日弁連会長選挙~その3

☆予備試験問題について

 まず予備試験とはなんであるかについて簡単に説明します。現在行われている新司法試験は、法科大学院卒業者しか受験できません。そういう制度に作ってあるのです。

 ところが、法科大学院に通うことができない人や、高額な法科大学院の費用をまかなえない人は、法科大学院を卒業できないのですから、当然、新司法試験を受験することすらできず、弁護士・裁判官・検察官になりたくてもあきらめて下さいということになります。

 これでは、能力がありながら経済的理由で法曹になれない、平たく言えば、お金持ちしか弁護士・裁判官・検察官になれないという結果を招きます。そこで、予備試験というルートを設け、予備試験に合格すれば、新司法試験を受験する資格を与えようという制度が作られています(2011年~平成23年より実施予定)。
ところが、その内容については、殆ど白紙状態です。

この点について、日弁連会長候補者も見解が分かれます。

・山本候補は、この問題に関して、「法科大学院が新たな法曹養成制度の中核的教育機関であることを踏まえ、あくまでごく例外的な法曹資格取得の途として運用されるべきです。」と主張されます。

・宇都宮候補は、この問題に関して、「法科大学院の現状は、多様な人材を法曹に迎え入れるという理想通りになっているのか、そして、今後、法科大学院教育が質的に優れていいることは、別ルートからの受験者との競争によっても検証できるのではないか、等の視点から、司法試験予備試験を「例外的・補完的なもの」として位置づけるのが適切であるのか、再検討します。」と主張されます。

 予備試験に関して「例外的・補完的」な手段としようとする山本候補の立場の方が、位置づけに関して再検討するべきとする宇都宮候補よりは明確です。

 しかし、その明確な立場が、果たして妥当なのか、そこが問題です。

 予備試験について、これまで法科大学院側は一貫して、合格者を極めて限定的にすべきであると主張してきました。これは山本候補と同じ主張です。その主張の根拠は、暗記重視と批判された旧司法試験から、プロセスによる教育を重視する法科大学院教育になったのだから、プロセスによる教育を経ていない予備試験合格者は極めて少なくするべきだという、一見もっともな理由です。

 ところが私は、予備試験合格者を極めて限定しようとする見解については、
① まず、法科大学院の従来の立場と矛盾すること。
② 新司法試験の機能を完全に無視しています。
③ サービスの受け手である、国民を無視しています。
④ 予備試験合格者を広げた方が多様な人材の登用につながる。
⑤ 法科大学院制度は、司法過疎の解消につながらない。
という点から反対です。

 基本的人権を擁護し社会正義の実現を旨とする弁護士、そして弁護士とともに司法の中核を担う裁判官・検察官は特に、公平・公正な試験で合否を判断されるべきであり、お金がないから法曹(弁護士・裁判官・検察官)になることをあきらめた、という人を可能な限り、なくす必要があると思うからです。
(この点に関する私の意見は2009.3.28付けブログ、「予備試験は狭き門とするべきか」に詳しく記載していますので、是非ご一読下さい。)

 ただ、予備試験合格者を増大させようとする見解は、新司法試験合格者の更なる増員を招く危険があると主張される方もおられます。しかしそれは、問題を混同しているだけではないでしょうか。合格者の数の問題は、国民の、社会のニーズの問題であり、予備試験の問題は新司法試験を受験する資格を誰に与えるかという問題だからです。予備試験を広く認めて新司法試験受験者が増えても、国民のニーズがなければ新司法試験合格者数を増やす必要はないのです。公認会計士も就職難に陥っており、社会のニーズがないということで公認会計士試験の合格者を減らすことになったそうです。需要がないところに無理して合格者を増やし続けることに、大きな弊害があることを、合格者減を決めた方達はよく分かっているのでしょう。そのような迅速な対応が、新司法試験では何故できないのでしょうか。

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