ゴルフのこと~6

 初めての1人予約で、初心者は初心者用のクラブを使うべきだと、同伴者3人から指摘を受けたS弁護士は、まず、自分の使用クラブの正体を探ってみた。
 最近は便利なもので、インターネットで中古クラブの製造年などが分かるサイトがある。インターネットのサイトによると、S弁護士の使用していた、親父譲りのクラブは1997年製の上級者用アイアン、ドライバーも1998年製であることが判明した。

 なんと、ほぼ20年前に作られたクラブを、しかも上級者用のクラブを使用していたのだ。毎年、更に易しく、更に飛ばせるゴルフクラブが開発され続け、日進月歩の進化を遂げている中で、まさに20世紀の遺物を振り回していたことになる。
 知らぬが仏とは良く言ったもので、まさかずぶの素人が、20年前の上級者用クラブを振り回していたとは、お釈迦様でもご存じあるまい。いくら、弘法筆を選ばずと言ったところで、みんながプリウスに乗っている時代に、弘法様がオート三輪で対抗しようったって所詮無理な話である。しかもS弁護士は弘法様と違ってただの凡人である。
 かすかな記憶をたどってみると、親父殿も、「ものは良いけど、俺には合わん」と言っていたような・・・。我流ではあるがゴルフ歴はそこそこあるはずの親父殿が使えん難しいクラブを、何も知らないヒヨコ状態のS弁護士に与えたって、上手く行くはずないやんか。巷では、獅子は我が子を千尋の谷に突き落とすと言われているが、結構見ている動物番組では、そんな様子、一度も見たことないぞ。もっと子供は大切に育てられているモンだ。

 調べてみると、初心者用クラブはスイートスポットが広く、事実上、真の会心の当たりが出ることはないが、芯を外して打ってもそこそこ前に飛んでくれることが分かった。一方、上級者用クラブは、スイートスポットは狭いが芯に当たればまさに会心の当たりとなる反面、芯を外せばカスあたりになり大して飛んでくれないらしい。広く浅くの初心者用、狭く深いのが上級者用ってことだ。

 これで、S弁護士にも、自分の打球の飛距離が、どのクラブを使っても変わらなかった謎が解けた。要するに、下手くそなS弁護士は、上級者用クラブの狭いスイートスポットに、ただの一度もボールを当てることができず、これまで数ヶ月の間、延々とカス当たりを繰り返してきたということなのだ。

 おそらく、これまで1000回近くのスイングで一度も会心の当たりが出なかったという恥ずかしい実績はともかく、積年の謎は、じっちゃんの名を懸けるまでもなく、全て解けた。
 しかし、謎は解けても、問題は残る。
 狭いスイートスポットに当てる技術がすぐに身につくはずがないし、1人予約でも誤解を受けるおそれがある。
 初心者用クラブを探さなくてはならない。

 かといって、ゴルフ専門店に出向いてアイアンセットを買うだけの勇気は、S弁護士にはない。

 もちろん仕事では、依頼者のために断固とした態度をとるS弁護士である。しかし、プライベートのS弁護士にとってのゴルフ専門店は、女性の店員さんが、「これが流行ってるんですよ~」とか、「これがお似合いと思いますよ~。わっ、ス・テ・キで~す。」等と、心にもないことを言いながら、おじさんの心をくすぐり倒して、大して必要でもない、様々な道具をあっさり買わせてしまう魔女の巣窟である。

 この魔女ときたら、相当したたかで、「このウエッジのバンスはどれくらいですか?」「このクラブのバランスはD1ですか?」等という、S弁護士も当然分からないマニアック?な質問に対しても、「でもこのクラブ、とっても流行っていて格好いいんです~。」「どのお客さんも、良く飛ぶって仰ってます。」「きっと、お似合いですよ~。」と答えになっていない答えを笑顔で切り返し、ひるまない。

 しかも、間違いなく店側の戦略だろうが、基本的に接客対応の店員さんは若くて可愛らしく、中高年のおじさん達が断りにくい状況が設定されている。

 服を買う際に、散々試着を繰り返し、服をしわくちゃにして生地を確認し、棚の上からも店員さんに服を取り出させて着てみたあげく、「気に入った服じゃないわ」と、ひとこと言って平然と店を後にできる女性の態度を見習いたいが、そこまでの勇気もない。

 仕事ならともかく、かつて、高校生の頃、マクドナルドで、「ご一緒にポテトもいかがですか」と言われ、断るのに苦労した経験をもつS弁護士には鬼門と言っても過言ではない。

 君子危うきに近寄らずは古今の名言。
 ここはじっくり、インターネットで購入だ。

(続く)

ゴルフのこと~5

 S弁護士が1人予約で予約を入れたのは、某パブリックゴルフコース。

 せめてパブリックなら、何かの間違いで、ド下手なゴルファーが1人くらい紛れ込んでいても、おかしくないのではないか、という淡い期待で申し込んだものだった。

 緊張して迎えた当日、S弁護士が自分のキャディバッグが載せられたカートに近づくと、いかにも上手そうな方々3名が既に待機中。
 「すみません。本当に下手なんです。ご迷惑おかけしますが、ごめんなさい。」どうせ謝るなら早いうちに、とばかりに先制パンチで謝っておく。

