司法過疎対策用弁護士会費徴収に反対

司法過疎対策用に徴収されていた弁護士会費の期限が切れたが、再度、徴収するという日弁連からの意見に対して、大阪弁護士会として賛成しようとする議案が常議員会に提案された。

私は、反対した。

司法過疎対策をどう考えるんだという非難を浴びそうだが、私には反論がある。

そもそも、司法過疎対策は、国家ないし地方公共団体が取るべき対策だ。無医村問題と、おんなじだ。医師がいなくて困る自治体は、多額の給与を提示して医師を招いているじゃないか。自治医大という大学を作って、医者を育てているじゃないか。本当に弁護士が過疎地に必要なら、弁護士に対しても自治体は同じような扱いをするはずだ。それがないってことは、自治体は本当は弁護士がいなくても困っていないということではないのだろうか。

それに、医師会だって、「医療財源の確保を前提に」、地域における医療を推進すると、事業計画で述べている。 つまり、食っていける状況があるなら、そのような状況を作ってくれるなら、医療過疎を解消しましょう、ということだ。

医師だって職業なんだし、その仕事で生活をしなければならないから、当たり前のことだ。ところが、こと弁護士過疎になると、弁護士がその地域で食えるかどうかなど全く関係なしに、司法過疎解消は弁護士会の責務だと、非難され続ける。特にマスコミにはその傾向が強い。

これまで、日弁連は、会員からの強制徴収する会費を司法過疎解消のためにつぎ込んできた。何十億円かの自腹を切って、司法過疎の解消を行ってきたのだ。
誉められこそすれ、貶されるいわれなどないはずだ。むしろ、マスコミは、医師会は弁護士会を見習って自腹で、医師を過疎地に派遣せよ、とわめいてくれても良いくらいだ。

世の中の弁護士が、全員金のなる木を持っているお金持ちなら、司法過疎は弁護士会の責任と言われても仕方ないかもしれない。しかし、所得70万円以下の弁護士が平成22年度には、6,000人弱になろうとしている。弁護士は、ごく一部の方は大もうけしているかもしれないが、多くはつつましい生活をしているのだ。

だから、日弁連は司法過疎解消のために会員に対して、もっと金を出せと言うのではなく、「これまで司法過疎解消のために、会員に自腹を切らせて、何十億円も司法過疎対策にお金を出してきました。そもそも国家の仕事なのですし、ここまで弁護士会は頑張ったのですから、あとは、国家で代わりにやって下さい。国民の皆様もご理解下さい。」と、国家や国民の皆様に対して本当のことをいうべきなのだ。

私の意見に対して、「そもそも必要だけれど国家がやってくれないのだから、弁護士会が頑張るべきだ。そのうち国家が支援してくれるようになる。被疑者国選だってそうだった。」との御意見もあるようだが、それは弁護士数が少なくてまだ弁護士に余裕があった時代の話だ。国の援助を受けている法テラスだって、採算の取れない地域に事務所を出すことに反対しているという話を聞いた。

弁護士を激増させ、弁護士にも自由競争をさせようとマスコミは盛んに主張する。仮に、弁護士も完全な自由競争というのなら、「赤字の仕事は全てやらない。後進の指導も商売敵を増やすことになるから、もうやらない。司法過疎解消なんて俺たちの責任じゃない。だって競争して、儲けたものが生き残る世の中なんだから。」これが自由競争の自然な帰結だ。

弁護士に対して自由競争をしろと言いつつ、弁護士に司法過疎解消の義務を負わせることは、矛盾を含む主張であることを、少なくともマスコミは理解すべきだ。話は少しずれるが、弁護士は社会的インフラだから増やすべきといいつつ、弁護士に自由競争をせよとか、司法修習生への給費制は自分のための資格取得だから不要とか主張するのも、マスコミは辞めた方が良いように思う。インフラの意味を知らないことがばれちゃうぞ。

それはともかく、日弁連としても、理想に燃えるのも結構だが、あまりにお人好しすぎると、利用されるだけで終わってしまうんじゃないか。被疑者国選だって、結局は、赤字の仕事が増えただけなんだから。
どんなに弁護士が人権擁護に必要な仕事だと力説しても、国民の皆様が不要だと思っているから予算が付かないんじゃないのか。その意味では、弁護士会はお人好しすぎることを反省すると同時に、自分をあまりに高く買いかぶりすぎていないか(弁護士の関与が増えると世の中が良くなると思い込んでいないか)についても反省すべき点があるようにも思う。

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