準備書面に認否はいらない?!

 数年前、登録4~5年目くらいの、ある若手弁護士が原告側、私が被告側で訴訟で戦うことになった際の話である。

 その、若手弁護士さんがこちらの準備書面の主張に対して、何ら認否せずに、自分の主張したいことだけ、反論したい部分だけを反論するという書面ばかり出してくることがあった。

 ちょっと話がそれるが、その若手弁護士さんの準備書面は、法的な主張や、証拠に基づいた主張をほとんどしないくせに、原告・被告間の個人的な問題などを執拗に攻撃し、こちらの準備書面のごく一部分だけを取り上げて、「被告の主張は失当である」と連呼する書面でもあり、読むのがストレスになる書面だった。
 ちなみに、訴状でも、法定果実であるにも関わらず日割り計算をせずに請求してきていた箇所があったので、第1回期日で、私から、「これは法定果実だから日割り計算に訂正して下さい」とお願いしたところ、黙り込んでしまい、「後で確認してから書面で出します」といって、3ヶ月後くらいの次々回期日でようやく訂正してくる始末だった。

 まさか大学2年生でも知っている、天然果実と法定果実の取得規定を知らなかったとまでは思いたくないが、それはさておき、こちらの準備書面に対して、認否もせずに、自分の主張したいことだけ、反論したい部分だけ記載し、裏付け証拠もほぼ皆無の準備書面ばかり出されても、双方の対立点、真の争点も明確にならず、訴訟が前に進まない。

 ただでさえ、原告側は請求側だから、訴訟を早く進行させたい側であることが多いだろうに、原告代理人がそのような行動を取る意味が、私には全く理解できなかった。

 期日において、口頭で認否するよう促しても一向にその若手弁護士は改めないので、止むをえず、私は準備書面で、「原告は、被告の主張・立証に対して、きちんと認否した上で反論されたい。」と明記して出した。

 すると、その弁護士は、次の準備書面で、このように記載してきたのである。

「認否は答弁書に対してだけすればよいのであって、準備書面に対しては、認否する必要はない。」
 

 裁判所に提出する準備書面で、ここまで自信たっぷりに「準備書面に対して認否をする必要がない。」と記載されたので、逆に、私の方が、「私が間違っているのか?!」、「いまの司法研修所教育はそうなっているのか?!」と、わずかな不安を感じてしまうくらいだった。

 念のため書いておくが、司法研修所編7訂版「民事弁護の手引」には、準備書面の要素の欄には、民訴規則を引用するなどして
 準備書面の要素として
 ① 攻撃又は防御の方法の記載
 ② 相手方の請求及び攻撃又は防御の方法(161条2項1号)に対する陳述
 ③ 証拠の引用、証拠抗弁、証拠弁論、引用文書
 があげられており、

「攻撃または防御の方法に対する陳述とは、相手方の主張する個々の攻撃又は防御の方法、すなわち、請求を理由づける事実、抗弁、再抗弁、等として主張された事実に対する認否の陳述をいう」

 と明記されている。
 
 

 別に私は(勝訴的和解もできたし)、この弁護士を非難したいわけではない。

 先だって、内田貴東大名誉教授が、「弁護士資格を持つことは(中略)競争する資格を得たにすぎないんだという発想の転換もしなければいけないでしょう。」と弁護士ドットコムのインタビューで述べていたことに反論したいのだ。

 おそらく、内田氏の述べる「競争する」ということは、競争することにより、良い弁護士が生き残るという理想的な競争状態を念頭に置いているものと思われる。
「悪貨は良貨を駆逐する」競争状態では、司法は衰退するばかりだろうから、さすがに民法で名をなした東大名誉教授であれば、そのような競争状態が良いとは主張しないだろうと推測するからである。

 仮に内田氏が念頭に置いているような理想的な競争状態が、弁護士業界において可能ならば、私の戦った若手弁護士さんは、民法の基礎的条文、民事訴訟の基礎すら把握できていないのだから、当然淘汰の対象にされていなければならないはずであろう。
 しかし現実にはそうはなっていない。

 以前から、「弁護士も競争しろ」とマスコミも学者も主張するが、弁護士業界において、良い仕事をする弁護士が必ず生き残るという理想的な競争状態は、私に言わせればあり得ない。

 理由は簡単だ。

 依頼者(顧客)に、弁護士の仕事の質が判断できる能力がほとんど無いからである。香水のコンクールで、審査員が嗅覚が効かない人ばかりだとしたら、本当に優れた香水が優勝するとは限らないのと同じである。


 依頼者(原告)からすれば、何ら法的主張を具体的にしておらず、訴訟では実質的に意味のない書面であっても、被告をなじる内容が記載されていれば、被告に対する不満が裁判所に伝えられたと感じて、良い仕事をしてくれる弁護士だと判断してしまう場合も往々にしてあるのだ。
 