 ところが、そのうち一番上手そうな方が、カートに積まれたS弁護士のゴルフクラブをちらっと一瞥して、「いやいや、ご謙遜を。相当上手な方じゃないんですか?」と、牽制球が飛んで来た。

 「え~!なんでや。ホンマに初心者やのに~!」S弁護士は心の中で叫ぶが、どうやら、上手そうな方が、S弁護士のクラブを見て判断した見立ては違うらしい。

 よくよく考えてみると、S弁護士は自分でクラブを買ったことはなかった。父親からもらったゴルフクラブを使っている。記憶を遡ってみると、父親も○○叔父から譲ってもらったといっていた。そういえば、○○叔父は大学のゴルフ部だったと聞いたような気がする。

 ゴルフ部出身の叔父が使っていたクラブから推測されたら、完全に現実と違う事実が認定されちまう。
「誤解だ!完全な誤解なんだ~!俺は本当に下手なんだ~。これ以上、ハードルを上げないでくれ~!!」

 S弁護士が引きつりながらも、促されて打順を決めるくじを引くと、これがあろう事か1番くじ!
 ゴルフは、前のホールで成績の良かった順にショットを打っていく決まりだ。ただ、最初のホールだけは、くじ引きで決めるのである。最も緊張するスタートホールのティーショット(1打目)だけは、おそらく誰であろうと、最初に打つのは避けたいところだろう、と思う。

 初めての1人予約で、誰もが避けたいスタートホールでの1番くじをひいちまう。
ある意味引きが強いとも言えるが、現実には、神から更なる試練を与えられたも同然である。

 「おちつけ、おちつけ、失敗しても命とられる訳じゃない。」
 と、心の中でぶつぶつ呟きつつ、S弁護士はティーグラウンドに上がる。
 ボールをティーに載っけてドライバーを構えてみたものの、いつもよりボールが遠く小さく見える。

 とても当たるようには思えない。
 いま打ってはダメなんじゃないか、心の中で悪魔だか背後霊だか分からんが声が聞こえるような気がする。
 できればこのまま、打たずに帰りたい。
 それが許されなくても、初心者なんやから、第1打だけは、手で投げさせてもらってもええんとちがうか。弱者に優しい、それが紳士やろ。紳士のスポーツやろ。
 弱気の虫がざわめく。

 なんでこんなに緊張するんや。
 刑事事件なんかでも法廷で検察官に向かって、異議出したり、「それは検察官おかしいでしょ!」等とやり合っているときは大して緊張もしていないのに、遊びで小さなボールを打つだけなのに、緊張しきっている自分がいる。

 しかし、スロープレーは、最大のマナー違反の一つだ。
 かの白州次郎も、プレーファーストが大事だと言っていたはずだ。
 これ以上、同伴者に迷惑はかけられない。

 行くしかない。

 ええいままよ。振っちまえ!

 「ピキーーン」
 予想に反して、ジャストミートしたドライバーから快音を残して放たれた白球は、僅かにフェードしながら見事フェアウェイやや右をバウンドしていく。
 やった、フェアウェイを捉えた!
 

 少なくとも、S弁護士の期待はそのような僥倖だった。
 しかし、僥倖とは、「思いがけない幸運」を意味する。

 「思いがけない幸運」は、滅多に訪れないから思いがけないものなのである。そう易々と、僥倖が訪れてくれるだろうか。
 人生、そこまで甘くはなかった。

 同伴者の注目を集める中、ティーグラウンドに響き渡ったのは、
 「ぶぅ~~~ん」
 と鈍い風切り音だけ。
 打球音なし。
 つまりは、ドライバーは空を切った。
 要するに空振りである。
 

「ま、、、、、まあ、さ、最初やからね~。」と同伴者の誰かが、へんてこりんなスイングを見て、引きつりながらフォローしてくれたようにも思うが、頭が真っ白になったS弁護士は、その後のラウンドのことを、実のところ良く覚えていないのである。

 一点だけ、お昼休憩のときに、初心者は初心者用のクラブを使うことが大事だと、同伴者全員からご指導いただいたことは、S弁護士も覚えていた。おそらく相当ご迷惑をおかけしていたのだろう。今思いだしても、申し訳ない気持ちで一杯になる。

 ただ、少なくともこのときの同伴者の方は優しい方ばかりで、1人予約は怖くないことは分かった。

 また、初心者は初心者用のクラブを使うべきであると分かったことも収穫だった。

(続く)

