未必の故意を分かっていない修習生が8割超え?!

 弁護士会の委員会で、最高裁司法修習委員会の第46回議事録を頂いた。

https://www.courts.go.jp/saikosai/vc-files/saikosai/2025/20240827_46gijiroku.pdf

 新人弁護士の全体的なレベルダウンについて(もちろん私としても優秀な修習生の存在は否定しない。あくまで全体的なレベルダウンである。)、何人も新人弁護士を雇用してきた同期の弁護士からも聞いていたが、さすがにマズイだろうという内容が司法修習委員会の議事録に記載されていた。

 議事録に記載されていたあまりにも「ひどい事例」は次のとおりである(議事録13頁参照)。

 導入修習の、刑事裁判の起案(記述式テストと思ってもらえれば良いです)において、盗品等有償譲り受けの事案で、被告人が盗品であることを分からずに買い受けたのか、つまり、買い受けた物品が盗品であるという認識を争点とする事案を出題したとのことである。


 対象物が盗品であると知って買い受けたのであれば、盗品等有償譲り受け罪の故意があると認定できるのは当然であるが、故意には確定的故意だけではなく、未必の故意というものがある。つまり、盗品等有償譲受け罪の場合、対象物が盗品であるかもしれないとの認識があれば、故意責任を問えるということは確定した判例であり、学説的にも反対説は、ほぼないところである。

 また未必の故意など、大学2年生でも知っている基礎中の基礎の知識であり、法学部を出ていなくても、ちょっと法律に詳しい人なら、誰でも知っている知識でもある。
 

 ところが、上記の起案において未必の故意に関して、修習生がきちんと事実認定ができたのかというと、この教官が担当していたクラスの司法修習生76名のうちわずか15名しか未必の故意について、分かっていなかったとのことである。

 実に81%もの修習生が未必の故意について分かっていなかったということになる。

 この教官が担当したクラスだけに司法試験の成績が悪かった修習生を集合させたなどという特殊事情はないだろうから、おそらく、この77期司法修習生の8割近くが未必の故意について正確な知識を有していないおそれがあるとみても、大きな誤りではないだろう。

 全受験生の平均点より26点以上低い得点でも合格できてしまう司法試験(令和6年度)では、そのような基礎知識を有しない受験者を弾く機能も、もはや有していないと評価できよう。

 更に恐ろしいのは、未必の故意について分かっていなかった77期修習生に関して、多くの教官が、76期(1年前)修習生と比べて実力はさほど変わらないと、この議事録で述べていることである。

 要するに、このような基礎的な知識すらきちんと身についていない受験生が、司法試験に合格して修習生となり、司法修習を受けて、法曹実務家になりつつある状況が、ここ何年も継続している可能性が高いということなのだ。

 このように極めて恐ろしい時代になっていることを、多くの国民の皆様はご存じないし、法科大学院推進派・司法試験合格者増員派は決して言わないだろうから、敢えてお伝えする次第である。

中之島公会堂付近(写真と記事は関係ありません)

ロースクール教育を受けると司法試験に合格しなくなる??

 法科大学院等特別委員会第118回で、菊間委員が久しぶりに良い指摘をしているので紹介しようと思う。

 まず、この委員会では、令和6年度の司法試験について、早渕宏毅委員から報告がなされた。ちなみに早渕委員は、私と司法修習同期・同クラスであり、和光の司法研修所で同じ教室で授業を受けていた。優秀なだけでなくかなりの男前だった記憶がある。司法修習終了後に検察官になったので、法務省関係の委員として入っているのだろう。

 早渕委員の報告の後、名古屋大学の佐久間委員が、最も長期間プロセスによる教育を受けたはずの法科大学院修了者の司法試験合格率が22.7%と30%を切っている(ちなみに予備試験合格者の司法試験合格率は92.8%であった)ことを指摘して、どう説明するのかという問題があるとの発言がなされたあと、弁護士の菊間千乃委員が、次のように発言している。

