見てみたい天文事象

 私には、小さい頃から、見てみたいと思っている天文関係の事象が3つあります。

 一つは極光(オーロラ)の大規模な奴です。光のカーテンが本当に揺らめく様を、思う存分見てみたい、多くの星が輝いていればなおいいな・・・・と思っています。2000年の末に、フィンランドのイヴァロ近辺で、小規模のオーロラは見ましたが、 大規模なものは未だテレビでしか見たことがありません。

 二つ目は、皆既日食です。太陽が完全に月の陰に隠れ、昼間であるのに星が見える(?)体験や、コロナやダイヤモンドリングが観測できるのであれば、いうことはありません。日本でも来年、屋久島・奄美大島の一部で見られるはずですが、既に宿の予約はいっぱいという噂も流れています。黒い太陽に白銀に輝くコロナ、神秘的だと思いませんか。是非とも一度は見てみたいものです。

 最後は、流星雨・流星嵐です。流星群は毎年いくつかの流星群がやって来ますが、流星雨・流星嵐は、その流星の数が桁違いに多いものです。私は残念ながら、流星群レベルしか見たことがありませんが、とにかくすごい数の流れ星が短時間に観測できるのだそうです。きっと見ていれば、こんなに星が流れたら夜空に星がなくなってしまうのではないかという、ありもしない感覚を味わえるのではないかと密かに期待しているのですが、出現頻度が極めて低いらしく、もし現れたら世紀の出現と言われるほどだ、という話を聞いたことがあります。

 観測可能性が高いものから、順に挙げましたが、私がこの世にいるうちに、いくつ見ることができるのでしょうか。 

大阪弁護士会常議員会傍聴報告~その2

(昨日の続きですが)

 常議員会を傍聴した一般的な感想は、①発言する方が偏っていること、②殆ど同じ質問であっても発言したい方は構わず質問していること、③質問する方の話が長くてうんざりする場合があること、です。

 法曹人口問題に関する討議では、昨日も書きましたが、日弁連との整合性をどうするのかという質問が重ねて出されていました。実は法曹人口問題PTにおいても、日弁連との関係について、次のようなご意見がMLで出されたことがあります。

「私は、司法改革の良い面、法曹人口の増加によるプラス面も正当に評価すべきだと思っています。 また、大阪弁護士会の日弁連における役割や重みを考えれば、できるだけ、日弁連との連携をはかるべきだとも考えていますし、それが、大阪弁護士会のプラスにもなると思っています。合格者3000名の見直しは、日弁連の方針にもなると思いますが、日弁連がそれをどのような表現で表明し、どのように運動をしていくのかは、思案のしどころだと思います。大阪弁護士会の活動は、日弁連のこのような悩み、動きも考慮しながら、慎重に検討すべきものだと考えています。プロジェクトチーム内では少数派かもしれませんが、外部には、このような意見の人も少なくないと思います。」

 常議員会で日弁連との連携・整合性について質問された方々は、おそらく、上記のようなご意見だったのだと思われます。

 PTのMLで流された上記の意見について、私の反論は、次のようなものでした。

(以下MLの抜粋)

 ○○先生

 53期の坂野です。

 正直申しあげて、私には、法曹人口増加によるプラス面が何であるのか、さっぱりわかりません。それで日弁連の発言力が増したとも思えませんし、弁護士全体のレベルアップに繋がったとか、弁護士の仕事の掘り起こしに直接繋がったとかいうことも実感として全く感じることはできません。市民が感謝して下さるようになったとも思えませんし、以前言われていた2割司法よりもよくなったとも思えません。

 それに弁護士会というものは、第一義的であれ、副次的であれ、その会に所属する(若手を含めた)弁護士全体のための存在ではないのでしょうか。

 だから高額の会費も支払っているのではないでしょうか。

 それにも関わらず、今後の弁護士会を担うべき若手に大きな痛みを与え、疲弊させ、さらには、弁護士全体のレベルダウンに繋がっている増員が正しいとは到底思えないのです。

 大阪弁護士会と日弁連との連携を仰っておられますが、今後増員が継続し、大阪弁護士会の若手が死屍累々となった状態で、大阪弁護士会と日弁連との連携が残っても、結局、経営基盤のしっかりしたお偉方の政治的自己満足に過ぎないような気もします。

