週刊東洋経済~福井秀夫教授の発言

 週刊東洋経済2008.11.22号の「設計ミスの司法改革弁護士大増産計画」という記事の中で、規制改革会議の福井秀夫政策研究大学院大学教授が、物凄い発言をされています。

(以下記事の引用)

 政府の規制改革会議の福井秀夫・政策研究大学院大学教授は「ボンクラでも増やせばいい」と言う。「(弁護士の仕事の)9割9分は定型業務。サービスという点では大根、ニンジンと同じ。3000人ではなく、1万2000人に増やせばいい」。

(以上引用終わり)

 弁護士の仕事について福井秀夫氏がどこまでご存じか知りませんが、上記の発言を本当に福井秀夫氏がしたのであれば、福井氏は「弁護士の仕事は99%が定型業務である。」と述べておられることになるでしょう。

 少なくとも私が行ってきた弁護士の経験から言えば、どんな簡単な契約チェックでも、契約対象、相手方、依頼者の希望、その他様々な点で、全く同一というものは、まずありません。訴訟についても、同じ類型の訴訟であっても、言い分や事実、証拠の有無、相手方の対応で、千差万別であって、裁判所に提出する主張書面は、全てがオーダーメイドです。何一つ同じ訴訟というものはありません。

 定型的に近い処理が出来る可能性があるのは債務整理業務でしょうが、それが弁護士の仕事の99%を占めていることは、特殊な法律事務所以外考えられません。

 福井秀夫氏には、知らないことを、さも知ったかぶりで言うことはやめて頂きたいと思います。

 それでも福井秀夫氏が、弁護士の業務は99%が定型的だと仰るのであれば、弁護士登録して頂いて、福井秀夫法律事務所を開設し、受任する仕事の99%を定型的に処理して見せてもらいたいものです。

 通常の法律事務所のように様々な事件を取り扱っていれば、99%の事件を定型的に処理することはまず不可能です(同じ離婚訴訟だからと言って、以前の離婚訴訟で使用した書面を、事情の異なる別の離婚訴訟にそのまま使えるはずがないのは、子供でも分かるでしょう)。もし、福井秀夫氏が弁護士登録して自分の法律事務所で、様々な事件のうち99%の事件を定型的に処理し続ければ、その処理方法自体が福井秀夫氏がボンクラ弁護士であることの証となるでしょう。

 ただ、福井秀夫氏の発言を、無理矢理にでも善解すれば、定型的という意味を非常に広く考えておられて、訴訟自体が一つの定型的な類型、法律相談を一つの定型的な類型、・・・・というふうに表現している可能性もひょっとしたらあるかもしれません。しかしそれでは福井氏の発言自体に意味がないことになります。

 つまり、福井秀夫氏のいう「定型的仕事」が非常に広い概念であると仮定すれば、次のようにも言えるでしょう。

 大学教授の仕事は研究と講義(学生への教育)であり、定型的な仕事である。だから大学教授はボンクラでも良い。

 医師の仕事は、診断と治療であり、定型的な仕事である。だから医師はボンクラでも良い。

 新聞記者の仕事は、取材と記事の執筆であり、定型的な仕事である。だから新聞記者はボンクラでも良い。

 どう考えたって、このような主張はおかしいでしょう。

 ただ、救いなのは東洋経済の記事を書かれている方が、冷静に福井教授の暴言に対応しておられることです。

(福井教授の発言のあとに)「だが、庶民が弁護士に依頼するのは一生に一度か二度の買い物だ。たまたまハズレ、ではたまらない。」

 冷静に考えれば、この記事を書かれた方の言うとおりでしょう。

法曹人口と訴訟件数

 日弁連の統計表をみると、弁護士数は2008年現在25062人、1996年時点では約15500人程度のようです。

 従来から弁護士数は少ないと、言われ続けてきていましたが、本当にそうだったのでしょうか?

