「おにたのぼうし」 文・あまん きみこ   絵・いわさき ちひろ

「おにた」は、心の優しい鬼でした。

 しかし節分には、多くの家では、鬼を追い払う豆まきが行われます。

 「おにた」のいる家でも、やはり豆まきが始まり、「おにた」は、家を出ていきます。

 寒い節分の夜に、豆まきの音がしない家を探していた「おにた」は、病気のお母さんを看病する貧しい家の少女を見かけます。

 なんとかしてあげたいと思った「おにた」なのですが・・・・・・。

(できれば先に、この絵本をお読み下さることをお勧めします。)

 あとは、この絵本を読んで頂くべきでしょう。

 短いお話なのですが、「あまん きみこ」さんの文章が、子供だけではなく、大人の心にも、ズンと響きます。

 先入観に囚われていた場合、何気ない当たり前の言葉が他人を傷つけることもあります。すがたかたちは「おに」という存在であっても、こころは「おに」ではないこともあるのです。

「おににだっていろいろあるのにな。にんげんもいろいろいるみたいに。」

「おにた」のこのつぶやきを、なんの感情も抱かずに聞き流せる人は、おそらくいないでしょう。

 最後に少女の願いをかなえた「おにた」は、いなくなります。

 最後に残った「くろまめ」をどう考えるかは読み手に任されているように思います。

 「いわさき ちひろ」さんの絵も素晴らしく、「おにた」の気持ちを実に上手く表現しているように思えます。

 子供に、読み聞かせをしてあげながら、涙ぐんでしまったお母さんも多いのではないでしょうか。

 節分では、鬼を追い払う豆まきが付き物ですが、この本を読んだことのある人は、ひょっとして、豆まきをしないかもしれません。

 そういう絵本です。

 ポプラ社 1050円(税込)

「6時間後に君は死ぬ」 高野和明著

 「13階段」で江戸川乱歩賞を受賞した、高野和明氏の短編集である。

 未来を突然見てしまう能力を持った、山葉圭史を軸に、5つの短編が織り込まれている。

 とはいっても、山葉圭史が中心的な役割を果たすのは、第1短編「君は6時間後に死ぬ」と、最後の短編「僕は3時間後に死ぬ」だけであり、あいだに挟まれた3編の主人公は、プロットライター、女子大生、ダンサー志望のアルバイトである。

 せっかくの題名なのだが、私は中間に挟まれた3編が気に入った。

 特に、第4短編「ドールハウスのダンサー」は、私のお気に入りになりそうだ。先の見えない競争を続けながらも、競争相手を陥れることなく、きれいに生きていきたい、と考える主人公。そしてデジャビュのようによぎる光景。夢を失った女性がたった1人のゲストのために作った美術館。

 これ以上は、その作品については触れずに、実際に手にとってお読み頂く方が良いかと思う。

 私の拙い文章のせいで、せっかくの作品を台無しにしてしまうのが怖いから。

 そして夢を追いかけたことのある方なら、きっとお分かりいただける部分があると思うから。

講談社文庫 676円(税別)

「今日の猫村さん」 ほしよりこ作 

 猫か犬かと問われれば、私は断然犬派であるが、この漫画は、許せてしまう。

 「猫村ねこ」というネコが主人公。拾ってくれた大好きな坊ちゃんと別れ、主人とそりが合わなくなって家を出た、テレビドラマが大好きな猫村さんは、その家事の腕前を見込まれ、村田家政婦紹介所に住み込む。猫村さんの得意料理はネコムライス。

 そして、村田の奥さんからかつては財閥であった犬神家に家政婦として派遣される。いろんな意味で崩壊しつつある犬神家。近所の嫌みな奥さんとの買い物バトル。大好きなテレビドラマ、熱血刑事も最終回間近だ。

 どうする猫村さん!

