「星守る犬」~村上たかし

 知人に勧められた漫画である。 ネタバレを避けるために内容には詳しく触れない方が良いと思う。

 犬好きの方には、辛いお話かもしれないし、絵柄が好みでない方もいらっしゃるかもしれないが、この漫画を、どうか、まずは一度真っ白な状態で、読んで頂きたい。

 あとがきで、作者の「村上たかし」さんは、こう述べている。

 ~(前略)自分で書いててなんですが、作中の「お父さん」は、こんな結末を迎えなくちゃならないほど悪人じゃありません。ちょっと不器用だけど、普通に真面目なタイプ。ただ、ほんの少し、家族や社会の変化に対応することを面倒くさがったり、自分を変えることが苦手だったり・・・というだけで、昔なら、いたって平均的な良いお父さんです。しかしそれが、いまでは十分「普通の生活」を失う理由になり得るようで、本当につまらないことになってきたなあと思うのです。ちやほやしろとは言いませんが、普通に真面目に生きている人が、理不尽に苦しい立場に追いやられていくような、そんな世の中だけは勘弁して欲しい。と、やるべきことすらちゃんとで出来ていないダメな僕は、切に思うのです。(中略)計算やかけひき無しで、こっちが申し訳なくなるくらい真っ直ぐに慕ってくれる犬。僕自身も愛犬にどれだけ救われてきたかしれません。傍らに犬。二人は絶対に幸せだったと思います。(後略)~

 普通に真面目に生きてきた「お父さん」。私もそう思う。

 普通に真面目に生きてきた人が理不尽に苦しい立場に追いやられていくような、そんな世の中になりつつあることも、私は同感だ。

 お話の途中で、お父さんが犬に語る。

 「落ち込んでいるのは、断じて金がなくなったからじゃねーぞ。素直に甘えられなくなっているあの子が悲しすぎるんだ。」

 どうしてこのような考えが出来る人が、辛い目に遭わなくてはならないんだ、どうしてこうならなくちゃいけなかったんだ、と、物語の結末に怒りを覚える人も多分いるだろう。

 結末は悲劇に思えるかもしれない。読者は涙をこらえきれないかもしれない。

 しかし、作者が、「お父さんと犬」とか、「一人と一匹」と言う表現ではなく、「『二人』は絶対に幸せだったと思います」と述べているのだから、私達読者はそれを信じ、このお話から感じる「何か」を大事にしていかなければならない、そんな気がする。

双葉社 762円(税別)

「フェルマーの最終定理」 サイモン・シン著

 フェルマーの最終定理(フェルマーのさいしゅうていり)とは、3 以上の自然数nについて、xn+yn=znとなる 0 でない自然数 (x,y,z) の組み合わせがない、という定理のことである。

 17世紀の数学者、フェルマーが残したこの難題に挑んだ、多くの数学者達のドラマを描いたのが、サイモン・シン著「フェルマーの最終定理」である。

 フェルマー自身がこの問題について、「私はこの命題の真に驚くべき証明を持っているが、余白が狭すぎるのでここでは記すことはできない」と記述しており、幾多の数学者がこの難題に挑んでは跳ね返されてきた。~ウィキペディアによると、フェルマー自身の証明は不完全だった可能性が高く、勘違いだったのではないかとの指摘もあるそうだ。

 この難題は、ついに、360年経って、イギリスの数学者アンドリュー・ワイルズによって証明されるが、その証明に日本人数学者の功績が大きく影響していたことは、この本で初めて知った。

 日本人数学者による、谷山・志村予想(モジュラーでない楕円曲線は存在しないという予想)が、フェルマーの最終定理を証明する大きな鍵となっていたのである。

 しかし、研究中の谷山は挙式を数ヶ月後に控えながら自ら死を選んでしまう。 そして、二つ目の悲劇が起こる。谷山の婚約者だった女性が、谷山の後を追ったのである。

 その女性は、こう書き記していたという。

 「私たちは、何があっても決して離れないと約束しました。彼が逝ってしまったのだから、私もいっしょに逝かねばなりません。」

 盟友を失いながらも志村は、更に研究を続け、多くの証拠を積み上げる。そして、証明こそ叶わなかったものの、単なる観測ではなく、「予想」の名に値する理論であることが受け入れられていき、最後には、フェルマーの最終定理の証明の鍵となっていく。

