崩壊しつつある法曹養成制度2

法科大学院協会の令和元年度アンケート付記意見から


p108
・ 法科大学院に行かず、予備校で勉強したいわゆる予備試験組が学部在学中に合格したり、卒業してすぐに合格しています。法科大学院の教育は試験の合格のためには不要ということが改めて示されています。これらの合格者が何か問題があるのかというと、採用した事務所からは優秀であり評判が良いと聞きます。私のゼミでも、本当に頭がいいと思われる者は皆、予備試験から合格しています。司法修習を廃止して、2年次の3月に司法試験を行い、3年次は実務修習とし卒業を法曹資格取得の要件にし、卒業認定を厳しくするなど抜本的な改革が必要だと思いました。
→(坂野のコメント):司法試験に合格するには法科大学院での教育は不要であること、また法科大学院を経ずに司法試験に合格して実務家になっても何も問題が生じていないばかりか、むしろ、採用した事務所からは優秀であり評判が良いとの指摘があること、という法科大学院側としては認めたくない事実を明確に指摘した意見である。この事実からすれば法科大学院側がいつも振り回す「プロセスによる教育」という理念が、現実には全く意味がないお題目であることが理解できる。そもそもプロセスによる教育が法曹養成に必要だとか、効果があるなどと法科大学院側は主張するが、プロセスによる教育がなんであり、どれだけの効果があるかなど誰も実証できておらず、法科大学院賛成論者が単にそう言い張っているだけの状況なのである。だとすれば、法科大学院制度を高額な税金を投与してまで維持する必要があるのか、大いに疑問があるということになろう。

P112
・ もっとじっくり腰を据えて法律学を習得することに期待するが、試験制度全体が反対の方向を向いているような気がする。3+2年+在学中の試験では、法律学を十分に修得したと言えないのではないか。仮に、このような受験スタイルが主流になるのであれば、従来よりもさらに充実した司法修習(期間+内容)を用意する必要があるように思う。そうでなければ、ますます司法制度が弱体化してしまうのではないかと懸念する。

→(坂野のコメント):法科大学院在学中受験制度に対する危機感を示した意見である。3+2年+在学中の試験では、法律学を十分に修得できないのが普通なのに、その状態で司法試験を受験させ合格させると、レベルの低い合格者がどんどん増加してしまい、司法制度がますます弱体化するとの懸念を示してもいる。既にこの意見を述べた人から見た司法制度は、レベルの低い合格者があふれかえって弱体化が進んでおり、これに加えて在学中受験制度によるレベルダウンによって、さらなる司法の弱体化が進むおそれがあるということである。ちなみに、令和5年度司法試験では、レベル低下が懸念されている状況にありながら合格者数は増加している。さらに、合格者1781名中在学中受験合格者数は637名であった。

本当に大丈夫なのだろうか。

崩壊しつつある法曹養成制度

 法科大学院協会が行っている、法科大学院に対する司法試験に関するアンケート付記意見から、現在の法曹養成制度が崩壊しつつあることが看て取れる。

法科大学院協会平成30年度アンケート付記意見

p89
・3 年次に司法試験を受験できるようにして、卒業と同時に司法修習が 4 月から開始するように変更してもらいたい。合格者の人数は 1000~1200 人程度が適正ではないかと思います。
→(坂野のコメント):平成30年度は1525名が合格したが、この意見を記載した法科大学院教員から見れば、あまりにレベルの低い学生が合格してしまうので、合格者数を減らすべきではないかと提言している。

p92
・ロースクールへの入学者数、受験者数が極めて減少傾向にあるなか、現在の合格者1,500 人の枠は、法曹の質の維持の観点からみて、大いに問題がある。この傾向にあっては、合格者数を 1,000 人程度に制限することが望ましいものと考えられる。
→(坂野のコメント):1500名の合格者では法曹の質の維持ができないことを明言しているコメントである。もはや、1000名程度まで合格者を絞らないと法曹の質が維持できないと考えられるほど、合格者の質の低下は進行しているのである。経営上の観点からいえば、司法試験合格者を増やして欲しいという傾向が強い法科大学院関係者から、このような発言が出ること自体、事態は深刻ということである。

p92
予備試験に関しては、国家試験の公平性、優秀な人材の確保、法曹の質の維持の観点から、今後、さらに合格者枠を増大することが必要である。
→(坂野のコメント):法科大学院関係者が基本的に敵視し続けている、予備試験合格者を増やさないと、優秀な人材も確保できないし、法曹の質も維持できないとのコメントである。法科大学院制度維持だけを念頭に置けば、合格率でどの法科大学院よりも圧倒的に上回る予備試験合格者を制限せよとの立場を取ることになるのが普通であり、多くの法科大学院教員はその立場を取る。しかし、法科大学院制度は優秀な法曹を排出するあくまで手段にすぎないのであり、目的はあくまで優秀な法曹を世に送り出すことなのだから、優秀な法曹を世に送り出すために法科大学院制度が桎梏となっているのなら、予備試験ルートの門戸を広げるべきであるとする大局を見据えた意見である。法科大学院維持に傾きがちな法科大学院関係者から、このような発言が出されていることは注目すべきであろう。