 あとは、実際に、漫画を読んで頂く方がいいだろう。

 ゆる~~~い、べた~~~~~な展開が続くが、なぜかそれが心地よい。

 もともとは、インターネット上で、一日一コマずつ連載されていた漫画を集めたものであり、独特のゆる~い展開は、そのせいかもしれないが、この独特の猫村ワールドにどっぷりはまれば、不思議にも猫村さんに親近感がどんどん湧いてきてしまう。

 何かに追われているように感じるとき、ちょっと立ち止まってみたいような気がするときに、手に取ると、ハマルかもしれない。

 一度お試しを。

マガジンハウス社刊

「神の道化師」 トミー・デ・パオラ作

 ジョバンニは、孤児だった。それでも、一つだけ得意なことがあった。それは、たくさんのモノをお手玉のようにぐるぐると回すこと。

 ジョバンニは、その芸を磨き、やがて独立して生きていけるようになる。

 しかし、ジョバンニは次第に年をとり、かつて喝采を勝ち得たその芸も飽きられていく・・・。

 友人に勧められてこの絵本を読んだ。

  主人公であるジョバンニは、本当に一筋に自分の能力を磨き、人を楽しませることに喜びを見出していたのだ。

 高い身分の人間に対しても、自分の信じる芸を臆することなく表現し、ジョバンニはお金や地位に、媚びることがない。自らの芸を信じていたからこそ、できたことだ。

 一つの芸を磨き、それを表現することに喜びを見出す。この点では、ジョバンニは、まさにプロフェッショナルであって、見事と言うほかはない。

 しかし、時代は移ろう。

 あれほど喝采を受けた芸も、見飽きた人には陳腐な芸としか写らなくなっていく。ジョバンニの芸自体は、変わらず一流であっても、時代がそれを一流と認めなくなっていくのだ。自らの芸を信じその芸を磨くことによりプロフェッショナルとなったジョバンニにとって、この状況は極めて苛酷だ。

 ジョバンニが次第に年を重ね、ついに芸を披露する際に失敗をしてしまう。

 観衆は、ジョバンニに対して石を投げつけることによって、その失敗したという結果に報いる。その観衆達には、これまでジョバンニの芸によって感動させてもらったり、癒されたり、希望をもらったことなどを思い出す者は、もう誰1人いないのだ。

 ジョバンニは、道化の仕事を辞めて故郷に帰ることを決意する。絵本の中では淡々と書かれているが、自ら磨いてきた唯一の芸、長年一緒に人生を歩んできた芸を止めると決意し、川で道化のメイクを落とすジョバンニの心境は如何なるものだったのか。

 最後にジョバンニは、故郷の教会の中で、聖母マリアに抱かれた子供の頃のキリスト像を目にする。

 多くのクリスマスの捧げ物を受けていながら、子供のキリスト像は、ちっとも楽しそうではないとジョバンニは気付く。物質的な満足だけでは満たされない部分も世界にはあるのだ。ジョバンニは、物質的な捧げ物は出来ないものの、唯一自分ができること、つまり自らの芸を、心を込めて、キリスト像に捧げる。

 誰も他に見てくれる者がいない、冬の教会の中で、ジョバンニは年老いた身体でキリスト像に対して一世一代の芸を披露し、息絶える。

 誰も見てはいなかった。

 誰1人、彼を賞賛する「人間」はいなかった。

だが、息絶えたジョバンニの亡骸を見つけた修道士は、振り返って、キリスト像がにこやかに微笑んでいることに気付くのである・・・。

 現実に置き換えてみると、今の世界は、否応なく多くの人をジョバンニのようにしていく。熟練工は工作機械の発達で仕事を失い、優秀な大工も大量生産されるプレハブの家の前に仕事を失う。

 このような現代において、子供のキリスト像のように、一つのことを磨いてきた努力に報いてくれる存在はあるのだろうか。

 おそらく、ジョバンニは、天国では間違いなく高く評価されているだろう。不機嫌なキリストの機嫌を直したくらいの腕前なのだから。

 はたして、この物語の主人公であるジョバンニは幸せであったのか、そうではなかったのか、それは読み手の判断に任されているように思う。

 是非一度、お読み頂くことをオススメする絵本である。

ほるぷ出版 1,470円

お疲れの方に。

 友だちがみんなうちにかえってしまった晩、モモはひとりで長いあいだ、古い劇場の大きな石のすりばちのなかにすわっていることがあります。頭のうえは星をちりばめた空の丸天井です。こうしてモモは、荘厳なしずけさにひたすら聞き入るのです。

