが、生きている内に一度で良いから、宇宙から地球を眺めてみたいものだと思っています。

 再放送があれば是非ご覧頂きたい番組です。

ちょっとおかしくない?

 今日、弁護士会の方から、平成20年6月~平成21年5月までの法律相談の希望アンケートがきていました。それによると、60期の新入会員について、平成20年6月から法律相談を割り当てるとのことです。

 確か、私達の時は、1年間が研修期間でそれを経過してからでないと、法律相談をさせてもらえなかったように記憶しています特に私達は10月登録だったため、実質的には1年半の間、法律相談の割り当てが来なかったような気がします。しかし、60期の新人弁護士さんからはその制約がなくなるようです。

 しかし、それなら何故私達はすぐに法律相談させてもらえなかったのでしょう?何故研修期間が1年必要とされていたのでしょう?新人弁護士は、まだ弁護士の仕事や相談者への対応が分かっておらず、いきなり法律相談させると依頼者に間違って迷惑でもかけたらいけないからというのが研修の理由だったような気がするのですが。

 60期の新人弁護士だって、私達と同じ危険性はあるでしょう。むしろ司法修習期間という実際の仕事を体験する期間が私達より、更に短くなっているのですから、60期の新人弁護士の方が、私達の時より弁護士の仕事、相談者への対応が分かっていない危険性は更に高いはずです。

 それにも関わらず、60期の新人弁護士から、急に研修期間を短くしたのは、やはり新人弁護士の経済的逼迫が理由なのでしょう。この問題の背景には、すでに弁護士が余っており、新人弁護士の経済的状況が悪化していることがどうしても大きな要素となっていると思われます。つまり、新人弁護士が食えないなら(依頼者の危険をかえりみず)食える状況にしてやろうということのようですね。

 大阪弁護士会執行部が、弁護士人口の増加は適正だと考えているのであれば、今まで通り研修期間をおくべきです。それが公平というものですし、依頼者の利益にもなるでしょう。弁護士人口の増加が適正でなく、問題が生じ始めていると考えているからこそ、新人弁護士に法律相談を認めるのではないでしょうか。

 そうだとすれば、何故その問題を放置しているのでしょうか。

 仮に大阪弁護士会執行部が、そういう理由ではないというのであれば、私達が研修期間をおかれていた理由を明確に説明してもらいたいところです。私達は、他の弁護士と全く同じ弁護士会費を支払いながら、その期間は法律相談を受けて仕事を手にする機会を奪われたわけですから。

 この問題の解決として最も効果的なのは、弁護士の需要に合わせた合格者に限定することです。その根本問題を放置して、とにかく新人弁護士は経済的に困っているから、それを解消してやらなければならないという理由で、研修期間を短くして依頼者に迷惑をかけるかもしれない方法で行おうとしているのが大阪弁護士会です。新人弁護士の日弁連会費を半額にするという日弁連の小手先の対応と全く手法は同じです。

 癌で苦しんでいる患者に、根本問題を除去するための手術を行わず、とりあえずお腹が痛いようだからと胃腸薬を与えているに過ぎません。このような小手先の対応では、事態は全く解決されないばかりか、癌が進行するままに放置し、取り返しのつかない事態を自ら招き寄せているようなものです。

 どんな名医でも死んでしまった人を生き返らせることは出来ません。生きているうちに、対策を取らないと大変なことになりますよ。

火の鳥~鳳凰編  手塚治虫 著

 仏師茜丸は、当時盗賊であった我王による追いはぎに遭い、仏師としての命とも言える腕の筋まで切られてしまう。その後茜丸は努力の末に仏師として再起し、一流の仏師として大仏建立の中心として活躍していた。大仏殿の鬼瓦を作る段になり、鬼瓦作りの名人がいると聞き、鬼瓦作りで勝負することになる。その名人とは、盗賊をやめ、良弁上人に付き従って諸国を行脚し、師である良弁上人すら失った我王であった・・・・。

 昨日、自然の美について書きましたが、よくよく考えてみると、自然が滅び行くものであると、突然私一人の力で思いついたのではなく、おそらく、この火の鳥~鳳凰編を小さい頃に読んだことが影響しているのではないかと思うのです。 なぜなら、突然自然の美しさを分かったような気がしたときに、「ああ、火の鳥で我王が言っていたのはこのことだったのか」、と初めて納得できたからです。

 まだ読まれていない方のために、あまり内容には触れませんが、おそらく、小さい頃にこの漫画を読んだとき、分からないなりにも、自然について、生死について、輪廻について、考える種が、私の心に埋め込まれていたのではないかと思います。

 とにかくまだ読んでおられない方は必読の漫画ですし、一度読まれた方も、再読されれば何かを感じることが出来る、凄い漫画です。この火の鳥~鳳凰編は、数ある火の鳥の話しの中でも、間違いなくベスト3に入る傑作だと私は思っています。

