関根弘江 日本ツアー JAZZ LIVE

 関根さんご夫妻にお会いしたのは、既に北極圏にかなり入り込んだ、ノルウェーのトロムソ郊外にある、犬ぞりとオーロラ観測の施設だった。

 私は、お目当ての夜間犬ぞりツアーに参加し、関根さんご夫妻は、施設に留まりオーロラ観測を選択されていた。残念ながら、オーロラ観測は出来なかったようだが、トロムソ市街に戻るバスの中で、いろいろお話を聞くことが出来た。

 関根さんのご主人はアメリカで会社経営をされている。奥さんは、ピアニストであると聞いていた。

 ご主人がMr.SEKAI(ミスター・世界)と異名をとるほどの方で、世界各国・各地域を数多く訪問するのがご趣味とのこと。今回の旅行は、トロムソまで沿岸急行船でやってこられて、トロムソで飛行機に乗り換え、最終目的地はスバールバルド諸島と仰っていた。(スバールバルド諸島はノルウェー領だがノルウェーの国と異なり、1地域とみなされるのだそうだ。)

 その関根夫妻の奥さんでいらっしゃる、関根弘江さんは、既にアメリカで昨年秋にジャズピアニストとしてCDデビューされている。昨年、一度ご夫妻で京都に来られた際に、一緒に食事をし、発売されたばかりのCDを頂いた。普段は全くジャズを聴かない私だが、愛車のHDに取り込んで、食事のあと、弘江さんをホテルまでお送りしながら聞かせて頂いた。

 ちなみに、食事時には、ご主人はパーティジョークを連発して場を盛り上げ、弘江さんは明るい性格と楽しい話術で参加者を飽きさせない方だった。自然に優しい気配りが出来、それを、相手に意識させることなく、さりげなく表現できる素敵な方だった。

 もちろん、ご本人だけではなく、CDに収録されている曲も、弘江さんの素晴らしい人柄に裏打ちされた素敵な作品となっていた。

 その関根弘江さんが、7/13~7/16に日本(柏・六本木・横浜・池袋)でライブ・ツアーを開催する。

(詳細は下記のHPをご参照ください。)

 http://www.sekaimusic.com/news/

 私としては、ちょっと仕事の関係で、弘江さんの生演奏が聴けないのは残念だが、アメリカのジャズレビューでも評論家に絶賛されたそうで、ご主人の正和さんによるとかなりの盛況が予想されているらしい。

 ご予約は是非お早めにということだ。

 お近くにお住まいの方は是非、弘江さんの素晴らしい音楽に浸ってみてはいかがだろうか。

現在の京都大学グライダー部

 私は大学時代、京大の体育会グライダー部に所属していた。

 当時は大体一学年8~10人くらいであり、私たちの1年先輩の方だけが5名という陣容だった。

 グライダーの訓練には人手がかかる。グライダーを組み立てるだけでも、胴体を支える人間として最低2名、グライダーの翼を支える人間が最低2名、グライダーの翼を胴体に結合させるピンを入れる人間が1名。最低でも5~6名は必要だったと記憶している。

 先日届いた、京大グライダー部の活動報告紙「洛風」によれば、現在の京大グライダー部の人員は4回生3名、3回生1名、2回生1名、1回生3名の合計8名しかないようだ。人数だけ見ればかなり危機的な状況といえそうだ。

 私の時代と比較して、空の魅力やグライダー自体の魅力が落ちたとは思えないから、学生の意欲が下がっているのが原因なのかもしれない。さらにいえば、不景気の長期化による学生の経済的困窮もきっと一因だろう。

 今になって思うが、大学時代には大学時代にしかできない活動をしておくことは将来的には大きな財産となるように思う。確かに費用の問題も考えられるが、学生時代にしかできない貴重な体験は、お金に換えがたい価値がある。

 しかも、グライダーに乗って空を飛びたいという人間は、結構、根はいい奴が多い。もともと空を飛びたいと考えるのは、かなりのロマンチストでもある。

ただ、グライダーを飛ばすのはみんなの協力が必要だ。皆の協力があって初めてできるスポーツだ。つまり、自分だけ良ければいいという人間では、グライダー部を続けていけない。 