 私は、大学入試の頃以来、数学からは遠ざかっていたが、難しい数学のことなど分からなくても、数学者達のすさまじい程のドラマは読むものの胸を打つ。

 数学なんて・・・・、と毛嫌いされず、人間ドラマとして是非一読されることをお勧めしたい本である。

新潮文庫 税抜781円

夢の記憶

 小さい頃、怖い夢を見て大泣きし、両親に慰めてもらった記憶をお持ちの方は多いだろうと思う。

 私も怖い夢を何度も見て、泣いたことがある。母親や父親に、怖い夢を見たと訴え、泣いていたのだが、どんな夢かと聞かれても、きちんと説明できなかった。

 もちろん、怖い夢ばかり見るわけではなく、楽しいものや、訳の分からん夢も多く見たのだが、私が幼少の頃見た怖い夢の中に、何度も見る同じ夢で、とてつもなく怖いものがあった。

 その夢が出てくると、「ああ、また怖い思いをするのだ・・・」一瞬にして思うのだが、夢というものは見ているときは極めてリアルであって、夢であることも忘れて、その渦中で非常に恐怖を感じる、そういうことの繰り返しだった。

 多分、その夢は、小学校くらいから次第に見なくなり、中学生から今に至るまで、司法試験受験中に一度見たという例外を除いて、もう見なくなっている。

 ではその怖い夢とはどんな夢かと問われると困るのだが、天地が裂けるような恐ろしい天変地異の夢としか説明ができなかった。どんなに言葉を尽くしてもおそらく、その夢を表現することは無理だと、最初にその夢を見たときから私には分かっていた。全く音が聞こえない冷たい静寂のなかで、物凄い恐ろしさと、仮に、人間が神の恩寵を失い、この宇宙から、時の終わる刻(とき)が来たのなら、その夢の光景のようになるのかも知れないという非常な不安を、同時に感じるような夢だったからだ。

 私は、その恐ろしい夢を誰かに伝えることは、もう無理だろうとあきらていたのだが、あるとき、私が見た怖い夢の記憶に近い、絵を見つけてしまった。

 ジョン・マーティン(1789~1854)という画家の、「神の大いなる怒りの日」という絵だ。

 見た瞬間、私の見ていた夢の映像とは全く違うものの、絵の中に描かれ、表現されている「大いなる、なにか」は、私の見ていた怖い夢に表れていたものと同じものではないか、と強く感じた。私と同じように、なにかを感じていた人が昔いたのだ、そしてその何かをこのような凄い絵にして表現していたのだ、と思うと、驚くというより、嬉しく、また、地球の裏側の路地裏の店で隣人とばったり出会ったような不思議な思いを同時に感じた。

 「神の大いなる怒りの日」は、トレヴィルという出版社が1995年頃に出していた「ジョン・マーティン画集」に掲載されており、幸い私は当時購入したその本を未だに大事に持っている。(その後、絶版になったが、最近復刻版が出版されたようだ)。正確には、同じくトレヴィルが出していた「死都」という画集に、「神の大いなる怒りの日」が掲載されており、そこで初めてジョンマーティンを知り、彼の画集を買ったのだ。

  トレヴィルは、素晴らしい画集や写真集を出版していたが、残念ながら経営者が亡くなって、会社を整理したのではないかと思う。

 好き嫌いはあると思うが、異色の画家として是非一度ご覧頂きたい画集である。

(「ジョン・マーティン画集(復刻版)」 エディシオン・トレヴィル 3990円)

