花岡幸代ライブ~その4

その曲を単に音楽として捉えただけなら、私も普通に聴いていられただろう。しかし、その歌を聴いているうちに、上手く言えないのが本当にもどかしく、ありきたりの言葉になってしまうのが残念だが、曲の世界に引き込まれてしまった。

いや、より正確に言えば、単に曲の世界に引き込まれたというようなものではなかった。

ライブ会場に座って花岡さんの音楽を聴いている、私という客観的存在の中に隠され、普段の生活では様々な仮面の中で守られている、私の本質いうか、心そのものとも言うべき存在が、全くの無防備で、ありのままの姿で、その歌詞と曲に、すっと自然に優しく抱き寄せられてしまったのだ。

普段の自分が曲の世界にいるのではない。

それならまだ自分を保っていられる。

しかし今回は違う。

私という殻を脱ぎ去った全く無防備の、むき出しの、素の、私の心に、歌が優しく届いてしまうのだ。

こうなるともうダメだ。

花岡さんの音楽を聴いているはずなのに、もはや音楽を越えて、花岡さんの歌う歌詞を現実に追体験するのに近い感覚につつまれてしまう。

ああ、大事な人にこういう言葉を伝えたかった。
大事な人からこういう言葉を聞きたかった。
もっといろいろ話をしたかった。
もっと一緒に歩きたかった。

でも、、、、

自分のことではないのに胸が痛む。
自分の体験ではないのに勝手に涙腺がゆるむ。

一方、涙腺がゆるみ始めた頃、そういう状況を冷ややかにみようとする自分も、まだ、私の心の片隅には、恥ずかしながら少しだけ残っていた。

何なんだいったい。
仕事ではいつも冷静に対応しているじゃないか。
周りに大勢の人がいるぞ。
いい年こいたおっさんが、泣いているなんて滑稽なだけじゃないか。

だが、花岡さんのステージでの真っ直ぐな姿を目にし、伸びやかに透る歌声を聴いていると、もう今は、少なくともこの曲を聴いている今だけは、これでいいんだ、という気持ちに自然と傾いていった。

その結果、ぼろぼろと涙を流し、鼻をすすっている中年のおっさんが、一丁上がりで、出来あがってしまった。
照明が暗くて、またハンカチを持っていて本当によかった。

(続く)

花岡幸代ライブ~その3

前にステージがあるから当然前から現れると思っていたので不意をつかれた感じだ。花岡さんは、すっと私の後ろを通って、ステージの方へ向かって行った。少し小柄な方だ。仕事柄、法廷では裁判官は、法壇の横か法壇後ろ(つまり前)から現れる。傍聴席を通って法壇に上ることはない。

裁判官の登場方法になれてしまっていたせいか、少しだけ違和感を感じてしまった。違和感を感じた自分に、職業病かなと少し苦笑気味になる。

拍手ののち、花岡さんはギターを抱えて歌いだした。

ヴィブラートをあえてかけない、透る声。
ああ、CDで何度も聴いてきた、花岡さんの、あの声だ。

「る」が、私には、時折「とぅ」とも聞こえてしまう特徴も、おんなじだ。

花岡さんの素晴らしい歌声を、聞いたことがない方にお伝えするのはとても難しい。

聞いて頂くしかないと思うが、どうしても言葉で表現するなら、初冬の高原、ひんやりと肌寒い風が木々をゆらす中、枯れ葉を踏みしめて歩く誰もいない白樺林、その中から、絹雲たなびく、遠く高い青空をふと見上げた瞬間に感じる、感覚。どんなに悲しくて涙が浮かんでいても、その澄んだ青空を見上げたときに、悲しさとは違う、別の何かを一瞬だけ感じるその感覚。

これが私の、花岡さんの歌声から受ける印象に一番近い感覚だ。

だが今聞こえてくる、花岡さんの歌は、いつも聞いているCDとは何かが違う。

うまくいえないが、より、心に響くのだ。より、心に届くのだ。

CDでは、ご自分でハーモニーを入れているので、その部分はどうしても割愛されてしまう(当然ながら、一人で同時に違う音程の音は出せない。)。音楽の客観的な構成上は、音の厚みが減ってしまうはずだ。
だが、ライブで聞こえてくる音楽は、CDで聴く音楽より遙かに温もりと厚みがある。少なくとも私にはそう聞こえた。

