映画  「大誘拐 RAINBOW KIDS」

 刑務所を出所したばかりの3人組が、和歌山の山林王である柳川家の当主であるおばあちゃんを誘拐しようと計画する。首尾良く誘拐に成功したと思ったら、身代金が5000万円であることを聞いたおばあちゃんが「見損なってもろたらこまる!」と大激怒。「100億や。びた一文まからんで!」と身代金をつり上げるよう誘拐犯に要求する。おばあちゃんの剣幕に押されて、身代金要求額を100億円としてしまった誘拐犯達だが・・・・・・。

 天藤真の小説「大誘拐」を岡本喜八監督が映画化したこの作品は、おばあちゃん役の北林谷栄と脇を固める緒方拳、樹木希林などの好演もあり、とても楽しめる作品になっています。

 私は、和歌山の龍神村が出てくる話と聞いて映画館で見たのですが、大画面で見て良かったと思える映画でした。おばあちゃんが誘拐されるまでが少しテンポが緩い気がするのと、風間トオルが素人っぽ過ぎるのが気になりましたが、おばあちゃんが誘拐された後は時間を忘れて一気に最後まで。

 見終わった後は、「うん、面白かった。」と素直に言える映画だったと記憶しています。

 ずっとビデオしかなくて、早くDVDにならないかと期待していたところ、昨年2月頃やっとDVD化されました。ご家族でご覧になっても十分楽しめる作品だと思いますので、是非一度ご覧になることをお勧めします。

 北林谷栄と緒方拳のラストは、一見穏やかな中に、すさまじい切れ味を秘めた名優同士が対峙するという、気品ある中に凄味を秘めた、素晴らしいシーンでした。

 東宝DVD 4500円(税別)

「見捨てられた街」 フェルナン・クノップフ

 私が最初に海外旅行を経験したのは、旅行好きの祖母に連れられて、親族らとヨーロッパに旅行させてもらったときでした。

 一応ツアーの旅行のようでしたが、何度も土産物店に連れて行かれ、嫌気がさしたので、途中からはわがままを言って自由行動をさせてもらいました。自分から言い出して自由行動させてもらったのに、緊張しながら街を歩いた記憶があります。

 その自由行動の際に、ブリュッセルの王立美術館で、クノップフの「見捨てられた街」を見ました。ほんとうはルネ・マグリットの絵を見に行くことが目的だったのですが、幾つかあったマグリットの作品以上に引きつけられてしまった絵でした。

 おそらく鉛筆とパステルだけで描かれた絵なのですが、人の気配が完全に消された街が描かれているのです。そして、水が(若しくは全てを眠らせ無に返すような何かが)広場を音もなく覆い尽くそうとしている絵です。彫刻が置かれていたと思われる台座にもすでに像は置かれていません。

  上手く言えないのですが、街の人々が街を見捨てて去っていった後というより、何らかの超人間的な意思の力によって人間及びその関係物が消し去られている状態のような気がしました。神のような存在が街を、それはどこか分からないのですが、あるべき所に返そうとしているその過程に生じた一瞬の人間性の抹消、つまり人間を超えた力により主体的に作出された無であるかのような感じをうけました。

 ですから、「見捨てられた街」という絵の題名が直訳であるならば、ここで「見捨てられた」とは、人々に見捨てられた街ではなく、「造物主にすら見捨てられた」という意味なのかもしれません。

 絵自体は、美しく、そして静かな絵です。絵の中に描かれている街だけでなく、そこにあるその絵、それ自体が、ただひたすらに静けさの中にあるべく運命づけられているような感じを受けたことも事実です。

 なお、司法試験合格後に、ヨーロッパを再訪した際にもブリュッセルに立ち寄って、絵を見に行きました。その際は光の加減か、絵が黒ずんで見えてしまい、最初に見たときのような不思議なオーラは薄まってしまっていたような気がしました。無料だった王立美術館が入場料を取るようになっていたため、ちょっと嫌な気になっていたという私の個人的な感情からそのように見えてしまったのかもしれません。

