FORD

 レンタカーで、ニュージーランド旅行をしたことがあるが、ワナカからラズベリークリークまでのダート道で、日本で全く見たことがない道路標識を見かけたことがある。

 黄色の標識に黒の文字で「FORD」と書いてある道路標識だ。

 FORD?、フォード?、アメリカ車?くらいのイメージしかなかったため、なんのことか分からなかったが、その標識のたっているところを見ると、道路を直角に横切って小川が流れている。つまり、真っ直ぐ進行しようとしている道路を左から右に小川が横切っているのだ。道路はダート道なので、ここまで走ってきたダートが寸断され浅瀬となり、浅瀬の向こうに道の続きがある。

 借りた車は、SUVじゃなくて、トヨタカムリ(セダン)だ。幅はそう広くはない浅瀬とはいえ、あまり深い浅瀬?は渡れない。

 一旦自動車から降りて、さわやかな水の音を立てて流れる小川の深さを確認したところ、どうやら3~40㎝ほどのようだ。

 これならなんとか行けそうだ。

 急に深くなっていないことを祈りつつ、途中で止まらないよう勢いをつけて渡ることになった。

 そのような標識があるFORDをいくつか乗り越え、ラズベリークリークまで到着したが、夕暮れ時などで標識を見落としたら、結構大変な目に遭いかねない道だった。

 国立公園内で自然に配慮してそのままFORDを残しているのだろうが、自然の領域に、こちらが触れさせて頂く分、気をつけていかなければならないということだとも思った。

弁護士の年収は高いのか?

  A 年俸500万円の弁護士(手当一切なし)

  B 月給25万円(支給額)+ボーナス2ヶ月×2+残業代総額給与の1.5ヶ月分+通勤手当10万円の会社員

 どちらの年収の方が高いのでしょうか?

 Bの計算をすると、25×12(給与)+25×4(賞与)+25×1.5(残業代)+10(通勤手当)=447.5万円だから、これは、当然Aの方が年収が高いと計算される方もいらっしゃるでしょう。

 Bはこの数字から、さらに税金(所得税・地方税)が天引きされ、さらに健康保険料、厚生年金保険料が控除されるので、非常に大雑把に計算(以下同じ)すれば手取りで約360万円前後になります。

 手取りから見ると、140万円の差に見えます。やっぱり会社員Bが薄給だと思われる方も多いのではないでしょうか。

 しかし、健康保険料、厚生年金保険料は、労使折半なので、会社員が給与から天引きされているのと同じ額を雇用主は負担しなければなりません。雇用保険料は会社員よりも多い負担を雇用主は負わなければなりませんし、労災保険料、児童手当拠出金も雇用主は単独で負担しなければなりません。

 その結果、Bの会社員に対する支給額は手取りで、約360万円前後(月給に直して手取り約23万円弱)なのですが、雇用主が会社員Bさんのために一年間で負担しなければならない金額は約530万円前後になります。つまり、雇用主は月給の手取り約23万円の会社員Bさんを雇用するために年間530万円をかけているのです。給与所得者の年収を示す際に、総支給額を基準にされることが多いのですが、実際には給与所得者を雇用するためにかかる費用は、給与明細の総支給額より大幅に多いのです。

 そんなこと言っても手取りでは少ないではないかと仰るかもしれませんが、その分、会社員の方は、高齢になったときに手厚い厚生年金で保護されます。退職金制度がある会社ではなおさら老後は保障されます。 将来のために先にお金を支払っているのと同じです。したがって、給与所得者の年収は、本来事業主負担も合わせて計算するべきです。雇うのにそれだけの費用がかかるのですし、事業主負担は結局会社員の利益になっているのですから。

 一方弁護士の場合、通勤手当を除き、手当を出すところは殆ど無いでしょうし、弁護士会費を年間60万円前後支払わなければ仕事が出来ません。また弁護士会費を支払ったからといって、自分の将来の備えになるわけでもありません。純然たる必要経費です。それだけで、まず、500-60=440万円の支給と同じということになります。

 ここから、税金(所得税・住民税など)が引かれ、国民健康保険・国民年金などの支払いもあります。家賃も支払わなくてはなりませんし、勉強用の専門書だって買わなくてはなりません。老後の備えは、わずかな国民年金しかありませんし、退職金もありません。もちろん雇用されているわけではありませんから、各種手当て(扶養者(家族)手当・住宅手当など)も一切ありません。雇用保険・労災保険もかかっていません。

