司法過疎と「全国の弁護士需要」連載終了

日弁連が会員(つまり弁護士)向けに発行している「自由と正義」という月刊誌がある。

 その自由と正義に2009年1月から「全国の弁護士需要~地方での開業を考えてみませんか・あなたを必要としている地域があります」という記事が、連載されていた。狙いは、地方に弁護士需要があることを若手弁護士に伝えることが主であったようだ。

 その連載が、今月号(2010年9月号)で終了する。これまで42の弁護士会からの記事が掲載されてきた。私も時々見ていたが、最近は、「大きな需要は見込めない」、「会員の急増で、若手会員は先行きへの漠然とした不安を抱いている」などの記事があり、弁護士不足なのでどんどんうちの弁護士会に来て欲しいと両手をあげて弁護士を求めている弁護士会は、ほぼ見当たらなかったように思う。

 連載終了にあたって、日弁連公設事務所・法律相談センター委員の岩田研二郎弁護士(私も若干面識があるが、非常に温厚な先生という印象がある)が書いておられるが、「特に、ここ2,3年で地方弁護士会における若手会員が急増している状況の下で、どこでも本庁における弁護士需要は充足感があり、必ずしも『地方に来ればなんとかなりますよ』と手放しで言えない状況」になっているのだそうだ。

 「あなたを必要としている地域があります・地方での開業を考えてみませんか」と副題をつけたこともあり、執筆をお願いしても、執筆を見合わせる弁護士会もあったそうだ。

 地方にさえ行けば、緑の地平が広がっているという時代はもう過ぎたと言わざるを得ない。

 逆に言えば、司法過疎もかなり解消されているはずだ。ここ10年で弁護士の数はほぼ2倍になったのだし、地方でも法律相談の予約枠が埋まらないなど、法律相談のために弁護士を配置しても相談者が来ないこともあるそうだ。

 マスコミが何十年も言い続けている司法過疎は、昔はともかく、今では、ひょっとしたら実態のない「お化け」なのかもしれないね。

朝日新聞の社説に批判

 今日(2010.9.12)の朝日新聞に、「司法試験~改革の原点をふまえた論議を」と書かれた社説が掲載されていたのを、お昼を食べに行ったお店で読んだ。

 「3000人を墨守する必要はない」ということなので、以前の社説に比べれば随分トーンダウンしてきたようにも思われる。

 確か私の記憶では、僅か2年半ほど前の社説(2008.2.17)では、随分違うトーンで社説を書いていたはずだ。そのときの題名を、社説氏は覚えておられるだろうか。

題して、

「弁護士増員~抵抗するのは身勝手だ」

かなり偏った社説だったので私もブログで若干反論させて頂いているはずだ。現実はどうなってきたか、もう一度社説氏には現状を見据えてもらいたい。

 新司法試験合格者について、政府目標があったとしてもそれを実現できていないというのは、どれだけ司法試験委員会が受験生を合格させようとしても、そのレベルに達した人間がいなかったということだ。近年の新司法試験採点雑感を見ても、こんな実力で実務家になってしまうのはいかがなものか、という趣旨の批判がなされている。

 つまり、法科大学院には、(随分甘く見てもだが)せいぜい年間2000名程度しか、実務家としての最低限の基礎を有する卒業生を送り出す能力がない、ということに他ならない。

 その点を社説が批判すれば、まあそうかなと思うのだが、社説氏はそこには明確に触れず、軌道修正が必要とごまかし、法曹人口が多すぎるという主張の批判に話をすり替えていく。

『だが、弁護士の飽和状態を憂う声が上がる一方で、「弁護士が見えない」と嘆く市民は少なくない。このギャップの原因を解き明かす必要がある。』と社説氏は述べる。

 まず、「弁護士が見えない」と嘆く市民は少なくない、と社説氏は断言する以上、そのような市民の方を、現実に多数知っているのだろう。

 じゃあその市民の方に、弁護士会の電話番号を教えてあげてくれれば良いではないか。そうでなくても、こんな市民の方が弁護士に依頼したいと思っていますよと、その市民の方々の同意をもらって、連絡先を弁護士会に通知してくれればいい(市民の方としても弁護士に依頼したいんだろうからきっと同意するはずだ)。

 ギャップの原因なんか解き明かさなくても、それだけで、社説氏の言う市民の方々には、すぐに弁護士が見えるようになるはずだ。それくらいやってもいいだろう。ファックスひとつで済むかもしれない問題だ。

 しかし、これまで散々弁護士について論じながら、朝日新聞(その他のマスコミも)どうしてそれをやらないんだ。まさか、市民の声とかいいながら、勝手に自分の(事実に基づかない)認識を、「市民の声」にすり替えて社説に書いているわけではないはずだろう。

 更に言えば、朝日新聞は、そのギャップを憂いているんだから、何とかしたいと思っているんだから、毎日無料で弁護士会の連絡先、弁護士の出来る仕事などを全国版に一面で広告してくれたっていいんじゃないのか。あっという間に、市民の方々に弁護士へのアクセスルートが明確になるだろう。

