裁判の見通し

 裁判所の判断も、人間のやることですから正しいとは限りません。

  いずれにしても、裁判は証拠に基づいて判断されるので、証拠がないと勝負にならない場合が多いのです。なぜなら、裁判官はドラえもんのように以前の真実を映し出す魔法の鏡を持っているわけではないので、当事者の主張が食い違う場合、客観的な証拠に基づいていずれの主張がより真実に近いかを判断していかざるをえません。

 そのような場合、負けた判決の事実認定や論理、法適用に、さして問題が見あたらない場合には、新たな証拠でもない限り不服申立をしても勝てないと判断する場合もあります。(もちろんおかしな部分がある判決には当然戦うべき場合が殆どですが、ここでは、そうおかしな部分がない場合と考えて下さい。)

 だから、私の場合、いくら不服申立をして欲しいと言われても、「このまま不服申立(控訴・抗告など)をしても、新しい有力証拠がないと勝てないと思います。」と正直に言います。それがプロとしての見通しであるし、プロとして明確にすべき点だと思うからです。

 以前、私と加藤弁護士が共同で受任していた事件(依頼者が複数いました)に、年輩の弁護士がそのうちの一人の依頼者から依頼を受けたと乗り込んできて、勝ち目もないのにさも勝ち筋があるかのような説明をして自分に依頼させようとしたのを経験しました。私達は、きちんと判例や法律を示して説明し、裁判ではよほどのことがないと負けてしまうので、和解するよう勧めたのですが、困っている人たちは少しでも可能性があるかのように話すその年輩の弁護士を選び、私達は辞任しました。

 結果は、私達の見立てどおりその弁護士の負けだったようです。

 裁判を起こす前、判決がでる前、であれば相手からもある程度の譲歩を引き出すことも可能な場合もあります。100対0であっても、話し合いで90対10にすることも可能な場合もあり得ます。弁護士費用、時間など相手方としても裁判をすることは大変ですし、判決がひょっとしたらどちらに転ぶか分からないからです。

 しかし、一度裁判で勝ち負けがつき確定してしまうと、勝った方は譲る理由は一切なくなります。裁判で負けてから相手に譲歩してもらおうとしても、まず無理です。おそらく依頼した方達は、弁護士費用を支払ってさらに相手から譲歩も引き出せずに終わったと思います。

 今後弁護士が増加して、日々の生活に困る弁護士が増えると、常識的には負けであっても少しでも可能性がある点を強調して、裁判に持ち込み、弁護士費用をせしめようとする弁護士が増加するでしょう。如何なる訴訟でも可能性の話をすれば、勝てる可能性がゼロということは、まずありません。ですから、生活に困った弁護士が勝てる可能性があるので訴訟しましょうという提案をしても、それは不適切だとは思いますが、嘘ではないし、弁護過誤ではないからです。

 そのような社会が健全な社会だとは思えませんが、マスコミが言うように弁護士の爆発的な増加が国民の願いなのであれば、そのような社会を国民が願っているとマスコミが述べていることになります。

本当なのでしょうかね。

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