お詫び

前回のブログで「続く」と記載しましたが、その続きを書いたはずの文書ファイルが見つからなくなってしまいました(泣)。
ちょっと内容の再現ができなくなってしまいましたので、続きのお話は、「なし」になります。

お詫び申しあげます。

ただし、未だに法科大学院擁護者が仰る、「プロセスによる教育」万歳論に対して、以前のブログで、書いておりますので、是非ご参照下さい。

(プロセスによる教育ってなんなんだ1~4)
http://www.idea-law.jp/sakano/blog/archives/2011/06/14.html
http://www.idea-law.jp/sakano/blog/archives/2011/06/16.html
http://www.idea-law.jp/sakano/blog/archives/2011/06/17.html
http://www.idea-law.jp/sakano/blog/archives/2011/06/20.html

司法試験に関する最近のマスコミ報道~その1

近時、日本経済新聞の社会面の記事(9月24日)、東京新聞(9月26日)の社説等で、司法試験制度の問題を主張する記事がよく出ている。

現在の司法試験を受験する資格を得るためには、多額の費用と2年以上の時間をかけて法科大学院を卒業しなくてはならない。つまり法科大学院を卒業しないと受験すら出来ないのが今の司法試験だ。

しかし、諸般の事情から法科大学院に通うことの出来ない人もいるだろうし、独学で十分な実力を身に付けることが出来る人も当然いる。そのような人に、司法試験を受ける途を残さないというのは酷だ。そこで、法科大学院を卒業したのと同程度の学識・応用能力・法律実務の基礎的素養があるかを判定する予備試験(司法試験法5条1項)が設けられている。

今年初めて予備試験ルートの受験生が司法試験を受験したのだが、問題は、その合格率があらゆる法科大学院を上回る圧倒的な合格率を示した点だ。法科大学院で最も高い合格率(対受験者合格率)を出した一橋大学法科大学院が合格率57.0%、法科大学院全体での合格率は25.1%のところ、予備試験組はなんと68.2%の合格率をたたき出した。

予備試験は司法試験を受験するための資格を与える試験だし、あくまで法科大学院卒業レベルの学識等があることを判定する試験だから(法律にそう明記されている)、法科大学院卒業レベルであれば合格させなくてはならないはずだ。
本当に、平均的な法科大学院卒業レベルの実力がある受験生を全て予備試験に合格させる運用を行っているのであれば、受験生のレベルは、予備試験ルートも法科大学院ルートも異ならないはずなので、両者の司法試験合格率と同程度に収まるはずだ。
しかし現実は上記の通り、司法試験合格率でみると25.1%と68.1%の数字から分かるように、圧倒的な差が開いた。

裏を返せば、予備試験は、あくまで法科大学院卒業レベルの学識等があることを判定する試験だから(法律にそう明記されている)、予備試験を実施する法務省が考えている法科大学院卒業レベルは、予備試験合格者レベルということにならなければおかしい。

だが現実には、予備試験ルートの司法試験合格率を上回る合格率を出した法科大学院はただの一校もなかった。
考えられる可能性は、少なくとも二つある。
ひとつは、法科大学院が、しっかり教育を実施し厳格な卒業認定をするという制度理念に反して、法務省の考える法科大学院卒業レベル(=予備試験合格者レベル)までの学識等が身についていない学生を安易に修了認定して卒業させている可能性(つまり、うなぎ屋の看板を出して金を取っておきながら、そのうなぎ屋はウナギすらさばけない店だった)。
もう一つは、予備試験に関して、法科大学院卒業レベルで合格させるという法律の明文を曲げて、敢えて、法科大学院卒業レベル+αの実力者しか合格させていない可能性(その、とんでもない、うなぎ屋を守るために、これ以上のうなぎ屋の開店を許さない)。

いずれも許されて良いことではないが、どちらの弊害が大きいかといえば明らかに前者だ。法曹全体の質の低下をもたらすからだ。

この点、司法試験で最低レベルは確認できているのではないかとの指摘もあるが、司法試験採点委員の採点に関する雑感を読んで頂くと分かるが、近時では、優秀でも良好でもない、一応の水準の当案を書く実力しかなくても合格者となる状況にあることが示されている。
つまり司法試験では、もう法曹としての最低水準の実力を図ることは出来なくなりつつあるのだ。だから法科大学院の機能不全は、法曹の全体的なレベルダウンに直結し、極めて大きな弊害をもたらしていることになるはずだ。

これは伝え聞いた話だが、予備試験の試験委員をされた弁護士の某先生は、予備試験合格者でも大したレベルではなかった、と仰っていたそうだ。
その感想が事実であるならば、大したレベルではない予備試験ルートの受験生に惨敗を喫した法科大学院は既に機能不全に陥いり、法曹の質をどんどん低下させている制度であると指摘されてもやむを得まい。

