現在法曹人口政策会議のお昼休み中。
中間とりまとめに関して、事務局新案を中心にまとめることができるかどうか。
みんなそれぞれご意見をお持ちなので、まさに少しいじれば、壊れてしまう微妙なガラス細工を修正しようとしているようなもの。
この会議に出てみて、日弁連の図体のでかさ、方針転換(方向修正)の難しさを痛感した。
機構改革して、風通しが良く、機動的な執行部にしないと、砂浜に乗り上げた鯨のようになっちゃうかもしれないね。

気付いたことなど不定期にアップしていきます。
現在法曹人口政策会議のお昼休み中。
中間とりまとめに関して、事務局新案を中心にまとめることができるかどうか。
みんなそれぞれご意見をお持ちなので、まさに少しいじれば、壊れてしまう微妙なガラス細工を修正しようとしているようなもの。
この会議に出てみて、日弁連の図体のでかさ、方針転換(方向修正)の難しさを痛感した。
機構改革して、風通しが良く、機動的な執行部にしないと、砂浜に乗り上げた鯨のようになっちゃうかもしれないね。
驚きの書面とは、次の書面だ。
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なんと、法テラス(日本司法支援センター)が、法テラスの事業は国民の税金を投入して行われている事業なんだから、費用対効果の乏しい案件を法テラスで援助することは、納税者の納得が得られない、と主張しているのだ。
そもそも、訴訟をしたくても費用がない人、弁護士に援助を求めたくても費用がなくて出来ない人、費用倒れになるかもしれないが法的正義を貫く必要がある人、そういう人のために弁護士費用を立て替える民事法律扶助制度を弁護士会が作り、それをうけて、法テラスができたんじゃあなかったの??
費用対効果が乏しい案件を法律扶助の対象外とするというのは、税金の援助を受けている法テラスですら、費用対効果を考えざるを得ないし、ペイしない案件に法律扶助を出さないという宣言だ。
税金の援助を受けていない一般の弁護士は、なおさら、費用対効果を考えざるを得ないだろう。
悪い言い方をすれば、この国において、弁護士に依頼して、正義を実現できるかどうかは金次第であることを、法テラスという国家機関の出先機関が認めたということになりかねない。
そればかりか、法テラスは経済的に恵まれない方の相談以外にも、一般層、富裕層の相談も担当させろという主張をしているらしく、民業圧迫も甚だしい。先日の例でいえば、某テラスが国家から援助を受けつつ新聞代を支払えない人のみならず、希望者には新聞を配布したいから認めろ、と言っているようなものだ。
そういう法テラスに援助している日弁連もどうかとは思う部分もある。
確かに、法テラス大阪の言い分通り、本当に納税者の皆様が費用対効果の見込めない民事事件に、税金を投入する必要がないと考えているのであれば、それでも良い。
しかし、それでは、弁護士を社会生活上の医師としてあまねく配置し(そのための弁護士増員は実現)、民事法律扶助の飛躍的拡充とセットにして、弁護士による社会生活上の問題の解決を目指した、司法改革の理念と真っ向から反することになる。
どこの世界に、治療費は支払わないが、病気になったら医者は診察して治療しろ、という制度がまかり通るというのだ。どこの世界に行けば、弁護士費用は支払わないが法的問題が起きたら弁護しろ、という制度がまかり通るのだ。
マスコミはほとんど触れないが、そもそも、司法改革において、民事法律扶助予算と弁護士増員はセットだった。しかし、弁護士の増員は図られたものの、民事法律扶助予算は国際的に見ても極めて低いままである(少し前の日弁連データによると、国民ひとりあたりの負担にして、イギリスの80分の1、ドイツの18分の1、フランスの12.5分の1、アメリカの9分の1しか予算が講じられていない)。