 次に、社説氏は、法テラス勤務弁護士の次のような言葉を引用する。どうもこのような弁護士になれと言いたいらしい。

 『その一人が語った「私たちは、そこそこ小金を持ち、知恵がある人を市民と言ってきただけで、本当に法的ニーズがある人々を見ていなかったのではないか」という言葉は重く響く。』

 これをパロディにさせてもらうとこうなるかもしれない。「私たち(新聞社)は、新聞を購入する余裕があり、テレビ欄以外も目を通す人を読者と言ってきただけで、(新聞を購読する余裕が全くなくても)本当に新聞を読みたい人々、テレビ欄だけでも読みたい人、無料(若しくは一部10円で)で新聞を読みたい人を見ていなかったのではないか。」

 私は、このブログで繰り返し言ってきたが、「弁護士も職業である以上、生活を維持する手段でもあるのだから、原則としてペイする仕事が中心にならざるを得ないし、それを非難されるいわれはない。しかしそれは経済的に弁護士に依頼出来ない人を切り捨てろと言っているのではなく、そのような人々も弁護士に依頼できるよう、国民の理解の下で財政的措置を講じるべきである、」ということなのだ。

 誤解を恐れずに言えば、法テラス勤務弁護士は、仕事がどんなにペイしなくても、(決して高給ではないと聞いている)給料をもらって生活が安定しているから、理想に近いことが実践しやすいし、言いやすいのだ。

 もちろんこれまでの弁護士も、何とか生活が安定していた間は、弁護士会費の納入を通じて、また自ら手弁当で、そのような仕事を出来る限り行ってきた人が多くいる。法律扶助の拡充も求めてきた。

 しかし、弁護士人口の増大は実現したが、司法予算の飛躍的増大も、法律扶助制度の飛躍的拡充も出来ていないのだ。そればかりか、弁護士人口の急増により、弁護士自体も生活のために競争を余儀なくされる事態を招きつつある。

 自由競争は、いい仕事をするものが必ずしも生き残るとは限らない。結果的に儲けることが出来たものが生き残るものだ。このような自由競争を弁護士業に持ち込むことは、弁護士にとってはいかに競争に勝つかと言うことだが、結局どれだけ手間を掛けずに利益を上げられるかに帰着する。いきおい、業務のビジネス化はさけられない。そうなると、社説氏の引用する法テラス弁護士のような、弁護士像とかけ離れていくことはやむを得ない。

 つまり、朝日新聞は、これまでの社説のように一方では、自由競争で「儲けた者勝ち」の弁護士業界にしろと言いつつ、もう一方で、(生活が安定していなければ到底出来ない)ペイしない仕事をやれと弁護士に無理難題を言っているのだ。

 社説氏は更に続ける。『活動領域を法律事務所や法廷の外に広げ、市民や企業・団体の中に飛び込んでこそ見えてくる需要がまだあるはずだ。気になるのは、経済界や労働界、消費者団体など司法制度改革を唱えてきた人々の声が最近あまり聞こえてこないことだ。』

 これは、ニーズがないことの裏返しではないのだろうか。

 経済界・労働界、消費者団体など、結局弁護士をほとんど採用していないはずだ。一時の熱病のように弁護士不足を叫んでみたものの、実際弁護士が増えてみれば、よく考えてみたら弁護士がいなくても法務部があるよね、といったところだったのだろう。

 それに、朝日新聞だって弁護士不足をあれだけ叫んでいたのだから、経済界・労働界・消費者団体のせいにするのは狡いだろう。あれだけ弁護士不足を喧伝し、この社説で弁護士は企業に飛び込めと高らかにいう朝日新聞が、いったい、どれだけの社内弁護士を雇用しているのだろうか。

 日本企業内弁護士協会の資料によると、2009年後期の資料で、企業内弁護士の数は412名、そのトップ20位に朝日新聞は載っていないから、おそらく3人以下の弁護士しか採用していないのだろう。当然ニーズがあれば採用しているだろうから、朝日新聞の姿勢自体、企業に(少なくとも朝日新聞に)弁護士のニーズがないことの裏返しではないか。それでいながら企業に飛び込めとはどういうことだ。

 ちなみに、2001年の企業内弁護士数は64名だそうだ。2001年から2009年後期まで、弁護士数は1万人程度増えている。弁護士を1万人増やして企業の採用数増加は350名弱なんだから、当初の企業のニーズ予想は大外れも良いところだというべきだろう。どこのパン屋が350名のために1万人分のパンを焼く必要があるのだ。