 司法統計を見れば、あれほどの過払いバブルであると言われながら、訴訟件数は減少の一途です。破産事件も減少しています。倒産関係事件が多くの若手の重要な収入源であることからすれば、過払いバブルの終焉が間近に迫り、総量規制導入も間近である現状では、後数年で、若手が一気に経済的に疲弊する危険性は極めて高いと思われます。

 言葉は悪くなりますが、よく若手で話すのは、
「増員したってお偉方は、経営基盤を築いているし、もうすぐ引退だから増員の影響ないやんか。今後何十年か弁護士をやっていく俺らをどうしてくれんねん。食えんようになったときに責任取ってくれるンか。」
というようなことです。

 増員の(マイナス面を上回る)プラス面が本当にあるのであれば、ご教示下さい。もしそうなら、ここまで若手の不満がたまるとは思えないのですが。

 大先輩の先生に対して、失礼を承知で申しあげましたが、PTはこういう場であると考えておりますので、ご容赦下さい。

(メールの抜粋ここまで)

 その後PTの会議で、○○先生から増員のプラス面の説明をして頂いたような気もしますが、納得できなかった記憶があります。日弁連との連携・整合性を唱える方は、その前に若手の疑問に対して、きちんと明確に説明して頂きたいと思います。

 話は戻りますが、私の感じた①~③というのは、(私も含めてですが)弁護士の悪い癖のような気がします。せっかく多数の弁護士が時間を割いて常議員会を構成しているのですから、常議員会が少数弁護士の自己顕示の場かと疑われかねないような運営ではなく、真に弁護士会に必要な議論の場として、もっと活用するよう工夫できないものかと感じました。 

 法曹人口に関する決議に関する議案は、継続審議なので、次回の常議員会も傍聴できれば、ご報告させて頂きたいと考えております。 

大阪弁護士会常議員会傍聴報告~その1

 私が所属する法曹人口問題PTの最終報告・法曹人口に関する決議を求める請求が、常議員会に本日提出されるという情報がありました。また、司法制度改革推進本部から、法曹人口問題PTの報告書と違った意見が提出されるとも聞かされていましたので、どのような討議がなされるのか、常議員会を傍聴してきましたので報告します。

 本日の常議員会は、15時からでしたが、傍聴が許されたのは15時30分からでした。しかも先行する議題の決議に時間がかかったので、結局16時45分頃から、ようやく法曹人口に関する決議を求める議案の討議に入りました。

 最初に担当の、森副会長から議案説明・報告があった後、質疑の時間になりました。

 予想通り、3000人直ちに見直しには反対する方々と思われる常議員の質問が相次ぎました。決議案の案文の語句の定義自体に関する質問など、私から見れば、若干、的はずれと思われる質問も出されていましたが、特に日弁連も法曹人口問題に関して提言を出す予定とのことで、その整合性をどうするのだという質問が多く見られました。

 結局、時間切れで継続審議となったのですが、私自身の感想を端的に言うと、「弁護士人口の爆発的増加に対して、危機感が全くない方々が常議員として舵取りをしている」というものです。もちろん危機感をお持ちの方もおられるのでしょうが、その方々は発言をされていなかったので、傍聴人の私としては存在すら分からない状況でした。

 今回の司法改革に関し、若手の中で何度か聞いた意見は、次のようなものです。

 司法改革で最も痛みを負っているのは、これから弁護士として長期間仕事をしていかなければならない若手であり、司法改革により弁護士の爆発的増加を招いても、司法改革を推進してきた年輩の弁護士は、既に経営基盤も盤石で自分が食うに困る事態は考えられないし、若手より相当早くに弁護士を引退される方々ばかりです。つまり、司法改革により弁護士人口をむちゃくちゃにしてしまっても、痛みを負う可能性が極めて少ない方々が、若手に痛み(過当競争・法曹の魅力低下・ボランティア的仕事の増大)を押しつけることになる司法改革を強力に推進してきているように思える、というものです。