p96
・近い将来、在校生に受験資格を与える制度改革がなされるようであるが、法科大学院制度を根底から覆しかねない制度改革であると思料する。一方で、5 年先の効果を見越した取組を要求され(文科省)、他方で、5 年先に抜本的なカリキュラム改正が必要となる制度改革を行う(法務省)という、両立不能な対応を、教育現場である法科大学院に一方的に押し付けているという認識を持って頂きたい。
一部の法科大学院を中心に、そこのみが受け入れ可能な司法試験制度改革を行い、他の法科大学院には自主撤退せざるを得ない状況に追い込み、制度設計者が責任を負わずに各法科大学院に責任をとらせるようなやり方には、およそ納得がいかない。
責任の所在を曖昧にするような制度改革をするくらいなら、制度設計のミスを認め、「法科大学院+現行司法試験」という現行制度を廃止し、「法学部+旧司法試験」という旧体制に戻す方が、崩壊しかけている法曹養成システムの立て直しに資すると思料する。

→(坂野のコメント):もともと法務省・最高裁が関与していた法曹養成制度に、文科省が関係するようになったことから、省庁間の権力争いもあって、法科大学院が憂き目に遭い、法曹養成システムが崩壊しかけていることの指摘である。法曹養成制度に法科大学院制度を導入した制度設計がミスであると堂々と喝破し、旧司法試験制度にもどした方が、法曹養成システムの崩壊を止められるとまで述べている。それほど現在の法科大学院を中心とした法曹養成制度の現状は崩壊していることの証左であろう。

 以上のような付記意見が、法科大学院関係者から出ていることに注目すべきだ。

 法科大学院関係者であるということは、法科大学院が維持されないと困るから、法科大学院制度万歳、法科大学院による法曹養成制度は全くもって素晴らしい、と主張していてもおかしくはない立場にある人たちである。

 現に、中教審の法科大学院等特別委員会の委員である法科大学院教員のほぼ全ては、法科大学院による法曹養成制度は全くもって素晴らしい、となんの根拠もなく主張を続け、素晴らしい制度といいながらも、改善が必要であるとして15年以上も改善の主張を継続し続けるも成果が上がらず、予備試験ルート受験生に惨敗を続け、弥縫策に終始しているように私には見える。

 法曹養成という大局的な面から見て、手段としての法科大学院が成果をあげられないのなら、法曹の質の低下という国民の利益を損ないかねない問題を解決すべく法科大学院制度廃止を含めた大胆な手術が必要なのではないか。

 私は上記の付記意見を提出した、法科大学院関係者の方の慧眼に敬服する。

法科大学院側から見ても司法試験合格水準はレベルダウン?!

 最近まで知らなかったのだが、法科大学院協会が司法試験に関して、法科大学院に対してアンケートを行い、その結果を公表している。

 これは、法科大学院協会が法科大学院に対して行うアンケートに答えるものである。

 法科大学院制度が維持できなければ職を失うかもしれない法科大学院教員にすれば、法科大学院は維持して欲しい制度であろうから、

 法科大学院の教育はうまくいっている、
 法科大学院のおかげで生徒はみんな優秀に育っている、
 法科大学院では厳格な修了認定も実施して、レベルの低い受験生は送り出していない、

等の現状の法科大学院制度万歳!という意見ばかりかと思っていた(確かにそのような意見も多い)。

 しかし、意外にも、付記意見の中には、こんなレベルで合格させても良いのか、という現状を憂えた勇気ある意見もわずかながら見出せるのである。

 法科大学院制度教育の当事者でもあり、本来ならきちんと教育できていると主張すべき立場にあるはずの法科大学院の教員などから、「こんな学生のレベルで合格させても良いのか」といわんばかりの意見が出るということは、今の法科大学院制度下の司法試験合格レベルは、現状では相当やばいレベルまで下がっている、ということではないかと思われる。

 以下、令和5年度法科大学院協会、司法試験に関するアンケート調査結果報告書の付記意見からいくつか引用する。

(法科大学院側の意見)
・本年は合格者が増加したこともあるが、皆がそれに見合った水準に到達しているのだろうか。周囲を見る限り、個々の分野である程度のミスをしても問題ないと考えているものが多い。受験生としては「ある程度のミス」でも、専門家の目には「致命的なミス」のように見えるものでも、最低ライン点を下回ることはないように思われる。 医師国家試験のように、一発アウトとする関門(論文試験でそういうポイントを設定できるかはわからないが)を設定しても良いのではないだろうか。(p53)
→(坂野のコメント)
 司法試験において、専門家から見れば致命的なミスを犯していても合格できてしまっているようだ、せめて最低基準を設定しその最低基準をクリアできない受験生は落とすべきではないか、との意見である。おそらくこの教員の方から見れば、どう考えても合格できない、合格すべきでない受験生までもが、現在の司法試験で合格してしまっているということなのだろうと思われる。