 確かに内田氏や大企業であれば、弁護士の良し悪しも判断可能であろう。
 しかし、大多数の国民は、内田氏のような弁護士の能力を判断する術を持たないのである。

 その状況下で、どんどん資格を与えて競争しろとは、あまりにも現実無視の無責任な発言としか思えない。

 

 それなら、医師についても同様に言ってみたらどうだ。

 医師も資格に甘えるな。
 医師資格は競争する資格を得たに過ぎない。
 医師になりたい人には、医学部卒でなくても、どんどん医師資格を与えて競争させれば、良い医師が残るはずだ。競争過程で医療過誤などで犠牲になった人がいても、それは仕方がない。その医師を選んだ人の自己責任だ。

 例えていうならこういう内容になるだろう。

 

 このような社会が正しいとは、私には到底思えないが。

(多分)夜のボーツェン駅、20年ほど前。

詐欺被害の返金請求についての雑感

 一つ考えて頂きたい問題がある。

 あなたは、残念ながら投資詐欺に引っかかり大金を相手に振り込んでしまった。

 急いで弁護士を探し、A・B弁護士2名に相談した。
 それぞれの弁護士の回答は次のとおりだった。

 A:「返金を受けられる可能性はあります。一緒に頑張りましょう!」

 B:「ご依頼されれば返金を受けられる可能性が若干高くなると思いますが、実際にお金が返ってくる可能性はそう高くはないですよ。」

 どちらの弁護士を信頼するべきであろうか。
 追って解説していく。

 先日、ロマンス詐欺の返金請求が出来るとして、広告会社に弁護士名義を貸して業務をさせた疑いで、大阪の某事務所が検察庁から家宅捜索を受けたとの報道があった。

 詳しい業務形態は知らないが、おそらく、


 ①広告会社が、弁護士名義を利用して「ロマンス詐欺返金に強い!」「多数の返金実績!」「相談無料!」等とインターネットで大々的に広告を行って集客する。場合によっては、○○法律事務所に依頼してみた、○○法律事務所は信頼出来るのか、等の体験談を偽造することもあるだろう。
 ②相談してきた顧客に、現実には殆ど返金可能性のない事案であっても「返金を受けられる可能性はあります」と説明して、契約させる。
 ③契約の着手金(契約時に弁護士に事件に入ってもらうために支払うお金)を支払わせて、その着手金の大部分を広告会社がピンハネする。
 ④弁護士としては、形作りとして簡単な請求を行う(当然ほとんど返金されない)。
という方法だったのではないかと思われる。

 相談者に対する説明や契約についても、弁護士が行わず広告会社が行っていた可能性もあるだろう。

 詐欺にも、投資詐欺、オレオレ詐欺、ロマンス詐欺などいろいろあるが、以前ブログに書いたが、詐欺に遭った際に詐欺犯から返金をうけられる可能性は相当低いと言っていい。

投資詐欺の相談 – 弁護士坂野真一のブログ (win-law.jp)

 ただ、詐欺に強いとネットやHP等で大々的にうたっている弁護士に相談してみると、

 「返金を受けられる可能性はありますよ。」

 と説明され、藁にもすがりたい依頼者の方は、「可能性があるのなら、、、」と契約して、着手金(契約時に弁護士に事件に入ってもらうために支払うお金)を支払ってしまう場合もあるのだろう。

 

 しかし、ちょっと待って欲しい。

 

 確かに、どんな事件でも、勝つ可能性がゼロということは、ほぼできない。

 したがって、詐欺案件で、弁護士から見て、ほとんどお金が帰ってくる可能性がない場合でも、返金を受けられる可能性がゼロではない以上、
弁護士としては

 A:「返金を受けられる可能性はあります。」
 B:「お金が返ってくる可能性は高くないですよ。」

 という2パターンの説明が可能なのだ。

 どちらが正直な回答かは、言うまでもないだろう。

 前述の、家宅捜索を受けた法律事務所はかなり多くの件数の依頼を受けていたそうだから、おそらくAの説明をしていたのだと考えられる。

 以上から、依頼者としてはA・Bどちらの説明をする弁護士を信頼すべきかといえば、正直な回答をしているBの弁護士だろうと、私は考える。

 とはいえ、本当にその弁護士が、詐欺犯から多額の金銭を取り戻す特殊なノウハウを有しており、実際に取り戻せる可能性が極めて高いのであれば、(かつての一部の過払金事務所が成功報酬制を取っていたように)着手金を取らなくても、完全成功報酬制で事件を受任していても十分ペイするはずである。
 したがって、仮にAの回答をしていても、完全成功報酬制を取っている弁護士・法律事務所であるならば、依頼してみるのもアリだとは思う。

 ただし、私がざっと見たところ、そのような弁護士・法律事務所は、見当たらないようであるが。

ベネチアの街角

「自由と正義」の不公平な提案?!