 実際に過疎対策についても、日弁連執行部は、「受け皿を作ってやったから若手に過疎地に行け」と命じる方ばかりで、自分から積極的に過疎地に赴かれた日弁連執行部の方を私は知りません。そればかりか、若手弁護士に弁護士以外の仕事を勧めるパンフレットをばらまいたくらいです。

 また、「歯を食いしばってでも司法改革を推進する」と言われる執行部・改革推進派の方で、自分の顧問先や仕事を若手に譲って若手の痛みをやわらげ、若手と痛みを共有しようとした方の存在を聞いたことがありません。

 では歯を食いしばるほど痛みを感じるのは一体誰なのでしょうか?

 結局、司法改悪により、歯を食いしばらなければならないほど痛みを感じているのは、若手です。司法改革を推進している方々は、自らは安全な場所を確保し、その安全な場所をキープしたまま、若手に痛みを押しつけているように思えます。

 一言で言わせてもらえば、あんたらずるい 。

(続く)  

平山正剛前日弁連会長の秘策?

 大阪弁護士会の就職説明会が近々行われるそうです。

 情報によると、就職希望者数と募集人員数を比べると、圧倒的に就職希望者数が多く、修習生にとって相当悲惨な状況が予想されています。

 私が昨年の11月9日のブログに書いたとおり、平山正剛前日弁連会長は、昨年10月29日の日経新聞で、「就職は2010年まで大丈夫」と、大見得を切っていました。

 平山前日弁連会長は、何を根拠に就職は2010年まで大丈夫などと明らかに事実と異なる発言をしていたのでしょうか。嘘つきだったのでしょうか。それとも、退任後わずか数ヶ月後のことも予測できない人だったのでしょうか。はたまた、秘策があったのでしょうか。

 私としては、弁護士全体のことを考えて日弁連会長になられたはずの平山前会長が、嘘つきだったとか、数ヶ月後のことも予測できない人であった、などとは思いたくないので、おそらく、平山前日弁連会長は、就職難を解決する秘策をお持ちなのだと考えるしかありません。

 就職が大変な方達は、平山前日弁連会長に、2010年まで就職は大丈夫だという、就職難解決ための魔法の秘策を問い合わせてみても良いのかもしれませんね。

法律相談のこと

 法律相談に来られた方で、色々事情をお聞きした上で、特に法律的に問題がなく、このまま放っておいても大丈夫である場合、「この内容の郵便でしたら放っておいて大丈夫ですよ。」と、正直にアドバイスすることもあります。

 そのような場合、法律相談料を請求させて頂くと、意外な顔をされる方が結構いらっしゃいます。確かに、法律相談に来られた方は、「もともと放っておいても良かったものなのだから、弁護士に相談しても特に事情が変わったわけではない。それなのに、どうして相談料を支払わなければならないのだろうか」とお考えのようです。

 ところが、事情が全く変わっていないわけではありません。相談された方は、「こんな、お金を請求してくる郵便をどうしたらいいのだろうか」と不安に思っておられたはずです。そうでなければ、相談に来られるはずがないからです。少なくとも法律的になんら問題がないことを教えてもらうだけで、その不安からは解放されたのです。

 確かに弁護士が生まれながらに法的知識を持っており、その法的知識を生活の糧にしていないのであれば、無料で相談に応じるべきかもしれません。しかし、生まれながらに法的知識を持っている人などいません。弁護士も相当程度の費用と時間をかけて法的知識を身につけていますし、高価な専門書を購入して、法律に関して研究していたりします。その努力や費用は全て自分が負担しているものです。

 ですから、法律相談を受けて、なんら結論が変わらないときでも弁護士が時間と費用をかけて身につけた、法的知識を利用していることに代わりはないのです。

 さらに分かりやすくするために、お医者さんに例えて見ます。何となく身体の調子が悪いので、お医者さんに診てもらったら、「特にどこも悪いところがなくて少し過労気味なだけですから、このままで大丈夫ですよ。」と診断されたとします。