(法科大学院側の意見)
現状は、出題趣旨や意見に沿った答案・解答になっていなくても、問題なく合格できる状況にあるのではないかと想像します。(p68)
→(坂野のコメント)
 要するに出題趣旨や採点者の意見に沿わないトンチンカンな答案であっても、問題なく司法試験に合格してしまっている状況にある、との意見である。司法試験問題の法的意味すら把握できなくても、出題の趣旨に沿わない答案しか書けない学生でも、司法試験に楽々合格できてしまっている現状を見てこられたのだろう。

(法科大学院側の意見)
行政法担当者の中には、基礎的知識の確実な修得のために短答式を導入すべきという意見もある。(p74)
→(坂野のコメント)
 基礎的知識が不足したままの受験生ばかりであり、基礎的知識を身に付けさせるためには短答式試験を課すなどして勉強する契機を作らないと、基礎的知識すら身に付けられないまま司法試験に合格し実務家になってしまうということだろう。裏を返せば、それだけ基礎的知識に欠けていても司法試験に合格してしまっている実情があるということである。

(法科大学院側の意見)
・試験科目が多く、とりわけ在学中受験者にとっては負担が増す一方で、試験合格の水準が薄く広くという表面的な処理能力・理解力のチェックとなり、合格水準は下がっていると感じている。(p84)
→(坂野のコメント)
 ずばり、合格水準は下がっていると明言している。法科大学院教員から見ても、きちんとした理解ができず、表面的な理解しかしていないため、合格できないだろう、合格させてはダメだろう、と思われる学生がどんどん合格していく状況を目の当たりにしているから、このような感想になったものと思われる。

(法科大学院側の意見)
・受験生・司法試験合格者の法的資質の向上という観点からは、間違った勉強法・思考法を身につけた者はきちんとはじくことが必要である。誰も書けないがゆえに「赤信号みんなでわたれば怖くない」という状態で、できない学生であっても相対的にはそれほどマイナスにならないという事態はなるべく避けることが求められる。そのためには、出題形式の工夫のほか、出題の趣旨・採点実感を通じて、あるべき勉強方法を示し続ける必要があると思われる。当局においては既にその努力をしていただいているところではあり、またそう容易なことでもなく、一朝一夕にできることでもないが、今後も工夫を加えながらも引き続き上記の観点からの取組みをしていただけるようお願い申し上げる。学生が、出口である司法試験で「それができなくても不利益を受けない」と考えるなら、法科大学院の一教員が教室でいくら言ってもそれを真剣に受け取ってもらうことは難しいためである。(p89)
→(坂野のコメント)
 司法試験の問題なんて、どうせみんなきちんと解答できないから、きちんと解答できるだけの勉強までしなくても、自分なりの勝手な方法でいいや、受験者の中で上の方にいれば合格できるからそれでいいや、という学生がどんどん合格してしまっていることに危機感を抱いているということであろう。
 いくら法科大学院教員が、この点についてはきちんと理解しておかないと実務家になった時に弁護過誤で甚大な被害を顧客に引き起こす危険がある、と考えて熱心に解説しても、「そんなこと知らなくても司法試験には受かるじゃん」、という認識が広まれば、人は易きに流れるので、正しい考え方・思考法に至るまで苦労して勉強しなくてもいいや、と考える者が大半となっていくであろう。
 そして、いくら教員が「~という考え方・思考方法が大事だ」、と説明しても、正しい考え方・思考法に至るまで苦労して勉強しなくても司法試験に受かるなら、人はそこまで勉強しないのだ。だからこそ、考え方・思考方法がダメな奴は、司法試験でしっかり落として欲しいという見解であろう。
 つまり裏を返せば、しっかり勉強せずに、間違った勉強法・思考法を身に付け、本来司法試験で落ちるべき受験生でも、楽々合格している現状があるということである。

京都本満時の枝垂れ桜(2018)

法科大学院は非効率!?~2

(続きです)

 まず、法科大学院推進論者は、やたらめったら、「プロセスによる教育」が法曹養成に必要不可欠だと主張するが、「プロセスによる教育」が具体的に何を意味するものであるかについてあまり明確にされていないし、また、本当に法曹養成に必要不可欠なのかについては、推進論者が適当且つ勝手に主張しているだけで、誰も証明できていない。

