令和2年司法試験の採点実感~公法系第2問から

 公法系第1問(憲法)でも相当恐ろしい答案が続出していたようだが、公法系第2問(行政法)は、なお恐ろしい答案が続出していたようであるのでいくつか引用する。

・法律や判例等に関する知識以前の基本的な用語について理解していない答案,不作為の違法確認訴訟の本案審理の内容が何かを理解していない答案,政省令を裁量基準(法的拘束力を有しない裁量基準)と誤解している答案,運用指針が法令であると誤解している答案などが多く見られた。これらは,司法試験を受験する上で最低限理解しておくべき行政法の常識的な知識ともいうべきものである。

・例年のことではあるが,問題文中に書かれている指示に従って一つ一つ議論を積み重ねることのできた答案は極めて少なかった。このことは,型どおりの解答はできるが,それ以上に問題に即した事案を分析することを苦手とし,問われたことに柔軟に対応する力が欠けている受験生が多いことを示しているのではないかと考えられた。

・問題文や会議録には解答のヒントや誘導が盛り込まれており,これらを丁寧に読むことは,解答の必要条件である。それにもかかわらず,問題文の事実や指示を読んでいないか,あるいは事案等を正確に理解せず,問題文が何を要求しているかについての論理的な理解が甘いまま解答しているのではないかと思われる答案が多く見られた。問題文をきちんと読んで,何を論じ,解答すべきかを把握した上で答案を作成することは,試験対策ということを超えて法律家としての必須の素質でもあることを認識してほしい。

・自己が採る結論をなぜ導けるのかということを説得的に記載することが最も大切であるのに,問題文中の事実を指摘しただけで,さしたる根拠も論理もなく突如として結論が現れる答案が多く見られた。

・本年度は,解答が終了していないいわゆる途中答案がかなり見られ,特に,設問2については,ほとんど解答がされていないものや,全く解答がないものが少なくなかった。

・処分性の判定に当たり,公権力性の有無に一切言及しない,また,公権力性の有無について係争行為を行った主体が「国又は公共団体」であるか否かで判断するなど,基本概念の理解ないし用法が十分ではない答案が多かった。

・少なくとも主要な判例について,その内容を正確に理解することは行政法の学習においては重要であり,基本的な学習が不十分ではないかと考えられる。

・成熟性についてはそもそも論点として検討すること自体していない答案が多く,問題文を読んでいるのか疑問があった。

・条文を引用し,問題文の事案を丁寧に拾って要件への当てはめをするという形式的なことができていない答案が多かった。

・会議録にある「本件農地についての別の処分を申請して,その拒否処分に対して取消訴訟を提起する」という会話文中の「別の処分」が何なのかを考えずにそのまま書き写しているだけの答案や,同じく(中略)会話文を書き写し,法令のどの要件との関係が問題になるかを示すことなく,「したがって考慮不尽に当たる」といった結論めいたことを書いている答案など,会話文が持つ法的含意を余り考えない安易な答案も数多くあった。

・多くの答案が裁量権濫用の問題として捉えており,このために判断のポイントを十分に押さえきれていない論述となっていた。条文をよく読んだ上で論理的に考えれば,裁量権濫用の問題でないことは分かるはずであり,問題の論理的構造を把握する能力が不足していると言わざるを得ない。

さらに採点実感は次のような内容を法科大学院教育に要望している(一部抜粋)。

・ 単に判例の知識を詰め込むような知識偏重の教育は必要ないであろうが,主要な判例については,当該判例の内容や射程についての理解を正確に身に付けることは重要と思われる。


・ 実体的な違法性の検討においては,多くの答案は裁量論に(のみ)重点を置いており,多くの受験生にとっては,個別法に沿った解釈論を組み立てる能力の涵養について,手薄となっているように思われる。(中略)法科大学院においては,このような分野についてもトレーニングが行われる必要があると考えられる。

・ 法科大学院には,基礎知識をおろそかにしない教育,事実を規範に丁寧に当てはめ,それを的確に表現する能力を養う教育を期待したい。

・ これまでも繰り返し言われていることだろうが,行政法の基本的な概念・仕組みと重要な最高裁判例の内容・射程を確実に理解した上で,それらの知識を前提にして,事例問題の演習を行うことが求められるように思われる。事例問題の演習においては,条文をきちんと読み,問題文の中から関係する事実を拾い出して,それを条文に当てはめたり法的に評価したりする作業を丁寧に行うことなどを意識すべきだろう。