 だから、グライダー部で一緒に過ごした奴は、総合評価しても良い奴が多いように思う。今でも時々、同期の連中と会うが、やはり楽しい。確かに活動費用はある程度かかるが、それとてアルバイトで十分カバーできる範囲だ。

 素晴らしい友人と出会える可能性がある機会だけではなく、人生で唯一かもしれない経験ができる機会があるのだから、是非、京都大学の新入生はチャレンジして頂きたい。

 今後の進入部員が少しでも増えて、京大グライダー部の活動が活発になることを期待したい。

映画~私を離さないで

 ある治療法が確立されて、人間の平均寿命が100歳にも伸びたイギリス社会が舞台。外界から隔離された寄宿学校「ヘイルシャム」に、幼い頃からいつも一緒に過ごしてきたキャシー、ルース、トミーの3人がいた。彼らにはある目的のために生まれてきたという、知らされていない秘密があった・・・・・。

(ネタバレにつながる内容がありますので、以下を読まれる方はご注意!)

 (この映画は、一度だけしか見ていないので、次に見た際には違う感想を持つかもしれないことを予め、お断りしておきます。)

 私の記憶は、いつからはじまったのか。

 私自身の記憶は、1~2歳くらいまでが完全に抜け落ち、3歳くらいからおぼろげに記憶が残っているような気がする。記憶が次第にはっきりしてくるのは、4~5歳くらいの保育園の頃からかもしれない。その記憶は、アルバムに残された色あせた写真から私自身が再構成した記憶なのか、オリジナルの記憶なのかはっきりしない。しかし、その記憶がないことが真実を知るまでは却って良いこともあるのかもしれない。

 この映画の主人公の記憶も、寄宿舎で同年代の子供達と生活しているところからはじまる。

 異常に健康に気を使い、決して外界に出ないようにして生活させられる子供達、子供達に取り付けられているセンサーを見れば、その時点でまさかとは思うが、ある残酷な運命が思い浮かぶはずだ。子供達は、そのようなことを微塵も感じさせずに、生きていく。そしてある程度の年齢に達し、自らを待ち受ける運命に気付いていく。

 その子供達を、映画は、美しい風景と一緒に描いていく。不思議なことに、思い返すとこの映画の中では、どんなに風が吹いていても、そこには静かな風景があったように、私には感じるのだ。

 山も海も、いや夜空に輝く星ですらも、いずれ、自らの意思と無関係に滅びる運命にあるという点で全ては同じだ。

 しかし、滅びに至る過程で他の意図が働いているとしたらどうだろう。いや、滅びに至る過程で他の意図を働かせるために、故意に生まれさせられた存在ならどうだろうか。子供達と一緒に映される美しい自然や風景は、ときが来ればいずれ滅びる。しかしこの子供達は、運命が本来定めたときに滅びることは許されない宿命を背負わされている。そうであるがゆえ、出入り業者などは子供達に普通とは違う視線を投げかける。子供達は成長するにつれ宿命を知り、宿命から逃れることが出来そうな状況にありながら、わずかな希望(それとて宿命から逃れることを意味しない)に期待をかけつつ、従容として宿命に従っていく。

 この子供達は、映画の設定どおりの存在であるだけではなく、世代間搾取や解決できない問題の先送りで被害に遭うであろう未来の世代の描写であり、現に国家間搾取で被害に遭っている国の姿の描写でもあるのだろう。

 彼らは、ただ、好きな人と、愛せる人と、一緒に過ごしたいだけだった。人間として当たり前の時間を過ごしたかっただけなのだ。少なくとも私たちの日常の社会では、実現することはさして難しくない、ほんのささやかな、望みだったはずだ。

