ニュージーランド ドライブ事情

 今年のGW(ゴールデンウイーク)に、マイレージがたまったこともあり、ニュージーランド(NZ)に行く機会がありました。

 季節が北半球とは全く逆なので、GWにも関わらず晩秋に近い気候でした。NZはイギリス連邦ということもあり、日本と同じく自動車は右ハンドル左側通行です。ですから、日本の交通事情に完全に慣れてしまった私でも、大して苦労せずにレンタカーを運転することができたのです。

 私の借りたレンタカーはトヨタのカムリになりました。既に13万キロも走行している車で、キレイに洗車されていないだけでなく、ハンドルを切るとキコキコ音がする、という凄いものでした。最初は大丈夫かなと思ったものですが、しかし、やはりトヨタ車です。基本的な走行には全く問題がありませんでした。街中でもトヨタ車とホンダ車は結構見ました。おそらく日本からもかなり中古車が輸入されているのだと思います。

 さて、NZでのドライブですが、町中では40キロ制限が多いようでしたが、さすがに人口が少ないためか郊外では一般道でも90~100キロ制限が多いようです。ただ、南に行けば行くだけ寒くなるので、早朝は道路の凍結に気をつける必要がありました。日本でいえば11月の気候ですから、当然ですね。

 また、交差点でロータリーが設置されていることが多く、これだけは少し慣れないと気を遣います。といっても私が走ったところは自動車自体が少なかったので、他の自動車が通り過ぎるのを待ってから、ゆっくりとロータリーにはいることも可能でした。

 道路はとても空いていて、実に気持ちよくドライブが楽しめます。私はクイーンズタウンからテアナウ、ミルフォードサウンドまで、走ってまた戻ってくるコースを走りましたが、美しい自然と走りやすい道路だったため、ドライブが楽しくて仕方がありませんでした。ドライブがお好きな方は、機会があれば是非一度NZでドライブされることをお勧めします(国際免許証が必要ですが、免許試験場で申請すれば交付してもらえます)。

 幸い私がドライブしているときには野生動物の飛び出しはなかったのですが、おそらく夜のうちに事故が起きていたのでしょう。野生動物が道路で轢かれてしまっている姿が日本より多く目に付いたのは、私自身車を利用していながら身勝手ではありますが、少し残念に思いました。

バイクの思い出~その5

 当時の軽自動車の排気量が550ccでしたから、私のバイクのエンジンは、そのころの軽自動車のエンジンの2倍の排気量を持っていたことになります。

 それでいながら、車重は230㎏くらいだったと思いますから、これまで体験したことがないくらいの異次元感覚ともいえる加速感がありました。誰かが、脳みそが片寄るくらいの加速だと表現していましたが、フル加速すると冗談抜きでそれくらいの感じは、確かにしました。

 しかし、フロントの車輪の大きさが大きめのサイズ(19インチだったと思います)であったことから、直進安定性は高いものの、カーブでは、なかなか曲がってくれないバイクでした。また、ブレーキも容量不足で思ったほど効いてくれないときもありました。曲がらない・止まらない、しかし加速は相当凄い、ということで、スタイルや希少価値からとても気に入ってはいましたが、決して乗りやすいバイクではなかったように思います。

 ただ、北海道の殆ど車のいないワインディングロードを、法定速度+αで飛ばしていくときには、しっかりとバイクをホールドしつつ後輪加重で曲げていくと、思ったよりも高い旋回性を得られるようにも思いました。しかし、そこから更にスピードを上げていくと、フレームがよれるのが感じられ、それ以上の速度は危なく感じられる場面もありました。

 そういう意味ではじゃじゃ馬ながら、限界が分かる良いバイクだったのかもしれません。

 私は、飛ばす場合でも限界100%ぎりぎりまで飛ばすことはなく、飛ばしているときでも85%くらいにして若干余裕を持たせているつもりでした。ですから、幸いなことに走行中に限界を超えて転倒したことは一度もありません(「立ちごけ」はありますが)。 

私はこのバイクであちこちにツーリングに行くことになります。

(続く・・・・かも)

無法学士?

