草食系武士?~平家

 私は、通読したわけではないが、平家物語が結構好きだ。

 その中で、時々感じたのが、どうして平家はあのように滅びてしまったのか、源氏と並び称される武家の一門が、京の都で貴族趣味に溺れたとはいえ、義経や頼朝などに、ほぼ一方的にやられてしまったのは、何故なのかという不思議だった。

 今日NHKで、「私たち、草食系武士です。」という平家に関する番組をやっていた。その番組の最後の方だけ見たのだが、少し長年の謎が解けた気がした。

 要するに、源氏は勝つために手段を選ばない武士であり、平家はこれまでの伝統やしきたりを守って戦っていたことが、その原因の一つのようだ。

 当時、戦は自分たちの所属を明示して自分は平家なら平家の赤旗を、源氏なら源氏の白旗を掲げて、正々堂々と戦うのが、伝統でありしきたりだった。しかし、源氏軍は、赤旗を掲げて平家の軍を油断させて近寄り、そこで白旗にすげ替えて、至近距離から一気に押しつぶす作戦をとった。

 いわば、だまし討ちである。

 さらに、一ノ谷の合戦では、朝廷の停戦勧告が両軍に出されたため、平家は権威ある朝廷の勧告だから源氏も従うはずと、臨戦態勢を解除した。そこへ、停戦勧告を無視した源氏軍が鵯越の逆落としで急襲をかけたのだ。

 いわば停戦協定違反である。

 壇ノ浦では、当時戦闘に参加しない船の漕ぎ手は非戦闘員であり、攻撃を加えることは卑劣な手段と考えられていたところ、源氏は平家の船足を止めるため、積極的に漕ぎ手を狙い、平家の船の動きを封じる作戦をとった。

 いわば非戦闘員に対する無差別攻撃である。

 勝ちさえすれば、いかなる手段をとっても良い、というその発想は、私にはどうしても違和感が残る。確か、屋島の合戦の際、那須与一が扇の的を射抜いたとき、平家の武士の一人があまりの見事な与一の技を称え、舞を舞ったところ、義経は与一に命令して、その武士を射殺させたこともあったはずだ。

 例え敗れ、滅びるとしても、卑怯な手段はとろうとしなかった、平家の潔さに私は惹かれる。

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