・ 法曹実務家は現実の紛争解決に有効な法理論を身に付けることが求められる。(中略)そのためには基本的な法理論を土台ないし根本から深く理解することが重要であり,「応用力」というのはその発現形態にすぎない。すなわち法理の基本に立ち返って深く掘り下げることができるような思考力を涵養することが,真の応用力を身に付ける早道と思うので,そのような観点からの教育を期待したい。

・ 今回の答案の全体的な傾向は,法律家としての思考が表現されている答案が少なかったことにあるように思う。生の事実をただ拾うのではなく,それが法的にどのような意味を持つのか,どの法令のどの文言との関係で問題となるのかなどについて,考え,表現する癖を付ける教育が望まれる。

・ 設問への解答において行政裁量を論じる必要があるか否かをよく考えずに裁量の有無,裁量の逸脱・濫用を検討する答案が目立った。本案における行政処分の適法性の検討においては事案のいかんを問わずとにかく行政裁量を論じれば良いと考えているのではないかと疑われる答案が,全体としては優秀な答案の中にも少なからず見られ,事案を具体的に検討することなく,裁量の有無,裁量の逸脱・濫用に関する一般論の展開に終始する答案も少なくないなど,行政裁量の問題が飽くまでも法律解釈の問題の一部であるという基本的な事柄が理解されていないと実感した。行政裁量に関する基本的な学習に問題があることが,このような設問によって逆に明らかになったように思われるが,これまでの行政法総論の学習,教育の在り方全体を見直す必要があるのではないかという気がした。

法科大学院等特別委員会の謎~②

 ところが、法科大学院の問題について検討しているはずの、文科省の法科大学院等特別委員会においては、司法試験採点実感が資料として配付されたこともなく、法科大学院卒業生のレベルが検討された様子が伺えないのである(私は以前からブログで指摘している)。

 つまり、法科大学院等特別委員会は、法科大学院卒業の司法試験受験生の質(法科大学院の成果)を何ら考慮・検証することなく、法科大学院制度の改変(法科大学院在学中受験を認める・共通到達度試験を導入する・適性試験を廃止するetc)などを行う為の議論に終始し、近時では予備試験を敵視する議論にも注力し、現状を見ずに制度変更を提案するなど、私に言わせれば、正直言って訳の分からん委員会になっている。

 最初の例で言えば、A社の生産する製品Xの質について何ら検証しないまま、担当取締役が製造機械Bの担当者を変えたり製造工程を変えたり、C社を批判したりしているわけで、普通の会社なら当然首になってもおかしくないレベルの議論を、法科大学院等特別委員会の委員である学者達が雁首揃えて、延々行っているというわけである。

 法科大学院の目的は、質を維持しながら法曹を養成することにあったはずである。そうだとすれば、法科大学院等特別委員会としては、法曹養成制度をどう改めるかを検討する前に、まず質が維持できているのか確認するべきだろう。

 分かりやすく食べ物に例えて言うなら、需要はあるのに売上が上がらない、「うな丼」店があったと仮定しよう。この店をどうすれば改善できるかについて考える際に、鰻の仕入れ先や鰻を焼く設備の問題を検討する前に、その店で出されている「うな丼」の味がどうであるかが、まず最初に検討されなければならない問題のはずである。

 要するに法科大学院等特別委員会は、売上が上がらない「うな丼」店の改善を検討しようとしているにもかかわらず、その店で現在出されている「うな丼」の味を全く検討することなく、やれ設備が古いだとか、衛生面が徹底していないとか、美味しいうな丼を出している他の店が悪いから売上が上がらんのだとか、議論しているわけである。

 令和三年度の法科大学院等特別委員会の最初の配付資料においても、司法試験の受験者の数や合格者の数等については配布されているようだが、法科大学院卒業者のレベルを示すのに格好の資料であるはずの司法試験の採点実感は、今年も配布されていないようだ。

 法科大学院が発足してからほぼ20年、半数以上が潰れ、未だに教育方法について改善が求められ、卒業生もレベル的に予備試験受験生に及ばない、という問題だらけの法科大学院制度に、いつまで多額の税金を投入し続ける必要があるのだろうか。

 失敗作であることは明らかなのだから、法科大学院制度廃止により収入が減少するおそれのある学者達のポジショントークに惑わされずに、法科大学院制度は早急に廃止し、法科大学院等特別委員会も解散するのが税金の賢い使い方であろう。

 だって、そのお店で出されている「うな丼」の味も検討せずに、うな丼店の立て直しなんて出来るはずないじゃないか。

(この項終わり)

法科大学院等特別委員会の謎~その①

 例えばA会社で、社会で必要とされている高性能の製品Xを作成するために、会社の資金を相当投じてB機械設備を導入し、その機械設備を稼働・維持するためにも毎年費用がかかっていると仮定しよう。
 ところが、全く同じ製品Xを製造するC社のほうが質が高いと一般に評価されてしまった場合、A社としては何を分析する必要があるだろうか?