それは、ライブという表現方法自体の効果なのか、音楽活動を中止していた18年の間に花岡さんが経験されたことによってもたらされたものなのか、それは私には、わからない。ただ、私は、「すん」と心に響いてくる花岡幸代さんの曲と歌詞にある種の幸福感を覚えながら浸っていた。

途中、ゲストの板倉雅一さんも参加され、何曲か一緒に演奏された。お二人は出会ってから1週間たっていないということだったが、とても息が合っていたように思う。

花岡さんは、来てくれた方にはできるだけたくさんの歌を聴いてもらいたい、と言っていた。現に、途中で簡単なお話しは挟むが休憩なしで、次々に音楽を紡ぎだしていく。

そして、世界で一番大切にされていた方が突然星になってしまい、その方を送る際に奏でた曲を、花岡さんが次に歌う曲として紹介された。

多分、花岡さんにとって一番大事な曲だったのではないだろうか。

できればその方お一人のためだけに取っておきたかった曲だったのかもしれない。
その方のために、この曲を封印しても誰も花岡さんを責めたりはしないはずだ。

しかし、花岡さんは、何かを自分の心の中で確かめるかのように、小さく息を吸って、そして、歌いはじめた。

(続く)

花岡幸代ライブ~その2

 チケットと裏面に花岡さんのディスコグラフィーが書かれたアンケート用紙、今後のスタジオ・ウーの講演予定者の広告を受け取る。入ってみると既に50人位はいただろうか。しまった、これでは来るのが遅すぎたくらいなのか。年代的には、私と同じ位かその前後の方が多いようだ。無理もない、花岡さんが音楽活動を停止してから18年も経っているんだから。

 ライブ会場は、左右の壁側にテーブル・椅子、真ん中に4人掛けテーブルと椅子がいくつか並び、最後方に高さのあるテーブルと、バーカウンターにありそうな椅子がある。

前方にはステージがあり、向かってやや左側にグランドピアノがおいてある。ステージ中央にイスとマイクがセットしてあるから、おそらくここで弾き語りをするはずだ。ということは、最前列が一番上等の席になるのかもしれないが、もういっぱいになっている。他のテーブルをざっと見渡したが、前の方は多くの人が既に着席している。何人もの方が坐ってお話ししている席に座りに行くのも少し気が引ける。

結局、4人掛けテーブルで坐っている方が一人だった、真ん中最後方に位置するテーブルを選ぶ。「すみません、よろしいですか」と声を掛けてから席に付く。私と同年代か少し若い位の男性だ。大きな会場ではないし、少し真ん中側に身を乗り出せば、花岡さんの姿も見ることが出来るはずだから、これでいいかと納得。

 アンケート用紙をもらったものの、筆記用具を忘れていた。これは失敗だ。ただ、同じテーブルの方が持っていたので、お借りする。ただ、ライブ終了後はその方がアンケートに記入するだろうから、仕方ないけど先に全部埋めてしまう。

 その男性と話してみると、花岡さんが音楽活動を停止する前から、何度もライブに出かけては終電で帰ったりしていたようだ。花岡さんのことはラジオ放送で知ったという。私は、花岡さんのラジオ番組を知らず、ふと気になって購入したCDがファンになるきっかけだったため、実は少し珍しいパターンだったのかもしれない。

 ふとライブ会場の後ろを振り返ってみて、ライブ会場入り口付近で花岡さんの新曲CDを販売している事に気づいた。ファンとしては花岡さんの新曲となれば、買わないという選択の余地はない。1000円だったけれど、消費税はいいのだろうか。余計な心配をしながらも時間は経過する。開演時間を5分ほど経過し、同じテーブルの空席に女性二人が着いた頃、ライトが消え、スポットライトを浴びながら花岡さんが、後ろから現れた。

(続く)

花岡幸代ライブ~その1

 以前のブログにも書いたが、花岡幸代さんというシンガーソングライターがいる。

 決してメジャーであったとは言えないが、20年ほど前に、素晴らしい2枚のアルバムといくつかのシングルを残した。

 私は、続編を待ち望んでいたが、その後、花岡さんの活動は、眼にすることが出来なかった。

 花岡さんが、世界で一番大事な人と一緒に穏やかな時間を過ごすために、音楽活動を停止していたということ、その一番大事な人が突然星になってしまったこと、については昨年開設された花岡さんのブログ(http://blogs.yahoo.co.jp/hanaokayukiyo)で知ることが出来た。