逆に言えば、民事法律扶助をアメリカ並みの整備に押さえるとしても、9倍の予算が必要なのだ。イギリス並みにしようとすれば、80倍の予算が必要になる。その予算が講じられて初めて司法改革が目指した社会が実現可能になるのだ。
ただでさえ、ひっ迫している国家財政の中で、本当かどうか疑問だが、上記の民事法律扶助予算の負担を、納税者の皆様は負担するつもりがある(だろう)、という前提で司法改革が進められているのだ。
司法改革が主張する、「法の支配を社会の隅々まで」といわれてみると、とても良いことのように思える。その社会では確かに公正さは担保されるかもしれない。しかし、それと引き替えに、基本的には問題解決作用であり、それ自体では何ら価値を生み出さない司法に、膨大なコストがかかるのだ。
誰も試算しないが、アメリカのリーガルコストはおそらく膨大な金額になっているはずだ。アメリカでは企業が訴えられているので関係ないと思われる方もいるかもしれないが、企業がリーガルコストを一度は負担してもいずれそれは、製品はサービスの代金に転嫁されて、一般の国民の方の負担になる。
「法の支配の徹底」とは、そういう社会(公正だけれども高コスト)を目指しているのだということを、知るべきだ。特にコスト面を、マスコミは無視し続けているので、たちが悪い。
もう一度、熱にうなされて突っ走った司法改革を見直す必要がないのか、冷静になってみる必要があるだろう。
さらに付け加えると、現在の国家財政を見るならば、民事法律扶助予算が諸外国並みに整備されることはまず不可能だろう。
弁護士人口増員派の一部の方は、ペイしない事件などまだまだ潜在的ニーズはある、司法基盤整備が整えば、弁護士増員は正しかったことになる、と主張される。
しかし、今回の書面のように、ペイしない事件に対して税金を投入することを納税者の皆様が許さないのであれば、ペイしない事件は永遠にペイしない事件であり、何ら弁護士のニーズにならない。
2㎞100円ならタクシーに乗りたいという人は、タクシーの潜在的ニーズ層とはいわないだろう。一部1円なら新聞を買って読みたいという人は、新聞の潜在的ニーズ層とは呼ばないだろう。それと同じである。
まだまだ、諸外国と比較して不十分なことは間違いないので、国民の皆様のために司法基盤整備は続ける必要はあると思うが、抜本的な民事法律扶助予算拡充という夢物語にいつまでもしがみついている場合ではないように思う。
それを明らかにしたのが、今回の文書でもあると思う。
怒りのあまり、散漫な文章になってしまっていることをお詫びします。
※記載内容については、全て執筆者の個人的な見解に基づくものであって、当事務所の統一した見解・意見ではありません。
某国の話である。
仮に、某国で某国新聞協会に加入しないと各新聞社は新聞を発行できない制度があったとする。その制度のもとで、某国新聞協会が、各新聞社は国民の知る権利に奉仕する存在だから、希望する全ての国民に新聞を届けるべきだと考えたとする。
そこで、某国新聞協会が、新聞購読扶助制度と称して、一部国の援助を受けながら、お金がないという理由で新聞を買えない人のために、各新聞社から協会費に含めて半強制的にお金を徴収し基金を作って、新聞を買えないが読みたい人のために新聞を買えるお金を立て替え、かつ、そのような人に対する新聞料金を大幅値下げする、と某国新聞協会が決めて実行させるとする。
何か問題はないだろうか?
