恥を知れ!

 毎日放送で、弁護士の就職難が取り上げられていました。

 頑張って弁護士になった方が就職がなく、仕方なく、いきなり独立しておられる状況を紹介していました。彼は、事務員も雇わず自分一人で事務所を運営し、毎月25万円の売上を上げますが、経費を差し引くと毎月20万円の赤字だそうです。生活を切りつめ、貯金を取り崩し、両親に援助を願ってなんとか、弁護士稼業を続けている様子でした。非常に危険な状態です。経済的にも仕事的にもです。仕事面で言えば、いきなり独立する弁護士は、医師に例えれば研修医期間を経ずに、いきなり第一線で手術をやることに近いといっても言い過ぎではないでしょう。

 つまり、何度も言ってきましたが、完全に弁護士需要がだぶついているのです。しかも、昨年就職活動中であった新・旧60期の修習生ですらこの有様なのですから、次の61期の就職は極めて困難を極める方が続出するでしょう。大阪弁護士会の就職相談では、50人程度の募集に、320人が参加するという異常事態になっています。今直ちに、増員を停止しても、今までのスピードで弁護士のだぶつき状態は進行し続けます。

 それにも関わらず、放送中に日弁連副会長は「ニーズの調査を今やっているところだ」などと、完全に寝ぼけたことを言っています。すでに、日弁連の行った企業へのアンケートで弁護士のニーズがないことは明らかになっています(昨年11月28日のブログをご参照下さい)。

 日弁連執行部は自分たちで行ったアンケート結果すら隠ぺいして、問題を先送りしているとしか思えません。おそらくもう少しで任期が終わるので、何とか任期中に問題を明らかにしたくないのでしょう。なんて情けない執行部なのでしょうか。

「恥を知れ!」

本日の朝日新聞朝刊の伊藤教授のご意見は・・・その2

 次に②の問題に入ります。伊藤教授は新聞で取り上げられた事件を持ち出して、弁護士の「需要が飽和状態」であるということは、疑問であると言われています。

 学者であるならば、新聞から得られる印象ではなく、ある程度の根拠を持って発言していただきたいものです。

 司法統計によれば、地方裁判所と簡易裁判所に提起された民事・行政訴訟事件は平成15年あたりをピークに減少しており、地方裁判所では33%程度減少、簡易裁判所でも22%程度減少しています。破産事件も平成15年と比較すると31%の減少を示しています(平成18年の司法統計による)。

 なにより、昨年12月に司法研修所を卒業した法科大学院1期生(新60期生)新人弁護士の就職が極めて困難であったことが明白な弁護士需要飽和の証拠です。弁護士の需要が多くあり、弁護士が不足しているのであれば、新人弁護士は引く手あまたであり、就職が困難である状況など発生するはずがありません。新60期の採用に関して、既に無理して採用した事務所も相当数あるため、新61期の方の就職は更に厳しいと予想されています。

 さらに、弁護士会の行ったアンケート調査でも今後5年間で企業(アンケート回答した1129社)が採用を考えている弁護士数は、わずかに47~127名に過ぎません。
 1年あたりにすると、1,129社も会社があって、弁護士の採用予定はたったの9~25名です。法曹人口増加を求めていたのはもともと経済界でしたが、完全に経済界には需要は見込めないことが明らかになっています。経済界の状況が変わったのです。悪く言い換えれば経済界にだまされたのです。

 弁護士会からの、採用要請についても、ほとんどの企業が応答していないのが現状のようです。

 この状況をどう見れば、弁護士需要が飽和していないといえるのでしょうか?事件も減少している、採用してくれる企業はない、何より新人を採用しようという事務所がない、どこからどう見ても弁護士は余ってきているのです。

 ③の問題に移ります。訴訟社会の到来については、私も本当にあり得るのか疑問があるところであり、伊藤教授の見解について、そう異論はありません。ただ、現在は制度的前提がアメリカと異なっていますが、アメリカのような制度が導入された場合は、相当程度の確率で訴訟社会が生じる可能性はあると思います。その際に、過剰な弁護士が存在していれば、利益第1主義に走る弁護士が一気に後押ししてしまうことになるでしょう。

 なにより、司法研修所教官によれば、法科大学院卒業の司法修習生は、ビジネスロイヤー志向が強いと評されており(法務省のHPに公開されている「第34回司法試験委員会ヒアリングの概要」参照)、利益第1主義に近いところにいるとも言えます。つまり法科大学院卒業の弁護士の傾向が訴訟社会への起爆剤に十分なりうるということです。高い法科大学院の学費を払わされてきて、借金した状態で弁護士をはじめるわけですから、ある意味ビジネスロイヤー志向が強いのもやむを得ないと思います。しかし、伊藤教授のご意見に反しているようで皮肉なものですね。

