証人調べは疲労する・・・・。

 民事裁判においては、お互いが主張を出し合い、争点が明確になった時点で証人・本人を取り調べることがあります。

 具体的には、まず証人を申請した方が尋問し、自分たちの言い分を述べます。これを主尋問といいます。

 次に、相手方が、証人に対しておかしいと思う点や、証人の言い分のおかしな点を聞きます。これを反対尋問といいます。

 再度証人を申請した側が尋問したければ、再主尋問、それに対する再反対尋問もあります。

 今日は、弁護団事件で相手方の証人の取り調べがありました。相手方にとっては主尋問ですから、言わせたいことは相手方にとっては明確です。リハーサルもできます。

 ただ、反対尋問をする側にとってはそうはいきません。証人も反対尋問に対しては、身構えて、素直に答えてくれない場合もあります。相手方の主尋問に問題はないか、証言に矛盾はないかなど、考えながらずっと相手の尋問を聞いていなければなりません。また、自ら尋問する場合も、かなりの緊張を強いられます。下手に質問すれば、墓穴を掘る危険もあるからです。

 今日は一日で、4名の尋問があり、10:00からはじまって、終了したのは17:15くらいでした。

 尋問時間中相当緊張していますので、終わると、ほっとします。ものすごいストレスを感じていたことが後で解ります。

 弁護団事件だったので、一人で尋問するよりは、はるかにマシでしたが、正直言って、今日は疲れました・・・・・。

裁判の見通し

 裁判所の判断も、人間のやることですから正しいとは限りません。

  いずれにしても、裁判は証拠に基づいて判断されるので、証拠がないと勝負にならない場合が多いのです。なぜなら、裁判官はドラえもんのように以前の真実を映し出す魔法の鏡を持っているわけではないので、当事者の主張が食い違う場合、客観的な証拠に基づいていずれの主張がより真実に近いかを判断していかざるをえません。

 そのような場合、負けた判決の事実認定や論理、法適用に、さして問題が見あたらない場合には、新たな証拠でもない限り不服申立をしても勝てないと判断する場合もあります。(もちろんおかしな部分がある判決には当然戦うべき場合が殆どですが、ここでは、そうおかしな部分がない場合と考えて下さい。)

 だから、私の場合、いくら不服申立をして欲しいと言われても、「このまま不服申立(控訴・抗告など)をしても、新しい有力証拠がないと勝てないと思います。」と正直に言います。それがプロとしての見通しであるし、プロとして明確にすべき点だと思うからです。

 以前、私と加藤弁護士が共同で受任していた事件(依頼者が複数いました)に、年輩の弁護士がそのうちの一人の依頼者から依頼を受けたと乗り込んできて、勝ち目もないのにさも勝ち筋があるかのような説明をして自分に依頼させようとしたのを経験しました。私達は、きちんと判例や法律を示して説明し、裁判ではよほどのことがないと負けてしまうので、和解するよう勧めたのですが、困っている人たちは少しでも可能性があるかのように話すその年輩の弁護士を選び、私達は辞任しました。

 結果は、私達の見立てどおりその弁護士の負けだったようです。

 裁判を起こす前、判決がでる前、であれば相手からもある程度の譲歩を引き出すことも可能な場合もあります。100対0であっても、話し合いで90対10にすることも可能な場合もあり得ます。弁護士費用、時間など相手方としても裁判をすることは大変ですし、判決がひょっとしたらどちらに転ぶか分からないからです。

 しかし、一度裁判で勝ち負けがつき確定してしまうと、勝った方は譲る理由は一切なくなります。裁判で負けてから相手に譲歩してもらおうとしても、まず無理です。おそらく依頼した方達は、弁護士費用を支払ってさらに相手から譲歩も引き出せずに終わったと思います。

 今後弁護士が増加して、日々の生活に困る弁護士が増えると、常識的には負けであっても少しでも可能性がある点を強調して、裁判に持ち込み、弁護士費用をせしめようとする弁護士が増加するでしょう。如何なる訴訟でも可能性の話をすれば、勝てる可能性がゼロということは、まずありません。ですから、生活に困った弁護士が勝てる可能性があるので訴訟しましょうという提案をしても、それは不適切だとは思いますが、嘘ではないし、弁護過誤ではないからです。