こんな日弁連に誰がした? 小林正啓著

 まず「あとがき」を読むと、今の日弁連の状況が端的に整理されているように思う。

 ・・・(前略)自分は何も知らなかったことを知った。同時に多くの若手弁護士が、何も知らないことを知った。
 主流派の中核となる弁護士たちは、司法改革を連呼するばかりで、それがなぜ現在のちぐはぐな状況を生んでいるのか、全く説明してくれなかった。疑問を差し挟むと、お前は司法改革を否定するのかといわれた。全部否定するのでなければ全部肯定せよとはまるで宗教だ。
 他方、反主流派の弁護士達は、政府は弁護士を大増員して困窮させ、戦争を始める準備をしているのだと大まじめに主張していて、とてもついて行けなかった。
 両派に挟まれた若手弁護士たちは、歴史を知らないまま、10年前に終わった議論を蒸し返していた。・・・・・・

 この本を読むと分かるが、若手が何も知らないのは当たり前である。日弁連執行部は無謀な戦いを挑み、破れ、そして自らの失敗を隠蔽してきたのだ。その事実を知るだけでもこの本の価値がある。

 私から見れば、これまでの日弁連執行部はその失敗を認めたり反省することもなく、失敗により間違えた方向へ進みつつあるにもかかわらず、小手先の対応で誤魔化す(先送りする)ことに終始し、抜本的な対策を取れずにいる。失敗を認めないのだから反省もできない。したがって抜本的な対応がとれないことは、当然である。
 それがどんな失敗であったのかについては、この本を読んでいただくことになるが、その点についての、著者の批判は痛烈だ。

「(前略)自分のやったことさえ後輩に語り継げない日弁連に、歴史問題で偉そうな口を叩く資格もなければ、若手弁護士に対して、訳知り顔で説教する資格もない。筆者が最も腹立たしく思うのは、過去の執行部の失敗ではなく、失敗を語り継ぐという、先輩としての責任の放棄である。(後略)」

全くもって同感である。

 私は著者の小林正啓先生を個人的に存じ上げている。優しい先生であるが、非常に頭の切れる方であり、鋭すぎる面もお持ちである。そのせいか、資料から歴史的事実を推認するにあたり、当事者が小林先生と同程度の思慮をもって事態に当たったという前提で分析・推論をされているきらいが若干ながらあるように思う。
 確かに、策略や陰謀渦巻くやりとりはあったかもしれない。しかし、タクシー・公認会計士の過剰状態についていち早く対応がとられているにも関わらず、それよりも遥かに激変している弁護士超過剰状況において、なんら効果的な対応が取れず、その場限りの対応(例えば若手会員の会費を減額するなど)に終始する今の日弁連執行部や、大阪弁護士会の部会などを見ていると、実は渦中にいた人々も深く先まで考えて、行動をしていたわけではなかったんだろうという思いを禁じ得ない。

 端的にいえば、かつて野中広務氏が引退後にNHKテレビ番組で「高邁な政治思想なんてありはしない。その場その場の難局をどう切り抜けるか、それだけだった」と語った、その通りの状況だったのではないか。

 その証拠に、法曹人口5万人のための司法試験年間合格者3000人といいながら、5万人を達成した後、司法試験合格者をどうするかについては、方針すら立っていない。司法試験合格者を今すぐ1000人にしてもほぼ5万人の法曹人口になる。合格者を3000人にすれば、法曹人口は13万人を超えるのだ。法科大学院も当初はあれだけ威勢がよかったのに、いまや志願者激減とその教育能力に疑問が投げかけられているなど問題山積みだ。

 折しも、日弁連会長選挙は、派遣村やサラ金被害で活躍されている宇都宮候補と、日弁連執行部の主流派が推す山本候補の争いが決着が付かず、再投票になった。

 どうして日弁連会長選挙が史上初の再選挙となっているのかについて、少なくとも、この本は、そのヒントを与えてくれる、貴重な一冊だ。

 弁護士のみならず、司法改革に関心のある方、そしてなにより、日弁連会長候補として、史上初の再選挙を戦われる予定の宇都宮候補と山本候補に本書を是非読んでもらいたい。

平凡社新書 760円(税別)

