プロセスを重視した法曹養成って・・・・?

 法科大学院が素晴らしいものであることを示す理由の大きな柱として、「プロセスを重視した法曹養成」があげられてきたことは、皆さんご存じのことと思います。

 要するに、今までの司法試験は一発試験であり、そこでの成績が合否を決めてきたが、法科大学院制度では違う、もっと法律家養成のプロセスを重視するとの、うたい文句であったように思います。

 でも、翻って考えると、法科大学院の成績と関係なく、法律家となるための関門として新司法試験がある以上、新司法試験の時点では、一発試験の成績で合否が決まることには変わりありません。

 新司法試験に合格するかどうかの前段階でプロセスを重視するということを意味しているのかも知れません。しかし、そうだとすれば、旧司法試験が論点暗記に走っていると批判されていた(受験した経験があるものとして断言しますが論点暗記だけでは、旧司法試験は絶対に合格はできませんでした。)ことが、法科大学院制度では大幅に改善されていないとおかしいような気もします。

 ところが、日弁連法務研究財団認証評議会第11回議事録のなかで、井上日弁連法曹養成対策室長は次のように述べています。

「今、司法研修所の民事裁判教官室自体が、要件事実というのはやめようと。学生が要件事実を暗記するという傾向がやっぱり最近強まっている。大事なのは物の考え方であって、それを暗記することでは決してないんだというようなことを非常に強くメッセージとして研修所が発しているという、そういうふうな印象を受けるんですね。」

 これは要するに、物の考え方よりも暗記を優先する傾向が、法科大学院生・司法修習生において、更に進んでいるということを述べているようです。前述の通り、法科大学院は、旧司法試験を暗記優先であると批判して作られた制度でもあるはずです。そのうたい文句がプロセスを重視した教育だったはずです。

 ところが、その新しい制度でプロセスを重視して教育を受けるはずの者が、今まで以上に暗記に走っているとすれば、いったい何のための制度変更なのでしょうか。

 私には、どうもプロセスを重視する法曹養成という意味がよく分かりません。そしてプロセスを重視すればどういう利点があるのかも分かりません。何となく司法改革の中で、プロセスを重視した法曹養成という言葉が一人歩きして、何となくその方が良いような気になっているだけかも知れないのです。

 どなたか、プロセスを重視する法曹養成の利点を教えて頂けないでしょうか。

 そして、そのプロセスを重視する法曹養成を行っているはずの法科大学院制度が実施されているにもかかわらず、暗記重視の傾向が従来より強まっているという指摘は何故なのか、教えて頂けないでしょうか。

日弁連はもっと文句を言うべきだ(その4)

 さらに、自由競争により弁護士が使いやすくなるのではないかという指摘について述べる。

 仮に自由競争によって弁護士が安く使いやすくなるのであれば、弁護士があふれかえっているアメリカでは、自由競争により非常に安い値段で弁護士が利用できていなければおかしいはずである。しかし、アメリカにおけるリーガルコストは、日本と比較して非常に高いと指摘されており、自由競争により弁護士が安く使えるという状況が実現するかは、実際には大いに疑わしいと考えるべきである。

 この点、アメリカでは確かに企業の使う一部の弁護士の費用は高騰しているが、一般国民の利用する弁護士の費用はそうではない可能性があるではないか、との批判も考えられる。しかし、企業が負担する高額の弁護士費用は、製品・サービス等の値段に転嫁されて最終的には消費者(一般国民)の負担になる。つまり、弁護士費用分を上乗せされた製品を消費者は買わざるを得なくなるということだ。一般国民の方が直接弁護士に依頼する場合に、仮に安くなったとしても、それ以上に、日常の買い物の中でリーガルコストを負担させられていくことになるだろう。
 つまり、弁護士を多数生み出し、自由競争させた結果、高額のリーガルコストが必要になっているアメリカでは、結局国民全体で、多額のリーガルコスト負担をしなければならない状況に陥っているといってもおかしくはないだろう。これでも、自由競争により弁護士が安く使える状況が到来すると言えるのだろうか。

 また、仮に、万一、自由競争により弁護士が使いやすくなるとしても、それは、自分だけが使いやすくなるのではなく、相手方も使いやすくなるということである。これまでは当事者同士の話し合いで済んでいた話が、相手が弁護士を立てて来た場合、法的知識の不足する一般の方としては、やはり弁護士に依頼せざるを得ないだろう。
 今は、まだ(少なくとも私の知る)日本の弁護士は、訴訟しても実質的に回収が困難である場合などには訴訟を勧めることはないが、今後自由競争になり少しでも実入りが必要になれば、実質的に依頼者の利益になるかどうかをさておき、とにかく、訴訟を勧める弁護士が出てこないとも限らない。実際にアメリカでは、すぐに訴訟沙汰になることも少なくないと聞いている。