 そのような社会が健全な社会だとは思えませんが、マスコミが言うように弁護士の爆発的な増加が国民の願いなのであれば、そのような社会を国民が願っているとマスコミが述べていることになります。

本当なのでしょうかね。

沈丁花

 先日家庭裁判所の、中庭で、ふと良い香りを感じました。沈丁花の香りです。

 名前こそ沈丁花(ジンチョウゲ)ですが、皆さんご存じのとおり、とても良い香りがします。キンモクセイの香りと並んで私の好きな香りの一つです。しかも、沈丁花は、全く予期していないときに不意打ちのように香ってくることが殆どですので、いつもいい匂いだなと思いながらも、「やられた。」という気にさせられます。

 なぜだか、沈丁花の香りに逢うと、少年の頃まだ寒い中、私の実家の裏にあるちいさな川で、友達とプラモデルの戦艦・モーターボートを走らせて遊んだ記憶がかなり鮮明に、よみがえります。他にも、沈丁花の香りと共にたくさんの経験があったはずなのに、きまって先ほどの記憶が勝ります。沈丁花の香りを初めて良い香りだと思ったときの記憶なのだと思いますが、相当印象が強かったのでしょう。

  音楽もそうなのですが、匂いも、ある記憶と結びつくと一体化してしまってなかなか分離できない場合が私にはあります。そのような記憶は他愛のない記憶であっても、なぜか懐かしい感じを受けてしまいます。その記憶が例え辛い記憶だったとしても、それでも、その頃の自分は幸せだったのだと、理由もなくそう感じてしまったりします。

 今は、その川も治水工事のために拡幅され、常に枯れた状態の川になってしまいました。もう、私達が遊んでいた頃の川の面影は、全くありません。でも、多分、来年も沈丁花の香りに触れると、昔の川の様子や川での遊びを、再び鮮やかに思い出すことができるに違いありません。

F1開幕

 今年も自動車レースの最高峰、F1グランプリが開幕しました。私は、キミ・ライコネン選手のファンですが日本人ドライバー(佐藤琢磨・中島一貴の両選手)にも注目しています。

 今年の話題は、なんといっても中島悟氏の息子である、中島一貴選手のF1デビューだと思います。

 中島悟氏は、日本初のF1レギュラードライバーとして、日本人のF1挑戦のパイオニアとも言える存在です。私も、学生時代に、中島悟氏がロータス・ホンダで鈴鹿サーキットに初めて凱旋したとき、友人と二人で車中泊しながらF1GPを観戦しました。当然指定席など買える余裕もなく、自由席しか買えませんでした。朝早くから場所をとり、交代でトイレに行きながらレース時間まで待ち、レース中もずっと立ち見で応援したことを覚えています。

中島悟氏の息子さんがF1参戦する程の年齢になったこと考えると、時の流れの速さを実感します。中島一貴選手はデビュー戦でいきなり入賞しポイントを上げるなど、非凡な才能を発揮しつつあります。中島選手に頑張って欲しい反面、私は、資金難に苦しむチームであるにも関わらず、性能の劣るマシンで全力で戦い続ける佐藤琢磨選手にも頑張って欲しいと思っています。

父親の涙

 人身保護申立に関する、期日がありました。

 事案は、子供を認知していた父親が、監護権者である母親の監護に不安を覚えて、保護したという事案でした。母親からは、無断で我が子を連れ去られた事案と捉えられていると思います。

 このような事案では、父親には監護権がないため、母親から人身保護手続を申し立てられた場合には、よほどの事情がない限り父親の監護は相当と認めてもらえません。監護権者指定審判申立、審判前の仮処分申立など、手を尽くしたものの、結局家庭裁判所には監護権者を父親に指定してもらうことはできず、人身保護手続の期日になりました。

 父親は、父親から離れたがらない子供を、どうしても裁判所に連れてくることができませんでした。

 父親に、法的には監護権はありませんので、散々手を尽くした結果であれ、人身保護手続き上は、圧倒的に不利な(ほぼ確実に負ける)状況にありました。私としても父親に嘘を言うわけにはいかないので、その見通しを伝えていましたが、父親を慕う子供の様子を聞かされると、父親を慕う子供とその子供を守ろうとする親子の情が、法に優先してはなぜいけないのか、という気持ちが心の中で湧き出てくるのを抑えることができませんでした。

