第10期 「法科大学院等特別委員会終了」によせて

 令和3年2月3日、文科省中教審の第10期法科大学院等特別委員会が終了したようだ。
 法科大学院の在り方や教育方法、試験受験資格等に関して様々な議論がなされてきたようだ。

 しかし、法科大学院等特別委員会では法科大学院の教育の在り方についても議論しているはずだと思われるのに、現時点の法科大学院の教育能力の問題について、具体的に検討している様子は私には伺えなかった。

 法科大学院の教育能力がどの程度あるかを評価する場合に、もちろん司法試験の合格率は一つの指標である。
 しかし、旧司法試験時代のように合格率2%(50人に1人合格)の時代ならともかく、現在のように合格率がほぼ40%(2~3人に1人合格)にもなり、選別能力がほぼなくなっている現行司法試験においては、法科大学院の教育能力が実を挙げているかについて、どの程度の答案が実際の司法試験で書けているかについても当然検討が必要であろう。

 どの程度の答案が書かれていてどのような問題点が生じているかについては、司法試験の採点実感等が司法試験委員会から公表されている。まあ誰でも手に入る資料なのだ。

 私は、概ね目を通すようにしているが、正直申し上げて、司法試験の採点実感等は、答案の全体のレベルがとんでもなく低いことが丸わかりの資料である。

 未遂犯の問題なのに理由もなく因果関係の記載をしている答案が多いとか、相続に関する基本的知識がほぼないとか、所有権留保が担保のためであることが理解できていない答案ばかりだとか、問題文の事情を拾うだけで突然結論が出てくる答案があるだとか、まあ普通の実務家から見れば恐ろしい記述が並んでいる。

 はっきり言わせてもらえば、もし法科大学院等特別委員会でこの問題を取り上げたら、「法科大学院には、まともな教育能力がないからもうダメだ」と結論を出しても良いくらいではないかという内容が実は目白押しである。

 さらに言わせてもらえば、法科大学院導入の際に学者達が散々非難していた論証パターンの記述も、いまの司法試験受験生の多くが法科大学院卒業生であるにも関わらず、なくなるどころか、未だに大隆盛である。しかも論証パターンを守ろうとして、書く必要のない論点を無自覚に書いているような答案が目立つとの実感も多くある。

 ところが、私が見た限りであるが令和に入ってから一度も(おそらくそれ以前も)司法試験の採点実感等について、法科大学院等特別委員会が検討した様子は見られない。令和以降に法科大学院等特別委員会で配付された資料をざっと見たが、司法試験の採点実感等について配布された様子はない(私が見落としていなければだが)。

 要するに、法科大学院等特別委員会はなんだかんだと議論してきたが、現状の司法試験での答案レベルのダウンという、教育内容に関連する本質的な問題については全~~~く無視して進行したといっても良いように思う。

 法科大学院を改善するにしても、まず問題点を現実に即して正確に把握する必要があるだろう。

 学者の先生達は、どう足掻いても合格率で叶わない予備試験を敵視するのも結構だが、自分たちが法科大学院で教育結果をきちんと出せているのか、虚心坦懐、見直してから議論すべきだったのではなかろうか。

 自分達に不都合な結果は無視して議論できるなら楽でしょうがないが、おそらくそのような議論では、正しい結論は導けまい。

 次に法科大学院等特別委員会がまたあるのなら、委員になられる学者の先生達に言っておきたい。

 今度こそ、法科大学院礼賛から入るのではなく、まず司法試験採点実感等をきちんとお読み頂いて、法科大学院の現時点の教育能力をきちんと確認した上で、議論を始めて頂きたい。そうでないと、法科大学院等特別委員会が、法曹養成制度自体を崩壊させる一因となる可能性が十二分にあると私には思われる。

法科大学院等特別委員会議事録から

 中教審の法科大学院等特別委員会の最新議事録で、菊間委員がおもしろいことを述べている。

(前略)今年も複数の社会人から相談を受けましたけれども,その中でロースクールに行くメリットは何と聞かれたときに私が答えているのは,エクスターンですとか,クリニックですとか,模擬裁判とか実務につながるような経験ができるということと,ロースクールにいるときから,裁判官や,検事や,弁護士と触れ合う機会がものすごく多くて,その中で実務,働き方が具体的に明確になるというところとお話ししています。また,ロースクールで知り合った先生方と弁護士になった後も仕事をしていることもたくさんあるので,そういう人脈づくりみたいな,人脈という言い方がふさわしいかどうか分からないんですけれども,そういうこともロースクールのメリットかなと。(後略)

 以前ご紹介した、菊間委員の発言内容「社会人から相談を受けたときに予備試験を勧めている」が、かなり衝撃的発言であったことから、今回はかなりトーンを落としてロースクール擁護に回っておられるように読めなくもない。