 B機械設備の稼働状況だろうか?
 B機械設備の担当者の変更だろうか?
 A社での製品Xの製造過程の変更だろうか?
 同分野でA社の製品を上回る品質の製品Xを廉価で生産しているC会社を批判することだろうか?


 
 私はいずも違うだろうと考える。

 A社が最初に重視すべき点は、自社のB機械設備で生産された製品Xの質が本当に社会が求める性能を満たしているのか、満たしていないのであればどの点においてなのかを明確にすることではないかと思う。


 上記の点をまずはっきりさせないと、何をどう改善して良いのか明確にならないからである。また品質に問題がなければ製造過程の問題ではなく、販売戦略の問題かもしれない等、A社の目的達成のための別の方策も見出しうる可能性があるからだ。

 したがって、仮にA社取締役会で、製品Xの問題が取り上げられた際に、 A社担当取締役が自社で製造された製品Xの質の確認もせずに、B機械設備に更に投資すべきだとか、B機械設備の担当者を変更すべきだとか、A社でのX製造過程を変更しようとか、C社を批判しよう等と提言した場合、おそらく他の取締役からは、「現状を確認もせずに、机上の空論を振り回すな!まず現実を見ろ!」、と批判されるだろう。そして、そのような提言しか出来ない担当取締役は、現状分析能力・問題解決能力がないとしてクビにされても仕方あるまい。

 さて、上記と同様の問題が、法曹養成課程に生じているように私には見える。

 かつて法科大学院推進派の学者達は、質を維持して多くの法曹を世に送り出す(未修者でも3年で法曹に必要な資質と知識を身に付けさせるよう教育できる)と豪語して多額の税金投入を必要とする法科大学院制度の導入を要望した。

 そしてマスコミも助長し、法科大学院制度は導入されたが、現状では予備試験ルートの受験生の方があらゆる法科大学院の卒業生よりも司法試験合格率で上回っている。

 また、大手法律事務所は率先して予備試験ルートの司法試験合格者を囲い込もうとしているし、裁判所・検察庁においても、予備試験ルート合格者を採用して問題が生じたという話は一切聞こえてこない。

 つまり、税金を大量に投入している法科大学院制度よりも、予備試験制度の方が優秀な法曹を産み出す傾向にあり、社会的に評価されていると言っても過言ではないのである。

 そうだとすれば、法曹養成の問題、法科大学院制度を考える上で、法科大学院卒業生の司法試験受験生の質がどういう状況になっているのか、という現状を確認することは当然必要なことになるであろうと思われる。

 司法試験受験生のうち、予備試験ルートの受験生はほぼ1割しかおらず、法科大学院卒業生が司法試験受験生の9割を占めるので、基本的には法科大学院ルートの司法試験受験生が司法試験採点実感で評価の対象にされているレベルに近いと考えて良いだろう。

 そして、司法試験の採点実感で、受験生がどの程度の答案しか書けていないのか相当程度明らかにされており、司法試験受験生の質は、かなりの程度まで分かるのである。そして、お読み頂ければ分かるが、採点実感では、とにかく基本・基礎すら出来ていない答案が多い、問題文を引き写していきなり結論が出てくる答案すらあるなどと、批判のオンパレードである。

 まあ、短答式試験を基礎的な問題に限定し(要するに簡単な問題に限定したということである)、さらに受験生の平均点を下回っても短答式試験に合格でき(ちなみに予備試験ルート受験生の短答式試験合格率は、99%以上である)、その中から2人に1人程度最終合格してしまうのだから、トップレベルは除いて司法試験合格者の全体的なレベル低下は避けられない。

(続く)