 その花岡さんが、18年ぶりにライブを再開すると聞き、これはどうしても聴いておきたくなった。

(以下 ライブの記憶である。)

 ライブ会場は、千葉県柏市のスタジオ・ウー。もちろん柏市なんて私にとっては見知らぬ街である。ド近眼の私は普段はメガネを掛けているが、道に迷った時のことを考え、より遠くまで見えるコンタクトレンズで出かけた。

 東京駅から上野駅までは山手線で、上野からは常磐線快速で柏に向かう。駅前は何となく、大阪の茨木市に似ていなくもないように思う。途中、目が乾いてきたので、マツモトキヨシで、コンタクト用目薬を購入し、スタジオ・ウーを目指す。途中段差で躓きながらも、HPに書かれていたとおり、マクドナルドを目印に、なんとかウーに続くエレベーターを発見。

 エレベーター前に貼られた今後の講演予定のビラなどを眺めてみると、大学時代に何度か聞いた沢田聖子の公演予定もあった。確か、アデューという曲もあったよなぁ、頑張っているんだ、などと少し懐かしく思いつつ、エレベーターで5階まであがる。

 開演30分前だが、既に数人の方が並んでいる。

 こういう場所は初めてに近いので、よく分からない。ただ、おのぼりさん丸出しというのも少し、しゃくなので、当然よく分かってますよ、という表情で、密かに前の人のやり方を伺う。

 システムとしては、前売りを予約した人は、名前を告げて確認してもらい、ドリンクを一つ注文するようだ。

 そこまで分かれば、かんたんだ。勝手知ったる振りをしつつ名前を告げて、ドリンクを注文する。アルコールがからっきしダメな体質なのでジンジャーエール(ウィルキンソン)を頼む。よく飲まれているカナダドライに比べて辛口だが、まあいいだろう。

(続く)

花岡幸代さん、コンサート決定

かつて、ブログで、花岡幸代さんのことを書いた。

http://www.idea-law.jp/sakano/blog/archives/2014/07/15.html

http://www.idea-law.jp/sakano/blog/archives/2014/07/18.html

その花岡幸代さんが、ほぼ20年近くの時を経て、復活ライブコンサートを開催することが決定している。

花岡幸代 LIVE 2015 ~あの頃のまま~
< 18年ぶりのステージは、育った街、柏から >
■ 2015年1月10日(土曜日)
■ 千葉/柏 Studio WUU 【http://www.wuu.co.jp/】
● 千葉県柏市柏1-5-20 プールドゥビル 5F
● 電話:04-7164-9651
● JR東日本 常磐線 快速・各駅停車(東京メトロ千代田線直通) /東武アーバンパークライン(野田線)
 「柏駅」下車。中央東口より徒歩3分。
■開場17:00 開演 18:00
■前売り・予約 3,000円 / 当日 3,500円 + Drink
※サポートゲスト:板倉雅一

私も予約した。

日程調整中だが、なんとか、花岡さんの本当に久しぶりのステージを拝見したいと思っている。

花岡幸代さん(シンガーソングライター)のこと~続き

 インターネット検索で見てみると、花岡さんはやはり、私の手に入れていた2枚のアルバム以外にアルバムは出されていないようだった。

 ただ、花岡さんの廃盤となっていたCDが復刻されていることはわかった。花岡さんを覚えている人達が後押ししたのか、もしくは覚えている人がCDを復刻する会社にいたのかそれはわからない。ともあれ、私には、花岡さんのあの素晴らしい曲達がまた世の中の方々に聞いてもらえる状態になっていることが嬉しかった。

 そして検索2頁目以降を丹念に見ていって、そのページのリンクまでチェックしていき、私はついに花岡さんのブログを発見することができた。

 今年の6月21日開始されたそのブログは、現在記事はまだ4つだけ。
 だが、その記事のふたつめ、「背中を押してくれたアダマス」には、どうして花岡さんが歌から離れていたのかに関する記事がある。私が下手に要約するよりも、花岡さんの記事をそのまま引用させて頂いた方が良いと思うので、以下に引用させて頂く。

(引用開始)

みなさん、お元気でしたか?
あらためましてお久しぶりです。
花岡幸代です。
ずいぶん長い間ご無沙汰してしまいました。
そう、18年間も…。

18年前、私が作る歌の主人公だった“世界で一番大切な人”と暮らし始めました。
歌を歌う毎日とは全然違うけれど、心のどこかでのぞんでいた、平凡だけど穏やかな日々。
その時間を大切にしたくて、私は歌から離れてしまいました。
優しさと笑顔に包まれて、そのままずっとそうしていたかった。

