判事補採用が一番多いのは予備試験ルート

共同通信社が、新判事補の採用に関して次のような報道をしたとのことだ。

(記事ここから)

最高裁は26日、司法修習を12日に終えた修習生1517人のうち、82人を判事補として採用すると決めた。閣議を経て来年1月16日付で発令される。

 年齢は23~41歳で、平均年齢は26・0歳。女性は21人。女性裁判官は全体で795人、全体に占める割合は約22%となる見込み。

 出身法科大学院は10校。最多の慶応大が16人、次いで東大14人、一橋大9人、京大7人、中央大6人と続く。法科大学院を修了しなくても司法試験の受験資格が得られる予備試験の合格者は22人だった。

(記事ここまで)

 さてさて、法科大学院維持派の御主張は、法科大学院によるプロセスによる教育が法曹には不可欠(だからこそ、司法試験受験のために、法科大学院卒業が要件とされるよう法改正させた)とのことだった。

 以前ブログで指摘したとおり、日本の大手法律事務所は司法試験を受験していない予備試験合格者に対して、青田刈りをやっているし、東京地検もついに予備試験合格者に対する青田刈りをはじめた。

 さらに、最高裁が任命する今年の新判事補においても、予備試験ルートの者がどの法科大学院よりも多いので、最多数を占めることになった。ちなみに新判事補任命のためには、裁判教官が修習中から希望者や見込みのある者をしっかり見極めて選抜することが多く、場当たり的に選抜することはまず無い。検察官の任命もその傾向が強い。

 一流の実務家からみて、予備試験ルートの者が裁判官にも検察官にも、たくさん選抜されるということは、もはや、法科大学院が主張する、「法曹には法科大学院でのプロセスによる教育が必須」という命題がもはや崩壊しているということを意味するだろう。

 もう一度いうが、実務では、法科大学院でのプロセスによる教育が法曹に必須だなんて、法科大学院維持派以外は、おそらくだーれも思っていない。

 万一、法曹に法科大学院のプロセスによる教育が必須だとするなら、大手法律事務所・検察庁・裁判所が、こぞって予備試験ルートの修習生を採用しようとするはずがないからだ。

 実務で必須とは言えない「プロセスによる教育」に、法科大学院維持派の学者は、いつまですがり続けるのか。

 イワシの頭も信心から、とは良くいったものだ。

 念のために説明しておくと、鰯の頭のように取るに足らないものでも、信じる気持ちがあれば尊く見える。という意味だ。

 もし、本当に「法科大学院によるプロセスによる教育が法曹にとって必須」なのであれば、予備試験ルートの法曹にプロセスによる教育が欠けていたことに起因してどのような問題が生じており、法科大学院ルートの法曹がプロセスによる教育を受けた結果どれだけ予備試験ルートに比べて優れているかを、直ちに示せるだろうし、示すべきだろう。

 何の根拠もなく、法科大学院教育を礼賛し続けても、私から見れば、鰯の頭を拝んでいるとしか思えないのだ。

 もちろん、現実認識ができないほど、頭の中にタンポポが咲き乱れている先生方ばかりではないと思うので、本当は法科大学院維持派の先生方もご存じなのだろうとは思う。

 だとすれば、どうすればよいかはすぐ分かると思うのだが、、、。

もうやめて、法科大学院延命策

 最近、法科大学院在学中に司法試験を受験することを認める案が、議論されている。それとともに、予備試験ルートを狭めるべきという主張も併せてなされているようだ。

 私は、上記の議論には、もちろん(というより法科大学院制度を維持すること自体に)反対だ。

 そもそも、旧司法試験制度に異議を唱え、法曹としての必須の素養を身に付けさせるために時間をかけて双方向授業を行うなどプロセスによる教育が必要だと主張したのは、法科大学院推進派だった。

 その法科大学院の方から、プロセスによる教育も終わっていない段階での司法試験受験を認めることを提唱するなど、自己矛盾も良いところだ。

 さらに、法科大学院在学中に司法試験に合格しても、法科大学院を卒業しないと司法修習生に採用させない方法も考慮していると聞く。
 司法試験に合格すれば、その時点で、国から法曹として必要な最低限度の知識や応用能力が認められることにはなるはずだから(近時の採点雑感によるとそれすら危ういといわんばかりの批判も多いが)、何も法科大学院を卒業させる必要など無い。

 結局のところ、在学中受験を認める策は、法科大学院延命のための弥縫策にすぎないのだと考えるしかないだろう。

 しかし翻って考えるに、法科大学院がいうように、法科大学院におけるプロセスによる教育が法曹にとって本当に必要なのだろうか。

 私達、旧司法試験世代が体験した司法研修所での教育は、一流の実務家教官の献身的な努力によって実施される、密度が濃く、双方向性の高い、まさにプロセスによる教育の理想型に近いものだった。

 私は、少なくとも私の時代の司法研修所の教育を上回るだけの、プロセスによる教育を、法科大学院ができるはずがないと断言しても良いと思っている。
 理由は簡単だ。
 プロセスによる教育が効果を生むためには、教育を受ける側と教育を施す側のレベルがいずれも高く粒ぞろいでなくてはならないが法科大学院にそれは望めないし、司法試験がある以上法科大学院生は受験対策をせざるを得ないから、悠長なプロセスによる教育など受けていられる状況にはないからである。
 そうかといって、人間は怠け者だから、突破すべき試験がないと勉強しない人がほとんどだ。また、権利侵害を受けた場合の最後の拠り所がヘボ法曹ばかりだったとすればそれこそ、優秀な法曹を生み出すはずの司法改革が司法改悪になってしまうから、(現実には、採点雑感等から合格レベルは相当下がっていると思われるが)これ以上司法試験のレベルを下げて合格させ易くしろとは言えないだろう。
 だから、法科大学院で、かつての司法研修所のような、きちんとしたプロセスによる教育を行うことは、ほぼ不可能だと私は考える。
 

