日本経済新聞~福井秀夫教授へ若干の批判

 本日(10月22日)の日本経済新聞「経済教室」の欄に、福井秀夫政策研究大学院大学教授の論考が載っている。

 相も変わらず、規制緩和的発想全開で、法律専門家の資格は医師と同じで「情報の非対称」対策(資格はそれを持つ者のサービス品質をある程度保証することによって、情報の非対称を防ぐ一助となる、ということだそうだ)だから、情報を開示すればいくら(能力のない)法律専門家を増員しても良いのだと、仰っている。アメリカはそれでうまく行っているんだと主張される。

 しかし、司法制度改革審議会第5回会議に出席された藤倉教授(ハーバード大卒・英米法専攻)によると、アメリカでの弁護士選びは次の通りだそうだ。

 「それではだれが何を基準にして選ぶのか、推薦するのかということになると、もうアメリカではそういう基準もない。結局、市場で店を開いていて、これだけのお金でやりますという人を、それではこれだけのお金を払ってやってもらいましょうということで選ぶしかないという考え方が基本にあって、しかしそれは危険が大き過ぎると考える人はいろいろ問合せをしたり、友達に聞いたり、あるいは知っている法律家に聞いたりというふうなことで弁護士さんを選ぶということはもちろんあるんですけれども、そういうことができるのはある程度生活に余裕のある中産階級以上ですから、低所得者で法律問題に巻き込まれて、弁護士が要るという場合にどうするか、これはもうアメリカではちょうど医療保障制度と同じように最低限の生活保護を受けているような人のためのリーガル・サービスというのは、それは公的なものが一応あるんです(坂野注:日本にはない)。各州に任意のものもありますけれども、その部分はカバーされている。

 それから、お金持ち、あるいは大企業は選び放題ですから、十分いろんな情報を持ってて一番いいのを選ぶことができるんです。中産階級が一番問題なんです。いい弁護士を選ぶ、間違いのない弁護士を選ぶ、この問題はアメリカでもまだ解決されてないと思います。」

(司法制度改革審議会第5回議事録より引用)

 福井教授は、留学経験をお持ちのようだが、専門は行政法だし、今までの福井教授の言動の軽さ(当職の2008.11.20ブログ参照)に鑑みると、どちらのお話が真実に近いかといえば、藤倉教授の方に軍配を上げざるを得ない。

 誤導だったらいい加減やめて頂きたいものだ。

 それはさておき、福井教授は、弁護士資格についてそれはあくまで、情報の非対称対策なのだから、情報開示さえすればよく、(仮に資格者の質が下がっても)年間5000人に資格を与えても良いのだそうだ。

 しかし、福井教授は、同じく医師の資格は情報の非対称対策だといいながら、医師については、資格者の質が下がってもいいから大量に資格を与えよとは、述べていない。

 当たり前だろう。医師の質が下がれば我々の健康に直結するからだ。質を落として医師を大量生産し、自由競争させた場合、藪医者と評判が立ってその医師が淘汰されるまで、何人の被害者が出るか分からないし、その被害は看過できない。さすがの福井教授でも、そこまでの暴言を吐くまでは出来なかったのだろう。また、質を落として医師の大量生産を続ければ、藪医者が淘汰されても、次々と新しく藪医者が社会に放出され続けるのだから、いつまでたっても淘汰など終わりはしないのだ。

 そこで福井教授は医師の問題を無視して、弁護士資格にのみ文句をつける。しかし、弁護士が扱う事件だって我々の社会生活に直結するものだ。一生に一度の事件を弁護士に依頼する人も多いのだ。医師が扱う仕事と重要性において、違いはない。

 福井教授がいうように、弁護士資格が情報の非対称対策なのであれば、なおさら質の維持は必要になるはずだ。つまり、質の高い合格者が必要になるということだ。それがどうして、逆の結論になるのか。福井教授の論はアメリカでうまく行っているのだからという(思い込み?の)他は、情報開示すればうまく行くはずだという机上の空論でしかないように思われる。

 なお、福井教授は、結構あちこちで波紋を呼んでいる方らしく、国会でも疑問視されたことがあるらしい。かなり長くなるが、引用する。詳しくは原典にも当たってみて欲しい。 (中略・前略・下線部・着色は、坂野が行っています。)

(引用開始)

166-参-厚生労働委員会-23号 平成19年05月29日

○櫻井充君 おはようございます。民主党・新緑風会の櫻井でございます。
 (中略)はっきり申し上げまして、規制改革会議の問題は今回に限ったことではなく、この暴走をいい加減に止めないと、この国のその政治の在り方そのもの自体がおかしくなるんじゃないのかなと、私はこれはもうどこの委員会でもずうっと続けて申し上げているところでございます。(中略)我々は、国会議員は選挙というものを経て国民の代表者としてこの場に立っております。国家公務員の方々は、国家公務員法というその縛りがあって、そこの中で自分たちもちゃんと責任を負って働いているわけでございます。そこの中で、規制改革会議の方々は、そういうその選挙も経ていない、それからある種の責任をきちんとした形で負うようなシステムになっていない。もう少し言えば、何か不適切なことがあったとしても社会的な地位まで失墜するわけではないという方が、余りに今の構造の中でいうと権力を持ち過ぎているんではないんだろうか、私はそのように感じていて、今の政治の在り方そのものを変えていかないといけないんではないのかなと、そう思っておりますが、大臣そして副大臣としてはいかがお考えでございましょう。

○国務大臣(柳澤伯夫君) 
 (前略)改革を行う場合に、ボトムアップでできるかということになると、なかなかボトムアップでは改革というのはうまくいかないというのが通例でございまして、(中略)トップダウンのやり方が、時として、また場合によっては多用されるというような、そういうことにあると思います。
 そういうことで、いろいろ内閣の中にトップダウンのための装置と申しますか、そういうものができまして、そこでいろいろ識者が改革を進めるための、意見を言われるということが行われておりまして、(中略)いずれにしても、そうであったとしても、最終の我が国の意思決定というのはこの立法機関でございますし、また内閣としての提案というのは閣議に諮って提案がまとまって出てくるわけでありますので、その過程でかなりいろんな意見を闘わせて、昔のように役人が準備をしてきたものをボトムアップするということでなく出てきたとしても、最終のところでは内閣の閣議決定、それから立法府における法律の制定ということで進んでまいりますので、大きな枠組みは十分維持されておる(後略)。

○副大臣(林芳正君) 今、柳澤大臣から御答弁があったとおりだと私も思っておりまして、この規制改革会議の委員というのは、あくまでそれぞれの識見を持たれた方が答申をいただくと。しかし、その答申を受け止めてどうしていくかというのは、最終的には選挙で選ばれた我々、また議院内閣制における政府というものが政策決定を内閣の責任において行っているものでございます。
 櫻井委員から大変優しい言葉を掛けていただいたわけでございますが、与野党問わず、これはやっぱりどういう政策の決定をしていくのかということ、そして最終的にだれがどういうふうに国民に対して責任を取るのかということは大変大事な問題だと私も思っておるところでございまして、この審議の、規制改革会議のプロセスの中でどうしてもタスクフォース的なものの存在が、私もちょっと言葉に気を付けなければなりませんけれども、必要以上にクローズアップされているんではないかということを感じることが正直言ってございます。(中略)きちっと最終的には、今、柳澤大臣がおっしゃられましたように、内閣として最終的なものを責任を持って決めて、その上で国会にお諮りをして審議をいただくと、この原則はきちっと担保してまいる、このことが基本であろうというふうに考えておるところでございます。

