映画~私を離さないで

 ある治療法が確立されて、人間の平均寿命が100歳にも伸びたイギリス社会が舞台。外界から隔離された寄宿学校「ヘイルシャム」に、幼い頃からいつも一緒に過ごしてきたキャシー、ルース、トミーの3人がいた。彼らにはある目的のために生まれてきたという、知らされていない秘密があった・・・・・。

(ネタバレにつながる内容がありますので、以下を読まれる方はご注意!)

 (この映画は、一度だけしか見ていないので、次に見た際には違う感想を持つかもしれないことを予め、お断りしておきます。)

 私の記憶は、いつからはじまったのか。

 私自身の記憶は、1~2歳くらいまでが完全に抜け落ち、3歳くらいからおぼろげに記憶が残っているような気がする。記憶が次第にはっきりしてくるのは、4~5歳くらいの保育園の頃からかもしれない。その記憶は、アルバムに残された色あせた写真から私自身が再構成した記憶なのか、オリジナルの記憶なのかはっきりしない。しかし、その記憶がないことが真実を知るまでは却って良いこともあるのかもしれない。

 この映画の主人公の記憶も、寄宿舎で同年代の子供達と生活しているところからはじまる。

 異常に健康に気を使い、決して外界に出ないようにして生活させられる子供達、子供達に取り付けられているセンサーを見れば、その時点でまさかとは思うが、ある残酷な運命が思い浮かぶはずだ。子供達は、そのようなことを微塵も感じさせずに、生きていく。そしてある程度の年齢に達し、自らを待ち受ける運命に気付いていく。

 その子供達を、映画は、美しい風景と一緒に描いていく。不思議なことに、思い返すとこの映画の中では、どんなに風が吹いていても、そこには静かな風景があったように、私には感じるのだ。

 山も海も、いや夜空に輝く星ですらも、いずれ、自らの意思と無関係に滅びる運命にあるという点で全ては同じだ。

 しかし、滅びに至る過程で他の意図が働いているとしたらどうだろう。いや、滅びに至る過程で他の意図を働かせるために、故意に生まれさせられた存在ならどうだろうか。子供達と一緒に映される美しい自然や風景は、ときが来ればいずれ滅びる。しかしこの子供達は、運命が本来定めたときに滅びることは許されない宿命を背負わされている。そうであるがゆえ、出入り業者などは子供達に普通とは違う視線を投げかける。子供達は成長するにつれ宿命を知り、宿命から逃れることが出来そうな状況にありながら、わずかな希望(それとて宿命から逃れることを意味しない)に期待をかけつつ、従容として宿命に従っていく。

 この子供達は、映画の設定どおりの存在であるだけではなく、世代間搾取や解決できない問題の先送りで被害に遭うであろう未来の世代の描写であり、現に国家間搾取で被害に遭っている国の姿の描写でもあるのだろう。

 彼らは、ただ、好きな人と、愛せる人と、一緒に過ごしたいだけだった。人間として当たり前の時間を過ごしたかっただけなのだ。少なくとも私たちの日常の社会では、実現することはさして難しくない、ほんのささやかな、望みだったはずだ。

 しかし、それは、彼らには、許されなかった。

 彼らに、それを許さなかったのは、彼らの存在していた社会の仕組みのせいだけではなく、本当は、現代社会に生きている私たち、1人1人の心のせいではなかったのか。

 答えの出そうもない、そのような疑問を、美しく静かな映像とともに投げかけてくれた映画だった。

 ブレードランナーやスカイ・クロラがお好きな方には、お勧めできる映画だと思います。 

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