ゴルフのこと~4

 不名誉部長に任命されたどころか「マリオネットS」という有難くない徒名まで頂戴して、さすがにS弁護士も、熟成理論にこだわっていることが出来なくなってきた。

 部長と呼ばれ、マリオネットのようにOBを打ちまくり、顔で笑って心で泣き、秘かに屈辱に堪え忍ぶ日々を送っていたS弁護士であった。
 しかし、2015年1月7日のIS田会、「大宝塚ゴルフクラブ」で前半63,後半83、合計146(もちろんパー72である。)と驚異のスコアをたたき出してしまったことをきっかけに、これまですがっていた熟成理論をうち捨て、ついに打ちっ放しに練習に行ってみることにしたのだ。

 新生S弁護士(ゴルフに前向きver.)の誕生である。

 しかし、練習に行ったからといって、身体が入れ替わるわけではなく、能力がすぐに身につくわけでもない。つまり、心を入れ替えて練習に励むつもりで臨んでも、直ちにクラブにボールがきちんと当たってくれるほどゴルフは生やさしいものではない。

 張り切って真冬の練習場に乗り込んだものの、打ちっ放しに敷いてある人工芝を通して、コンクリートの床をドン!・ガン!とぶったたく、まるで道路工事のような騒音を立てる練習となった。
 あまりの音に、S弁護士の近くで練習していた人が2階の打席に移動したくらいだった。冷え切った固いコンクリートの床と戦い、悴む手を温めながら騒音を立て続けるS弁護士も自分の手首に痛みを感じていた。
 ボールはやっぱり、まともには飛んでくれない。
 たまに早めに帰宅できた日には、寒い中を震えながら、2時間ほど練習場に通ってみたものの上達する気配は全くない。

 やはり、不名誉部長の返上は適わないのか・・・・。
 打球を打ってはいけない方向をささやかれ、その悪魔の囁きにあらがえず、悪魔の期待通りに囁かれた方向に打ってしまい、肩を落としながら悲嘆に暮れるS弁護士の後ろで、同伴者達が交わし合っている(と思われる)楽しそうな笑みが目に浮かぶ。
 そもそも、IS田教授なんかレッスンプロに習っているくせに、部長制度を創るなんて狡いじゃないか。などと、自らがゴルフレッスンをやめたはずなのに、八つ当たり的な発想もS弁護士の脳裏をよぎる。

・・・・・悔しい・・・。

 全然あかんわ~と、ゴルフ歴の長い友人のM弁護士に愚痴ったところ、「やっぱ、コースに出なあかんで。」とのこと。
「練習場ではあかん?」
「そりゃあ全然違うはずやで。練習も必要やけど、どんどんコースに出なあかんわ。」

 何事にも先達あらまほしきものなれ。
 経験者の言葉は傾聴に値するものだ。
 それならばコースに出てやろうではないか。

 かといってゴルフは、基本4人一組、どんなに少なくても2人一組で回るもの。なかなか1人でというわけにはいかない。
 さりとて、同期の弁護士たちはとっくの昔からゴルフをやっていて、大差が付いている。しかも弁護士という人種は基本的にはわがままだから、下手すぎる人と一緒に回ることを嫌がる奴もいるし、寒い冬や暑い夏はゴルフをやらない人も多い。
 くどいようだが、S弁護士の直前のスコアは146。このスコアで「下手ではない」と主張しても裁判では、「原告の主張は客観的な証拠に沿わない独自の主張と言うべきであって、当裁判所の認定を左右しない。」とあっさり下手くそ認定されるはずである。しかも、今は冬である。

 思案に暮れていたS弁護士だが、インターネットによれば、1人でもゴルフをしたい人を集めてゴルフをさせてくれる、1人予約という便利な制度があることが分かった。

 子細に見てみてみたが、少なくとも、「下手な人はお断り」とは書いていない。
 ということは、不幸にもS弁護士と同じ組になって、S弁護士の秘奥義「無念芝刈り斬~球飛ばずver.」等の珍プレーを見せつけられたとしても、それは制度の問題であってS弁護士のせいではない。

 かの宮本武蔵だって、他流試合で実力を付けたと書いてあったような気がするし、仕事柄、初対面の人と話すことは、苦にしないほうだ。

これだ。
やってみよう。

 物事には、いつかやろうと思っていても、「いつか」なんて来ないこともある。やろうと思ったら多少無理してでもやっておいた方が後悔は少ないというのがS弁護士の持論である。
 S弁護士は、20歳代で中学の友人を2名、大学のクラブの友人を1名、事故で亡くしており、さらに40歳代大学の同級生の友人・知人を既に2名ほど食道癌で亡くしているので、その思いは比較的強い方だと思う。

 思い起こせば、高3のときに、好意を抱いていた同級生に告白して轟沈したが、それも今となっては、良い想い出になっているではないか。

よくやった、そのときの俺!
人生なんて、所詮うたかたの夢、邯鄲の夢枕。いつ終わっちまうか分かったものではない。
よし、やってみよう。

と、たかがゴルフの予約を入れるのに、散々自分を鼓舞したうえで、S弁護士は緊張する手で日曜日の1人予約を入れたのであった。

やると決めたんだ、やってみよう。

(続く)