 しかし、それは、彼らには、許されなかった。

 彼らに、それを許さなかったのは、彼らの存在していた社会の仕組みのせいだけではなく、本当は、現代社会に生きている私たち、1人1人の心のせいではなかったのか。

 答えの出そうもない、そのような疑問を、美しく静かな映像とともに投げかけてくれた映画だった。

 ブレードランナーやスカイ・クロラがお好きな方には、お勧めできる映画だと思います。 

映画「キック・アス」

 特殊能力ゼロ・モテ度ゼロ・体力微妙、あるのは正義の心だけ。

 そんな普通の少年が、通販で購入した覆面つきのウエットスーツを着用して、街にはびこる悪を退治に乗り出した。気持ちだけは無敵のヒーロー、その名は「キック・アス」。

 ところが・・・・・・。

 当事務所の久保弁護士から、「面白いですよ」と勧められて、先週末、見てきました。映画を公開している劇場が少ないため、見るには多少手間がかかるかもしれません。私も、上映30分前に劇場に行ったのですが、立ち見席しかないといわれ、次の上映にせざるを得ませんでした。

 しかし、それだけの価値はある映画かもしれません。

 暴力シーン等に過激な部分があるため、確か、R-15指定にされていたはずですが、私としては、中高生に見てもらっても良いのではないかと思いました。

 おそらく、ハリーポッターが大ヒットした際に、どうして自分のところにホグワーツから手紙が来ないんだ、自分ならハリー以上にやれるし、やってみせるのに、と多くの子供が思ったでしょう。しかし、いつまでたってもホグワーツからは手紙は来ません。多くの子供がそう願いつつも小説や映画の世界は実現できる世界ではありません。子供達も次第に現実を受け入れていきます。

 スーパーヒーローの世界も同じです。

 正義の心だけでは、現実社会は乗り切れません。現実の悪は退治できません。
 正義の心だけでは乗り切れない、辛く切ない現実社会ではあるけれど、一生懸命勇気を出して進んでいれば、本物にも通じる何かが宿るかもしれない、ひょっとすれば本物に近づけるかもしれない。
 現実にはあり得ないお話ですが、そんな気にちょっとだけさせてくれる作品です。

 作品を見て頂ければお分かりになりますが、闇雲に棒を振り回すだけの「キック・アス」より、遥かに素晴らしいアクションシーンを演じている「ヒット・ガール」(きっと人気が出るでしょう)の方がむしろ主人公なのでは、と言えなくもありません。しかし、作品の最後の方でやはり主人公は「キックアス」で良いのだと納得される方が多いでしょう。

 見ることができなかった方のために、DVDの発売も予定されているそうです。
 

サモトラケのニケ~2

 ギリシャのサモトラケ(サモトラキ)島で発掘されたこの彫像は、勝利の女神ニケをモチーフにしたものだ。

 スポーツメーカーのナイキは、この女神の名NIKEから取られている。

 まさに飛び立たんと、翼を広げたその余りにも優美な姿は、見る者の心を奪うのに十分な美しさを持っている。

 衣服により表現された、吹き渡る風、飛び立つために大きく広げられたその両の翼。その翼の、わずか一度の羽ばたきで、地上の全てを消し去り、光すら置いてきぼりにし、幾千の歳月をかけ虚空を旅してくる星々の光と戯れることすらできてしまう飛翔が可能なのではないかとすら思われる。

 しかし、そのような飛翔がおそらく可能であると思わせながら、ニケは、微動だにしない姿を私達に見せている。

 まるで、全能なる神が、何らかの意図で、まさに飛び立とうとするその瞬間で時間を止めたかのようだ。

 そう考えていくと、展示場所もなかなかニクイ。天窓から自然光が差し込む「ダリュの階段の踊り場」に展示されている。

 上手くは言えないが、ホンの軽いひと羽ばたきで、光溢れる自由な天空へ脱出が可能でありながら、全能なる神によってまさにその瞬間に飛翔を止められてしまったニケを、天空とわずかに窓一枚隔てた場所に安置することにより、ニケに限りなく空に近い場所を与え、ニケの魂を鎮めようとしたのか、あるいは、ニケの羽ばたきで消し去られる可能性のある地上の崩壊を全能の神の気まぐれで阻止できた人類の安堵の思いがそうさせたのか、彫刻を見ながら様々な思いにふけることが出来るのだ。