 最後に伊藤教授の仰る④法曹の数の増加が質の低下を意味してはならない。国民は少数のエリートではなく、豊かな人間性を持った多くの法律家の誕生を望んでいる。過疎地域で教え子が弁護士として頑張っていることからも、そう思う、という点について考えます。

 「法曹の数の増加が質の低下を意味してはならない」、という御主張は私も大賛成です。ただし、その点で法科大学院が既に失敗し、法曹全体の質の低下を招いていることは何度もブログで書いたとおりです。ただ誤解して欲しくないのは、私は法科大学院卒業の弁護士さんでも全員が問題があるといっているのではありません。上位の方は従来の司法試験合格者と勝るとも劣らない力をお持ちだと思います。ただ、中位~下位の方は、残念ながら基礎的な知識・思考が不十分な方が含まれており、結果的に法律家全体のレベルダウンにつながっていると考えているのです。

 次に「国民は少数のエリートではなく、豊かな人間性を持った多くの法律家の誕生を望んでいる。」という主張は、一面において真実です。ただし、きちんとした法的知識と法的能力がある法律家であることが、絶対条件です。伊藤教授の主張にはその点の配慮が欠けています。

 再度医師に例えて説明しますが、豊かな人間性を持った藪医者が多数いても、救える命が救えないのですから、決して国民は幸せにはなれません。藪医者に危険な目に遭わされるくらいなら、豊かな人間性がなくても腕の良い医者を求めるでしょう。法律家として弁護士として最低限度の知識と能力が身に付いていることが前提であれば、豊かな人間性のある弁護士を求めているという主張は正しいと思います。ただ、再度言いますが、伊藤教授の主張はその前提となる絶対条件が欠けています(というより、法科大学院は優秀な法律家を多数生み出しているという幻想を盲信しているのではないかと思われます。)。

 そして、弁護士過疎については、既に弁護士が余っていますから、私が1月9日のブログに書いたとおり、弁護士会執行部が本気になって、自ら犠牲になる気が出れば、すぐにでも解消できるはずです。3000人見直しの決定的反対理由にはなりません。伊藤教授の教え子さんが、過疎地域で活動されているのは立派だと思います。しかし、法科大学院を出てすぐの伊藤教授の教え子さんが過疎地域で弁護士の仕事をされているのであれば、非常に危険があります。私の経験からも言えるのですが、弁護士の仕事はオンザジョブトレーニングが重要な仕事であり、やはり、経験者の下である程度の訓練期間をおくべきなのです。弁護士になると同時に独立することは、研修医期間を経ずにいきなり大手術を行うこともある病院の最前線において、たった一人で活動するようなものです。

 ただ、弁護士過疎について、自分の名誉と保身に走る部分がある日弁連、弁護士会執行部が自ら解決してくれるとは思えません。弁護士としても弁護士会、日弁連の大掃除をしなければならない日が近いのではないかと思います。

 あまりの伊藤教授の現実認識のまずさに、思わず長文になってしまいましたが、長い反論を読んで下さって有り難うございました。

本日の朝日新聞朝刊の伊藤教授のご意見は・・・ その1

 本日の朝日新聞朝刊、「私の視点、ワイド」欄に、早稲田大学法科大学院客員教授である、伊藤真さんの投稿が載っていました。

 法曹人口毎年3000人の増加を見直す動きについて憂慮していると、大きな題目が書かれていましたが、とても現実を見ていない机上の空論を振りまわしておられるなぁ、とあきれてしまいました。

 伊藤教授のご意見は簡単にまとめると、

前提 法科大学院は質の高い法律家を数多く養成するために発足した制度である。

①弁護士という職業も競争原理の中で競わせるべきだ、

②需要が飽和状態というのは疑問である、

③訴訟社会の到来は杞憂である、

④法曹の数の増加が質の低下を意味してはならない。国民は少数のエリートではなく、豊かな人間性を持った多くの法律家の誕生を望んでいる。過疎地域で教え子が弁護士として頑張っていることからも、そう思う。

というもののようです。

 まず、前提ですが、確かに目的は伊藤教授の仰るとおりでした。しかし現実は失敗に終わっています。法科大学院で最も優秀な生徒が集まったとされる第1期生ですら、司法研修所教官や実務修習先の裁判官から、基礎的知識の不足を指摘されていることは、既に何度もブログで指摘したとおりです。

 つまり、優秀な製品を多く生み出す目的で新工場を造り、確かに大量生産はできるようになったけれども、大量生産した製品の中には従来生産していた優秀な製品の他に不良品が多く混じるようになってしまったということです。