 実質的にみれば、Aは(その他公租公課含む)税引き前440万円、Bは(その他公租公課を含む)税引き前530万円といってもおかしくはないでしょう。

 マスコミは、初任給年俸500万円の弁護士がそこそこいるので、弁護士の年収は高いと主張することが多いのですが、実質的に見てみると月給手取り約23万円弱の会社員の方が年俸500万円の弁護士よりも90万円も多く事業主から支払ってもらっていることになります。

 マスコミがいうように、弁護士の年収は高いと言って良いのでしょうか。

※記載内容については、全て執筆者の個人的な見解に基づくものであって、当事務所の統一した見解・意見ではありません。

海遊館は眠くなる?

 キングペンギンが子育てをしていると聞いていたので、先日、久しぶりに海遊館(大阪にある水族館)に行って来た。

 台風が通過し、今ひとつ天気がスッキリしないので、お客さんが少ないことを祈っていたのだが、天候など全く関係なしで、大盛況だった。

 目当てのキングペンギンのヒナは、黒っぽい羽毛に覆われて、じっと座って動かず、最近孵化したばかりのヒナはおそらく母親ペンギンの足下に隠れていたようで見られず、またアクリルが若干汚れていたこともあり、期待していたような元気に動きまわるヒナを見ることは出来なかった。やはりペンギンのヒナとしては、コウテイペンギンのヒナが抜群に可愛いように思う。

 子供達が歓声を上げながら、大興奮している姿を横目に、壁にもたれながら、大水槽の隅の方から魚たちを眺めていた。ご存じの方も多いだろうが、海遊館の大水槽は太平洋の魚たちをテーマに巨大水槽に多くの種類の魚たちが一緒に展示されている。ジンベエザメも2匹いる。一匹は小さな魚たちを何匹も引き連れて泳ぎ、もう一匹はコバンザメ一匹だけをくっつけて、どちらも悠然と泳いでいる。

 毎回そうなのだが、今回も大水槽の魚たちを見ているとだんだん眠くなる。水槽の世界が蒼いからなのか、音もなく魚たちの動きだけが視覚に影響するためか、ゆったりと泳ぐジンベエザメのリズムがそうさせるのか、理由は分からないがとにかく眠くなってくる。

 大水槽の底に部屋を作り、その中のベッドで寝ることが出来たら、間違いなく熟睡できそうな気がする。

 ラッコやイルカ、アザラシ・アシカ、ペンギンなどの水槽は見ていても眠くはならないのだが、なぜだか大水槽だけは眠くなる。

 特に、ゆっくりと近寄ってきては、水槽の壁にぶつかりそうになり、体を傾けて避けたのはいいが、体が傾いたまましばらく立て直せない、マンボウなど見ていると、ほほえましく思う一方で、更に眠気がみなぎってくるようにも思う。

 もう少し、人が少なくてゆったり見られたらなぁ・・・・などと、わがままなことを想いながら久しぶりの海遊館を楽しめた週末だった。

遠くからの再会

 私は、司法修習を大阪で行った。

 大阪の裁判所民事部・裁判所刑事部・検察庁・法律事務所(2カ所)に、それぞれ3ヶ月ずつ配置され、実際の裁判官・検察官・弁護士のお仕事を拝見し、その一部に触れさせて頂き、法律実務を学ばせて頂いた。

 修習当時にお世話になった、裁判官、検察官、弁護士の諸先生方には、毎年年賀状を出していたが、裁判官・検察官の方々は転勤が多いためか、いつしか年賀状も途絶えがちになっていた。

 ところが、今年、意外なところで、刑事裁判でお世話になったY判事と、民事裁判でお世話になったF判事をお見かけすることになった。

 Y部長(部総括判事のことを、その部では「部長」と呼んでいた。)は、厚労省村木さん事件で無罪判決を下した裁判長だった。

 Y部長は、私が修習させて頂いていた当時の刑事部でも部長を務めておられ、非常に聡明な方でありながら、バランス感覚豊かで、情に厚い方だった。「仏のY」と呼ばれているとの噂もあった。M判事・K判事補と抜群のチームワークで難事件を裁いておられた姿が印象的だ。