 実は、この像については、右腕も発掘され、ルーブル美術館で保管されているらしい。

 そうなると、冷静に考えて、この彫像は、現実的には不完全すぎる像だ、と言えなくもない。発掘された右腕はつけられていないし、なにより、現状でも女神の頭・両腕が欠けているからだ。

 しかし、ニケから受ける印象は完全なる優美な躍動と美、そして(私だけかもしれないが)限りない静寂と孤独だ。

 不完全なのに美、むしろ、不完全であるがゆえの完全な美、ひょっとしたら、完全にパーツのそろったニケ像を見た神は、不要な部分を消し去ろうとしていたのではないか、ニケ像を、ずっと完成時のまま安置させ続けるのではなく、後に発掘される状況に置くことにより事後的に完全な美として完成させようとしていたのではないか、とすら思える。そうなると、右腕を敢えて修復しないルーブル美術館の判断は、さすがだといわざるをえない。

 これだけ書いても、私がニケ像を見ていて感じ・考えていたことの10分の1すらも、お伝えできていない。いつもながら、言葉は芸術の前には無力だと思い知らされる。

 ルーブルに行かれる機会のある方には、是非ご覧になって頂きたい彫刻だ。

 ※これは、あくまで坂野が個人的に感じた印象であり、専門家の方の分析と全く異なっていることも十分あり得ますし、全く間違っている可能性すらあります。でも、芸術って、人それぞれの受け取り方ですよね。

サモトラケのニケ~1

 行ったことのある方はご存じだろうが、パリのルーブル美術館には、それこそ数え切れない美術品が展示されている。ミロのビーナス、モナリザなどは、出遅れると人垣の間からのぞき見なければならなくなることもある。

 ただ、ルーブル美術館は意外と太っ腹で、フラッシュをたかないのであれば、写真撮影は自由にできる。おそらくアメリカ人と思われる観光客のうち何人かは、わざとか否かは不明だが、フラッシュをたいて撮影している者もいた。周囲は、非難するように見つめていたので、決して真似しない方が良いだろう。

 あまりの美術品の多さに、すべてを見ることは普通の観光客には、はっきり言って無理なので、事前に自分の見るべき美術品を予習していく方が無難だと思う。また、場合によれば、午後若干遅めの方がすいているかもしれない。

・・・というのが私の失敗から学んだ、教訓だ。

 私は、ルーブルでは、とにかく、勝利の女神であるニケの像を見ようと思っていたので、まずそちらを目指した。

 最初の難関は、入り口だ。有名なガラスピラミッドに入り口はあるが、そこまで長蛇の列だ。今考えれば別の入り口から入れば良かったのだが、そこは完全に予習不足だった。馬鹿正直に、並んだため、ガラスピラミッドにたどり着くまで1時間あまり、さらにそこで荷物検査を受けて、地下のチケット売り場で、チケットを購入するまで30分ほど並ぶことになってしまった。

 サモトラケのニケ像は、おそらく、ルーブルでも5指に入る人気の展示物なので、ニケ像の写真と矢印で、展示場所へのルートを示す、特別の案内板が出ていた。

 それでも、あまりに広いルーブルの中を若干迷いながら、私はニケ像を目指した。

(続く)

ジャグラー、「Ty Tojo(タイ・トージョー)」

 ステージでは、サーカス団長がマイクを持って、外国語で、次に登場するパフォーマーの紹介を続けていた。

 外国語がからっきしの私でも、団長の説明がドイツ語であることくらいはわかる。間違いなく英語ではないし、なんといっても、このサーカスが本拠地を構えているのは、ここ、ドイツのミュンヘンだからだ。子供たちと子供連れで埋まっているこのサーカスで、スペイン語の解説をやるはずがないだろう。

 今回で、4度目になるが、私は飽きもせずに、ミュンヘンを拠点とする、お気に入りのクローネ・サーカスの見物にきていたのである。

 以前ブログに書いたかもしれないが、クローネ・サーカスには、CMで見たシルク・ド・ソレイユのような、ど派手な演出まではないように思う。

 しかし、毎回の舞台に工夫が凝らされ、子供たちを楽しませることにかけては、どこのサーカスにも引けをとらない。なにより、サーカスは華やかな夢の舞台であることが良い。昔から日本にあるように、子供に向かって「悪いことをしたらサーカスに売るよ。」といった何となくうらぶれた感じが全くないのが良い。