 機会があれば、もう一度あの不思議な静けさに浸れるのか、試してみたいと思っています。

マイケル・ケンナ(写真家)

 イデア綜合法律事務所は、パートナー弁護士がそれぞれ執務室をもっており、自室の内装、家具は全て各弁護士の自由に任されています。それぞれの弁護士の個性がうかがえて、面白いですよ。

 さて、私が執務室の入り口付近に、飾ってあるのが、マイケル・ケンナの写真集です。

 正確には、MICHAEL KENNA   A TWENTY YEAR RETOROSPECTIVE という題名の写真集です。今はもうなくなってしまったトレヴィルという会社が発行し、リブロポートが発売していました。私のもっているものは、1994年11月20日初版発行のもので、当時の定価は5150円(本体5000円)でした。まだ司法試験受験生だった当時、かなり無理して手に入れたような気がします。

 もう10年以上も前の写真集なので、外側は日焼けもしてきておりますが、中の写真は素晴らしいものばかりです。まるで魔法を用いて音のない世界を作り出したかのようなモノトーンの写真が並び、決して沈黙しているわけではないのに、何故かしら静謐な世界に浸っていくと、次第に深い清浄な世界へと導かれ、魂が浄化されていくかのような錯覚さえ覚えます。

 あまりに素晴らしいので、一生に一枚だけでもいいから、この人のような写真を撮ってみたいと思ってしまいます。

 私のもっている写真集は絶版のようですが、RETOROSPECTIVE2 や、HOKKAIDOという写真集が発売されているようなので、興味をお持ちの方は是非一度ご覧下さい。また、私の部屋に来られた際に、ご希望があれば見て頂いてかまいません。

 写真がこんなに素晴らしいものであることを、1人でも多くのかたに知って頂けたら嬉しく思います。

映画 「ゲーム」

 投資家のニコラス(マイケル・ダグラス)は、誕生日に弟(ショーン・ペン)からプレゼントをもらう。そのプレゼントとは、CRS社の提供するゲームなのだと弟はいう。CRS社に出向いたニコラスだが、結局ゲームには不適合であると宣告される。しかし、ニコラスの身辺には奇妙な出来事が頻発し、そこにはCRS社の影がちらつく。今、会っているこの人物は、敵なのか、味方なのか。今、経験していることは、罠なのか、そうでないのか。ニコラスは、次第に追いつめられていく。

 ネタばれしないように、内容を紹介すると大したことない映画のように思われるかも知れませんが、なかなか面白い映画です。一気に観客を引き込んで、最後まで引っ張り続ける力がある映画だと思います。お盆休みにはお勧めでしょう。ちょっと値段が高いのが残念です。

 監督はデビット・フィンチャー。「セブン」、「ファイトクラブ」、「パニックルーム」などを撮っています。最近では「ゾディアック」が公開されたので、ご覧になった方も多いのではないでしょうか。

 私はこの映画を映画館で最初に観たとき、O・ヘンリーの短編小説の翻案ではないかと思いました。久しくその記憶を忘れていたのですが、最近久しぶりにO・ヘンリーの短編集を読んだ際に、「黄金の神と恋の射手」という作品があり、これが「ゲーム」の元ネタではないかと改めて感じた次第です。

 もしまだご覧になっておられない方は、O・ヘンリーの短編集を読む前に、必ず先に「ゲーム」をご覧下さい。映画に入り込めれば相当面白い時間を過ごせると思います。

DVD 6300円(税込)

映画 「夢見るように眠りたい」

 私立探偵の魚塚甚(佐野史郎)と助手の小林のもとに、桔梗(佳村萌)という娘を誘拐されたので、誘拐犯からの謎かけを解いて、連れ戻して欲しいとの依頼が来る。その謎掛けとは「将軍塔の見える、花の中、星が舞う」というMパテー商会からの奇妙な暗号だった。桔梗を探すために活動を開始した、魚塚と小林だが、逆に身代金として渡されていた100万円を奪われてしまう。追跡を続ける魚塚は、次第に大きな流れにのまれていくように「永遠の謎」に巻き込まれていく。