 旧司法試験制度では、司法試験を突破する実力をつけた者に対して、国がまさに手塩にかけて、プロセスによる教育を行い実務家の卵を育ててくれたのだ。

 それと比較して、法科大学院は、志願者減もあって優秀な学生を集めることに苦慮しているばかりではなく、司法試験に合格したことも実務を体験したこともない学者が多数、教員として学生を教えている。

 以前にも例えたことがあるが、
 旧司法試験制度は自ら生育の可能性を示した稲を司法試験で選抜し、司法修習で手塩にかけて育て上げる方法、
 法科大学院制度は田んぼ一面にモミを撒き、芽を出すかどうか分からないモミも含めて、最初から手間と金をかけて教育を行おうとする方法、である。しかもその農家は、農業の一部分の(例えば遺伝子とか、肥料とか)研究ばかりをしており、畑に出たこともない研究者が、相当数を占めていることになるのだ。しかもその農家の耕作方法は、発足から10年以上、ずっと改善すべきと指摘され続けているのだ。

 優秀な法曹を生み出すという効率を重視すれば、もちろん前者の方が優れているだろう。
 しかし、農家(法科大学院側)とすれば、国から補助金が出るのであれば、モミが育つかどうかは関係がなく、多くのモミをいじる方が(きちんと育て上げられるかどうかは別として)儲かることになる。

 その補助金の出所が、国民の血税であるところが泣けるところだ。

 そもそも、法科大学院が行うプロセスによる教育が法曹に必須であるのなら、法科大学院制度以前の法曹は全て欠陥があることになる。
 また、予備試験ルートの司法試験合格者も同じはずだ。

 ところが現実はどうだろう。法科大学院でも法科大学院を卒業していない優秀な実務家が教鞭をとっていることも多いだろうし、新人法曹に関しては、裁判所、検察庁でも予備試験ルートの司法試験合格者は何ら排除されていない。そればかりか、大手法律事務所は、こぞって予備試験ルートの司法試験合格者を募集し続けている。

 つまり、法科大学院がいくら法科大学院によるプロセスによる教育が、法曹に必須だと主張しても、現実世界ではそんなお題目、一顧だにされていないのだ。

 それでも、法科大学院でのプロセスによる教育が法曹にとって必須であると主張するのであれば、少なくとも、予備試験ルートの法曹にどれだけの問題が生じているのか、また、法科大学院ルートの法曹が予備試験ルートの法曹と比較してどれだけ優れているのか、を示すことが先だろう。

 その実証もしないで、法科大学院のプロセスによる教育が優れていると言い張るのであれば、それは、イワシの頭を神様だと断言して崇めることとそう変わりがなかろう。それを法科大学院推進派の、学者としては一流と思われる方々が、こぞって主張しているところが、悲しすぎる。

 さらにいえば、司法試験受験制限(5年5回、かつては5年3回)の理由として、法科大学院教育の効果は5年で消滅するからと説明されていたはずだ。
 しかも、法科大学院教育に関しては、発足からこれまで10年以上ずっと、教育の改善必要性が指摘され続けているではないか。

 もういい加減、小手先の延命策はやめるべきではないのか。

 過ちを認めることができずにひたすら繕うことに尽力するより、過ちを認めてやり直す方が傷は浅くて済むことが多い。

 そろそろ、(何が何でも法科大学院維持という)結論ありきではなく、現実を見据えた議論を期待したいところだ。

平成29年度司法試験採点実感から~公法系第2問

☆例年繰り返し指摘し,また強く改善を求め続けているところであるが,相変わらず判読困難な答案が多数あった。極端に小さい字,極端な癖字,雑に書き殴った字で書かれた答案が少なくなく,中には「適法」か「違法」か判読できないもの,「…である」か「…でない」か判読できないものすらあった。

☆脱字,平仮名を多用しすぎる答案も散見され,誤字(例えば,検当する,概当性,多事考慮,通交する等)も少なくなかった。

☆問題文では,Xらの相談を受けた弁護士の立場に立って論じることが求められているにもかかわらず,各論点の検討において,問題文に記されているY側の主張を単に書き写してXに不利な結論を導いたり,ほとんど説得力がないYやAの立場に立つ議論を案出したり,Xの側に有利となるべき事情を全く無視して議論したりする答案が相当数見られた。原告代理人としては,もちろん訴訟の客観的な見通しを示すことは重要であるが,まずは依頼人の事情と主張に真摯に耳を傾けることこそが,実務家としての出発点であろう。

☆例年指摘しているが,条文の引用が不正確又は誤っている答案が多く見られた。行政事件訴訟法や道路法の条文を引用していない答案も見られた。

☆冗長で文意が分かりにくいものなど,法律論の組立てという以前に,一般的な文章構成能力自体に疑問を抱かざるを得ない答案が少なからず見られた。

☆どの論点を論じているのか段落の最後まで読まないと分からない答案や,どの小問についての解答かが明示されていない答案が見られた。

☆結論を提示するだけで,理由付けがほとんどない答案,問題文中の事実関係や関係法令の規定を引き写したにとどまり,法的な考察がされていない答案が少なからず見られた。

☆法律解釈による規範の定立と問題文等からの丁寧な事実の拾い出しによる当てはめを行うという基本ができていない答案が少なからず見られた。

☆問題文等から離れて一般論について相当の分量の論述をしている答案(設問1⑴において処分性の判断基準を長々と論述するものなど)が少なからず見られた。問題文等と有機的に関連した記載でなければ無益な記載であり,問題文等に即した応用能力がないことを露呈することになるので,注意しておきたい。

☆一般的な規範については一応記載されているが(例えば,原告適格や処分性の判断基準),それに対する当てはめがなされていない答案や,あるいは,提示した一般的な規範とは全く別個の根拠で結論を出している答案が見受けられた。これでは一般的な規範が何のために記載されているのか不明であるし,その内容を正確に理解していないのではないかという疑念を生じさせるものである。

☆問題文の指示を十分に把握せずに答案作成をしているのではないかと思われる答案も少なからず見られた。例えば,設問2⑴において,路線の廃止に係る処分性を検討するに当たり,その前提として道路の区域の決定及び供用の開始の法的効果を論ずべきことが会議録に明記されているにもかかわらず,その検討を行っていない答案が少なからず見受けられた。

