日弁連はもっと文句を言うべきだ(その2)

 次に弁護士業も自由競争した方が良いのかという点についてのべる。

まず、自由競争の前提として、弁護士業が自由競争になじむものなのかという点である。

 弁護士業務のもっとも典型的業務として訴訟があるが、訴訟は過払い金請求事件のような特殊な類型を除けば、何一つ同じ物がないといっても良い。相手方の主張・反論も千差万別であるし、再反論も相手の主張に対応する内容になっていくことも多い。つまり一つ一つの訴訟がオーダーメイドなのだ。しかも弁護士の訴訟追行には職人技的な面もある。

 確かに、同じ仕立て料を払い、全く同じ生地を使って、全く同じ注文で、紳士服を何軒かにオーダーメイドすれば、どこの店が優秀かどうかは分かるかも知れない。
 しかし、ある一つの事件を訴訟にする場合、同一の事件を全く別の弁護士に依頼して別の訴訟で争ってもらうわけにはいかない。全く同じ事件で、弁護士の比較をすることが、本質的にできないのだ(比較ができない問題)。この場合、結局、クライアントとしては、依頼した弁護士がきちんと仕事をしてくれることを期待するしかないのだ。

 次に、やっかいなことに、訴訟になどにおける弁護士が作成した書面の優劣について、クライアントは判断することが難しい面があげられる。この点、ラーメン店であれば簡単だ。美味いかどうかはすぐ分かるし、美味くないラーメン店には行かなければ良いだけだ。

 しかし、弁護士の作成した準備書面を見て、それだけで弁護士の仕事の優劣を判断できるクライアントがどれだけいるだろうか。前にも述べたが、関東の某大手事務所に勤務する弁護士を訴訟相手にしたことがあるが、法的に意味のある主張は僅かであり、その他は、事件とあまり関係のない判例を多数引用しただけの書面であった。しかし、書面自体は立派な某大手法律事務所の名前入りの紙に印刷され、あちこちに最高裁判例が引用されているので、おそらくクライアントとしては、非常に頼もしい書面を作ってもらったと誤解しているだろうと思われた(仕事内容の優劣がクライアントに分かりにくい問題)。

 したがって、通常の場合、弁護士に自由競争をさせたところで、クライアントとしては比較もできないし、仕事の内容の優劣も分からないという状況に陥ることになる。

(続く)

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