 万一何らかの事件で逮捕されたとして、Y部長に裁いてもらって有罪なら仕方がない、と思える方だった。実際は村木さんの事件を傍聴したわけではないが、TVでお姿を拝見し、お元気で頑張っておられる姿に、私は勝手に懐かしさを覚えていた。

 F判事は、私が民事裁判修習を受けた部の右陪席だった。部長とS判事補と3人で合議体を組んでおられた。F判事は温かい人柄の真面目な方でありながら、どことなくユーモアを湛えたお話ぶりが印象的で、非常に勉強熱心だった。当事者の言い分を丁寧にできるだけ聞いてあげようとされる姿勢と和解に於いて双方のギリギリ譲歩できる着地点を探るセンスは素晴らしかった。

 本日、大阪弁護士会での研修があった際に、その講師としてF判事が招かれ、ご講演を頂いた。暖かさの中に真面目さが感じられるいつものお声で、要点をずばり解説されるお姿は、やはり私が修習を終えた後も、研鑽と精進を積んでこられたからこそ、可能なのだろうと思った。

 帰り際に、「修習の際にはお世話になりました」とご挨拶申しあげると、一瞬躊躇されたかもしれないが、笑顔で会釈を返して下さった。もう修習を終えてから10年以上たっており、数多くの修習生の指導もされているだろうし、私もお腹が少し出っ張り、頭も薄くなっているので、分かりにくくなっていたのかもしれない。

 今年、思いがけず修習時代にお世話になった裁判官お二人を大阪でお見かけし、実は私は、素晴らしい指導者に恵まれた修習生活を送らせて頂いていたのだということに、改めて気付くことが出来たように思う。

 今の司法修習は修習期間も短いし、大阪配属の修習生は私達のころの3倍以上の数になっているので、素晴らしい裁判官・検察官・弁護士の仕事を間近で体験する可能性が少なくなっていることは残念でならない。

困る場合

 弁護士をやっていて、最も困る場合の一つとして、民事訴訟を提起されている被告であるにもかかわらず、訴訟にされた、その当時のことを、全く覚えていない依頼者があげられるだろう。

 かすかな手がかりをもとに、必死で記憶を喚起させようとするのだが、これが殆どうまく行かないこともある。こんな時は大変だ。

 お医者さんで例えて言うと、

 患者「先生、どこか悪いので診て下さい。」

 医者「どんな症状がでていますか?どこがどのように調子が悪いのですか?」

 患者「とにかくどこか悪いので診て欲しいんです。」

という調子になるだろう。

 どこが痛いのか、どこがどう悪いのか患者が説明できなければ、当てずっぽうでも外見から判断したり、あちこち押してみたりして痛みを確かめたり、一般的な検査をして異常値がないか調べるなどして治療を進めざるを得ないだろうが、手を尽くしても病気の兆候が全く見られない場合は、的確な診断は実質上不可能である。

 お医者さんなら、異常は見当たらないので様子を見ましょう、という対応が可能だろうが、民事裁判の被告となると、そうはいかない。

 さらに悪いことに、大抵そのような依頼者は、人が良く、善意で対応していて、こんなことになる(訴訟提起される)とは思わなかったとのことで、殆ど証拠も残していないことが多い。そのくせ、妙に裁判所を信頼しており、裁判所は真実を見つけてくれるはずだから、自分は負けるはずがない、と信じ切っていらっしゃる方も、ときにはいらっしゃる。

 確かに裁判所が、ドラえもんの魔法の鏡でも持っていて、こすれば紛争が起きた時点の事実が鏡に浮かび上がるのであれば、話は簡単だ。それを見て判断すればいい。

 しかし、裁判所はそんな魔法の鏡を持っていない。したがって、双方の主張をきき、証拠を精査した上で、信用できると判断した証拠をもとに、どのような事実があったのかについて事後的に推論・認定し、その事実を前提に判断を下す。

 だから、証拠がないことは相当つらいのだ。さらに当時の記憶が曖昧だとなおさら辛い。こっちの主張する事実がそもそも曖昧だし、また、その事実が本当にあったのだということを示すことが困難なのだから、戦おうにも武器・弾薬がないのと同じだからだ。