令和2年司法試験 公法系科目第1問採点実感から

 令和2年度の司法試験採点実感が法務省のHPで公開されているが、かなり恐ろしい内容になっている。

 以前私は、いまの短答式試験では本当にどうしようもないレベルの受験生を弾く機能しかないのではないかという危惧を指摘したが、まさに私の危惧が現実化している現状を示している。

 まず、公法系第1問(憲法)では、次のような指摘がなされている。

・基本概念(経済的自由、立法裁量、積極目的・消極目的、LRAの基準な等)の理解が正確であるかどうか疑わしいものが多かった。

・審査基準の具体的内容の理解が不十分な答案が非常に多かった。

・営業の自由を(人格的価値があるというにとどまらず)精神的自由そのものとして説明するもの

・国民の福利増進を(積極目的ではなく)消極目的に分類する答案も見られた。

・審査基準と現実の手段審査が対応していない答案も相当数見られた。

・単なる「移動」が(憲法22条1項の保障する)「移転」に含まれるかは自明ではないのに特段説明なく同自由は同項で保障されるとする答案が多かった。

・移動の自由を一般的自由にとどまるとしながら、厳格な審査基準を導いている答案は学説の基本的な理解に問題がある。

 少し憲法を勉強した人間なら分かると思うが、上記の指摘を簡単に言ってしまえば、憲法の基本すら分かっていない答案が目白押しということである。

 正直言えば、営業の自由を精神的自由そのものとして説明するなど大学法学部の試験で書いてもほぼ間違いなく単位を貰えない程度の誤りであって、司法試験の答案としては絶対にあってはならないレベルの間違いであるし、国民の福利増進を消極目的に分類するなども、同様に言語道断の間違いである。おそらく私が受験していた時代であれば、その答案だけでその年は不合格になってもおかしくはない(いわゆるサヨナラ答案)レベルの誤りである。

 いくら試験中に受験生が疲労の極致で心神耗弱状態にあったとしても、そんな間違いは、あってはならない。医師に例えれば、インフルエンザを手術で治せると思い込んでいるのと同じくらい低いレベルの間違いである。

 特に問題なのは、このような論文試験の答案が、短答式試験合格者によって書かれているという点にある。

 つまり、このような低レベルの過ちを犯す受験生を、短答式試験では排除できていないということなのだ。

 そしてそのような受験生も含めて受験者が構成されている論文式試験では、受験者の2~3人に1人が合格してしまう。

 法科大学院卒業生が司法試験受験生の大半を占め、最終合格率も予備試験組に比較して低いという観点からこの採点実感の事実をみるならば、法科大学院が厳格な卒業認定をしているとは、到底認め難いというほかないではないか。

 そうであれば、司法試験できちんと実務家として必要な学識及びその応用能力を判定するほかないし、そうしてもらいたい。


 仮に閣議決定で司法試験合格者を1500人程度としよう定めたとしても、法律の明文に反することは出来ないはずだ。


 司法試験法1条1項には、司法試験の目的として「裁判官、検察官又は弁護士となろうとする者に必要な学識及びその応用能力を有するかどうかを判定することを目的とする国家試験とする。」と明記されているのだから、きちんと当該目的に従って試験を実施してもらいたいものである。

第10期 「法科大学院等特別委員会終了」によせて

 令和3年2月3日、文科省中教審の第10期法科大学院等特別委員会が終了したようだ。
 法科大学院の在り方や教育方法、試験受験資格等に関して様々な議論がなされてきたようだ。

 しかし、法科大学院等特別委員会では法科大学院の教育の在り方についても議論しているはずだと思われるのに、現時点の法科大学院の教育能力の問題について、具体的に検討している様子は私には伺えなかった。

 法科大学院の教育能力がどの程度あるかを評価する場合に、もちろん司法試験の合格率は一つの指標である。
 しかし、旧司法試験時代のように合格率2%(50人に1人合格)の時代ならともかく、現在のように合格率がほぼ40%(2~3人に1人合格)にもなり、選別能力がほぼなくなっている現行司法試験においては、法科大学院の教育能力が実を挙げているかについて、どの程度の答案が実際の司法試験で書けているかについても当然検討が必要であろう。

 どの程度の答案が書かれていてどのような問題点が生じているかについては、司法試験の採点実感等が司法試験委員会から公表されている。まあ誰でも手に入る資料なのだ。

 私は、概ね目を通すようにしているが、正直申し上げて、司法試験の採点実感等は、答案の全体のレベルがとんでもなく低いことが丸わかりの資料である。

 未遂犯の問題なのに理由もなく因果関係の記載をしている答案が多いとか、相続に関する基本的知識がほぼないとか、所有権留保が担保のためであることが理解できていない答案ばかりだとか、問題文の事情を拾うだけで突然結論が出てくる答案があるだとか、まあ普通の実務家から見れば恐ろしい記述が並んでいる。