 それはさておき、菊間委員のご主張通り、実務家との接点と働き方が明確になるという点がロースクールの魅力だとすると、それは、従前の司法修習で十二分に果たされていた点であり、敢えてロースクールを設ける必要はないことになると私は考える。

 私の経験した実務修習では、裁判所・検察庁・弁護士会、いずれでも素晴らしい実務家の先生と一緒に事件を検討し、討論し、一流の実務家のスゴ技を目の当たりにして自らの未熟さを痛感するなど、エクスターンやクリニックのようなまねごとではなく、修習担当の先生が実際の事件という真剣勝負の中で一緒になってハンドメイドで教えてくれる貴重な体験が可能だった。

 私の時代に比べて、現状の司法修習期間では短すぎて実務家との接点が少なすぎるのでダメだとの反論が考えられるが、それなら期間を延長して司法修習を充実させればよいのである。

 実がなるかどうかわからない(司法試験に合格できるかどうかわからない)種モミ全てに、税金を投じて法科大学院教育を施しても、実がならない種モミにかけた税金は相当程度無駄になる。

 この点、法曹にならなくても、ロースクールでリーガルマインドを身につければ社会のお役に立つはずだ(だから税金の無駄遣いではない)との苦しい反論も考えられるだろう。しかし、現在の社会ではロースクール卒業生に与えられる法務博士の肩書が就職に役立ったとか、法務博士に限って採用したいという話が聞こえてこない(少なくとも私は、聞いたことはない。むしろ一部の上場企業法務関連担当者から、大きな声では言えないがロースクール卒業生はプライドだけ高くて使いにくいから採りたくないという話を複数聞いたことがある。)。

 つまり法務博士の資格は社会的に評価を得られておらず、極論すれば何の意味も持たないことからみても、ロースクール教育それ自体に、実社会が何らの価値を見出していないことは明らかある。したがって、ロースクール制度が税金の無駄遣いであることは、少なくとも私から見れば火を見るより明らかなのである。

 それに比べて、旧制度のように、司法試験を突破して生育可能性を示した早苗を選別し、その早苗にお金をかけて実務家に育てるほうが当然効率がいいし、仮に修習期間を延ばしたところで法科大学院に投じる税金より安く済むはずなので、税金の無駄も省かれるだろう。

 それでも、プロセスによる教育を受けなければ法曹としてダメだとロースクール擁護派が主張するのであれば、その証明をしてほしい。すでにロースクール開校から20年近くたっているのだから可能なはずだ。

 しかし、その証明はできまい。

 ロースクール擁護派の学者・実務家が言うように、もし本当にプロセスによる教育が法曹に必須なのであれば、予備試験合格ルートの司法修習生は、実務家になった後に、問題を起こしているか、実務界から忌避されていてしかるべきだ。

 ところが現実は違うのだ。

 むしろ大手ローファームが予備試験合格者を囲い込んでいたり、裁判官、検察官に予備試験ルートの修習生が相当程度採用されている事実からすれば、「プロセスによる教育」などという得体のしれないお題目に、実務界は何ら価値を置いていないことは明白である。ロースクール擁護派の弁護士がパートナーを務める法律事務所が、予備試験合格者を囲い込むような募集を行っているという、冗談のような話も散見されるのだ。

 そうだとすれば、いくら声高に必要性を叫んだところで、実務界では一顧だにされないプロセスによる教育を、なぜ多額の税金を投入して継続する必要があるのか、という素朴な疑問にたどり着くことになる。

 この素朴な疑問に対する、私の解答は極めて単純だ。

 法科大学院及び(文科省を含む)関連者の、既得権維持、これしかあるまい。

 こんなことで多額の税金を無駄に使い、法曹志願者を激減させて法曹の質を低下させた法科大学院制度は、根本的に間違っているとしか言いようがないだろう。

 ちょっと脱線が過ぎたので、本題に戻ろう。

 菊間委員によれば、ロースクールで人脈づくりができたとのお話だが、多くのロースクール卒業生が菊間委員のように、知り合った先生方と一緒に仕事がたくさんできるような人脈を構築できているとは思えないし、少なくとも私の知る限りでは、ごくまれな特異な現象だというほかない。
 おそらく、それは菊間委員の個人的属性に基づいて生じた結果ではないかと考えられるのであり、それを法科大学院のメリットとして一般化することは困難であろうと思う。

(続く、かも)

平成29年度司法試験採点実感から~公法系1

 そういえば、H29年度司法試験採点実感について、コメントをしていなかったことを思い出した。もうじき、H30年度の採点実感が出されると思うが、基本科目についてだけでも、一応検討しておこうと思う。