 先日、日弁連から、「自由と正義」(弁護士会員に毎月配布される雑誌)2月号が届いた。

 9頁から36頁まで、27頁にわたり特集記事が掲載されている。

 今回の特集記事は、題して、「弁護士のシニアライフプランを考える~日本弁護士国民年金基金のいま~」である。

 一読すれば分かるが、弁護士の老後の不安をあおり、日本弁護士国民年金基金(以下「弁護士年金基金」と略する。)への加入勧誘を行っている特集記事である。掛金が上がる可能性がある(実際に今年4月から掛金が上がるようである)ので、早期加入を心からお勧めする次第である、との記載もある。

 確かに自営業者である弁護士には、基本的には国民年金しかないし、退職金制度もない。老後に備えて、何らかの準備はどうしても必要である。しかも、ここ10年間で弁護士所得の中央値は25%以上下落している(本記事のp34参照)
 それにも関わらず、日弁連は弁護士人口に関しては、弁護士ニーズはたくさんあるので、司法試験合格者の減員を主張する必要はないと矛盾したことを述べていたようにも思うが、それはさておき、制度的にも弁護士業には老後の不安があることは、多くの普通の弁護士の悩みの種でもあるだろう。

 ただ、弁護士年金基金は、不平等な制度でもある。
 当初加入した弁護士の予定利率が5.5%
 現在加入する弁護士の予定利率は1.5%

 なのである。

 誤解を恐れず簡単に言えば、掛金が同じでも、当初加入した弁護士は5.5%で計算した利率を加算して年金をもらえるが、現在加入する弁護士は1.5%で計算した利率を加算した年金しかもらえないということだろう。

 本来であれば、同じ基金に加入している以上、同じ利率で年金をもらうのが公平なはずである。しかし、当初の高い予定利率を変更できないという説明が、フォントが小さくて読みにくい注釈19に目立たぬよう、記載されている。

 そして、当初の予定利率が高すぎることから、低い予定利率の新規加入弁護士が増えないと5.5%もの高率の予定利率を維持することはできない(仮に当初の予定利率5.5%が維持できるのであれば、新規加入弁護士の予定利率が1.5%に引き下げられるはずがない)状況のようである

 同じ大阪弁護士会の山中理司弁護士も、ブログでずいぶん前からこの問題点を詳細に指摘していた。

 弁護士年金基金への加入を勧めるということは、私なりに、口悪く言わせてもらえば、
 「先輩弁護士の高い年金を維持するために、若手弁護士は安い年金しかもらえない基金にどんどん加入して犠牲になってね」
ということではないのか。

 もちろん、特集を組んだ弁護士年金基金の理事者達は、おそらく高率の予定利率で弁護士年金基金に加入している方々であろうが、山中弁護士の指摘を気にしているらしく、国民年金基金も予定利率が不公平になっている点で同じだから致し方ないとの言い訳も記載されている。

 しかし、本当に弁護士の老後(シニア・ライフプラン)を心配しているのなら、新規加入者の犠牲もやむを得ないと開き直るのではなく、この不公平を改めるよう努力すること、不公平を改めた上で(若しくは不公平ではない制度で)加入を勧誘することを考えるか、年金基金について制度上公平に出来ないのなら、弁護士年金基金だけを紹介して勧誘するのではなく、他の老後資金の確保方法についても説明することではないのか。

 いくら弁護士の老後の心配を配慮するように見えても、新規加入者が不利な弁護士年金基金への加入を勧めるという日弁連の裏には、ご自身(及び先行者達)の高率の年金基金を維持したい、という狙いがあるように思えてならない。
 

とべ動物園のシロクマ「ピース」

※記事と写真は関係ありません。

吉田神社の節分祭~2024

 

 今年の2月2日~4日の間、吉田神社で節分祭が開催された。

 

 昨年もブログに記載したが、私は、ほぼ毎年吉田神社の節分祭でご祈祷を受けている。
 

 その際に、少しわがままだが可能な場合は、ご祈祷を担当されている方のうち、「鈴鹿さん」にご祈祷をお願いしている。

 幸運にも、今年も、鈴鹿さんにご祈祷をお願いすることが出来た。
 

 鈴鹿さんのご祈祷の素晴らしさは、2023年2月のブログに記載したので、そちらを参照されたい。

 弁護士という仕事は、他人様の社会生活で生じた不都合が飯の種であり、訴訟になったら、勝てば相手に恨まれ、負ければ味方に恨まれることが多い、かなり因果な商売でもある。
 因果な商売だけに、次第に、人の念や、何らかの塵芥(ちり・あくた)等の穢れが、まとわりついてしまっていても、おかしくはない。

 吉田神社の大元宮において、鈴鹿さんのお祓いで清めて頂くと、お祓い後の清々しい心持ちの大きさから、やっぱり、知らず知らずのうちに1年分の穢れが染みついてしまっていたのだな・・・ということを実感する。

