コオロギの孤独

 先日、昼の暑さがまだどんよりと残っているなか、事務所を出て淀屋橋の駅に向かって歩いていたときのことです。淀屋橋近くの歩道と車道の境にある植え込みから、突然えんまこおろぎの鳴き声が聞こえてきました。

 えんまこおろぎは、正面から見た顔がえんま大王を彷彿させることから名付けられたそうで、漢字で書くと閻魔蟋蟀とおどろおどろしくなってしまいますが、鳴き声はひんやりと冷たい秋の風が吹く月夜に似合う、素敵な鳴き声を持っています。 この鳴き声も、ヒグラシと同じく言葉にしにくい鳴き声です。

 無理を承知で 敢えて表現しようとするなら「り゛・り・り゛・り・り゛・り」、「ころ・ころ・ころ」、「ひよ・ひよ・ひよ」を混ぜ合わせて、上澄みをすくい上げたような鳴き声で、何となくひんやりとした冷たさと、寂しさを感じさせるように思います(しかし、こうなると、何の鳴き声だか分かりませんね)。

 少しゆっくりと歩いてみましたが、どうやら鳴いているのは一匹だけのようです。コオロギが鳴いている植え込みは土もそう軟らかくはないでしょうし、エサも豊富にあるとは思えません。自動車は近くをばんばん走り過ぎますし、人の往来もとても多いところです。コオロギが一匹だけでも生きていることが不思議に思えるほど、非常に過酷な環境に思えます。

 誰もが家路を急ぐ頃、その過酷な環境の中で、出会えないかもしれないパートナーのために、美しい鳴き声を出し続けていたコオロギは、たった一匹で、どんな思いでいたのでしょうか。

 孤独に美しいという修飾表現はないのかもしれませんが、そのときの私には、このコオロギのために「美しい孤独」という表現があっても良いような気がしたのでした。

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