 それどころか、日本の大手法律事務所は、法科大学院におけるプロセスによる教育を経ていない、予備試験合格ルートの司法試験合格者を優先して採用している。裁判官、検察官にも予備試験合格ルートの司法試験合格者がかなりの数で採用されている。


 仮に、プロセスによる教育が本当に法律実務家養成に必要不可欠なのであれば、実務界が、プロセスによる教育を経ていない予備試験ルートの司法試験合格者を奪い合うはずがないではないか。
 このような実情から見ても、法曹養成にプロセスによる教育が必要不可欠だとの主張は根拠が全くないどころか、実務界では法科大学院の主張するプロセスによる教育は、全く評価されていないといわれても仕方がない。

 その点を措くとしても、仮に「プロセスによる教育」が、手間暇かけた双方向性の小人数教育を意味するのであれば、私の受けた旧司法試験制度下の司法修習制度はまさに「プロセスによる教育」だった。


 60人程度のクラスに5名の担当教官がつき、起案の添削や講評など、一体教官はいつ寝ているのかと思うほど、丁寧かつ双方向性を維持しつつ手塩にかけた教育を施してくれた。各実務庁でも丁寧に双方向性の高い実務教育をして頂いた。
 この司法修習制度は、当初2年だったが、途中で1年半となり、現在は1年に短縮されている。

 仮に上記の意味での「プロセスによる教育」が、法曹養成に必要不可欠であったとしても、それは司法修習制度でも実現出来ていた教育なのであるから、法科大学院教育の専売特許ではないのである。

 近時、法科大学院を修了させることなく、法科大学院在学中の司法試験受験を認める制度改正が行われたが、これは、法科大学院によるプロセスによる教育が完了していない状態で司法試験を受験させることであり、法科大学院が主張してきた「プロセスによる教育」それ自体が大して意味がないことを自ら認めていることと同義である。

 さらにいえば、法科大学院卒業生が多数を占める司法試験受験者の中で、いまだに論点暗記勉強しかしていないと思われる答案が続出していることが、司法試験の採点実感等において明らかにされている。法科大学院の主張する、プロセスによる教育の結果が、司法制度改革時に避けるべきと強調された論点暗記勉強として結実していることは、実に皮肉である。

 そうだとすれば、法科大学院の存在意義はどこにあるのか。

 法曹教育に関与する権限を得た文科省の既得権の維持、少子高齢化のなかで将来的な学生の確保に汲々としていた大学側及びその関係者の権益の維持、くらいしか考えられないのではないか。


 その権益維持のために、文科省、法科大学院等特別委員会、法務省は、小手先で制度をあれこれいじることに20年も注力し続け(いまだに法科大学院の教育方法、教育内容等について改善が必要であることは、司法試験の採点実感で指摘され続けている。)、法曹志願者に不安を与え続けてきたのである。

 日弁連執行部は、未だ法科大学院礼賛の意見のようだが、導入に賛成した以前の執行部の失態を糊塗するために、法科大学院教育の問題点を無視するのではなく、現実を見て正しい判断をすべきと考える。

 君子は豹変す、というではないか。

 正しい道に戻れないのであれば、日弁連執行部は少なくとも君子ではないというほかない。

(この項終わり)

法科大学院は非効率!?~1

一つ例え話をする。

 あなたが費用を出して、農家の方に、稲の栽培を依頼すると仮定する。

a 種もみを一面、田んぼに撒いて、芽を出すか分からない全ての種もみに対して手間とお金をかけて育てさせる、
b 種もみを苗代に播いて、芽を出してきた中から生育の良い稲を選んで、その稲を田んぼに植えて、手間とお金をかけて育てさせる、

 どちらが効率的だろうか。

 こんな簡単な問題、馬鹿にするな、とお考えかもしれない。
 まあ、おそらく99%以上の方は、bの方が効率的だと考えるだろう。

 aのように、全ての種もみに手間とお金をかけて育てようとすることは当然費用は高くつく。発芽しなかった種もみにかけた手間とお金は、完全に無駄になるうえ、発芽してきた稲に対してもbと同様の手間と費用がかかるからだ。
 したがって、bのように、自ら発芽し、より成長する能力を見せた稲を選抜して、その稲に手間とお金をかけた方が、より効率的に優れた稲を育てることが可能と考えられるはずである。

 ところが、これを法曹養成制度に当てはめて考えると、次のようになる。

① 法律実務家として十分な法的能力を身に付けられるかどうか全く未知数の学生に対して、税金を投じた法科大学院に入学させて教育を施し司法試験合格を目指す。さらに合格後に短い司法修習を行う。
② 司法試験を実施し、法律実務家として耐えうる法的能力を身に付けたことをはっきり示した合格者を、司法修習制度で税金をかけてじっくり丁寧に育てる。