○櫻井充君 お二人がおっしゃったとおりになっていれば全く問題ないんですよ。言っているようになっていないから問題なんです。これは、今与野党がというお話がありましたが、私は自民党の議員の方々と話をしても、良識のある方々は皆おかしいと、そういうふうにおっしゃっていますよ。(発言する者あり)ですよね。
 ですから、そういう点から考えると、もう一度僕は原理原則に返ってやっていただきたいんです。別にボトムアップ方式をずっとやれと言っているわけでもありません。トップダウン方式が悪いと言っているわけでも何でもありません。これは、規制改革会議というのは国家行政組織法の中のいわゆる八条に定められている八条委員会ですね。八条委員会の役割は一体何なのかというと、この人たちは意見を言うことができるということだけの話であって、その後に対してこの自分たちが言ったことをどうやって通していこうかとか、どうやって反映させていこうかとか、そういうところまで僕は権限としてないんだろうと思うんですよ。
 その点について、まず改めて林副大臣に確認しておきたいと思いますが、私のその認識でよろしいんでしょうか。

○副大臣(林芳正君) 先ほど申し上げましたように、規制改革会議は答申を出すというのが仕事でございますので、その意見を出した後、今度は我々が政府として受けてそれを決定するということでございますので、この規制改革会議のお仕事は答申を作るということであろうというふうに思っております。

○櫻井充君 そうすると、これは第九回の規制改革・民間開放推進会議の中で、福井委員が、労働契約法制の中身について、きちんと協議を受けて、細部にわたって答申の趣旨が具体的に反映されているかどうかを事前にチェックするという手続が極めて重要だと思いますと、まずこういう発言もされているんですね。つまり、自分たちの意見がちゃんと通っているかどうかもチェックしていこうじゃないかと。そして、その場合に、駄目だった場合には、要するに、いずれにしろ、労政審で決まって閣議決定され、国会に提出されると、それ以降の段階でこの答申とは違う法案ができたことが仮に判明したからといって、事後的に修正を求めるということは、多大な労力、時間等の取引コストが掛かりますので、やはり法案を出す前に、内閣として決める時点でちゃんと事前にコミットすることが手続的に極めて重要ではないかと思いますと、そういうふうにコメントされているんです。越権行為も甚だしい。
 私は、まず一つ申し上げておきたいのは、このような委員が本当に適切なのかどうかということであって、改めて求めておきますが、当委員会に規制改革会議の福井委員の参考人としての招致を求めておきたいと思います。
 そして、その上で、今のコメントに対して林副大臣としていかがお考えか、その点について御答弁いただきたいと思います。
(中略)

○櫻井充君 そういう話になると、基本的に言うと全部やれることになりますね、多分。
 教育委員会制度についても規制改革会議の中で実は議論されているわけです。ただし、これは規制改革会議の中でではないんですよ。調べてみると、規制改革会議の委員が決定される前に、新しい委員が決定される前にワーキングチームと称した会合が持たれているわけです。
 これはしかも、要するに、郵船かな、まあ草刈議長のところの会議室なんだろうと思いますが、そこで教育ワーキンググループという名前を付けられておりますが、自由討議をされるわけですね。自由討議されている内容を原案として、たたき台として、あとはメールの持ち回りで一応承認してもらって、規制改革会議の名前でこのことについても発表しているわけですよ。これは手続、全くのっとっておりません。渡辺大臣はこれは合法だというようなお話をされていましたが、大臣がそういうようなことで認めてしまうから、認めてしまうから、このようなことが何でもありでやられていっているんだろうと私は思っているんですよ。
 これは、教育再生会議の第一次報告について、それは問題があるんじゃないかということで、規制改革会議のある一部の人間が自由討議をしたんです。その上で、今度はその内容をたたき台にして、あとはメールの持ち回りの中で、会議もせずに、会議もせずに規制改革会議の一応意見として報告がされているわけですよ。なぜ彼らがそういう議論までしなきゃいけないんでしょう。
 そして、そこの中で、また、要するに我々の意見をどうやって反映させるのかということを言及しているわけですよ。これは草刈会長が、総理との見解相違があるとたたかれる可能性もあるので、渡辺大臣との会合を持ち、意見を合わせる必要があると、大臣に意見を言わせた上で、それをサポートする形がよいのではないかと。福井委員は、大臣との意見調整が利けば、流れを変えてくれる可能性もあると、まとめた見解を大臣経由で総理に訴えて山谷補佐官へ指示させる流れがよいのではないかと。大臣を経由して規制改革会議の名で出すのもいいが、逆効果になることも考えられると、こんなことまでいろいろ意見が交換されているわけですよ。こういう人たちを、こういう人たちを今までのようにやらせていいのかどうかということです。特にこの福井さんという方は、いろんな場面で顔を出してきて、いろんなことを自由に物を言ってめちゃめちゃにしていく方です。
 もっと申し上げると、彼は驚くべきことを言っているわけですよ。今のワーキンググループは、これ、公開されておりません。彼は「官の詭弁学」という本を書かれていて、そこの中で何と言っているかというと、要するに情報公開しないということ、官僚の情報公開が不足していることが最も問題なんだということを彼は言っているわけですが、彼の会議そのもの自体が実は情報公開なんかされていないんです。しかも、番記者を引き連れていって、さも規制改革会議で議論されたかのようにそのことを、たまたま番記者にその情報を提供して、それを有り難く書くマスコミがいるということが私は一番情けないことだと思いますけどね。しかし、こういう人に本当に何で委員をやらせるんですか。だから、ゆがめられていくんですよ。
 私からすれば、憲法四十一条に、国会は要するに国権の最高機関であると定められているわけでしょう。それが完全にゆがめられていますよ、この人たちによって。ですから、私はこの福井さんという方ははっきり申し上げて委員にふさわしくない、罷免させるべきではないのかなと、そう考えておりますが、副大臣としていかがでしょう。

(中略)

○櫻井充君 
 (前略)それから、今回の規制改革会議の中でおかしいと私は思うのは、本来であれば今回の規制改革会議はどういうものなんだというまず方向性が決まってから人選されるべきなのに、まず十二月にはもう内々に人選されているんですね。そして、そのまだ正式なメンバーでもない人たちが決まってから、じゃ今度は規制改革会議はどういうことなんだという方向性をこれ決めているんですよ。ですから、やり方そのものがめちゃくちゃなんです、すべてが。だから、おかしいというふうに申し上げているんです。
 (中略)そして、しかも、これは持ち回りでその見解を出されましたが、今度はその後の規制改革会議の中で、ほかの委員の方からどういうことか十分によく分からないのでちゃんと補足の説明をしてほしいということを求められて、規制改革会議の会合の中で補足説明をしております。やっていることがでたらめなんです。
 こういうことをやられたら、まじめにやっている官僚はばかばかしくなりますよ、本当に。それから、我々国会議員だって、我々は国民の代表者ですよ。我々だってばかばかしくなるじゃないですか、こんなこと勝手にやられて。そして、今の流れでいえば、この人たちが正義であって、特に御苦労されているのは歴代の厚生労働大臣ですが、さも抵抗勢力のように言われて袋だたきに遭うと。これは大臣として心労がたまるのはこれもう当然のことだと思いますね。
 ですから、そういう点でいったら、まずここの組織そのもの自体をちゃんと見直さなきゃいけないですよ。今、有識者というお話がありましたが、福井さんはなぜ有識者として認めるんですか。その根拠を挙げていただけますか。