でも、神様はそれを許してはくれませんでした。
世界で一番大切な人は突然、本当に突然、星になってしまいました。

自分の体が半分死んでしまったみたいな日々、気持ちが後ろ向きだった時に、
『ねぇ、また歌ってみれば?』
って、18年間も置き去りにしていた当時の相棒ギターの“アダマス”が、私の背中を押してくれたような気がしました。
ホコリをかぶったケースを開けて、本当に久し振りにそのギターと向き合った時、うつむいていた心から水が溢れるように、私の気持ちが動き始めるきっかけになったと感じています。

…まもなく、世界で一番大切な人が星になった季節がまたやって来ます。
その時が過ぎたら、LIVEを再開したいと思っています。

今は、またみなさんにお会い出来る事を、心から楽しみにしています。

花岡幸代

(引用終わり)

 私は、この文章を読んで、CD「さよならの扉」に収録されていた「さよならの扉」、「サイド・バイ・サイド」を想いだしてしまった。
 花岡さんのCDには、当たり前の日常が大切であることや、生徒時代の淡いけれども強くしかし伝えられない恋心などが、優しい風のような曲となって流れている。そこには相手を大事に想うからこそ、相手が自由を求めているのであれば自分の想いを抑え、自分の身を引いてでも相手の自由を尊重する、相手を本当に思いやれる凛とした愛情が溢れている。

 私の記憶している「サイド・バイ・サイド」の歌い出しは、確かこうだ。

 「遠回りしたけど こうして2人 歩いている川のほとり」

 この歌詞から私が勝手に想像する限り、おそらくこの曲を書いたときの花岡さんは、様々な困難を乗り越えて世界で一番大事な人と一緒に歩けることになり、その幸せを感じていたのではないか。しかし、それの幸せを抱きしめながら、幸せすぎる心のどこかで、この幸せが永遠に続くことがないという不安を感じ、予感していたような気がしてならない。

 私は、あまりライブコンサートに出かけたことはないが、花岡さんのライブコンサートがあるのなら、行ってみたいと思っている。

花岡幸代さん(シンガーソングライター)のこと

20年近く前だと思うが、ふと気になって購入したCDがあった。

花岡幸代さんの「金のりぼん」 である。

 アコースティックな響きを大切にした曲がとても気に入り、これは大当たりだと1人で宝物でも見つけたかのように興奮したことを、いまだに覚えている。貧乏な司法試験受験生だった私には、もう一枚出されていたCDをすぐに買うことができず、食費をけちって、その翌月にもう一枚のCD「さよならの扉」を買い求めたものだった。

 花岡さんは、確かデビュー時にすでに30歳くらいの、かなり遅咲きのシンガーソングライターだったと思う。遅咲きのデビューにはきっとなんらかの理由があり、花岡さんは間違いなく苦労されていて、それでも自分の道をつらぬいて夢をかなえたアーティストなのだと、私は、彼女の曲から何の理由もなく勝手にそう感じていた。
 そして、なかなか司法試験に合格できず先の見えない自分を、花岡さんのような人もいるのだから、と励ましつつ、勉強に疲れた頭に彼女の清潔感あふれる曲と歌声を聞かせてやったものだった。

 その後、私はなんとか司法試験に合格したが、花岡さんは次のアルバムを出さなかった。
 私は、ときおりCDショップに行ったときに、邦楽ハ行のコーナーをチェックするのが癖になってしまったのだが、何度行っても彼女の新しいアルバムは見つからなかった。

 いつしか、私はCDショップのハ行のコーナーをチェックすることもなくなり、次第に、花岡さんはもう消えてしまったのだと考えるようになっていた。私は、引っ越しのどさくさでCD「金のりぼん」をなくしてしまったが、幸い手元に残っていたCD「さよならの扉」は、自動車のミュージックボックスに録音して時折聞いていた。

 先日、「さよならの扉」を聞いていたときに、花岡さんはひょっとして新しいアルバムを出していないのだろうか、と不意に私は思った。

 20年前と違い、今はインターネットという便利な道具がある。

 私は検索をかけてみたのだった。

(続く)

映画「風立ちぬ」~宮崎駿監督作品

以下の感想は、あくまで一度だけ映画を見た私の感想であり、パンフレットも買っていないので、宮崎駿監督の意図から完全に外れてしまった捉え方をしたうえでの感想となっている可能性があることをご理解の上、お読み頂下さい。