 かなり図式化しているが、①は現状の法科大学院制度であり、②は、旧司法試験制度と考えていい。

 日本のように限られた財政のもとで、優秀な法律家を効率的に養成しようと思えば、法科大学院に税金を投入する①の方法よりも、司法試験合格者に税金を投入する②の方策の方がはるかに有効且つ妥当であろう。

 この点、法科大学院推進者からは、「法曹養成にはプロセスによる教育が必要不可欠であり、法科大学院はそのプロセスなのだ」との反論がくるだろうから、一言述べる。

〔続く〕

無駄無駄無駄無駄・・・・

 ある会社の取締役が、こういう機械を導入して製造すれば、これまで以上に優秀な製品をたくさん生産できると豪語したので、費用を投入して取締役の主張する機械を導入した。ところが、導入した機械は、その取締役の豪語するような性能を発揮するどころか機能不全を起こし、機械の半数以上が壊れた状態になっている。
 しかもその取締役は、機械導入から20年近く経っても成果が上がらず惨状が明らかになっているにも関わらず、機械が上手く動けば上手く行くはずだと言って、機械をあれこれいじるだけで何ら結果を出せていない。

 さて、このような取締役はどう扱われるのが正しいだろうか。

 会社の話であれば、このような取締役は、当然責任を取らされて、クビになっているはずだ。会社のお金を無駄に使われれば、株主だって黙っていないだろう。

 ところで、この話を法科大学院制度に変えて見るとこうなる。

 法科大学院導入(推進)論者が、法科大学院制度を導入して法曹養成を行えばこれまで以上に優秀な法曹をたくさん生み出せると豪語したので、国は、多額の税金を投入して法科大学院導入論者が主張する法科大学院制度を導入した。ところが、法科大学院制度は、導入論者が豪語したような効果を発揮できず(司法試験合格率に関して、予備試験ルートは約95%、法科大学院卒業者は約40%未満)、半数以上の法科大学院が潰れている。
 しかも、法科大学院導入論者は、法科大学院制度導入から20年近く経っても優秀な法曹を生み出すという成果をあげられず(司法試験合格率で予備試験ルートに大差をつけられ惨敗状態)、惨状が明らかになっているにもかかわらず、制度をいじれば上手く行くはずだと言って、法科大学院制度をあれこれいじるだけで何ら結果を出せていない。

 このような法科大学院推進論者は、当然責任を取らされてクビになっていなければならないのではないか。多額の税金を使われた国民だって、事実を知れば黙っていないだろう。
 しかし、現実には、法科大学院推進派の学者と実務家が雁首揃えて、法科大学院制度をあれこれいじることに注力し、司法試験受験生に不安を与え続けている(文科省、法科大学院等特別委員会など。)

 ちなみに、司法試験予備試験は、法科大学院課程を修了した者と同等の学識及びその応用能力並びに法律に関する実務の基礎的素養を有するかどうかを判定する目的で実施されている(司法試験法5条参照)。
 つまり、司法試験予備試験合格レベルは、国が想定する法科大学院修了者と同レベルなのであり、法科大学院教育がキチンとなされているのであれば、司法試験の合格率において、予備試験組と法科大学院修了者組とで大きな差が生じるはずがないのである。

 荒木飛呂彦先生の漫画ではないが、「無駄無駄無駄無駄・・・・」と言いたくなるときもある。

法科大学院教育の敗北

 司法制度改革の、起点となった司法制度改革審議会意見書には次のような記載がある。

 「司法試験という「点」のみによる選抜ではなく、法学教育、司法試験、司法修習を有機的に連携させた「プロセス」としての法曹養成制度を新たに整備することが不可欠である。そして、その中核を成すものとして、大要、以下のような法曹養成に特化した教育を行うプロフェッショナル・スクールである法科大学院を設けることが必要かつ有効であると考えられる。」

 要するに、上記意見書は、法曹養成にはプロセスによる教育が不可欠で、その中核として法科大学院教育が必要かつ有効、と断言しているわけだ。

 法曹養成にプロセスによる教育がなぜ不可欠であるのかについて、これまで誰一人説得的な理由を述べてくれたことはないし、司法制度改革審議会意見書にもその明確な理由は書かれていない。

 それでも百歩譲って、法曹養成にプロセスによる教育が不可欠だと仮定して考えた場合、法曹になるために不可欠なプロセスによる教育を一番たくさん受けてきた者が、最も司法試験に合格しやすくなければおかしいはずである。

 今年の司法試験受験生を見ると、つぎの3ルートからの受験生が考えられる。

 予備試験ルート組(法科大学院を経由していないか、中退したプロセスによる教育が及んでいない組)、
 法科大学院在学組(法科大学院を経由しているが、実際の教育課程2年のほぼ半分しかプロセスによる教育を受けていない組)、
 法科大学院卒業組(法科大学院の教育課程を修了し、法科大学院を卒業した、最もプロセスによる教育を受けた組)、