 仕事にあぶれて食うに困って弁護士が軒先をうろうろしている、一旦もめ事が起こればすぐに弁護士が飛んできて訴訟にしようと勧める、そのような社会を本当に国民の方々は望んでいるのだろうか。

 私の6月19日のブログにも書いたが、ニューズウイーク日本語版の記載からすると、自由競争にさらされてきた現在のアメリカの弁護士の状況は、決して望ましいものではないようにアメリカ国民に受け取られているように読める。

 だから、日弁連も、弁護士を大量増員して自由競争させるべきだという主張に対しては、弁護士業の自由競争化は、社会的強者にとっては有り難いが、一般国民の方に迷惑を掛ける可能性が高い。現に自由競争をしているアメリカの例が成功していると言えるのか、などと毅然と反論して論破して頂きたい。

 これまで弁護士達は、司法修習への協力、国選弁護や当番弁護など、相当多くの赤字の仕事を、その職務に鑑み引き受けてきた。

 完全自由競争にするというのであれば、赤字の仕事はすべてやらない、後進の育成も商売敵を育てることになるからやらない、となってしまっても自由競争だからおかしくはないのである。自由競争を主張する論者が、弁護士達が自腹を切ってこなしてきた仕事の費用負担をしてくれるのであれば、そうでなくても財源の手当をしてくれるのであれば、別であるが、そこのところは完全に無視されたまま話は進んでいるように見える。

 日弁連は、これまでの実績をきちんと説明し、弁護士業務に自由競争を持ち込む発想が、如何に問題が大きいのか、もっと声を大にして主張してもらいたい。

 日弁連はもっと文句を言うべきなのだ。

日弁連はもっと文句を言うべきだ(その3)

 次に、自由競争の過程で生じる問題点について。

 弁護士業にも自由競争を導入すべきとする論者は、不適格な弁護士は法的処理に失敗するなどしてその噂が立つだろうから、そのうち誰もその弁護士に頼まなくなるから、質の悪い弁護士を排除することに役立つと述べる。お医者に例えると、「藪医者」と噂の立つ病院には誰も行かないだろうということになろうか。

 しかし、不適格な弁護士と判断されるためには、法的処理に何度も失敗するなどしてあの弁護士はやばいという噂が立たなければ、その弁護士は排除されない。その噂が立つまでの間にその弁護士に依頼した人の利益は全く保護されないことになる。弁護士に事件を依頼しようとする人は、まさに人生の一大事を専門家に依頼して一緒に戦おうとしているはずである。そのようなときに、弁護士の資格を信じて依頼したのに、「あなたの依頼した弁護士は、不適格弁護士でした。運が悪かったですね。」で、すまされたらたまったものではないだろう。

 裁判で白黒つけるしかないという最後の土壇場で、依頼する弁護士が信頼できるかどうか分からないという状況が本当に正しいのだろうか。

 この点、大企業は資金もあるし調査能力もあるので信頼できない弁護士には依頼しないだろう。しかし、仮に大企業に訴えられた場合に、自らを守るために依頼する弁護士が信頼できないかも知れないとしたら、一般の国民の方は、一体誰に依頼すればいいのだろうか。

 つまり、自由競争は沢山の人に弁護士資格を与えて、競わせ、優れた弁護士だけが生き残ればいいという発想であるが、競わせる過程で犠牲になる人のことを全く考えていない発想なのである。

 また、先に述べたように優れた弁護士かどうかの判断は依頼者の方には困難である。勝訴率で比較できると考える某大学教授もいるようだが、弁護士実務の実際を知らないナンセンスな考えとしかいいようがない。

 例えば、国家に対する訴訟のように勝ち目は低いがどうしても依頼者がかわいそうでなんとかしたいと思って、訴訟を引き受けることの多い弁護士は、勝訴率は低くなるだろう。一方、もともと勝ち筋の事件しか引き受けない弁護士であれば訴訟の勝訴率は圧倒的に高くなるだろう。この場合、両者の優劣の比較はできない。むしろ、勝ち目の低い事件をいくつか勝訴まで持ち込んだ前者の方が、弁護士として優秀な場合もあるはずだ。しかしそのことは勝訴率を基準にした場合には、誰にも分かってもらえないだろう。このように、某教授の発想は、弱者のために頑張ってきた弁護士を自由競争により、排除してしまう危険すらある考えなのだ。