 その大ハズレのニーズ予測に基づいたのが、司法制度改革だったのだ。

 だから、今回の司法制度改革の原点に戻っても、間違った予測に基づいた改革なので意味がないように思う。

 若干眠いため、散漫な文章になっていると思います。

 申し訳ありません。

今朝見かけたダックスフント

 今日は、大阪桐蔭中学・高校での出張授業があり、京都の自宅から直接学校の方へ向かった。

 朝早めに出たため、お腹がすいており、時間調整と朝食を兼ねて、桐蔭中学・高校の近くのコンビニエンスストアに車を止め、朝食を買おうとした。

 すると、コンビニエンスストアの入り口のマットのあたりに、首輪はしているがリードをつけていないダックスフントが座っている。

 えらいな、飼い主待ってんのか。でももう少し横に寄って欲しいぞ。それに、リードをつけておくのがマナーのはずだ。ダメな飼い主だな。

 と思いつつ、コンビニエンスストアに入った。そして朝食を買い、自動車に戻って私は食べ始めた。

 ダックスフントは、まだ、コンビニエンスストアの入り口に座っている。

 私がジロジロ見ている視線に気付いたせいか、ダックスは、私の車の方に近寄ってきて、また入り口に戻っていく。

 ??・・・・おかしな動きをする犬だな。

 普通ご主人を待つ犬はみだりに、位置を変えないものだ。よくよく考えてみると、犬を見始めてから結構時間が経っている。私がコンビニに入った時を思い出すと、私以外にお客はいなかったようにも思う。

 もう少し見ていると、新しいお客がコンビニエンスストアに入ろうと入り口に近寄ると、犬は必ずその人間に近寄っていく。そして近くまで寄ってすぐに小走りに離れる。

 そのような犬の行動が数回繰り返され、ようやく私は理解が出来た。

 この犬は、置いてきぼりを食ったんだ。

 ご主人がコンビニに入る姿は見ていたのだろう。しかし、その後、何かの事情で置いていかれてしまったのだ。

 ご主人を捜しているのだ。

 朝食を食べ始めてから、15分くらい経っただろうか。

 犬はまだ、ご主人を待っている。

 私には、約束の時間が迫っている。出張授業は大阪弁護士会の事業の一つだ。遅れるわけにはいかない。しかし、せめて飼い主に連絡できないか。

 ひょっとして首輪に連絡先があるかもしれない。

 そう思って、私はダックスフントに近寄る。姿勢を低くして近寄ると、ダックスフントは小走りに近寄ってきた。一瞬ご主人かと思って期待して近寄ってきたのだ。

 しかし、私が、手がかりがあるかもしれないと思った首輪にわずかにさわることができた瞬間、犬は身をかわし、私から小走りで離れていった。犬の気持ちは分かるつもりだ。一瞬だけでもご主人かと思って他人に近寄ってしまった自分を許せないのだろう。

 私は、もう一度犬に近寄ろうとしたが、今度は犬が寄ってこない。ご主人以外の人間には気を許さないのだ。

 申し訳ないが、私には、もう時間は残されていなかった。

 あの子は、あのあと、どうしただろうか。

 ご主人が早めに気付いて迎えに来てくれたのなら良いのだけれど・・・・・。

新司法試験合格者数の予想

明日の午後4時に、今年の新司法試験の合格者が発表される。

 昨年度は、司法制度改革審議会意見書の目安を下回った人数しか合格させなかった司法試験委員会だが、今年はどうだろうか。

 合格者を昨年の約2000名より増やす方向で考えられる要素としては、昨年の合格者数に対するマスコミや法科大学院からのバッシングだ。

 特にマスコミは、これまでの長年据え置かれてきた合格者500名程度から、現状が2000名まで増加している事実や司法制度改革で実現されるべき施策が殆ど実現されていない(皮肉なことに司法制度改革で提唱された施策のうち、最も実現されているといっても過言ではないのが弁護士の増員なのである)ことなども無視して、わずか20名程度の合格者減を大げさに騒ぎ立て、司法改革の後退と言わんばかりの論陣を張ったように記憶している。そして法科大学院の定員削減の動きも間接的には、法科大学院の努力とみなされる可能性もあるだろう。まだ新司法試験合格者数の目安を定めた閣議決定が改められていないこともこの要素といえるだろう。日弁連の緊急提言が今年はなされていないことも、物凄く遠い理由になるかもしれない。

 合格者を昨年度よりも減らす方向で考えられる要素としては、新司法試験採点者の採点雑感が年を追うごとに受験者の成績が悪化傾向にある旨を警告し続けていること、最高裁も国会の法務委員会で成績下位合格者の実態について改善が見られていない旨述べていること、などから、合格水準に達する受験生が昨年ほどの人数は存在しない可能性が見込まれることなどである。合格者数の目標について再度念を押す閣議決定が今年はなされていないように見えること、なども遠い理由になるかもしれない。