☆小問が4問あったことも一因と思われるが,時間が足りず,最後まで書ききれていない答案が相当数あり,時間配分にも気を配る必要がある。

☆行政手続法上の不利益処分の概念を正しく理解できていないため,ウェブサイトの記載を処分基準と誤解する答案が目立ったことなどに鑑みると,法科大学院においては,行政法学(行政法総論)の基礎的な概念・知識がおろそかにならないような教育を期待したい。

☆法科大学院には,単に条文上の要件・効果といった要素の抽出,法的概念の定義や最高裁判例の判断基準の記憶だけに終始することなく,様々な視点からこれらの要素を分析し,類型化するなどの訓練を通じて,試験などによって与えられた命題に対し,適切な見解を導き出すことができる能力を習得させるという教育にも,より一層力を注いでもらいたい。本年も,論点単位で覚えてきた論証を吐き出すだけで具体的な事案に即した論述が十分でない答案,条文等を羅列するのみで論理的思考過程を示すことなく結論を導く答案のほか,提示した一般的な規範とは全く別個の根拠で結論を出している答案すら散見されたところであり,これでは一般的な規範が何のために記載されているのか,そもそもその内容を正確に理解しているのかについて疑念を抱かざるを得ない。法律実務家を志す以上,論述のスタートは飽くまで条文であり,そこから法律解釈をして規範を定立し,具体的事実を当てはめるというプロセスが基本であるが,そのような基本さえできていない答案が少なからず見られた。上記のような論理的な思考過程の訓練の積み重ねを,法律実務家となるための能力養成として法科大学院に期待したい。

☆各小問に即して,上記のような観点からの能力の不十分さを感じさせる答案として特に目に付いたものとしては,原告適格,重大な損害,裁量権の逸脱濫用の判断に当たり,単に問題文に記載された事実を書き写すだけで,これを,問題文に指定された立場から法的に評価していない答案(設問1⑴,1⑵,2⑵),裁量が肯定される実質的な理由を検討することなく,単に法律の文言のみによって判断する答案(設問1⑵,2⑵),法的論拠を全く示すことなく,突如として本件内部基準の法的性質やその合理性の有無についての結論を述べる答案(設問2⑵)等が挙げられる。

☆法律実務家は,裁判官,検察官,弁護士のいずれにせよ,自己の見解とは異なる立場に立っても柔軟にその立場に即した法的検討,論述を展開し得る能力を身に付けることが期待されているものである。問題文に,Xらの依頼を受けた弁護士の立場で解答することを求める指示があるにもかかわらず,Xらの主張は認められないとの結論を導く答案や,Y側の主張を十分に理解した上でこれに法的評価を加えようという姿勢が見られない答案,ほとんど説得力を感じさせない主張の展開を試みる答案などが少なからず見られたのは,法科大学院教育又は学生の学習態度が,前記のような条文解釈に関する学説・判例の暗記に終始してしまっているところに一因があるのではないかとの懸念を生じさせるものである。

☆法律的な文章という以前に,日本語の論述能力が劣っている答案も相当数見られた。法律実務家である裁判官,検察官,弁護士のいずれも文章を書くことを基本とする仕事である。受験対策のための授業になってはならないとはいえ,法科大学院においても,論述能力を十分に指導する必要があると思われる。

☆法科大学院教育において,一般的な判断基準や主要な最高裁の判例を学習し覚えることが重要であることはいうまでもないが,更に進んで,これらの基準を具体的な事案に当てはめるとどのようになるかを学ぶ機会をより一層増やすことが求められているのではないか。

※(坂野注)

「少なからず」という言葉(副詞)は、「数量・程度などが軽少でないさま。 たくさん。かなり。」という意味です。たくさんなのだが、たくさんというのは憚られるときなどに用いられる言葉です。

 一部の優秀な法科大学院の存在は否定しませんが、法科大学院の教育能力が全体的に見ればロクでもないことは、採点実感から見ても明らかでしょう。「条文の引用が不正確又は誤っている答案が多く見られた。」「基本さえできていない答案が少なからず見られた。」「法律的な文章という以前に,日本語の論述能力が劣っている答案も相当数見られた。」という評価を受けた受験生達のなかから1/4が合格できてしまうのが、今の司法試験ということです。

 各地の弁護士会が、司法試験合格水準を適正に維持するよう声明を出していることも危機を物語る一徴表といえましょう。

予備試験について、雑駁な感想

 マスコミ報道では、予備試験はよく「抜け道」と表現されているが、それはあくまでマスコミにとってお客様である法科大学院に阿った(おもねった)表現であり、法律の規定上は抜け道でもなんでもない。

 司法試験法第五条には、(司法試験予備試験)として次のように規定されている。
第五条 司法試験予備試験(以下「予備試験」という。)は、司法試験を受けようとする者が前条第一項第一号に掲げる者と同等の学識及びその応用能力並びに法律に関する実務の基礎的素養を有するかどうかを判定することを目的とし、短答式及び論文式による筆記並びに口述の方法により行う。

 このように規定上明らかに、司法試験予備試験は、例外的に受験を認められるものではなく、また、正規ルートの抜け道という位置づけでもない。

 この規定の「前条第一項第一号に掲げる者」とは、司法試験法第4条に規定された法科大学院修了者(と終了後5年以内の者)を指している。

 このような条文の構造からすれば、司法試験予備試験は、予備試験ルートで司法試験を受験しようとする者が、学識、応用能力、並びに法律に関する実務の基礎的素養において、法科大学院修了者と同等のものを有していると司法試験委員会(同法7条)によって判断されれば、合格できる試験ということになる。

 裏を返せば、司法試験委員会が予定する法科大学院修了者の学識、応用能力、並びに法律に関する実務の基礎的素養のレベルは、予備試験合格者と同一レベルでなくてはならないということになる。