 さらに、新司法試験合格者の爆発的増加と法科大学院の機能不全により、基礎的知識の不足する司法修習生が見られるようになってきていると指摘されているが、その大部分が弁護士になる事実を自由競争を導入すべきとする論者は見落としている。

 つまり、仮に弁護士業務に自由競争が機能して、不適格弁護士が排除される事態が発生したとしても、排除される数を上回る勢いで、今まで以上に基礎的知識の不足の危険がある弁護士が大量に増産されてくるのだから、弁護士の淘汰はいつまでたっても終わりはしないのだ。

 更に加えるならば、こんな点も問題になる。

 先にも述べたように、弁護士資格を乱発して自由競争にまかせた場合、弁護士のレベルにばらつきが生じていても、大企業は弁護士を選択するのに困らない。資金も情報も調査能力もコネも持っているからだ。

 しかし、一般の国民の方々はどうだろうか。弁護士を選択するのに必要な、資金も情報も調査能力もコネもない。弁護士のレベルにばらつきがある場合には、不適格弁護士に依頼してしまう危険を、常にはらむことになる。

 結局、弁護士業務を自由競争化させるべきだという主張は、その裏に、「社会的強者は弁護士業務が自由競争にさらされても、良い弁護士を選べるので、全く被害を受けない。一般国民が不適格弁護士を選んでしまうリスクがあっても、それは資金も情報も調査能力もコネもないのが悪いのであって、弁護士を選ぶ時点から勝負ははじまっている。」という弱肉強食の思想が流れている、と考えることもできそうだ。

 そもそも、裁判の世界は、社会的な力関係に左右されることなく、法的に見て客観的に筋の通った主張をする方を勝たせる公平・公正な場であるはずだ。その裁判の場面で一緒に戦う弁護士を選ぶ時点で既に、社会的強者が有利な立場にあるとすれば、公平・公正な場であるはずの裁判の前提が崩れはしまいか。

 また、資本主義社会における自由競争は、言い換えれば、儲けたモン勝ちである。いくら誠実に業務をこなし、依頼者にとって素晴らしい弁護士でも儲けられない場合は退場しろということである。依頼者のために良い弁護をしようとすれば、時間がかかる。しかし、時間を掛けていれば仕事を沢山こなせないから儲からない。いきおい、良い弁護よりも儲かる弁護が横行する傾向が進むことは間違いないだろう。

 既に、最近の司法修習生にはビジネスロイヤー志向が強くなってきているという指摘が、司法研修所教官からなされている現状は、弁護士の大量増員と無関係ではないようにも思われる。

 (続く)

日弁連はもっと文句を言うべきだ(その2)

 次に弁護士業も自由競争した方が良いのかという点についてのべる。

まず、自由競争の前提として、弁護士業が自由競争になじむものなのかという点である。

 弁護士業務のもっとも典型的業務として訴訟があるが、訴訟は過払い金請求事件のような特殊な類型を除けば、何一つ同じ物がないといっても良い。相手方の主張・反論も千差万別であるし、再反論も相手の主張に対応する内容になっていくことも多い。つまり一つ一つの訴訟がオーダーメイドなのだ。しかも弁護士の訴訟追行には職人技的な面もある。

 確かに、同じ仕立て料を払い、全く同じ生地を使って、全く同じ注文で、紳士服を何軒かにオーダーメイドすれば、どこの店が優秀かどうかは分かるかも知れない。
 しかし、ある一つの事件を訴訟にする場合、同一の事件を全く別の弁護士に依頼して別の訴訟で争ってもらうわけにはいかない。全く同じ事件で、弁護士の比較をすることが、本質的にできないのだ(比較ができない問題)。この場合、結局、クライアントとしては、依頼した弁護士がきちんと仕事をしてくれることを期待するしかないのだ。

 次に、やっかいなことに、訴訟になどにおける弁護士が作成した書面の優劣について、クライアントは判断することが難しい面があげられる。この点、ラーメン店であれば簡単だ。美味いかどうかはすぐ分かるし、美味くないラーメン店には行かなければ良いだけだ。

 しかし、弁護士の作成した準備書面を見て、それだけで弁護士の仕事の優劣を判断できるクライアントがどれだけいるだろうか。前にも述べたが、関東の某大手事務所に勤務する弁護士を訴訟相手にしたことがあるが、法的に意味のある主張は僅かであり、その他は、事件とあまり関係のない判例を多数引用しただけの書面であった。しかし、書面自体は立派な某大手法律事務所の名前入りの紙に印刷され、あちこちに最高裁判例が引用されているので、おそらくクライアントとしては、非常に頼もしい書面を作ってもらったと誤解しているだろうと思われた(仕事内容の優劣がクライアントに分かりにくい問題)。