 この点に関して、面白いデータがあります。

 最高裁判所事務総局が1996年時点での、法曹一人あたりの民事第一審訴訟件数(法曹が一年間にどれだけの民事訴訟を担当するか)を比較調査した結果、次の通りだったとのことです。

 フランス31.2件

 イギリス28.3件

 ドイツ18.9件

 アメリカ16.2件

 日本21.4件

 訴訟の手間にもよりますが、法曹一人あたりの民事訴訟の件数だけで見ると、既に1996年時点で日本には諸外国と比べても、民事訴訟を十分担うだけの法曹(弁護士)が既に存在していたことになります。

 単に人数や人口比だけを比較して、弁護士数は少ないと主張するのが、弁護士数を増加させようとする人たちの手法です。しかし、本当に日本の社会で弁護士数が少ないかどうかを判断するためには、実際に弁護士を利用したいと思う人が利用できるだけの弁護士が存在するか否かで判断すべきではないでしょうか。

 そうだとすると、1996年時点で既に、諸外国と比較して、第1審の民事訴訟を十分こなせるだけの弁護士数がいたとも言えるのです。

 その後2008年まで弁護士数は激増しました。約162%の増加です。これまで以上に、弁護士数を増加させて何か良いことが本当にあるのでしょうか。

 かつて痛みに耐えて構造改革といわれたことがありました。みんな必死で痛みに耐えたはずですが、その痛みに見合った結果は出たのでしょうか。今でも、弁護士会でもお偉方は、歯を食いしばってでも司法改革と主張されますが、ここまで歯を食いしばってきた若手にその痛みに見合う何かを与えることができたのでしょうか。

 魅力ある司法、国民が利用しやすい司法が達成できたのでしょうか?

やっぱりひどいと思う国選報酬

 ある会社員の方が、得意先を回る際に、「会社から8キロ以上遠方でないと、地下鉄代も出さないよ。」と会社から言われたら、8キロ以内の得意先に徒歩でまわる気力が出るでしょうか?

 仕事のためにどうしても必要なコピーを、やむを得ず自分が費用を出して行い、その費用を会社に請求したときに「コピーなんてせずに、見て覚えてくればいいだろう。コピーしちゃったらしょうがないけど、そのコピー代も君の給料に含まれているから、200枚を超えた部分のコピー代しか出さないよ(200枚までは自腹を切れよ)。出すとしても、君がコピーにかかった費用の半分以下しか出せないよ。」と言われたら、いくら仕事に必要だとしてもコピーを取る気がするでしょうか?

 さらに、仕事にどうしても必要な郵便を出す場合に、その郵便費用も全て自腹とされたらどう思うでしょうか?

 しかも、上記のようなとんでもない得意先回り・コピーが必要とされる仕事を一生懸命やればやるだけ、他の仕事がきつくなる上、なんとか成果を上げても評価されないとすれば、会社員の方は、やる気が出るでしょうか。

 実は、上記のことは全て国選弁護に当てはまるのです。

 国選弁護では、交通費は報酬に込みとされており、8キロ以上の交通費でないと支給されません。8キロ以内は「地下鉄もバスも贅沢だ、歩け!」と言うことのようです。

 また、被告人にとっては接見(面会)は唯一の外界との接点であり、弁護方針等を決めるためにも非常に重要な行為ですが、8キロ以上の遠方でないと交通費も出ない、どれだけ時間がかかっても評価されないのです。時間をかければかけるだけ、充実した弁護のために接見をすればするだけ、弁護人が損をする(自腹を切らなければならない)仕組みになっています。

 刑事記録の閲覧権は弁護人にありますが、閲覧するにも検察庁に出向く必要があり、その交通費も出ません。

 きちんと刑事弁護しようと思えば、刑事記録のコピーは不可欠ですが、 コピーは特定の業者しか扱っておらず、なんと一枚42円もします。しかも否認事件など特殊な事案でない限り、200枚を超える部分のコピー代金につき一枚20円が支給されるだけです。