 それと同時に、1年間の穢れを、一気に祓ってしまう鈴鹿さんのお祓いの効果の凄さに、私は、感じ入るのである。

 今年も鈴鹿さんに、穢れを祓って清めて頂き、素の自分に戻れたような清々しい心持ちを嬉しく思いつつ、私は、多くの参拝者で混雑している吉田神社を後にしたのだった。

雪の鴨川デルタ

※写真は記事とは関係ありません。

日弁連会長選挙に関する事前の雑感~3

 次に及川候補の選挙公報を見てみる。

 及川候補の選挙公報


 なぜ立候補したのか
 「司法改革」の誤りを正す!
 弁護士の仕事と生活を守る!
 第1 司法改革の誤りを正す!
 第2 会員の意見を汲み取る
 第3 人権を守る
 6つの重要政策 実現に向けて
 及川智志の経歴・活動

 と区分けして記載されている。

 弁護士の所得の中央値が2006年に1200万円だったものが、わずか8年後の2014年には600万円に半減しており、回復していないこと、
 2000年に約17000人だった弁護士数は、2022年には44000人に増加しているが、現在の司法試験合格者数を維持すれば、さらに弁護士数が増加して6万4000人を超えてしまうこと
 国選弁護制度や民事法律扶助(法テラス案件)のように、赤字案件を弁護士の善意に頼って実施させている政策の問題点などを指摘している。

 基本的に及川候補の主張は、客観的データを用いた主張であり、抽象的概括的な主張に過ぎない渕上候補の主張に比べると、現実の問題点を把握したうえで、それに対処しようとする説得的な主張が見受けられる。

 弁護士は基本的に見栄っ張りな人が多いので、なかなか本音を言わないが、年間所得が600万円程度に過ぎないのなら、大企業に就職していた方がよほど安心・安全な生活を送れる見込みが高い。資格取得に苦労と費用と時間がかかったあげく、弁護士の仕事は、他人の喧嘩を代わりにやる面もあるので、ストレスフルなものが多い。

 仮にうつ病になってしまえば収入はゼロ。収入がゼロでも、生きていくための生活費は当然かかる。ここまでは給与所得者の方と同じだが、さらに、経営者弁護士だと生活費に加えて事務所の経費が年間2000万円位は平気でぶっ飛んでいく。
 近年、企業内弁護士の志望者が多くなっていることには、弁護士業のリスクに対する不安の大きさも一つの理由だと考えられる。

 弁護士には、基本的には国民年金しかないし、健康保険も東京など健康保険組合を立ち上げている一部の弁護士会などを除けば、国民健康保険である。退職金制度もない。その分を貯蓄しておかなければ、余生は生活保護の危険すらあるのだ。

 それにも関わらず、日弁連主流派(大阪弁護士会執行部もそうだが)は、人権を守るために必要なら、本来国がやるべき制度であっても、その制度をとにかく実行したがる。そして、その制度が全くペイせず、弁護士会員に負担を押しつけるものであってもお構いなしなのである。
 そもそも国選弁護だって、国からもらえる報酬は諸外国よりも相当低く、私選弁護の1/5~1/10位しか支払われず、全くペイしない制度である。日弁連は、長年ずっと値上げを求めているが殆ど無視されており、弁護士の犠牲で成り立っている制度なのである。
 民事法律扶助(法テラス案件)、被疑者国選も同様である。

 医師会だって、無医村への医師派遣には、経済的にペイするかどうかをまず考える。医師だって職業だから当然である。私は、人権保障に必要でもまず経済的に成り立つかどうか考えてから実行すべきだと、いつも大阪弁護士会の常議員会で主張するのだが、とにかく、「人権保障に必要なら苦しくても日弁連や弁護士会が、自腹を切ってでもはじめるべきだ。いずれ国が分かってくれて制度化してくれる。法テラスや被疑者国選だってそうじゃないか。」と日弁連・大阪弁護士会執行部などは主張するのである。
 しかし、被疑者国選も法テラス案件も、制度化はされたものの、弁護士に支払われる対価は極めて安く抑えられており、全くペイしないのだ。人権保障には役立つが、経済的に見れば、弁護士に赤字と分かっている仕事を、さらなる犠牲を、押しつけただけなのである。

 日弁連や執行部が、「私たちは人権保障のためにこんなに素晴らしい制度を国民の皆様の為に実行しています!」と良い格好する裏で、実際に担当させられる弁護士は赤字案件をやらされることになるのである。

 確か前回の日弁連会長選挙の際に、法テラス案件を自ら担当して処理した経験があったのは、及川候補だけだった。日弁連主流派の候補者は、人権保障に役立つがペイしない法テラス案件を自ら処理した経験がなかったのである。

 おそらく、日弁連主流派や大阪弁護士会執行部等に所属してええ格好している弁護士の先生方の多くは、「弁護士が生活に困ることなどあり得ない。人権のために会費を使ってしまって不足しても、会費を値上げすれば良いのだ。」と現状を把握できずに旧来の弁護士像がいまだに維持されていると安易に考えているようにしか思えないのだ。