 はっきり言わせてもらえば、もし法科大学院等特別委員会でこの問題を取り上げたら、「法科大学院には、まともな教育能力がないからもうダメだ」と結論を出しても良いくらいではないかという内容が実は目白押しである。

 さらに言わせてもらえば、法科大学院導入の際に学者達が散々非難していた論証パターンの記述も、いまの司法試験受験生の多くが法科大学院卒業生であるにも関わらず、なくなるどころか、未だに大隆盛である。しかも論証パターンを守ろうとして、書く必要のない論点を無自覚に書いているような答案が目立つとの実感も多くある。

 ところが、私が見た限りであるが令和に入ってから一度も(おそらくそれ以前も)司法試験の採点実感等について、法科大学院等特別委員会が検討した様子は見られない。令和以降に法科大学院等特別委員会で配付された資料をざっと見たが、司法試験の採点実感等について配布された様子はない(私が見落としていなければだが)。

 要するに、法科大学院等特別委員会はなんだかんだと議論してきたが、現状の司法試験での答案レベルのダウンという、教育内容に関連する本質的な問題については全~~~く無視して進行したといっても良いように思う。

 法科大学院を改善するにしても、まず問題点を現実に即して正確に把握する必要があるだろう。

 学者の先生達は、どう足掻いても合格率で叶わない予備試験を敵視するのも結構だが、自分たちが法科大学院で教育結果をきちんと出せているのか、虚心坦懐、見直してから議論すべきだったのではなかろうか。

 自分達に不都合な結果は無視して議論できるなら楽でしょうがないが、おそらくそのような議論では、正しい結論は導けまい。

 次に法科大学院等特別委員会がまたあるのなら、委員になられる学者の先生達に言っておきたい。

 今度こそ、法科大学院礼賛から入るのではなく、まず司法試験採点実感等をきちんとお読み頂いて、法科大学院の現時点の教育能力をきちんと確認した上で、議論を始めて頂きたい。そうでないと、法科大学院等特別委員会が、法曹養成制度自体を崩壊させる一因となる可能性が十二分にあると私には思われる。

法科大学院等特別委員会議事録から

 中教審の法科大学院等特別委員会の最新議事録で、菊間委員がおもしろいことを述べている。

(前略)今年も複数の社会人から相談を受けましたけれども,その中でロースクールに行くメリットは何と聞かれたときに私が答えているのは,エクスターンですとか,クリニックですとか,模擬裁判とか実務につながるような経験ができるということと,ロースクールにいるときから,裁判官や,検事や,弁護士と触れ合う機会がものすごく多くて,その中で実務,働き方が具体的に明確になるというところとお話ししています。また,ロースクールで知り合った先生方と弁護士になった後も仕事をしていることもたくさんあるので,そういう人脈づくりみたいな,人脈という言い方がふさわしいかどうか分からないんですけれども,そういうこともロースクールのメリットかなと。(後略)

 以前ご紹介した、菊間委員の発言内容「社会人から相談を受けたときに予備試験を勧めている」が、かなり衝撃的発言であったことから、今回はかなりトーンを落としてロースクール擁護に回っておられるように読めなくもない。

 それはさておき、菊間委員のご主張通り、実務家との接点と働き方が明確になるという点がロースクールの魅力だとすると、それは、従前の司法修習で十二分に果たされていた点であり、敢えてロースクールを設ける必要はないことになると私は考える。

 私の経験した実務修習では、裁判所・検察庁・弁護士会、いずれでも素晴らしい実務家の先生と一緒に事件を検討し、討論し、一流の実務家のスゴ技を目の当たりにして自らの未熟さを痛感するなど、エクスターンやクリニックのようなまねごとではなく、修習担当の先生が実際の事件という真剣勝負の中で一緒になってハンドメイドで教えてくれる貴重な体験が可能だった。

 私の時代に比べて、現状の司法修習期間では短すぎて実務家との接点が少なすぎるのでダメだとの反論が考えられるが、それなら期間を延長して司法修習を充実させればよいのである。