 プロセスによる教育を受けた度合いを比較すれば、当然

 法科大学院卒業組>法科大学院在学組>予備試験ルート組

 となるはずだ。

 そうだとすれば、仮に法曹養成にプロセスによる教育が必要なのであれば、司法試験は法曹となろうとする者に必要な学識及びその応用能力を有するかを判定する試験なのだから(司法試験法1条)、司法試験合格率も上記のプロセスによる教育を受けた度合いに比例しなければおかしいだろう。

 しかし、今年の司法試験合格率は以下のとおりである。
 予備試験ルート組92.6%
 法科大学院在学組59.5%
 法科大学院卒業組32.6%

 予備試験ルート組>>法科大学院在学組>>法科大学院卒業組

 つまり、プロセスによる教育を最も長期にわたり受けてきたはずの法科大学院卒業組が最も合格率が低いのである。


 すなわち、法科大学院のプロセスによる教育が、法曹養成に関して意味をなしていないということであり、それ以外の理由が見出しがたい。


 優秀な学生は、予備試験や在学中受験に流れるので、やむを得ないとの法科大学院側の反論もありうるかも知れない。しかし、そもそも法科大学院入試時に、法科大学院教育を施せば法曹になる見込みのある人材を選抜している(法科大学院で教育しても合格不可能な学生を入学させているのであれば、詐欺的であろう。)以上、法科大学院がキチンと教育すれば合格レベルになるはずで、教育成果が身についているかについても厳格な修了認定をしていると自認しているのだから、何ら反論にはならないだろう。

 つまり、一言で言えば、


 法科大学院のプロセスによる教育は、法曹養成に関して、実に見事に敗北しているのである。

「司法試験合格者の質は落ちているのか?」論争の参考資料:平成13年度司法試験(旧司法試験)

 某サイトで、司法試験合格者の質の問題が議論になっていたようなので、昔のデータを参考までに示そうと思う。

法務省HPで手に入る最も古いデータは、平成13年である。

平成13年度司法試験は、
総出願者数38,840名
最終合格者990名
だった。
 これでも平成元年の2倍ほどの合格者数であり、合格者を増加させた結果の最終合格者だった。

 なお、論文試験合格者に関して、「おおよそ5/7は受験回数に関係なく合格させ、残り2/7は受験回数3回以内の受験生からしか合格させない」という丙案が実施されており、受験回数の少ない受験生が圧倒的に有利な状況下で実施されていた。

最終合格者の多い大学トップ10
東京大学   206名
早稲田大学  187名
慶應義塾大学 100名
京都大学    90名
中央大学    76名
一橋大学    36名
大阪大学    34名
明治大学    27名
上智大学    19名
同志社大学   17名
である。

上記トップ10の大学の出願者数は
東京大学   2764名
早稲田大学  4949名
慶應義塾大学 2535名
京都大学   1515名
中央大学   4863名
一橋大学    719名
大阪大学    630名
明治大学   1941名
上智大学    585名
同志社大学  1157名
である。

最終合格者数÷出願者数で単純合格率を計算すると
東京大学   7.45%(13.4人に1人合格)
早稲田大学  3.78%(26.5人に1人合格)
慶應義塾大学 3.94%(25.4人に1人合格)
京都大学   5.94%(16.8人に1人合格)
中央大学   1.56%(64.1人に1人合格)
一橋大学   5.01%(20.0人に1人合格)
大阪大学   5.40%(18.5人に1人合格)
明治大学   1.39%(71.9人に1人合格)
上智大学   3.24%(30.9人に1人合格)
同志社大学  1.47%(68.0人に1人合格)

この計算からすれば、
東大・京大卒(在学中も含む)の受験生でも、14~15人に1人しか合格しない、
早大・慶大卒(在学中も含む)の受験生でも、25~26人に1人しか合格しない計算になる。

 もちろん、出願者全員が受験したわけではないだろうし、記念受験者もいたので、真剣に法曹を目指していた者の実質上の合格率は上記の数字より多少落ちるだろうが、今年の司法試験のように合格率42.8%(ほぼ2.3人に1人合格)と比較すれば隔世の感がある。

 ちなみに平成元年の(旧)司法試験一発合格者数は僅か4名。
 令和5年度司法試験の一発合格者数は1584名である。

令和5年度司法試験合格者数増加は出来レース?!