 「今は誰の目にも触れなくても、理解されていなくても、少年の心の中には、いずれ芽を出してくれるような、正しい種がきっと眠っているはずだ」、と私自身に言い聞かせて少年事件にあたることが多いのは、無意識のうちに自分の体験をフィードバックしているからなのかもしれませんね。

自然の美

 小さい頃、たまにですが、親に連れられて山に行ったことがあります。私の田舎は熊野地方にあり、かなり山深いので、結構見応えがあるようなのです。

 そこで、両親が私達兄弟に、「綺麗な山だね」等というのですが、その自然の美しさが小さい頃にはさっぱり、分かりませんでした。単に、裏山とそんなに変わるとも思えなかった私は、「へー、こういうところが美しいってことなのか」くらいにしか思わなかったような気がします。

 しかし、思春期のある時期、突然、自然の美しさが分かったような気がしました。

 おそらく、自然も私達と同じく滅びゆく存在であり、決して永遠のものではないのだと、これまた突然に気づいたのです。

 そういう気持ちで自然を見ると、自然のどの風景を見ても(見慣れた裏山ですら)、私達と同じ滅び行く運命にあり、そうでありながら何の文句も言わず、ただひたすらに、一生懸命に生きている仲間のように見えました。そのとき、自分の心がぐっと広げられたような感覚があり、なぜだか涙が出てしまったことを覚えています。

 思春期は誰もが非常に感じやすい心を持った時期であり、すでにその時期を過ぎ去った私が、そのような感じやすい心で、自然を見ることはもう出来なくなりました。

 しかし、時折そのような気持ちを思い出すつもりで風景を見ると、まだ少し心がざわつきます。

 あのころの、心を絞り上げるような感覚、痛いけれど懐かしい感覚を失ってしまった自分を、少し残念に思うときがあります。

朝日新聞の社説に反論

 本日の朝日新聞に、「弁護士は頼りになるのか」という見出しで、社説が掲載されています。

 社説氏によると、富山県でのえん罪事件について、弁護士が手を抜いていたのではないかと指摘され、その背景には欧米に比べて極端に弁護士数が少ないので、質量とも十分な弁護士が必要だと結論づけられているようです。

 確かに、調査の結果弁護士が手を抜いていたのであれば、きちんと処分すべき問題だと思います。ただ、その背景として弁護士数が少ないから、弁護士数を増やすべきだと結論づけられているのは、相変わらず事実を見ていない、ご意見だと思います。特に朝日新聞の社説氏は、問題を弁護士の数の問題に結びつけたがる傾向があるようです。

 私から見れば最大の問題は、まず、自白強要をする捜査側の体質です、次に、国選弁護費用が極端に安いことが問題だと思います。 捜査側の体質は従来から言われていることなので、ここでは、後者について述べてみます。

 大阪弁護士会の旧報酬規定によると、刑事事件の弁護士費用は着手金・報酬金併せて、簡易な刑事事件は60~100万円とされています。しかし、国選事件は5~10万円程度の報酬しか出ないのです。経営者弁護士からすれば、完全に赤字の事件です。力を注げば注ぐだけ、時間をかければかけるだけ、どんどん赤字が大きくなる事件なのです。

 それなのに、弁護士の使命なんだから十分な弁護をしろと言われても、熱意は次第に失われていくのは当たり前でしょう。だって、やればやるだけ損になるのですから。

 極端な例になりますが、例えば、国から、人権擁護のために必要な広告だから、通常の広告費用の10分の1で全面広告を出せと朝日新聞が言われて、広告を出すでしょうか(マスコミの権力からの独立性についてはとりあえず考えず、純粋に経済的問題として考えて下さい)。

 仮に、人権擁護がマスコミの社会的使命だと朝日新聞が賢明にも考えて全面広告に一度は応じても、何度もそれを求められた場合、他にお金を出して全面広告を希望する顧客が待っている状態で、確実に儲からない広告の求めに朝日新聞は、やはり何度も応じるのでしょうか。

 私は疑問だと思います。

 しかし、弁護士達は、赤字に耐えつつ、自らの使命に鑑み、国選事件をこなしてきました。私も、手を抜かずにやってきたつもりです。しかし、私の周囲を見ても、若いときには国選事件に力を入れていた弁護士も、経営者弁護士になり、従業員の給与を借金してでも払わねばならない立場になると、次第に国選事件はペイしないから受けないようになっていく方が多いのです。それは、かけた時間や労力に全く見合わない報酬しか国から出ないからです。