 映画「ロザリンとライオン」(だったかな?)に出てきた、ケーニッヒ・サーカスも、(あんな大人向きのプログラムがあったのかは忘れたが)おそらくクローネサーカスを下敷きにしていたのではないかと思ったことがあるくらいだ。

そこに、突然私でも理解できる単語が耳に飛び込んできた。

「・・・・・・・フロム、ヤパン、タイ・トージョー!」

 これはっ!

 ステージに走り出してきた、黒髪の少年。

 間違いない、日本人の少年なんだ。

 少年といっても、わずか10歳か、せいぜい12歳くらいだ。

 少年はにこやかな笑みを浮かべつつ、すばらしいジャグリングの技をいくつも披露する。会場内には、彼の演技にあわせて、手拍子も自然とわき起こり、演技終了と同時に拍手と喝采がやまない。

 私は、この世界に詳しいわけではないが、きっと、彼はすでに世界屈指のジャグラーといっても、罰は当たらないのではないか。

 一度、ステージから走って引っ込もうとした彼を、途中で団長が呼び止め、再度ステージで挨拶をさせているのが、初々しい感じを受けた。

 彼のすばらしいジャグリングの腕前は、下記のリンクから動画で見ることもできるので、紹介しておきます。

http://www.legacyjp.com/jugglers.html

映画 「Space Battleship YAMATO」(スペース・バトルシップ・ヤマト)

 「無限に広がる大宇宙」の台詞で始まり、

 「ヤマトよ、地球は君たちの帰りだけを待っているのだ。地球滅亡の日まであと○○○日」の台詞で終わるのが、TV版宇宙戦艦ヤマトだった。火星での雪、木星浮遊大陸、冥王星反射衛星砲、バラン星の戦い、七色星団でのドメル将軍との戦いなど、様々な印象に残る激闘を突破して、二重惑星ガミラスとイスカンダルに到達。ガミラスの捨て身の攻撃を、沖田艦長の海底火山脈を波動砲で打ち抜くという奇策で勝ち抜き、廃墟と化したガミラス星で、「我々は戦うべきではなかったのではないか、許し合うべきだったのではないか」と苦悩するヤマト乗組員たち。

 そのTV版をリアルタイムで見て、さらに、映画版「さらば宇宙戦艦ヤマト~愛の戦士たち」で滂沱の涙を流した経験を持つ私としては、実写でヤマトをやるなんて、ドエライことになっているだろうと思いつつも、見逃すだけの勇気も持てなかったというのが正直なところだ。

 今回の実写版では、沖田艦長を山崎努が演じている。ちょっと迫力不足で、白い髭がわざとらしい。しかも、ヤマトが地球を発進したら、あっという間に病気が悪化、キムタク演じる古代進に、さっさとしかも強引に艦長代理を渡してしまうし、見ているこっちが「いい加減にしろ~いボス」と文句を言いたくなってしまう。

 何よりヤマト自体が地球防衛軍という軍隊に所属する宇宙戦艦であるはずなのに、乗組員たちの緊張感はほとんどゼロ。酒なんか飲んでるんだから、これでほんとに地球を救うつもりなのか、不思議に思えてしょうがない。

 本来生活班長であった森雪は黒木メイサ。第一艦橋でレーダーを担当していたはずだが、実写ではなんと戦闘機乗りになっている。違和感山盛りだけど、まあこれはこれでありかも。ただ、森雪を救うためにヤマトを危機に陥れる古代の行動は、営巣にぶち込まれるくらいで済まされる行動じゃないと思うぞ。

 船医の佐渡酒造先生役は、高島礼子。猫のみーくんと酒瓶を抱いているところはそっくりだが、ちょっと怪しい雰囲気が欠けている。

 一方、キャスティングとして、まあ許せるのは、古代進役のキムタク、徳川機関長役の西田敏行、真田工場長(技術班長・技師長)役の柳葉敏郎というところか。

 さて、ストーリーの方だが、「愛の戦士たち」で初登場だった空間騎兵隊の斉藤がいたことから、うすうす予想はついていたが、TV版をメインに「愛の戦士たち」の感動場面を無理矢理押し込めて、ごっちゃごちゃにして、駄目にしたようなもの。