 令和5年度の司法試験合格者発表が、11月8日に発表された。合格者は1781名で政府目標であった司法試験合格者数1500名を上回った。

 日経新聞などは、法曹離れに歯止めがかかったかのような報道をしているが、司法試験合格者増だけでそう言えるかは極めて疑問である。私が受験していた四半世紀前は司法試験受験者は約3万人いたが、現在は法科大学院志願者は延べ人数で約1万人前後である。法科大学院志願者は複数の法科大学院を受験している可能性が高いので、法曹志願者の実数はもっと少ないだろう。

日経新聞の記事
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE069WQ0W3A101C2000000/

 それはさておき、問題は、今年の司法試験合格者数である。私はこの数字は出来レースであったのではないかとの疑念を持っている。

 
 その根拠は裁判所の予算概算要求である。裁判所の令和6年度の概算要求書には、1800名の司法修習生を前提にした概算要求がなされている。

https://www.courts.go.jp/about/yosan_kessan/vcmsFolder_1269/vcms_1269.html

 上記の裁判所令和6年度歳出概算要求書48枚目以下には、78期導入修習(1,800【→1,800人の意味】)との記載があるし、司法研修所で用いる修習記録(修習生に配付される資料)の数も78期分は(1,910)【→1,910部の意味】での予算が要求されているからである。

 概算要求は確か、8月31日までに提出しなければならないはずだから、その時点(司法試験合格発表の2ヶ月以上前の時点)で、既に裁判所は今年の司法試験合格者数は1800名を少し切る程度になると分かっていたことになろう。

 ここ数年、司法試験合格者数が政府目標の1500名を割り込むことが多かったにもかかわらず、裁判所が突然司法修習生1800名を前提にした概算要求をしていることからすれば、1800名弱を司法試験に合格させることは、既に既定路線(悪くいえば出来レース)だった可能性が高いように思う。

 では、なぜ、このように司法試験合格者数約1800名を、突然既定路線にしていたのか。
 司法試験合格者数の政府目標が変更になったわけでもなければ、今年の受験生に突然優秀層が激増したことが理由だとも考えにくい(仮に万一そうであったとしても合格発表前に裁判所に分かるはずがないし、何より何人合格するかは分かるはずがない)。

 そうだとすれば司法試験合格者数を約1,800人にしたその理由は、司法試験制度の変更の影響くらいしか考えられない。
 この点、日経新聞の記事にもあるように、今年の司法試験には試験制度の変更があった。
 それは
 ①今回の司法試験では、法科大学院の最終学年の在学中受験が認められた
 ②学費や時間的な負担軽減を目的に20年度に設けられた、大学3年、法科大学  院2年の計5年で修了できる「法曹コース」出身の受験生が受験した。
 主にこの2点である。

 文科省の法科大学院等特別委員会は、これまでさんざん法科大学院改革に失敗してきたことから、上記の2点の変更に関して、もはや失敗は出来ない、と相当追い詰められていたようだ。

 これまで、文科省・法科大学院側は「プロセスによる教育が大事だ、そのための法科大学院だ」と言い続けながら、法科大学院を修了せずに司法試験を受験させるよう制度変更するなどしており、実質的にはプロセスによる教育の放棄ともいえる手段を自らの生き残りのために実施している。
 また大学入学直後から法曹コースに入れて、大学生活の多くを司法試験に向けての勉強に没頭させることは、司法制度改革審議会意見書が求める「21世紀の司法を担う法曹に必要な資質として、豊かな人間性や感受性、幅広い教養と専門的知識、柔軟な思考力、説得・交渉の能力等の基本的資質に加えて、社会や人間関係に対する洞察力、人権感覚、先端的法分野や外国法の知見、国際的視野と語学力等が一層求められる」との法曹像からかけ離れた法曹を生み出す危険もあるはずだ。

 何より、当初設置された法科大学院の半数以上既にが潰れており、近年希に見る失敗政策だったことは誰の目にも明らかである。

 しかも、法科大学院等特別委員会の議事録には、「これら制度の変更の成果は長い目で成否を見守って欲しい」という最初っから負け戦を恐怖するかのような発言が多くみられていた。

 つまり文科省・法科大学院側からすれば、どうしても法科大学院在学中受験者の合格者数も法曹コースの合格者数も増やさなければならない強い必要性があった。しかし、そのために司法試験でそれらの者だけを優遇するわけにはいかないから、司法試験合格者数を増やして、法科大学院在学中受験者の司法試験合格者数と、法曹コースの司法試験合格者数を増やす必要があったのだと考えるのが合理的だと私は思う。

 日経新聞の記事には、法務省の担当者の話として
 「新制度が始まったことにより受験者数と合格者数が増加した。こうした傾向が来年以降も続くかどうか注視したい」との内容が記載されている。
 この法務省担当者の話が事実だとすれば、その発言は、文科省・法科大学院が導入した新制度開始が合格者増加の原因であると法務省関係者が認めたとも受け取ることが可能であり、私の考えも決して的外れではないのかもしれない。

法科大学院制度に一言

 

 法科大学院側が金科玉条の如く振り回す、司法制度委改革審議会意見書(2001年6月12日提言)の、法曹養成制度改革の箇所には、以下のように記載されている。

①「司法試験という「点」のみによる選抜ではなく、法学教育、司法試験、司法修習を有機的に連携させた「プロセス」としての法曹養成制度を新たに整備することが不可欠である。」