 渕上候補のことはよく知らないが、日弁連主流派が推している候補者であるし、これまでの日弁連主流派の政策を引き継ぐようなので、おそらく上記の方々と同様に考えている可能性が高いのかもしれない。
 及川候補は、弁護士の仕事と生活を守ることを公約に掲げているので、このような点についても切り込んでくれる可能性を秘めている。

 日弁連会長選挙は究極のどぶ板選挙で、例えば、「A弁護士はB弁護士に頭が上がらないからB弁護士から説得すればおちる。だからB弁護士に電話で説得させればいい。」というようなことが常時行われている。


 組織力だけでみれば、これまで日弁連の中枢を握ってきた主流派の圧勝である。
 そうであっても、主流派の圧倒的牙城の中で、弁護士の仕事と生活を守る点を掲げた及川候補がどれだけ得票できるか、私は注目している。

(この項終わり)

森の墓地(世界遺産~ストックホルム郊外)

※写真は記事とは関係ありません。

日弁連会長選挙に関する事前の雑感~2

(まず、私は公聴会に出席しておらず、選挙公報だけしか見ていないので、極めて雑駁な感想に過ぎないことを事前にご了解下さい。)

渕上候補者の選挙公報は、
はじめに
第1 立憲主義と恒久平和主義を守る
第2 市民の人権を守る
第3 司法の未来-裁判手続を中心に
第4 法の支配を社会のすみずみに
第5 弁護士自治を守り新たな弁護士会の未来を築く
終わりに

 と区分けされ、種々雑多な主張がなされているようであるが、ほぼこれまでの日弁連の政策の継承といってもよいと思われ、特段目新しい主張は見当たらないように読める。

 弁護士の仕事の安定等については、第4の中で、若手支援・活動領域の拡充のさらなる推進の項目で少し触れられているくらいである。
 一方、渕上候補は、司法過疎・偏在の解消を目指すこと、司法試験合格者1500名を当面維持することを明言しており、弁護士の生活の安定に向けた施策はあまり考えていないように思われる。

 若手の支援も明記されているが、そもそも弁護士業が安定して収入を上げられる職業であり、右肩上がりなら、若手の支援など敢えて主張する必要はないのである。現に私が弁護士に成り立ての頃は、若手支援を声高に主張する役員は1人もいなかったと記憶している。
 つまり、若手支援の必要性を主張することは、実際には弁護士業がそう安定しておらず、見通しが明るくはないという現状の裏返しなのである

 この点に関して、渕上候補の主張として弁護士業を安定させる方向性の施策には、中小企業支援や自治体連携など、たいして目新しいモノはない。
 私が弁護士になった、四半世紀近くも前の頃から中小企業支援や自治体連携による業務拡大はずっといわれ続けてきている。しかし、実際には、大して実現されていない(実現されていれば渕上候補が敢えて業務拡大策として主張するはずがない)のである。

 だから私に言わせれば、渕上候補の主張する業務拡大施策は、絵に描いた餅でしかないのである。

 そもそも、日弁連執行部などは、無料法律相談の希望者が、たくさんいるから潜在的弁護士需要はたくさんある、等というわけの分からん理屈を振り回すこともあったと記憶している。
 そもそもタクシー会社で、取締役が、「たくさんの人がバス停に並んでいるし、駅にも電車に乗る人がたくさん並んでいるからから、タクシー需要はある。」と主張したら、アホかと言われ、クビになるだろう。
 タクシー料金を支払ってでもタクシーを利用する人が、タクシー需要なのであり、無料や、タクシーがペイしないバス料金・電車の料金と同じくらいの安さならタクシーに乗りたいという人については、タクシー需要ではないのである。

 弁護士の需要だって同じである。

 もっとひどい言い方をすれば、先行する弁護士たちが肥沃な大地や金鉱を先に押さえてしまってから、若手に対して、(自分はやらんけど)荒れ地でもやり方次第で商売になると思うから少し支援する、(ペイしないから自分はやらんけど)海には大量の金が溶け込んでいるから取り出せば儲かるかもしれんので少し支援する、等といっているように聞こえて仕方がない。

 以上から、渕上候補は、弁護士の需要、弁護士の生活の安定について、キチンと把握・対応せずに、今後2年間の、日弁連のかじ取りをしようとしていることは明らかではないかと考えられる。

 それでいて、渕上候補は法曹志願者を増やす必要があるとして、仕事のやり甲斐をアピールするなどの方策を掲げるが、その施策は弁護士会費の無駄使いだと私は思う。

 旧司法試験は、合格率が2%を切ることもあったが、ほぼ一貫して志願者は増え続けていた。旧司法試験合格は人生のプラチナチケットと呼ばれたこともあったが、その頃に、日弁連や裁判所が法律家の仕事のやり甲斐をアピールして、志願者を増やそうとしていたことなどないのである(少なくとも私は知らない)。