 したがって、通常の場合、弁護士に自由競争をさせたところで、クライアントとしては比較もできないし、仕事の内容の優劣も分からないという状況に陥ることになる。

(続く)

日弁連はもっと文句を言うべきだ(その1)

 今日の読売新聞大阪本社版朝刊では、司法修習生の就職難が報じられているらしい。既に弁護士数は、20年前の2倍にまで増加しているが、訴訟件数は大して変わっていない。また、あれほど弁護士の必要性をさけんでいたはずの経済界の弁護士採用が、ごく僅かである以上、弁護士が余っているのだから就職難は当然だ。

 弁護士の需要がない以上、これ以上の増員をする必要性は乏しいはずだ。

 このような主張をすると、必ずと言っていいほど、司法過疎をどうするのだ、自由競争させた方が良いはずだ、という反論が出てくる。

 まず、司法過疎についてであるが、この問題は本来国の責任というべき問題だと思われるが、本当に地域住民の司法過疎が看過できない状況にあるのであれば、地方自治体が弁護士誘致を図るべきだし、図るはずである。医師の偏在も大きな問題とされているが、医師がどうしても必要と考える自治体は医師の誘致を図ったりしているはずだ。どうして弁護士だけが、弁護士の責任で過疎を解消しろといわれなければならないのか、まず私には理解できない。

 地域住民が弁護士の過疎対策を要求した場合、これに弁護士会が応えなければならないのであれば、全く同じ理屈で、無医村の地域住民が医師会に過疎対策を要望した場合、医師会が全国の医師から集めた医師会の費用で医師を派遣しなければならないことになるはずだ。むしろ日々の病気が住民の生活に与える影響が、法律問題以上に深刻であることが多い現実を考えるならば、医師の偏在の方が明らかに問題が大きいはずであるし、したがって医師会の責任がもっと厳しく問われてもおかしくはあるまい。

 医師会の責任が問われないのは、お医者さんにも生活があるから、開業しても生活ができないところにお医者さんが来てくれなくても仕方がない、という当たり前の理屈が理解されているからだろう。日本医師会の事業計画にも、次のように書かれている。「地域医師会との緊密な連携の下、医療財源の確保を前提に、すべての国民への平等で良質なサービスの提供を目指して、地域における保健・医療・福祉を推進し・・・(後略)」(日医雑誌第138巻第2号別冊より抜粋された日本医師会事業計画より)。

 つまり、医療だって財源の確保が前提なのだ。医師だって職業だから生活ができることが大前提であり、これは弁護士だって全く同じである。

 それがこと弁護士になると、上記の当たり前の理屈が何故か忘れ去られてしまい、開業しても生活できるか否か関係なしに、司法過疎は弁護士会の責任だと叫ばれるのは、どう考えてもおかしい。

 更にいえば、ここ10年間、日弁連は会員から過疎対策の費用を集めて、過疎対策を行ってきた。2000年1月から弁護士一人あたり年間12000円、2005年からは弁護士一人あたり年間18000円、2007年からは弁護士一人あたり年間16800円を過疎対策として負担し、過疎偏在地域にひまわり基金法律事務所を設置し、弁護士の定着支援などを行ってきた。ここ3年を考えただけでもおおよそ11.8億円弱を全国の弁護士が負担して過疎対策に充ててきた。文句を言うなら、弁護士会が個々の弁護士に負担させてきた過疎対策費用を代わりに負担してから言ってもらいたいくらいだ。

 ちなみに、大阪弁護士会司法改革推進本部の調査によると、フランスにおいても、弁護士の過疎偏在は解消されていないとの指摘がなされている。司法改革推進本部はフランス並みの弁護士数が必要といっているようだが、そのフランスでも司法過疎が解消されていないということは、結局、弁護士数と司法過疎は関係がないことを裏付ける。つまり、弁護士増員では司法過疎は解決できないことは実は既に明らかになっているといってもいいくらいなのである。

 だから私は、日弁連が司法過疎問題で仮に叩かれた場合は、「司法過疎対策のひとつとして法曹人口増大に反対していませんので、そこのところをお酌み取り下さい」、という弱腰な態度ではなく、もっと怒って欲しいと思っている。

 誰が今まで司法過疎の対策をしてきたのか、その費用はいくらであり、誰が負担してきたのか。日弁連が個々の弁護士から集めた費用で行う対策で不満があるのなら、それ以上の負担を誰に納得させて負担させるのか、司法過疎を非難する相手が負担してくれるのか等、厳しく反論して欲しいと思っている。