(中略)

○櫻井充君 苦しいのはよく分かりますから、もう一度とにかく、僕はおかしいと思っているのは、規制改革会議の中の一部なんですよ、暴走しているのは、多分。それから、経済財政諮問会議もたった一人暴走している人がいてね、この人が民間委員という名前を称して四人の名前で全部出しているけれども、あれ四人じゃないでしょう、多分後ろで一人絵をかいているの、八代さんだけだと思いますがね。
 そういうことをやっていいのかということです。彼らは何の権限もないですからね、はっきり言っておきますけれどもね。何の代表者でも何でもなくて、それは皆さんが有識者だというふうにお決めになって、その有識者だと名のっているだけの話であって、例えばそれじゃ、これからその議論しなければいけない話になるんですけれども、年齢制限を撤廃しろというふうに今政府は進めているわけでしょう。じゃ、その当時、規制改革会議のメンバーだった、規制改革会議のメンバーだった、しかも今、労働政策審議会のメンバーの奥谷さんの会社のザ・アールという会社、じゃ、これは年齢制限撤廃していますか。

○政府参考人(高橋満君) 今、櫻井委員御指摘の個別の企業にかかわる状況については、今の時点では把握はいたしておりません。したがいまして、お答えは控えさせていただきます。

○櫻井充君 何言っているんだよ。あのね、ホームページ上にちゃんと掲載されていますよ、堂々と。じゃ、私がお話ししてどう思われるか、コメントを求めましょうか、そこまでおっしゃるのであれば。
 二十五歳から三十五歳って資格制限のところにちゃんと書かれていますよ、二十五歳から三十五歳と、堂々とホームページに掲載されていますよ。この方が労働政策審議会のメンバーですね、ホワイトカラーエグゼンプションをどんどん進めていって、やられている方ですね。この方は、規制改革会議のメンバーでしたね。過労死は自己責任と言った人ですよ。こういう人が本当に有識者ですか。

○政府参考人(高橋満君) 今の募集、採用にかかわって二十五歳から三十五歳という年齢を限って募集を行っておるということにつきまして、(中略)もし一定の合理的な理由というものが示されていないということになりますと、正に雇用対策法で定めております努力義務規定の趣旨に反するのではないかというふうには理解をいたしております。

○櫻井充君 じゃ、それはちゃんと調べていただけますか。
 つまり、労働政策審議会のメンバーなんですよ。そのメンバーとして適切なのかどうかということを私は問うているんですから、ですからこういうやり方をされている方、それから何回も、いつもこの委員会で問題になっていますけれども、過労死は自己責任だとか、そういうことをおっしゃっている方が適切なのかどうかということですよ。
 私は、様々な意見を持たれている方がその会議に出られることそのもの自体を否定しているわけではなくて、すべての人が同じ意見の人が集まればいいとは思っていませんよ。それは、今総理がつくられている自分のところの勉強会のあの集団的自衛権なんというのはまさしく自分の趣味、自分の意見と同じような人たちだけ集めてやっている、これがいいとは思いませんよ。
 しかし、一般的な社会常識から逸脱するような発言をされているような方からしてみると、本当にそれでいいのかどうか、きちんとした議論ができるのかどうかということを改めて考えていただきたいと思いますし、規制改革会議というのは福井さんに見られるだけでなくて、例えばいろんな規制を緩和しろと自分たちはほかの人たちに向かって言うけれども、自分たちのところはちゃんとやらない人たちが多いんですよ。宮内さんがその典型でしたけれどもね。プロ野球球団ができるときに一番反対したのは宮内さんですからね。おかげで仙台に楽天という球団ができて仙台としては良かったですけれども、結果的に見れば。ですが、ですが、あのときだって十球団にしてどうしてという、もっと一杯参入してきたらいいじゃないか、規制緩和して何とかだっておっしゃっている方ならそう言うのかなと思ったら全然違って、自分のところの利益を最優先されると。
 そういう人たちが民間委員として集まって制度をつくっているということが問題なんですよ。我々は、有権者の代表として、国民の代表としてちゃんと議論していますよ、これは。国家公務員だって、みんなどうやったら平等でというか、ちゃんと全体を見てやっていますよ。この人たちは自分たちの利益だけ考えているような人たち、やからが多過ぎるから、私は問題じゃないかなというふうに思っているわけですよ。
 ですから、そこら辺のところを、ここはお願いです。とにかく、林副大臣、改めてもう一度全部検討してみてください。そして、その上で、この規制改革会議の在り方、特にメンバーの構成、そして今までやってきているような内容について、余りに今の法制度上から逸脱しているところがあるんじゃないか、あったらそこをちゃんと是正していただくと、そういうことのまず御決意だけいただきたいと思います。

(引用ここまで)

 但し、一点だけ福井教授と同意見の箇所がある。

 法科大学院修了を司法試験の受験資格を撤廃することだ。

 そして、福井教授はこういう。

 「司法試験合格至上主義がはびこり、実務そのものを経験しない今の教育プロセスで質を保証するのは無理がある。」

 この部分は全く同感だ。

・・・・・・でも、司法試験合格者の質を問題にしないのが福井先生だったよね??

※記載内容については、全て執筆者の個人的な見解に基づくものであって、当事務所の統一した見解・意見ではありません。

閣議決定について~その1

 私は日弁連法曹人口政策会議のメンバーに入れて頂いているのですが、そこで増員派の先生が仰る中で小耳に挟むのが、「閣議決定で増員の話が決まっているので・・・。」というお話です。

 そもそも、確かに平成14年3月19日の閣議決定には「司法試験合格者3000人を目指す」 という文言が入っています。しかしその内容は従前このブログでも記載したとおり、あくまで「目指す」という努力目標にすぎませんし、その前に、「後記の法科大学院を含む新たな法曹養成制度の整備の状況等を見定めながら、」という大前提が付いています。

 つまり、法科大学院等が当初期待された機能を果たしているかどうか見定めながら、新司法試験合格者の増加を考えよう、ということです。

 ここで想定されている法科大学院とは、「豊かな人間性や感受性、幅広い教養と専門的な法的知識、柔軟な思考力、説得・交渉の能力等に加えて、社会や人間関係に対する洞察力、人権感覚、先端的法分野や外国法の知見、国際的視野と語学力、職業倫理等が広く求められるいことを踏まえ、法曹養成に特化した教育を行う法科大学院を中核とし・・・・」と閣議決定にも記載されていることから分かるように、夢のような法科大学院がイメージされています。

今後の法曹には、

①豊かな人間性と感受性

②幅広い教養と専門的な法的知識

③柔軟な思考力

④説得・交渉の能力

⑤社会や人間に対する洞察力

⑥人権感覚

⑦先端的法分野や外国法の知見

⑧国際的視野と語学力

⑨職業倫理

 が必要なところ、法科大学院(夢)はそれを踏まえた法曹養成を行うのですから、①~⑨を身につけさせてくれるところなんだそうです(法曹養成制度の中核の法科大学院がそうでなければ、閣議決定に書いた意味がないでしょ)。