 ところが、法科大学院側は、その事実を素直に認めようとしていません。関西の某有名国立大学・法科大学院教授の先生も、「表だっては言えないが法科大学院は失敗だ。従来の司法試験の方がよっぽど良かった。」と述べておられましたし、現に関西の某有名私立法科大学院で教えている、私の知人も「とても法律家として認めるべきではない程、レベルが下がってしまっている。」と述べています。

 このように、まず、法科大学院制度により質の下がった法律家がどんどん世に送り出されていることをまず、法科大学院は認識して発言すべきです。目的が正しかったんだから結果が正しいとは限らないのです。この点だけでも、伊藤教授は現実を見据えていないことが明白です。

 次に①のお話ですが、果たして弁護士の仕事もラーメン店のように、競争させるべき仕事でしょうか。確かにラーメン店であれば、美味しくないお店には二度と行かなければいいだけですし、美味しいお店に何度も通えばいいのですから、競争させればさせるだけ美味しいラーメンを食べる可能性が増えますね。これは競争すれば良い仕事が増える、競争原理が良い方に働く場合です。

 しかし、弁護士の仕事はどうでしょうか。弁護士さんにお願いする事件というのは、たいていの人にとって見れば一生に一度のことです。その方に弁護士の仕事の善し悪しが分かるのでしょうか。私は疑問だと思います。東京の某大手事務所で、ほとんど意味のない判例をたくさん引用して大部の書面を作り、法的主張は貧弱ながら、形だけは立派な書面を作成しているのを見たことがあります。しかし、そのような仕事が悪い仕事だと判断できる一般の方がどれだけいるのでしょうか。ここがラーメン店と違うところです。ラーメンなら一般の方でも善し悪しがすぐ分かります。まずいラーメン店には行かなければ良いだけで、被害は出ません。しかし、弁護士の仕事はその善し悪しが一般の方にはとても分かりにくいのです。

 このように、一般の方にとって、よい弁護士、悪い弁護士の判断が非常につけにくいわけですから、いざ弁護士に依頼するときに能力のない弁護士にあたっても、分からないのです。知らないあいだに藪医者にかかって殺されていたということになりかねません。しかも、弁護士に依頼する事件は一生に一度くらいの大事件がほとんどですから、ひどい弁護士にあたると、その人の人生をめちゃめちゃにしてしまう危険すらあります。

 弁護士という仕事に競争原理を持ち込むべきだという理屈は、医者に例えれば、知識不足でもいい、能力がなくてもいい、藪医者でもいいから、大量に医師資格を与えて競争させれば良いではないか、というのと同じです。確かに長期間経過すれば藪医者はつぶれていくでしょう。しかしそれまで藪医者にかかって殺されてしまうかもしれない人は途方もない数になるはずです。

 こんな簡単なことが、どうして有名な学者さんに分からないのか、理解に苦しみます。伊藤教授ご自身が弁護士は「国民の社会生活上の医師」であるべきだと述べておられるのですから、なおさら伊藤教授のお考えが理解できません。

(続く)

弁護士過疎をなくすには・・・

 大阪弁護士会では、今回会長選に3名の弁護士の方が立候補されているようです。弁護士会の会長選挙は、ほとんど知られてはいませんが、とても民主的とは言えないウルトラ・スーパー情実選挙です。

 ある意味面白いので、またの機会に、その内幕を少し、お話しできると思います。

 それはさておき、私はこのブログで、弁護士の数が既に多すぎることを指摘してきました。しかし、未だに弁護士が不足しているという声もあり、その最も大きな理由が弁護士過疎地域が存在するという事実です。この問題についても、会長選挙の一論点になっており、どう解消するのかについて各候補が様々な提案をするはずです。

 ただ、思うのですが、弁護士過疎問題を最も簡単に解決するには、日弁連か各弁護士会の会長・副会長を務めた(若しくはこれから努める)弁護士はゼロワン地域で数年間勤務することを義務づけるというのが一番だと思います。
 なぜなら、自ら弁護士会の執行部にいた間に弁護士過疎の問題を解決できなかったわけですし、もともと自分の名誉ではなく弁護士および日弁連・弁護士会のために働きたい人たちなんでしょうから、当然それくらいの覚悟をお持ちだと思うからです。逆にそれができない人であれば、結局弁護士会よりも自分の名誉が主な立候補動機と推定されるので、弁護士会の執行部にはいない方がいい人達ではないでしょうか。
 過疎地域でも、会長等を努めた(立派な?)弁護士が来てくれるのであれば大歓迎でしょう。

 妙案だと思うんですけど、誰一人候補者は賛成してくれないようです。

 ということは、その方々の立候補の動機は・・・・・・・?