【菊間委員】  ありがとうございます。
 私も同じような質問なのですけれども、今、御紹介はいただかなかったのですが、各ロースクールの合格者数が書いてある一覧の資料があると思うのですけれども、それを見ると、ほとんどのロースクールで、在学中受験のほうの合格率が高くて、修了生とか2回目以降の合格者数が非常に少ないという結果が見て取れます。これを各ロースクールがどういうふうに分析しているのかということを、どなたかにお伺いしたいなと思いました。在学中受験というのは、どうしてもカリキュラムを一生懸命詰め込んで、試験が終わった後にもう一回、後半のカリキュラムをやるみたいな感じで、でも、これだけの方が受かってしまってというか、受かっていて、きっちり修了している人たちが受からないというのは、どういうことなのだろうと。ロースクールの教育をきちっと受けて合格するということからいうと、本来、修了者も相当受からないとおかしいのではないかと。在学中で受かるということは、むしろそうではない、ロースクールだけではないところで、もともと勉強していた方たちが受かっているというふうにも見えるので、これでロースクールの成果だと言うことができるのだろうかというのも思ったんですけど、ここの違いをどういうふうに捉えたらいいのかということを、お話しいただける方がいたら教えていただければと思います。

(部分的強調は坂野が行っています。)

この会議の議事録は下記のリンクを参照されたい。

https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/041/gijiroku/1415416_00031.htm

 つまり、これまで、ロースクールは、法律家を育てるためにはプロセスによる教育が大事だとなんの根拠もなく言い続けてきた。

 しかし、ロースクールでのプロセスによる教育を受ければ受けるだけ司法試験の合格率が下がっているのが現状なのである。

 司法試験受験生には、予備試験合格者、ロースクール在学中受験者、ロースクール修了(卒業)受験者の3種類があるが、ロースクールでのプロセスによる教育を受けた度合いは、

予備試験合格者<ロースクール在学中<ロースクール修了(卒業)者

であることは、明白である。

それにも関わらず、

予備試験合格者の司法試験合格率92.8%

ロースクール在学中受験者の司法試験合格率55.19%

ロースクール修了者の司法試験合格率22.7%

司法試験の結果から素直にみれば、ロースクールで行われている、プロセスによる教育って、受ければ受けるだけ司法試験に受からなくなる、実に変な教育ってことになる

サヴィニャック展で

(記事と写真は関係ありません。)

もう廃止で良いんじゃないですか?

2009年 「教育の質の向上のための改善方策について(報告)」
2012年 「教育の更なる充実に向けた改善方策について(提言)」
2013年 「今後検討すべき教育の改善・充実に向けた基本的な方向性」
2014年 「教育の抜本的かつ総合的な改善・充実方策について(提言)」
2018年 「抜本的な教育の改善・充実に向けた基本的な方向性」
2022年 「教育の更なる充実と魅力・特色の積極的発信について」

 これらは、2004年に創設された文科省所管のある教育機関について、その機関に関する文科省特別委員会が発信してきた、提言等の名称の一部抜粋である。

 上記の提言等の名称から、素直に考えれば、

 この教育機関では、

 創設の5年後には、当初の目的に比べて教育の質が低いという問題が生じており、その問題に対応するための改善策についての報告がなされている。

 更にその3年後においても、教育を更に充実させなければならない事態が生じている(もしくは改善されていない)ことが分かる。

 その1年後においても、教育の改善・充実が必要な事態は解消されておらず対応が求められている状況が分かる。

 更にその1年後には、もはや抜本的・総合的な教育の改善と充実が必要な状況にまで陥っていることが窺える。

 抜本的というのであるから、さすがに、これで改善したのかと思っていたら、

 更にその4年後にも、抜本的な改善と充実が必要であることが示され、

 その4年後においても、教育の更なる充実が必要であることが示されている。

 あくまで提言等の名称からの推測に過ぎないが、この教育機関における教育の質に関する問題は20年も改善のために様々な議論をし、策を講じてきたものの、結局、何ら解決していないように見える。

 この教育機関は、法科大学院であり、提言等を行っているのは文科省中央教育審議会大学分科会法科大学院等特別委員会である。

 20年かけても改善できないのであれば、制度自体に大きな問題があると考えるのが最も合理的だ。
 改善します、改善します、といいながら一向に成果が上がらないのであれば、民間なら、さっさと主導者をクビにし、これまでの制度を廃止して、新たな方策を取るはずだ。無駄な制度に投資する余裕など、どこにもないからである。

 制度導入時に導入賛成側の学者は、具体的な根拠も示さず、法科大学院におけるプロセスによる教育が大事などと言っていた。しかし、それなら、実際の司法試験において、予備試験合格者、法科大学院在学中受験者に比べて、プロセスによる教育を最も長期間受けてきたはずの法科大学院卒業者の合格率が、一番低い(しかも圧倒的に低い)のは、なぜなんだ。