 父親は、期日の席上で、自分が保護して、ようやく落ち着いた生活ができるようになった我が子を、返さなければならなくなる、自分で守ってやれなかった、という自責の念で、涙が止まりません。裁判長も非常によい方で、情理を尽くして説明をしてくれましたが、法的な観点からみても結論を変えることはほぼ無理であり、その事実を知る父親の涙を止めることは、最後まで、できなかったのです。

 席上で父親が「どうやって〇〇(子供の名前)に謝ったらええんやろ」と、小さくつぶやいたその押し殺した声は、おそらくしばらくは忘れられないだろうと思います。

 もちろん母親には母親の言い分があるのでしょうが、本件に限っていえば、私個人には、客観的に見ても、父親の愛情の方が勝っているように思われました。しかし、だからといって誰もが、自分の方が愛情に勝っていると主張して自由に子供を奪い合えば、社会は混乱し、社会秩序も失われます。何よりも奪い合いにさらされる子供のためにならないでしょう。本当は子供の意思で決められればいいのですが、子供が小さい場合には限界があります。裁判所に争いが持ち込まれている以上、どこかで判断が下されなければなりません。 

 本件の父親の行為は、監護権もなく子供を保護したという点、期日に子供を連れて来るという裁判所との約束を守らない点では問題です。しかし、それだけの理由で父親だけを責めることができないのではないか、という気がしてなりませんでした。結局、本件では、父親が任意に子供を返す代わりに、養育状況を報告する、母親がきちんと養育する旨確約するなどの条件で和解することになりました。

 法律の限界、社会制度の限界、等様々な限界を感じた事件でした。

職業講話その2

 職業講話をしたしばらく後に、中学校から子供達の感想が送られてくることがあります。実はこの感想が結構面白いので、この感想を楽しみに、職業講話をしている面もあるのです。

 今回は話したいことがたくさんあったため、時間不足となり、駆け足の講話になってしまったので、結構きついこといわれるかなと思っていたのですが、概ね好意的な内容を書いてくれていて、ほっとしました。

 直接弁護士バッジを触らせて上げたので、「思ったより弁護士バッジは重かった」などの感想も多かったのですが、やはり、中学生にとってショックだったのは、弁護士の生活が決して安定しているわけではないということのようでした。

 最近は弁護士過剰のため、就職難や赤字経営の弁護士もいるという話をしたところ、「僕が考える弁護士の長所は、金持ちなので弁護士にはなりたくないと思いました。」という、ある意味正直な意見も書かれていました。

 これまでなら、自信を持って弁護士はやりがいのある仕事ですから頑張って弁護士になって下さいと言えたのですが、実際に就職難や赤字弁護士が発生している現状では、「責任も重いですがやりがいのある仕事で、たくさん収入のある方もいます。しかし、必ずしも生活が安定しているわけではありません。赤字の方もおられます。今後も弁護士が増えれば相当大変になる可能性があります。」と正直に言わざるを得ない状況です。

 誰だって、どんなに重要な意味がある仕事でも、生活が安定しない仕事には魅力を感じにくいでしょうね。魅力なき仕事には人材は集まりません。

 弁護士という職業が、今後の日本を支える子供達に、そっぽを向かれなければいいのですが。

職業講話その1

 私は、ほぼ毎年、中学校で職業講話を行います。職業講話とは、弁護士が実際にどのような仕事をしているのか、どのような一日を過ごしているのか、どうすれば弁護士になれるのか、などについて、具体的に理解してもらうために行うものです。

 今年は、高倉中学校の日時が裁判と重なってしまったため、阿倍野中学校だけで職業講話を行いました。当日は私以外にも、保育士さん、キャビンアテンダントさん、美容師さん、落語家さん、など様々なお仕事の方が、職業講話を担当されていました。その中に、えらく体格の良い方がおられるなと思ってよく見てみたら、元プロ野球選手の石毛博史さん(投手・セリーグで2年連続セーブ王 巨人→近鉄→阪神)でした。

 阿倍野中学校では、1年生が職業講話の対象でした。中学校1年生と言っても、まだ小学校7年生といった感じで、まだまだ幼さが残る顔立ちの子が多くいました。少し時間オーバーになりましたが、職業講話を終えたあと、帰り道が同じ方向だったので、少し石毛さんとお話しすることができました。