 その際にお医者さんに診察料を請求されて、「何も身体の調子が変わっていないのだから、診察料は支払いたくない」という、言い分が通るでしょうか。

 法律相談もそれと同じに考えて頂ければ、ご理解頂けるかもしれませんね。

思い出すことなど

  私の田舎である和歌山県太地町には、珍しい鯨の博物館があります。鯨の骨格標本や、太地町で行われていた古式捕鯨の様子などを模型や、絵などで展示をしているものです。私は、よく、母方の祖父に、博物館に連れて行ってもらいました。

 祖父が乗っていたのは、ダイハツの軽自動車で、最初は白い四角いタイプの車、買い換えてからは黄土色の少し丸いタイプの車で、制限速度きっかりで走っていたため、わずか4キロくらいの道のりでしたが、後ろを振り向くと何台かの自動車が連なっていたこともありました。

 祖父は町会議長を長く務め、博物館創設の頃にも尽力したようでした。祖父本人は全くそのようなことを私に話してくれることはありませんでしたが、後に他の人から、博物館に展示してある銛の柄は、祖父が山から切ってきたものもあると聞かされました。
 祖父に連れられて博物館に行くと受付の奥から館長さんらしき人が出てきて、挨拶してくれたことを覚えています。たしか、館長さんは、「入場料などとんでもない」とおっしゃっていたようですが、祖父は頑固にいつも支払っていたようです。

 鯨の博物館に行っても、当時の私は小さかったので、古式捕鯨や銛の展示など面白くもなく、いつもイルカ・アシカのショーと食堂が楽しみでした。私は食堂では、判で押したようにクリームソーダを頼んでいました。アイスクリームとソーダとが一緒になっているので、得したような気分になれたからなのでしょう。

 クリームソーダの飲み方にも、個性があり、私は上に乗っているアイスクリームを食べてしまってから、ソーダを飲むのがふつうでしたが、姉や妹は、アイスクリームをソーダに混ぜ込んで溶かしてから飲むことが多かったように思います。当然、姉や妹の方が飲み終えるのが遅いため、先に飲んでしまった私は、まだ飲み終えていない二人のソーダを見ると、なんだか、最初から二人の方が私より量が多くて、おいしいソーダが出されているように思え、うらやましく見ていた記憶があります。

 私は、祖父の近所に住んでいましたが、そんなにいつも顔を合わせていたわけではありません。しかし、この年になってみると、具体的には思い浮かぶわけではないのですが、いろいろ祖父に教えてもらいたかったことがあるような気がするのが不思議です。

ヴェネチア

 昨日のブログでは、地球温暖化でシロクマが危機に陥っていることに触れました。

 水の都ヴェネチアでも、地球温暖化の影響かアクア・アルタ(高潮)の回数が、近年急増しているそうです。地盤沈下も原因であるとの指摘もありますが、地球温暖化による海面上昇が一因であることはどうやら間違いなさそうです。そしていずれ、ヴェネチアは海に沈んでしまうのではないかという人もいます。

 アクア・アルタがやってくると、ヴェネチアの人たちは、慣れた手つきで板を渡した通路を作り、その上を歩いて通ります。あまり広い通路ではないので、すれ違うだけでも大変ですが、観光客が非常に多いため、なおさら渋滞してしまいます。

 私は、まだ比較的軽いアクア・アルタを一度だけしか体験したことはありませんが、結構面倒なものです。ヴェネチアに着いた直後で、スーツケースなんか引っ張っていたら相当大変だろうと思います。

 水位がかなり上がるアクア・アルタが、ヴェネチアを襲ったら、おそらく、街が生きたまま海に取り込まれていくような印象、街が街として機能しながら滅び行く印象を受けるのではないかと思われます。そして、ヴェネチアは、観光都市としての性格の裏に、そのような印象を常に隠し持っているような微妙な雰囲気を感じさせる街なのです。