 私の通っていた京大法学部は、当時必修科目がほとんどない学部でした。ですから、卒業だけを考えれば経済系・政治系の科目を沢山集めて卒業ということも可能で、そのような人たちは自分のことを「法学部を出たけど、法律系科目を取っていないから、無法学士や。」と茶化して言っていたくらいです。

 私も当時、JR東海に内定を頂いており、司法試験をあまり考えていなかったので無法学士に近い学生でした。

 京大では、当時、殆ど必修科目がない代わりにゼミに参加するのが学生の恒例となっており、私は、中森喜彦教授の刑法ゼミに正ゼミ生として参加させて頂き、吉岡一男教授の刑事学ゼミにはオブザーバーとして参加させて頂きました。

 日本刑法学会に出席させて頂いたときには、中森先生と吉岡先生を捜してご挨拶することが私の密かな楽しみですが、大教室での講義だけではとてもこのような教官と学生の関係は作れなかったと思います。他の大学のことはよく知りませんが、熱心にゼミを行っていた京大の特色の一つと言っていいのかもしれません。

 日本屈指の刑法・刑事学の学者先生とお話しできるだけでも素晴らしいことですが、今でも縁が切れてしまったわけではない(と勝手に私は思っています)ことに、とても有り難みを感じています。

風琴

 私が通っていた太地小学校の音楽室には、各生徒の机の代わりにオルガンが一台ずつ設置されていました。

 その頃音楽室にあったオルガンは、足でペダルを踏んで空気を送り込み、音を出す仕組みだったようで、ペダルを踏まずに鍵盤をたたいてもなんの音も出ませんでした。また、ペダルを踏んで音を出していても、ペダルを止めると次第に音が小さくなってついには鳴らなくなるという代物でした。ペダルが壊れていたものも時々あったように思います。

 ところが、そのオルガンは小学校建て替えの後に電気(電子?)オルガンに代わってしまいました。当時は、ペダルを踏まなくても音が鳴るので、楽になって良かったと思っていたのですが、今になって思い返すと小学生がペダルを踏み踏みオルガンを鳴らしている姿は、意外に素敵な光景だったのかもしれません。

 ですから、オルガンを「風琴」と書くと聞いたときは、なるほどなと、すとんと腑に落ちた気がしました。

 私は楽器はとんと弾けませんが、足踏みオルガン(リードオルガン)に、もしまた触れる機会があれば、鳴らしてみたいと思っています。

日経新聞インタビュー記事

 本日の日経新聞朝刊、5面のインタビュー「領空侵犯」は、在日米国商工会議所会長C・レイク氏へのインタビューが掲載されていました。

 レイク氏は、日本政府の留学生30万人計画の優先順位に異論があると述べています。

 日本政府の留学生30万人計画は、第1に留学生の誘致を強調、第2に入試・入学・入国制度の改善、第3に大学のグローバル化を掲げているそうですが、レイク氏によると政府の発想は完全に主客転倒であるとのことです。

 つまり日本政府は、留学生を30万人誘致することを最優先とし、そのために制度の改善を行い、それによって大学のグローバル化を図ろうとしているかのような優先順位を取っているが、大学自体に魅力がなければ留学生は集まらない、大学がグローバル化して魅力溢れるものになれば自然と大学に人が集まるものであると述べられます。

 レイク氏の上記の主張は、数的目標の優先という日本の政府・お役人・学者などが陥りがちな欠点を見事に指摘されています。

 似たようなことは、法曹人口の問題にも言えます。法科大学院志願者が減少の一途であるとの指摘がなされていますが、法科大学院側は合格者を増やして合格率を上げれば、志願者は増え優秀な人材を法曹界に導けるとの主張を繰り返しているようです。