 全国に数多く存在する野球少年の頂点とも言うべきプロ野球選手は、球団保有選手枠があり、その中で1軍登録されなければならず、さらに1軍でも使ってもらえるだけの成績を上げないと、2軍に落とされてしまう、非常に厳しい世界です。その厳しい世界で、一生懸命頑張ってこられた石毛さんは、「夢を持つことのすばらしさを伝えたい、と思って話をしました。」と仰っておられました。

 きっと、夢を持ち続けて本当に頑張ってきた方にしかできない素晴らしいお話をされたのだろうと思います。

 私も聞いてみたかったなぁ。

国際交流??

 今乗っている自動車の走行距離が、7万キロ近くになったため、買い換えることになりました。非常によい自動車だったので、名残を惜しんで、先日、江文峠を走りに行ったときのことです。

 江文峠は京都大原から山の方に入り込んだ峠道で 、往復2車線あり、交通量が極めて少ないので走りは楽しめます。気分良く、そんなに上手くもないヒール・アンド・トウなどをかましながら、走っていたのですが、峠付近で二人の人が地図をしげしげ見ているところを通過しました。こんな山中でおかしいなと思ったものですから、引き返してみると外国人の方でした。

 京都の大原だけでもかなり田舎ですが、その大原よりも1キロ以上山の中なので、おそらく道に迷っていることは明らかでした。必殺ジャパニーズイングリッシュで「メイ・アイ・ヘルプ・ユー」と完璧にカタカナ通りの発音で話しかけると、ガイドブックの地図を見せて、「ハナジリバシ」と言っている様子。そのガイドブックが、ジャパンハイキングガイドとかいうもので、日本人が見ても分からないような、極めて簡略且ついい加減な地図で記載されています。これは、僕でも迷うわな、と思い、乗せてやることにしました。しかし、どう言えば良いのか分からない。結局「レッツゴウ、トゥギャザー、ノープロブレム」といって車を指さし、珍道中開始となりました。

 単語を並べて話していると、どうやら、イギリスからきたアベックさんで、イギリスではマーケティングのような仕事をしているらしいことが分かりました。休暇を利用して3週間日本を回っているのだそうです。「お前は親切だ。」と言ってくれるので、「こっちも、ヨーロッパでいろいろトラブル起こして、現地の人に助けてもらったから、ギブアンドテイクみたいなもんや」と返答しました(多分そう伝わっていると思う)。すると憎たらしいことに「俺たちは日本じゃ、そんなにトラブルは起こしていないぜ」と言っているようです。「道に迷っておいて、よう言うな」と思ったのですが、英語力がないので言えず、残念。

 更に聞いてみると、今日は3~4時間歩き続けたとのことです。疲れたのかと聞くと、男は「ちょっとね」、女は「私はちっとも」と答えます。ホンマかいなと思っていたら、男が「彼女は俺に全部荷物を持たせるんだ。重い荷物だからね」と一言。女は即座に「あんな小さい荷物、荷物じゃないでしょ!」と反論、一瞬車内が凍り付く。

 ジャパニーズスマイルで車内の雰囲気をごまかしながら、『イギリス男は年をとると「生まれ変わっても絶対に結婚なんてしない。その代わりに犬を飼う。」と例外なく言うものだ』、という笑い話も、意外と本当かもしれないと思いました。

 彼らの今日の予定としては、「ニシキマーケット」に行きたいと言ってるので、ここまで来たらついでですので、錦市場の近くまで送ってあげました。とても嬉しそうにサンキューと何度も言っていたので、ドライブがおじゃんになったにもかかわらず、なんだかこっちも嬉しくなってしまいました。

 人間には、人の役に立ったり、人が喜んでくれたりすると嬉しくなる性質がどうもあるようですね。

 それから、もう少し英語を勉強しなければと反省しました。

広い海なのに

 イージス艦「あたご」と漁船の衝突問題が、新聞等をにぎわせています。

 フェリーに乗ったことのある人なら、誰だって、あんなに広い海なのに、どうして船同士が衝突するの?と不思議に思われるかもしれません。しかし、私には、船の衝突はそう不思議ではない出来事のように思えます。