 つまり、仮に350枚のコピーが必要であった場合に、弁護人が負担するコピー代は350×42=147000円ですが、国選弁護で支給されるコピー代金は、(350-200)×20=3000円です。つまり11700円を弁護人個人で負担しろということなのです。

 お金のない被告人がお詫びの手紙を書いて、弁護人を通じて郵送して欲しいという依頼してきた際に、弁護人が被告人の弁護に必要と考えて、お詫びの手紙を郵送する切手代すらも、国選弁護では出してもらえません。

 このように、国選弁護は良い弁護をしたければ、弁護人に自腹を切れということに制度上なっています。

 それでも、成果が上がったときに評価してくれるのであれば、まだ救われますが、どれだけ沢山の事務をこなしても、求刑からどれだけ減刑させても、評価にはつながらないようです。私の今回の国選弁護では、追起訴が4件もあり、合計で事件数は5つになりました。単純に考えれば、事件数が一つの場合の5倍の手間がかかっています。求刑だって検察庁が法律を適用し、求刑相場にしたがって、行われるものであり相当の根拠があります。その検察官の求刑(5年)から、半分に減刑させ、未決勾留日数も90日算入してもらえました。被告人は実質2年3ヶ月の刑になったのです。

 しかし、それでも、評価の対象にはならないそうなのです。

 どれだけ自腹を切って、頑張って時間をかけて弁護をし、なんとか良い結果を出したとしても、何の評価もないのであれば、やる気は当然失せていくでしょう。

 私は、税金で育ててもらったという思いがあるので、まだ国選弁護をやってはいます(但し、現在では積極的に受任するわけではありません)が、あまりの仕打ちにやる気がどんどん失せつつあります。

 一生懸命に弁護している弁護士にとって、国選弁護を黒字の仕事にすることはできないでしょうが(私の経験上、断言できますが、経営者弁護士が国選弁護だけで経営を維持することは、手抜き弁護をしない限り絶対に無理です。)、せめて実際にかかる経費くらいは支給してもらいたいものです。

法科大学院の不適合~その2

 法科大学院の適合・不適合の判断については、第三者機関が厳正に行うことになっているようです。その第三者機関は、実は財団法人日弁連法務研究財団、財団法人大学基準協会、独立行政法人大学評価・学位授与機構と3つも存在しています。

 また、どの団体に審査してもらうかについては、各法科大学院が選べるようなのです。第2東京弁護士会がバックアップして作った大宮法科大学院大学は、合格率の低迷が指摘されつつも適合と判断されていますが、大宮法科大学院が評価を依頼したのは、当然のごとく日弁連法務研究財団でした。

 日弁連法務研究財団の理事などには、法科大学院構想に賛成した元日弁連会長などが多数含まれており、第2東京弁護士会がバックアップして作った大宮法科大学院を不適合だと言いにくいと思われる団体です。したがって、少なくとも大宮法科大学院を評価するには適していない団体だと、私個人の目には映ります。中立的な第三者による厳正・公正な判断をすべき場面であるからです。他の法科大学院においても、自らの大学の出身者が重鎮を占めているような団体を探して、評価を依頼している可能性が捨て切れません。

 また、日弁連法務研究財団では、どのような評価基準で適合するか否かを判断するかについての解説まで、HPに公表されているのですから、これはもう、答えを教えてテストをするようなものだと思います。

 さらに、その評価基準を見てみると、どのような設備・カリキュラム・制度・教授陣を有し、いかなる授業を行って評価しているのかという、形式的な面が中心です。法科大学院が、「旧司法試験合格者の前期修習終了レベルまで学生を教育できる、そのような実力を身につけた学生しか卒業させない」という前提で、司法修習制度も変更されたのですから、実際どれだけの法的知識・リーガルマインドを身につけたかについても(新司法試験の合格率でしか判断できないかもしれませんが)当然評価すべきですが、それについては私が評価基準を見る限り評価の対象外となっているようです。