(公法系第1問:→以下は坂野の雑駁な感想です。)

☆問題文には,検討すべき点について,ヒントとなる記述が多々あるにもかかわらず(例えば,立法経過に関する議論から,妊娠等の自由の制限と収容の点が大きなテーマであることに気付くべきであろう。),これに言及していない答案があった。また,問題文に書かれている前提を誤解していると思われる答案もあった。まずは,問題文をしっかり読んで,その内容を理解することが重要である。

→何らかの意図があって問題文が設定されている以上、問題文に無意味な記載はほぼないと考えるべきです。問題文の前提を誤解しているなどはもはや論外。問題の前提を誤解している人が法曹になったとしたら恐怖です。

☆被侵害利益を適切に示さないもの,違憲審査基準を示さないものが散見されるとともに,違憲審査基準を一応示していてもそれを採用する理由が十分でないものが一定程度見られた。

→被侵害利益を明確にしなければ適切な違憲審査基準は選択できないでしょう。また、ある違憲審査基準をとる以上、それを採用する理由を明確にしなくてはなりません。理由もなく勝手な都合で違憲審査基準が選択されたら、困るでしょう。

☆本問において違憲を主張するとすればその瑕疵は法律にあるのであり,また,問題文に「Bの収容及び強制出国の根拠となった特労法の規定が憲法違反であるとして」と記載されていて,法令違憲を検討すべきことが示されているのに,適用違憲を詳細に論ずるものがあった。繰り返しにはなるが,問題文はしっかり読んでほしい。

→おそらく法令違憲と適用違憲との区別すら分かっていない受験生が解答した可能性があるということ。この区別が出来ていない受験生がいるということは以前も指摘されていたが、法曹になる資格どころか、法科大学院を卒業させてはいけないレベル。

☆外国人の人権享有主体性について全く触れない答案が散見された。マクリーン事件判決を意識したものも,マクリーン事件判決について,単純に権利性質説を説いた部分しか参照できていない答案が多かった。

→超基本判例のマクリーン事件を教えていない法科大学院はないと思うので(あったらそれこそが大問題)、外国人の人権共有主体性を書き落とすとすれば、やはり法科大学院を卒業させてはいけないレベルと考えられます。

☆本問では,単純な権利性質説の論述では不十分であり,マクリーン事件判決の「外国人に対する憲法の基本的人権の保障は,右のような外国人在留制度のわく内で与えられているにすぎない。」「在留期間中の憲法の基本的人権の保障を受ける行為を在留期間の更新の際に消極的な事情としてしんしゃくされないことまでの保障が与えられているものと解することはできない。」という論理とどのように向き合うのかということが問われている。このことが意識されない答案が予想したより多かったことは遺憾であった。

→司法試験委員が想定し、論じて欲しかったレベルの議論まで、多くの答案が到達できなかったということ。そしてそのような答案が、司法試験委員の想定以上に多数に上ったため、受験生のレベルが極めて危険な状況にあるということが、「遺憾」という悲痛な言葉に、込められているように感じられます。

☆権利性質説に関する論証も不十分なものが少なくなかった。例えば,「妊娠・出産の自由も,権利の性質上外国人にも保障される。」としか記載していないものが見られたが,妊娠・出産の自由がどのような性質の権利なのかを指摘して初めて妊娠・出産の自由が外国人に保障されるという論証になるはずである。

→法律家は理屈で説得する職業でもありますが、何の分析も評価もなく、結論だけ断言されても誰も説得されません。法曹となるべき素養を適性試験と入試で確認して入学させておきながら、こんなことも身に付けさせることが出来ていないのであれば、法科大学院の教育能力に疑問符がつけられても文句は言えないでしょう。

☆収容について,人身の自由という実体的権利の問題と,令状等なくして収容されるという手続的権利の問題とがあることについてきちんと整理された答案は僅かであり,人身の自由と手続的権利の問題が混然一体として論じられて整理されていない答案や,淡白な記述にとどまる答案が多く見られた。

→散見されたのではなく、「多く見られた」という指摘から、現在の司法試験受験生の全体としてのレベルダウンが看て取れます(もちろんその中には優秀な方がいることは否定しませんが)。法的な問題を整理して分析することは、法律家の基本と言っても良いと考えますが、分析する前に整理が出来ないのであれば、議論は迷走するしかありません。

☆さしたる検討もなく,「収容=逮捕」として,憲法第33条の例外に当たらないから違憲とする答案も見られた。
→行政手続きと刑事手続きの違いを理解していないのか、時間がなかったのかは分かりませんが、少なくとも私が受験時代に読んだ教科書では、憲法33条は人身の自由及び刑事裁判手続き上の保障と項目分けされており、行政手続きに類推適用されるべきかという論点が記載されていたと思います。