(続く)

司法改革推進本部に出てみました

 法曹人口問題について、PTを作って欲しいと常議員会で大阪弁護士会畑会長に要望したところ、司法改革推進本部の法曹人口部会で同じことをやっているので、そちらに特別委職で入れて頂けるよう配慮して下さることになりました。

 その後、畑会長など執行部の方のご尽力で、司法制度改革推進本部、法曹人口部会に入れて頂いたので、ようやく今日、司法改革推進本部の会合に出てみました。

 出席して最初に感じたのは、若い方が少ない(と言うより殆どいない)なぁという感想でした。まあ、若手は現在生活基盤すら安定していないので、委員会活動に時間を掛ける余裕が全くない方も多いからやむを得ない面もあります。しかし、弁護士会の将来について重大な影響を及ぼす司法改革推進本部に若手の姿が見あたらないのは、かなり問題が大きいようにも思いました。

 こういうところで遠慮しないのが私の長所兼短所ですので、気付いたことをいくつか発言させて頂きました。法曹一元なんて現実には無理じゃないかということまで言ってしまったので、ひょっとしたら気分を害された先生もいらしたかもしれません。

 私が感じたのは、司法改革推進本部の方達は、本当に司法制度の改革について一生懸命考えている方が多いのだということですが、同時に、一生懸命すぎるあまり理想に走りすぎ、周囲が見えない裸の王様状態になってしまっていないかという危惧を抱きました。

 法曹人口部会でも、昨年の大阪弁護士会決議、日弁連緊急提言などから考えるそうですが、日々状況は変わっています。新人弁護士の就職難は、極めて深刻であり、新62期は4月段階で就職が内定している者は、約3割程度という情報も出ていました。日弁連平山元会長がほんの1年半余り前、2010年まで就職は大丈夫と大見得を切っていたのに、このていたらくです。

 常議員会に加えて、司法改革推進本部・法曹人口部会と時間を取られるのは大変ですが、できるだけ出席して、素直におかしいと思うことを、間違っていても恥ずかしがらずに述べていこうと思っています。

日本司法書士政治連盟のこと

 週間法律新聞のサンプル(2009年6月5日号)が送られてきた。何の気なしに見ていると、司法書士界版というページがあった。

 その下の欄に、資料として日司政連(日本司法書士政治連盟)の今年度の運動・活動方針の一部が記載されていた。

 その中に、こういう記載がある。

 「司法書士の専門性といえば、不動産登記・商業登記ならびに家事関係の相談及び会社法務の相談などである。更にいえば、個人間の金銭トラブルや多重債務・消費者問題そして成年後見業務も司法書士の専門とするところである。」

 不動産登記・商業登記は、確かに司法書士の専門とするところだろう。

 ただ、家事関係・会社法務の相談まで司法書士の専門である、との主張は違うだろう。

 個人間の金銭トラブル・多重債務・消費者問題は簡裁代理権の範囲(簡単に言えば140万円の範囲内)であれば簡裁代理権認定を受けた一部の司法書士も扱うことができるが、それを超えればいかなる司法書士も代理人として扱うことはできない。

 司法書士法を見れば、司法書士の行える業務が第3条に列挙されている。

 第3条1項1号~3号は登記関係書類の作成権・登記手続などの代理権の規定であり、同項4号は裁判所などに提出する書類の作成権、同項第5号は、第1~4号の事務について相談に応じることが業務とされている。

 第3条1項6号は、簡裁代理権認定を受けた司法書士が簡裁代理権の範囲内(簡単に言えば140万円の範囲内)で、依頼者を代理して行動できることを規定しているだけである。

 つまり、仮に、家事事件の代表選手である離婚があったとして、簡裁代理権を持たない司法書士はもめ事がある場合にどちらか一方の代理として交渉をまとめることはできない。そもそも代理権がないからだ。司法書士に離婚調停の申立書を作ってもらうことはできるが、簡裁代理権を持つ司法書士でも大切な調停の場には同席してもらえない。法律上、代理権がないからである。もちろん離婚訴訟になっても、弁護士なら代わりに法廷に行ってくれるが司法書士ではそうはいかない。素人が自ら法廷に立たなければならないのだ。

 協議離婚の際に夫と慰謝料の額でもめ、夫と直接話したくないからということで司法書士に代わりに入ってもらい、140万円を超える慰謝料を受け取る協議離婚書を作成してもらったとしても、その協議離婚書は後で無効にされる危険がある。