 予備試験経由の実務家が法科大学院卒業の実務家に比べて劣っている証拠はどこにもないし、それどころか、大手法律事務所の多くは、プロセスによる教育と関連が最も低い予備試験経由の司法試験合格者を、むしろ優先的に雇用している。
 これと逆に、「予備試験経由の合格者は、プロセスによる教育を受けていないので、採用しません」などという事務所を、少なくとも私は見たことがない。

 このように、実務では、プロセスによる教育の必要性・優位性などは、どこにも見出せないのである。つまり、実務においてプロセスによる教育は全く評価されていないし、意味がないといっても良いくらいの状況にある。

 法科大学院制度の最も重要な売りの一つであった「プロセスによる教育」に意味が見出せないのだから、文科省の権益や大学の権益、見栄もあるだろうが、もう廃止で良いじゃないか。

 

 国民の皆様から多額の税金を投入してもらって、何やってんだ。

 多額の税金を投入しても成果が出せず、実社会でも評価されていないのであれば、税金の無駄としか言いようがないではないか。

司法試験の選抜機能の低下の懸念

 今年の司法試験合格者数は1592名とのことだ。

 最高裁判所の令和7年度概算要求には、司法修習78期(令和7年修習開始)のテキスト部数として1535部が予定されていたことから、合格者は1500~1550人くらいではないかと私は予想していたが、予想を少し上回った結果が出た。

 昨年、法科大学院在学中受験制度開始に配慮して1781名の合格者を出してしまったことから、司法試験委員会としては、各所におもんばかって、合格者の急減という印象をできるだけ抑えたかったのだろうと推測する。

 とはいえ、今の司法試験は、ほぼ4人に3人が合格できる短答式試験を突破すれば、2人に1人以上が最終合格してしまうし、総合点で受験者平均点を26点下回っても合格できてしまう試験なので、今の司法試験が選抜機能をきちんと果たしているのかについては、疑念が拭えない

 この点、受験者の質が向上しているから、構わないとの反論もあるだろう。

 

しかし、短答式試験は昔に比べて簡単になっており、その得点率から見ても、上記の反論はあたらないと私は考えている

 平成30年8月3日 司法試験委員会決定
「司法試験の方式・内容等の在り方について」
には、次のように書かれている。

『4 出題の在り方
短答式試験は,裁判官,検察官又は弁護士となろうとする者に必要な専門的な法律知識及び法的な推論の能力を有するかどうかを判定することを目的とするものであるが,その出題に当たっては,法科大学院における教育内容を十分に踏まえた上,基本的事項に関する内容を中心とし,過度に複雑な形式による出題は行わない。

 今の司法試験短答式試験は、昔と違って、基本的事項に関する内容が中心で複雑な形式も取らない、要するに簡単な形式で、基本的な事項に関連する問題しか出さないと司法試験委員会は明言している。
 その短答式試験(175点満点)では、全受験者の平均点が112.1点であるところ、93点取れば合格できてしまう。

 基本的な問題でも、全受験者の平均得点率は64%しかなく、さらに53%しか得点できなくても、短答式には合格できてしまうのだ。

 仮に医師国家試験で、基本的な問題であるにもかかわらず53%しか正解できない受験者を医師にして良いか?と問われれば、国民のほぼ全てが「ダメ」と答えるのではないだろうか。