 これはおかしいと思います。

 なぜなら、そもそも法科大学院の目的は、立派な教室を作るとか立派な教授陣をそろえるとか、立派な講義を行う、というものではないからです。法科大学院の目的は、優秀な法曹(候補者)を育てることにあるからです。

 どんなに素晴らしい校舎・教授陣・カリキュラム・講義が可能であっても、学生に優秀な法曹(候補者)としての実力を身につけさせることができなければ、法科大学院として失格=不適合とすべきことは、その目的からいって当然でしょう。

 誤解を恐れず簡単に言えば、どうも法科大学院評価機関は、例えは悪いかもしれませんが、最新式のオートメーション工場があるだけで適合、町工場であればそれだけで不適合、と判断しているような面が感じられます。たとえ同じ製品の品質が町工場の方がはるかに高く、オートメーション工場で不良品が多発していても、それは評価の範囲外としているように思われます。

 法科大学院自体問題がありますが、その評価の制度も問題がありすぎる制度のように私には思えるのですが・・・・・・。(続く)

法科大学院の不適合

 先日、いくつかの法科大学院が不適合であると、認証期間から指摘されたというニュースが流れていました。法科大学院を厳正に評価するための機関が、いくつかの法科大学院に問題があると指摘したということです。

 その内容は、朝日新聞社によると、「京都産業大では、理解が不十分な学生向けの「補講」などで授業時間が実質的に上限を超えていたほか、出欠をとらない授業もあった。東海大は、単位数に含まない「自主演習」の形で司法試験に出題される基礎科目を教えており、「基本的な制度設計に誤りがある」と指摘された。山梨学院大は、定期試験の不合格者が受ける再試験に全く同じ設問を出すなどの問題があった。」とのことのようです。

 山梨学院大学の措置は、再試験にも全く同じ問題を出すなど、答えを教えて再試験をするようなものです。厳格な修了認定という法科大学院の建前からすれば、極めて大きな問題を残すので、やはり問題でしょう。

 しかし、私から見れば、京都産業大・東海大はなぜ不適格なのか若干疑問があります。理解不足の学生に補講を行うことは授業時間が多すぎる、基礎科目を自主演習として教えたことは司法試験対策だから問題がある、というのが不適合の理由のようです。

 学生の自主的勉強の時間を取るために法科大学院では講義時間(単位)の上限を定められているようですが、理解不足の学生に教えることは理解不足の学生が自主的に勉強するよりも効率的なはずでしょう(もし学生の自主的勉強の方が効率が良いのであればそもそも法科大学院は不要なはずです)。また、法科大学院の目的は質の良い法律家を育てることだったはずですから、学生の自主的な勉強時間を確保しても法律実務家としての力が身に付かないのであれば意味がありません。学生の自主的勉強の時間が減少しても、法律実務家としての実力が身に付けば良いはずです。質の良い法律家を育てようという目的のために、法科大学院という手段を作ったものの、今では、法科大学院という手段を維持することが目的となってしまい、質の良い法律家を育てるという、そもそもの目的が見失われているとしか思えません。

 また、日弁連法務研究財団の法科大学院評価基準によると、法科大学院として適合するためには、「授業科目が法律基本科目、法律実務基礎科目、基礎法学・隣接科目、展開・先端科目の全てにわたって設定され、学生の履修が各科目のいずれかに過度に片寄ることのないように配慮されていること。」とされており、法律基本科目とは、憲法・行政法・民法・商法・民事訴訟法・刑法・刑事訴訟法に関する分野の科目をいう、となっています。いずれも新司法試験に必要な科目です。