 簡裁代理権がない司法書士であれば、代わりに入った時点で弁護士法違反で公序良俗違反、簡裁代理権を持つ司法書士でも140万円を超える代理権がないのでやはり弁護士法違反で、公序良俗違反となるからである。

 それにも関わらず、家事相談の専門家であるとはいかなる意味であろうか。専門家とはきちんとその事件を扱うことができ、いかなる事態が生じても最後まで責任を持って事務を処理できるから専門家なのではないか。

 日司政連の主張をものすごく善解すれば、司法書士はあくまで家事相談の専門家であり、法的な処理は専門家ではございません、ということなのかもしれないが、相談途中で裁判をせざるを得なくなった場合に「私は相談の専門家ではあるが、裁判の専門家ではないのでこれで終わります。相談料は~~万円です」と言われて納得する依頼者はいるのだろうか。

 このように、法律上相当制限されている家事事件で、司法書士が何故専門家であると豪語できるのか、私には理解できない。会社法務・多重債務者問題なども同じような問題の発生が考えられる。

 司法書士が法律家を名乗るなら、その前提として、司法書士法という法律を守るべきであろう。そして国民に誤解を与えるような行動はすべきではないはずである。

 どうしても、家事事件など全ての法律関係問題を扱いたいのであれば、、弁護士資格を取ればいいのである。司法書士が弁護士資格取得を禁止されているというのであればいざ知らず、そのような事実はないし、これまでより合格率にして10倍以上合格しやすい新司法試験があるのだから、法律の専門家として堂々とその試験に合格すればいいだけの話である。

 本当に法律専門家としての知識があれば当然合格するはずだろうし、その方がよほど国民のためになるはずである。

 政治家に法律を変えてもらうようおねだりするよりも、よほどすっきりすると思うのだが・・・・・・。

畑会長からのご回答

 昨日のブログに記載していた要望書について、本日、5月11日付の大阪弁護士会畑会長からご回答が届きました。

 一会員からの要望に対し、ご検討の上、お忙しい中、ご回答頂いたことについては、本当に感謝しております。

 ご回答頂いた内容は、常議員会で畑会長にお答え頂いた内容とほぼ同じであり、「同一問題について既に検討している委員会があるので、職員の負担、会費の問題、会務の整合性等の観点から、新たな委員会等の設置は適当とは解されない。」というものでした。

 それならどうして、前会長はPTを設置したのだろうか、1年で法曹人口問題がケリがついたのだろうか、という疑問は出ますが、会長のご見解なのでやむを得ません。

 また、法曹人口に関する委員会に参加する希望があれば、特別依嘱の可否をお考え下さるとのことのお答えも頂きました。常議員会以上に時間を取られるのは正直辛いのですが、是非希望してみようと考えております。

 前会長の際にも感じましたが、大阪弁護士会執行部は、おそらくいろんなしがらみはあるとは思われるものの、どんな若輩の意見であっても、会員の意見には真摯に耳を傾けてくださる部分はまだ残っているように思います(それが具体的施策に結びつくかは別として)。ただ、このような大きな団体の舵取りをする忙しさのためか、執行部のかたには、わざわざ会員(特に若手)の意見をすくい上げに来てくれる余裕まではないのかもしれません。

 理想的には、以前の選挙の際に阪井先生が仰っていたように、企画調査室を拡充して若手を組み込むなど、若手の意見を反映する機構を弁護士会内に作って頂くことでしょうが、残念ながらその気配はありません。

 現状では、怖がらずに、どんどん声を上げ続けていくことが必要なのではないでしょうか。

 執行部に意見したいけど一人では気がひけるという方は、そのご意見に私が賛同できるのであれば、一緒に意見させて頂いても構いません。また、ある程度の人数の方々のご意見であれば常議員会に提出して審議して頂くこともできるかもしれません。

 多分黙っていても、何も変わらないし、変えられないと思います。

要望はしたけれど・・・・・

 去る、4月22日、私は、大阪弁護士会畑会長宛に、要望書と題する書面を送らせて頂きました。普通郵便でお送りしたので、届いているかどうかの確認のしようがないのですが、その内容は以下のとおりです。

                             要 望 書

大阪弁護士会会長 畑守人 殿

                                                   平成21年4月22日

                                          大阪弁護士会会員 坂 野 真 一

 冠省、畑会長におかれましてはますますご清栄のこととお慶び申し上げます。

 当職は、大阪弁護士会に所属する若手会員の一人です。司法改革仕上げの年であるともいわれる昨今ですが、司法改革という名の下に弁護士人口だけが激増され、その歪みがほぼ全て弁護士(特に若手)に押しつけられているように感じております。ノキ弁・宅弁・即独・携帯弁護士、OJTの困難など、ほぼ数年前までは全く問題が生じていなかった様々な問題が、若手中心に生じていることは、畑会長もご存じのところと思います。