 そうだとすれば、法科大学院修了者と予備試験合格者のいずれであっても、同等の能力がある受験者が受験するはずだから、司法試験合格率は、多少の誤差はあれ、ほぼ同じにならないとおかしい。

 仮に、合格率の数字に大きな差があるとすれば、その原因は、予備試験の合格者を不当に絞って優秀な上位者しか合格させていないのか、法科大学院の修了認定が甘すぎ、本当はきちんと教育できておらす、本来卒業させるべきでない実力不足の学生をどんどん卒業させているかの、いずれかしか原因は考えられない。

 平成29年度の司法試験合格率は、法科大学院修了者が19.86%、予備試験合格者は71.07%だ。

 法科大学院側は、優秀な学生が予備試験に流れてしまったと主張する場合もあるようだが、それはほぼ言い訳にはならないだろう。そもそも、法科大学院は法曹実務家を養成する専門職大学院である上、厳格な修了認定をしていると主張しているから、司法試験委員会が法科大学院修了時に必要と考える学識、応用能力、並びに法律に関する実務の基礎的素養を身につけた者のみを卒業させていないとおかしい。
 そして本当に厳格な修了認定がなされていれば、いくら優秀層が予備試験に流れても、厳格な修了認定をうけた法科大学院修了者にも相当な実力が認められているはずであり、ここまで合格率に差が開くはずがないからだ。

 短答式の合格率をみるとさらに法科大学院の教育に問題があることは明確になる。
 私が見る限り近時の短答式試験は、論文式と引き続いて実施されるためか、かなり易しい問題や部分点を与える問題もあり、作業量も知識の量も旧司法試験時代に比べれば相当軽減されているように見える。
 しかも合格基準は175点満点で、受験者平均点が125.4点(得点率約71%)のところ、108点以上で合格だ。
 実務家からみれば、この問題なら最低80%以上、論文式と引き続き実施される負担を最大限考えても75%は得点して欲しいと思うところだが、合格点は約61.7%に設定されている。

 実受験者ベースで、予備試験組の短答式合格率は98.25%、不合格者は僅か7名である。
 一方、法科大学院修了者では、ここまで甘い合格基準でも合格率は63.66%、不合格者は2023名である。

 マスコミから抜け道と揶揄されるルートを通った者が、マスコミがいうところの本道を歩んだ者よりも圧倒的に優秀だという現実は、本道とされる法科大学院の教育能力、修了認定能力の欠如を如実に示しているものではないのだろうか。

 
 それなのに、なぜ、法科大学院制度を残そうとするのか、結局文科省・大学側の少子高齢化対策として、税金を投入させられた国民の皆様が食い物にされただけではないのか、利害関係にどっぷりはまったマスコミや学者の戯れ言に惑わされずに、現実を直視して、冷静に判断しなくてはならない場面にきていると私は思っている。

法科大学院等特別委員会の議事録まだ?

 昨年11月のブログにも掲載したが、法科大学院等特別委員会の議事録は、文科省のHP上では未だ公開されていないようである。

 「最新の議事要旨・議事録・配付資料」のページはもとより、「これまでの議事要旨・議事録・配付資料の一覧はこちら」のリンクをたどっても、昨年3月からの会議における配付資料だけが閲覧可能になっているだけで、議事録は一切掲載されていないようだ。

 この特別委員会の前身である「法科大学院特別委員会」の議事録も見てみたが、H28.9.26開催の第76回会議までしか作成されていない。

 他の委員会を見てみても、将来構想部会や大学院部会などは、昨年10月、11月頃に開催された会議の議事録も公表している。

 要するに、法科大学院等特別委員会の議事録の公開が、突出して圧倒的に遅れているようなのだ。

 大体1回2時間くらいの会議で、議事録を文章に起こすだけでどうして1年以上もかかるのかとても不思議なので、おそらく、何らかの意図があって議事録公開を控えているのではないかと、疑念を頂かざるを得ない。

 ただし、議事や議論の大まかな内容は、「これまでの法科大学院等特別委員会における委員の主な御意見」という配付資料を見れば想像はつく。

 しかしこれまた、以前のブログで指摘したとおり、そこでの議論は、法科大学院等特別委員会の目的は、ずばり、法科大学院制度の維持で、それ以外にない。そして国民の皆様の為の法曹養成よりも、法科大学院制度維持が自己目的となり、予備試験制限を主張する場合等以外には当初の理念もどこかへすっとんでいるようだ。

 議事録がないので仕方なくその主な御意見を見て見たのだが、御意見にも3ランクがあるようで、①赤丸赤字の御意見、②黒丸黒字で太字の御意見、③黒丸黒字の御意見と、記載されている意見の表示が異なっている。もちろん①>②>③の順で重要度が設定されているのであろう。

 その中に、次のような赤丸赤字の御意見があった。

【法学部教育の在り方】
○ 良好な就職状況や就活スケジュールの前倒しの影響か、学部生が熱心に法律科目の授業を受けていないと感じる。早期から法曹志望が明確な学生だけでなく、身近な経験等をきっかけに法律の勉強に興味を持った学生も法科大学院志願者として取り込むためにも、学部段階で若手法曹による講義・講演を設けて法曹が魅力的な職業であることを伝えるなど、広報活動が必要。

 この御意見を赤丸赤字で重要表示している点だけで、もう、法科大学院等特別委員会は現実を見る力を持っておらず、委員会として終わっていると感じざるを得ない。

 職業は、確かに自分を社会の中で実現していく行動である。しかしそれは同時に生計を維持する手段であり、職業によって得たお金で自分や家族の生活を支えて行かなくてはならない。

 だからどんなにやりがいのある魅力的な仕事があっても、その職業のために必要な資格取得が費用対効果に見合わなければ、親の地盤を継げて将来の経営安定が保証されている人間か、生活できなくてもやりがいを重視する奇特な人間以外は、その職業を目指すことはないと考えるのが素直だろう。

 やりがい・(経済面を無視した)魅力だけをエサにして、有能な人材が確保できるのか、ヘッドハンティングができるのか、考えて見ればすぐ分かるはずだ。

 また、昨今、優秀な志願者が激増して、どんどん難易度が高くなっている医学部に関して、志願者を増やすために、文科省や厚労省は、医師の仕事が魅力的であるとか、医師のやりがいを大々的に広報などしただろうか?