 ところが、新司法試験は合格者を増やし合格率が桁違いに跳ね上がったにもかかわらず、志願者の減少傾向がなかなか止まらない。

 その原因は簡単だ。資格の濫発により、法曹資格の価値が下がったことから、人気が失われたのである。それだけの合格者を出さないと法科大学院が維持できないという裏の理由もあったのであろう。

 
 現在の国家資格で食っていける確率が最も高いのは医師資格であり、医師資格は資格の価値が高いのである。そのように価値が高い資格は、どれだけ取得難易度が上がろうと志願者は増大する傾向にあることが多い。旧司法試験の志願者増加傾向や、現在の医学部人気を見れば分かるであろう。

 人は、自らの一生をどの仕事に費やすかについては、慎重に検討することが多い。

 ある仕事に、どれだけのやり甲斐があっても、やり甲斐だけでは生活できないから、その仕事の将来性も検討することになる。
 その検討中に、裁判件数の減少、今後の人口減少、弁護士数の激増等という状況が揃えば、弁護士業界が右肩上がりであるとは、とてもいえまい。

 このように、法曹志願者減少問題は、仕事のやり甲斐などをアピールするだけで解消される問題ではない。むしろそのようなアピールに騙されて法律家を目指すようでは、現状把握能力に問題ありと言われても仕方がない。
 既に、大学も、法科大学院も、文科省も、日弁連も、法曹志願者が減少してから、何年もそのようなアピール活動を実施しては、失敗し続けているのである。

 弁護士会員の貴重な会費を、そのような無駄な自己満足的な施策に用いて欲しくはないのである。

(続く)

日弁連会長選挙に関する事前の雑感~1

 来る2月9日に、令和6年度・7年度の日弁連会長選挙が行われる。

 立候補者は、2名。
 東京弁護士会の渕上玲子氏、千葉県弁護士会所属の及川智志氏だ。

 一言で言えば、渕上氏は旧来の日弁連主流派であり、渕上氏が日弁連会長になっても、これまでの日弁連と何~にも変わらない2年間となるだろう。
 及川氏は、日弁連主流派ではないので、及川氏が日弁連会長になれば、これまでと違う日弁連が誕生する可能性はある。

 選挙結果の予想としては、おそらく、主流派の渕上氏が勝利する可能性が高いだろうが、どこまで及川氏が得票できるかは一つの見所である。

 私の見たところ、これまで日弁連の会長選挙で反主流派として勝利を収め日弁連会長に就いたのは、宇都宮健児元会長だけではないかと思う(もちろん主流派内部での争いはあっただろう)。

 宇都宮元会長は、弁護士の貧困につながる弁護士人口激増問題にも誠実に向き合い、各地から意見を求めるための会合を開き、できるだけ公平に意見を容れて検討していた。
 私も委員として何度も東京に出かけたが、極めて活発な議論が交わされていた。

 日弁連主流派弁護士たちの、
 「弁護士が食うに困るはずがないだろう。現にオレは困っていないし、弁護士を激増させても問題ない。法科大学院制度を否定したら、日弁連執行部が間違った判断をしたことを認めることになるじゃないか・・・」
 という現実無視の極めて自己中心的な超楽観論に対し、及川氏も委員として、裁判件数の減少、弁護士の所得減少の実態など、客観的な証拠を根拠に積極的に反論していた。

 結局、宇都宮元会長は、日弁連改革のために再選を目指したが大激戦の末、敗れ、再度主流派が日弁連執行部を把握した。

 私にいわせれば、その後、主流派は、旧来の日弁連主流派(執行部)の施策を当然のように無批判かつ盲目的に実行し続けてきたようにしか見えない。

 例えていうなら、近年は気温が低く、近くまで氷山が流れてきている可能性があるし、現にいくつか氷山が見えているくらいだから、南側航路を選ぶべきだし、せめて速度を落として航行すべきじゃないのか、と豪華客船(日弁連)の多くの船員が感じている状況であるにもかかわらず、船長(日弁連主流派)は、北側航路を運航することは以前に決めたことだし、氷山なんてどうせたいしたことない、とその意見に取り合わず、猛スピードで氷山の漂う海をばく進している状況に見えるのである。
 タイタニックがその後どうなったかは、皆さんご存知のとおりである。

 その間、民事裁判件数は減少し、刑事少年事件も激減している。それにも関わらず、弁護士数の激増は止まらず、弁護士の所得の下落傾向も止まらず、弁護士の資格の価値下落を生じさせ、法曹志願者の激減を招いていることは、現に生じているところである。

 弁護士といえども、職業である。
 職業は、自らの価値を実現する場であると同時に、生活の糧を得る場でもある。弁護士業によって、自らと家族の生活を支えなければならないのである。