 しかし、依頼者の人柄が良いからこそ、水くさい等の理由で証拠を残していない(若しくは巧妙に破棄させられた)場合が多く、こちらとしても歯がゆい思いをする。一方、原告側は訴訟を視野に証拠収集した上で提訴してきている場合が多く、証拠はかなりそろっている場合が多い。苦戦は免れない。

 ただ、そうであっても、依頼を受けた以上、全力を尽くし、少しでも依頼者の利益を実現するよう努力するのが弁護士だし、本来救われるべき方が救われるべきであるはずだと信じて戦うのが弁護士である。

 上記のような、困った方がお出でになると、いつもこのことを言い聞かせながら自らを鼓舞する自分がいるように思う。

独り言

 だいぶ薄れてしまったが、金木犀が香っている。

 夜、帰宅時に、鴨川を渡る際に、香りの不意打ちにあい、つい白い月を見上げつつ秋も深まってきたなと思う。

 お気づきの方も多いだろうが、金木犀は、木によって花を咲かせ香る時期が違うのか、少なくとも秋に2度は楽しめる機会があるように思う。

 最初は、秋の訪れ、2度目は秋の深まりを感じさせてくれる。

 僅か2~3週間ほどの時間差のように思うが、季節は着実に移ろい、次の季節へと急ぎ足で向かっていた、そんなことをまた見逃してしまっていた自分に気づく。

 「過ぎ去って(もしくは失って)初めて、気づくことが、人生においては、あまりにも多すぎる。」、そんな当たり前のことを、そう思って何度も悔やんだ自分がいたことを、今年も、また、この季節に再確認してしまっている気がする。

 そんな気になれるだけでも、秋っていい季節だ。

 でも、・・・・・。

 俺って、こういうことに、進歩がねえのかなぁ・・・・・。 

NHK ワンダー×ワンダー 「空飛ぶ人間」

 先週土曜日10月2日のNHK番組「ワンダー×ワンダー」は、素晴らしく面白かった。

 副題を「空飛ぶ人間」と題して、ウイングスーツを着て、高さ1000m以上ものフィヨルドの断崖から飛び降り、空を舞うスカイダイバー達や、ジェットエンジンつきの翼を生身の身体に装着して、ドーバー海峡横断に成功した男性(ジェットマンとの異名を持つ男性)の驚異的映像が写し出された。

 私も、小さいころから空が好きな方で、目を悪くしてパイロットになる夢が絶たれたあとも、京都大学体育会のグライダー部でグライダーの操縦訓練で大学時代を過ごしたものだ。今でも、飛行機に乗るときは、窓際に座り、飽きもせず外を眺めることが多い。

 しかし正直言えば、私は軽い高所恐怖症であり、9階にある自分の執務室の大きな窓にはあまり近寄らないし、開閉するときも多分おっかなびっくりでやっているように思う。東京タワーを見学したときも下をのぞける窓には近寄りたくなかった。

 バンジージャンプも、やむにやまれぬ事情で高さ45mの奴を海外で一度だけやったが、販売されていた自分のジャンプの際の記念ビデオは、力一杯へっぴり腰で映っていたため買わなかったし、やっぱり怖かったので、もう2度とやりたくない。

 ただ、矛盾するようだが、飛行機やグライダーで自分が飛んでいるときは、殆ど恐怖心を感じないのだ。グライダーで単独飛行中に、法律でのグライダー練習生(航空法により航空身体検査を経て発行される操縦練習許可証が必要)の許容高度は600mだったのだが、素晴らしい上昇気流に恵まれ、いけるところまで上昇してしまったことがある。後で、グライダーに積んでいた自動記録式の高度計できちんとチェックしてみたら1860mくらいまで上昇していた(もちろん違法でしたが、20年以上も前だし、もうさすがに時効だよね)。

