法科大学院は非効率!?~2

(続きです)

 まず、法科大学院推進論者は、やたらめったら、「プロセスによる教育」が法曹養成に必要不可欠だと主張するが、「プロセスによる教育」が具体的に何を意味するものであるかについてあまり明確にされていないし、また、本当に法曹養成に必要不可欠なのかについては、推進論者が適当且つ勝手に主張しているだけで、誰も証明できていない。

 それどころか、日本の大手法律事務所は、法科大学院におけるプロセスによる教育を経ていない、予備試験合格ルートの司法試験合格者を優先して採用している。裁判官、検察官にも予備試験合格ルートの司法試験合格者がかなりの数で採用されている。


 仮に、プロセスによる教育が本当に法律実務家養成に必要不可欠なのであれば、実務界が、プロセスによる教育を経ていない予備試験ルートの司法試験合格者を奪い合うはずがないではないか。
 このような実情から見ても、法曹養成にプロセスによる教育が必要不可欠だとの主張は根拠が全くないどころか、実務界では法科大学院の主張するプロセスによる教育は、全く評価されていないといわれても仕方がない。

 その点を措くとしても、仮に「プロセスによる教育」が、手間暇かけた双方向性の小人数教育を意味するのであれば、私の受けた旧司法試験制度下の司法修習制度はまさに「プロセスによる教育」だった。


 60人程度のクラスに5名の担当教官がつき、起案の添削や講評など、一体教官はいつ寝ているのかと思うほど、丁寧かつ双方向性を維持しつつ手塩にかけた教育を施してくれた。各実務庁でも丁寧に双方向性の高い実務教育をして頂いた。
 この司法修習制度は、当初2年だったが、途中で1年半となり、現在は1年に短縮されている。

 仮に上記の意味での「プロセスによる教育」が、法曹養成に必要不可欠であったとしても、それは司法修習制度でも実現出来ていた教育なのであるから、法科大学院教育の専売特許ではないのである。

 近時、法科大学院を修了させることなく、法科大学院在学中の司法試験受験を認める制度改正が行われたが、これは、法科大学院によるプロセスによる教育が完了していない状態で司法試験を受験させることであり、法科大学院が主張してきた「プロセスによる教育」それ自体が大して意味がないことを自ら認めていることと同義である。

 さらにいえば、法科大学院卒業生が多数を占める司法試験受験者の中で、いまだに論点暗記勉強しかしていないと思われる答案が続出していることが、司法試験の採点実感等において明らかにされている。法科大学院の主張する、プロセスによる教育の結果が、司法制度改革時に避けるべきと強調された論点暗記勉強として結実していることは、実に皮肉である。

 そうだとすれば、法科大学院の存在意義はどこにあるのか。

 法曹教育に関与する権限を得た文科省の既得権の維持、少子高齢化のなかで将来的な学生の確保に汲々としていた大学側及びその関係者の権益の維持、くらいしか考えられないのではないか。


 その権益維持のために、文科省、法科大学院等特別委員会、法務省は、小手先で制度をあれこれいじることに20年も注力し続け(いまだに法科大学院の教育方法、教育内容等について改善が必要であることは、司法試験の採点実感で指摘され続けている。)、法曹志願者に不安を与え続けてきたのである。

 日弁連執行部は、未だ法科大学院礼賛の意見のようだが、導入に賛成した以前の執行部の失態を糊塗するために、法科大学院教育の問題点を無視するのではなく、現実を見て正しい判断をすべきと考える。

 君子は豹変す、というではないか。

 正しい道に戻れないのであれば、日弁連執行部は少なくとも君子ではないというほかない。

(この項終わり)

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