 例えば、私が最近受任した国選事件では、私は①公判前に仮監を含めて4回接見し、②被告人が中国人であったため、強制送還の質問をする被告人のために書物を購入して調査し、③刑事記録を全て謄写して検討し、④被告人親族と打ち合わせを電話を含めて6回ほど行い、⑤傷害被害者と示談できないか交渉した上で、嘆願書を作成してサインしてもらい、⑥弁論要旨を作成する際にも、近時の収容状況を調査するために犯罪白書を調査する、⑦反省文の書き方などを被告人に教示して書かせる、など、少なくとも20時間以上をかけました。

 しかも、刑事記録の謄写は、否認事件である程度のページ数以上でないと費用が出してもらえません。よい弁護をしたければ、弁護士に自腹を切れということのようです。これで、仮に国選事件の報酬が6万円だったとすると、記録謄写に15000円くらいかかっていますし、弁護士会の5%ピンハネもありますから、おそらく実際の報酬といえるのは(調査のため購入した本代を除いても)4万円くらいでしょう。仮にそうだとすると今回の事件は時給にすると、2000円くらいです。

 しかも通常のアルバイトであれば、時給2000円なら2時間で4000円もらえますが、私のように経営者弁護士になると、事務所経費がかかります。毎月100万円以上のお金が事務所経費が、出て行くのです。その費用のかかる事務所を使って仕事をしているので、当然、時給2000円では大赤字なのです。

 どんな聖人君子であれ、やればやるだけ赤字になっていく仕事をやらされて、十分な仕事をしろと言われてもなかなかそれは困難でしょう。誰だってご飯は食べなければならないし、家族も養わなければならないからです。

 朝日新聞の社説氏は完全にこの国選弁護報酬が低すぎることを、見落として社説を書いておられます。

 もし、社説氏が国選弁護報酬が十分だと仰るのであれば、私は、「それならあなた、自分で事務所を経営しながら、一度国選弁護をやってみなさいよ」と言ってやりたいくらいです。100%ペイしないでしょう。

 ちなみに、この事件は通訳が必要な事件とされており、通訳人の方にお願いしたところ、40分で9000円の費用がかかりました。そこから計算した通訳人の方の時給は、13500円です。私の時給の約7倍です。

 これだけの負担を弁護士に押しつけながら、「金は出さんが、仕事はきっちりしろ。それがお前の使命だろう。」と言われても、熱意がわく弁護士はほとんどいないでしょう。

 それは弁護士の数が増えても全く変わらないと思います。

 だから、社説氏の主張は誤りだと私は思っています。

早すぎた天才

 歴史上よくあることですが、ある時期のとんでもないと思われたことをしていた人が、実は先見の明があった、と後になって分かることがあります。そのような方を、「早すぎた天才」と呼ぶことがあります。

 私などは、事務所を開設し、数年間それなりに努力しているつもりでもなかなか大変であったため、実は法律家の需要は本当にあるのだろうかと疑問を持ち、法曹人口問題に目を向け始めました。

 しかし、すでに今から7年以上も前に、司法改革を日弁連が受け入れた時点で、まだ何も実害が生じていなかったにもかかわらず、警鐘を鳴らしておられた方がいらっしゃったのです。

 兵庫県弁護士会に所属されているウェリタス法律事務所の弁護士武本夕香子先生です。武本先生は、日弁連総会で発言されたり、冊子の配布や、兵庫県弁護士会への会長選挙立候補!を通じて、司法改悪(敢えて司法改悪と書きます。)を押しとどめようとされてきました。しかし、残念ながら、これまでは、十分な理解は得られなかったようです。

 しかし、いま、ようやく時代が武本先生に追いつき、武本先生の洞察がやはり正しかったことが明らかになりました。まさに、冒頭に述べた早すぎた天才と言うべきでしょう。最近記された、武本先生の「法曹人口についての一考察」と言う論文は、非常に素晴らしい出来の論文であり、法曹人口の問題を考える上で、必読の文献と言えましょう。

 今日、日弁連会長候補者の某弁護士から、選挙公報ハガキが届きました。法曹人口について、世論にびくつきながら、いまさら、隣接士業を含む諸外国との比較を検討するなどと言い始めています。

 しかし、私に言わせれば、「そんなのあなたが増員に賛成したときに分かっていたはずのことでしょう。あなたはそんなことも知らずに増員に賛成したのですか?無責任ではありませんか!」と問いたいくらいです。

 日弁連会長候補として法曹人口を論じるならば、心静かに武本先生の論文を書き写して(若しくは音読して)、法曹人口問題が極めて切迫した、危機的状況にあることを認識するくらいのことは、最低やってもらいたいと思います。
 そして真に弁護士会の抱える過疎問題について対策を講じるつもりがあるのなら、自ら任期中に過疎問題を解決できない場合に、任期後は過疎地に行く公約をする位の気概を見せて欲しいものです。

 どうせ、どの候補も、そこまでする気はないのでしょうけれど。