 だから、今回の番組でもウイングスーツで飛行するダイバー達や、ジェットマンをみても、気分良さそうだな、やってみたいな、羨ましいな、という気持ちが強い。

 つまり、私の高所恐怖症は、高いところにじっとしていることが苦手であり、飛行している場合はそうでもない、という結構風変わりな恐怖症のようだ。

 高いところはとにかくダメ、という筋金入りの高所恐怖症の方はともかく、素晴らしい飛行映像が見られる番組だった。

 再放送は、NHK総合で、10月12日午前1:10~1:54(10月11日(月)深夜25:10~25:54)の予定だそうだ。

 深夜ではあるが、見逃された方は是非、ご覧になることをオススメしたい。

太地町イルカ漁への妨害

 報道によると、私の出身地である太地町が行っているイルカ漁の生け簀の網が、先日何カ所も切断され、反捕鯨とおぼしき団体が犯行声明を出しているそうだ。

 これは、れっきとした犯罪行為である。

 何度か言及したと思うが、クジラ類を食べることは食文化の一つだ。イルカとクジラはもちろん同類であり、その大きさによって呼称が変わっているにすぎない。そして、太地町は生活のために捕獲を行っているにすぎないし、もちろん人間の生存のために命を頂いた以上は、十分気をつけて無駄なく利用させて頂くし、感謝の気持ちを忘れていない(太地町には立派なクジラ類の慰霊碑も建立されている)。

 ある国(ある地方)の食文化を否定することは、自らの文化こそが正しい文化であり、自らの価値観に反する文化は劣っているという、極めて傲慢な考えが裏に潜んでいる。反捕鯨を標榜する団体(国)はまずその事実に気付く必要がある。確かに絶滅寸前なら保護の必要性も考慮の余地はあるだろう。しかし、調査によれば鯨は決して減少しておらず、むしろ増加する一方だとの報告もあるそうだ。

 そもそも歴史上、鯨類を絶滅近くまで追い込んだのは鯨油目的の欧米の乱獲であったはずだ。サファリと称して、楽しみのために野生動物を殺して回っていたのは、一体どこの誰なんだ。

 環境保護として動物の生命が大切なのであれば、大量にケージで飼育されるニワトリをなぜ解放しないんだ。フォアグラなんて、無理矢理食物を詰め込まれて脂肪肝にさせられ、その後に殺されてつくられるんだぞ、残酷きわまりないじゃないか。大量の搾乳と食肉のために飼育されている牛をなぜ牧場から解放しないんだ。増えすぎたとして殺戮され、その手を使った孫の手をお土産にして販売されちゃっているカンガルーは、かわいそうじゃないのか。環境保護の一環として、きちんとカンガルー駆除(反捕鯨を標榜するオーストラリアが実施)を妨害したんだろうな。

 そもそも生活の手段として行っている太地町の捕鯨行為を妨害するというのであれば、犯行声明を出した環境保護団体は、生活のための捕鯨であっても辞めないのであれば妨害するということだ。

 極論すれば妨害された漁民の命なんか考えていない、つまり人間の命よりも他の生物の命が大事だという価値観を持っているということになる。しかし、そんなの正しくないだろう。

 他の生物の生命を人間より重視するのであれば、環境保護団体の連中は、何を食べて生きているんだ。ベジタリアンだと言い張ったって、野菜だって果物だって生きている。その生命を頂くことは同じだ。井戸水だって微生物がいるかもしれないぞ。

 まさか自分の食べる動植物の命だけは別格なんて言わないだろうな。それこそ傲慢の極みではないか。

 反捕鯨環境保護団体の中に、考える力が残っている人がいるのなら、少しは考えて欲しい。

 人間を含めた全ての動物は生きていくために、他の動植物の生命を頂かざるを得ないという、ごく当たり前のことを。

 この当たり前のことを何度言っても理解できないというのであれば、もはや宗教にはまっているとしか言いようがない。

大学院の講座

 5年ほど前から、関西学院大学法学部で「司法特別演習」を担当させて頂いておりますが、今年の秋期から、さらに、関西学院大学大学院法学研究科で、「ビジネス法務特論」という講座を受け持っています。コーポーレートファイナンス関連で、主に株式について大学院の学生さんが勉強するお手伝いをさせて頂くことになりました。

 このように書くと、「なんだ、坂野は法科大学院に反対しながら講師になっているのか、スジの通らん奴だ」。と思われるかもしれませんが、そこは筋を通して、法科大学院である司法研究科ではなく、法学研究科での非常勤講師です。