さらに制度が進展し、某国の国自身が新聞購読扶助制度を行うので各新聞社がその実行に協力を求められ、そればかりか、某国が某テラスという機構を作って直接新聞を発行し、新聞を買えない人に配布もするので、そのスタッフ養成費用を某国新聞協会で負担するとなるとどうか。
問題はいくつも考えられる。
そもそも新聞を買うお金のない人に新聞代を立て替えてあげても、そのお金はどこまで返してもらえるのか。
仮に立て替えてあげることが正しいとしても、どうして新聞購読扶助制度を利用する人の新聞代だけ安くする必要があるのか、同じサービスを受けるなら同じ負担をするのが公平なのではないか。
いくら国民の知る権利に奉仕する仕事に従事しているとはいえ、どうして民間事業者である新聞社が、費用を負担しなければならないのか。
本当に国民がお金がなくても新聞を読みたいと考えるのであれば、国会の決議により税金を投入するなどして全面的に国家が行うべき費用援助事業ではないのか。
新聞の値段を引き下げかねない新聞購読扶助制度になぜ新聞社は協力しなければならないのか。
そもそも某国が某テラスを作って新聞発行をするのは民業圧迫ではないのか。
どうして民間事業者である新聞社が商売敵になる某テラススタッフ養成の費用負担までしなければならないのか。
さらに某テラス新聞は権力に隷従しないという保障はあるのか等々、いくらでも問題が見つかりそうである。
ところで民事法律扶助制度とは、裁判を提起したり弁護士に依頼したいが費用がない人たちに税金も投入して、弁護士費用等を立て替え払いする制度だ。
本来弁護士費用の引き下げは目的ではなかったが、利用しやすい司法の美名のもと、民事法律扶助制度において弁護士費用の引き下げも行われている(つまり、法律扶助制度を使った場合、弁護士費用は従前の弁護士費用より相当額減額された額しか弁護士には支給されない。)。
私が弁護士になった頃も、確か民事法律扶助を弁護士会が中心(一部、国の援助があったはず)に行っており、弁護士会費から法律扶助のために相当なお金が出ていたようにも思う。詳しい制度内容は知らないが、私の記憶が正しければ、弁護士会は、会費を強制的に集めて弁護士費用がない人のための立て替え事業を行い、その事業に関する弁護士報酬の引き下げまで行ってきたといえそうだ。
ところで、先日、民事法律扶助制度を中心になって行っている法テラス大阪から、驚きの書面が届いた。
(続く)
先だって、ご報告してきた、総務省の「法科大学院(法曹養成制度)の評価に関する研究会報告書」に対して、日弁連が、1月25日付けで意見書を出した。
読んでいて恥ずかしくなるが、力いっぱい、言語明瞭、意味不明瞭という代物である。
私の読解力不足のせいかもしれないが、日弁連意見書の内容は、読んでも結局何を言いたいのかよく分からない。長々と書いてはいるが、読み取れる内容としては、要するに「法科大学院制度に手を出すな、口を挟むな」、というだけに読める。
総務省研究会委員の意見には、日弁連意見書が指摘するように、確かに、一部に間違っている部分もあるとは思うが、法務省・文科省・法科大学院・日弁連が目をつぶっている部分を明確に指摘した面も多分にある。
ちなみに総務省委員の方は、
ジャーナリストの江川紹子氏、
名城大学教授・コンプライアンス研究センター長・弁護士の郷原信郎氏、
同志社大学法科大学院教授のコリンP.A.ジョーンズ氏、
学習院大学法学部教授の櫻井敬子氏、
早稲田大学政治経済学術員副学術院長・早稲田大学現代政治経済研究所所長・教授の谷藤悦史氏、
株式会社三井住友銀行法務部長の三上徹氏、
中央大学文学部教授の山田昌弘氏
の合計7名だ。
日弁連が市民の意見を、聞くために市民会議を開催しているが、そのメンバーに選ばれてもおかしくない有識者の方々だと思われる。
日弁連が、市民の目線で司法改革を行うのであれば、むしろ総務省委員の意見を尊重しておかしくないはずだが、日弁連は、上から目線で、「お前らのやれることには限界があるし、法科大学院の調査は法科大学院にも負担をかけるので控えよ」と、この意見書で宣った(のたまった)のだ。