 昨年、予想を外した経験を踏まえた上での私の予想は、司法試験委員会が圧力に屈しないのであれば、合格者数は昨年並みか、若干減少というあたりではないかというものだ。

 いずれにせよ、マスコミの方々にお願いしたいのは、思い込みで記事を書かれるのではなく、きちんと取材し、裏付けをもって記事を書いて頂きたいということだ。合格者が減った場合には、その理由を司法試験委員会に必ず取材して欲しい。私がお会いした現場の記者の方々の多くはそのような姿勢で書いておられるのだが、なぜか社説・コラムを書かれる方は、そうでない傾向にあるように思う。

 僭越ながら、マスコミの記事まで予想すると、昨年より合格者減の場合=司法改革の後退だ許せない、昨年より合格者増の場合=法科大学院の成果(大幅増)or司法改革が後退しかねない(小幅増)、というものだ。

果たしてどうなるだろうか。

日経新聞コラム「大機小機」

 2010年9月4日付、日経新聞朝刊の「大機小機」に、「司法試験合格者数と職域問題」との題名でコラムが掲載されている。

 まあいつも通り、弁護士の活動領域は多くあるのだから、もっと努力しろ、弁護士側から合格者削減をいうな、という論調である。

 このコラムを書かれた「腹鼓」氏は、こう述べる。

 「企業や行政の内部で弁護士が活躍できる余地はいくらでもある。」

 果たして、腹鼓氏は本当に、企業・行政内部にその余地がいくらでもあることを、実際に調べた上で書いているのだろうか。

 もし本当に企業や行政内部に弁護士の活躍余地がいくらでもあり、企業や行政が弁護士雇用を望んでいるのなら、どうして、もうすぐ弁護士になる(可能性が極めて高い)修習生を争って雇用しないのか。まだまだ、修習生の就職は困難を極めている。

 現状では、いくらでも新人弁護士を雇用可能なのだ。

 実際に、関東のいくつかの弁護士会では中小企業等に弁護士雇用の可能性をリサーチしたが、そのような余裕はないという中小企業がほとんどだそうだ。大阪でも、社員にボーナスを出せない中小企業が半数近くになるといわれているのに、どこにニーズがあるのだろうか。

 日弁連のシンポジウムでも某地方自治体の方が、弁護士を雇用する見込みはないといっているのだが、そのようなことも、腹鼓氏にかかれば、緑の地平に見えるのだろうか。

 腹鼓氏が、弁護士の活躍できる余地があると言い張るのなら、弁護士を求めている企業・行政を具体的に日弁連に教えてやってもらいたい。おそらく具体的な内容は、少なくとも「いくらでも」というレベルでは、明示することはできないだろう。

 腹鼓氏が、論じているのはニーズではない、活躍の余地の話だと言い逃れるのであれば、このコラムは何の意味もない。就職氷河期で就職できない大学生に向かって、大学卒業者の活躍の余地はいっぱいあるといってどんな意味があるというのだ。ポスドク問題で就職できないドクターに活躍の余地がいっぱいあると言っても、現実的な就職問題の解決はもちろん、何の慰めにもなりはしないではないか。

 企業に弁護士の活躍の余地がいくらでもあるのなら、何より日経新聞にどれだけの弁護士が雇用されているのか明らかにして欲しい。さぞかしたくさんの弁護士を雇用されているはずだ。なにより、日経新聞だって企業なんだし、企業に弁護士の活躍の余地はいっぱいあるはずなんだろうから。

 日本組織内弁護士協会の最新の資料によると、日経新聞は採用数上位20位に入っていないから、少なくとも4人以上の弁護士を2009年下半期には採用していないようにみえるのだが、事実はどうなんだろう。

 資料から分かるとおり、現実の企業の弁護士ニーズ~活躍の余地とほぼ重なるだろう~は、微々たるものだ。もし、日経新聞が弁護士をひとりも採用していないのなら、いい加減なことを言うなと批判されても仕方ないように思うのだが。

弁護士の大量増員と裁判官の官僚化

 弁護士が大量増員されると、裁判官が勇気を持って判決を下すことができなくなり、外圧や上の意見ばかり気にするなど官僚化する、という意見がある。

 一見、弁護士の数と裁判官の執務姿勢が関係するなどとは思われないので、「風が吹けば桶屋が儲かる」というような荒唐無稽のお話かと思われるかもしれない。

 しかし、実際には、起こりうる話なのである。

 最高裁ではない下級裁判所裁判官にも(簡裁判事)・判事補・判事・高裁長官とあるが、司法試験合格後司法修習を終了して、判事補に採用され(裁判所法43条)、その後判事に任命される人が圧倒的に多い(裁判所法42条)。

 つまり裁判官の殆どが、司法試験合格後司法修習を終了しているので、裁判官を辞めたあとは、弁護士になる資格があるし(弁護士法4条)、実際に弁護士になる人も多い。これまでも、裁判官を自ら辞めた方が弁護士登録されたり、定年まで勤めた裁判官がご自身で開業されたり、客員弁護士として法律事務所に迎えられたりする例も多くある。