 こうしてすわっていると、まるで星の世界の声を聞いている大きな耳たぶの底にいるようです。そして、ひそやかな、けれどもとても壮大な、ふしぎと心にしみいる音楽が聞こえてくるように思えるのです。

 そういう夜には、モモはかならずとてもうつくしい夢を見ました。

ミヒャエルエンデ「モモ」~大島かおり訳(岩波少年文庫)~より。

「陽だまりの樹」 手塚治虫 ~但し少し脱線あり

(出版社~小学館のコメント)

 動乱の江戸末期、来たるべき近代国家への苦悩と希望を描いた巨編!!時代の流れに翻弄されつつも、自らの使命を全うした武士・伊武谷万次郎と医師・手塚良庵。二人の男の生き様を軸に、近代国家幕開けまでを作者自らのルーツを折り混ぜながら描いた幕末感動ロマン!!

 手塚治虫の漫画の中で、この作品をベスト作品に推す人も相当いらっしゃるのではないでしょうか。

 私は、この作品を受験時代に一緒に勉強していたH君から教わり、合格後に読みました。(H君は司法試験はあきらめたものの、一流企業で立派に頑張っています。)

 ノンポリで遊び人の手塚良庵、極めて生真面目で不器用な伊武谷万次郎。対照的だがなぜかウマが合う2人が、激動の時代を精一杯生きていくというお話ですが、具体的な内容を、私などがご紹介するよりは、とにかく、ご一読頂くのが一番だと思います。

 「陽だまりの樹」とは、この作品中で藤田東湖が当時の江戸幕府を例えて語った台詞の中に出てきます。

 東湖は、江戸幕府は見かけは立派だが、その内部は慣習に囚われた門閥で占められて倒れかけているとし、その例えとして陽だまりの樹を指さします。この状況を打破するのは、若い力の行動力しかないと東湖は万次郎に語ります。

 今の日本も、そして日弁連も、私には全く同じ「陽だまりの樹」のように見えます。

 しかし、少なくとも日弁連に関しては、若い力を結集することは、ほとんど出来ていないように思います。

 せっかく、これではいけない、変えなければならないと、問題点に気付いても、きっとそうひどいことにはなるまい、誰かが変えてくれるに違いないと、誰か他人が変えてくれるのを期待しているだけでは、結局何も変わりません。

 若手が生活に追われ疲弊している状況下では無理もありませんが、どうしてそうなっているのか、これから将来の司法を担う若手弁護士がそれで良いのか、現在の惨状を招いた当時の指導者的立場の方は、十分考える必要があるはずです。

前回の日弁連の法曹人口政策会議では、千葉県の弁護士及川先生が、人口問題と密接に関わる法曹養成制度について、旧態然とした主張・提言を繰り返そうとする日弁連執行部に鋭く迫り、問題の改善を提案されていたのが印象的でした。及川先生は、会議後も宇都宮会長・海渡事務総長らに、必要と思われる施策の提言を直接お願いしており、宇都宮会長もきちんと向き合って聞いて下さいました。

 今問われているのは、執行部など理事者にとっては、理想を実現できず失敗してしまった点について見栄や自己保身を捨てて現実を素直に見る目と、若手の提言を生かそうとする度量があるかどうかであり、若手にとっては、握りつぶされてもあきらめずに行動することなのではないかと感じました。

 「陽だまりの樹」から脱線してしまいましたが、素晴らしい作品であることに違いありません。大部ですが、さすが手塚作品、飽きることなく一気にストーリーが展開します。続きが読みたくてたまらなくなるはずです。

 読もうかどうしようか、迷っておられる方は、すぐにでも読まれることをお勧めします。

※記載内容については、全て執筆者の個人的な見解に基づくものであって、当事務所の統一した見解・意見ではありません。

岩合光昭さんの「いぬ」

 岩合光昭さんが飼っている犬という意味ではなく、岩合光昭さんの写真集「いぬ」のお話です。

 先日、日弁連の法曹人口問題政策会議が東京丸の内であったので、日本橋三越で開催されていた、岩合光昭さんの写真展「いぬ」に行く機会がありました。

 犬好きの私としては、もう、犬の写真展というだけでメロメロなのですが、さらに、岩合さんの写真ということで(当然、岩合さんの撮影された犬の写真集「ニッポンの犬」も買っています)、これはラッキーという思いで、日弁連会議終了後、大急ぎで日本橋三越へと向かいました。