 そのようなことをしなくても、医学部人気は高まっているのだ。

 2016年6月13日付け週刊ダイヤモンドが、医学部人気の過熱の原因に関して、記事の中で次のように分析している。

(以下、週刊ダイヤモンドのHPより引用)
 なぜ、医学部受験はここまで過熱し、難易度が高まっているのか。
 まず、理由として挙がるのが、医師になれば、食いっぱぐれがないことだ。その気になれば、70歳になっても働くことができるし、医師は激務とはいえ社会的地位も高く、勤務医であっても平均年収は1000万円を超えてくる。
 それに加えて、08年以降、有名私立大の医学部が、相次いで数百万円単位で学費を値下げし、受験しやすくなったことだ。
 次に、これまでとは異なる受験者層が、医学部に流れてきていることが挙げられる。
 同じ理系でも理工学部などを卒業し、製造業などに就職してもシャープや東芝のように今の時代、いつ何時会社が傾くか分かったものではない。それは文系もしかりで、医師と並ぶ最難関資格の弁護士資格を取得しても、食べていけない弁護士が続出する時代だ。
 消極的な理由だが、世の中に医師ほど安定して収入が得られる資格がなくなり、優秀な層の流れ着く先が医学部ということが、過熱している要因の一つといえる。
(引用ここまで)

 極めて素直な分析で、説得力がある。法科大学院等特別委員会のエライ先生方でも、反論・論破することは容易ではあるまい。

 私なりに一言でまとめれば、医学部人気が高い理由、医学部志願者が激増している理由は、結局は、医師の資格の価値が高いからだ。

 決して、仕事が魅力的だとかやりがいがある、というだけの話しではない。

 となれば、法曹志願者を増やすことは極めて簡単である。

 医学部志願者が増えたのと同じ方向性をとればよいのだ。

 法曹資格の価値を高め、医師並みに安定した生活が可能な資格にすれば、どんなに試験が難しくても、放っておくだけで志願者は増え、優秀な学生が目指すようになる。合格率が3%程度しかなかったにもかかわらず、旧司法試験時代の受験者が、(丙案導入時の受け控えを除いて)増加の一途であったことからも、この事実は明らかだ。

 そして優秀な法曹志願者が増加することは、国民の皆様が権利を守る最後の砦としての司法に優秀な人材を導くことになるから、国民の皆様の利益に適う。

 このように至極簡単な方法がありながら、法科大学院等特別委員会がその方法を敢えて提言しないのは、資格の価値を高めるために司法試験を厳格にして合格者を減らしてしまえば、法科大学院が経営難に陥ると考えているからだろう。

 法科大学院の経営難と、国民の皆様の利益と比較して、どちらが大事か、小学生でも解る問題だ。
 その点で、あっさり道を誤り、法科大学院制度維持に固執する学者のセンセイ方を、私は信用しない。

第70期司法修習生~1月11日時点で未登録者約10%

 本日の常議員会で、昨年12月に司法修習を終了した者の進路についての報告があった。

 2回試験合格者1563名

 裁判官として任官する者 65名 ←この少なさは現在分析中とのこと。

 検察官として任官する者 67名

 平成30年1月11日時点で弁護士登録した者 1275名

 したがって、1月11日時点でも司法修習を終了したにもかかわらず就職先がない者、即独もしていない者の人数は156名となる。

 およそ10%の者が、通常就職可能な時期から1ヶ月経過しても、就職も独立もできていないことになる。

 朝日新聞が昨年11月28日付夕刊で、「企業にモテモテ 法科大学院」との記事を掲載していたことを、ご記憶の方も多いだろう。そんなにモテモテなら、法科大学院卒業生は引く手あまたのはずで、就職出来ない事態など考えられないはずである。

 法科大学院卒業生の司法試験合格率は昨年のデータによる単純計算で6308人中1253名だから、(運・不運はあるものの)大まかに言って、法科大学院卒業生のうち成績が良い上位20%弱が司法試験に合格したと考えてよいだろう。

 企業だって、法科大学院卒業生のうち、成績のより良い人材を雇用したいと考えるだろうから、モテモテの法科大学院卒業生のうち、司法試験に合格している人材は、更にモテ度が高いと考えても、そう間違いではないと思う。

 ところが、その法科大学院卒業生の上位20%弱が司法修習を経て弁護士としての資格を得ても、10%が就職もできずに職にあぶれている状況なのだ。

 企業にモテモテのはずの法科大学院を卒業し、法科大学院卒業生としてもおそらく上位の成績を有し、弁護士資格まで有している人材のうち、10人に1人が、職に就けていない。マスコミで人材難が報道されているこの時代に、である。

 司法試験に合格出来なかった法科大学院卒業生の就職戦線の厳しさは推して知るべしだ。単に法科大学院卒業というだけで、企業にモテモテなんて、そんなお気楽な現状は、修習生の就職状況に鑑みれば、おそらく存在しないだろう。

 いくら、広告を打ってくれるお得意様の法科大学院に対する援護射撃とはいえ、あまりにも現実離れした報道で世論を誤導するのは、いかがなものかと思うぞ。

日弁連副会長の発言もなあ・・・・

 弁護士ドットコムニュースで、日弁連副会長の関谷文隆弁護士が、司法試験に関して次のような発言をしている。

「『司法試験』を固定して考えていると、どうしても合格率に目がいきがちです。

しかし、合格率のみに目を向けるのではなく、まずは『未修者コースでも、法科大学院の教育を3年間受けて修了すれば、司法試験に合格する』という設計にすることが重要です。