  ところが、弁護士が大量増員されると、いざ弁護士になっても食べていけるかどうか分からない状況になっていく。もともと、弁護士として開業すれば、少なくとも毎月100万円以上は事務所経費がかかるため、一月に100万円を売り上げても生活費すら出てこない。裁判官として長年おつとめされた方に、仕事の人脈がどれだけあるか分からないし、弁護士としての営業活動をしろといっても、困難な面もある。

 ただでさえ老後の不安がある日本である。また、裁判官といえども人間であり、生活がある。一度裁判官になった人が、安定した裁判官の身分で、可能な限り長く勤めたいと考えることを、誰も責めることはできないだろう。

 裁判官として可能な限り長く勤めるためには、10年に一度の再任の際に裁判官不適格とされるわけにはいかない。最高裁判所判事を除く裁判官は、最高裁判所の指名した者の名簿によって、内閣が任命することになっているから(裁判所法40条)、最高裁の意向に反したり、内閣の意向に反したりすると、やばいのではないかという感情が裁判官に働いてもやむを得ないだろう。

 かくして、最高裁の先例に反したり、内閣(国)の意向に反する判決を書きづらくなる=裁判官の官僚化が進行する。本心では、最高裁の先例は時代遅れだと思っても、最高裁の先例に反する思い切った判決が書きにくいだろうし、内閣に睨まれたくないから事なかれ主義で内閣の意向に真っ向から反する判決も書きにくくなる。

 こういう可能性があるのだ。

 実際、最近では、弁護士の大量増員により、司法修習生の裁判官・検察官志望者が激増しているという話も聞いたことがある。高額の法科大学院の費用を負担してようやく手にした資格なのだから、誰だって、食えないかもしれない職業より、少なくとも安定した職業を希望するからだろう。

 裁判官が退職後弁護士になることができる韓国でも、ニーズもないのに弁護士を大量増員した結果、既に数年前から裁判官の官僚化が問題化しているのだそうだ。東亜日報2008.8.19には、ある若手判事の言としてとして、次のような言葉が掲載されている。

 「かつてならば、判事が外圧に立ち向かって所信をもって辞表を出したりしたが、最近は、裁判所で生き残るため、機嫌を伺う傾向が強まっている。弁護士業界の不況が裁判官の官僚化にまで影響を及ぼしている。」

 弁護士業のビジネス化をもたらすだけでなく、裁判官を官僚化させてしまう危険すら伴うニーズなき弁護士増員(法曹人口増員)は、長い目で見れば、結局国民の損につながるように私は思うのだが・・・・・。

日本経済新聞~安岡崇志論説委員の書いた中外時評 

 2010年8月10日の日経新聞「中外時評」に、安岡論説委員が書いている。

 題して「悪循環に陥った法曹養成~抜け出すために意識改革を」。

 現場の記者の方はともかく、論説委員の方はなかなか自説を譲らず、自説と異なる現実があればその現実のとらえ方を歪めて自説を維持しようとする傾向があるように常々思っていたが、今回の安岡論説委員もやはり同じだった。

 法科大学院制度と新司法試験が僅か5~6年で悪循環とはどういうことか、関係者が危機感を抱いているのが法曹志望者の激減(僅か6年くらいで三分の一以下に激減)という安岡委員の指摘自体は、まあ、もっともな指摘だ。

 法曹志望者が少なければ、当然法曹の質は落ちていく。当たり前だ。志望者が少なければ当然そこに含まれる優秀な人材も減少していくし、何より競争が働かないからだ。オリンピックの選手と町内大会の選手を比べると、全体的にいずれが優秀かはいうまでもないだろう。

 しかし、法曹志望者減少の理由の分析で、論説委員お得意の、自説固持のための現実無視、ねじ曲げが炸裂する。

 安岡委員の分析によれば、新司法試験の合格率が低いのが法曹志願者減少の要因だそうだ。

 安岡委員は「高い授業料を払って2年か3年勉強に専念した末に法曹資格を得られる可能性がこの低さでは志願者がガタ減りするのも仕方がない。職を捨てて法科大学院に入る社会人の目にはリスクは、とりわけ高く映る。」と書いている。

 この理屈は、法科大学院も使っている理屈だし、エラ~イ論説委員が書いているのだから、一見もっともらしく思えるかもしれない。

 この理屈が正しいとすれば、合格率が低ければ低いだけ、志願者は減少していくことになる。果たしてそうか。最も簡単な例だが、旧司法試験の合格率が僅か数%であったにもかかわらず、志願者が年々増加していた(丙案導入時の受け控えを除く)。今の新司法試験と比べて、合格率で10倍も合格が困難な試験であったときには志願者が増加していた、この現実を、安岡委員はどう説明するのだろうか。どんな屁理屈を振り回しても、「合格率向上=志願者数増加につながる」という安岡委員の持論では説明ができまい。