「ボトルネック」  米澤穂信 著

 東尋坊で2年前に亡くなった恋人を追悼するために、現地に赴いたぼくは、「おいで、嵯峨野くん」という声を聞いた瞬間に、絶壁から墜落した、はずだった。
 しかし、ぼくが気付いたのは、自宅近くの金沢市内の浅野川の公園。
 訳も分からずに、帰宅すると、自宅にいたのは「見知らぬ姉」だった・・・・・・。

 まず、先にお断りしておきますが、読者によって非常に評価が分かれる作品だと思います。そして、気分が滅入っている人は読むべきではありません。

 一見ミステリー仕立ての青春小説に見えながら、後半になると一気に、極めて鋭く人間の影の領域に踏み込む、痛いほど自分の影の部分に踏み込んでくる、それだけの威力が、この作品にはあるように思うからです。

 しかし、「生きるとは?」、「今自分が生きている世界の中で、一体自分の価値はどこにあるのか?」など、について思春期に考えたことのある人にとってみれば、その頃の自分がなんと無力であったこと、そしておそらく痛々しいほど繊細過ぎたかつての自分がそのとき確かにその場所にいたこと、その頃大人になれば分かると思っていたのに大人になった今でも自分の価値はおろか多くのことについて実はなんにも分かっていないこと、などについて、心のかさぶたをこじ開けられる思いがするのではないでしょうか。

 間違いなく、恐ろしいまでの現実を理解したときの「ぼく」が握りしめたこぶしは、本当に痛かったのでしょう。おそらく、それだけつらかったのでしょう。

 物語の終盤で「ぼく」が内心を語ります。

~ぼくも、ぼくなりに生きていた。別にいい加減に生きてるつもりはなかった。しかし、何もかもを受け入れるよう努めたことが、何もしなかったことが、こうも何もかもを取り返しがつかなくするなんて。

 兄は言った。他の誰にもない個性が、誰にだってある。お前はお前しかいない。

 なるほど、そうだろう。否定しようもない、当たり前のお題目。

 しかしそれは何も意味しない。違っていることはそれだけでは価値を生まない。~

 社会的に全く無力と言っていい多くの普通の若者にとって、唯一主張しうる個性についてさえ、他人と違うという個性だけでは価値がない、ということに「ぼく」は気付かされるのです。なんという痛い言葉でしょうか。

 作者は、結末を明らかにしていません。いずれの方向での結末もあり得る時点で、ふっと、この作品を閉じてしまいます。読者の想像に任せる方法を選んだのか、作者自身でも結末を決めかねたのか明確ではありません。

 しかし、私は、作者が終章に「昏い光(くらいひかり)」と記していることから、例え昏くても「ぼく」は、光に向けて歩き出してくれたのではないかと考えたいと思っています。

新潮文庫 476円(税別)

草食系武士?~平家

 私は、通読したわけではないが、平家物語が結構好きだ。

 その中で、時々感じたのが、どうして平家はあのように滅びてしまったのか、源氏と並び称される武家の一門が、京の都で貴族趣味に溺れたとはいえ、義経や頼朝などに、ほぼ一方的にやられてしまったのは、何故なのかという不思議だった。

 今日NHKで、「私たち、草食系武士です。」という平家に関する番組をやっていた。その番組の最後の方だけ見たのだが、少し長年の謎が解けた気がした。

 要するに、源氏は勝つために手段を選ばない武士であり、平家はこれまでの伝統やしきたりを守って戦っていたことが、その原因の一つのようだ。

 当時、戦は自分たちの所属を明示して自分は平家なら平家の赤旗を、源氏なら源氏の白旗を掲げて、正々堂々と戦うのが、伝統でありしきたりだった。しかし、源氏軍は、赤旗を掲げて平家の軍を油断させて近寄り、そこで白旗にすげ替えて、至近距離から一気に押しつぶす作戦をとった。

 いわば、だまし討ちである。

 さらに、一ノ谷の合戦では、朝廷の停戦勧告が両軍に出されたため、平家は権威ある朝廷の勧告だから源氏も従うはずと、臨戦態勢を解除した。そこへ、停戦勧告を無視した源氏軍が鵯越の逆落としで急襲をかけたのだ。