反対の理由

 去る12月6日、日弁連臨時総会にて、新人弁護士の弁護士会費(一般会費)を半額にする議案が、可決されました。

 一見、新人弁護士に優しい議案であり、賛成すべきと思われるかもしれませんが、私は反対しました。

 詳しくは10月5日の私のブログに書いてありますが、もう一度繰り返して説明します。

 まず私たちの登録時には、このような議案は全ての弁護士にとって全く考えもつかない議案だったと思います。新人弁護士が登録したてであれ、弁護士会費を支払うことが困難なほど経済的に悪条件にさらされること自体が考えられなかったからです。

 ところが、現在の新人弁護士はこれまでの新人弁護士よりも悪い条件でしか雇用してもらえず、最悪の場合は就職先すら見つからず、いきなり自宅で独立しなければならない弁護士も出現しています。だからこそ、異様に高い弁護士会費を負担させると酷であるという話が出てきたはずです。単に、新人であまり仕事がないだろうからという理由だけなら、私たちの登録時も全く同じ状況であり、私たちの登録時に弁護士会費軽減の議題がでてもおかしくなかったはずです。

 結局、現在の新人弁護士の雇用待遇の悪化が最大の原因ということになります。

 では、なぜ、新人弁護士の雇用待遇が悪化したのかというと、それだけの弁護士需要がないからです。弁護士が不足してたまらない状況であれば、どこの事務所でも高い給与を払ってでも新人弁護士を確保しようとするでしょう。しかし現実は、そこまでの弁護士需要はないから、新人弁護士の雇用待遇は悪化しているのです。知人に聞いた話によれば、東京の町弁事務所では、新人弁護士は特に不要だけど年俸300~400万円程度であれば、雇ってもかまわないというところも相当数あるそうです。

 弁護士需要がないのに、弁護士数の増加を全く止めようとしない日弁連執行部は、もはや自分で考える力を失った状態にあるとしか思えません。確かに現執行部は、年間3000人の構想を否定すると自分たちが導入した構想が過ちであったと認めることになります。しかし、新人弁護士・若手弁護士の待遇悪化から明らかなように、年間3000人構想自体が誤っていたのです。過ちがあれば素直に認め、直ちに正しい道を探すことこそが、執行部に求められる力量のはずです。

 確かに、仮にそのままごり押ししても、日弁連執行部の弁護士連中は問題ないでしょう。なぜなら、彼らはそれまで十分稼いできたうえ、あと10年も弁護士を継続する人間はわずかだと思われるからです。つまり、弁護士数が激増して大問題となったときには既に楽隠居して、関係がない立場にいるからです。

 しかし、私たち若手(少なくとも私)からみれば、これまで十分儲けてきた年寄り弁護士たちが、自分たちの失敗を認めたくないという理由だけで、早期に手術すれば助かるかもしれない癌患者に胃腸薬を与え続けているとしか思えません。

 早く手を打たないと、弁護士の待遇が異常に悪化する→優秀な人が弁護士を目指さなくなる→弁護士の全体の質が下がる→弁護士を社会の人が信用しなくなる→国民が司法による解決を望まなくなり司法を信頼しなくなる→仕事がなくなる弁護士が更に増え、益々弁護士の待遇が悪化する→(最初に戻る)、というスパイラルが形成されてしまうでしょう。

 そのとき、日弁連執行部は責任を取ってくれるのでしょうか?

 私達の質問にすらまともな回答をよこさない日弁連会長を含む日弁連執行部が、責任を取ってくれるとは到底思えません。

やはりなかった弁護士需要

 本日、大阪弁護士会所属の弁護士に配布された、月刊大阪弁護士会11月号によると、国内企業3795社に対して、社内に弁護士を採用することを考えている企業は、回答1129社の内、53社しかありませんでした。

 しかもそのうち、14社は、1人採用して様子を見たいというお試し組ですから、弁護士採用に本当に前向きな企業は、1129社の内39社、わずか3.5%もありません。そして、回答した企業1129社の内、今後5年間で弁護士をどれだけ採用する予定があるかという質問に対しては、全て併せても47人~127人しか採用予定がありませんでした。1年あたり、全国の主な企業でわずか10人から25人しか、企業側は弁護士を必要としないと考えているのです。

 全国の企業で5年でわずか47名~127名しか採用が見込めないのですから、弁護士人口を増加させる大きな理由であった、弁護士の需要が大きいという理由は、全く絵空事であったことが明らかになりました。それにも関わらず、日弁連は、弁護士増加にストップをかけようともしません。

 法科大学院側から優秀と太鼓判を押された新60期の修習生ですら、司法研修所教官があきれるほど実力のないものが相当数含まれており、今後更に弁護士の増加を図ろうとすれば、弁護士全体の質は低下するばかりです。 弁護士全体の質が低下してしまえば、国民から弁護士に頼んでもきちんと対応してくれないという不満が噴出し、さらに司法に対する信頼は失われるでしょう。例えば、自分が手術を受けなければならなくなったときに、誰が信頼できない医師に依頼するでしょうか。弁護士が扱う仕事は、依頼者の一生に関わる仕事も多いのです。そのような仕事を任せることができない弁護士が増加したら、国民はもはや信頼できなくなってしまった司法による解決を望まなくなってしまうにちがいありません。そうなってから、慌てても、遅いのです。一度失った信頼を取り戻すことは、非常に困難です。