 旧司法試験が合格率が極めて低いにもかかわらず、志願者が年々増加していった理由は、法曹資格が人生の一発逆転を可能にするプラチナチケットと目されていたからだ。つまり、それだけの魅力が法曹という職業にあったのである。だからこそ、人生を賭けて僅かな合格率に挑戦する若者が多くいたのだ。当然そこでは熾烈な競争が行われていたので、100%とはいわないが、他の資格試験と比べれば比較的優秀な人材を確保できていたのだ。

 最近では、需要を無視した法曹激増策(その実態は弁護士激増)により、弁護士資格を取得しても就職先が見つからないなど、法曹資格が職業としての魅力を失ってしまっている。

 安岡委員が考える以上に、世間の人は現実を見ているものである。高い法科大学院の費用をかけ(しかも通学するには会社を辞めなければならない場合が殆どである)、しかも法曹資格を取得しても就職先すら覚束ないのでは、人生を賭けて競争に挑み、法曹資格取得を目指す意味がないではないか。そんな魅力のない職業を目指すよりは、一流企業や公務員を目指した方が、多くの人の人生においてプラスになることは子供でも理解できよう。

 また、旧司法試験では、法科大学院を卒業しなくても司法試験を受験できた。さらにいえば、今の新司法試験のように3回不合格でアウトという、理不尽な制約もなかった。わざわざ会社を辞めて法科大学院に高い学費を支払わなくても、会社に通いながら受験勉強をして合格された方も何人もいる。つまり法科大学院+新司法試験という新しい法曹養成制度自体も、優秀な人材を引き付けるには妥当でないものなのだ。

  需要を無視した法曹資格乱発により、法曹の職業としての魅力が急速に低下したこと、高額な費用を法科大学院に支払わなければ受験すらできない法科大学院+新司法試験制度が、法曹志願者減少の最大の原因であると私には思われる。

 安岡委員も、おそらく本音は分かっておられるはずだ。ただ、日経新聞論説委員という看板を背負っている以上、広告をしてくれる法科大学院への配慮や、これまで法科大学院制度は素晴らしいとさんざん報道してきた手前、経営上の問題などもあって、本音を言えない部分もあるのだろう。

 しかし、安岡委員の中外時評にはさらに突っ込み処があるが、○○警察に接見に行かなければならないので、今日はこの辺で。

(元気があれば続けます。)

法科大学院の学費のため窃盗

 報道によると、岡山で大学生が、窃盗で逮捕されたそうだ。

 その動機につき、大学生は「法科大学院の学費を手に入れるため」と述べているそうだ。もし本当なら、かなり問題ではないだろうか。

 何度も述べてきたが、新司法試験は法科大学院を卒業しないと受験すら出来ない(予備試験の例外はあるが、法科大学院が予備試験合格者の増加につき反対しているため、極めて狭き門とされる危険性が高い)。

 新司法試験という国家資格を得るための試験を受験するのに、法科大学院への通学と卒業(当然、入学金や学費など学生は高額な負担を追わなければならない)が条件とされているのだ。合格率が3%未満であった旧司法試験の時代でも、大学在学中に司法試験に合格するだけの実力を身につけることも出来た極めて優秀な学生もいた。そのような優秀な学生も、法科大学院という回り道と高額な費用を無駄に使わなければ法律家になれなくなっている。もしそのような学生が経済的に恵まれていなかったとしたら、果たして司法試験を目指すだろうか。

 もちろん、奨学金や、授業料免除などの可能性もあるだろう。しかし、法科大学院に通うだけ時間の無駄である場合もあるし、生活費は当然かかる。優秀な学生が法科大学院に進学せずに、新司法試験に合格し、すぐに就職して働いていたとしたら、その学生は弁護士として活躍できたはずの2年間の収入を失うことにもなるだろう。

 また、法科大学院自体も利益を出さなければ継続的に運営が出来ないだろうから、仮に優秀な学生を優遇すれば、普通の学生がその分の経済的負担を負わされることになろう。法科大学院が採算を度外視して優秀な法律家を育成するために、赤字でも学生のために経済的負担を軽減してくれるなら話は別だが、まさかそんな慈善事業を法科大学院側が行ってくれるとはとうてい思えない。

 地方にも法律家を行き渡らせるために、地方にも法科大学院が必要だという話を法科大学院側もしていたように思うが、学生が多く集まらず、採算のとれない田舎には、法科大学院を作ろうとする大学はなかったように思う。

 結局、法科大学院だって採算重視なのだ。現状を見る限り、導入当時大学が思ったほど法科大学院は金の卵ではなかったのだ。それが明らかになりつつある現状では、本当はもうやめたいと思っている法科大学院も多いはずだ。

 何度も言うが、もし本当に法科大学院が素晴らしい教育をしており、その教育を受けた方が、予備試験組より新司法試験にはるかに合格しやすいし、実務家になってからも極めて有利なのであれば、学生は殺到するはずなのだ。学生にとって、新司法試験に合格しなければ法律家の道は開けないのだし、法律家になってからも有利な実力をきちんと身につけてくれるのであればたとえ新司法試験に合格しなくても(経済界も弁護士不足を喧伝していたので)企業が争って雇用してくれるだろうから、多少の学費はむしろ安い先行投資になりうるからだ。