☆問題文では,特労法における収容の要件,手続が詳細に示されているが,これらを十分に検討せず,単に裁判官によるチェックが欠けるから違憲とするだけの答案も目立った。憲法第31条以下の規定の一般的理解が十分でないと考えられた。

→私の記憶では、佐藤幸治の教科書では、行政の実体・手続きの適正性は基本的には13条の問題とし、31条は刑罰との関係におけるものであると明記されていたはずです(但し、20年近く前の教科書ですが)。その上で、厳密には刑罰の性質を有しなくても身体の自由を奪う行政処分に31条を準用する余地を認めていたと思います。あくまでも憲法上の規定としては31条は刑事裁判手続き上の保障という理解でした。行政手続きは、目的も多種多様であり、制限を受ける権利の性質・内容・程度、行政処分で達成しようとする公益の内容・程度など様々な考慮要素があるため、刑事手続きと同列に考えられないはずです。

☆例年指摘しているが,誤字(例えば,妊娠を「妊妊」としたり,「娠娠」としたりするものがあったほか,より懸念されることに,幸福追「及」権,収容を「収用」とするもの,主権を「主観」とするものなど,法概念に関わる誤字もあった。)がかなり認められるほか,乱雑な字で書かれて非常に読みづらい答案が相変わらずあった。

→重要な法概念にかかわる誤字があるということは、その概念の内容についてきちんと勉強できていないという可能性が高いと考えられます。例示された誤字は、司法試験受験生であれば誤解していてはならないものです。法科大学院ではこのようなことをどう考えているのでしょうか。

☆基本的な事項の理解に努めることの重要性を改めて指摘しておきたい。
→要するに基本が出来ていない。これではダメだと採点者は言っています。

(続く)

予備試験は制限されるべきか?

 先日の第77回法科大学院特別委員会で、予備試験関連の資料が大量に配布されている。

 おそらく司法試験予備試験の制限を本格的に提言するための布石ではないかと思われる。

 現在、予備試験合格者の司法試験合格率は、全ての法科大学院を上回る。法科大学院としては、屈辱的な結果のはずだ。本来、法科大学院で立派な教育を受け、厳格な卒業認定を受けているはずの法科大学院卒業生が、(法科大学院での正規?の教育を受けていないはずの)予備試験組に司法試験合格率で敵わないからだ。

 そこで法科大学院としては、予備試験がバイパスルートになっているのは問題であると指摘して、予備試験受験者乃至は合格者を、何らかのかたちで制限することを目論んでいるようだ。多くのマスコミも、予備試験が法科大学院教育を歪めていると指摘しているようで、情報がかなり操作されているような印象を私は受ける。
 

 言い方は悪くなるが、実力で敵わないから、政治力で制度を変えて自らの延命を図ろうというように見える。

 ただ私にいわせれば、法曹としての実力が身についているのであれば、どこで勉強してこようと一向に構わないと思うのだ。大手ローファームが競って予備試験組を優遇する就職説明会を行ってきたことは以前にも指摘した。現在も、弁護士法人御堂筋法律事務所、TMI総合法律事務所、森・濱田松本法律事務所、ベーカー&マッケンジー法律事務所など、有力大手法律事務所が多数、予備試験組を優遇する就職説明会を開いている。
 この事実は、法曹実務界において、法科大学院卒業生が優位性を持って見られておらず、むしろ予備試験組の方が実務において採用されやすい、つまりは世間から評価されていることを意味するといってよいだろう。
 法科大学院が標榜する、人格形成や幅広い知識、先端分野の教育などに、もしも実務における優位性があるのなら、予備試験組を就職説明会において特別扱いする必要は全くないからだ。

 行儀悪くいえば、法科大学院が大事だといっている教育は、実務界では評価されていないといっても言い過ぎではないのだ。私の経験からしても、大学などで先端の法律知識を少しかじったくらいでは、全く実務には役立たない。実務はそんなに生やさしいものではない。

 思えば、司法試験受験は、法科大学院卒業後5年で3回(現在は5年で5回)に制限されていたが、その司法試験受験制限の理由として法科大学院教育の効果は5年で失われるからと説明されていたはずだ。

 たかだか5年で失われ、実務界からも評価されていないのに、法科大学院に多額の税金を投入し続けるのは、国費の無駄ではないのか。もっともらしい理屈を述べ立てて、法科大学院や文科省が、自らの権益を守っているだけじゃないのか。
 食い物にされているのは納税者であり、被害を受けているのは法曹志願者なのだ。

 大学で研究も重ねてきたはずの学者が、法科大学院のことになると、現実を見失って理念ばかりを振り回すように見えて仕方がない。

 いい加減、現実を見据えてやり直しても良い時期なのではないだろうか。