現状において、このような司法試験の設計になっていないことは、反省すべき点だといえます。はたして設計通りの司法試験といえるのか?という問題は常に検証を要するもので、毎年議論されています。」

https://www.bengo4.com/c_18/n_10324/

から引用(下線は筆者が付したもの)。

 ずいぶんもってまわった言い方をしてくれているので、分かりにくいが、要するに、司法試験を簡単にして、法科大学院制度を守ってくれというのが、そのいわんとするところだ。

 確かに司法制度改革審議会意見書により、司法試験法が改正され、同法1条1項の「司法試験は、裁判官、検察官又は弁護士になろうとする者に必要な学識及びその応用能力を有するかどうかを判定することを目的とする国家試験とする。」の原則は揺らがないものの、同条3項で「司法試験は法科大学院の課程における教育及び司法修習生の修習との有機的連携の下に行うものとする」との条文が追加された。

 司法試験を法科大学院の教育状況に併せてレベルを下げて簡単にせよ、という法科大学院擁護者の論拠の一つは、司法制度改革審議会意見書と、それによって挿入されたこの条文だ。

 では、法科大学院支持者が金科玉条のように、繰り返し持ち出す、司法制度改革審議会意見書にはどう書いてあったのか見てみよう。

「法曹となるべき資質・意欲を持つ者が入学し、厳格な成績評価及び修了認定が行われることを不可欠の前提とした上で、法科大学院では、その課程を修了した者のうち相当程度(例えば約7~8割)の者が後述する新司法試験に合格できるよう、充実した教育を行うべきである。厳格な成績評価及び修了認定については、それらの実効性を担保する仕組みを具体的に講じるべきである。」

(司法制度改革審議会意見書第2、2、(2)、エから引用)

 まず司法試験に7~8割合格させるとは書いていないのだ。

 司法試験に7~8割のものが合格できるようしっかりと教育しろと、法科大学院に注文をつけているのだ。

 それに、法科大学院の厳格な成績評価と修了認定について、それらを担保する具体的仕組みは、未だ出来ていないようだけど、どうなってるのか是非、中教審で法科大学院の延命に必死になっている先生方に教えてもらいたいものだ。

 反論があるのなら、今年の(今年に限らないけど・・・)採点実感を読んでみてほしい。反論が意味をなさないことはすぐに納得できるはずだ。

 採点実感には、基本が出来ていないという指摘が目白押しだ。あれだけ大学側が批判していた論点ブロックの暗記もさらにひどくなっている様子が繰り返し指摘されている。

 それに厳格な成績評価と修了認定が出来ているのなら、法科大学院教育の改善や、教育水準の向上について、法科大学院が、制度発足以来ずっと指摘され続けていることは説明がつくまい。

 次に、同意見書の司法試験の箇所を見てみよう。

「法科大学院において充実した教育が行われ、かつ厳格な成績評価や修了認定が行われることを前提として、新司法試験は、法科大学院の教育内容を踏まえたものとし、かつ、十分にその教育内容を修得した法科大学院の修了者に新司法試験実施後の司法修習を施せば、法曹としての活動を始めることが許される程度の知識、思考力、分析力、表現力等を備えているかどうかを判定することを目的とする。」

(司法制度改革審議会意見書第2、3、(2)から引用)

 司法試験を法科大学院教育と連携させるのは、まず、法科大学院で7~8割のものが合格できるだけのレベルまで充実した教育が行われ、かつ厳格な成績評価と修了認定を経ることが、大前提なのだ。

 ボロボロの教育しかできていない法科大学院制度(再度いうが、反論のある方は、司法試験採点実感を読まれたい。また、私はごく一部の優れた法科大学院を否定するわけではない。法科大学院制度全体の話をしている。)を前提に、司法試験を法科大学院教育と連携させたら(要するに法科大学院卒業者全体のレベルに併せて司法試験合格レベルを下げたら)、どうなるか。

 ボロボロ(実力不足)の法曹の大量生産ということになる。

 それは受験生が悪いのではない。きちんとした教育能力もないのに、そのことも分からず、「偉い私が教えてやれば、司法試験くらい合格させるレベルにすぐにでも引き上げてやれる」、と自分を過信した学者の先生方が悪いのだ(裏には少子高齢化時代を見据えた大学の生き残り策があっただろうとは思うが、大学の生き残りのために、国民や国家の制度を犠牲にして良いものではなかろう)。

 そもそも司法制度改革審議会意見書は、法曹需要が飛躍的に増大するかのような完全に未来予測を誤った幻想がスタート地点だったので、現在ではその存在意義すら疑問符がつく。

 裁判所のデータブック2018によれば、全裁判所の新受全事件数は、制度の変更などもあり単純比較は出来ない面もあるが、データブックの表に載っている中で最も多いのは、昭和35年の約785万件、平成時代では過払いバブルのおかげでH15年に約611万件となったものの、その後ずっと減少傾向にある。

 H29年では、約361万件だ。60年近く前の半分以下、そうでなくても15年前の半分程度の事件しか裁判所に持ち込まれていないのである。

 法曹需要は、裁判所の新受事件数だけでは計れないとの指摘もあるが、裁判所に持ち込まれる事件数が法曹需要の大きな流れを示すこと自体は否定できまい。

 スタート地点から間違っていたことが明らかになった、司法制度改革審議会意見書、それが設計し、しかも教育効果を上げられていない法科大学院制度を後生大事に墨守するのは、現状を把握できない愚か者のすることだと指摘されても仕方ない面もあろう。

 繰り返しいうが、法科大学院制度が功を奏しているのなら、採点実感であれほど受験生の答案が酷評される事態はありえないのである。副会長としては、設計通りの司法試験をいう前に、設計通りの法科大学院かどうかをまず検討すべきだろう。

 それにも関わらず日弁連の副会長が対外的に堂々と司法試験だけを問題視しているようなので、私としては極めて残念としかいいようがない。

 日弁連執行部は、どこまで法科大学院に尻尾を振り続けるつもりだろう。

 いつになったら目が覚めるのだろう・・・・。

法科大学院等特別委員会は議事録を公開して欲しいね。

 文科省に設置されていた「法科大学院特別委員会」が、「法科大学院等特別委員会」として今年の3月頃から活動しているようだ。

 え? どこがちがうの? 同じじゃないの?