 このように社会の需要もない上に、法科大学院で法律家の粗製濫造の危険が高まっているのに、なんら手を打たず傍観しようとする日弁連会長平山氏の見識を疑わざるを得ません。

 日弁連会長を含めた日弁連執行部は、こんな簡単なことも理解できず、若しくは分かっていながら、結局、後10年、20年先のことなので高齢者である自分たちには関係ない、とりあえず任期中のメンツさえ守れれば良い、と言わんばかりの状況です。

 いい加減にしないと、本当に第二日弁連構想が若手弁護士から出てくるかも知れません。

回答を逃げた日弁連会長

私と加藤弁護士が、日弁連会長宛に質問状を出したことは11月9日付のブログに記載しました。

 その質問状に対する回答が届きましたので、書式は若干ずれるかもしれませんが、内容は一切手を加えずに、そのままで掲載します。

(以下回答書)

                                                                                                      2007年11月15日

弁護士  坂 野 真 一 殿
弁護士  加 藤 真 朗 殿

 貴殿らの平山会長宛質問状が、11月8日に日弁連に届きました。
 ご質問事項に関しては、今後の理事会その他の説明において会長が留意させていただくこととしておりますが、会員個人からのご質問に関しては、会長として個別の応答はしないこととしております。おたずねの事項に関しての平山会長の基本的な考え方は、本年9月及び10月の日弁連理事会冒頭の会長挨拶の中で述べられており、日弁連ホームページの会員ページに「理事会報告」として要旨が掲載されていますので、ご覧頂ければと存じます。また、本年11月30日の近畿弁護士会連合会大会の意見交換会において、この問題が検討される予定であることをおしらせいたします。
 なお、平山会長は、いただいた質問状について「熱心に研究され、検討されていることに敬意を表します。」と申していることをお伝えいたします。

                                        日本弁護士連合会
                                               事務総長 明 賀 英 樹

(回答文ここまで)

 そして、会長の基本的考えとして参照するように指示された会長挨拶について、私たちの質問と関連する部分を次に抜粋します。

(第6回理事会議事録概要(2007/9/13・14開催 速報)から抜粋)

(前略) 日弁連は平成12年11月臨時総会で、社会の種々の分野で、国民が必要とする数の法曹を質を維持しつつ確保すると決めた。その際、日弁連は数字は示していない。政府の閣議決定では、平成22年ころ3000人という目標が示された。そのことを尊重し達成のために全力を挙げてきた。急激な増加によって様々な問題が生じつつある。いったん目標が達成された後は、ニーズの充足度、質の維持を検証して、以後について検討すべき。昨年から検証を開始している。弁護士過疎・偏在問題が解決されたら、その後の法曹人口のあり方について、政府に方針変更を求めていきたい。新旧60期の就職問題の解決が第一、過疎偏在の解消に全力を尽くす。 (中略) ニーズの検証を行いつつ、あらゆる分野での業務拡大を図る。質の検証については、新法曹の活動状況を検証していく。これらのことをやれば「これ以上はだめだ」とか、「漸減しなければだめだ」ということを、我が国の人口減少も踏まえて、今後の方針としていくことができる。(後略)

(第7回理事会議事録概要(2007/10/23・24開催 速報)から抜粋)

(前略) 中国弁連は、子供の権利条例の制定を目指してシンポがあり、また司法試験合格者についての議題があった。中部弁連は、裁判員制度の評議方法についてのシンポがあり、適正な弁護士人口に関する決議があった。 (中略) しかし、まだ、法科大学院は2004年にスタートしたばかり、すぐにやめるのかと言われないように。新しい司法制度を完成させるために頑張っていく。2010年(平成22年)ぐらいが大きな分かれ目になる。きちっと、規制改革会議にも言える。実力はこうです。これ以上は無理ですという資料が集まる。その前に政府が資料を集め、もう十分だよと言われればそれでも良い。国民に約束した司法制度改革は緒についたばかり。自らこれをやめたとは言えない。地方ではそう言う実情があるのかもしれない。質が落ちたのかもしれない。大きな司法、法曹養成制度を10年も経たないうちに変えるのはどうかと思う。 (後略)

 ここからは、私の感想ですが、結局日弁連執行部は、3000人増員ありきで、3000人の目標を達成したら、そこから弊害を検討しようという立場に近いように読めます。また、明らかに法科大学院出身の司法修習生の全体のレベルが低下しているにもかかわらず(司法研修所教官がそう述べているのだから間違いないはずです)、すぐにやめようとは言えない立場なのだそうです。