 基本的な試験問題しか出されないのであれば、64%の得点率でも、もっと実力をつけてからでないと医師になって欲しくないと考える国民は多いはずだ。

 そして前述したように、司法試験短答式試験に合格すれば、約54%、半分以上の受験生が最終合格してしまう。

 今の司法試験が適切な選抜機能を持っているのかについて、疑念を持っているのは、私だけではないはずだ。

崩壊しつつある法曹養成制度2

法科大学院協会の令和元年度アンケート付記意見から


p108
・ 法科大学院に行かず、予備校で勉強したいわゆる予備試験組が学部在学中に合格したり、卒業してすぐに合格しています。法科大学院の教育は試験の合格のためには不要ということが改めて示されています。これらの合格者が何か問題があるのかというと、採用した事務所からは優秀であり評判が良いと聞きます。私のゼミでも、本当に頭がいいと思われる者は皆、予備試験から合格しています。司法修習を廃止して、2年次の3月に司法試験を行い、3年次は実務修習とし卒業を法曹資格取得の要件にし、卒業認定を厳しくするなど抜本的な改革が必要だと思いました。
→(坂野のコメント):司法試験に合格するには法科大学院での教育は不要であること、また法科大学院を経ずに司法試験に合格して実務家になっても何も問題が生じていないばかりか、むしろ、採用した事務所からは優秀であり評判が良いとの指摘があること、という法科大学院側としては認めたくない事実を明確に指摘した意見である。この事実からすれば法科大学院側がいつも振り回す「プロセスによる教育」という理念が、現実には全く意味がないお題目であることが理解できる。そもそもプロセスによる教育が法曹養成に必要だとか、効果があるなどと法科大学院側は主張するが、プロセスによる教育がなんであり、どれだけの効果があるかなど誰も実証できておらず、法科大学院賛成論者が単にそう言い張っているだけの状況なのである。だとすれば、法科大学院制度を高額な税金を投与してまで維持する必要があるのか、大いに疑問があるということになろう。

P112
・ もっとじっくり腰を据えて法律学を習得することに期待するが、試験制度全体が反対の方向を向いているような気がする。3+2年+在学中の試験では、法律学を十分に修得したと言えないのではないか。仮に、このような受験スタイルが主流になるのであれば、従来よりもさらに充実した司法修習(期間+内容)を用意する必要があるように思う。そうでなければ、ますます司法制度が弱体化してしまうのではないかと懸念する。

→(坂野のコメント):法科大学院在学中受験制度に対する危機感を示した意見である。3+2年+在学中の試験では、法律学を十分に修得できないのが普通なのに、その状態で司法試験を受験させ合格させると、レベルの低い合格者がどんどん増加してしまい、司法制度がますます弱体化するとの懸念を示してもいる。既にこの意見を述べた人から見た司法制度は、レベルの低い合格者があふれかえって弱体化が進んでおり、これに加えて在学中受験制度によるレベルダウンによって、さらなる司法の弱体化が進むおそれがあるということである。ちなみに、令和5年度司法試験では、レベル低下が懸念されている状況にありながら合格者数は増加している。さらに、合格者1781名中在学中受験合格者数は637名であった。

本当に大丈夫なのだろうか。

崩壊しつつある法曹養成制度

 法科大学院協会が行っている、法科大学院に対する司法試験に関するアンケート付記意見から、現在の法曹養成制度が崩壊しつつあることが看て取れる。

法科大学院協会平成30年度アンケート付記意見

p89
・3 年次に司法試験を受験できるようにして、卒業と同時に司法修習が 4 月から開始するように変更してもらいたい。合格者の人数は 1000~1200 人程度が適正ではないかと思います。
→(坂野のコメント):平成30年度は1525名が合格したが、この意見を記載した法科大学院教員から見れば、あまりにレベルの低い学生が合格してしまうので、合格者数を減らすべきではないかと提言している。

p92
・ロースクールへの入学者数、受験者数が極めて減少傾向にあるなか、現在の合格者1,500 人の枠は、法曹の質の維持の観点からみて、大いに問題がある。この傾向にあっては、合格者数を 1,000 人程度に制限することが望ましいものと考えられる。
→(坂野のコメント):1500名の合格者では法曹の質の維持ができないことを明言しているコメントである。もはや、1000名程度まで合格者を絞らないと法曹の質が維持できないと考えられるほど、合格者の質の低下は進行しているのである。経営上の観点からいえば、司法試験合格者を増やして欲しいという傾向が強い法科大学院関係者から、このような発言が出ること自体、事態は深刻ということである。

p92
予備試験に関しては、国家試験の公平性、優秀な人材の確保、法曹の質の維持の観点から、今後、さらに合格者枠を増大することが必要である。
→(坂野のコメント):法科大学院関係者が基本的に敵視し続けている、予備試験合格者を増やさないと、優秀な人材も確保できないし、法曹の質も維持できないとのコメントである。法科大学院制度維持だけを念頭に置けば、合格率でどの法科大学院よりも圧倒的に上回る予備試験合格者を制限せよとの立場を取ることになるのが普通であり、多くの法科大学院教員はその立場を取る。しかし、法科大学院制度は優秀な法曹を排出するあくまで手段にすぎないのであり、目的はあくまで優秀な法曹を世に送り出すことなのだから、優秀な法曹を世に送り出すために法科大学院制度が桎梏となっているのなら、予備試験ルートの門戸を広げるべきであるとする大局を見据えた意見である。法科大学院維持に傾きがちな法科大学院関係者から、このような発言が出されていることは注目すべきであろう。