 日弁連会長は、理想を語りその実現を目指すのも良いが、それにはまず、理想の実現をになう働き手たる日弁連会員(弁護士)の生活が安定してからのことだろう。

 ちなみに、裁判所データブック2023(法曹会)によれば、
 令和4年の地方裁判所の民事通常訴訟事件の新受件数は126,664件にすぎない。この数字は、平成4年の同じ事件の新受件数(129,437件)以降の30年間で最低の数である。
 端的に言えば、地方裁判所に1年間で持ち込まれる民事裁判の数は、30年前よりも少なくなっているのである。

 ちなみに平成4年の弁護士数は14,706人、令和4年の弁護士数は42,937名である。

 弁護士一人あたりの事件数にすると、平成4年では8.8件、令和4年では2.95件であり、約76%の減少になっているのだ。

 さらにいえば、刑事事件(人)は、平成4年1,701,470(人)→令和4年で812,872(人)と人数にして53%減少。弁護士一人あたりにすれば、84%の減少だ。

 家事事件は増加しているものの、少年事件(人)については、平成4年402,231人→令和4年45,740人と、人数にして88.6%の減少。弁護士一人あたりにすれば96%の減少だ。

 さて、この現状を踏まえたうえで、渕上候補者、及川候補者が選挙公報で、どう言っているのかをみてみたい。

(続く)

サモトラケのニケ(ルーブル美術館)

※写真は記事とは関係ありません。

法科大学院は非効率!?~2

(続きです)

 まず、法科大学院推進論者は、やたらめったら、「プロセスによる教育」が法曹養成に必要不可欠だと主張するが、「プロセスによる教育」が具体的に何を意味するものであるかについてあまり明確にされていないし、また、本当に法曹養成に必要不可欠なのかについては、推進論者が適当且つ勝手に主張しているだけで、誰も証明できていない。

 それどころか、日本の大手法律事務所は、法科大学院におけるプロセスによる教育を経ていない、予備試験合格ルートの司法試験合格者を優先して採用している。裁判官、検察官にも予備試験合格ルートの司法試験合格者がかなりの数で採用されている。


 仮に、プロセスによる教育が本当に法律実務家養成に必要不可欠なのであれば、実務界が、プロセスによる教育を経ていない予備試験ルートの司法試験合格者を奪い合うはずがないではないか。
 このような実情から見ても、法曹養成にプロセスによる教育が必要不可欠だとの主張は根拠が全くないどころか、実務界では法科大学院の主張するプロセスによる教育は、全く評価されていないといわれても仕方がない。

 その点を措くとしても、仮に「プロセスによる教育」が、手間暇かけた双方向性の小人数教育を意味するのであれば、私の受けた旧司法試験制度下の司法修習制度はまさに「プロセスによる教育」だった。


 60人程度のクラスに5名の担当教官がつき、起案の添削や講評など、一体教官はいつ寝ているのかと思うほど、丁寧かつ双方向性を維持しつつ手塩にかけた教育を施してくれた。各実務庁でも丁寧に双方向性の高い実務教育をして頂いた。
 この司法修習制度は、当初2年だったが、途中で1年半となり、現在は1年に短縮されている。

 仮に上記の意味での「プロセスによる教育」が、法曹養成に必要不可欠であったとしても、それは司法修習制度でも実現出来ていた教育なのであるから、法科大学院教育の専売特許ではないのである。

 近時、法科大学院を修了させることなく、法科大学院在学中の司法試験受験を認める制度改正が行われたが、これは、法科大学院によるプロセスによる教育が完了していない状態で司法試験を受験させることであり、法科大学院が主張してきた「プロセスによる教育」それ自体が大して意味がないことを自ら認めていることと同義である。

 さらにいえば、法科大学院卒業生が多数を占める司法試験受験者の中で、いまだに論点暗記勉強しかしていないと思われる答案が続出していることが、司法試験の採点実感等において明らかにされている。法科大学院の主張する、プロセスによる教育の結果が、司法制度改革時に避けるべきと強調された論点暗記勉強として結実していることは、実に皮肉である。

 そうだとすれば、法科大学院の存在意義はどこにあるのか。

 法曹教育に関与する権限を得た文科省の既得権の維持、少子高齢化のなかで将来的な学生の確保に汲々としていた大学側及びその関係者の権益の維持、くらいしか考えられないのではないか。


 その権益維持のために、文科省、法科大学院等特別委員会、法務省は、小手先で制度をあれこれいじることに20年も注力し続け(いまだに法科大学院の教育方法、教育内容等について改善が必要であることは、司法試験の採点実感で指摘され続けている。)、法曹志願者に不安を与え続けてきたのである。

 日弁連執行部は、未だ法科大学院礼賛の意見のようだが、導入に賛成した以前の執行部の失態を糊塗するために、法科大学院教育の問題点を無視するのではなく、現実を見て正しい判断をすべきと考える。

 君子は豹変す、というではないか。

 正しい道に戻れないのであれば、日弁連執行部は少なくとも君子ではないというほかない。

(この項終わり)