ゴルフのこと~3

 IS田会に入れてもらってしばらくは、IS田教授に指定されたゴルフ場で月一回ラウンドすることが恒例となった。
 相変わらず、ゴルフの方は空振りも交えてカス当たりばかりだし、7Iで打ってもPWで打っても距離が変わらない状況だったが、以前と違って、広々としたゴルフ場で休日を過ごすことが意外に心地よいものであることに気付いた。人工的な自然であることに間違いないが、休日に高原の中で力いっぱいクラブを振り回し、グリーンを行ったり来たりして汗をかくことは、デスクワークのストレスを解消してくれる面もあることが分かってきた。

 IS田教授からは、練習した方が良い、とのお話もあったが、S弁護士はもともと健康のために始めただけで、そんなに真面目に取り組んでいなかったこともあり、独自の理論を練習しない言い訳にしていた。

 S弁護士独自の理論は、名付けて「熟成理論」。
 若いワインも放置しているうちに芳醇な香りを放つように、ぼちぼちでもゴルフをやっていりゃあ、そのうち、だんだんスコアが縮んで来るはずだ。という極めてお気楽かつ楽観的な理屈だった。

 別にスコアにこだわるわけでもなく、逆に上手くなったら運動量が減って本来の目的に反する可能性だってある。そういうわけで、スコアなんて別にいいじゃんと当初、S弁護士はそう思っていた。

 大体この頃の、スコアは記憶によれば、S木先生が110前後、IS田教授が110~120前後、S弁護士が140~というもので、それはもうひどいものだったと、今にして思う。

 ところが、ある日、IS田教授は、「スコアが一番悪かった人を部長に任命し、部長と呼びましょう。」と、勝手に決めて宣言したのだ。
 この状況で、ジャンケンならともかく、ハンディもなしでスコア順できめるなんて、まさに仮の評価基準、完全な出来レース、結果が見え見えのコンコンチキである。
 誰が不名誉な部長に就任するかは決まりきっているではないか。
 実質は、20打数以上差がつくS弁護士に対して、IS田教授から直接に「S弁護士を不名誉部長に任命する!」との辞令を交付されたも同然である。

 これはS弁護士に練習させようという親心なのか?それとも、単にS弁護士を嘲笑するための罠なのか?それとも、いぢると面白い(らしい)S弁護士を、更にいぢろうとする娯楽なのか?
 教授の真意は、穏やかな微笑の裏側に隠れ、凡人のS弁護士には見通せない。

 しかもゴルフとは不思議なもので、この方向に打ってはいけないと思えば思うほど、そちらに打球が飛んでいったりするものなのだ。
 IS田教授はそのあたりの心理も熟知しておられて、S弁護士がティーグラウンドに立つと、優しく穏やかな声で、「Sさん、谷がありますね~」とか「Sさん、池が見えますね~」とか、「Sさん、右はOB浅いから気をつけてね~」等と、有り難く注意をしてくれたりもする。
 当然S弁護士は、そちらの方には絶対に打つまいと、心に念じてクラブを振る。

「ちきしょう、その手にはのらね~ぞ。絶対にそっちには打たん!絶対ナイスショットしてやる。この一打に一片の悔い無し!燃えろ~俺のコスモ~!!どうりゃあ~~!!」

 「ペチッ!」

 魂の叫びとは裏腹に、変な音を残して、S弁護士の打球は、谷へ、池へ、OBゾーンへと、まるで操られたかのように飛び込んでいく。S木先生も見ていて面白かったのだろう。同じようにご注意下さるようになった。

 そこで付いたあだ名が、「マリオネットS」。

 自由に動けない操り人形の悲哀を、齢50にしてゴルフ場で味わうことになろうとは夢にも思いませなんだ。

(続く) 

ゴルフのこと~2

(続き)

「HbA1cが高めです。」

とかかりつけのお医者様が、血液検査の結果を睨みながら冷たくS弁護士に宣った。
血糖が高いとそうなるらしい。

う~ん、そうなのか。S弁護士の頭の中では、原因探求が始まる。

確かに仕事のストレスはある。
不規則な生活になりがちだ。
9~17時の定時勤務なんて絶対に無理なのは、弁護士稼業をしていれば誰だって分かることだ。
弁護士をやめない限り、これは変えられまい。

両親も糖尿の気があるそうだし、遺伝的にも弱いのかもしれん。

でも納得いかんぞ。

夕食にはだいたい野菜をかなり食べるようにしている。
通勤時だって早足で歩くよう心がけている。

もともと飲めないタチだから酒も飲まないし、タバコも吸わない。この歳になると、ねーちゃんの機嫌とるよりも犬とのんびりしたいくらいだから(飼ってないけど・・・)、北新地で遊んだりもしない。
個人の感想らしいが、毎日一杯で健康が劇的に改善すると謳っていた、まずい青汁だって、嫌々だが毎朝事務所で飲んでいる。
・・・宗教には入っていない。