本当なら逆じゃないのだろうか。法科大学院が本当に素晴らしい制度であって、それが社会に理解してもらえていないだけなのであれば、むしろどんどん調査してもらって、その素晴らしさを天下に示せばいいじゃないか。当事者が本当は素晴らしいんだ、と言いはるだけより、遥かに信頼してもらえるはずだ。
なぜそれが出来ないんだ。
詳しく調査されるとボロが出るから、法科大学院に関しては口を挟むな、手を出すな、と狡い逃げをうっているだけなのではないのか。素直に考えれば、そうとしか思えないだろう。
少なくとも私は、このように恥ずかしい意見を、日弁連全体を勝手に代表して「当連合会の意見」などと言われたくはない。
誰がなんの権限でどういう経緯でこういうへんてこりんな意見書を出したのだろう?少なくともこのような意見を出されて恥ずかしい思いをさせられている弁護士は相当な数いるはずだ。
なお、この件に関して「こんな日弁連に誰がした」の著者で、弁護士の小林正啓先生がブログで分析されている。非常に面白いので是非ご参照されたい。
http://hanamizukilaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-6f61.html
※記載内容については、全て執筆者の個人的な見解に基づくものであって、当事務所の統一した見解・意見ではありません。
新司法試験に関する続きです。
③合格基準、合格者の決定
・新司法試験の試験委員の選考基準が不意透明ではないかとの指摘があるがどうか。
・採点基準や採点マニュアルはどうなっているのか、守秘義務に抵触しない範囲で顕彰する必要があるのではないか。また合格者数・合格基準について明確な基準がないのではないか。
・新司法試験の問題は合格者を判定するための機能を適切に果たす内容になっているのだろうか。論理的思考力や事例解析能力を見るための試験とすることを強調するあまり、合否の予測が困難になっており、多様な人材が法曹になることを困難にしているのではないか。
→(坂野の意見)論理的思考力も、事案解析能力も法律家には必須です。お医者さんで言うと病気の兆候を見つけ出す能力や、その兆候から適切な診断をする能力に近いと思います。どんなに難しい試験でも魅力あるものであれば、目指す人は増えていきます。歴史的に見ても中国の科挙もその合格に魅力があったため、極めて厳しい試験でも受験者は大勢いたはずです。
・7割合格が前提で、5割ですら超えるものが数校しかない現状では、全法科大学院が要求水準を満たしていないのかということになってしまう。司法試験予備校の一流講師がついて教えても、2000番目の合格者レベルを維持しつつ合格者を3000人にすることは難しいという。つまり合格者3000人にするということは、合格水準をそのレベルまで下げるという了解が当然にあったのではないか。今でも合格レベルを保ったまま法科大学院の質を高めれば3000人の合格者を出せると考えているのであれば、その根拠を示すべき。
→(坂野の意見)そんな了解ありません。司法審意見書でも質・量とも豊かなとなっており、質が先に記載されているとおり、質の維持は大前提でした。また法科大学院側も、質を維持できると大見得を切っていたはずです。根拠を示すべきという御意見には全くその通りだと思います。
④受験回数制限
・受験回数を制限する明確な根拠がないまま現行のルールが定められているのではないか。
・受験回数制限はない方が良いと思う。受験者の気持ちを斟酌していない仕組みだと思う。
⑤予備試験
・平成23年度から行われる予備試験については、平成21年3月末閣議決定を踏まえ、適切な措置が講じられるべきである。
→(坂野の意見)平成21年3月末の閣議決定は、非常に問題のある閣議決定です。
曰く「予備試験合格者数について、予備試験合格者に占める本試験合格者の割合と法科大学院修了者に占める本試験合格者の割合とを均衡させるとともに、予備試験合格者が絞られることで実質的に予備試験受験者が法科大学院を修了する者と比べて、本試験の機会において不利に扱われることのないようにする等の総合的考慮を行う」ということですから、