 実がなるかどうかわからない(司法試験に合格できるかどうかわからない)種モミ全てに、税金を投じて法科大学院教育を施しても、実がならない種モミにかけた税金は相当程度無駄になる。

 この点、法曹にならなくても、ロースクールでリーガルマインドを身につければ社会のお役に立つはずだ(だから税金の無駄遣いではない)との苦しい反論も考えられるだろう。しかし、現在の社会ではロースクール卒業生に与えられる法務博士の肩書が就職に役立ったとか、法務博士に限って採用したいという話が聞こえてこない(少なくとも私は、聞いたことはない。むしろ一部の上場企業法務関連担当者から、大きな声では言えないがロースクール卒業生はプライドだけ高くて使いにくいから採りたくないという話を複数聞いたことがある。)。

 つまり法務博士の資格は社会的に評価を得られておらず、極論すれば何の意味も持たないことからみても、ロースクール教育それ自体に、実社会が何らの価値を見出していないことは明らかある。したがって、ロースクール制度が税金の無駄遣いであることは、少なくとも私から見れば火を見るより明らかなのである。

 それに比べて、旧制度のように、司法試験を突破して生育可能性を示した早苗を選別し、その早苗にお金をかけて実務家に育てるほうが当然効率がいいし、仮に修習期間を延ばしたところで法科大学院に投じる税金より安く済むはずなので、税金の無駄も省かれるだろう。

 それでも、プロセスによる教育を受けなければ法曹としてダメだとロースクール擁護派が主張するのであれば、その証明をしてほしい。すでにロースクール開校から20年近くたっているのだから可能なはずだ。

 しかし、その証明はできまい。

 ロースクール擁護派の学者・実務家が言うように、もし本当にプロセスによる教育が法曹に必須なのであれば、予備試験合格ルートの司法修習生は、実務家になった後に、問題を起こしているか、実務界から忌避されていてしかるべきだ。

 ところが現実は違うのだ。

 むしろ大手ローファームが予備試験合格者を囲い込んでいたり、裁判官、検察官に予備試験ルートの修習生が相当程度採用されている事実からすれば、「プロセスによる教育」などという得体のしれないお題目に、実務界は何ら価値を置いていないことは明白である。ロースクール擁護派の弁護士がパートナーを務める法律事務所が、予備試験合格者を囲い込むような募集を行っているという、冗談のような話も散見されるのだ。

 そうだとすれば、いくら声高に必要性を叫んだところで、実務界では一顧だにされないプロセスによる教育を、なぜ多額の税金を投入して継続する必要があるのか、という素朴な疑問にたどり着くことになる。

 この素朴な疑問に対する、私の解答は極めて単純だ。

 法科大学院及び(文科省を含む)関連者の、既得権維持、これしかあるまい。

 こんなことで多額の税金を無駄に使い、法曹志願者を激減させて法曹の質を低下させた法科大学院制度は、根本的に間違っているとしか言いようがないだろう。

 ちょっと脱線が過ぎたので、本題に戻ろう。

 菊間委員によれば、ロースクールで人脈づくりができたとのお話だが、多くのロースクール卒業生が菊間委員のように、知り合った先生方と一緒に仕事がたくさんできるような人脈を構築できているとは思えないし、少なくとも私の知る限りでは、ごくまれな特異な現象だというほかない。
 おそらく、それは菊間委員の個人的属性に基づいて生じた結果ではないかと考えられるのであり、それを法科大学院のメリットとして一般化することは困難であろうと思う。

(続く、かも)

平成29年度司法試験採点実感から~公法系1

 そういえば、H29年度司法試験採点実感について、コメントをしていなかったことを思い出した。もうじき、H30年度の採点実感が出されると思うが、基本科目についてだけでも、一応検討しておこうと思う。

(公法系第1問:→以下は坂野の雑駁な感想です。)

☆問題文には,検討すべき点について,ヒントとなる記述が多々あるにもかかわらず(例えば,立法経過に関する議論から,妊娠等の自由の制限と収容の点が大きなテーマであることに気付くべきであろう。),これに言及していない答案があった。また,問題文に書かれている前提を誤解していると思われる答案もあった。まずは,問題文をしっかり読んで,その内容を理解することが重要である。

→何らかの意図があって問題文が設定されている以上、問題文に無意味な記載はほぼないと考えるべきです。問題文の前提を誤解しているなどはもはや論外。問題の前提を誤解している人が法曹になったとしたら恐怖です。