 いくら合格者を増やしても、弁護士(法曹)の仕事に魅力がなければ誰も弁護士になろうとは思いません。いまの現状はどうでしょうか。高いお金を払って法科大学院に進学しなければならず、進学しても新司法試験に合格するとは限りません。新司法試験に三振すれば就職も危機にさらされます。運良く合格しても、2回試験に合格できるとは限りませんし、修習生活は借金して生活しなければなりません。借金を背負ってようやく2回試験に合格しても、法律事務所は現状で既に就職できない人が出ているほど弁護士が余っています。弁護士需要の飛躍的増大は、いまのところ見込めません。新司法試験に不合格でも就職難、合格しても就職難、いずれにしても法科大学院に学費(合格すれば修習生活の費用も加算)を支払わなければならず、借金は負わされる。こんなくらいなら、普通に就職した方がマシだと思う人が多くいてもおかしくありません。

 これでどうやって、優秀な若者に法律家を目指して欲しいと言うことができるのでしょうか。法科大学院の言い分は法律家の仕事としての魅力が、10年ほど前と永遠に変わらないということ(新人弁護士が引く手あまたであった時代が永遠に続くこと)を前提にした机上の空論です。

 規制緩和による激増問題に揺れるタクシー業界ですら2001年からの5年間で法人タクシー台数は8%増加しただけです(日経新聞による)。弁護士は以前の私の概算によれば、2001年→2006年まで約22.3%の増加、2001年→2008年まで約39.2%の増加です。今後その増加の勢いは増すばかりです。つまり、今後さらに新人弁護士の待遇は悪化すると見られるのです。

 優秀な法律家を育てるためには優秀な人材を集める必要があるのは、誰にでも分かります。優秀な人材を集めるためには、優秀な人材がこぞってその仕事を目指すだけの魅力が目標になくてはなりません。こんな簡単なことが分からない学者先生たちではないと思いますので、分かっていながら何らかの理由で、新司法試験合格者を増やすよう言い続けているのでしょう。

  建前ばかり振り回さないで、本当の理由を教えて頂きたいところです。

コオロギの孤独

 先日、昼の暑さがまだどんよりと残っているなか、事務所を出て淀屋橋の駅に向かって歩いていたときのことです。淀屋橋近くの歩道と車道の境にある植え込みから、突然えんまこおろぎの鳴き声が聞こえてきました。

 えんまこおろぎは、正面から見た顔がえんま大王を彷彿させることから名付けられたそうで、漢字で書くと閻魔蟋蟀とおどろおどろしくなってしまいますが、鳴き声はひんやりと冷たい秋の風が吹く月夜に似合う、素敵な鳴き声を持っています。 この鳴き声も、ヒグラシと同じく言葉にしにくい鳴き声です。

 無理を承知で 敢えて表現しようとするなら「り゛・り・り゛・り・り゛・り」、「ころ・ころ・ころ」、「ひよ・ひよ・ひよ」を混ぜ合わせて、上澄みをすくい上げたような鳴き声で、何となくひんやりとした冷たさと、寂しさを感じさせるように思います(しかし、こうなると、何の鳴き声だか分かりませんね)。

 少しゆっくりと歩いてみましたが、どうやら鳴いているのは一匹だけのようです。コオロギが鳴いている植え込みは土もそう軟らかくはないでしょうし、エサも豊富にあるとは思えません。自動車は近くをばんばん走り過ぎますし、人の往来もとても多いところです。コオロギが一匹だけでも生きていることが不思議に思えるほど、非常に過酷な環境に思えます。

 誰もが家路を急ぐ頃、その過酷な環境の中で、出会えないかもしれないパートナーのために、美しい鳴き声を出し続けていたコオロギは、たった一匹で、どんな思いでいたのでしょうか。

 孤独に美しいという修飾表現はないのかもしれませんが、そのときの私には、このコオロギのために「美しい孤独」という表現があっても良いような気がしたのでした。

バイクの思い出~その4

 私の乗りたいと思っていたバイクは、スズキGSX1100S・KATANAでした。デザイナーのハンスムートが日本刀をイメージしてデザインしたと言われる空冷直列四気筒エンジンのバイクです。

