日弁連副会長の発言もなあ・・・・

 弁護士ドットコムニュースで、日弁連副会長の関谷文隆弁護士が、司法試験に関して次のような発言をしている。

「『司法試験』を固定して考えていると、どうしても合格率に目がいきがちです。

しかし、合格率のみに目を向けるのではなく、まずは『未修者コースでも、法科大学院の教育を3年間受けて修了すれば、司法試験に合格する』という設計にすることが重要です。

現状において、このような司法試験の設計になっていないことは、反省すべき点だといえます。はたして設計通りの司法試験といえるのか?という問題は常に検証を要するもので、毎年議論されています。」

https://www.bengo4.com/c_18/n_10324/

から引用(下線は筆者が付したもの)。

 ずいぶんもってまわった言い方をしてくれているので、分かりにくいが、要するに、司法試験を簡単にして、法科大学院制度を守ってくれというのが、そのいわんとするところだ。

 確かに司法制度改革審議会意見書により、司法試験法が改正され、同法1条1項の「司法試験は、裁判官、検察官又は弁護士になろうとする者に必要な学識及びその応用能力を有するかどうかを判定することを目的とする国家試験とする。」の原則は揺らがないものの、同条3項で「司法試験は法科大学院の課程における教育及び司法修習生の修習との有機的連携の下に行うものとする」との条文が追加された。

 司法試験を法科大学院の教育状況に併せてレベルを下げて簡単にせよ、という法科大学院擁護者の論拠の一つは、司法制度改革審議会意見書と、それによって挿入されたこの条文だ。

 では、法科大学院支持者が金科玉条のように、繰り返し持ち出す、司法制度改革審議会意見書にはどう書いてあったのか見てみよう。

「法曹となるべき資質・意欲を持つ者が入学し、厳格な成績評価及び修了認定が行われることを不可欠の前提とした上で、法科大学院では、その課程を修了した者のうち相当程度(例えば約7~8割)の者が後述する新司法試験に合格できるよう、充実した教育を行うべきである。厳格な成績評価及び修了認定については、それらの実効性を担保する仕組みを具体的に講じるべきである。」

(司法制度改革審議会意見書第2、2、(2)、エから引用)

 まず司法試験に7~8割合格させるとは書いていないのだ。

 司法試験に7~8割のものが合格できるようしっかりと教育しろと、法科大学院に注文をつけているのだ。

 それに、法科大学院の厳格な成績評価と修了認定について、それらを担保する具体的仕組みは、未だ出来ていないようだけど、どうなってるのか是非、中教審で法科大学院の延命に必死になっている先生方に教えてもらいたいものだ。

 反論があるのなら、今年の(今年に限らないけど・・・)採点実感を読んでみてほしい。反論が意味をなさないことはすぐに納得できるはずだ。

 採点実感には、基本が出来ていないという指摘が目白押しだ。あれだけ大学側が批判していた論点ブロックの暗記もさらにひどくなっている様子が繰り返し指摘されている。

 それに厳格な成績評価と修了認定が出来ているのなら、法科大学院教育の改善や、教育水準の向上について、法科大学院が、制度発足以来ずっと指摘され続けていることは説明がつくまい。

 次に、同意見書の司法試験の箇所を見てみよう。

「法科大学院において充実した教育が行われ、かつ厳格な成績評価や修了認定が行われることを前提として、新司法試験は、法科大学院の教育内容を踏まえたものとし、かつ、十分にその教育内容を修得した法科大学院の修了者に新司法試験実施後の司法修習を施せば、法曹としての活動を始めることが許される程度の知識、思考力、分析力、表現力等を備えているかどうかを判定することを目的とする。」

(司法制度改革審議会意見書第2、3、(2)から引用)

 司法試験を法科大学院教育と連携させるのは、まず、法科大学院で7~8割のものが合格できるだけのレベルまで充実した教育が行われ、かつ厳格な成績評価と修了認定を経ることが、大前提なのだ。

 ボロボロの教育しかできていない法科大学院制度(再度いうが、反論のある方は、司法試験採点実感を読まれたい。また、私はごく一部の優れた法科大学院を否定するわけではない。法科大学院制度全体の話をしている。)を前提に、司法試験を法科大学院教育と連携させたら(要するに法科大学院卒業者全体のレベルに併せて司法試験合格レベルを下げたら)、どうなるか。

 ボロボロ(実力不足)の法曹の大量生産ということになる。

 それは受験生が悪いのではない。きちんとした教育能力もないのに、そのことも分からず、「偉い私が教えてやれば、司法試験くらい合格させるレベルにすぐにでも引き上げてやれる」、と自分を過信した学者の先生方が悪いのだ(裏には少子高齢化時代を見据えた大学の生き残り策があっただろうとは思うが、大学の生き残りのために、国民や国家の制度を犠牲にして良いものではなかろう)。

 そもそも司法制度改革審議会意見書は、法曹需要が飛躍的に増大するかのような完全に未来予測を誤った幻想がスタート地点だったので、現在ではその存在意義すら疑問符がつく。

 裁判所のデータブック2018によれば、全裁判所の新受全事件数は、制度の変更などもあり単純比較は出来ない面もあるが、データブックの表に載っている中で最も多いのは、昭和35年の約785万件、平成時代では過払いバブルのおかげでH15年に約611万件となったものの、その後ずっと減少傾向にある。

 H29年では、約361万件だ。60年近く前の半分以下、そうでなくても15年前の半分程度の事件しか裁判所に持ち込まれていないのである。

 法曹需要は、裁判所の新受事件数だけでは計れないとの指摘もあるが、裁判所に持ち込まれる事件数が法曹需要の大きな流れを示すこと自体は否定できまい。

 スタート地点から間違っていたことが明らかになった、司法制度改革審議会意見書、それが設計し、しかも教育効果を上げられていない法科大学院制度を後生大事に墨守するのは、現状を把握できない愚か者のすることだと指摘されても仕方ない面もあろう。

 繰り返しいうが、法科大学院制度が功を奏しているのなら、採点実感であれほど受験生の答案が酷評される事態はありえないのである。副会長としては、設計通りの司法試験をいう前に、設計通りの法科大学院かどうかをまず検討すべきだろう。

 それにも関わらず日弁連の副会長が対外的に堂々と司法試験だけを問題視しているようなので、私としては極めて残念としかいいようがない。

 日弁連執行部は、どこまで法科大学院に尻尾を振り続けるつもりだろう。

 いつになったら目が覚めるのだろう・・・・。

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