予備試験突破者の合格率と法科大学院修了者の合格率を揃えろと言っているのです。
例えば、予備試験突破者500名、法科大学院修了者4500名が受験する際に、新司法試験合格者が500名だと仮定すると、成績に関係なく予備試験突破者から50名、法科大学院修了者から450名合格させろということのようです。予備試験突破者がどんなに優秀であっても、法科大学院修了者と同じ比率でしか合格できない可能性が残ります。
一見、予備試験受験者を不利にしないための閣議決定のようにも見えますが、予備試験は極めて優秀な方しか合格できそうにない試験が予測されており、おそらく実態は法科大学院受験者の保護になるものと思われます。
⑥その他
・司法試験の受験資格喪失者などの不合格者に対するケアはどの程度行われているのか。実態を把握していない法務省・文科省は速やかに把握し、抜本的対策を講ずべき。
・次のような志願者への説明不足と志願者の認識不足を解消する努力・工夫が必要ではないか。
-「根拠なき楽観」~自分は違う。真面目にやれば通る。三振したときのことは考えていなかった。
-合格すれば専業弁護士として食っていけるものと思い込んでいる。
-三振した場合の人生ロスについての認識不足~新卒22歳から働いている者と30歳近くになって入社する者との「生涯格差」の認識の欠如。
-新卒時にはあった、多彩な人税選択が一般的に失われたという事実の不認識。
→(坂野の意見)ちょっと過保護かもしれませんが、それだけ、多くの学生さんの人生を浪費させる制度になっていると言うことなのでしょう。
※記載内容については、全て執筆者の個人的な見解に基づくものであって、当事務所の統一した見解・意見ではありません。
さらに、続きをご紹介します。研究会委員は、新司法試験制度にもかなり批判を加えている様子です。ただし、若干誤解が見られる点が残念な気がします。→以下は、たまりかねた坂野の個人的意見です。
【新司法試験について】
①制度設計について
・政府として3000人合格の目標を掲げたのに2000人しか合格しないといういことは、一定の能力に達しなければ、上位3000人に入っても合格しないということになり裏切られた気になると思う。政府の対応として誠実さに欠けるのではないか。
→資格試験であれば当然その資格に相応しい実力を示さなければ合格しないはず。最初に合格者数ありきの発想であり、新司法試験が資格試験であることを失念しておられる?
・受験生にとっては、合格者数を決めた上で試験が行われているように見えている。
・旧司法試験制度は、裁判官や検察官として有すべき能力を判定するとの観点が強かったのではないか。弁護士を目指す人は多様な勉強をして短期間だけ司法試験の勉強をし、裁判官など訴訟中心に行う人は少しグレードの高い能力を身につけるような勉強をするなどしても良いのではないか?
→例えば刑事裁判で、検察官と渡り合うときにグレードの低い弁護士で良いのでしょうか。在野法曹の重要性をもう少し認識して頂ければ助かるのですけれど。
・日常生活で必要とされるベーシックな法律論等の問題を中心とした試験内容とすれば法科大学院修了者の7~8割が合格する用になり、法曹人口の拡大も図られ、別に誰も困らないのではないか。
→日常かかる風邪などだけ治療できるような、医師国家試験にすれば、医師不足も解消され、別に誰も困らないのではないか、というのと同じでかなりの暴論ですね。
・ 働きながら経済的にもあまり負担にならないような形で法科大学院で勉強し、司法試験に合格するのが理想だと思うが、原稿の試験では難しいのではないか。
②試験方式、内容
・新司法試験は資格試験か、競争試験かきちんと整理することが必要。資格試験であるとすれば、それに見合った試験問題とすべき。
→今ではすでに競争試験=熾烈、ではなく、事実上2000人合格させる競争試験なので、資格として相応しい実力がなくても合格できている可能性が、採点者らの雑感で指摘されています。