 会場は相当な混雑でしたが、大きく引き伸ばされた犬の写真は、どれも素晴らしく、一瞬を捉える岩合さんのプロとしての確かな力を存分に感じさせてくれる写真展でした。どうやら、発売されてすぐの、岩合さんの写真集「いぬ」(クレビス・税別1600円)とコラボレーションしているらしく、写真集に載っている写真が展示されています。

 さらに、写真集を買うと先着100名に岩合さんのサインがもらえるうえに、その写真集の表紙が私が最も愛する紀州犬の子犬の写真なのですから、気分的に、私は、これはもう、買うしかないという状況に追い込まれていきました。

 (あ~、悪徳商法の一つに催眠商法ってのがあったなぁ・・・それにしても知識と感情は一致しないモンだ、と頭の中で思いつつも)私は、まんまと出版社の罠に、自ら喜んでひっかかって、気付けば写真集とポストカードを買ってしまっていました。

 ギャラリートークもあり、岩合さんが、この写真は道路脇で撮影したもので上の方に小さく白く見えるのは実はガードレールなのです、とか、子犬を抱き上げてもらって撮影しているうちにだんだん子犬の機嫌が悪くなりかけているときの顔ですとか、撮影中の思い出話も楽しいものでした。その後に無事、岩合さんの直筆サイン(犬のイラストつき!)も頂戴し、ず~っと突っ立っていた疲れも忘れるくらい、満足して帰途につきました。

 自宅に帰ってからも岩合さんの「いぬ」の写真集をながめていると、写真展で感じたのと同じく、なんだか春の日に昔飼っていた犬をなでてやりながら、その頭に顔を埋めて、愛犬の、日向のような匂いをかいでいるような、そんな幸せな気分が湧いてくるのでした。

 サインして頂いている間に、そのような日向の匂いを感じさせてくれる写真ですねと、岩合さんに、お伝えすれば良かったと、今になって後悔している私でした。

「神様のパズル」 機本伸司著

 宇宙は無から生まれた。

 それが正しいとするなら、人間にも宇宙が作れるのではないか。だって、無なんて、どこにでもあるんじゃないのだろうか。

 突拍子もない聴講生の言葉から、落ちこぼれの理学部学生の僕と、人工授精で誕生した天才美少女科学者とがディベートでチームを組むことに。

 天才美少女は、できる、というのだが・・・・・。

 第3回小松左京賞を一瞬で確定させたと噂されるこの本は、映画化もされているそうです。

 内容は、さすがに宇宙開闢の秘密に迫ろうというものでもあるため、相当難解な理論が出てくるのは仕方ありません。しかし、詳しい理論内容については、分からなくても大丈夫。その点はとても上手く、流してあり、理科系の知識がない人でも十分分かる内容になっています。

 あまり内容に深入りした説明をしてしまうと、まだ読まれていない方の興を削ぐかもしれませんので、踏み込みませんが、私の第一印象だけ申しあげますと、「やられた!こんなSFもあったんだ」というものでした。

 私が小さい頃に、疑問に思っていた「オルバースのパラドックス」にも触れられており、私と同じ疑問を抱いていた先人がいたことに、言いようのない感慨も覚えました。

 思っていたよりも軽く読めますので、お正月休みにちょっと、読書方面に気分が向いた方にお勧めします。

ハルキ文庫 680円(税別)

 ※当職の今年のブログは、少し早めですが、本日で終了します。来年は、もう少し読みやすく、また面白いブログを目指します(?)ので、当職と当ブログをよろしくお願い致します。皆様、良きお年をお迎え下さい。

インシテミル 米澤穂信著

 年齢性別不問、 一週間の短期バイト、 ある人文科学的実験の被験者、 一日あたりの拘束時間24時間、 人権に配慮した上で、24時間の観察を行う、 期間は7日間、 食事は3食提供、 個室の用意有り、 ただし実験の純粋性を保つため外部からは隔離する、 拘束時間にはすべて時給を払う、 時給1120百円、 作業内容に応じてボーナス有り。 募集元SHMクラブ