 しかし、法律基本科目を身につけるだけでも大変です。よほど大学在学中に勉強した人や、異常に頭の良い人をのぞけば、法律基本科目を司法修習に耐えうる程度まで理解するだけでも、3年くらいかかってもおかしくありません。数学や物理に早熟の天才は存在しますが、法律学には早熟の天才がいると聞いたことがありません。このように法律を学ぶには、才能よりも、努力や積み重ねが重要なのです。
 法律解釈の基礎や民事法・刑事法の基本を理解していれば先端科目はその応用で対応できる場合がほとんどです。しかし、民事法・刑事法の基本が理解できていないうちから先端科目を教え込まれても理解不能です。
 それにも関わらず、適合基準を守ろうとすれば、法科大学院では法律実務基礎科目や、基礎法学、先端科目まで履修を求められるのですから、掛け算・因数分解も十分理解していないうちから、微分積分をたたき込まれるようなものです。

 民事法・刑事法の基礎ができているが先端科目は知らない新人弁護士と、民事法・刑事法の基礎はあやふやだが先端科目の知識を少し持っている新人弁護士とでは、実務家として明らかに前者の方が優れています。いざというときに基本に戻って考えることができるからです。

 (詳しい事情は不明ですが)善意に解釈すれば、京都産業大・東海大は法科大学院生といえども、その実力不足に驚き、「良い法曹を育てるためには基礎を十分教えておく必要がある」との強い懸念を持って、法律基本科目を身につけさせようと努力していたと言えるのかもしれません。

(続く)

日本の法律家人口は多すぎる!?

 司法試験合格者3000人にするようにという主張をされる方が、よく根拠とされるのは、日本の法曹人口(弁護士・裁判官・検察官~狭義の法曹)は諸外国に対して少なすぎるという点です。

 日本の法曹人口が少なすぎると主張される方は、一般の方々に充実した法関連サービスを提供するという目的からみれば、他の先進国と比べて法曹(以下、特に弁護士に話を限ります)が少なすぎる、せめてフランス並みにしなくては、という主張をされているようです。

 ところが、フランスを始め、いわゆる先進国では、弁護士が日本の、いわゆる「隣接士業(司法書士・行政書士・税理士・弁理士・社会保険労務士・土地家屋調査士など)」の仕事を受け持っているのが普通です。日本では企業にも法務部があり、法務部員の方が法律的業務に従事していますが、アメリカなどでは法務部の代わりに弁護士がその業務を担当していることが普通だといわれています。

 したがって、いわゆる先進国の法曹(特に弁護士)のやっている仕事は、司法書士業・行政書士業・税理士業・弁理士業・社会保険労務士業・土地家屋調査士業等の他・企業法務部の仕事も入っています。法関連サービスのほぼ全てに弁護士が関与しており、一般の方に法的サービスを提供しているのです。

 誤解を恐れずに簡単にして、日本の仕事に当てはめていうと、先進国の弁護士には、つぎのような種類があるということになります。

①弁護士的弁護士(日本の弁護士のような仕事をする弁護士)

②司法書士的弁護士(日本の司法書士的な仕事をする弁護士)

③行政書士的弁護士(日本の行政書士的な仕事をする弁護士)

④税理士的弁護士(日本の税理士的な仕事をする弁護士)

⑤弁理士的弁護士(日本の弁理士的な仕事をする弁護士)

⑥社会保険労務士的弁護士(日本の社労士的な仕事をする弁護士)

⑦土地家屋調査士的弁護士など(日本のその他の法律関連士業的な仕事をする弁護士)

⑧企業法務部的弁護士(日本の企業法務部的な仕事をする弁護士)

 以上を前提に、日本の弁護士人口が諸外国と比べて多いか少ないかを比較しようとすれば、

A:比較しようとする先進国の弁護士から②~⑧に従事している弁護士の数を引いて日本の弁護士と比較するか、

B:日本の弁護士数に②~⑧に従事している人の数を加えて計算する、

のが正しいはずです。

 ところが、日本の法律家(弁護士)が不足していると主張する人たちの計算方法は、日本の弁護士は①だけを計算し、諸外国の弁護士は①~⑧を全て合計して計算して、その数を比較しているのです。

今後弁護士を増やす代わりに②~⑧の仕事全てを弁護士にやらせるのであれば別ですが、そうでない現状では、明らかに意図的に計算方法を歪めているとしか思えません。

 諸外国の弁護士のうち②~⑧の数を算定するのは困難なので、Bの計算方法をとったとすれば、以前このブログで紹介させて頂いた「司法の崩壊」を書かれた河井克行衆議院議員の計算では、日本の法曹人口は既に約27万人にも上っており、先進国ではアメリカに次いで最も法律家の多い国になるそうです。

 それでも日本の法律家人口は少なすぎるのでしょうか?