 今日で2回目ですが、なかなか優秀な大学院生さんなので、こちらも頑張って勉強しなくては、と考えております。少人数・アットホームな雰囲気であることを生かして、問答形式で進めたり、知識定着のために新司法試験用の教材などを利用したりしてみました。大学院での講座は初めてなので、大学院生諸君の意見も聞きながら、より役立つ講座に出来るよう頑張るつもりです。

尖閣諸島問題~船長釈放へ

今日、尖閣諸島問題の船長が釈放されるとのことだ。

官房長官のコメントでは、検察庁の判断としているが、私から見ると官房長官のコメントは、かなり不自然に写る。

検察庁は、もちろん司法に携わるし、検察官も司法試験に合格した法曹だ。しかし、検察庁は行政に所属する組織だ。だからこそ、検察官は法務大臣の持つ一般的指揮権に服するし、個々の事件に関しても法務大臣には検事総長を指揮する権限が検察庁法14条で定められてもいるのだ(この指揮権は、造船疑獄事件で唯一発動されたとされている~指揮権発動後、当時の犬養法相は辞任)。

つまり、検察庁には、基本的には独立性はあるものの裁判所・裁判官のような高度の(同程度の)独立性は保障されていない。

 つぎに、今回の船長釈放について、那覇地検の次席検事は、外交問題等の配慮もあったように述べているが、外交問題の配慮は検察庁の職域というより、政府・外務省の職域のはずだ。しかも、ここまで大きくなった問題を、検察庁が政府にはかることなく勝手に決定することはかなり不自然だ。政府の意向に反していたら、政府・官房長官から当然批判されるだろうし、政府は、自らの意向に沿った措置を執らせるよう、必ずや何らかの手段を執ったはずだ。官房長官は刑訴法248条(起訴便宜主義)の意を体して、那覇地検が処分保留で釈放したと述べていたが、那覇地検としても単独での判断は困難だったようで、最高検と協議したようだ。

 検察庁としても、現在証拠ねつ造問題で大きな火種を抱えている時期でもあり、政府の意向に反しさらに独断専行と言われかねない行動をとれる状況にはないと思われる。

 そうすると、今回の釈放は、検察庁の判断のみで行われた可能性は極めて低いだろう。すなわち、船長保釈は、明確な指示があったかどうかは別として、政府の意向であった可能性が極めて高い。

 確かに、中国は、対応をエスカレートしてきていた。中国に駐留する大使を何度も呼びつけたり、閣僚交流を停止したり、今日などはレアアースの禁輸措置を執ったとの報道まで出た。きちんと話し合う姿勢よりも対決姿勢を見せつける対応をとっていた。

しかし中国の主張は、「不当に身柄拘束を受けた船長を即時釈放しろ」というものであり、「不当」という以上、そもそも日本の領土であるはずの尖閣諸島が、中国の領土であることが前提とされている。

おそらく中国側は、不当に船長を勾留していた日本が非を認めたという対応をするだろう。尖閣諸島を自らの領土と主張する中国からすれば当然の主張になる。逆に言えば、日本は尖閣諸島の領有問題で大きくダメージを受けたことになるだろう。

今後尖閣諸島の問題が再燃した際に、2010年に中国人船長を逮捕・勾留しながら、日本政府は日本法による処罰をできなかったのだから、その事実は尖閣諸島の領有権が中国にあることを認めたからだろう、と言われた際にどう反論するのだろうか。

また、日本と領土問題で対立しても、強硬な姿勢で貫き通せば、いずれ日本が折れる、との印象を国際社会に与えかねないだろう。領土問題ですら折れてくるのなら、通商問題なら、なお折れてくると見られても仕方あるまい。

国際問題で、利益が対立した場合に、勝手に一方が譲歩して、その譲歩に相手方が感激するなどして、お互い譲歩しあうという美談調でうまくまとまったためしはあまりないように思う。一方が譲歩すれば、譲歩させた一方が、かさにかかってさらに相手方に譲歩を求めていくことが多いようにも思われる。

 外交上、何らかの取引等があって、今回の釈放が日本の国益に沿うだけのなんらかの見返りがあるのであれば、やむを得ないかもしれない。

 しかし、あくまで自国の領土内で起きた公務執行妨害事件での、この日本の対応は、私から見れば残念というほかない。