太地町イルカ漁への妨害

 報道によると、私の出身地である太地町が行っているイルカ漁の生け簀の網が、先日何カ所も切断され、反捕鯨とおぼしき団体が犯行声明を出しているそうだ。

 これは、れっきとした犯罪行為である。

 何度か言及したと思うが、クジラ類を食べることは食文化の一つだ。イルカとクジラはもちろん同類であり、その大きさによって呼称が変わっているにすぎない。そして、太地町は生活のために捕獲を行っているにすぎないし、もちろん人間の生存のために命を頂いた以上は、十分気をつけて無駄なく利用させて頂くし、感謝の気持ちを忘れていない(太地町には立派なクジラ類の慰霊碑も建立されている)。

 ある国(ある地方)の食文化を否定することは、自らの文化こそが正しい文化であり、自らの価値観に反する文化は劣っているという、極めて傲慢な考えが裏に潜んでいる。反捕鯨を標榜する団体(国)はまずその事実に気付く必要がある。確かに絶滅寸前なら保護の必要性も考慮の余地はあるだろう。しかし、調査によれば鯨は決して減少しておらず、むしろ増加する一方だとの報告もあるそうだ。

 そもそも歴史上、鯨類を絶滅近くまで追い込んだのは鯨油目的の欧米の乱獲であったはずだ。サファリと称して、楽しみのために野生動物を殺して回っていたのは、一体どこの誰なんだ。

 環境保護として動物の生命が大切なのであれば、大量にケージで飼育されるニワトリをなぜ解放しないんだ。フォアグラなんて、無理矢理食物を詰め込まれて脂肪肝にさせられ、その後に殺されてつくられるんだぞ、残酷きわまりないじゃないか。大量の搾乳と食肉のために飼育されている牛をなぜ牧場から解放しないんだ。増えすぎたとして殺戮され、その手を使った孫の手をお土産にして販売されちゃっているカンガルーは、かわいそうじゃないのか。環境保護の一環として、きちんとカンガルー駆除(反捕鯨を標榜するオーストラリアが実施)を妨害したんだろうな。

 そもそも生活の手段として行っている太地町の捕鯨行為を妨害するというのであれば、犯行声明を出した環境保護団体は、生活のための捕鯨であっても辞めないのであれば妨害するということだ。

 極論すれば妨害された漁民の命なんか考えていない、つまり人間の命よりも他の生物の命が大事だという価値観を持っているということになる。しかし、そんなの正しくないだろう。

 他の生物の生命を人間より重視するのであれば、環境保護団体の連中は、何を食べて生きているんだ。ベジタリアンだと言い張ったって、野菜だって果物だって生きている。その生命を頂くことは同じだ。井戸水だって微生物がいるかもしれないぞ。

 まさか自分の食べる動植物の命だけは別格なんて言わないだろうな。それこそ傲慢の極みではないか。

 反捕鯨環境保護団体の中に、考える力が残っている人がいるのなら、少しは考えて欲しい。

 人間を含めた全ての動物は生きていくために、他の動植物の生命を頂かざるを得ないという、ごく当たり前のことを。

 この当たり前のことを何度言っても理解できないというのであれば、もはや宗教にはまっているとしか言いようがない。

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