 いわば停戦協定違反である。

 壇ノ浦では、当時戦闘に参加しない船の漕ぎ手は非戦闘員であり、攻撃を加えることは卑劣な手段と考えられていたところ、源氏は平家の船足を止めるため、積極的に漕ぎ手を狙い、平家の船の動きを封じる作戦をとった。

 いわば非戦闘員に対する無差別攻撃である。

 勝ちさえすれば、いかなる手段をとっても良い、というその発想は、私にはどうしても違和感が残る。確か、屋島の合戦の際、那須与一が扇の的を射抜いたとき、平家の武士の一人があまりの見事な与一の技を称え、舞を舞ったところ、義経は与一に命令して、その武士を射殺させたこともあったはずだ。

 例え敗れ、滅びるとしても、卑怯な手段はとろうとしなかった、平家の潔さに私は惹かれる。

「新釈現代文」~高田瑞穂著

 幸いにも、新宮高校時代に良き現代国語の先生(舩上光次先生・中谷剛先生)に恵まれたこともあり、私は現代国語は相当得意な科目だった。

 現代国語は、特に参考書を読まなくても、問題集を解いていれば、そこそこの成績が取れていた。それで慢心したわけではないだろうが、一時、現代国語の成績が落ちたときがあった。なまじ得意科目だっただけに、どうすれば成績が上げられるのか分からず、大いにうろたえたものだ。

 そんなときに、まさに救世主となったのが、新塔社という聞き慣れない出版社から出されていた、この「新釈現代文」という現代国語の参考書である。

 「新釈現代文」昭和34年に初版が出版されており、当時高校生だった私が手に取ったときですら、初版からすでに25年近くも経過しているような、まさに、現代国語参考書の古典であった。
 黄緑色のカバーが掛けられたこの参考書を、受験情報誌か何かでみつけ、購入することになったのだが、実物を見てみると、参考書というには薄すぎるし、使われている日本語も古そうで、果たして本当に役立つのか不安に思えたことも事実である。

 しかし、「新釈現代文」と出会ってからは、現代国語に関して、他の参考書は一切不要だった。時折自分の現代文に対する感覚が鈍ってきたと思ったら、新釈現代文を再読すれば足りるようになった。それだけの威力があった参考書だったのだ。

 この「新釈現代文」は、入試現代文読解の最も正しく、最も有力な方法である、と著者が信じる「たった一つのこと」ただそれだけを、入試問題を材料に、じっくりと説明・解説・実践していく、異色の参考書だった。著者は、現代文に対する読者の目が開かれ、骨が飲み込めさえすれば事足りるのではないか、一旦目の曇りが晴れ、焦点の合わせ方が解りさえすれば自然と力が蓄積されていくのではないか、と考え、現代文に対する受験生の目を開かせ、焦点の合わせ方を情熱を持って指導していく。当時の東大・京大受験生の中にも、「新釈現代文」を手に取った人はおそらく多いはずだ。

 この間、書店で本を見ていたら、ちくま学芸文庫から、「新釈現代文」が復刻出版されていた。思わず懐かしくなって買ったのだが、すでに復刻出版後数ヶ月で5刷と、好調な売れ行きのようだ。

 確かに今読み返すと、「新釈現代文」が、現代思想と捉えているのはすでに「50年ほど前の現代思想」であって、今の時代の受験国語に即応するとは思えない部分もある。しかし、「新釈現代文」で語られる「たったひとつのこと」という入試現代文読解に関する方法論は、今でも十分通用するのではないかと思われる。

 現代国語に迷っている高校生がいたら是非勧めたい本である。

 ちくま学芸文庫(税別1100円)

「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」  藤原新也 著

 ・・・・そこには、人間の一生はたくさんの哀しみや苦しみに彩られながらも、その哀しみや苦しみの彩りによってさえ人間は救われ癒されるのだという、私の生きることへの想いや信念がおのずと滲み出ているように思う。

 哀しみもまた豊かさなのである。

 なぜならそこにはみずからの心を犠牲にした他者への限りない想いが存在するからだ。

 そしてまたそれは人の中に必ずなくてはならぬ負の聖火だからだ。 (著者あとがきより)