☆被侵害利益を適切に示さないもの,違憲審査基準を示さないものが散見されるとともに,違憲審査基準を一応示していてもそれを採用する理由が十分でないものが一定程度見られた。

→被侵害利益を明確にしなければ適切な違憲審査基準は選択できないでしょう。また、ある違憲審査基準をとる以上、それを採用する理由を明確にしなくてはなりません。理由もなく勝手な都合で違憲審査基準が選択されたら、困るでしょう。

☆本問において違憲を主張するとすればその瑕疵は法律にあるのであり,また,問題文に「Bの収容及び強制出国の根拠となった特労法の規定が憲法違反であるとして」と記載されていて,法令違憲を検討すべきことが示されているのに,適用違憲を詳細に論ずるものがあった。繰り返しにはなるが,問題文はしっかり読んでほしい。

→おそらく法令違憲と適用違憲との区別すら分かっていない受験生が解答した可能性があるということ。この区別が出来ていない受験生がいるということは以前も指摘されていたが、法曹になる資格どころか、法科大学院を卒業させてはいけないレベル。

☆外国人の人権享有主体性について全く触れない答案が散見された。マクリーン事件判決を意識したものも,マクリーン事件判決について,単純に権利性質説を説いた部分しか参照できていない答案が多かった。

→超基本判例のマクリーン事件を教えていない法科大学院はないと思うので(あったらそれこそが大問題)、外国人の人権共有主体性を書き落とすとすれば、やはり法科大学院を卒業させてはいけないレベルと考えられます。

☆本問では,単純な権利性質説の論述では不十分であり,マクリーン事件判決の「外国人に対する憲法の基本的人権の保障は,右のような外国人在留制度のわく内で与えられているにすぎない。」「在留期間中の憲法の基本的人権の保障を受ける行為を在留期間の更新の際に消極的な事情としてしんしゃくされないことまでの保障が与えられているものと解することはできない。」という論理とどのように向き合うのかということが問われている。このことが意識されない答案が予想したより多かったことは遺憾であった。

→司法試験委員が想定し、論じて欲しかったレベルの議論まで、多くの答案が到達できなかったということ。そしてそのような答案が、司法試験委員の想定以上に多数に上ったため、受験生のレベルが極めて危険な状況にあるということが、「遺憾」という悲痛な言葉に、込められているように感じられます。

☆権利性質説に関する論証も不十分なものが少なくなかった。例えば,「妊娠・出産の自由も,権利の性質上外国人にも保障される。」としか記載していないものが見られたが,妊娠・出産の自由がどのような性質の権利なのかを指摘して初めて妊娠・出産の自由が外国人に保障されるという論証になるはずである。

→法律家は理屈で説得する職業でもありますが、何の分析も評価もなく、結論だけ断言されても誰も説得されません。法曹となるべき素養を適性試験と入試で確認して入学させておきながら、こんなことも身に付けさせることが出来ていないのであれば、法科大学院の教育能力に疑問符がつけられても文句は言えないでしょう。

☆収容について,人身の自由という実体的権利の問題と,令状等なくして収容されるという手続的権利の問題とがあることについてきちんと整理された答案は僅かであり,人身の自由と手続的権利の問題が混然一体として論じられて整理されていない答案や,淡白な記述にとどまる答案が多く見られた。

→散見されたのではなく、「多く見られた」という指摘から、現在の司法試験受験生の全体としてのレベルダウンが看て取れます(もちろんその中には優秀な方がいることは否定しませんが)。法的な問題を整理して分析することは、法律家の基本と言っても良いと考えますが、分析する前に整理が出来ないのであれば、議論は迷走するしかありません。

☆さしたる検討もなく,「収容=逮捕」として,憲法第33条の例外に当たらないから違憲とする答案も見られた。
→行政手続きと刑事手続きの違いを理解していないのか、時間がなかったのかは分かりませんが、少なくとも私が受験時代に読んだ教科書では、憲法33条は人身の自由及び刑事裁判手続き上の保障と項目分けされており、行政手続きに類推適用されるべきかという論点が記載されていたと思います。

☆問題文では,特労法における収容の要件,手続が詳細に示されているが,これらを十分に検討せず,単に裁判官によるチェックが欠けるから違憲とするだけの答案も目立った。憲法第31条以下の規定の一般的理解が十分でないと考えられた。