 という疑問もわくかもしれないが、ちゃんと法科大学院「等」と1文字違えてある。

 とはいえ、座長は井上正仁氏、座長代理は山本和彦氏と全く変わらず、委員も半分以上が留任だから、ほとんど委員会の名前が変わらなかったのと同じく、中身も大して変わっていないと思われる。

 「これまでの法科大学院等特別委員会における委員の主な意見」という資料は公開しているので、その資料をざっと見させて頂いた私の独断で言わせて頂ければ、法科大学院等特別委員会の目的は、ずばり、法科大学院制度の維持で、それ以外にない。

 そして国民の皆様の為の法曹養成よりも、法科大学院制度維持が自己目的となり、予備試験制限を主張する場合等以外には当初の理念もどこかへすっとんでいるようだ。

 意見によると、法科大学院が未修者を一年で既習者クラスまで引き上げるという制度設計が現実的ではなく無茶なものだった(若しくは、エライ教授の私が教えてやれば学生の実力を上げることなど簡単だと、ご自身の実力を過信していた)ことがようやく理解できたのか、今度は法曹養成の一部である基礎教育を法学部にやらせようと目論んでいるかのように見える。

 また、意見によると多くの志願者を集めて法科大学院よりも高い司法試験合格率をたたき出す予備試験制度を目の仇とし、その制限を目論んでいるようだ。

 ところが、予備試験経由の法曹に問題があるとの指摘は現実にはない。現に、裁判官や検察官にも採用されているばかりではなく、大手の法律事務所でも予備試験経由の司法修習生を先を争って採用している。

 つまり、実務では予備試験経由の司法試験合格者を優秀な人材として採用しているのだ。予備試験経由の法曹に問題があればこのような実務の採用傾向が続くはずがないのである。言い換えれば、法科大学院が主張する法曹養成の理念等が、本当に実務法曹に必要不可欠なら、このような実務の採用傾向が続くはずはなく、実際の実務では法科大学院様が仰る法曹養成の理念などに、全く価値は置かれていないといっても言い過ぎではないだろう。

 実際に役立たない理念など、信じている人には大事なのかもしれないが、他の人から見れば、単なるイワシの頭である。

 実務に役立たない法曹養成の理念など無用の長物、それを教える必要があるとして税金を投入させることは血税の無駄使いだ。

 しかし法科大学院側は「法曹養成の理念に反する」と意味のない理念を振り回して、予備試験制度の制限を目指す姿勢があるようだ。

 理由は簡単だ。予備試験を制限すれば法曹になるには法科大学院に進学するしか道がなくなるからだ。そうなれば法科大学院の教員の生活も安泰ということになるだろうし、法科大学院卒業生の司法試験の合格率が予備試験経由の受験生に惨敗しているという醜態も、さらさなくてよくなるかもしれないからだ。

 このように法科大学院等特別委員会の目指すところは、既に国民のために優秀な法曹を生み出すという点にはなく、どうやって法科大学院を維持するのかという点に集中しているように思われる。

 ところで、文科省の委員会は委員会配付資料の公開や、議事要旨・議事録を公開しているが、法科大学院等特別委員会は、まだ一度も議事録を公開していない。

 主な意見をまとめることが可能である以上、きちんと議事については記録を有しているはずだ。

 一回2時間の会議のようだし、議事録作成にそんなに時間がかかるわけではないだろうから、是非とも早期に公開してもらいたい。

 私も、主な御意見などのように、誰がどうまとめたのか分からない資料ではなく、きちんとした御発言をお聞きしたいのだ。

 エライ学者の先生方が多いのだから、「法曹養成の理念が」等と勝手に抽象的な空中戦をやっているはずがないだろう。

 きっと予備試験経由の法曹に現実的な問題が生じている事例(そして法科大学院経由の法曹にはそのような問題が生じていない例)を多数集めるなどした上で、きちんとした事実に基づいて、法曹養成制度の理念が正しく、それに則った法科大学院が必須であると、きちんとスタートラインを確定してから議論に入っているにちがいない。

 まさか、将来の司法需要の予測を完全に外した司法制度改革審議会意見書に未だに則って、株を守る(くいぜをまもる)状態に陥っていたりはしないだろうと信じたいものだ。

 かつて、法科大学院制度を導入する際に、論証暗記型の答案が多いことを批判していた学者がいたが、現在の司法試験採点者の実感では、論証暗記型の答案が依然として見られるとのことだ。そればかりか、日本語作文能力すら危ういとの指摘もあるのだ。

 文科省の政治力を使って予備試験制限を画策するような状況ではないと思うのだが。

 とにかく、議事録の公開、よろしくお願いしますね。

本当にモテモテなのか法科大学院卒業生

 朝日新聞が11月28日付夕刊で、「企業にモテモテ 法科大学院」との記事を掲載している。

 記事によると、数年前から法務部門を強化する企業が、法科大学院の学生を対象に会社説明会を選考会を積極的に実施しているそうだ。法科大学院修了生の就職支援サイトを運営する会社(ジュリナビ)の部長と法科大学院院長が、法科大学院卒業生が社会で高く評価されていると説明している。

 本当にそうなのかと思って、「法科大学院卒業生 就職説明会」のワードでヤフー・グーグルで検索してみた。いずれも私が見る限り、上位50位以内には、企業からの就職説明会はヒットしなかった。むしろ、ジュリナビ等のポータルサイト、企業ではなく法科大学院が主宰する就職説明会の案内、法科大学院を卒業して司法試験に合格できなかった人の就職に苦労したブログなどが目につく。

 もちろん、企業が求人に関してインターネットに直接掲載せずに、ポータルサイトに求人を出している可能性もあるので、検索結果で全てが判断できるとはいわない。

 しかし、法科大学院に志願者が集まらないと、とても困る立場にあるはずの、ジュリナビの部長と法科大学院の院長の発言なので、自分の食い扶持に直結する法科大学院卒業生について、高めに評価して発言している、ポジショントークの可能性はそこそこあるように思う。