p96
・近い将来、在校生に受験資格を与える制度改革がなされるようであるが、法科大学院制度を根底から覆しかねない制度改革であると思料する。一方で、5 年先の効果を見越した取組を要求され(文科省)、他方で、5 年先に抜本的なカリキュラム改正が必要となる制度改革を行う(法務省)という、両立不能な対応を、教育現場である法科大学院に一方的に押し付けているという認識を持って頂きたい。
一部の法科大学院を中心に、そこのみが受け入れ可能な司法試験制度改革を行い、他の法科大学院には自主撤退せざるを得ない状況に追い込み、制度設計者が責任を負わずに各法科大学院に責任をとらせるようなやり方には、およそ納得がいかない。
責任の所在を曖昧にするような制度改革をするくらいなら、制度設計のミスを認め、「法科大学院+現行司法試験」という現行制度を廃止し、「法学部+旧司法試験」という旧体制に戻す方が、崩壊しかけている法曹養成システムの立て直しに資すると思料する。

→(坂野のコメント):もともと法務省・最高裁が関与していた法曹養成制度に、文科省が関係するようになったことから、省庁間の権力争いもあって、法科大学院が憂き目に遭い、法曹養成システムが崩壊しかけていることの指摘である。法曹養成制度に法科大学院制度を導入した制度設計がミスであると堂々と喝破し、旧司法試験制度にもどした方が、法曹養成システムの崩壊を止められるとまで述べている。それほど現在の法科大学院を中心とした法曹養成制度の現状は崩壊していることの証左であろう。

 以上のような付記意見が、法科大学院関係者から出ていることに注目すべきだ。

 法科大学院関係者であるということは、法科大学院が維持されないと困るから、法科大学院制度万歳、法科大学院による法曹養成制度は全くもって素晴らしい、と主張していてもおかしくはない立場にある人たちである。

 現に、中教審の法科大学院等特別委員会の委員である法科大学院教員のほぼ全ては、法科大学院による法曹養成制度は全くもって素晴らしい、となんの根拠もなく主張を続け、素晴らしい制度といいながらも、改善が必要であるとして15年以上も改善の主張を継続し続けるも成果が上がらず、予備試験ルート受験生に惨敗を続け、弥縫策に終始しているように私には見える。

 法曹養成という大局的な面から見て、手段としての法科大学院が成果をあげられないのなら、法曹の質の低下という国民の利益を損ないかねない問題を解決すべく法科大学院制度廃止を含めた大胆な手術が必要なのではないか。

 私は上記の付記意見を提出した、法科大学院関係者の方の慧眼に敬服する。

法科大学院側から見ても司法試験合格水準はレベルダウン?!

 最近まで知らなかったのだが、法科大学院協会が司法試験に関して、法科大学院に対してアンケートを行い、その結果を公表している。

 これは、法科大学院協会が法科大学院に対して行うアンケートに答えるものである。

 法科大学院制度が維持できなければ職を失うかもしれない法科大学院教員にすれば、法科大学院は維持して欲しい制度であろうから、

 法科大学院の教育はうまくいっている、
 法科大学院のおかげで生徒はみんな優秀に育っている、
 法科大学院では厳格な修了認定も実施して、レベルの低い受験生は送り出していない、

等の現状の法科大学院制度万歳!という意見ばかりかと思っていた(確かにそのような意見も多い)。

 しかし、意外にも、付記意見の中には、こんなレベルで合格させても良いのか、という現状を憂えた勇気ある意見もわずかながら見出せるのである。

 法科大学院制度教育の当事者でもあり、本来ならきちんと教育できていると主張すべき立場にあるはずの法科大学院の教員などから、「こんな学生のレベルで合格させても良いのか」といわんばかりの意見が出るということは、今の法科大学院制度下の司法試験合格レベルは、現状では相当やばいレベルまで下がっている、ということではないかと思われる。