 先だって、第1回常議員会で、畑会長は、法曹人口5万人の目標を変更する理由はないとお考えである旨発言回答されました。しかし、法曹人口5万人を必要とする国民的な需要はあるのでしょうか。もし、本当に国民的な需要があるのであれば、新人弁護士の就職難など生じるはずがありません。地裁受理事件は微増に過ぎず、また、その約半分以上が過払い事件であるという情報もあります。その情報が事実であれば、過払い事件が一過性のものであることから、司法に対する国民的需要はむしろ減っているというべきだと思います。本当に司法に対する国民的需要が増加しているのであれば、1990年頃に比較して現在では、弁護士が倍増しているのですから、地裁受理事件が激増していてしかるべきだからです。

 私の目から見れば、明らかに、法曹に対する需要は司法改革を始めた頃に想定された需要を大幅に下回ったままであるとしか思えません。
 この状況下で、法曹人口5万人(その多くが弁護士だと思われますので)を目指すということは、法曹に対する国民の需要が減少傾向である中で、現在約27000名の弁護士をほぼ倍増するものであると言っても過言ではないと思います。

 平成20年12月11日には、自由民主党「法曹の質について考える会」が法務大臣宛に、現状を憂慮し、司法試験合格者1000名程度とすべきなどの提言を、意見書として提出しております。
 さらに、平成21年4月17日には、高村正彦元法務大臣を会長とする「法曹養成と法曹人口を考える国会議員の会」が、法科大学院を基本とする法曹養成制度の問題点とこれまでの法曹需要増加の論拠が杜撰であったことなどから、現実を直視し、国民の利益のために変えるべきところは勇気を持って変えるべきであるとし、①予備試験の簡素化・簡易化、②司法試験合格者の目安の撤廃、③養成課程の少数化・厳格化、④司法試験の受験資格制限について、⑤法曹人口のあり方について、等の緊急提言を行っております。

 本来上記の問題点は、当事者である弁護士が最もよく知りうるところであり、日弁連、各弁護士会が提言していくべき内容であります。
 ところが、大阪弁護士会では、昨年度上野前会長が設置された法曹人口問題PTも消滅し、国会議員ですら理解できる問題点を無視したまま、法曹人口問題についてこれまでの日弁連執行部路線を墨守し続ける委員会しか残されていないように見受けられます(平成21年3月10日臨時総会議案書添付資料参照)。また、司法試験予備試験に関するパブリックコメントに対して、意見を提出すべきであるとしたのは法曹人口問題PTだけでした。本来、司法試験合格者の最も多くが弁護士になるのですから、予備試験に対するパブリックコメントを各弁護士会が行うことは当然だと考えられますが、他の委員会(司法改革委員会、法曹養成・法科大学院協力センター、司法改革推進本部、就職支援委員会など)からは、何らかのパブコメを出すべきだとする意見は出ていなかったように思われます。

 以上のように、法曹人口問題に対応して行くには、現存する委員会等だけでは不十分であることは明白だと当職には思われます。
 よって、直ちに、法曹人口問題について検討する委員会ないしプロジェクトチームを立ち上げて頂いて、迅速且つ適格に情勢の変化に適応する体制をとって頂きたいと考える次第です。その際には、法曹人口問題に最も利害関係の深い若手を中心に委員を選定して頂くことが望ましいと思われますので、念のため申し添えさせて頂きます。
 

 畑会長におかれましては、日弁連副会長も兼務され非常に多忙であることは十分分かった上で敢えて、事態の緊急性に鑑み、要望させて頂く次第です。

 是非ともご検討頂き、ご回答頂けますよう、よろしくお願い申しあげます。

                                                           草々
 

 その後、特にお返事も頂けないまま昨日の第3回常議員会が開かれました。そこでは昨年度の決算書類に関する常議員会の承認と、本年度予算案の臨時総会提出についての決議が図られました。

 平成20年度上野執行部の報告書の中に、平成21年度に大阪弁護士会が取り組むべきと考えられる各種問題を列挙された部分がありましたが、その中で最初に挙げられていたのが法曹人口問題への取り組みです。

 平成21年度の畑会長の「平成21年度の事業計画と予算編成について」という書面にも、法曹人口に触れた部分がありました。

 現状は、ようやく増員一辺倒であった政府自民党内部にも異論が出始め、マスコミの論調もようやく法科大学院制度の問題点を指摘し始めるなど、法曹人口問題がやっと動き始めた状況にあると思います。