 私は、小学校の頃から父親の小さな漁船に何度も乗せてもらったことがあり、大物を狙って潮岬の沖合まで出漁したことがあります。

 父親が仕掛けを投入するときなどは、私が舵を任されたりするのですが、これが意外と大変です。まず、まっすぐ走らせることがずいぶん大変なのです。 風や波で船の進行方向はすぐにぶれますし、舵を切ってもすぐには船は反応してくれません。エンジンを止めても惰性で相当程度進んでしまいます。また、波の具合で、思った以上に舳先がとられてしまうことも多いのです。

 しかも、船それぞれが大きさが異なるうえ、スピードを測る基準となるもの(建物など)がありませんから、遠くをゆっくり走っているように見える大きな船が見えた場合、安心してよそ見などしていると、実は漁船よりはるかに速いスピードを出していることも良くあります。そのようなときは、それこそ、あっという間に間近まで迫ってきて、どっちによけたらいいのか慌ててしまうこともあります。どれだけ私が経験を述べても、実際に体験されなければ、お分かりにはならないと思いますが、それこそ、あっという間にすぐ近くまで来てしまうのが船同士なのです。しかも、大型船は漁船が近くにいてもちっともよけようともしないのが常でした。漁船の方が小回りがきくので、勝手によけろといった感じもあり、ひょとすれば、それが悪しき慣行のようになっていたような気もします。

 おそらく漁船から見れば、イージス艦「あたご」の緑燈・赤燈が見えていても、どのくらいの大きさの船で、どのくらいの速度が出ていたかは、夜であったため分からなかったのではないかと思います。それは「あたご」から見ても同じだった可能性があります。ただ、漁船が多く往来する海域であることは分かっていたでしょうから、仮に漁船がよける慣行があったとしても、漁船より明らかに大きな船舶であるイージス艦の方がもう少し注意しておく必要があったのかもしれません。

ダッハウ強制収容所

 司法試験合格後、司法修習が開始されるまでの間の冬に、ヨーロッパ旅行ができたことについては、8月31日のブログでも書きましたが、 その旅行でミュンヘンを経由した際に、訪れたのがダッハウ強制収容所です。

 その旅行では、ミュンヘンであまり時間がとれなかったことから、見たいと思っていた、ミヒャエルエンデのお墓orダッハウ強制収容所のいずれかを選択しなければなりませんでした。

 私は、後者を選択しました。エンデのお墓であれば、年を取って再訪する機会があれば見ることができましょう。しかし、ダッハウについては、出来るだけ早い時期に見ておかなければならないような気がしたのです。

 ミュンヘンから近郊電車でダッハウの駅まで。そこからバスで強制収容所跡に向かいました。非常に寒い日で、粉雪が舞っていたことを覚えています。2月のしかも非常に寒い日でしたので、訪れる人はそう多くはありませんでした。また、訪れる人も、敷地内を歩いてまわる人は少なく、博物館の中に足早に向かって行く人が多くいました。

 ダッハウ強制収容所ではガス室での殺戮はなかったとのことのようでしたが、シャワー室は残っており、まるで虚無が口を開けたかのようなそのたたずまいは、記録はどうであれ、真の事実はどうであったのか、それを見る者が考えることすら拒絶しているかのようでした。

 非常に強い寒気にふるえつつ、雪煙が上がる中を、歩いてみて私が感じたのは、「なにもない。本当になにもない。」という感覚でした。収容所の建物やその跡は残っています。木々も見えます。普通であれば、昔の収容所の様子を想像してもおかしくないシチュエーションです。しかし、なぜだか分かりませんが、「なにもない。」としか私には感じられませんでした。 上手く説明が出来ないのが残念ですが、何かが次第に滅びていって結果的になにもなくなってしまったというのとは少し違い、何かを全て奪い去った後で更になにもなかったように塗り固めたような空々しい空っぽの印象がそこに横たわっている、そんな感じでした。

 本来そこにあるべき生命、生命感が、まるで誰かに無理矢理そぎ落とされてしまったような、無地の何かに覆われてしまったかのような、空っぽの、感覚しかそこに感じることが出来ませんでした。

 強制された無。

 誤解を恐れずに一言で言うならば、そのように感じられました。