 以下、令和5年度法科大学院協会、司法試験に関するアンケート調査結果報告書の付記意見からいくつか引用する。

(法科大学院側の意見)
・本年は合格者が増加したこともあるが、皆がそれに見合った水準に到達しているのだろうか。周囲を見る限り、個々の分野である程度のミスをしても問題ないと考えているものが多い。受験生としては「ある程度のミス」でも、専門家の目には「致命的なミス」のように見えるものでも、最低ライン点を下回ることはないように思われる。 医師国家試験のように、一発アウトとする関門(論文試験でそういうポイントを設定できるかはわからないが)を設定しても良いのではないだろうか。(p53)
→(坂野のコメント)
 司法試験において、専門家から見れば致命的なミスを犯していても合格できてしまっているようだ、せめて最低基準を設定しその最低基準をクリアできない受験生は落とすべきではないか、との意見である。おそらくこの教員の方から見れば、どう考えても合格できない、合格すべきでない受験生までもが、現在の司法試験で合格してしまっているということなのだろうと思われる。

(法科大学院側の意見)
現状は、出題趣旨や意見に沿った答案・解答になっていなくても、問題なく合格できる状況にあるのではないかと想像します。(p68)
→(坂野のコメント)
 要するに出題趣旨や採点者の意見に沿わないトンチンカンな答案であっても、問題なく司法試験に合格してしまっている状況にある、との意見である。司法試験問題の法的意味すら把握できなくても、出題の趣旨に沿わない答案しか書けない学生でも、司法試験に楽々合格できてしまっている現状を見てこられたのだろう。

(法科大学院側の意見)
行政法担当者の中には、基礎的知識の確実な修得のために短答式を導入すべきという意見もある。(p74)
→(坂野のコメント)
 基礎的知識が不足したままの受験生ばかりであり、基礎的知識を身に付けさせるためには短答式試験を課すなどして勉強する契機を作らないと、基礎的知識すら身に付けられないまま司法試験に合格し実務家になってしまうということだろう。裏を返せば、それだけ基礎的知識に欠けていても司法試験に合格してしまっている実情があるということである。

(法科大学院側の意見)
・試験科目が多く、とりわけ在学中受験者にとっては負担が増す一方で、試験合格の水準が薄く広くという表面的な処理能力・理解力のチェックとなり、合格水準は下がっていると感じている。(p84)
→(坂野のコメント)
 ずばり、合格水準は下がっていると明言している。法科大学院教員から見ても、きちんとした理解ができず、表面的な理解しかしていないため、合格できないだろう、合格させてはダメだろう、と思われる学生がどんどん合格していく状況を目の当たりにしているから、このような感想になったものと思われる。

(法科大学院側の意見)
・受験生・司法試験合格者の法的資質の向上という観点からは、間違った勉強法・思考法を身につけた者はきちんとはじくことが必要である。誰も書けないがゆえに「赤信号みんなでわたれば怖くない」という状態で、できない学生であっても相対的にはそれほどマイナスにならないという事態はなるべく避けることが求められる。そのためには、出題形式の工夫のほか、出題の趣旨・採点実感を通じて、あるべき勉強方法を示し続ける必要があると思われる。当局においては既にその努力をしていただいているところではあり、またそう容易なことでもなく、一朝一夕にできることでもないが、今後も工夫を加えながらも引き続き上記の観点からの取組みをしていただけるようお願い申し上げる。学生が、出口である司法試験で「それができなくても不利益を受けない」と考えるなら、法科大学院の一教員が教室でいくら言ってもそれを真剣に受け取ってもらうことは難しいためである。(p89)
→(坂野のコメント)
 司法試験の問題なんて、どうせみんなきちんと解答できないから、きちんと解答できるだけの勉強までしなくても、自分なりの勝手な方法でいいや、受験者の中で上の方にいれば合格できるからそれでいいや、という学生がどんどん合格してしまっていることに危機感を抱いているということであろう。
 いくら法科大学院教員が、この点についてはきちんと理解しておかないと実務家になった時に弁護過誤で甚大な被害を顧客に引き起こす危険がある、と考えて熱心に解説しても、「そんなこと知らなくても司法試験には受かるじゃん」、という認識が広まれば、人は易きに流れるので、正しい考え方・思考法に至るまで苦労して勉強しなくてもいいや、と考える者が大半となっていくであろう。
 そして、いくら教員が「~という考え方・思考方法が大事だ」、と説明しても、正しい考え方・思考法に至るまで苦労して勉強しなくても司法試験に受かるなら、人はそこまで勉強しないのだ。だからこそ、考え方・思考方法がダメな奴は、司法試験でしっかり落として欲しいという見解であろう。
 つまり裏を返せば、しっかり勉強せずに、間違った勉強法・思考法を身に付け、本来司法試験で落ちるべき受験生でも、楽々合格している現状があるということである。