 林海象監督が、第1回監督作品として制作したこの映画は、わずか83分の作品ですが、映画に対するとてつもない愛と想いが込められている作品のように思われます。この映画が制作された1986年当時は、私の出身地の田舎の方では、小さな街の映画館が次々とつぶれ、その後、ようやく少しずつ復興し始めた頃でもあり、映画界が(特に邦画に関して)元気を失っていた時代であったのかもしれません。その頃に、「忘れないで欲しい。映画はこんなにも素晴らしいものなんだよ。」と、映画を使って夢を紡いで見せたのが、この作品だったのではないかと思います。

 ラストシーン近くで、魚塚が「桔梗」と叫ぶシーン、桜の花びらが舞い散る庭のシーン、まるで穏やかな誰もいない海で、仰向きに泳ぎながら、水面下数メートルから空を見上げているように流れる音楽、 出来れば小さなオフシアターで、もう一度見てみたい映画です。

DVD 4700円(税抜)

J・Sバッハ カンタータ BWV106番

 バッハ、クラシック音楽、カンタータ、なんて聞くと、もう嫌だという人もおられるかもしれませんね。

 しかし、このカンタータは私はお勧めだと思います。哀悼式典用に作曲されたカンタータで、題名は訳した人によって多少違いますが、「神の時こそいと良き時」という意味だそうです。

 私は、クラシック音楽に関する知識はほとんどありませんから、個人的に好きかどうかくらいのお話しかできません。曲自体に関する解説は、評論家など専門の方の書かれた文章を参考にして下さい。

 さて、この曲ですが、哀悼式典用の音楽ですから、誰か親しい方が亡くなった場合に演奏されたものなのだと思います。

 しかし、決して重苦しい悲しみだけを表現した音楽ではないように思います。私がこの曲から受ける印象は、「親しい人が永遠の眠りに就き、良く晴れた冬空の下、葬儀の帰り道にもう会えない人との時間を思い出しながら大きな糸杉が植わった誰もいない並木道を1人歩き続け、ふと見上げた時に、どこまでも晴れ渡った青空に気づいたときの感覚」に近いというものです。この曲には不思議なそして静かな明るさがあるような気がします。

 「車輪の下」等の小説で有名な作家のヘルマン・ヘッセもこの曲が好きだったようで、彼の小説「デミアン」の中に、この曲のすばらしさを記した部分があります。

 私の持っているCDは、カール・リヒター指揮のものですが、他の指揮者の方の演奏も発売されているので是非お試しを。

林正子さんのソプラノコンサート

 あるところよりご招待券を頂いたので、ソプラノ歌手、林正子さんのコンサートに行ってきました。

 私にとって、ソプラノ歌手のコンサートは、10年以上前にザ・シンフォニーホールでエディタ・グルベローヴァのコンサートを聴いて以来のものでした。

 さて、コンサートの感想の方ですが、一言でいうと、コンサートは想像以上に素晴らしいものでした。アリアもよかったのですが、アンコールも含めて2度歌われた「見上げてごらん夜の星を」~坂本九ちゃんの歌です~は感動的で、2度目にアンコールで聞いた際には、不覚にも涙をこらえることができませんでした。

 上手く表現できないのが残念ですが、音楽的な技術・技巧で感動したのではなく、そこで作り出された音楽が、市井の名もなき人々がささやかな幸せを祈るその切ない思い、そして、その切ない思いが必ずしも叶えられるとは限らない人々への慈しみ、それ自体に昇華して、ただそれだけが会場を包み込んでしまったような感じでした。

 もはや音楽が表現をするというものではなく、音楽が、その切ない思い・慈しみそのものとなって会場を満たしたと言うほうが適切かもしれません。

 う~ん、上手く表現できませんね。こういうとき言葉は不便だと痛感します。一度聞いて頂くしかないのかもしれません。

 今後もコンサートを各地で開かれるそうなので、機会があれば是非足を運ばれることをお勧めします。