 法科大学院協会は、多少の問題点を認めつつも、基本的には法科大学院制度は素晴らしい制度であるとの姿勢を崩していない。社会の評価、新司法試験合格実績を素直にみれば、法科大学院制度が日本の法律家養成の桎梏となりつつあることはもはや明白のように思われる。こんな簡単な事実認識も出来ない教授が実務家を養成するはずの法科大学院で教鞭を執っているとしたら、その方が危険ではないだろうか。

 それはさておき、近頃、司法修習生の給費制維持に関連して、「お金持ちしか法律家になれないのか」というスローガンが掲げられている。確かにそのスローガンは一面の真実を述べている。しかし、修習生の給費制維持よりも、法科大学院制度の方が経済面でも法律家を目指す人の大きな障害になっていることを、今回の事件は示唆しているのではないだろうか。

アメリカの弁護士は多いけれど・・・

 司法制度改革では、「日本の弁護士数は、欧米に比べて圧倒的に少ない。弁護士数を増やして、国民の司法アクセスが可能になるようにすべきである。」という主張がなされたことがあったように思う。

 もともと、弁護士数の比較において、多くの隣接士業(税理士・弁理士・司法書士・社会保険労務士など)制度を持つ日本と、そのような制度がない国を一律に比較すること自体がそもそも間違っていたのだが、それをさておくとしても、弁護士数を増やせば(弁護士費用が安くなったり、弁護士過疎の問題が解消して)国民の司法アクセスが容易となるという前提自体が実は誤っていたのだ。

 アメリカは、世界的に見ても弁護士が極めて多い国であることは、よく知られているとおりである。

 弁護士数が増加すれば弁護士費用が安くなったり、弁護士過疎の問題が解消して、司法アクセスが容易になるという命題が正しければ、アメリカでは極めてリーズナブルに弁護士が利用できていないとおかしいし、司法過疎も解消され、国民の司法アクセス問題は解決されているはずだと思われる。

 ところが、アメリカに留学された裁判官の報告によると、アメリカの司法界にとって最も重要な問題の一つは、貧困層の司法へのアクセス不足、具体的には貧困層にとって弁護士費用が高すぎるというものである(ジュリスト1169号p89~前澤達朗判事補による、「米国のロースクールにおける法曹養成の現状と問題点」参照)。

 その問題点を解消するため、官民あげて、公的法律サービスの普及のための努力が続けられているが、あれだけ大量の弁護士がいるアメリカでさえ、その公的法律サービスを担う弁護士が大いに不足しているのだそうだ。

 ロースクールの学費が高すぎ、多額の借金を抱えた学生は公益に奉仕するという理想を追うよりも、借金を返済するという現実を優先せざるを得ず、多くの学生がなるべく高収入が期待できる都市圏の大都市事務所に殺到しているのだそうだ。そのためか、弁護士過疎の問題は依然アメリカでも解消されていないとの指摘を耳にしたこともある。

 前澤裁判官によると、アメリカの学生は、法学教育を受けるために負担したコストを卒業後の収入によるなるべく早期に回収し、さらに投資に見合う利益を得ようとするから、法学教育のコストが高ければ高いほど、このコストは、より高い弁護士費用に形を変え、最後は社会が負担することになると考えなければならない、とのことである。

 前澤裁判官はそこまで述べてはいないが、アメリカではリーガルコストが高騰し、そのコストが社会のお荷物になっているとの指摘もあるようだ。確かに、リーガルコストはそれ自体、コストをかけても現実には何も生み出さないことも多く、多額のリーガルコストがかかる社会は、健全な社会とは言えないようにも思われる。

 ただ、前澤裁判官の指摘は、ごく自然で当たり前の指摘であるし、また、このような行動を取るアメリカの学生を非難することは誰にもできないだろう。

 さて、日本はどうだろうか。これまでは、なんの資格も学歴も不要で、司法試験で示される実力だけで競争するという、完全に公平な旧司法試験があった。

 しかし、法科大学院制度を導入したことにより、新司法試験は法科大学院を卒業しなければ原則として受験すらできなくなった。会社に通いながら独学で弁護士を目指すことは、事実上できなくなっている。そして、これまでは不要だった、法科大学院の学費が弁護士を目指す人達に重くのしかかるようになった。

 いったい、司法改革を進めた人達は、諸外国の現実を見ながら改革を進めてきたのだろうか。司法制度改革を中心になって進め、ロースクール導入に大きな影響を与えててきたとされる、佐藤幸治教授ですら、ロースクールを見学したのは僅か1校だけだったという記事を目にしたこともある。本当に、アメリカ型ロースクールのメリット・デメリットをきちんと把握した上で、デメリットを克服する方策を施した上で導入したのだろうか。