 いや~素晴らしい、凄いぞ法科大学院!・・・・・って、夢を見てんのもいい加減にしろ!と言いたくなります。

 どこかの法科大学院で自分とこの法科大学院生が有利になるように新司法試験問題を漏泄(に近い行為)をしたところがあったんじゃないのか?教える側が倫理を忘れて職業倫理を身につけさせることが出来るのか。そんなところで身につく豊かな人間性と感受性ってどんな人間性・感受性なんだ。それに、そもそも人間性や感受性が他人から教わって身につくものなんだろうか。それなら、同じ先生に教わっている大学法学部卒の人間は、豊かな人間性と感受性が身についているはずだが、大学法学部卒でも問題を起こす人はいるはずだ。おかしいじゃないか。 

 柔軟な思考力を身につけさせているのなら、どうして、司法研修所教官のヒアリングや平成22年の司法修習生指導担当者協議会で、マニュアル志向が強まっていると批判されているんだ。マニュアルに頼らずとも柔軟な思考力があれば起案くらいできちゃうんじゃないのか。

 人権感覚溢れる教育を受け、人権感覚を身につけたはずの新司法試験合格者にビジネスロイヤー志向が顕著なのは、何故なんだ。人権に敏感でなければならないはずなのに、刑事事件を馬鹿にする修習生がいるという報告がなされているのは何故なんだ。

 専門的な法的知識や先端的法分野や外国法の知見を身につけるらしいが、もしそうなら、平成22年の司法修習生指導担当者協議会で、自分の頭でいろいろ想定して考える訓練や基礎的な知識が不足しているのではないか、という指摘がなされているのは何故なんだ。基礎的知識が不足した状態で専門的な法的知識を教えてどうやって身につけさせるのか。因数分解もできないのに、微分・積分が分かるはずないだろう。

 新司法試験の合格者増の前提として、法曹養成制度の整備状況を見定めながら、と閣議決定にある以上、法科大学院には、合格者増を叫ぶ前に、以上の質問に答えてもらいたい。

 あ、法科大学院はきちんと教育しましたが、生徒が身につけませんでした、というのは言い訳になりませんからね。だって、厳格な成績評価及び修了認定をしているはずなんだから。

 確かに理想は夢みたいに素晴らしいけど、こんな法科大学院の状況では、いくら閣議決定があっても、新司法試験合格者3000人を目指すことは事実上不可能でしょ。

 前提条件が満たされていないんだから。

 閣議決定の法的効果についてはまた今度。

※記載内容については、全て執筆者の個人的な見解に基づくものであって、当事務所の統一した見解・意見ではありません。

法曹養成制度再検討~その5

(続きです)

 法務省の法曹養成制度に関する検討ワーキングチームが、法科大学院について、まとめた問題点は次の通りです。

ア 法科大学院の志願者が大幅に減少する中で、法学部の学生以外の志望者も減少しており、多様な人材を多数法曹に受け入れるとの理念に支障が生じている。

イ 一部の法科大学院において、入学者選抜の競争性が不十分であり、入学者の質の確保に問題がある。

ウ 新司法試験の合格率が著しく低迷している法科大学院があり、また、一部の法科大学院に於いて、厳格な成績評価及び修了認定を行っていない。

エ 一部の法科大学院において、質の高い教員を確保できていない。

オ 認証評価については、確認証機関の間で評価にばらつきがあり、評価内容についても形式的な評価にとどまっているものもある。

★坂野の分析

ア 法科大学院の志願者減少は危機的です。H15年度の法科大学院適性試験志願者は59393名、H22年度は16469名です。最初の年に一気に志願者が集中していたとしても、ほぼ72%の志願者減少(簡単に言えば約四分の一に減少)は、異常事態でしょう。また、前述したとおり。H18~H20の新司法試験では非法学部率は約11~23%、平成15~19年度の旧司法試験でも非法学部率は約15~23%(ちょっと古い資料しか見当たらず)なので、この資料から見る限り、法科大学院+新司法試験になったから多彩な人材が確保出来るようになっているとは到底言えない。法科大学院制度が少なくとも多様な人材確保という理念実現に、何ら寄与できない制度であることがもはや明らかになってきています。

イ 司法改革審議会意見書では、「法曹となるべき資質・意欲を持つ者が入学」するのが法科大学院とされていましたが、すでにそのような資質を持たない者まで受け入れなくては法科大学院が成り立たない現状が明示されています。これでは、法曹養成の理念実現よりも、大学経営を優先させているといわれても仕方がないのではないでしょうか。

ウ 司法改革審議会意見書では、法科大学院において「厳格な成績評価及び修了認定が行われることを不可欠の前提として・・・充実した教育を行うべきである。厳格な成績評価及び修了認定については、それらの実効性を担保する仕組みを具体的に講じるべきである。」とされていました。不可欠の前提が「厳格な成績評価及び修了認定」だったのですが、それすら満たさない法科大学院が存在している事実が明らかになっています。結局「厳格な成績評価及び修了認定」の実効性を担保する仕組みも何ら意味がなかったということになりましょう。おそらく「厳格な成績評価及び修了認定」をしてしまえば、生徒が激減してしまい、学費収入が落ち込むという背景もあるのでしょうが、もしそうなら、理念より経営を優先させていると批判されても文句は言えないでしょう。そうでないとしても、落第させたらかわいそうだという温情で、制度の趣旨を曲げることは許されないはずです。法曹の質の維持できることが法曹増員の大前提であり、法科大学院は、「法曹の質を維持できる」と大見得を切っていたのですから。
 いずれにせよ、法科大学院において、不可欠の前提とされていた「厳格な成績評価及び修了認定」ができないのであれば、法科大学院の存在意義は無いと言われても仕方がないでしょう。さらに言えば、実務家教員以外の教員の90%以上が司法試験の合格体験も、司法修習の体験もないのですから、実務法曹に必要な力がどのレベルか解らない法科大学院教員も多いのです。そのような方が「厳格な成績評価及び修了認定」をしたと言われても、そもそもどのレベルを目指すか知らないのですから、その方の言われる「厳格」は意味が無いとも考えられます。

エ 問題点として一部の法科大学院のみ質の高い教員が確保できていないと指摘していますが、現状として、特別委員会報告によれば、多くの法科大学院で、法律基本科目・先端科目の専任教員の確保が困難になりつつある、とあります。法律の基本すら教えることが困難になりつつある法科大学院って、一体どんな存在意義があるのでしょうか。教育水準の保証すら出来ない法科大学院に、多額の税金を投入する意義はどこにあるのでしょうか。

オ 司法制度改革審議会意見書では、「入学者選抜の公平性、開放性、多様性や法曹養成機関としての教育水準、成績評価・修了認定の厳格性の確保するため、適切な機構を設けて、第三者評価(適格認定)を継続的に実施すべき」であり、その「仕組みは新たな法曹養成制度の中核的期間としての水準の維持、向上を図るためのもの」とされていますが、現状では、評価にばらつきがあるそうなので、何を基準に適切な評価をすればいいのか明確になっていない可能性があります。さらに、形式的評価に止まるものもあると指摘されていますが、そんなザル評価を受けて、仮に適格認定を受けたとしても、果たして大丈夫なのか、という疑念を払拭できません。結局、第三者評価の形は整えているものの、どこまで機能しているのかは、誰にも分からない状況なのではないでしょうか。