京都本満時の枝垂れ桜(2018)

法科大学院は非効率!?~2

(続きです)

 まず、法科大学院推進論者は、やたらめったら、「プロセスによる教育」が法曹養成に必要不可欠だと主張するが、「プロセスによる教育」が具体的に何を意味するものであるかについてあまり明確にされていないし、また、本当に法曹養成に必要不可欠なのかについては、推進論者が適当且つ勝手に主張しているだけで、誰も証明できていない。

 それどころか、日本の大手法律事務所は、法科大学院におけるプロセスによる教育を経ていない、予備試験合格ルートの司法試験合格者を優先して採用している。裁判官、検察官にも予備試験合格ルートの司法試験合格者がかなりの数で採用されている。


 仮に、プロセスによる教育が本当に法律実務家養成に必要不可欠なのであれば、実務界が、プロセスによる教育を経ていない予備試験ルートの司法試験合格者を奪い合うはずがないではないか。
 このような実情から見ても、法曹養成にプロセスによる教育が必要不可欠だとの主張は根拠が全くないどころか、実務界では法科大学院の主張するプロセスによる教育は、全く評価されていないといわれても仕方がない。

 その点を措くとしても、仮に「プロセスによる教育」が、手間暇かけた双方向性の小人数教育を意味するのであれば、私の受けた旧司法試験制度下の司法修習制度はまさに「プロセスによる教育」だった。


 60人程度のクラスに5名の担当教官がつき、起案の添削や講評など、一体教官はいつ寝ているのかと思うほど、丁寧かつ双方向性を維持しつつ手塩にかけた教育を施してくれた。各実務庁でも丁寧に双方向性の高い実務教育をして頂いた。
 この司法修習制度は、当初2年だったが、途中で1年半となり、現在は1年に短縮されている。

 仮に上記の意味での「プロセスによる教育」が、法曹養成に必要不可欠であったとしても、それは司法修習制度でも実現出来ていた教育なのであるから、法科大学院教育の専売特許ではないのである。

 近時、法科大学院を修了させることなく、法科大学院在学中の司法試験受験を認める制度改正が行われたが、これは、法科大学院によるプロセスによる教育が完了していない状態で司法試験を受験させることであり、法科大学院が主張してきた「プロセスによる教育」それ自体が大して意味がないことを自ら認めていることと同義である。

 さらにいえば、法科大学院卒業生が多数を占める司法試験受験者の中で、いまだに論点暗記勉強しかしていないと思われる答案が続出していることが、司法試験の採点実感等において明らかにされている。法科大学院の主張する、プロセスによる教育の結果が、司法制度改革時に避けるべきと強調された論点暗記勉強として結実していることは、実に皮肉である。

 そうだとすれば、法科大学院の存在意義はどこにあるのか。

 法曹教育に関与する権限を得た文科省の既得権の維持、少子高齢化のなかで将来的な学生の確保に汲々としていた大学側及びその関係者の権益の維持、くらいしか考えられないのではないか。


 その権益維持のために、文科省、法科大学院等特別委員会、法務省は、小手先で制度をあれこれいじることに20年も注力し続け(いまだに法科大学院の教育方法、教育内容等について改善が必要であることは、司法試験の採点実感で指摘され続けている。)、法曹志願者に不安を与え続けてきたのである。

 日弁連執行部は、未だ法科大学院礼賛の意見のようだが、導入に賛成した以前の執行部の失態を糊塗するために、法科大学院教育の問題点を無視するのではなく、現実を見て正しい判断をすべきと考える。

 君子は豹変す、というではないか。

 正しい道に戻れないのであれば、日弁連執行部は少なくとも君子ではないというほかない。

(この項終わり)

法科大学院は非効率!?~1

一つ例え話をする。

 あなたが費用を出して、農家の方に、稲の栽培を依頼すると仮定する。

a 種もみを一面、田んぼに撒いて、芽を出すか分からない全ての種もみに対して手間とお金をかけて育てさせる、
b 種もみを苗代に播いて、芽を出してきた中から生育の良い稲を選んで、その稲を田んぼに植えて、手間とお金をかけて育てさせる、