 少子高齢化による学生減少への危機感から、大学経営の健全化を目指して、ロースクールの導入を急いだのであれば、それこそ本末転倒である。ロースクール学生の将来と、実務法曹の質と量をを滅茶苦茶にして、ロースクール制度だけ生き残っても意味がないではないか。ロースクール制度は、国民が求める質と量の法曹を要請するための手段にすぎないのであり、ロースクールが生み出す法曹が国民が求める質に及ばず、若しくは、国民が法曹の量を求めていない場合は、縮小ないし廃止されてもやむを得ない存在であるはずだ。

 そのロースクールが、社会や経済界に対して、卒業生や新規法曹を積極採用するように呼びかけることは、厚かましいにも程がある。

 俺の作ったパンは美味いはずだから食え、そう言ってパンを押しつけ、金を取ろうとするパン屋と変わらないではないか。

 もし本当に、法科大学院の教育が実務にも役立つ素晴らしいものであれば、その卒業生は新司法試験の合格の有無にかかわらず、経済界から引っ張りだこであるはずだ。そうでないのは、法的なニーズがないか、法科大学院の教育に経済界・社会が価値を見出せていないということに他ならない。

 さらに翻って、司法制度改革審議会やマスコミがお題目のように言っていた、「国民が弁護士の大量増員を望んでいる」というデータは、確かどこにもなかったはずだ。「2割司法」という人もいたが、本当に2割司法だったのか、誰か検証したのだろうか。少なくとも私は、紛争解決のうち司法が2割しか関与できていないというような客観的データを見たことがない。

 平成12年の司法制度改革審議会が行ったアンケートでは、むしろその逆で、その時点の弁護士数で十分国民のニーズを満たしていると判断できる結果が出ていたそうだ。

  なんだか、ここまでちぐはぐだと、他国の制度の悪いところばかり捜して、それを真似しているように思えてならなくなってくるよね・・・・・・・。

 ちょっと疲れているせいか、まとまりのない文章になってしまい、スミマセン。

 私のつたないブログを読んで下さる皆様、暑中お見舞い申しあげます。(下記の写真で少しだけでも涼を感じて下されば幸いです。)

見栄のはり方

 最近マスコミで弁護士の就職難がようやく、報道されるようになった。

 そのような状況にならないよう、警鐘を鳴らしてきたつもりだったが、現実に問題が生じないとなかなか実感できないのもまた事実なのだろう。遅すぎるかもしれないが、迅速に問題点を見極めて対応する必要があると思う。

 先だって、大阪弁護士会は就職説明会を開催したのだが、募集事務所としてブースを設けた法律事務所はわずか、10事務所あまりだったそうだ。

 私は、大阪弁護士会の常議員会で、募集事務所が少ない、もっと積極的に応募して欲しいと執行部副会長から聞いたので、「潜在的ニーズがあると言い張っている先生や、弁護士人口増員論者の先生が経営している事務所の連絡先を、修習生に教えるべきだ、当然その先生方は修習生を雇うはずでしょう。」と意見したのだが、単なる意見ということで、あっさりと流されてしまった。

 真剣に弁護士の増員が必要と考えるならば、潜在的でもニーズがあると真剣に信じているのならば、その事務所では新人弁護士の雇用が必要なはずではないのか。

 新人弁護士の就職が困難であるということは、「増員が必要・潜在的ニーズがある」という主張が真っ赤な嘘なのか、増員必要・潜在的ニーズがあっても、雇用するだけの質が見込めないのか、いずれかしかないだろう。そしてそのいずれでも由々しき事態ということには変わりがないはずだ。

増員賛成論者、潜在的ニーズ論者は、直ちに自らの収入を新人弁護士並みにしてでも新人弁護士を雇用してあげるべき義務があるだろう。

 それが言行一致というものだ。

 「私は司法改革を推進してますよ、増員?もちろん賛成です。」、とええカッコだけして、そのツケを新人弁護士に負わせようとする態度は、あまりにも無責任と言わざるを得ない。

 話を戻すが、大阪弁護士会の就職説明会に集まった修習生は、正確な数は忘れたが100名はいたと思う。

 圧倒的に募集事務所は少ないと思うのだけれど、実態はもっと悲惨だったという噂がある。

 つまり、大阪弁護士会で就職説明会のために法律事務所にブースを設けるよう募集したのだが、実際の募集を考えていた事務所は、6~7事務所しかなく、あまりの少なさに本来募集する予定のない事務所にもブース設置を要請して、形だけは募集があるように見せかけたというのだ。

もしこの噂が本当なのであれば、交通費をかけ、必死に就職を願ってやって来た修習生に対してあまりにも失礼な対応ではないのか。

 そんなところに、見栄をはってどうする。

 弁護士会の舵取りをされている方々に、もっと現実を直視して頂きたい気持ちでいっぱいだ。