 これら問題点についての法科大学院側の改善策(案)については、「とりまとめ」を読んで頂くこととしたいと思いますが、結論的にはおそらくその程度の改善策ではなんにも変わらないのではないかと思われる程度の改善策しか提示されていないように思います。

※記載内容については、全て執筆者の個人的な見解に基づくものであって、当事務所の統一した見解・意見ではありません。

法曹養成制度再検討~その4

(続きです。)

(4)設立手続きおよび第三者評価(適格認定)

ア 法科大学院の設置状況および入学定員の状況

理念~法科大学院の設置は、関係者の自発的創意を基本としつつ、設置基準を満たしたものを認可することとし、広く参入を認める仕組みとすべきである。

現状~74の法科大学院が設置されている。法科大学院の定員は、5825人であったが、H20・21年は5765人、H22年度定員は4909人入学者4122人である。

※坂野の分析

 当初は、極論で東大・京大のみ設置、多くとも10~20校程度の設置が想定されていた、という話を聞いたことがあるが、若者の人口が減少する中、法科大学院を持たない法学部では意味がないと思われるのではないか(自分の大学を志望する学生が減少する)、と危惧した各大学から異論が出て、広く認可を認める方向で決着を見たようである。

 その結果、74校もの法科大学院が乱立した。一説によると公明党が創価学会の関連する創価大学に法科大学院を認可させるために認可基準を大幅に緩和するよう横車を押したとの説もあるそうだが、少なくとも、これだけ大量に法科大学院を認可した時点で、合格率7割は夢のまた夢となり、当初の法科大学院構想の破綻は決定的になった。この時点で近い将来破綻することが明らかであった法科大学院制度を強行した法科大学院側・文科省(そして盲目的に後押ししたマスコミ)には、大きな責任があるというべきである。

 また、定員が4909名でありながら入学者数が4122名であるということは、(問題だらけの)法科大学院から見ても、法曹を志願している者ではあるが、その基礎能力から見てとても法曹としてふさわしい能力を身につけさせることができないと判断した結果とも考えられ、法曹志願者の質の低下を裏付ける一資料と考えることもできるだろう。

さらに、どんなに野球の指導者が素晴らしく、指導設備が整っていたとしても、毎年100名以上の大リーガーにふさわしい選手を育成することは日本国内では不可能だろう。それと同じで、仮に法科大学院教育が素晴らしくても、よほど素質のある人間が争って応募しない限り毎年2000人以上の人間に法曹にふさわしい実力を身につけさせることは極めて困難であろうと思われる。先日書いたように、多くの法科大学院で、教員に適切な実力がないとの事実が明らかな現状ではなおさらである。

(4)認証評価の実施状況

理念~審議会意見書によれば、入学者選抜の公平性、開放性、多様性や法曹養成機関としての教育水準、成績評価・修了認定の厳格性を確保するため、適切な機構を設けて、第三者評価を継続的に実施すべき。

現実~第三者評価期間は3つ存在。平成22年までに全74校が審査を受け、適格認定は50校(不適格は24校)。文科省は平成22年3月に認証評価の細目について定める省令を改正。

※坂野の分析

 不適格校であれば、そもそも法科大学院として失格ということになるのなら、その卒業生が新司法試験を受験できるということは、プロセスによる教育という理念から考えれば明らかにおかしい。そもそも事後的審査で不適格になる法科大学院が認可されていること自体、文科省に大きな責任がある。

 H22年改正の細目は見ていないが、少なくとも日弁連法務研究財団の適格認定は極めて形式的なものであり、法科大学院に適切な教育能力があるかという点からの配慮は乏しいように思われる。実務家を養成する法科大学院の教員のうち、実務家教員以外の教員のうち、90%以上は司法試験に合格したこともなければ、司法修習を受けたこともないと聞いており、どのレベルまでの教育(知識・応用能力)が法曹に必要なのかという最も肝心な点ですら、何も知らずに教育を行っていると思われる。

(続く)

※記載内容については、全て執筆者の個人的な見解に基づくものであって、当事務所の統一した見解・意見ではありません

法曹養成制度再検討~その3

(前回の続きです。)

(3)教員組織

 ア 理念

   法科大学院での教員資格に関する基準は、教育実績や教育能力、実務家としての能力・経験を大幅に加味したものにすべき。教育能力、教育意欲および教育実績を重視した採用が必要。設置基準は専攻分野について、教育上又は研究上の業績、高度の技術・技能又は特に優れた知識および経験を有するものであり、かつ高度の教育上の指導能力があると認められる専任教員を置かなければならない、とされている。

 イ 現状

   多くの法科大学院で法律基本科目や展開・先端科目の専任教員の確保が困難。小規模法科大学院(特に地方)では、単独で質の高い教員が十分確保できず教育水準の継続的・安定的な保証について懸念が生じている。

※ 坂野の分析

 法科大学院導入の際に、マスコミは熱に浮かされたように、何の根拠もなく、こぞって質の高い法曹を生み出す制度として法科大学院を紹介し、法科大学院側も法曹の質を維持することができると豪語していました。

 しかし、法科大学院を積極的に推進・擁護してきた立場にある文科省下の中央教育審議会(私の記憶では、日本の知的水準を大幅に低下させた「ゆとり教育」導入にも加担していた審議会)にある、法科大学院特別委員会の報告によってすらも、実際には多くの法科大学院で、法律基本科目でも、展開・先端科目でも専任教員の確保が困難だそうです。プロセスによる教育を重視したはずの法科大学院で、教育できる実力のある教員が確保できない状況では、法曹の質が維持できるはずがありません。ごく一部の特別に優秀な方を除けば、教える方に実力がないにもかかわらず、教え子だけ実力がつくはずがないからです。

 また、法律基本科目と展開・先端科目と書かれれば、その部分だけ教員が不足しているように思われますが、何のことはありません、全ての教育分野で(能力のある)専任教員が不足していることを言い換えているだけに過ぎません。はっきり言えば、多くの法科大学院では、全ての教育分野において、きちんとした実力と教育能力を持つ教員を確保できていないということです。

 特に小規模・地方の法科大学院では教育水準すら維持できない状況にあるということですから、法科大学院を地方に作れば地域偏在が解消するという考え(法科大学院制度のメリットとしてあげる方もおられたはずです~私はもともと夢物語だと思っていましたが)は、現実的にも実現困難だということです。

 能力のある専任教員が限られている以上、法科大学院制度の失敗を認めて法科大学院を廃止するか、法科大学院を自体を3分の1から5分の1程度まで大幅に削減するしか、法科大学院による法曹養成制度を維持することは困難であるはずです。

 法科大学院側は、制度の手直しや定員削減で対応できると主張しているようですが、そもそも、制度設計の時点で過ちを犯した方が、どんなに次は大丈夫だと言い張っても信用できるはずがありません。また、法科大学院側はどんなに教育が駄目で、(全体として)質の高い法曹を生み出すことができなくても、(投下した資金を回収できずに)被害を被るのは法科大学院制度が廃止・縮小された場合に限られます。法曹養成の結果に問題があっても法科大学院側が被害を受けるわけではありません。弊害を被るのは、国民全体なのです。そのような利害関係にある法科大学院側の方に、法科大学院の評価について適切な判断をするよう求めることは、それ自体無理でしょう。 