とS弁護士が考えていたところにお医者様が「運動ですな。有酸素運動、例えば歩くとか。」と仰った。

単純に歩くなんざ、面白くも何ともないぜ。絶対に続かないだろうな~。と意外にも、冷静に自己分析のできるS弁護士には、みえみえの結末がすぐ浮かぶ。

なんとか、自分から運動するように持ち込めないか。

そういえば、将棋の大山康晴15世名人も体調を崩されてから、ゴルフを始めて、どんどん歩き、体調を回復させたことを何かの本で読んだことがあった。
大山名人と言えば、将棋界の第一線に長らく君臨し続けてきた巨星。
その巨星が健康維持のために活用したのなら、凡人のS弁護士にだって、健康維持になりそうである。
しかも、将棋ファンのS弁護士は、倉敷に行ったときに大山名人記念館を見学し、職員の方に珈琲をご馳走になってしまい、そのまま帰れずに、谷川九段のファンであるにも関わらず、つい大山名人の扇子を買って帰ってきてしまったという経緯もある。

よ~し、これだ。

幸い、以前からお付き合いさせて頂いているIS田教授が最近ゴルフを始めていると聞いていた。
伺ってみると、なんとプロについて習っているらしい。それに、公認会計士のS木先生と一緒に、月一ラウンドをしているそうではないか。

IS田会に入って、血糖値を下げよう!

これがゴルフ再開のきっかけになった。

(続く)

ゴルフのこと~1

 15年ほど前、S弁護士がイソ弁として勤務していた事務所では、ボス弁は3人ともゴルフをやっていた。

 そして、S弁護士もボスからもゴルフをやることを勧められた。大の大人が止まっているボールをぶっ叩いて、穴ぼこに入れて、何が面白いんだろうと思いつつ、父親に聞けば、誰かに習った方が良いとのこと。

 ふーんそうなのか、意外に素直なS弁護士は、インターネットで探して、近くのゴルフスクールに体験入学してみた。確か5000円で3回くらいのお試しレッスンだったと記憶している。

 最初は握り方を教わって、6番アイアンを振らされた。

 上手く当たらない。

 空振り、カスあたりの連続だ。

 止まっている球の方があたらんのか!

 「なんじゃあこりゃぁ~」と心の中で松田優作っぽく愚痴りながら、クラブを振り続ける。

 あまりに苦戦していることに気付いたのか、若い女性を熱心に教えていた、ゴルフのコーチが時折こちらを見て、S弁護士に向かって、「そうじゃなくて、こう振るの。」と身振りで示すが、そんなスイングができるなら、そもそもここに来ているわけがないじゃない。

 あかん、わからんわ。そんな身振りで示されたって、すぐに再現できる程の運動神経がある人なんてどこにいる。そんな運動神経あったら、こんなとこ来るかいな!

 心の中で文句を言いつつも、カスあたりは続く。

 極めて恥ずかしい。

 スクールには、中学生くらいの子供も、若い女性もいるが、間違いなく段違いに、ええ歳こいたS弁護士が下手っぴーなのだ。当たり前と言えば当たり前なのだが、当時はまだ見栄もあったのだろう。恥ずかしくって仕方がない。

 見かねたコーチがつかつかとやって来て、「トップはここ」、と力任せに身体をひねられた。S弁護士の、脇腹には激痛が。。。

 くそーこんなスクール、誰が来てやるか!と思いつつも既に払ってしまったレッスン料はちともったいない。

  そこで耐えて、3回目のスクール。

  別のコーチがS弁護士のスイングを見て、「そうじゃなくて、バチーンと打つの。バチーンと」と口頭指導。

 そのバチーンができるんやったら、苦労せんがな。

 それに、バチーンてなんやねん。

 大阪のおばちゃんの、「ゴキブリが、わーってやってきてなぁ」の「わーっ」と変わらんやないの。

 もうこれはあかん。

 スクール行っても無駄やわ。

 バチーンが分からんS弁護士に、なんぼ指導して頂いても豚に真珠どす。

 ということであえなく、S弁護士のゴルフスクールは、きっかり三日坊主で修了することになった。

 その後何度か、友人に誘われて無理矢理コースに出たこともあるが、ティーグラウンドで友人と別れ、綺麗に整備されたフェアウェイには近寄らず、急斜面やら林やらをゲリラ戦のように渡り歩き、あらぬ方向からグリーン付近に現れて、バンカーの往復びんたから5パットかギブアップという盛りだくさんの内容で、何~にも面白くなかった。

 自分が何打打ったのか分からなくなるので、打数カウンターを買ったものの、10カウントでは足りないことが分かり、15カウントできるものに買い換えたりもしたが、やっぱり面白くも何ともない。

 友人のM弁護士に打ちっ放しに連れて行かれたこともあるが、打席に入り、おもむろにドライバーを振ったら、ボールは物理法則を無視したかのように、ほぼ垂直に舞あがり、真上の屋根に直撃!