また、この感想をお読み頂くのであれば、その前に必ず、劇場で映画をご覧頂くことをお勧めします。

(以下感想)

一般に善きこととされているはずの「夢を追うこと」、「人を想うこと」、は残酷な面を孕むものである。夢を追ってもかなえられるとは限らないし、例え夢が叶ってもその代償として失われるものも決して少なくない。人を想ってもその想いが叶えられるとは限らないし、例え叶ってもいずれ別れの日がやってくることは避けられない。

しかし、それでも夢を追い続けること、人を想うこと、そして、それらを含めて懸命に生きることは美しいのだと、感じさせてくれる映画だったように思う。

映画の中では、違和感を感じる場面もある。例えば、主人公は、一度も会ったことのないイタリアの航空技師カプローニの夢を見ることになり、主人公の中で夢と現実が交錯するような場面が数カ所ある。どうしてこのような描写が必要なのか。また、自らの試作機が墜落し、ばらばらになって放置されたハンガーの描写があるのに、その後の社内でのやりとりなど、当然描かれておかしくない場面が大胆に省略されている部分もあるように思う。一方、二郎とその妻である菜穂子との美しい想い出は、これでもかというくらいに丁寧に描写されている。

しかも、それらの場面において、描写されている視点がいずれも、客観的なものではなく、主人公二郎の目線から描かれているように感じられる。

映画を見ているときには気づけなかったが、映画館を出た後、ひょっとしたら、この映画は、主人公である堀越二郎の回想と捉えることができるのではないか、と私は感じた。

上手く言葉で表現できないことがもどかしいが、おそらく老境にさしかかっているであろう主人公二郎が、自分の半生を自ら振り返った際に、美しい想い出はより美しく、苦い想い出は忘れはしないが緩和されて思い出されたのではないだろうか。そう考えれば、何度かあるカプローニとの夢の中での交流も理解できなくはない。

病床の妻を抱えながら必死に二郎は、(美しい飛行機が戦闘機であるという矛盾はあるものの)自らの夢をかなえるために生きた。妻の菜穂子も、最も二郎が大変な時期に少しでも近くにいたいと、自らの病状悪化を顧みず病院を抜け出して二郎に寄り添い自らの人生を輝かせた。

そして、最愛の妻は、この世を去る際に「生きて」と二郎に伝えた。

もちろん、最愛の妻との別れは、二郎にとって生きる気力を挫くに十分すぎるほどの打撃だったかもしれない。

しかし二郎は、最愛の妻の言葉に励まされ、自らの夢を賭けた仕事、妻への想いを抱えながら、「生きねば」と決意し、今日まで懸命に生きてきた。

そして、今振り返ってみて、おそらく、妻の言葉と二郎のその決意は正しかった。私の生き方もそしておそらくは妻の生き方も、やはりこれで良かったのだ、という想いが二郎にはあったのではないだろうか。

ここまで考えたときに、私は、宮崎駿監督が主人公の二郎に、自分を重ねているのではないかとも感じた。宮崎駿監督にしても、これまで仕事の途中に様々な出来事があっただろう。それでもおそらくは(自らの夢を賭けた)仕事に最善を尽くし、ご家族・関係者もそれを支えてきたはずだ。

その宮崎駿監督自身が二郎の姿を借りて、仕事を始めとして懸命に生きてきた自分自身を顧み、支えてくれた家族や関係者の方への語り尽くせない感謝と、この生き方がおそらく監督としては正しかったと思えること、を示したかったのかもしれない。

もしも、この私の邪推が正しかったとしたら、宮崎駿監督はこの映画を最後に、もうアニメ映画を作らないつもりなのかもしれない。ここまで、自らの想いを語ってしまった後には、次に語るべきものが容易に見つかることは考えにくいからだ。

私の勝手な感想が、全くの的外れであったとしても、この映画は美しい。飛行シーンで雲が質感を感じさせすぎる面はあるが、空の美しさなど、私が実際にグライダーで飛行していたときに見た空よりも美しく感じられた。