新61期司法修習生就職状況

 月刊大阪弁護士会9月号に、新61期の司法修習生就職状況が掲載されています(p38)。

 それによると、日弁連調査によると7月11日~8月1日にかけて調査した結果では、就職未定率17%(約5.8人に一人が未定)で、300名以上が就職が内定していないとのことだそうです。6月段階の調査では就職未定率20%であったので、わずかな改善しか見られません。ちなみに、新60期の就職に関していえば、昨年同時期の調査で就職未定率8%(約12.5人に一人が未定)だったそうなので、わずか1年でさらに就職難は進展したということになるようです。

 大阪弁護士会の独自調査でも、7月14日段階で、大阪修習の新61期215名に対する調査で回答者177名中、就職内定者114名で全体の64%です。弁護士志望者のうち就職未定者は35名で、回答者中約20%が就職できずにいるそうです。

 先日の9月4日付、私のブログを見ればお分かりの通り、8月6日の臨時総会で新61期の合格者数を容認する8号議案に賛成された方は1100人以上いたはずです。その中で経営者弁護士の数も相当数あるはずです。どうしてその方達は、新61期を採用してあげないのでしょうか。

 堂々と(現状の合格者数を容認する内容の)8号議案に賛成された先生方が、就職に困っている新61期の修習生がいるのに、採用してあげないのであれば、無責任のそしりを免れないでしょう。

 執行部は、委任状の集計などにより、どなたが8号議案に賛成されたかご存じのはずですから、就職に困っている修習生に対し、その氏名を開示してあげたらどうですか?

日本経済新聞「法務インサイド」

 本日の日経新聞朝刊の、「法務インサイド」の記事に、「弁護士就職波高し」との記事が掲載されていました。

 日経新聞の分析では、就職未定者は、新旧61期を併せて170名前後ではないかとされています。日弁連は懸命に法律事務所に採用を呼びかけているそうですが、今年は無理との返答も多いようです。また、地方に活路を見出す途も狭まりつつあるそうです。
 昨年のほぼ同時期に、同じく日経新聞朝刊「法務インサイド」で、「弁護士飽和に危機感」との記事を、今回の記事を書かれた赤羽雅浩記者が書かれていましたが、そのときはまだ、ある新人が先輩弁護士から地方スタートを勧められたというように、地方はまだまだ需要があるとの前提で書かれていたようでした。
 この記事をもとにすれば、わずか1年で、地方の需要も満たされつつあるということになりそうです。

 弁護士数は2000年時点で17126人でしたが、2008年3月には25062人、2008年中に弁護士登録すると見込まれる新旧61期の2100~2300人を合計すると、2008年中には、27000人は超えるでしょう。法曹不足が盛んにいわれていた1990年に比べればほぼ2倍以上の弁護士数になっています。今、司法試験合格者を年間3000人合格者にすれば、5年以内に、1990年当時の弁護士数の3倍にまで弁護士が増加します。ちなみに、1990年から2000年までの10年間で弁護士数は3326人増加しました。つまり、年間司法試験合格者3000人ということになれば、これまで10年間近くかかって増加した弁護士数とほぼ同じくらいの弁護士数が、毎年毎年世の中に出てくることになります。

 弁護士に依頼してまで解決しなければならない法律問題が、1990年頃に比べて、2倍になっているでしょうか?ここ5年以内に法律問題が1990年当時の3倍にふくれあがっていくと思われますか?司法統計によると、ここ数年の民事事件数は、減少ないし横ばい状態です。