 この怪しげな、しかし、破格の仕事に応募した12名の男女。ある施設に隔離された彼らに伝えられた実験の内容は、より多くの報酬を巡って参加者同士が殺し合う犯人当てゲーム、という驚愕の内容だった・・・・。

 この小説は、2010年度版宝島社の「このミステリーがすごい!」の1位を獲得しているそうだ。ホリプロの全面協力の下、あの「リング」、「女優霊」の鬼才、中田秀夫監督により「インシテミル 7日間のデスゲーム」の題名で映画化され、10月16日から公開されている。

 公開されている映画館はそう多くはないが、キャストは、藤原竜也・綾瀬はるか・石原さとみ・北大路欣也・平山あや・片平なぎさなどかなりの豪華キャストである。

 私も、中田秀夫監督、キャストの綾瀬はるか・石原さとみにひかれて、映画を見た。

 かつて、角川映画だったと思うが、「見てから読むか、読んでから見るか?」というキャッチフレーズで映画も本も売り上げをのばしたことがあったように思う。

 しかし、この作品に関して言うなら、間違いなく「見てから読む」べき作品であるし、読んでしまったのなら、映画は見ない方がいいかもしれない。

 私は見てから読んだので、幸運だった。

 話が小説と映画で相当異なってしまっている。登場人物も、小説12名に対して、映画10名だ。おそらく、小説の内容を忠実に映画にするには、物理的にあまりにも時間が足りなかったのだろう。

 中田秀夫監督の得意とするじわじわと恐怖が押し寄せてくるような映像は、この作品には合っているとは思うし、キャストも芸達者なのだが、あまりにも脚本が上手くまとまっていない気がするのが残念だ。

  映画の最後のシーンでの藤原竜也の行動も、本当にそうか?と思う行動でちょっと理解しにくいし、小説では得られるカタルシスが、映画では全く得られない。

 というわけで、映画はお勧めしないが、小説の方はお勧めだ。

 映画の半額以下の値段で相当楽しませてくれる。

 是非ご一読を。

文春文庫 686円(税別)

霧越邸殺人事件~綾辻行人著

~ある秋深き日、山深い信州の山中で、猛吹雪に襲われた劇団員たちの前に、忽然と現れた謎の洋館「霧越邸」。あまり好意的ではない住人に無理をいって一夜の宿を求めた劇団員たちだったが、猛吹雪で外界との連絡は遮断される。雪に閉ざされ孤立した洋館の中で、起こる連続殺人事件。屋敷に起こる兆しは何を意味しているのか。屋敷の主から探偵役を言いつけられた槍中は、必死に犯人を推理していくのだが・・・・・~

 推理小説ですので、これ以上のご紹介は出来ません。

 綾辻行人さんは、いわゆる「館シリーズ」で非常に有名な推理小説作家ですから、今さらご紹介するまでもないでしょう。私も、綾辻さんの小説は大好きで、文庫化された「館シリーズ」は全て読んでいます。

 館シリーズではないのですが、この「霧越邸殺人事件」は、私が相当気に入っている作品です。

 謎めいた力を持つ不可思議な霧越邸。そこを舞台に展開される連続殺人事件。殺人というあまりにも非人道的な行為が連続して起こるのですが、なぜか、静謐というべきか美しいというべきか、誰もたどり着けない山奥で、いつも霧に包まれ、人知れず、いつまでも佇む深い湖のような、作品に漂う独特の「幻想的な雰囲気」は最後まで壊れることがありません。

 おそらく忠実な映像化は非常に難しいでしょう。日テレで、湖畔の館殺人事件としてドラマ化されたことがあるそうですが、「霧越邸殺人事件」として万一映像化できるのであれば、絶対にTVドラマではなく、銀幕で上映して欲しい。そして、深月役には、本当に清潔感ある美しさと儚さとを併せ持つ女優さん(具体的に思い浮かばないのが残念)に演じてもらいたい、と強く思います。

「幻想的な雰囲気」がお好きな方には、秋の夜長に、オススメの一冊だと思います。

 新潮文庫 900円