 仮に、質の高い法曹を生み出すための方法として、プロセスによる教育という理想が正しいとしても、現実にその制度が機能していない以上、弊害の方が大きく、その弊害による傷口が大きくならないうちに改めるべきです。

(続く)

法曹養成制度再検討~その2

(前回の続き)

第3 法科大学院教育の問題点と改善方策の選択肢

 1 審議会意見等に示された理念及び現状

 (3)教育内容及び教育方法(厳格な成績評価及び修了認定)

 理念~法科大学院では法理論教育を中心としつつ実務教育の導入部分をも併せて実施。実務との架橋を強く意識した教育を行うべき。少人数教育を基本とし、双方向的・多方向的で密度の濃いものとすべき。法曹となるべき資質・意欲を持つ者が入学し、厳格な成績評価及び修了認定が行われることを不可欠の前提とした上で相当程度のものが合格できるよう充実した教育を行うべき。関連法規には・・・将来の法曹としての実務に必要な学識及びその応用能力・・・・並びに法律に関する実務の基礎的素養を涵養する為の理論的且つ実践的な教育を体系的に実施し、厳格な成績評価及び修了認定を行うこととされている。

 現状~

 ア 法科大学院標準終了年限での修了認定率は80.6~78.6%。

 イ 平成17年度修了者の7割以上、平成18年度修了者の5割以上は最終的に新司法試験に合格。

 ウ 法科大学院間の合格率は相当な開きがあり、平均合格率以下の法科大学院が57校、平均合格率の半分にも満たない法科大学院が27校存在。累積の最終合格率も全体の累積最終合格率の半分にも満たない法科大学院が少なくない(H18年度17校、H19年度26校)。

 エ 新司法試験に出願し法科大学院を修了していながら実際に受験しないものの数が年々増加(H18年に1.6%→平成22年に25.2%に)。

 オ 法科大学院特別委員会が法科大学院26校について一部科目の定期試験問題と答案を確認したところ、「可」とされた、答案の中に「不可」相当のものが少なからず見られ、試験問題も学習到達度を測るのに適切か疑問を感じさせるものが見られた。

※坂野の分析

 ア→標準終了年限によるものですから、留年なども含めると、終了率はもっと高くなるでしょう。厳格な成績評価及び修了認定がなされているのか、終了率からは大いに疑問です。

 イ→H17年度修了者は終了後4年経過、H18年度修了者は終了後3年経過しているので、このような数字を出すことに意味があるのかということ自体疑問があります。法科大学院卒業後3~4年も新司法試験向けに勉強した場合、おそらく予備校に通っているでしょうから、果たして受験技術に偏重しないという法科大学院の理念に沿った修了者といえるのか、大いに疑わしいことになるでしょうね。

 ウ→つまり、法科大学院74校中、77%の法科大学院が平均合格率を下回る修了生しか出せないし、36%の法科大学院は平均合格率の半分にも届かないということです。平均合格「率」ですから、新司法試験の合格者の数が思ったより増えないことは全く関係ありません。うちに来たら法曹になる教育をきちんとするよという看板を掲げていながら、その実力がない法科大学院が極めて多いことが分かります。こんな商売やってたら、詐欺的商法と言われて、提訴されても仕方がないように思います。

 エ→法科大学院を修了しながら新司法試験を受験しない人が、なんと4分の1以上です。おそらく三振制度があるので実力がつくまで受け控えをしているのでしょう。しかし、そもそも法科大学院は厳格な成績評価及び修了認定をしているはずなので、法曹になる(新司法試験に合格できる)実力がないのであれば、卒業(修了)させない制度ではなかったのでしょうか。だからこそ、法科大学院制度を導入しても法曹の質を落とさないと豪語していたのではなかったのでしょうか。法科大学院が法曹になる実力があると認定しながら、その本人が実力不足を感じて受け控えるというのでは、どちらが正確な評価をしているのかわかりゃしません。再度言いますが、厳格な成績評価及び修了認定を行うという以上、法科大学院が法曹となるのに十分な資質と応用能力を身につけさせたと、自信を持っていえる者しか卒業させないのが本来の理念ではなかったのでしょうか。法科大学院の厳格な成績評価及び修了認定が、殆ど内容のない評価と認定に堕していることは、この事実からも推測できます。

 オ→私がエで述べたことを裏付ける、とんでもない実態が指摘されています。「不可」相当の答案を「可」としていること自体、法科大学院は法曹の質を落とさずに新しい法曹を生み出すという、国民との約束に対する裏切りですし、「可」をもらった法科大学院生にも誤解を与えます。まさかとは思いますが、「不可」答案を敢えて「可」と評価して進級させる理由は、翌年の学費を支払わせるために、落第させるべき学生を敢えて落第させていないのではないか、とすら思えてきます。また、試験問題自体不適切という例もあるようです。教員が出す試験問題自体が不適切な問題だとすれば、きちんとした出題能力すらない教員が、堂々と法科大学院で教鞭を執っている事実があるということです。法科大学院の教員がその体たらくでは、学生は一体誰を頼って勉強すればいいのでしょうか。法科大学院を信頼して、学費を納め、自らの一生を掛けて懸命に努力している学生に対し失礼であることはもちろん、そのような教育を施しながら法曹の質を維持できると国民に言い放つ法科大学院は、あまりにも無責任な存在になりつつあるのではないでしょうか。

(続く)

★あまりの内容に、私が片寄った引用をしているとお思いになる方もおられるかもしれません。

 しかし、昨日のリンク先PDFファイルをご覧になれば分かりますが、「現状」までは、法科大学院関係者を含む法曹養成制度ワーキングチームが、現実に存在する法科大学院の実情を、調査の上まとめたものであり、私が殊更に法科大学院に不利な内容を引用したわけではありません。是非、昨日の私のブログに記載したリンク先PDFファイルをご覧になって頂ければと思います。

法曹養成制度再検討~その1

 法務省の法曹養成制度に関する検討ワーキングチームが、検討結果のとりまとめをしています。

 ワーキングチームは、加藤公一法務副大臣、鈴木寛文科副大臣、林眞琴法務省官房人事課長、深山拓也法務省官房司法法制部長、德永保文科省高等教育局長、菅野雅之最高裁事務総局審議官、片岡寛東京地検総務部長、丸島俊介日弁連嘱託、井上正仁東大大学院法学政治学研究科教授、鎌田薫早稲田大学大学院法務研究科長、中村哲司法務大臣政務官、高井美穂文科大臣政務官らで、構成されていたようです。

 この検討結果のとりまとめは、今年7月6日に公表されたものでありますが、まだ読まれていない方のために、以下にPDFファイルへのリンクを貼っておきます。

http://www.moj.go.jp/content/000050026.pdf

 このとりまとめを読むと、意見の分かれた部分については、両論併記になっておりますので、結構面白い事実が沢山書かれています。

 司法制度改革審議会意見の提言・理念に現状が沿っているかどうかという観点から検討されているようです。

 そもそも司法制度に旗を振ってきた法務省・文科省のお役人と法曹三者、法科大学院関連者の集合ですから「司法制度改革万歳」のとりまとめになるかと思いきや、司法制度改革の問題点、法科大学院の問題点もそこそこ指摘されています。

 この人選にしてこの検討結果という事実は、裏を返せば相当大きな問題が今回の司法改革に於いて生じていることを意味すると思われます。PDFファイルはかなり大部のものなので、要点を私なりにまとめてみたいと思います。