 何度も言いますが、もし弁護士の需要があるのであれば、新人弁護士は引く手あまたであり、就職難などあり得ません。新人弁護士の就職難、すなわち弁護士過剰なのです。

 このように、完全に需要を見誤ったまま進行する法曹人口増加の計画を、いつまで続けるつもりなのでしょうか。

法科大学院のあきれた状況

 法曹人口問題PTでご一緒した増田尚弁護士が、PTのMLに、先日、流して下さった情報です。

 自民党の河井克之議員のブログ(http://www.election.ne.jp/10868/61155.html)からの引用になります。 長くなりますが、是非お読みいただきたいので、以下に引用します(なお、赤字部分は坂野が色を付けました。)。

(以下引用)

 昨日(8月28日)午前11時から党本部で開かれた自民党の文教合同会議で、法科大学院についての新規の概算要求に批判が続出し、承認されないという異例の事態が起こりました。

 来年度政府予算案概算にあたって文部科学省は、「法科大学院教育水準高度化事業」として5億円を要求してきました。取り組み例として、①質の高い入学者選抜方法を研究開発する、②質の高い教員を確保する方法を共同で考える、③厳格な修了認定・成績評価のシステムを開発するという内容になっています。でもこれでは、これまで法科大学院では質の高い入学者選抜が実施されず、教員の質は低く、修了認定は大甘だったと事実を世間に自白するようなものではないでしょうか。どれも高度化事業として特別に予算を組むのではなく、法科大学院の通常の業務の範囲内で行うべきことばかりです。しかも新規要求といいながら、似たような内容の事業は今年度に四件で9200万円余をかけて実施中。私に説明に来た文部科学省の職員は、「いまの事業をスクラップしました」と胸を張っていましたが、なんのことはない、9200万円の事業が5億円の事業に名前だけ変えて“焼け太った”だけです。

 こんな無駄使い事業に国民の貴重な税金を投入しなくても、既に法科大学院には国から手厚い支援が行き渡っています。文部科学省からの財政支援だけで、法科大学院関連にはなんと年間200億円もの巨費が投じられています。また最高裁判所と法務省からは数十人の現職判事・検事が三年間、法科大学院教授として派遣されています。加えて、学生一人ひとりは、三年間で授業料等や生活費、そして本来仕事をしていれば得ていた逸失利益を含むと2千万円もの重い経済的負担を強いられている。これだけみんなが寄ってたかって金と人材をつぎ込んでいるうえに、さらになぜ5億円ものお金が必要なのでしょうか、理解できる説明はとうとうありませんでした。文科省の職員は私にこうも言ったのです。「これは法科大学院の教育改善を促す“あめ”なんです」と。“あめ”がないと仕事をしないような法科大学院の教員は辞めてしまえと私は言いたい。互いに連絡を取り合いたいのならいまはメール等で十分。どうせ予算消化のために会議や出張を無理やり作り上げるのが関の山なんです。

 一万歩譲って、「私たちも頑張っているのですが、なかなか当初の理念どおりに質の向上・確保ができないので、どうか助けてください、力を貸してください」と法科大学院協会が頼んでくるのならまだ検討の余地はあるかもしれません。しかしながら、彼らは一体何と言っているのでしょうか。協会の青山善充理事長は8月7日に発表した『法曹養成制度をめぐる最近の議論について』の中で、自分たちはまったく悪くない、旧試験時代と比べて新司法試験組が劣る根拠はない、むしろ元の仕組みよりも優れているなどと言い放ちました。二回試験で過去最高を記録した不合格率や、7月18日に最高裁が重い口を開いた『新第60期司法修習生考試における不可答案の概要』での新試験組への厳しい評価を無視する、まさに自己反省なき暴論です。国民の血税を有難く使わせていただいていますという謙虚な気持ちをかけらも感じられない文書に私は失望しました。そんな法科大学院になぜさらに金を投入しなければならないのでしょうか。馳浩・党文部科学部会長に促され、役所は何度も何度も説明を繰り返しましたが、言えば言うほどかえって多くの出席議員から反発をかってしまっただけでした。法曹のあり方をまじめに勉強してきた若手議員たちがこの事業の妥当性を追及するだけでなく、閣僚経験の重鎮議員までもが「そもそも法科大学院を出ていないと新司法試験を受験できない今の仕組み自体がおかしいのだ」と発言、元文部科学副大臣が「朝礼暮改ではなく、朝礼朝改でいい。法曹養成制度のおかしいところは素早く見直さなければならない」と言い出す事態に。いつもなら一時間で終わる会議が1時間40分もつづき、たった一人「別の場で議論しよう」と言った人を除けば、今回の新規要求を支持する発言をした議員はまったくいませんでした。皆無。

