思い出すことなど

  私の田舎である和歌山県太地町には、珍しい鯨の博物館があります。鯨の骨格標本や、太地町で行われていた古式捕鯨の様子などを模型や、絵などで展示をしているものです。私は、よく、母方の祖父に、博物館に連れて行ってもらいました。

 祖父が乗っていたのは、ダイハツの軽自動車で、最初は白い四角いタイプの車、買い換えてからは黄土色の少し丸いタイプの車で、制限速度きっかりで走っていたため、わずか4キロくらいの道のりでしたが、後ろを振り向くと何台かの自動車が連なっていたこともありました。

 祖父は町会議長を長く務め、博物館創設の頃にも尽力したようでした。祖父本人は全くそのようなことを私に話してくれることはありませんでしたが、後に他の人から、博物館に展示してある銛の柄は、祖父が山から切ってきたものもあると聞かされました。
 祖父に連れられて博物館に行くと受付の奥から館長さんらしき人が出てきて、挨拶してくれたことを覚えています。たしか、館長さんは、「入場料などとんでもない」とおっしゃっていたようですが、祖父は頑固にいつも支払っていたようです。

 鯨の博物館に行っても、当時の私は小さかったので、古式捕鯨や銛の展示など面白くもなく、いつもイルカ・アシカのショーと食堂が楽しみでした。私は食堂では、判で押したようにクリームソーダを頼んでいました。アイスクリームとソーダとが一緒になっているので、得したような気分になれたからなのでしょう。

 クリームソーダの飲み方にも、個性があり、私は上に乗っているアイスクリームを食べてしまってから、ソーダを飲むのがふつうでしたが、姉や妹は、アイスクリームをソーダに混ぜ込んで溶かしてから飲むことが多かったように思います。当然、姉や妹の方が飲み終えるのが遅いため、先に飲んでしまった私は、まだ飲み終えていない二人のソーダを見ると、なんだか、最初から二人の方が私より量が多くて、おいしいソーダが出されているように思え、うらやましく見ていた記憶があります。

 私は、祖父の近所に住んでいましたが、そんなにいつも顔を合わせていたわけではありません。しかし、この年になってみると、具体的には思い浮かぶわけではないのですが、いろいろ祖父に教えてもらいたかったことがあるような気がするのが不思議です。

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