 唯一ヤマトのCGは、格好良かったが、エンディングの「ヤマトより愛を込めて」(沢田研二)とともに、日本中を感動の渦に巻き込んだ「さらば宇宙戦艦ヤマト~愛の戦士たち」には、到底かなわない。

 まあ、どんな映画になっていたとしても「ヤマト」の最期を看取るつもりだったので、 そう思えば腹も立たなかったが、全くヤマトを知らない世代の人では、感涙にむせぶ方もいたようなので、知らぬが仏で見に行くのもありかもしれない。

浜田省吾

 浜田省吾の音楽に初めて触れたのは、高校の理数科にいたころだから、高2のころだと思う。F君という男前のクラスメートが、教室に持ち込んだウオークマンで聞かせてくれた。私は、カセットテープを買い求め(TDKのADという音楽用テープ)彼にLPを録音してくれるよう依頼した。

 相当繰り返し聞いた記憶がある。

 アルバムタイトルは「愛の世代の前に」だった。

 私は幸運だった。このアルバムには、「愛の世代の前に」の他、「ラストショー」、「悲しみは雪のように」、「陽の当たる場所」、「防波堤の上」など、名曲が数多く含まれていたからだ。 

 そのころ、まだ貸しレコード店ができはじめたころで、ウオークマンしか持たず、LPを演奏するオーディオを持っていなかった私は、浜田省吾のミュージックテープを「Promised Land~約束の地」、2枚組の「J・BOY」と買い求め、聞いているうちに次第にファンになっていった。

 特に、バイクでツーリングをしていたころは、エンドレステープにJ・BOYを録音し、ヘルメットの中で繰り返し聞きながら、北海道の大地を走り抜けたものだった。

 そのころ、北海道を「ON THE ROAD」と側面をペイントしていた自動車でツーリングしている奴にも会ったが、一目で、浜田省吾ファンと分かり、話が弾んだ。「ON THE ROAD」は、浜田省吾のツアータイトルにもされていたからだ。

 今でも、自動車のHDには、浜田省吾のベスト盤を入れている。

 また、機会があれば、「愛の世代の前に」を聞いてみたいと思っている。

超映画批評~前田有一氏のサイト~と映画ザ・コーヴ

 私は平均すれば、大体、月に1~2本の映画を見る。

 当然面白い映画もあれば、「こりゃ、お金損したな」という映画もある。後者の場合、わざわざ、映画館まで行ってみているのだから、「なんでこんな映画選んじまったんだ」と自己嫌悪になることもある。

  できるだけそんな気分を味わいたくないので、映画を見る前に、超映画批評という前田有一さんのサイトで、「今週のダメダメ」に指定されていないかだけでもチェックすることがある。

 この映画ライター、前田有一さんの批評は結構辛口で面白く、そんな見方もあるんだと、頷かされたりすることも多い。

 しかし、映画を見る前にできるだけ予断を持ちたくないので、私は、批評本文は読まずに、映画を見るように心がけている。

 だが、話が「ザ・コーヴ」となると別だ。しっかり「今週のダメダメ」に指定されているし、まだ映画自体見ていないが、間接的関係者という立場上、映画評論家の方がどう考えているのか知っておきたいからだ。

 前田さんの批評については、直リンク・無断リンクも許されているので下記のリンクから読んで頂きたい。

 http://movie.maeda-y.com/

 いかに、「ザ・コーヴ」がとんでもない映画かよ~く分かるだろう。

 また、前田さん自身も、あまりの「ザ・コーヴ」の偏向映画ぶりにあきれたらしく、「これでも見たら、といいたくなる。」と、捨て台詞つきで、映画「いのちの食べ方」を紹介されている。

 私の意見も同様だ(6月22日の私のブログ参照)。

 ゆめゆめ、ドキュメンタリー映画と誤解なされないように。