「どんな打ち方したら、そんな方向に飛ぶネン?」とあきれられた。

 極めつけは、左ヒジを打撲していたのに、人数が足りないからと無理矢理連れて行かれた北海道で、初日3ホール目くらいにバンカーで大ダフリをやって、更に左ヒジを痛めクラブが握れなくなり、途中リタイヤ。

 翌日は、性懲りもなくゴルフに出かける友人と別れ、美術館と円山動物園のシロクマを見物して時間をつぶす、という何のために北海道に行ったのか分からないことまでやってのけた。

 もうやめだ~。終了~~~~!

 とおもって、S弁護士はゴルフなんぞ記憶の片隅に追いやっていたのですよ。

 ところが・・・・。

(つづく)

ロースクール授業参観記~その9

次に、不動産の二重譲渡で、対抗要件を先に具備して不動産を手に入れた買主Aに対して、不動産を手に入れられなかった買主が債権侵害の不法行為を主張した事案が、講義のテーマになった。

教員が、不動産の対抗要件は?と学生に問いかける。

当てられた学生は、極めて自信なさげに「登記・・・ですか」と答える。うんうん正解だ。

教員は続けて「民法の何条ですか?」と問う。

S弁護士の記憶では、その学生は答えられず、次の学生が、「民法177条です。」と答えていたように思う。

まあ答えられて当然の質問だったが、一応、質問と答えがきちんと対応したので少し、S弁護士は安心した。しかし、ハーバード白熱教室のようなソクラテスメソッドとは全く違う。単なる一問一答だ。中学生に質問して答えさせているのと変わりはしない。

教員はさらに質問する。「不動産の帰属は、対抗要件だけで全て決まるのだろうか?」

これも基礎中の基礎だ。確かに不動産の帰属は対抗要件で決せられるが、背信的悪意者は、その限りではない。不動産対抗要件のところで必ず学ぶことだ。模範六法にも当然その判例が引用されているはずだ。

ところが、その回答が出てこない。何人か指名されては、首をかしげる学生が続出した後、教員が「どんな悪人でも177条で保護されるの?」とヒントを出し、5~6番目に指名された女子学生が、ようやく「背信的悪意者は別でした。」と回答した。

この比率で単純に考えれば、この講義にでている15名以下の学生のうち、背信的悪意者論を知っていたのは、おそらく2~3名が良いところであって、大半の学生は、背信的悪意者など理解できていない可能性がある。

そのような状況で、二重譲渡の債権侵害に関する不法行為の裁判例など、はっきり言って理解不能、どんな偉い教授の講義でも馬の耳に念仏状態だろう。だってその前提が理解できていないんだから。おそらく、学生にとっては、意味も分からないまま、教員の主張をノートに取るのが精一杯であった可能性すらある。

S弁護士の、ロースクール授業参観に関するメモはここで終わっている。

極めて残念なことだが、ロースクールの授業を参観しても、ロースクールがこれまで自らの利点として述べてきた、実務と理論の架橋、プロセスによる教育、双方向性の密度の濃い授業等は、結局実現されていない(看板に偽りあり)とS弁護士は感じざるを得なかった。

受験予備校は受験テクニックだけを教えるところ、との誤解もあるようだが、少なくとも法学入門者に対して法律の大枠を教え、アウトラインを理解させることに関しては、圧倒的に大学教授の授業よりも優れている。未修初学者には、まず法律のアウトラインを理解させる必要があるし、その点に関しては、S弁護士の見学したロースクールでは(見学した授業に関する限りではあるが)、受験予備校に完敗といったところだ。

もちろん、あくまでS弁護士が見学できたのは、未修初学者に関する講義だけであって、これが既習者向けならもっと優れた講義になっている可能性も否定できない。

しかし、受験予備校を敵視し、いみじくも、受験予備校のような講義くらい、大学でもやろうと思えばできる、と宣った佐藤幸治氏は、残念ながら、学生に理解させるという点において、大学の実力を買いかぶりすぎていたという他ないだろう。

現実をしっかり見据えて、法科大学院制度について議論すべきだ。その場合、どれだけ発言者の肩書きが立派でも、その肩書きを安易に信用して迎合してはならない。

議論においては、誰が言ったかはさして重要ではなく、何を言ったかが重要なのだから。

(この項終わり)

ロースクール授業参観記~その8

教壇から、教員がまず不法行為について説明している。

不法行為の成立要件のひとつである責任能力について、なぜこれが求められているのかという点に話が及んだ。教員は、いくつか考えられる根拠をあげた結果、政策的に責任能力が求められていると結論づけた。
しかし、どういう政策的理由なのかが、教員からは説明されない。政策的理由という以上は、何らかの必要性に迫られて責任能力が必要という政策的判断がなされているはずだし、そこが責任能力を必要とする意味を理解するための肝であるはずだ。どうしてひとこと、子供のときに犯した不法行為のために一生巨額の損害賠償責任を負って生きていかなければならないのは相当ではないから、本人保護の為に政策的に要求されている要件なのだと、説明してやらないのだろう。