→私の記憶では、佐藤幸治の教科書では、行政の実体・手続きの適正性は基本的には13条の問題とし、31条は刑罰との関係におけるものであると明記されていたはずです(但し、20年近く前の教科書ですが)。その上で、厳密には刑罰の性質を有しなくても身体の自由を奪う行政処分に31条を準用する余地を認めていたと思います。あくまでも憲法上の規定としては31条は刑事裁判手続き上の保障という理解でした。行政手続きは、目的も多種多様であり、制限を受ける権利の性質・内容・程度、行政処分で達成しようとする公益の内容・程度など様々な考慮要素があるため、刑事手続きと同列に考えられないはずです。

☆例年指摘しているが,誤字(例えば,妊娠を「妊妊」としたり,「娠娠」としたりするものがあったほか,より懸念されることに,幸福追「及」権,収容を「収用」とするもの,主権を「主観」とするものなど,法概念に関わる誤字もあった。)がかなり認められるほか,乱雑な字で書かれて非常に読みづらい答案が相変わらずあった。

→重要な法概念にかかわる誤字があるということは、その概念の内容についてきちんと勉強できていないという可能性が高いと考えられます。例示された誤字は、司法試験受験生であれば誤解していてはならないものです。法科大学院ではこのようなことをどう考えているのでしょうか。

☆基本的な事項の理解に努めることの重要性を改めて指摘しておきたい。
→要するに基本が出来ていない。これではダメだと採点者は言っています。

(続く)

予備試験は制限されるべきか?

 先日の第77回法科大学院特別委員会で、予備試験関連の資料が大量に配布されている。

 おそらく司法試験予備試験の制限を本格的に提言するための布石ではないかと思われる。

 現在、予備試験合格者の司法試験合格率は、全ての法科大学院を上回る。法科大学院としては、屈辱的な結果のはずだ。本来、法科大学院で立派な教育を受け、厳格な卒業認定を受けているはずの法科大学院卒業生が、(法科大学院での正規?の教育を受けていないはずの)予備試験組に司法試験合格率で敵わないからだ。

 そこで法科大学院としては、予備試験がバイパスルートになっているのは問題であると指摘して、予備試験受験者乃至は合格者を、何らかのかたちで制限することを目論んでいるようだ。多くのマスコミも、予備試験が法科大学院教育を歪めていると指摘しているようで、情報がかなり操作されているような印象を私は受ける。
 

 言い方は悪くなるが、実力で敵わないから、政治力で制度を変えて自らの延命を図ろうというように見える。

 ただ私にいわせれば、法曹としての実力が身についているのであれば、どこで勉強してこようと一向に構わないと思うのだ。大手ローファームが競って予備試験組を優遇する就職説明会を行ってきたことは以前にも指摘した。現在も、弁護士法人御堂筋法律事務所、TMI総合法律事務所、森・濱田松本法律事務所、ベーカー&マッケンジー法律事務所など、有力大手法律事務所が多数、予備試験組を優遇する就職説明会を開いている。
 この事実は、法曹実務界において、法科大学院卒業生が優位性を持って見られておらず、むしろ予備試験組の方が実務において採用されやすい、つまりは世間から評価されていることを意味するといってよいだろう。
 法科大学院が標榜する、人格形成や幅広い知識、先端分野の教育などに、もしも実務における優位性があるのなら、予備試験組を就職説明会において特別扱いする必要は全くないからだ。

 行儀悪くいえば、法科大学院が大事だといっている教育は、実務界では評価されていないといっても言い過ぎではないのだ。私の経験からしても、大学などで先端の法律知識を少しかじったくらいでは、全く実務には役立たない。実務はそんなに生やさしいものではない。

 思えば、司法試験受験は、法科大学院卒業後5年で3回(現在は5年で5回)に制限されていたが、その司法試験受験制限の理由として法科大学院教育の効果は5年で失われるからと説明されていたはずだ。

 たかだか5年で失われ、実務界からも評価されていないのに、法科大学院に多額の税金を投入し続けるのは、国費の無駄ではないのか。もっともらしい理屈を述べ立てて、法科大学院や文科省が、自らの権益を守っているだけじゃないのか。
 食い物にされているのは納税者であり、被害を受けているのは法曹志願者なのだ。

 大学で研究も重ねてきたはずの学者が、法科大学院のことになると、現実を見失って理念ばかりを振り回すように見えて仕方がない。

 いい加減、現実を見据えてやり直しても良い時期なのではないだろうか。