 経営法友会による法務部員増加の数字も出しているが、参加企業が増えただけかもしれないし、最も肝心な法科大学院卒業者が法務部員として増加しているのかという数字は出されていない。

 つまり、自分で絵を描いて自分で誉めている可能性も否定できないだろう。

 朝日新聞としても、広告を出してくれる法科大学院やジュリナビはお得意様だ。お得意様の機嫌を損ねるような内容の記事はあまり書けまい。

  司法試験に合格できなくても法科大学院の卒業生が、本当に企業から高く評価され引く手あまたなのであれば、一般の4年制大学卒業生よりも好待遇で募集されているのが当然のはずだし、それだけのメリットがあれば、たとえ司法試験に合格しなくても、法科大学院に進学する学生が増加の一途をたどってもおかしくない。

 ところが、現実には法科大学院志願者が激減し、文科省・法科大学院・日弁連が必死になって法科大学院受験者を増やそうと様々な費用をかけている。文科省・法科大学院は、法科大学院生を増やすために、予備試験を制限することまで考えているくらいなのだ。

 また、朝日新聞の記事は、任期付き公務員や企業内弁護士が増加していることを指摘して締めくくっているが、それは司法試験に合格してある程度の能力を有することを示したものに対する就職現象であって、司法試験に合格できなかった法科大学院卒業生に対する社会の評価とは関係がない。

 公務員と言えば聞こえは良いが、任期付きであるならば、任期が終われば放り出されかねない。とても安定した職場とは言えまい。

 近時の司法試験の採点雑感を見ると、法的三段論法以前に、日本語の作文能力を鍛え直せと採点者から酷評される状況にもある。

 この評価は、厳格な?法科大学院の修了認定を経て法科大学院を卒業し、司法試験を受験している受験生に対する評価であることを忘れてはならない。

 法科大学院生が本当にモテモテなのか、安易に記事に踊らされずに、しっかり見極める必要があるように思う。

気になる指摘

 平成29年司法試験の採点実感
http://www.moj.go.jp/jinji/shihoushiken/jinji08_00154.html

に、ざっと目を通しているところだが、今年も、かなり気になる指摘があるように思う。

 確か、昨年の採点実感に関する意見(民事系科目第1問)において、次のような指摘があった。

 「法律家になるためには,具体的な事案に対して適用されるべき法規範を見つけ出すことができなければならない。そのためには,多数の者が登場する事例においても2人ずつの関係に分解し,そのそれぞれについて契約関係の有無を調べることが出発点となる。」(平成28年司法試験の採点実感に関する意見【民事系科目第1問】より。)

 上記の指摘は、分かりやすく言うと、「法律家は具体的な問題が生じた場合にどの法律のどの条文(若しくは法規範)を使えば、解決につながる可能性があるのか分かっていなければならない。そのためには多くの人が登場しても2人ずつの関係に分解して、契約関係があるか、なければどのような主張が可能なのか分析しなくてはならない」という指摘である。

 この指摘は、あったり前のことであり、いやしくも法律家になろうとする者が、ある問題を法的に解決しようとする場合に、どの法律のどの条文を見ればいいのか(若しくはどの法規範を使えばいいのか)分からなければ話にならんだろう。

 また、問題解決のためにどの法律を使おうかと考える際に、多数の当事者が入り交じったままの状態では法的関係が錯綜して、どう分析すればいいのか分かりにくい。

 法的関係を解きほぐして単純化して分析するために、2人ずつの関係に分解することは、私達法曹としては常識以前に司法試験受験時代から本能的に身についているやり方である。

 しかし、法科大学院卒業者が多くを占めているはずの、司法試験受験生の多くが法的分析のスタートラインにも立てずにつまづいているので、採点者がわざわざ、あったり前のことをご丁寧に説明してくれているのだ。

 こんな説明を、採点者からされなくてはならないことを、法科大学院の教育者は恥と思わなければならないだろう。法的分析のスタートラインにすら立てない能力しか身に付けさせることができずに卒業させているのだから。

 さらに、今年の、採点実感の民事系科目第1問p6には次のような指摘がなされている。

 「今年度は,具体的な事案に適用されるべき法規範を選択する際に,適切とは言い難い選択をしたために低い評価しか得られなかった答案が目に付いた。」

 要するに、ある問題を法的に解決する場合に、その問題を適切に解決するために適切とは言い難い、いわばトンチンカンな法規範を適用して解決しようとしている受験生が相当数いたということだ。

 一応問題文(民事系第1問・設問1)を見てみたが、多数当事者の登場する場面ではなかったし、問題文が相当丁寧に誘導しているので、解決のために使う法的構成は、おそらくすぐに分かるはずだ。

 また、この程度の問題(民事系第1問・設問1)で、どの法的構成を使えばいいのか分からないとか、使う法的構成を誤るようであれば、はっきり言って実務家としては箸にも棒にもかからないレベルだ。当然法律家としては使いものにならないし、資格を与えてはダメだろう。

 確かに、司法試験は長時間にわたる苛酷な試験ではあり、疲労や緊張から受験生は心神耗弱状態になりかねない。しかし、それを斟酌したとしても、こんな基礎的な法規範の運用もできない受験生を合格させていれば、国民の皆様に被害が及ぶことは必定だ。

 風邪を手術で治そうとしても無理だし、メスと鉗子を間違えるようでは手術にもなるまい。それでも手術で治そうと強行すれば、患者に被害を与えるだけだ。

 おそらく、そのような答案には低い評価しかついてないと思う。しかし、このような答案が目につくレベルの受験母集団から、3~4人に1人の合格者が生まれるのだ。

 司法試験は本当に選別機能を有しているのか、閣議決定等に縛られて、合格させてはならないレベルの受験生を合格させているのではないか等の点について、厳格に精査がなされる必要があると思う。

 受験生の答案の開示(特定が嫌なら、答案の原本ではなくワープロでべた打ちしたものでも良いはずだ)を受けて、検討するべき時期が来ているのではないのだろうか。