 なぜ、そのバイクに乗りたかったかというと、①非常にデザインが優れていたこと、②そのデザインのバイクは、当時は750cc以上のものにしかないため、一目で大型バイク乗りだと分かってもらえること、③すでに生産中止モデルであり、これ以上同じ型のバイクが増えないと思ったこと、④当時のバイク漫画で取り上げられていたこと、⑤当時の国内販売のバイクは全て750cc以下であり、1100ccは逆輸入車という点で他とはさりげなく違うことを主張できそうだと思ったこと、という結構ミーハーな理由でした。

 当時のバイク漫画として、「バリバリ伝説」というものがあり、その漫画の前半でCB750Fを操る主人公巨摩(コマ)のライバルとして登場し、後に鈴鹿の4時間耐久レースで主人公とチームを組んで優勝する聖(ヒジリ)が乗っていたのが、KATANAの750ccでした。後に、プロのライダーを目指した聖はKATANAと共に不慮の事故に遭い亡くなるのですが、読者に強い印象を与えたライダーでした。

 また、「あいつとララバイ」というバイク漫画もあり、そこでカワサキのZ2に乗る主人公と早さを競う「首都高のキング」といわれる謎のライダーも、KATANAに乗っていました。

 もともと、私には、少々天の邪鬼なところがあり、小さい頃から格好良い主人公よりもそのライバル達に入れ込むタイプだったことも影響しているかもしれません。

 のちに、KATANA人気に着目したバイクメーカーのスズキが、限定モデルを再生産し、さらに、250cc、400ccのKATANAモデルを発売し、さらに再生産をするという営利企業としては当然の行動に出たため、あっという間にKATANAモデルが世間に氾濫することになりました。皮肉なことに、それと同時にKATANA人気も次第に低下していったように思います。

 京都・大阪の中古バイク店をさんざん巡り、祖母の援助もあって、ようやく中古のGSX1100S・KATANAを手に入れた私でしたが、これがとんでもないじゃじゃ馬だったのです。

(続く)

バイクの思い出~その3  

 当時の京都の限定解除試験は、法規走行と特別課題に別れていました。法規走行は法規に従った走行ができるかのテストで、特別課題は、急停止、スラローム、一本橋、波状路などが課題でした。

 法規走行といっても、きちんとキープレフト、ポンピングブレーキ、左右確認、等をしっかり行わないといけませんし、750ccの大型バイクをいかにも簡単に扱えるところを見せる必要があります。とにかく、合格者を出さない方針でしたから、「大体良いけど、運転にメリハリがないね」とか、「少しだけふくらんだね」等の理由で、どんどん落とされたのです。 法規走行の合格率だけでも大体15~20%くらいだったような記憶があります。試験車両は、ホンダのCB750Fがメインでしたが、カワサキ・ヤマハの車両も時折使われていました。

 特別課題に進んでも、安心はできず、厳しいチェックは変わりませんでした。緊張の中、いつもの実力が出せない方も多いようでした。

 運の良し悪しもあり、踏切できちんと停止し、左右確認の上で発進したのに、発進とほぼ同時に踏切が鳴りだして、アウトになったり、一本橋をゆっくり(10秒かけて)渡る課題で、0.1秒短かかったということで、落とされたこともありました。

 何度も受験してようやく合格し、とても嬉しかったことを覚えています。試験官からは、「限定解除したのだから、今後はライダーの模範として、きちんと乗って下さい。」と祝福のお言葉ももらいました。

 さて、次はどのバイクに乗るかです。しかし、私は、もう乗りたいバイクは決まっていました。

(続く)

最後の良心?