・国民が法曹に求めるニーズは何か。新司法試験の内容は市民のニーズを踏まえた者となっているのかという観点からの議論はあまり行われていないのではないか。
・試験科目の比重が社会的ニーズを踏まえたものとなっていないのではないか。
(続く)
※記載内容については、全て執筆者の個人的な見解に基づくものであって、当事務所の統一した見解・意見ではありません。
(昨日の続きです)
総務省の報告書の法科大学院に関する意見について、引き続き、現実を見据えていると思われる意見を抜粋します。
【法科大学院について】
③教育内容
・現行の法科大学院では、司法試験のための勉強が中心にならざるを得ず、例えば、家族法の専門家などを養成しようとしても出来ない。
・逆説的だが、法学部の段階では司法試験に関係のない真の法律の勉強をし、法科大学院では予備校のような授業をして司法試験に合格するようなやり方をすれば今よりも、本当の意味での法学の勉強をすることに充てられるかもしれない。
・法科大学院協会がモデルカリキュラムを作成しようとしているが、全ての法科大学院がモデルカリキュラムに沿った同じような教育を強いられ、思想統制とはいわないが、その一歩手前まで進んでしまうおそれがあるのではないかと懸念している。
④修了認定
・法科大学院修了者の7~8割が新司法試験合格するようにするとの目標を定めながら、他方で、法科大学院の設置基準を満たしたものは広く参入を認める仕組みになっている。その結果、合格者2000名を前提とすれば、合格率7~8割りを達成するためには、修了認定を厳しくして受験資格者を3000人未満に絞らなくてはならないはず。しかし、現行はほとんどの者が修了できるようになっているのではないか。
⑤認証評価
・最近、認証評価基準に「新司法試験の合格率」が追加されたが、そのことと、法科大学院では三分の一以上新司法試験の必須科目を教えてはいけないとされていることとの関係が理解できない。
・認証評価結果が高いことと、司法試験の合格率は連動しておらず、組織的に受験対策をやっているところの方が合格率は高いようなので、その辺を顕彰してみてはどうか。
(抜粋ここまで)
坂野としても、いろいろ意見をいいたいところですが、取り敢えずはご紹介にとどめます。まあ、はっきりいって、法科大学院制度に対しては、ぼろくその評価です。でもこれがかなり実際を見据えた評価に近いと思います。これまで、法科大学院協会のエライ教授さんが、実態も見据えずに都合の良いことばかりいってきたのですから、そろそろ自分が裸の王様であることに気付いても良いのではないでしょうか。
※記載内容については、全て執筆者の個人的な見解に基づくものであって、当事務所の統一した見解・意見ではありません。
総務省の法科大学院の評価に関する研究会報告に関する続報です。
研究会報酷暑は、法科大学院に対しても、事実を見据えた意見を述べています。法科大学院に対しては、①制度設計・入学定員、②多様な人材の確保、③教育内容、④修了認定、⑤認証評価の5点に関して委員の意見が記載されています。
詳しくは、報告書をお読みいただくとして、私から見て現実を見据えた意見と思われる意見をご紹介します。
【法科大学院について】
①制度設計、入学定員について
・法学部を有する大学は法科大学院を作らないと存在意義が失われるかのような強迫観念から、そのほとんどが設置をしたため、約6000人弱の定員となってしまった。
・法科大学院を修了しても新司法試験に合格できない人が多数いるというのは、うまく制度設計ができていないと思う。
・現行制度では、ストレートで法曹になっても26歳で、受験3回目で合格すると29歳、不合格となると30歳前後で就職先を探し始めるということになる。
・入学定員の問題は、時間はかかっても、競争原理によって良い法科大学院が残っていって制度が落ち着いていくという話であったが、他方で法曹需要が伸びず、弁護士の就職難の問題が生じてきており、競争原理だけでは解決できなくなっている。
・旧国立大学の法科大学院の入学定員の削減が、一律に行われているように見えるが、合格成績の良い大学院は教育艦橋・内容に優れていることが高い確率で推定され、志願者も多いはずで、市場原理が働いていないのは、「法科大学院教育の充実」というテーゼとも矛盾しているように思われる。