 長い題名の本だが、内容は14編の短編小説である。

 いずれの短編も、私は好きだが、特に、この本の冒頭を飾る短編、「尾瀬に死す」がお気に入りである。

 1993年10月に起きた事件で、殺人の容疑をかけられた友人(倉本)から手紙が届く。不治の病に冒された妻にせがまれ、倉本が妻にプロポーズをした想い出の尾瀬に、倉本夫妻は二人きりで出かける。妻は倉本が少し目を離したスキに容態が急変し死亡する。偶然が重なり状況は倉本に不利だ。倉本は「私」に証人として証言して欲しいと依頼するが・・・・・。

 1993年は、私の大学時代のグライダー部仲間だったM君が、尾瀬で遭難し不慮の死を遂げた年である。また、私は「尾瀬に死す」の事件があったとされる、まさに1993年の10月に、私はグライダー部仲間であった辻昭一郎君と二人で、M君の冥福を祈りに尾瀬に赴いたことがあるのだ。しかも、小説は私が今も扱うことのある刑事裁判がらみである。

 勝手に不思議な因縁を感じても、私の罪ではないだろう。

 小説は、ある出来事があって刑事裁判が進展し、判決後の「私」と倉本が再会し語り合う場面で終わる。映画のように派手な出来事が起きたわけではない。世間的にも、ある裁判が終わったというだけだ。だが、倉本と「私」の語り合う内容は、おそらくこの本の読者の心を揺さぶることになるはずだ。

 私が下手な文章で紹介するよりも、是非ご一読頂ければと切に願う。

東京書籍 1600円(税別)

「ダナエ」 藤原伊織 著

 世界的名声を得た画家、宇佐美が、義父を描いた肖像画が切り裂かれ、硫酸をかけられる事件が発生する。その事件は、エルミタージュ美術館で起きた、レンブラントの「ダナエ」毀損事件と酷似していた。犯行を伝える女性の声は、これは予行演習だと告げる。宇佐美は義父への危害を心配するが・・・・・。

 「う~ん読むんじゃなかった、少なくとも電車の中では。」

 そう思いながら、藤原伊織の残した最後の中・短編集に収録されたこの作品に、私はまたも、やられてしまった。眼鏡をはずしハンカチを手にせざるを得なかったのだ。

 この作品の前半部分で、主人公が愛読する、萩原朔太郎の「乃木坂倶楽部」という詩の一部が引用される。

 わが思惟するものは何ぞや

 すでに人生の虚妄に疲れて

 今も尚家畜の如くに飢ゑたるかな

 我れは何物をも喪失せず

 また一切を失ひ尽くせり。

 宇佐見は、どうしようもなかった過去を忘れ去れずにいる。若さの純粋さ故に別れるという解決方法しか選び得なかった、元妻の面影を苦い思いと共に抱きつつ、今を生きている。傍目には成功している宇佐見。全てを手に入れたかのように見える宇佐見だが、間違いなく宇佐見は、傷つき、その傷を癒せずにいる。若さ故に何の力も持ち得なかった自分の無力さ、若さゆえに思い至れなかった、元妻の自分への思いに対して。

 しかし、世間にその存在すら認められていなかった当時の彼に何ができただろう。やはりどうしようもなかったのか。いや、何かできたはずではなかったか。自ら別れることを選択した彼女に対して・・・。

 彼の苦渋に満ちた記憶は、上記の朔太郎の詩の後ろ2行、「我れは何物をも喪失せず」 「また一切を失ひ尽くせり。」に集約されている。

 そして、事件が明らかになるにつれ、上記の朔太郎の詩の続きである次の部分が小説の中で展開されるように私には思われる。

(中略)

 虚空を翔け行く鳥のごとく

 情緒もまた久しき過去に消え去るべし。

 しかし、宇佐見には消し去ることはできないのだ。おそらく永遠に。文中で 宇佐美自身が語っている。

「・・・それでも、もしそれまでのずっと以前に知っていたとしても、僕になにかできたかどうか、それがわからない。救いの手すら差しのべられたかどうかがわからない。なにしろ、僕は無一文でどんな力もなかった。いまもわからないでいる。当時、結論の出るわけもなかった。答えのないあの問いは、一生、後悔として残るだろう・・・・・・」