法科大学院は非効率!?~1

一つ例え話をする。

 あなたが費用を出して、農家の方に、稲の栽培を依頼すると仮定する。

a 種もみを一面、田んぼに撒いて、芽を出すか分からない全ての種もみに対して手間とお金をかけて育てさせる、
b 種もみを苗代に播いて、芽を出してきた中から生育の良い稲を選んで、その稲を田んぼに植えて、手間とお金をかけて育てさせる、

 どちらが効率的だろうか。

 こんな簡単な問題、馬鹿にするな、とお考えかもしれない。
 まあ、おそらく99%以上の方は、bの方が効率的だと考えるだろう。

 aのように、全ての種もみに手間とお金をかけて育てようとすることは当然費用は高くつく。発芽しなかった種もみにかけた手間とお金は、完全に無駄になるうえ、発芽してきた稲に対してもbと同様の手間と費用がかかるからだ。
 したがって、bのように、自ら発芽し、より成長する能力を見せた稲を選抜して、その稲に手間とお金をかけた方が、より効率的に優れた稲を育てることが可能と考えられるはずである。

 ところが、これを法曹養成制度に当てはめて考えると、次のようになる。

① 法律実務家として十分な法的能力を身に付けられるかどうか全く未知数の学生に対して、税金を投じた法科大学院に入学させて教育を施し司法試験合格を目指す。さらに合格後に短い司法修習を行う。
② 司法試験を実施し、法律実務家として耐えうる法的能力を身に付けたことをはっきり示した合格者を、司法修習制度で税金をかけてじっくり丁寧に育てる。

 かなり図式化しているが、①は現状の法科大学院制度であり、②は、旧司法試験制度と考えていい。

 日本のように限られた財政のもとで、優秀な法律家を効率的に養成しようと思えば、法科大学院に税金を投入する①の方法よりも、司法試験合格者に税金を投入する②の方策の方がはるかに有効且つ妥当であろう。

 この点、法科大学院推進者からは、「法曹養成にはプロセスによる教育が必要不可欠であり、法科大学院はそのプロセスなのだ」との反論がくるだろうから、一言述べる。

〔続く〕

無駄無駄無駄無駄・・・・

 ある会社の取締役が、こういう機械を導入して製造すれば、これまで以上に優秀な製品をたくさん生産できると豪語したので、費用を投入して取締役の主張する機械を導入した。ところが、導入した機械は、その取締役の豪語するような性能を発揮するどころか機能不全を起こし、機械の半数以上が壊れた状態になっている。
 しかもその取締役は、機械導入から20年近く経っても成果が上がらず惨状が明らかになっているにも関わらず、機械が上手く動けば上手く行くはずだと言って、機械をあれこれいじるだけで何ら結果を出せていない。

 さて、このような取締役はどう扱われるのが正しいだろうか。

 会社の話であれば、このような取締役は、当然責任を取らされて、クビになっているはずだ。会社のお金を無駄に使われれば、株主だって黙っていないだろう。

 ところで、この話を法科大学院制度に変えて見るとこうなる。

 法科大学院導入(推進)論者が、法科大学院制度を導入して法曹養成を行えばこれまで以上に優秀な法曹をたくさん生み出せると豪語したので、国は、多額の税金を投入して法科大学院導入論者が主張する法科大学院制度を導入した。ところが、法科大学院制度は、導入論者が豪語したような効果を発揮できず(司法試験合格率に関して、予備試験ルートは約95%、法科大学院卒業者は約40%未満)、半数以上の法科大学院が潰れている。
 しかも、法科大学院導入論者は、法科大学院制度導入から20年近く経っても優秀な法曹を生み出すという成果をあげられず(司法試験合格率で予備試験ルートに大差をつけられ惨敗状態)、惨状が明らかになっているにもかかわらず、制度をいじれば上手く行くはずだと言って、法科大学院制度をあれこれいじるだけで何ら結果を出せていない。

 このような法科大学院推進論者は、当然責任を取らされてクビになっていなければならないのではないか。多額の税金を使われた国民だって、事実を知れば黙っていないだろう。
 しかし、現実には、法科大学院推進派の学者と実務家が雁首揃えて、法科大学院制度をあれこれいじることに注力し、司法試験受験生に不安を与え続けている(文科省、法科大学院等特別委員会など。)

 ちなみに、司法試験予備試験は、法科大学院課程を修了した者と同等の学識及びその応用能力並びに法律に関する実務の基礎的素養を有するかどうかを判定する目的で実施されている(司法試験法5条参照)。
 つまり、司法試験予備試験合格レベルは、国が想定する法科大学院修了者と同レベルなのであり、法科大学院教育がキチンとなされているのであれば、司法試験の合格率において、予備試験組と法科大学院修了者組とで大きな差が生じるはずがないのである。

 荒木飛呂彦先生の漫画ではないが、「無駄無駄無駄無駄・・・・」と言いたくなるときもある。