②「21世紀の法曹には、経済学や理数系、医学系など他の分野を学んだ者を幅広く受け入れていくことが必要である。社会人等としての経験を積んだ者を含め、多様なバックグラウンドを有する人材を多数法曹に受け入れるため、法科大学院には学部段階での専門分野を問わず広く受け入れ、また、社会人等にも広く門戸を開放する必要がある。そのため、法学部以外の学部の出身者や社会人等を一定割合以上入学させるなどの措置を講じるべきである。その割合は、入学志願者の動向等を見定めつつ、多様性の拡大を図る方向で随時見直されることが望ましい。」


 まあ要するに、①で法曹養成には法科大学院によるプロセスによる教育を実施することが不可欠だ、②で法曹の多様性を確保できるよう人材確保を図る、ということを目標にしているってわけだ。


 さて、法科大学院制度は2004年4月に設置されたが、その後20年近く経過している。
 当初68校(最終的には74校)開校された法科大学院だが、現在35校しか学生を募集していないから半分は潰れてしまったということだ。それだけでも近年希に見る大失敗事例であることは明白である。
 また、実際に司法試験受験者も激減するなか、法科大学院維持のために司法試験合格者を減らすことができないこともあって、今や司法試験も受験者平均点よりも50点以上下回っても合格できる試験になってしまった。
 このように、私から見れば、法曹の人気凋落と法曹の全体的レベルダウンに、力一杯貢献しているのが、われらが法科大学院制度である。


 この点、先日の公明新聞の記事のように、法科大学院出身の法曹は優秀であると根拠なく主張する者もいる。
 しかし司法試験合格率が、実受験者比で、予備試験組(約97.5%)に比べて法科大学院組は圧倒的に低い(約37.7%)こと、大手法律事務所が競って予備試験合格者を囲い込もうとしていること等からみても、法科大学院出身の法曹の全体的レベルが優秀だとは到底いえないことは明白である。

 ちょっと脱線したが、話を戻すと、文科省内の法科大学院等特別委員会(第108回配付資料)で、法科大学院のさらなる充実に向けての議論まとめ案が、出されている(資料3)。ちなみに、この特別委員会には弁護士の菊間千乃さんも参加されているが、「周囲の社会人法曹志願者には予備試験を勧めている」と述べた当初の勢いは何所へやら、今は法科大学院礼賛の意見がほとんどになってしまっているのが残念だ。

 さて、上記資料3は、今後の法科大学院の目標と言い換えても良いだろう。そこに大きく書かれているのは、
 ①多様なバックグラウンドを有する人材の確保
 ②プロセス改革の着実な実施、法科大学院教育の改善・充実
 なのである。

 ちょっと振り返ってみれば、この二つは、司法制度改革審議会意見書が目指した法曹養成制度の目標と変わらない。
 だとすれば、司法制度改革審議会が法科大学院制度を創設して実現しようとした目標を、法科大学院は設立後20年近くかけても、ほとんど実現出来ていないことを自白しているということになりはしないか。

 以前もブログに書いた気がするが、法科大学院等特別委員会は、受験生の予測可能性を奪うような制度をいじる提言ばかりやるのではなく、まずは、自分達が根拠なく素晴らしいと絶賛している法科大学院での、教育効果がきちんと上がっているかどうかを検証すべきだ。
 方法は簡単だ。
 法科大学院出身者の司法試験答案を読めば一目瞭然のはずだ。答案には受験番号だけで氏名の記載もないだろうし、守秘義務を課せば、なんら問題は無いだろう。
 なぜ、やらないのだ。


 売れないうなぎ屋の業務を改善をしようとする際に、まずその店で出されているうなぎの味を確認するのが最優先事項だろう。
 客層だとか、立地条件とか、調理器具とか、衛生状態の問題とか、売れまくっている競合店への非難(予備試験制度への批判)等は、自らが提供するうなぎの味が調ってから検討すべき問題であるはずだ。
 法科大学院はもう18年間も売れないうなぎ屋であることを、上記資料3で自ら明らかにしているのだから、自分の店のうなぎは美味いのだ!(法科大学院教育、プロセスによる教育は素晴らしい、法科大学院出身法曹は優秀である等)と根拠なく過信・断言することはやめ、まずは、一番大事な、うなぎの味をチェックすることからはじめるべきだ。


 司法試験採点実感では,受験生のレベルダウンが示唆され、あれだけ法科大学院が問題視していた論点ブロックカード暗記答案の続出も指摘されているのに、一流の学者たちが、そんな簡単なこともやらずに、制度面だけを議論し、予備試験を敵視しているのは、どうにも解せない。さらに、もし文科省から委員としての費用が支出されているのであれば、私に言わせれば、税金の無駄使いとしか評価できない。