 夜遅く、観光客もまばらになった頃に、チャプチャプと運河に寄せる波の音を聞きながら散歩すると、そのような雰囲気をより強く感じることができます。

 その雰囲気に、また浸りたいような、浸りたくないような、不思議な魅力のある街です。

アイスランドのシロクマ

 日経新聞の「窓」の欄に、小さな写真入りの記事が載っていました。

 ホッキョクグマ(シロクマ)が、アイスランド北部の町で確認されたという記事でした。

 もともとアイスランドには、シロクマはいませんから、北極から泳いでやって来たのだろうということでした。

 シロクマは北極海が氷に閉ざされると、主に氷の穴で呼吸をするアザラシを待ち伏せして捕らえ、食べて生活するといわれています。ところが、地球温暖化により北極海の氷が完全に凍らずに、アザラシを捕らえることが次第に難しくなってきているそうなのです。 

 北極からアイスランドまでは数百キロはあるはずです。食べ物を求めて気の遠くなる距離を泳いで、ようやくアイスランドまでたどり着いたのでしょう。アイスランド警察はシロクマを保護しようとしたのですが、失敗し、クマが走り始め市街地に接近する危険が出たため、やむなく射殺したと記事には書かれていました。

 シロクマにとって見れば、孤独と疲労に耐えながら、何日もかけて数百キロを泳ぎ、やっと見つけたアイスランドの大地だったはずです。そのときのシロクマの気持ちを考えると、やるせないような、切ないような気持ちになってしまいます。

法曹人口問題PTその7

 本日の法曹人口問題PT(プロジェクトチーム)の会議で、予定されていたPTの会議は、一応終了ということになりました。

 この後、PTの報告書を大阪弁護士会の常議員会に提出し、何をどうするかを常議員会に委ねることになるようです。前代未聞の高回答率であった、法曹人口問題に関するアンケート結果をどう反映していくのか、常議員会の判断が注目されます。

 ただ、司法制度改革推進本部の方からも、意見書が常議員会に提出されるようで、その内容はおそらく司法試験合格者3000人推進の内容ではないかと思われます。

 真っ向から対立すると思われる、法曹人口問題PTの報告書と司法制度改革推進本部の意見書が、どのように常議員会で扱われることになるのか、目が離せません。

 私としても皆さんにご報告できるよう、常議員会を傍聴してみようと思っています。

ガリレオの思考実験

 ずいぶん昔の話になりますが、多分NHK特集で、ガリレオの思考実験のことを取り上げていた記憶があります。

 当時、重いものは軽いものより早く落ちると思われていたところ、ガリレオが落体の法則を思考実験で発見し、ピサの斜塔から実際の実験を行ったという話だったように思います(記憶違いならすみません)。

 その思考実験とは、確か次のようなものでした。

 重いものと軽いものが落ちる速度については、①重いものが早く落ちる、②軽いものが早く落ちる、③落ちる速度は変わらない、の3通りしかない。

 そのうえで、重いものAが軽いものBより早く落ちるとすると、AとBを長さのあるヒモで結んだ場合、Aは早く落ちようとするけれども、Aより遅く落ちようとするBに引っ張られて、A単体で落とすよりも遅く落ちるはずである。そのヒモをどんどん短くしていっても、その状態は変わらない。そうであれば、AとBをヒモで結んで密着させた場合でも、Aは結びつけられたBがAより遅く落ちようとする以上、A単体で落とすよりも遅く落ちるはずである。

 ところが、よく見てみると、AとBが密着した状態というのは、A+Bの重さの物体と同じである。そうだとすると、AとBがヒモで密着させられた物体は、A単体より重いのだからA単体で落とすよりも早く落ちなければならないはずである。

 明らかに矛盾が生じる。

逆に軽いものが早く落ちると考えても、同じような実験で矛盾が生じる。

 この矛盾が生じる理由は、重いもの乃至軽いものが早く落ちるという前提が誤っているからである。だから重いものも軽いものも落ちる速度は同じである。

 以上のようなものでした。

 非常に明快ですっきりとしており、感動した覚えがあります。法律の世界では、ここまで明快に割り切れることは少なく、事実の争いや法律の解釈などで泥沼にはまることもあります。ときおり、ガリレオの思考実験のように明快で反論の余地のない主張をしてみたいものだと思いますが、そう簡単にはいかないようです。