 本日、新司法試験合格者の発表がありました。合格者数は増えたものの、受験者が増加したため合格率が33%に下がったことが、ニュースとなっているようです。

 しかし、これは法科大学院の乱立を認めた以上、やむを得ない結果ですし、当然予想されていた結果とも言えます。

 ただし、合格者数は、当初司法試験委員会が目安としていた2100~2500人よりも少ない数に抑えられました。

 www.moj.go.jp/SHINGI/SHIHOU/070622-7.pdf

 これは、レベルの低い合格者をこれ以上、出したくないという司法試験委員会の最後の良心というべきかもしれません。

 それにしても、レベルダウンの問題や、新61期の就職問題も解決していないのに、合格者を増やし続ける現状は異常事態としか思えません。

 今後、正義よりも金儲けを優先する弁護士が増大しても、弁護士を責めることはできないでしょう。弁護士だって職業です。自分の力で生活費を稼ぐ必要があります。弁護士の量産を続ける制度を維持する以上、食えない弁護士が食うために金儲けに走ったり、弁護過誤が頻発しても、それは国民みんなで甘受すべきことになるはずです。

 私は、そのような状況が良いとはとても思いませんし、そのような状況を国民の方々が望んでおられるとは到底思えないのですが・・・・・・・。

Posted by sakano at 21:10  | パーマリンク |
2008年09月12日
バイクの思い出~その3

 当時の京都の限定解除試験は、法規走行と特別課題に別れていました。法規走行は法規に従った走行ができるかのテストで、特別課題は、急停止、スラローム、一本橋、波状路などが課題でした。

 法規走行といっても、きちんとキープレフト、ポンピングブレーキ、左右確認、等をしっかり行わないといけませんし、750ccの大型バイクをいかにも簡単に扱えるところを見せる必要があります。とにかく、合格者を出さない方針でしたから、「大体良いけど、運転にメリハリがないね」とか、「少しだけふくらんだね」等の理由で、どんどん落とされたのです。 法規走行の合格率だけでも大体15~20%くらいだったような記憶があります。試験車両は、ホンダのCB750Fがメインでしたが、カワサキ・ヤマハの車両も時折使われていました。

 特別課題に進んでも、安心はできず、厳しいチェックは変わりませんでした。緊張の中、いつもの実力が出せない方も多いようでした。

 運の良し悪しもあり、踏切できちんと停止し、左右確認の上で発進したのに、発進とほぼ同時に踏切が鳴りだして、アウトになったり、一本橋をゆっくり(10秒かけて)渡る課題で、0.1秒短かかったということで、落とされたこともありました。

 何度も受験してようやく合格し、とても嬉しかったことを覚えています。試験官からは、「限定解除したのだから、今後はライダーの模範として、きちんと乗って下さい。」と祝福のお言葉ももらいました。

 さて、次はどのバイクに乗るかです。しかし、私は、もう乗りたいバイクは決まっていました。

(続く)

バイクの思い出~その1

 私が昔、バイク乗りであったことは何度かブログにも書きました。

 最初のバイクは、ご多分に漏れず、原付スクーターでした。

 大学に入って最初に手に入れたのはホンダのLEADERという車種で、スピードメーターとタコメーターがデジタル表示というのが、妙に斬新でした。 友人のスクーターと加速競争をしたり、大して違わない馬力を比べたり、まるで子どものように楽しんでいました。

 ただ、私が他の友人と少し違ったのは、かなりの長距離も、そのスクーターで走ってしまったことです。大学のある京都から、和歌山県の実家まで約300キロ弱を原付で往復したこともありますし、大台ヶ原まで登ってしまったこともあります。夏場などは暑いのでTシャツで走るのですが、真っ白なTシャツを着て、和歌山から京都まで走ると、表面が排気ガスで薄黒くなっていたものです。

 親からは、半分アホ呼ばわりされていたのですが、当人は全く気にしていませんでした。

 「風を切って走る」と、バイクでの走りは、よく表現されますが、実際にバイクで走ると、風を切るというよりは、風を自分の身体にたぐり寄せて直接体感することで、大気の微妙な変化を実際よりも拡大して感じることができるように思います。バイク独特の爽快感や、自動車では味わえない視界の広さ、走り疲れた後の缶コーヒーが妙に美味く感じること、などが新鮮に思えていたようです。

(続く)