もちろん、教員は大学教授なのだから、過失概念から責任能力について説明できるだろうし、現在では責任能力が政策的に必要であると解されていることも、当たり前のことなのかもしれない。しかし、ここは未習1年生向けの講義である。民法を習いはじめて半年も経っていない学生に対して、分かるように説明してやる必要があるんじゃないだろうか。「結局、責任能力は、政策的に要求されているんですね」と言われても、何のことだか理解できない方が普通じゃないだろうか。

S弁護士がこのような疑問を抱いているうちにも、講義は進行する。

教員が不法行為に関する裁判例をレジュメとして事前に配布していたので、その解説が始まる。
裁判例には、簡単な事案が記載され、判決文が引用されていたと思う。おそらく重要部分と教員が考える部分にアンダーラインが引かれているようだ。

教員は、事案を簡単に説明した後、判決文のアンダーラインを読み上げて、不法行為のどういう要件が問題になっていたかを簡単に指摘した上で、こう言った。

「判決文をよく味わってください。あっ、ここで、この判例は『思うに』と書いていますが、君たちはまだ使っちゃ駄目ですよ。君らが『思うに』なんて使うのは10年は早い(笑)。」

一体どういうことだろう。S弁護士には、この講義の意味が分からなくなってきた。

教員が重要だと思う部分を読み上げることは理解できる。その判決において不法行為のどういう要件が問題になっているかを指摘することも当然だ。しかし、『思うに』という言葉に関する冗談はともかくとして、一番に学生に理解させるべき点は、当該要件がこの判決事案においてどのように争われ(当事者の主張とその根拠)、裁判所がどのように判断し、裁判所の判断根拠はどういう点にあったか(条文や要件をどのように解釈・判断・適用したか)、さらにその判断自体についてどう評価すべきか・・・・・という諸々の点なのではないのか。それを全てすっ飛ばして、「判決文をよく味わえ!」といわれても、多くの学生にはそれは無理だ。これだけの説明で判決文を味わえるほど理解できるなら、その学生さんは法科大学院に来る必要などないだけの実力があるんじゃないだろうか。

そもそも法科大学院制度のウリは、理論と実務の架橋、プロセスによる教育、双方向性の密度の濃い授業等々、素晴らしいお題目が並んでいたはずだ。
万一この授業が、理論と実務の架橋というのなら、そのスローガンは完全に嘘であったか、嘘でないとすれば、少なくとも未習者のこの段階では実現できていないというべきだ。単に判例を紹介しているだけで、実務的な要素には全く踏み込んでいないからだ。
このような授業がプロセスによる教育というのであれば、そのプロセス自体に問題ありだ。明らかに基礎的理解を欠いている学生に、高度な問題を提示し、解説も十分にないまま、「とにかく理解しろ」と強要しているだけだからだ。そもそもプロセスによる教育が良いとされるのも、きちんとした教育ができる講師が、法的知識・法的思考方法をじっくりと身につけさせるためではなかったのか。その教育自体が崩壊している場合に、問題をかかえた授業でプロセスによる教育を受け続ける場合、逆に弊害が大きくなるのではないだろうか。この点について、法科大学院側はどう考えているのだろうか。
双方向性の密度の濃い授業についても、少なくとも未習者のこの段階では実現できていないことも、授業をみてみれば分かる。単に質問して答えさせるだけが双方向性授業じゃないだろう。中学生や高校生ではないんだから。

結局、全ての法科大学院で、そのような理想的な法曹教育ができる(だからこそ認可したのだろう)と、法科大学院協会・文科省が自らを買いかぶりすぎていたということではないのだろうか。S弁護士は本気で心配になってきた。

(続く)

ロースクール授業参観記~その7

会社法に続いて、参観を許された授業は、民法Ⅴだった。

民法Ⅴと急にいわれても、1044条もある民法のどの部分なのかすぐには分からない。未だに権威ある基本書であり、S弁護士が修習をしたどの裁判官室にもあったと記憶している我妻栄著、「民法講義」なら、総則がⅠ、物権がⅡ、担保物件がⅢ、債権総論がⅣ、債権各論がⅤの分類だったように思うが、仮に債権各論だとしても相当範囲が広い。

新世代の基本書のひとつといわれ、(立法事実がないかもしれないにもかかわらず)民法改正に尽力中の内田貴著「民法」なら、確か、総則・物権総論がⅠ、債権各論がⅡ、債権総論・担保物権がⅢ、親族相続がⅣで出版されていたはずだ。内田先生の教科書の分類なら、民法Ⅴは??ということにもなる。

しかし、S弁護士の疑問は、大して思い悩む必要もなかった。講義の前に、教員の方がレジュメを配布して下さったので、あっさり解消したのだ。どうやら、このロースクールでいう民法Ⅴは、不法行為を扱うようなのだ。

ところが、不法行為は個人的には相当難しい分野だという印象がある。S弁護士が受験時代に入れて頂いていた「ニワ子でドン」という勉強会(今思うと、合格率2%時代~東大・京大出身の受験生でも15人に1人くらいしか合格しなかった時代に、参加者のほとんどが最終合格したという奇跡的な勉強会だった。中心的な存在だったT先生は今の京都弁護士会の副会長でもある。)の中でも、不法行為の辺りは、理解が難しく、勉強会でも議論がいろいろあったような記憶がある。