②多様な人材の確保
・社会人は、仕事を辞めてあるいは、出世をあきらめなければならないかもしれないという負担を負ってまで挑戦しても、どれくらいのリスクがあるか分からないという不安があるから、踏み出せないところがあるのではないか。
・司法試験の合格率が高いところは、法学部の4年プラス法科大学院の既習コース2年の計6年という形での学生を確保しようとする傾向にあり、法学部以外の多様な人材の確保という理念から大きくずれ始めているのではないか。
・多様な人材の確保といいながら、働きながら学ぶための夜間コースがある法科大学院が少ないなど、多様な教育の仕組みが保障されていないのではないか。
(抜粋ここまで)
法科大学院は70校以上あったように思いますが、夜間コースがあるのは8校程度です。多様な人材を法曹界に導くための法科大学院が、全く逆の制度になっていることは、これだけからも明らかでしょう。旧司法試験なら、働きながらでも何年でもかけて勉強ができました。しかし、法科大学院制度ではそうはいかないのです。
研究会の報告はさらに続きます。
(続く)
※記載内容については、全て執筆者の個人的な見解に基づくものであって、当事務所の統一した見解・意見ではありません。
ご存じの方も多いと思うが、総務省が、法科大学院の評価に関する研究会の報告書を出している。
当初、7名の委員のうち4名が学者・法科大学院関係者であり、朝日新聞で法科大学院擁護の論陣を張っている、おなじみのコリン・PA・ジョーンズ氏も入っていることから、どうせ、「法科大学院は、問題は少しあるけど良い制度なんだよね!」という、もう飽き飽きした結論が出るものと思っていた。
ところが、同研究会は、文科省や法務省の、法科大学院万歳論に迎合することなく、かなり現実を見据えた議論を行ったようだ。主催する省庁が違えば、こうも目から鱗が落ちるものか、と驚くくらい、委員は現実を素直に見て議論されているようだ。
まずは、詳細な報告書が出されているので、それをご覧頂きたい。
http://www.soumu.go.jp/main_content/000095209.pdf
私から見て、現実を見据えた委員の意見だなと思われたものは下記の通り(抜粋は一部の場合もあります。正確には上記報告書をご覧下さい)。
【法曹人口の拡大について】
(抜粋開始)
・法曹人口を考える際に日本の実情・隣接法律専門職・ニーズ等の緻密な検討に基づかず、何となく外国との比較で最低でもフランス並みというような数字を設定したから、今のようなことになっている。
・法曹というものの中身、質を考えないで、人数を大幅に増やせば需給バランスが崩れるのは当たり前。
・弁護士の就職難をみると、法曹人口5万人の構想が問題だったのではないか。
・法曹人口5万人構想について、裁判官・検察官・弁護士の数をそれぞれどれくらいにするかという議論がほとんど行われておらず、結果的に弁護士の数だけが拡大していくことになっている。
・法曹人口5万人構想の中には、企業で法務をやる人も対象とされていたのではないかと思われる。新卒入社後5年労働した人材は立派な即戦力であるが、そこに「法律に関しては詳しい」新卒学生が加わって勝負になると考えていたのか。
・法曹の役割を検討するにあたって、隣接法律専門職の役割を余り考慮した議論が行われておらず的を射た解決策が得られるか疑問。隣接法律専門職の業務拡大とともに弁護士と隣接法律専門職との競争も増加している。
・今でも、例えば学校でちょっとしたトラブルのとき、親が来ないですぐ弁護士が来て、ああだこうだと言って困ると学校の先生が言っている。弁護士を増やすことが、変に需要を増やすことになりかねず、社会全体として果たして幸せなことなのであろうかと考えてしまう。
(抜粋ここまで)
報告書では、この後【法科大学院について】、【新司法試験について】などについて、意見が交わされたことが記載されている。追ってご紹介したいと思っている。
(続く)