第1 はじめに

→司法制度改革審議会意見の提言と新しい法曹養成制度の歴史の概観

第2 検討の基本的視点

→基本的には現状が司法制度改革審議会意見の提言に沿うものになっているかの観点で、問題点・論点を検討。意見が分かれた場合は両論併記

第3 法科大学院教育の問題点等と改善方策の選択肢

1 審議会検討に示された理念及び現状

(1) 入学者選抜

ア 入学者の多様性の確保

  理念~多様なバックグラウンドを有する人材を多数法曹界へ。法科大学院の理念も入学者の多様性の確保に配慮した公平な入学者選抜が必要

  現実~法科大学院適性試験志願者数は一貫して減少(H16とH22を比較すれば志願者は三分の一に)。非法学部出身者及び社会人の割合も年々減少傾向(H16とH22を比較すれば社会人の入学は48.4%→24.1%に半減)

 ※坂野の分析→志願者が減れば優秀な人材が集まらないことは明白。優秀な人材の法曹界離れが加速中?また多彩な人材を法曹界へという目的も既に破綻。H18~H20の新司法試験では非法学部率は約11~23%、平成15~19年度の旧司法試験でも非法学部率は約15~23%(ちょっと古い資料しか見当たらず)なので、この資料から見る限り、新司法試験になったから多彩な人材が確保出来るようになっているとは到底言えない。

イ (法科大学院)入学者の適正の適格な評価

  理念~法曹となるべき資質と意欲を持つ者を入学させることを不可欠の前提とする。入学者の適正の適格な評価に配慮して法科大学院は入学者の選抜を行うこと。

  現実~相応の競争原理が働き、適正な入学者選抜が確保できると考えられる最低限の競争倍率2倍に満たない法科大学院が74校中、42校(H21)、40校(H22)、H22年度には競争倍率1.06倍という法科大学院まで存在。

 ※坂野の分析→法科大学院入学時点で競争が働かないのだから、一部超有名校を除き、どこまで優秀な人材を法科大学院が(全体として)確保できているのか極めて疑問。現在では、優秀者には授業料無料等の特典を与えるなどして、優秀な受験生をかき集めようとしている法科大学院もあると聞いており、いかに学生を優秀な卒業生に育てるかという法科大学院の本分よりも、以下に優秀な学生を集めて合格率を上げるかに、重点が移りつつあるように思われる。新司法試験合格者も、上位校に集中する傾向が顕著であり、法科大学院のランク化が進展中。

(続く)

日経新聞~「人間発見」

 昨日(2001.10.4)より、日経新聞夕刊の連載「人間発見」で、久保利英明弁護士の連載が始まった。

 久保利弁護士は、私はお会いしたことはないが、派手なネクタイと恰幅のある体格でおそらく一度見たら忘れられない先生だろうと想像している。大宮法科大学院の創設にも参加され相当の私財を提供されたそうだ。

 副題として「法曹フロンティアを探して」と書かれていたので、司法改革礼賛の記事が連載されるのかと思っていたが、どうやら、久保利先生の一代記が連載されるようだ。

 その久保利先生がいう。

 「多様な人材を法曹界へ送り込むという法科大学院創設の理念は正しかったといまでも確信しています。~中略~新制度全体としてはうまく行っていません。~中略~新制度になったことで法曹に挑戦し、その道が開けた人も少なくありません。」

 確かに、新制度になったことで、これまであきらめていた方が法曹に挑戦し法曹になれた方もいただろう。しかし、新制度になったことで、これまで受験できていた人、受験できた可能性があった人が、法曹への途をあきらめざるを得なくなっている面も少なくないのだ。この当たり前の事実を、法科大学院推進論者はいつも無視する。

 これまでの司法試験では、学歴不問、大学を卒業していなくても一次試験に合格すれば、司法試験を受験することが出来た。合格できる実力を身につけるまで何度でも受験できたし、受験するためには受験料だけで事足りた。後は実力さえあれば、合格できた。実際に会社に通いながら苦学して合格された方も何人もおられる。

 しかし、新司法試験は別だ。新司法試験を受験するために(受験資格を得るために)法科大学院を卒業しなくてはならない。法科大学院に入るためには原則として大学を卒業していることが必要だから(一部例外もあるらしいが)、大卒+法科大学院卒でないと、新司法試験すら受験できない。

→学歴が必要

→どんなに優秀で、実力があっても法科大学院という回り道が必要

 この時点で、働きながらの受験は相当困難になる。昼間は会社勤務しながら通うことが出来る法科大学院がどれだけ身近にあるか、考えてみれば当然だろう。

→住んでいる場所に恵まれていないとダメ

→(会社に勤めながらの受験は、ほぼ無理)

 また、法科大学院もボランティアではなく経営があるから当然授業料は必要になる(優秀者は免除になる制度もあるそうだが、そのしわ寄せは普通の学生の負担になる)。大学の学費に加えて、2~3年の法科大学院の学費が必要になる。もちろん、なんにも食べないわけにいかないから、その間の食費だって馬鹿にならない。

→お金がなければ(若しくは借金しなければ)ダメ

 さらに、ひどいのは、法科大学院卒業後5年以内に三回受験して合格できなければ、新司法試験の受験資格を失う三振制度だ。飛び抜けて実力のある人はともかく、ボーダーライン上の実力の受験生であれば、たまたま3回とも不得意分野がでてしまうことだって考え得る。

→運が良くなきゃダメ

 これまで喧伝されてきた新司法試験合格率60~80%が夢物語である以上、現在の法科大学院+新司法試験制度で、本当に優秀且つ多彩な人材が今後も法曹界を目指してくれるのだろうか。現実に法科大学院を目指す人は激減しているが、それでも理念が正しいという理由だけで、この制度が多様で優秀な人材を法曹界に継続して導くことが可能なのだと久保利先生は言うのだろうか。

 ある制度改革を断行した場合、その制度改革を推進した人達は、制度改革によるメリットを強調しがちだ。しかし、その制度改革で20のメリットがあったとしても100のデメリットがあれば、どんなに理念が素晴らしくても、その改革は失敗と言うべきだ。

 20のメリットだけ振りかざして、失敗した改革を維持し続けることは将来に禍根を残すように思えてならない。

国選弁護の問題点

 保釈とは、簡単にいえば、逃亡しない保証として保釈金を積み、身柄拘束から解放してもらうことである。仮に保釈金が積めたとしても裁判所が認めない場合もあるのだが、身柄拘束から解放してもらう利益は自由を奪われている被告人にとっては極めて大きいとも言える。

 ただし、保釈金は、犯罪にもよるがそこそこの金額になることが多い。先だって有罪判決を受けて再度身柄拘束された押尾学氏が、起訴後に保釈されたときの保釈金額は、報道によれば400万円だったそうだ。

 さて、ある国選事件の被告人である。確か、貧困で弁護人に依頼できないという理由で、国選弁護人を依頼していたはずだった。

 「どうしても保釈して欲しいって、いうけど、保釈金積めるの?100~200万円くらい要るかもしれないよ。」

 弁護士としては当然の質問である。

 ところが、貧困を理由にしていたはずの被告人はいう。

 「私の△△を解約すれば○00万円くらいはありますので大丈夫です。」

 結局この被告人は、国選弁護人が保釈請求書を作成し、保釈金を積んで保釈となった。

貧困を理由に国選弁護を依頼する際には、自らの資力を申請しなければならず、虚偽の申告をすれば過料の制裁もある(刑訴法38条の4)。政令で定められた資産の基準は50万円でありこれを超える現金・預貯金を有する者が国選弁護制度を利用するためには、まず資力申告の書面を提出し、私選弁護人の紹介手続を経なくてはならない。