 このような男を描かせたら、藤原伊織は抜群の冴えを見せる。

 私自身決してドラマティックな過去を持つわけではないが、決して答えのない問いを問い続けなければならない宇佐美に激しく共感させられてしまう。

 ただ、個人的に言えば、ラスト10行はなくても良かったように思う。私の勝手な邪推であるが、最後の10行について、藤原伊織は、付け加えようかどうか迷ったのではないだろうか。その上で、ラスト10行を付け加え、主人公宇佐美に微かではあるが確かな希望を与えてあげたのではないか。的外れもいいところかもしれないが、私にはどうも、そのように思えて仕方がないのである。

 ・・・・・・・・私がハンカチを取り出し、目をぬぐう間、隣の乗客は、一瞬、訝しげに私のほうを向き、その後何も気づかなかったフリをしてくれたようである。その誰だかわからない乗客に、少しの優しさを感じたのは、「ダナエ」を読んだからなのかもしれない。

 そんな小説である。

「愛しい女」 三浦哲郎著

  念仏トンネル。

 ものすごいネーミングである。夏であれば稲川淳二が、若干聞き取りにくいだみ声で、深夜の怪談を語ってくれそうな名前のトンネルである。

 しかし、今から20年以上前の学生時代、私は、北海道をバイクでツーリング途中に、一人、その念仏トンネルに向かっていた。

 念仏トンネルは、北海道積丹半島の神威岬付近に実在するトンネルである。現在では落石危険地帯ということで、岬への旧道と念仏トンネルは立入禁止区域になっているそうだが、当時はそんな立て札があったかどうかはっきりとした記憶がない。

 寂れきった一軒だけの売店から、岬への旧道を歩き、海岸まで降りてきた付近に念仏トンネルはあったように思う。素堀りの、幅と高さ約2mくらいの小さな入り口のトンネルだった。相当風の強い日だった。風と波の音しか聞こえない。他に誰もいないのに(いや、誰もいないからこそ)不気味である。

 入り口からから覗くと、トンネルの中は真っ暗である。出口の明かりさえ見えない。念仏トンネルは、約60mくらいのトンネルだそうだ。両端から掘り進められたものの、測量のミスで直線で開通できず、中央でほぼ20mほどずれていたものを無理矢理直線でつないで開通させているのである。海岸沿いの旧道を行き来していた灯台守の家族が、高波にさらわれる事故があったため、不完全であってもなんとしてでも開通させたかったトンネルのようである。

 だから、入り口からはいると出口は見えず真っ暗である。手探りでまっすぐ途中まで歩き、90度折れ曲がって更にまっすぐ暗闇をしばらく歩き、再度90度折れ曲がってようやく出口の光が見えるのである。

 出口の先に浮かぶ神威岬の光景は、実に素晴らしいもので、独り占めするには惜しいくらいであったが、それは、真っ暗な念仏トンネルを心細い気持ちで乗り越えたからこそ、そう思えるような気もした。

 ・・・・・私が、どうしても念仏トンネルを訪れたくなっていたのは、三浦哲郎の「愛しい女(ヒト)」という長編小説を読んだからだった。ムクドリの卵が蒼い色をしていることも、この本で初めて知った知識である。

 今から思うと、私は、いろいろ青臭いことを考えながら旅をしていたに違いない。ひょっとすると、三浦哲郎の小説を読んでどうしても念仏トンネルに行ってみたかった当時の私は、落石危険地帯につき、既に立入禁止にされていた旧道~念仏トンネル区域に、それと知ってわざと入っていったのかもしれない。

 社会人となった今では、もちろんそんな危険な場所には近寄らなくなった。しかし、そのときに落石事故に遭わなかった幸運に感謝すると同時に、ときどきその頃の青臭さが懐かしい気がするときがある。