※記載内容については、全て執筆者の個人的な見解に基づくものであって、当事務所の統一した見解・意見ではありません。
河合塾といえば、私の受験時代は、大学受験予備校御三家だった。
受験生は俗に、生徒の駿台、講師の代ゼミ、机の河合塾(つまり、比較の問題として、駿台は生徒の質が高く、代ゼミは講師の質が高く、河合塾は設備の質が高い、という程度の意味)と呼んでいたように記憶している。
その河合塾が「2011年度入試の展望③~法学系の志望動向」を公表している。
http://www.keinet.ne.jp/doc/topics/news/10/20101101.pdf
ここでの大きな特徴は、国立・私立とも、成績上位層で法学部志願者の減少が目立つということだ。
この原因についての河合塾の分析は次の通り。
「難関大での法学離れは、新司法試験合格率の低迷や弁護士の就職難等がニュースになっていることとも無関係ではないだろう。(中略)新司法試験は、法科大学院修了後、5年以内に3回まで受験できる。しかし、3回とも不合格となった場合、30歳前後の年齢で無職・職歴なしとなってしまう。例え努力が実を結び、法曹界に入ることが出来たとしても、今度は就職難が待っているかもしれない。現在の状況では法曹界に魅力を感じにくい。」
極めて当たり前、且つ素直な分析であり、優秀な人材を法曹界に導くことが困難になっている現状が明確になっている。
多様な人材を法曹界に導くためのものだったはずの司法改革による新制度導入が、法曹界の魅力を著しく減退させ、優秀な人材が逃がしつつあることは、余りにも明らかだ。
優秀な人材が弁護士にならなくても、数さえ増やせば競争で自然淘汰されるから良いではないかとの楽観論もあるが、それは、競争する仕事の質をクライアントが理解できる場合に限り妥当する。おそば屋さんのように食べてまずけりゃ行かなきゃいい、という簡単なものではない。
その結果、優秀な弁護士が生き残るわけではなく、営業上手の弁護士が生き残ることになる。現にあれだけ弁護士が余りまくっているアメリカでも、お金持ち・大企業以外の中産階級がどうやって弁護士を選ぶかという問題は解決されていないのだ。
(下記の当職のブログ参照)
http://www.idea-law.jp/sakano/blog/archives/2010/10/22.html
ずいぶん前から言い続けているが、早く手を打たないと大変なことになってしまうと思うのだが。
いまだに、増員論者は論点を国際競争力などにすり替えて、持論を維持し続けようとするが、国際競争力の前提となる語学に堪能な弁護士の比率(人数ではない)が、新制度の大増員になって急激に増加したという裏付けはどこにもない。
もし、本当に国際競争の観点から、語学堪能で法律素養を持つ資格が要るのなら、別個に資格を設け、試験に語学を必須にするくらいの改革をしないと無理だろうし、何より企業がそう望むだろう。
年始早々、血圧の上がる話になってしまうので、これくらいにしておくが、一つさらに血圧の上がりそうな嫌な噂を聞いたので紹介しておく。
法科大学院制度導入+合格者大幅増員に賛成した、弁護士のうち、相当数は自分の子供が、司法試験になかなか合格しなかったことも隠れた理由だったのではないのかという噂だ。私の記憶では、(合格者を圧倒的に増やした時期を除き)旧司法試験ではその競争率の高さゆえ、東大・京大卒の受験生でも(記念受験もそこそこいたが)約12~15人に1名くらいしか合格しなかったはずだ。いくら優秀な弁護士の優秀な子供でも、相当程度の努力をしなければ、合格できなかった。
確かに、弁護士として活躍し地盤も築いた人にとっては、自分の子供に地盤を任せたい気持ちは当然あるだろうし、気持ちとしては理解できる。実際に、新制度になってから、おそらく2世弁護士の数はかなり増えた可能性がある。
上記は、あくまで噂だが、心情的には、あり得ない話ではないかもしれない。
もし本当なら、嫌なやり口だね。
※記載内容については、全て執筆者の個人的な見解に基づくものであって、当事務所の統一した見解・意見ではありません。