 日弁連執行部は、たとえて言うと『気象専門官も含まれ、現地の気象条件もよく知る乗客たちが「ここ数年ひどく冷え込むので、こんな北の航路を行くと、確実に氷山に遭遇するから危険だ」と騒いでいる中、「平成12年に一度決めたので、その北よりの航路は変更しません」と言い張る船長や航海士』のようです。「事情がどう変わろうと、とにかく一度決めた進路を取り、氷山にぶつかったら考えよう」ということのようです。

 氷山にぶつかった後の船は沈没が避けられません。奇跡的に沈没を免れても大きな損傷を受け、その後の航海が安全に行われるとは到底思えません。氷山に衝突してからでは遅いのです。氷山に衝突する危険が分かっているのであれば、最初の決定にとらわれることなく、進路を正しい方向に取るべきだと思います。

 過ちを正すのに遅すぎることはないのと同じく、早すぎることも、またないと思います。弁護士不足をしきりと喧伝していた経済界も弁護士の採用はわずかです。

 「結局、弁護士がいたら便利だと思って弁護士不足を言ってみたものの、いざ雇用するとなれば費用がかさむのでやめておこうと、経済界にウインドーショッピングされただけではないか」、と私の知人である企業内弁護士も言っていました。その弁護士によると、今後も爆発的に増加する弁護士人口を吸収するだけの企業の雇用は到底見込めないそうです。このように、当初3000人を決めた際の状況と現状は全く異なっています。現実の変化に目を背け、とにかく決まり事だから守っていこうというのは愚か者の選択といわざるを得ないでしょう。

 法曹の質を維持しながら法曹の数を増加させる方法として法科大学院が失敗であるのなら、直ちにやめるべきでしょう。法律家の質を維持できないのであれば、法律家ひいては司法へ対する国民の信頼を失います。国民の信頼を一度失ったら、もはや回復は不可能と考えるべきでしょう。その責任は一体誰が取るのでしょうか。

 日弁連は直ちに法科大学院教員及び、司法研修所教官から忌憚のない意見を集め、法曹の質の維持ができていないことを明確に指摘すべきです。弊害が出てから対処するのは遅すぎるのです。弊害が出ること自体が司法への信頼を揺るがせていることなのですから。

司法特別演習B 懇親会

 先日、関西学院大学法学部で、私が担当している司法特別演習Bの懇親会が行われました。

 私は、友人という存在は、その人の一生の財産になると思っています。しばらく音信不通でも、何かのきっかけで、すぐ以前のように親しく話し合うことも出来ます。その間にお互いがどんなに様々な経験を積み、いろいろな時間を過ごしていても、その経験や時間を一瞬で飛び超えて、以前のように話せることが多いものです。この年になって思うのですが、時の残酷な破壊力に対して、かなりの耐性をもつ、まれな存在の一つが友人関係なのではないでしょうか。

 その友人関係は、大学を卒業して社会に出てからは、なおさら、その価値を増すような気がしています。

 せっかく少人数でアットホームな雰囲気で演習が行われているので、懇親会を通じてお互いを知り、更に友情を深めてもらえれば、きっと学生さん達の将来の財産になるはずです。

 参加してくれた学生さんは、それぞれ個性的で可能性に満ちあふれており、とても楽しい時間を過ごすことが出来ました。これをきっかけに更に、友人関係を広げていってくれれば、いいなと思っています。

 ちょっと写真を撮ってもらう際にVサインを出すには、年を取りすぎたかなと思っている坂野でした(笑)。

司法特別演習B受講の方へ

 本来ブログで書くことではないのですが、便宜上、ブログを使わせて頂きます。

 関西学院大学法学部で私の担当する司法特別演習Bを受講の方、前回の演習日に予告したとおり、課題を出しますので、10月9日午後4時までに、お伝えしたメールアドレスまで、自分なりの解答を作成して送信して下さい。締切までにどうしても出来なかった場合は、当日持参されてもかまいませんが、その際は人数分きちんとコピーしてきて下さい。

 
問題1(犬の鳴き声)多賀君担当
 私は、西宮市の郊外に一戸建てを購入して住んでいます。先日引っ越してきた隣の人が、「犬を飼うのでよろしく。」と手みやげをもってあいさつにこられましたので「いいですよ。可愛いですしね。」と答えました。ところが、隣で飼い始めた犬が吠え癖がついているのか、散歩をしてやらないためか分かりませんが、昼も夜も関係なく吠え続け、うるさくて夜も眠れない状態になってきました。仕方なく注意したのですが、隣の人は「手みやげまで持っていってあいさつしたときに、かまわないと言ったではないか。」と開き直って、対処してくれません。
 法律的に何か言えないのでしょうか?
 また寝不足などからノイローゼになったら責任をとってもらえるのでしょうか?
 