確かに、声優があまりにセリフ棒読みだとかの批判は当然あり得るだろうし、映画に入り込めるかどうかによって、評価は分かれるはずだ。

それに、内容としては、中高年の特に男性を結果的にターゲットにした状況になっていると思われ、決して子供向け・ファミリー向けとはいえない映画である。

しかし、そうであっても、この美しい映画を見て、損はない、と私は思う。

ディクテーター~独裁者 身元不明でニューヨーク

(ストーリー)
ワディヤ共和国の将軍アラジーンは、力いっぱい独裁者である。アラジーンは、核兵器開発疑惑の釈明を求められ、国連サミットに出席するためニューヨークを訪れる。しかし、そこで何者かに拉致され、ヒゲをそられてしまう。その頃将軍の側近は、将軍の影武者を使い、裏で石油利権を狙う中国資本・石油メジャーなどと手を組んで驚きの民主化宣言をしていた。将軍の威厳を失ったアラジーンは、反撃の機会を狙い、スーパーの店員として潜伏することに。

多少下ネタも、不謹慎なネタもある、R15指定の映画だが、かなり笑わせてもらえる。しかも笑わせるだけではないところが良い。

アラジーン将軍は言う。

「アメリカが独裁国家になったらどうなる?」

「上位1%の富裕層が国の富を独占する。金持ちに減税し金融危機を引き起こした銀行を国税で救済する。庶民の教育費や医療保険は援助しないのに。囚人を拷問する。国民の電話を盗聴する。選挙で投票数を誤魔化す。国民に嘘をついて戦争を起こす。メディアは裏で1人の人物に支配され、国民の利益に反する投票を促す。誰も文句を言わない!」

民主主義国家を標榜するアメリカで実際に生じている病理現象をネタにした痛烈な風刺だ。独裁者は、現代では、1人の人間ではなく、民主主義の仮面をかぶり社会機構として命脈を保っている(若しくは復活しつつある)ということか。
民主主義の名の下に、独裁国家よりひどい状況が生じようとしているのではないか。それは民主主義という誰も非難できない外観を持つだけに、その裏に隠された残酷な状況を見過ごしているのではないか、そのような指摘をこの映画は押しつけがましくなく提示しているような気がする。

ニューヨークのスーパーでのアルバイトと恋愛経験によって、帰国後に良い将軍に変わってくれるのかと思えば、さにあらず。変に教訓的でないところも気に入った。

これだけ面白い映画なのに、関西地区では京都で1館、大阪・兵庫で2館ずつの上映。しかも、明日(21日)の上映で終わってしまうところが多そうなのが残念。

公式サイトは以下のURL

http://www.dictator-movie.jp/

予習不足だったかも・・・

先日、映画「プロメテウス」を見る機会がありました。

なんでも「人類はどこから来たのか」と、非常に興味を引くコピーで広告していたことと、監督が「ブレードランナー」のリドリー・スコット監督であるという2点から非常に期待して映画館に乗り込みました。

映画の内容については、まだ未見の方もいらっしゃるので、敢えて触れませんが、「エイリアン」を見ていないと「なんじゃこりゃ!あの宣伝文句は嘘でしょ!」と思われる方のほうが多いのではないかと思いました。つまり、予習が必要な映画だと思われます。

さてそのプロメテウスですが、冒頭のシーンで、原始の地球と思われるシーンがあります。ところが、どうもその光景に私は、見覚えがあったのです。
私がリドリー・スコット監督が描く原始の地球を事前に知っているはずもなく、私と監督の原始の地球のイメージが偶然一致するとも思えません。
デジャビュかなとも思ったのですが、どうやらそれは間違いで、後で撮影場所を調べてみると、やはり一度見たことがあったようです。

映画冒頭の撮影場所は、アイスランドでした。今でも、プレートが生まれつつある国土を持っており、言い換えれば、常に引き裂かれつつある大地を有する国です。都市部以外は荒涼とした景色が続いたように記憶しています。原始の地球を描くには、格好の国だったのかもしれません。

私が以前訪れたときは、金融危機も起こっておらず、当時金融立国を目指して経済も絶好調だったアイスランドの首都レイキャビクは、物凄く繁栄しているように見えました。大晦日の深夜から新年を祝うために、住民が花火を打ち上げるのですが、あまりの花火の多さに、ホテルの部屋の中まで花火の匂いがしてきたくらいです。
現在でも、アイスランドは深刻な経済危機からまだ立ち直れていないようです。

予習不足で消化不良に終わったことを残念に思いつつ、あまりに国家として虚業に力を入れすぎると、その報いが何時か来てしまうような気がするなぁ、と何となく感じてしまった映画「プロメテウス」でした。