花岡幸代ライブ~その3

前にステージがあるから当然前から現れると思っていたので不意をつかれた感じだ。花岡さんは、すっと私の後ろを通って、ステージの方へ向かって行った。少し小柄な方だ。仕事柄、法廷では裁判官は、法壇の横か法壇後ろ(つまり前)から現れる。傍聴席を通って法壇に上ることはない。

裁判官の登場方法になれてしまっていたせいか、少しだけ違和感を感じてしまった。違和感を感じた自分に、職業病かなと少し苦笑気味になる。

拍手ののち、花岡さんはギターを抱えて歌いだした。

ヴィブラートをあえてかけない、透る声。
ああ、CDで何度も聴いてきた、花岡さんの、あの声だ。

「る」が、私には、時折「とぅ」とも聞こえてしまう特徴も、おんなじだ。

花岡さんの素晴らしい歌声を、聞いたことがない方にお伝えするのはとても難しい。

聞いて頂くしかないと思うが、どうしても言葉で表現するなら、初冬の高原、ひんやりと肌寒い風が木々をゆらす中、枯れ葉を踏みしめて歩く誰もいない白樺林、その中から、絹雲たなびく、遠く高い青空をふと見上げた瞬間に感じる、感覚。どんなに悲しくて涙が浮かんでいても、その澄んだ青空を見上げたときに、悲しさとは違う、別の何かを一瞬だけ感じるその感覚。

これが私の、花岡さんの歌声から受ける印象に一番近い感覚だ。

だが今聞こえてくる、花岡さんの歌は、いつも聞いているCDとは何かが違う。

うまくいえないが、より、心に響くのだ。より、心に届くのだ。

CDでは、ご自分でハーモニーを入れているので、その部分はどうしても割愛されてしまう(当然ながら、一人で同時に違う音程の音は出せない。)。音楽の客観的な構成上は、音の厚みが減ってしまうはずだ。
だが、ライブで聞こえてくる音楽は、CDで聴く音楽より遙かに温もりと厚みがある。少なくとも私にはそう聞こえた。

それは、ライブという表現方法自体の効果なのか、音楽活動を中止していた18年の間に花岡さんが経験されたことによってもたらされたものなのか、それは私には、わからない。ただ、私は、「すん」と心に響いてくる花岡幸代さんの曲と歌詞にある種の幸福感を覚えながら浸っていた。

途中、ゲストの板倉雅一さんも参加され、何曲か一緒に演奏された。お二人は出会ってから1週間たっていないということだったが、とても息が合っていたように思う。

花岡さんは、来てくれた方にはできるだけたくさんの歌を聴いてもらいたい、と言っていた。現に、途中で簡単なお話しは挟むが休憩なしで、次々に音楽を紡ぎだしていく。

そして、世界で一番大切にされていた方が突然星になってしまい、その方を送る際に奏でた曲を、花岡さんが次に歌う曲として紹介された。

多分、花岡さんにとって一番大事な曲だったのではないだろうか。

できればその方お一人のためだけに取っておきたかった曲だったのかもしれない。
その方のために、この曲を封印しても誰も花岡さんを責めたりはしないはずだ。

しかし、花岡さんは、何かを自分の心の中で確かめるかのように、小さく息を吸って、そして、歌いはじめた。

(続く)

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