問題2(猫の問題)石永君担当
 私の近所に、猫を30匹以上飼っている家があります。特につないで飼っているわけではないので、猫がそこら中を歩き回り、近所に糞尿をまき散らして大変困っています。買主に苦情を言ったのですが、「猫を部屋の中で飼うなんて聞いたことがない。野良猫だってあちこちで糞尿をしとるやないか」などとへりくつを言って取り合ってくれません。
 近所の人たちは皆迷惑しています。法律的に何か言えないのでしょうか?

問題3(ハト~野生動物~の問題)林田君担当
 私は分譲マンションに住んでいます。ところが、マンションの隣の人が、ハトが大好きらしく、ハトに毎日えさをやり始めました。ハトも賢いもので、その人がえさをやる時間になるとものすごい数のハトが飛んできて、騒ぐようになりました。少しくらいならまだ我慢もできますが、たくさんの糞や抜けた羽根がまき散らされ、ハト同士がえさを争ってたてる羽音も相当うるさい状態になりました。
隣の人に対して法律的に何か言えないでしょうか。
隣の人に文句を言ったところ、「マンションのこの部屋は分譲で私が買ったものだからどう使おうと私の自由だ」と言い張ります。何とかできないでしょうか?

問題4(賃貸住宅のペット禁止)山本(梢)君担当
 私は、関西学院大学に進学が決まり、一人暮らしを始めようと考えております。ところが、私が気に入ったワンルームマンションを下宿として借りようと考えていたところ、契約条項をみると「ペットの飼育は一切禁止する」と書かれていました。ワンルームマンションなので犬や猫を飼うことは難しいと思っていましたが、金魚や小鳥、ハムスターも禁止されるのでしょうか。またこっそり飼ってばれた場合どうなりますか?

問題5(分譲マンションのペット禁止)春名君担当
 私は気に入った分譲マンションを買おうと思っていますが、マンションの管理規約に「全ての動物の飼育は禁止する」と定められています。こっそりと飼育してばれた場合どうなりますか?
 また、最初は動物の飼育に関する規約はなかったため、犬を飼っていたのですが、途中で動物の飼育を禁止する管理規約ができてしまった場合は、従わなければなりませんか?

問題6(犬の取得に関する問題)山本(和)君担当
  私の家にかわいい小犬が迷い込んできました。あまりにかわいいので、数日間エサをあげていたら私になついてきました。私の両親もかわいい小犬にまいってしまい、飼っても良いと言ってくれました。どうしたら自分の犬にできますか?
もとの飼い主が取り返しに来たとき返さなくてはなりませんか?

問題7(犬の取得に関する復習問題)寺嶋君担当
友人がとてもかわいい小犬を連れていたのでどうしても欲しくなり、譲って欲しいとお願いしたところ、10万円で売ってあげると言われ、10万円で買いました。その後私がその小犬を連れて散歩していると、その犬の飼い主だという人が現れてうちの庭から盗まれた小犬だから犬を返して欲しいというのです。友人に聞いてみたところ、その人の言うことはどうも本当のことらしいとわかりました。
私は犬を返さなければなりませんか?
友人がペットショップを経営しており、私がその店から買ったときはどうなりますか?

朝日新聞の法科大学院教授のご意見について

 今日の朝日新聞朝刊を読んでいたところ、同志社大学法科大学院のコリン・ジョーンズ教授が「私の視点」という欄に投稿されておられました。

 投稿の題名は「法科大学院 『法曹の脱エリート』こそが使命」とされており、主に、次のように主張されているように受け取れました。

 ①日本の裁判制度には、裁判の強制力などに関する問題点がある。

 ②このように日本では裁判制度自体が利用しにくい制度であるから、弁護士が増員しただけでは日本が訴訟社会になることはない。

 ③日本では裁判所が親しみやすさをアピールしているが、アメリカでは親しみやすさが求められるのは弁護士である。

 ④法科大学院卒の司法試験合格者に対して、質の低下が言われるが、それは旧制度の合格者達が大幅に合格しやすくなった新制度合格者と同じとされるのが嬉しくないからであろう。

 ⑤しかし、「質の低下」ではなく「多様化」と捉えるべきである。法科大学院制度は多様な人材を法曹とするのが目的だったはずである。

 ⑥「法曹=エリート」という意識を継続させれば、親しみやすい司法は難しい。「法曹の脱エリート」こそが法科大学院の使命である。

 まず、①については異論はありません。私としても同様に感じているからです。②については、仮に裁判制度が使いやすい制度であっても日本人の国民性として、訴訟社会を受け入れるかどうかについては疑問がありますが、将来のことなので現段階では分からないでしょう。③については、私の知らないアメリカの事情なので、コリン・ジョーンズ教授の仰るとおりなのでしょう。