果たして、未修で半年間勉強しただけの院生が果たして不法行為の講義を理解できているのだろうか。未修なら民法の総則も知らない状態で法科大学院に入学している可能性もある。そんな状況で不法行為といったって、理解不能である可能性も高い。理解しやすい授業をする予備校で、集中的に半年くらい民法をやれば民法も大枠くらい分かるかもしれないが、従来の大学の講義であればほぼ無理だろう。

いや、確か、ロースクール導入を求めていた佐藤幸治氏は、大学だって予備校のような授業をやろうと思えばやれるのだ、と予備校を見学したこともないくせに、国会の委員会の中で堂々と発言していたと記憶している。ひょっとしたら、法科大学院ではS弁護士の知っている大学の講義と違って、物凄く分かりやすい指導ができるようになっているのかもしれない。逆にいえば、そうでなければ、未修生の10月時点で、不法行為をカリキュラムに加えるはずがないだろう。

「見せてもらおうか、大学教授が学生に法律を理解させる実力とやらを!」

どこかで聞いたことのあるような、セリフを再度唱えながら、S弁護士は民法Ⅴの授業参観を開始することになる。

(続く)

ロースクール授業参観記~その6

その後、教員から口頭で、株主総会決議省略・取締役会決議省略の比較問題、株主総会への報告の省略・取締役会への報告の省略に関する比較問題が出題された。

問題自体は面白いと思ったが、会社法の基本構造も分からない院生が混じっているのに、この質問は、ほぼ無理だろうとS弁護士は直感的に思った。

案の定、教員が何人指名しても、まともな答えは出てこなかった。教員はさんざん誘導しようと努力していたが、結局、院生はまともな答えができず、何の議論にもならなかった。

四則計算もできないのに、いきなり微積分は理解不能だ。本当に、教員は院生のレベルを分かっていないのか、分かっていてもカリキュラムの都合上、理解できない講義でもやらなきゃならないのか、どっちかだ。

ソクラテスメソッド、破れたり!
いくら理念が素晴らしく、方法が素晴らしいと言い張ってアメリカの猿まねをしても、優秀な法曹を生み出せてこそ意味がある。基礎的知識もないうちからソクラテスメソッドと称して質問してみても、時間の無駄。何の効果も上げられない方法では意味がないだろう。

聞くところによると、大手法律事務所は予備試験経由の合格者を優先的に採用しているという。仮に法科大学院が身に付けさせてくれるものが、法曹として本当に必要不可欠なものであるならば、大手法律事務所だって、予備試験ルートの合格者よりも法科大学院経由の合格者を選ぶはずだ。何故なら、法科大学院の理念からすれば、予備試験ルートの合格者には法科大学院がなければ身につかない(?)法曹として必要不可欠の何かがかけていることになるはずだからだ。
つまり、法科大学院が身に付けさせてくれるといわれている、豊かな人間性やら、教養やら、人間性やら、リーガルマインドといわれるものなんて、大手事務所からすれば、もともと個人の資質の問題であると考えているか、所詮はその程度、実務上は役立たず、畳の上の水練、全くの無用の長物、と言っているのと同じである。

もっと直接的に言えば、法科大学院の教育を大手法律事務所は評価していないといっても過言ではないだろう。いくら立派な工場を構えて、立派な製品を生み出していますと自称したところで、消費者に評価されない製品しか生み出せないのであればその事業は失敗である。
ごく当たり前のことだ。
日経新聞だって、法科大学院以外の問題なら、いつもそういうんじゃないか。日経新聞とすれば、大手法律事務所が予備試験経由の合格者を優先採用している事実(仮にそれが本当に存在しているのであれば)をつかんだのなら、本来は法科大学院の存在意義を問うなど法科大学院批判に回るべき立場のはずだ。それが事実に即した報道だろう。

しかし、日経新聞だけではなく大手マスコミは、それをやらない。法科大学院擁護の意見ばかり社説に載せる。
以前も言ったが、公認会計士試験の合格者は、一時期増加されたが、その後、需要がないということもあり、一気に減らされている。それを批判したマスコミがあっただろうか。公認会計士を増やすことになったのも、司法改革と同じような理由からだった。だとすれば、マスコミは公認会計士試験の合格者減はおかしいと主張していなければならないはずだ。
一方日弁連が司法試験合格者の増加ペースをダウンさせるべきと主張した際に、大手マスコミはこぞって、日弁連批判をした。穿った見方かもしれないが、法科大学院は新聞広告等を行うなどして、マスコミにとっては良いお客さんだ。法科大学院制度を批判して、もし法科大学院制度がつぶれたら、広告収入が減るだろう。社説と言いながら、単に法科大学院に存在していて欲しい立場だからじゃないのか。

こんなことを考えながら、会社法の授業を聞いていたS弁護士であるが、次の民法の講義でさらに、法科大学院大丈夫か?の思いを強くすることになる。

(続く)