 結局、馳部会長の決断で、この新規要求は「保留」となり、文部科学省が財務省に対して、自民党は了承していないことを伝える羽目になってしまったのです。役所が提出した概算要求が自民党の関係部会で通らないというのは極めて異例のことです。最近あちこちで言われるようになってきた法科大学院教育における「質の低下」を逆手にとって予算増を図ろうとする役所の思考には、予想されたこととはいえ、唖然とするばかりです。これこそ典型的な“焼け太り”予算です。

 法科大学院で起こりつつある現実を直視した議論が、これから盛んになることを私は心から期待しております。

(引用ここまで)

 年間200億円も法科大学院に税金を投入するくらいなら、これまでの制度のように司法試験に一本化して、司法試験の合格者に対して、きちんと研修所教育を施すことにお金を使う方が、よっぽど建設的でしょう。

 マスコミの方も、法科大学院の言い分を鵜呑みにするのではなく、事実を国民の皆様に伝えていただきたいと思います。なぜなら、これまでマスコミの方々は、優秀な法曹を育てるための法科大学院と連呼されてきたので、法科大学院は優秀な法曹だけを輩出しているという誤解が、国民の間にかなり広がっているからです(私も、相当数の法科大学院卒である優秀な方の存在は否定しませんが、全体的な質の低下は否定できないと考えています)。

 確かに法科大学院の理想は正しかったのかもしれませんが、しかし現実を見て法科大学院制度がその理想に反する結果しか出せない場合、やはり、きちんと事実を報道すべきだと思います。

どうなる?法曹人口問題PT~

 つい先日、法曹人口問題PTの佐伯座長より、9月3日に臨時法曹人口問題PT会議を行うとの通知がなされました。

 8月6日の臨時総会で、法曹人口問題PTの最終報告書の内容に非常に近かった9号議案が葬られ、日弁連執行部におもねったとしか思えない8号議案が採択されたことで、私としては法曹人口問題PTとしても敗北したような気になっていましたが、どっこいまだまだ生きているのかもしれません。

 確かに、法曹人口問題に関する臨時総会決議が行われたのですから、これで法曹人口問題PTは、お開き、打ち上げでもするか、ということもありそうです。

 しかし、法曹人口問題検討PTの設置要綱、第2条(目的)には、「本プロジェクトチームは、(中略)、法曹人口問題について本会としてどのように取り組むべきかについて、総合的に検討することを目的とする。」と定められ、第5条(存続期間)には、「本プロジェクトチームの存続期間は、第2条の目的を達成する日までとする。」と明記されていますから、このPTが第2条の目的を達成していないのであれば、PTは依然健在であってもおかしくないはずです。

 佐伯座長は、以前大阪弁護士会の会長を務めておられた頃、増員一辺倒であった日弁連執行部内で「法曹人口問題は是々非々で判断すべき」と、堂々と述べられた硬骨漢でいらっしゃいますし、非常に魅力的な先生でもあります。

 その佐伯座長の招集です。(何もないかもしれませんが)何かあるかもしれません。

 私も、ここでゆっくり休憩している場合ではなく、もうひと頑張りする必要があるのかもしれません。とりあえず、9月3日の臨時PT会議には参加しようと思っています。