某国の仮定のお話~2

驚きの書面とは、次の書面だ。

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 なんと、法テラス(日本司法支援センター)が、法テラスの事業は国民の税金を投入して行われている事業なんだから、費用対効果の乏しい案件を法テラスで援助することは、納税者の納得が得られない、と主張しているのだ。

 そもそも、訴訟をしたくても費用がない人、弁護士に援助を求めたくても費用がなくて出来ない人、費用倒れになるかもしれないが法的正義を貫く必要がある人、そういう人のために弁護士費用を立て替える民事法律扶助制度を弁護士会が作り、それをうけて、法テラスができたんじゃあなかったの??

 費用対効果が乏しい案件を法律扶助の対象外とするというのは、税金の援助を受けている法テラスですら、費用対効果を考えざるを得ないし、ペイしない案件に法律扶助を出さないという宣言だ。

 税金の援助を受けていない一般の弁護士は、なおさら、費用対効果を考えざるを得ないだろう。

 悪い言い方をすれば、この国において、弁護士に依頼して、正義を実現できるかどうかは金次第であることを、法テラスという国家機関の出先機関が認めたということになりかねない。

 そればかりか、法テラスは経済的に恵まれない方の相談以外にも、一般層、富裕層の相談も担当させろという主張をしているらしく、民業圧迫も甚だしい。先日の例でいえば、某テラスが国家から援助を受けつつ新聞代を支払えない人のみならず、希望者には新聞を配布したいから認めろ、と言っているようなものだ。

 そういう法テラスに援助している日弁連もどうかとは思う部分もある。

 確かに、法テラス大阪の言い分通り、本当に納税者の皆様が費用対効果の見込めない民事事件に、税金を投入する必要がないと考えているのであれば、それでも良い。

 しかし、それでは、弁護士を社会生活上の医師としてあまねく配置し(そのための弁護士増員は実現)、民事法律扶助の飛躍的拡充とセットにして、弁護士による社会生活上の問題の解決を目指した、司法改革の理念と真っ向から反することになる。

 どこの世界に、治療費は支払わないが、病気になったら医者は診察して治療しろ、という制度がまかり通るというのだ。どこの世界に行けば、弁護士費用は支払わないが法的問題が起きたら弁護しろ、という制度がまかり通るのだ。

 マスコミはほとんど触れないが、そもそも、司法改革において、民事法律扶助予算と弁護士増員はセットだった。しかし、弁護士の増員は図られたものの、民事法律扶助予算は国際的に見ても極めて低いままである(少し前の日弁連データによると、国民ひとりあたりの負担にして、イギリスの80分の1、ドイツの18分の1、フランスの12.5分の1、アメリカの9分の1しか予算が講じられていない)。

 逆に言えば、民事法律扶助をアメリカ並みの整備に押さえるとしても、9倍の予算が必要なのだ。イギリス並みにしようとすれば、80倍の予算が必要になる。その予算が講じられて初めて司法改革が目指した社会が実現可能になるのだ。

 ただでさえ、ひっ迫している国家財政の中で、本当かどうか疑問だが、上記の民事法律扶助予算の負担を、納税者の皆様は負担するつもりがある(だろう)、という前提で司法改革が進められているのだ。

司法改革が主張する、「法の支配を社会の隅々まで」といわれてみると、とても良いことのように思える。その社会では確かに公正さは担保されるかもしれない。しかし、それと引き替えに、基本的には問題解決作用であり、それ自体では何ら価値を生み出さない司法に、膨大なコストがかかるのだ。

 誰も試算しないが、アメリカのリーガルコストはおそらく膨大な金額になっているはずだ。アメリカでは企業が訴えられているので関係ないと思われる方もいるかもしれないが、企業がリーガルコストを一度は負担してもいずれそれは、製品はサービスの代金に転嫁されて、一般の国民の方の負担になる。

 「法の支配の徹底」とは、そういう社会(公正だけれども高コスト)を目指しているのだということを、知るべきだ。特にコスト面を、マスコミは無視し続けているので、たちが悪い。

 もう一度、熱にうなされて突っ走った司法改革を見直す必要がないのか、冷静になってみる必要があるだろう。

 さらに付け加えると、現在の国家財政を見るならば、民事法律扶助予算が諸外国並みに整備されることはまず不可能だろう。

 弁護士人口増員派の一部の方は、ペイしない事件などまだまだ潜在的ニーズはある、司法基盤整備が整えば、弁護士増員は正しかったことになる、と主張される。

 しかし、今回の書面のように、ペイしない事件に対して税金を投入することを納税者の皆様が許さないのであれば、ペイしない事件は永遠にペイしない事件であり、何ら弁護士のニーズにならない。

 2㎞100円ならタクシーに乗りたいという人は、タクシーの潜在的ニーズ層とはいわないだろう。一部1円なら新聞を買って読みたいという人は、新聞の潜在的ニーズ層とは呼ばないだろう。それと同じである。

 まだまだ、諸外国と比較して不十分なことは間違いないので、国民の皆様のために司法基盤整備は続ける必要はあると思うが、抜本的な民事法律扶助予算拡充という夢物語にいつまでもしがみついている場合ではないように思う。

 それを明らかにしたのが、今回の文書でもあると思う。

 怒りのあまり、散漫な文章になってしまっていることをお詫びします。

※記載内容については、全て執筆者の個人的な見解に基づくものであって、当事務所の統一した見解・意見ではありません。

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