 どちらが効率的だろうか。

 こんな簡単な問題、馬鹿にするな、とお考えかもしれない。
 まあ、おそらく99%以上の方は、bの方が効率的だと考えるだろう。

 aのように、全ての種もみに手間とお金をかけて育てようとすることは当然費用は高くつく。発芽しなかった種もみにかけた手間とお金は、完全に無駄になるうえ、発芽してきた稲に対してもbと同様の手間と費用がかかるからだ。
 したがって、bのように、自ら発芽し、より成長する能力を見せた稲を選抜して、その稲に手間とお金をかけた方が、より効率的に優れた稲を育てることが可能と考えられるはずである。

 ところが、これを法曹養成制度に当てはめて考えると、次のようになる。

① 法律実務家として十分な法的能力を身に付けられるかどうか全く未知数の学生に対して、税金を投じた法科大学院に入学させて教育を施し司法試験合格を目指す。さらに合格後に短い司法修習を行う。
② 司法試験を実施し、法律実務家として耐えうる法的能力を身に付けたことをはっきり示した合格者を、司法修習制度で税金をかけてじっくり丁寧に育てる。

 かなり図式化しているが、①は現状の法科大学院制度であり、②は、旧司法試験制度と考えていい。

 日本のように限られた財政のもとで、優秀な法律家を効率的に養成しようと思えば、法科大学院に税金を投入する①の方法よりも、司法試験合格者に税金を投入する②の方策の方がはるかに有効且つ妥当であろう。

 この点、法科大学院推進者からは、「法曹養成にはプロセスによる教育が必要不可欠であり、法科大学院はそのプロセスなのだ」との反論がくるだろうから、一言述べる。

〔続く〕

無駄無駄無駄無駄・・・・

 ある会社の取締役が、こういう機械を導入して製造すれば、これまで以上に優秀な製品をたくさん生産できると豪語したので、費用を投入して取締役の主張する機械を導入した。ところが、導入した機械は、その取締役の豪語するような性能を発揮するどころか機能不全を起こし、機械の半数以上が壊れた状態になっている。
 しかもその取締役は、機械導入から20年近く経っても成果が上がらず惨状が明らかになっているにも関わらず、機械が上手く動けば上手く行くはずだと言って、機械をあれこれいじるだけで何ら結果を出せていない。

 さて、このような取締役はどう扱われるのが正しいだろうか。

 会社の話であれば、このような取締役は、当然責任を取らされて、クビになっているはずだ。会社のお金を無駄に使われれば、株主だって黙っていないだろう。

 ところで、この話を法科大学院制度に変えて見るとこうなる。

 法科大学院導入(推進)論者が、法科大学院制度を導入して法曹養成を行えばこれまで以上に優秀な法曹をたくさん生み出せると豪語したので、国は、多額の税金を投入して法科大学院導入論者が主張する法科大学院制度を導入した。ところが、法科大学院制度は、導入論者が豪語したような効果を発揮できず(司法試験合格率に関して、予備試験ルートは約95%、法科大学院卒業者は約40%未満)、半数以上の法科大学院が潰れている。
 しかも、法科大学院導入論者は、法科大学院制度導入から20年近く経っても優秀な法曹を生み出すという成果をあげられず(司法試験合格率で予備試験ルートに大差をつけられ惨敗状態)、惨状が明らかになっているにもかかわらず、制度をいじれば上手く行くはずだと言って、法科大学院制度をあれこれいじるだけで何ら結果を出せていない。

 このような法科大学院推進論者は、当然責任を取らされてクビになっていなければならないのではないか。多額の税金を使われた国民だって、事実を知れば黙っていないだろう。
 しかし、現実には、法科大学院推進派の学者と実務家が雁首揃えて、法科大学院制度をあれこれいじることに注力し、司法試験受験生に不安を与え続けている(文科省、法科大学院等特別委員会など。)

 ちなみに、司法試験予備試験は、法科大学院課程を修了した者と同等の学識及びその応用能力並びに法律に関する実務の基礎的素養を有するかどうかを判定する目的で実施されている(司法試験法5条参照)。
 つまり、司法試験予備試験合格レベルは、国が想定する法科大学院修了者と同レベルなのであり、法科大学院教育がキチンとなされているのであれば、司法試験の合格率において、予備試験組と法科大学院修了者組とで大きな差が生じるはずがないのである。

 荒木飛呂彦先生の漫画ではないが、「無駄無駄無駄無駄・・・・」と言いたくなるときもある。