 そこで、この問題につき最も現場に近い弁護士の意見を反映すべく、法曹人口問題に関するプロジェクトチームないし委員会を、再度予算を投じて(といっても昨年度の法曹人口問題PTが使ったお金は475,735円)設置して頂くお考えはないか、質問させて頂きました。

 執行部の回答は、既に法曹人口問題に関して検討できる委員会ないしPTがいくつもあるので、敢えてそれ以上、設ける必要はないとの考えであるとのことでした。

 それに対し、(緊張して明確に言えたかどうか分からないのですが)3月の臨時総会議案の参考資料を見れば分かるとおり、今残っている委員会は日弁連万歳の意見しか出せない、予備試験に関するパブコメにも意見を出していない、若手のことを本当に考えていないのではないかという趣旨の意見を申しあげたところ、執行部から、「確かに委員の固定化はあるかもしれない。希望されるのであれば、会長委嘱という形でもいいので、委員会に入って頂いて、そこでご意見を言って頂いても良い」旨の回答を頂きました。

 平成20年度の会長選挙では、3候補全てが法曹人口問題は大問題であると指摘され、選挙の大きな争点となっていたはずです。平成21年度は会長選挙は無投票でケリがつきましたが、法曹人口問題は全く解決されずむしろ放置されたまま悪化の一途をたどっているように思います。

 本当にこれで良いのでしょうか?

ちょっと期待はずれ?「明日の司法を語る会」

 先日、「明日の司法を語る会」というシンポジウムに出てきました。大阪弁護士会でまかれたビラも40期以降の若手の方へというものであり、執行部に若手の意見を反映させる目的もあるように書かれていたので、参加してみたのです。

 会の代表者(世話役?)は、明賀英樹先生でした。この時点で、私としては??という気がしました。明賀先生ご自身は40期以前の方ですし、私達が平林正剛前日弁連会長に質問状を送ったときに、木で鼻をくくったようなお返事を頂いたのは当時日弁連事務総長であった明賀先生からだったからです。

 若手のパネリストの方が順番にお話しされ、それについて会場の意見を募るという会でした。結構な若手の人数がいるようで、私としても、これだけ若手がいれば、議論が白熱するのではないかと、内心期待したものでした。

 残念ながら、司会の先生が会場の若手に意見を求められても、積極的に意見を述べようとする若手の方は殆どおられません。「執行部にもの申す」つもりで集まったはずの若手達だと思っていたのですが、どうもそうではなかったのかもしれません。この点で、ちょっと期待はずれであったことは否めません。

 あまりに議論が出ないので、仕方なく私も何度か執行部への苦言を申し述べさせて頂きました。

 途中で、大阪弁護士会畑会長も、入ってこられ、議論を聞いておられました。会長という忙しい職にありながら、若手の意見を聞こうという会に出てこられた、そのフットワークの軽さに驚きました。

 その後、日弁連執行部関係からもお客さんが来られていたようで、その方々が、「大阪ではこんなに上に向かって忌憚のない意見を言うのだ、ということに感心しました」という趣旨の言葉を述べていたことが印象的でした。

 私に言わせれば、「上に向かって」という意識自体がもう既に時代遅れだと思っています。そういう姿勢で、「若手に意見があれば聞いてやってもいい」という考えなら、執行部にいる価値はないと思います。若手の意見を聞きたいのであれば、「出てくれば聞いてやる」という姿勢ではなく、若手の間に入っていってその意見を直に聞くべきでしょう。そもそも執行部は弁護士の全体ために働きたい人たちが、集まっているはずです。その方々が、自分たちが上にいるのだという意識で若手の意見を聞こうとしても、その時点で若手としては、しらけてしまいます。

 仮に、今回沢山集まっていながら全く意見を述べようとしなかった方々が、人数集めの動員をかけられていたのであれば、そういうやり方自体が既におかしいことを知るべきです。執行部に危機感を持ってもらうのであれば、むしろ動員などせずに、あなた達の考え・やり方で若手の意見を聞こうとしましたが、全く集まりませんでした。これは、あなた達が見捨てられているということですよ、と知らしめた方が良かったのかもしれません。 

 ただ、救いとしては畑会長が、こういう若手の意見を聞く会は、勉強になる、今後もやれればいい、という趣旨の発言をされていたことです。

 リップサービスではなく、本当にそうお思いなのであれば、若手の意見を聞くプロジェクトチームでも作って頂けないでしょうか?