 しかし資産があれば必ず私選弁護人を選択しなければならないというわけでもないから、国選弁護制度を利用できてしまう場合もある。

 また、△△の解約返戻金は、政令で定められた資産とはされていないようなので、今回の被告人は資産がゼロということで、悠々と国選弁護を受けることが出来る。○00万円の実質的資産を持ちながら、貧困などを理由に国選弁護制度を利用できてしまうのである。

 この場合、仮に有罪判決となり、訴訟費用を負担させられるとしても、通常の私選と比較してべらぼうに安い(ひどい場合は10分の1未満)の国選弁護費用ですむ可能性が高い。適正なサービスを受けるためには適正な費用が不可欠なはずなのだが、ここでも真面目にきちんと弁護する弁護士は、適正なサービスを提供しながら適切な報酬をもらえず、その分、自腹を切らされることになる。

 確かに、国選弁護事件は、熱心に弁護してくれるかどうかは弁護士次第(とはいえ、多くの弁護士は熱心なはずだ。)という面もあるし、弁護人自体を自分で好きに選ぶことも出来ない。

 しかし、「身柄拘束から解放されるためには金を払うが、弁護してもらう弁護士には基本的には報酬を払いたくない、可能な限りボランティアでやってくれ。」、という結果を招く可能性がある現行制度(そしてその維持に弁護士のボランティアを不可欠の前提とする制度)は、やはり問題があるように思われる。

 他人に頼らずに自力で、保釈金を積める被告人には、(当然逃亡せずに裁判を受けて結果が出れば返してもらえる)保釈金の還付の際に、せめて、弁護士会基準での弁護士報酬を請求できるようには出来ないものか。

 だって、現実に、それだけのサービスを受けているんだから。

最高裁が日弁連に質問書?

 司法修習生の給費制維持を求めて活動中の日弁連に対し、最高裁が、質問書を出しているという報道が先日ありました。

 ちょっとネットで探してもその本文が見つからないので、どのような意図で最高裁が日弁連に対して質問しているのか分かりかねるのですが、この問題は、司法修習生の給費制維持の問題だけに限ってみるのでは、問題の本質は分からないのではないかと考えています。

 新司法試験を合格して司法修習生になった人に対して、これまで国費で給料が支払われていました。これを司法改革の際に、法科大学院新設(実現)、法曹人口の増大(弁護士に限っては実現)、法律扶助制度の飛躍的拡充(全然実現されていない)などとセットで、貸与制に切り替えることにしたのです。

 これまでなぜ、給費制という制度があったのか、詳しく調べたわけではありませんが、私が推測するに、日本は三権分立を取っており、そのうち最も脆弱とみなされていた司法に優秀な人材を集める必要もあったのではないかと思います。

 旧司法試験は確かに難関でしたが、合格すれば、(決して贅沢は出来ませんが)一応生活の不安なく司法修習生活を送り、そこで実務の基礎を身につけることが出来る、そういう制度でした。だから、お金がなくても優秀な人材は頑張って司法試験を目指すことができましたし、税金で育ててもらったという気持ちがあるからこそ、プロボノ活動を行う素地があったように思います。私自身も、未だに国選弁護を引き受けることがあるのは、そういう気持ちがどこかに残っているからです。

 ところが、法科大学院制度が出来たため、これまでは司法試験に合格した者に対して税金を投入して人材育成をすれば良かったところが、法科大学院自体にも補助金名目で多額の税金の投入が必要になりました。法曹を目指す側からしても、法科大学院の授業料が必要になりました。国民・受験者双方とも費用の負担が増えたのです。

 ここで、法科大学院が、理想通りに人材育成に役立ってくれるのであればその税金の投入も、意味があるのかもしれません。しかし、合格率25%程度しか法曹の人材育成をできない法科大学院に、何百億円も投入するということは、誤解を恐れず単純に考えれば75%は投入した税金が法曹養成のためには無駄になっているということです。この点では、司法試験に合格しほぼ全員が法曹になった旧制度の方が、法曹の育成に関して税金の無駄遣いにはならずにすんでいたと言えましょう。

 受験生側の学費負担も馬鹿になりません。中には1000万円を超える借金をしてしまっている人もいると聞いています。

 これまで法科大学院制度万歳だった、法科大学院側や、マスコミも、ようやく少しは、この問題に気付き始めているようで、論調が変わって来つつあります。しかし現実は、大変な状況にあります。

 近時の新63期の司法修習を担当されている実務家(裁判官・検察官・弁護士)の、協議会で議論された内容を拝見する機会があったのですが、新61・新62期と比べて、全体として同等レベルと評価する人、レベルが下がっているという評価をする人はいましたが、優れているという評価をしている人は、私が見る限り一人も見当たりませんでした。もちろん、個々の司法修習生に関していえば当然上位の方は素晴らしい能力をお持ちだろうと思います。しかし、全体として同等と評価される方においても、マニュアル志向が目立つ、刑事事件よりビジネス法務をやりたがる、日本語の文章作成能力が落ちているという指摘がなされています。

 そうだとすると、法科大学院は、全体として質の維持も出来ていないし、マニュアル志向かつビジネス法務志向の学生を大量に輩出させている可能性があります。国民と受験生に多大な費用負担をさせながら、全然当初の理想と違った人材育成しかできていないといわれても仕方がないでしょう。

 そのような法科大学院に多大な税金の投入を続けるより、現在の法科大学院生に対する配慮をしつつ、失敗した法科大学院を廃止して、その分の税金を司法修習生の給費に振り向ける方が、よほど司法に有為の人材を招き入れることになるように思います。

 マスコミのは、社会的・経済的に恵まれた法曹になるんだから、給費制なんていらんじゃないかと論じがちです。確かに弁護士になれば高額な収入が保証されているのであれば、マスコミの主張も一理あるでしょう。しかし、需要を無視して弁護士を急増させ、その結果、就職できない新人弁護士が、3~4割くらい出るのではないかといわれている現状で、社会的経済的に恵まれている弁護士(法曹)という見方自体が間違っていますし、なにより、マスコミの見方には、長期的に見て優秀な人材を集め育てるという観点が全く欠落しているように思います。

 例えば、大手新聞社が(労働法上の問題は無視して)、内定者を決定する際に、

 「大学卒業してから少なくても2年は専門職大学院で自腹で学んでこい。そのうちの25%を採用してやるよ。また、うちに勤められるのは名誉なことだから、採用してもきちんと仕事の出来ない見習い期間の1年間は給料は出さない。ただし、そのあと、他よりも少し高額の給料を出す見込みだからいいだろう。但し少し高額の給料はあくまで見込みで保証してる訳じゃないよ。」

 として記者を募集した場合、優秀な人材は集まるでしょうか。特に経済的に困窮している優秀な人が集まるでしょうか。

 最高裁の質問書は、原文を見ていないので分かりませんが、場合によれば、現在の法曹養成制度、人材育成に対する問題点に目を向けて欲しいといっているのかもしれません。