 しかし、④については大いに疑問があります。コリン教授は、法科大学院を出て法律家になった者の質が低いというのは、旧制度の連中のやっかみではないかと言わんばかりの主張をされています。

 しかしその御主張にはなんの根拠もありません。コリン・ジョーンズ教授がそう思いこんでいるというだけの話です。法務省のホームページで公開されている「第34回司法試験委員会ヒアリングの概要」をみれば、コリン・ジョーンズ教授の発言が現実を全く見ずに単なる思いつきでなされた主張であるということが理解できます。

 ご存じのとおり、司法試験合格後は、司法修習生として司法研修所に所属して、前期修習を行い、その後全国各地で実務経験を積んで、最後にもう一度司法研修所に戻って後期修習を行って、2回試験に合格して初めて法律家になれます。その司法研修所でたくさんの司法修習生を見てきた教官が、上記のヒアリングにおいて、法科大学院卒の司法修習生について次のように述べています。

・ビジネスロイヤー志向が強く、刑事系科目を軽視している修習生が多いのではないか。

・口頭表現能力は高いと言えそうであるが、発言内容が的を得ているかというと必ずしもそうではない。

・教官の中で最も一致したのが、全般的に実体法の理解が不足しているということである。単なる知識不足であれば、その後の勉強で補えると思うが、そういう知識不足にとどまらない理解不足、実体法を事案に当てはめて法的な思考をする能力が足りない、そういう意味での実体法の理解不足が目立つ、というのが非常に多くの教官に共通の意見である。

 このように、司法修習生をたくさん見てきた司法研修所の教官が、しかもその非常に多くが単なる知識不足にとどまらず、理解不足、法的思考能力不足という意味での実体法の理解不足を、法科大学院卒の司法修習生に対して感じているのです。

 つまり上記の、研修所教官の意見を極論すれば、法科大学院卒の司法修習生は、ビジネスロイヤー(要するに金儲け)志向が非常に強く、口は上手いがその内容は正しいとは限らず、しかも法律の理解が不足している者が多い、ということになりそうです(あくまで極論です。優秀な方も相当数おられることは私も否定しません。)。

 問題が生じ、困り切って弁護士に相談される方は、いくら親しみやすかったとしても、金儲け主義で、口だけ上手く、法律の理解が不足している弁護士に依頼したいとは思わないでしょう。法科大学院はそのよう新司法試験合格者を安易に産み出していることをどう考えているのでしょうか。

 恐ろしいことに、法科大学院卒業の第1期生は、法科大学院側からも特に優秀な学生が集まったと評価されています(同じく司法試験管理委員会の法科大学院に対するヒアリングの概要参照)。その特に優秀な第1期生ですら、法律の理解不足が顕著なのですから、今後の法科大学院卒の司法修習生のレベルダウンは避けられないものといわねばなりません。法科大学院は自らの失敗・能力不足を認めて、直ちに廃止すべきです。

 ⑤に関しては、確かに法科大学院の目的の一つに、多様な人材を法曹界に導くという点があったことは間違いないと思いますし、その必要性も理解できます。しかし、法律家の質を下げてまで多様化を進める必要があるかといえば、そうは思いません。質の低い法律家がたくさん生まれた場合、最終的には国民は法律家ひいては司法制度自体を信用しなくなります。法律家を名乗っていてもその法律家の説明が正しいかが保証されないし、そのような法律家によって解決を提示されても納得できるはずがないからです。多様な人材を法曹界に導くとしても、それは最低限の能力と知識を有している者でなければならないはずです。

 そのような法律家の質が保証されていないことを棚上げして、多様化として考えようといわれても、利用する国民の側から考えれば、到底納得の出来る話ではないでしょう。

 ⑥に関しては、同じく第34回司法試験管理委員会ヒアリングにおいて、司法試験委員が法科大学院卒業の修習生と話したと思われる内容として次のような内容があげられています。

・若い人たちと話すと、なぜ法曹になったのかということすらよく考えていない。法科大学院でそういうことを話す機会はなかったのか、議論する機会はなかったのかと聞いても、そんなことは考えたこともないというような話を聞かされることもあり、これからの課題ではないかと思われる。

 このように法科大学院によっては、法律家になることだけを考え、なぜ法曹になりたいのか、という根本的な問題すら考えさせることが出来ていないところもあるのです。これでは、法律家を純粋培養するだけであって、脱エリートをいくら掲げても、絵に描いた餅に過ぎないでしょう。

 法科大学院にはあまりにも問題が多いと思われます。少なくとも質の低下が著しいことは重大問題です。現在の法科大学院生に十分配慮しながら、早急に廃止する必要がある制度であると考えます。