もちろん、私としても、法科大学院出身者でも上位の方は、当然優秀であることは否定しない。しかし法科大学院全体としてみるならば、全体として質の低い司法試験受験者を生み出しつつあるといわれても仕方がないのではないか。

いくら理念が素晴らしくても、それを実現出来ない制度なら意味がない。次々と崩壊していく社会主義国家だって、理念だけは素晴らしかったと評価する人はいただろう。

マスコミは、法科大学院の理念を生かせと何とかの一つ覚えのように連呼するが、その主張は、法科大学院が理念に沿った教育ができていることが前提であり、その前提が崩れていることを(故意かどうかは別にして)完全に見落としているように思う。

(続く)

産経新聞~金曜討論(2)

かなり時期遅れになってしまいましたが、前回に引き続いて安念氏の、発言に突っ込みを入れます。

■今のままなら早晩消滅…

--法科大学院の入学者減に歯止めがかからない
「新司法試験の合格率が年々低下し、昨年のように23・5%にまで落ち込んでいる現状では当然のことだ。今のままでは法科大学院への進学はハイリスク・ローリターンでしかない。先行きのないものに人は集まらない」
→高い学費を支払って、合格率23.5%の試験を目指し、合格しても食っていけるか分からない。そういう資格を目指す人が減少するのは当たり前のことです。この点では安念氏の指摘は正しいと思われます。しかしこれは、新司法試験を受験するためには法科大学院卒業を必須条件(例外的に予備試験あり)としたためです。働きながら受験しようとしても、勤務先のすぐ近くに法科大学院がなければアウト、仮にすぐ近くに法科大学院があっても夜間コースがなければアウト、夜間コースを設けた法科大学院があっても通学する時間と費用がなければアウト、いずれも新司法試験すら受験できません。これでは、多彩な人材を法曹界に導けるはずがありません。旧司法試験では働きながらじっくりと実力を貯えて合格する人もたくさんおられました。結局法科大学院制度は、新司法試験受験の資格を盾に取って、大学延命のために法曹志願者を食い物にする制度に成り下がっているのです。(坂野)

●旧司法試験より過酷
--明治学院大学(東京)が全国で3校目となる法科大学院生の募集停止を決めた。志願者減の中、法科大学院の淘汰(とうた)は進むか
「淘汰は進む。それどころか、ほとんどの法科大学院が機能しなくなり、早晩なくなるだろう。現在の新司法試験合格者数は約2千人だが、減らした方がよいとする声もある。そうした方向に進むならば、法科大学院の魅力は一層乏しくなり、凋落(ちょうらく)はさらに早い」
→法曹(裁判官・検察官・弁護士)資格の価値が下がれば下がるほど、法曹の職業としての魅力は下がり、法科大学院に高い学費を支払って、リスクを負ってまで手に入れるべき資格(目指すべき職業)ではなくなります。ちなみに法科大学院の魅力に言及されていますが、法科大学院教育そのものに魅力があるわけではありません。もし法科大学院教育そのものに魅力と価値があるならば、法科大学院入学希望者は減少するはずがありませんし、法科大学院卒業者は仮に司法試験に合格しなくても、社会で引く手あまたのはずです。しかし、現実はいずれも違います。法科大学院の先にある法曹資格が、魅力の源泉であったことは再確認しておく必要があるでしょう。(坂野)

--社会人や法学未修者など、多様な人材を法曹にする理念は実現できているか
「全くできていない。新司法試験はこの合格率で、法科大学院修了後5年以内に3回の受験資格。社会人どころか、学生も二の足を踏み、優秀な人材が法曹を目指さなくなるリスクが極めて大きくなっている。学部卒で法科大学院に入り、“三振”したら30歳ぐらいになって何も残らず、就職も難しい。学生は必死で勉強しているが、ストレスは旧司法試験よりも大きく、むごさを感じる」
→法科大学院制度が、当初の触れ込みと大きく異なって、多用な人材を法曹界に導くことが全くできていない点を認めておられるだけ、現実無視の後藤氏よりは評価できます。
ストレスの面に関しては、合格率数%だった旧司法試験でもかなりのものであり、新司法試験のストレスの方が大きいと勝手に断言されたくありません。ただ、図書館で独学して実力をつけてもよかった旧司法試験とは異なり、法科大学院に高額の学費を支払わなければならない点で、金銭面の負担は明らかに新司法試験の方が大きいのですから、この経済的な負担の点に鑑みれば、一応安念氏の発言も首肯できなくもありません。つまり旧司法試験では、お金をかけずに何回でも受験でき、仮に受験に失敗しても借金漬けということはありませんでした。しかし、新司法試験では否応なく法科大学院を受験・進学し、卒業しなくてはならず、三回しか受験できません。また、受験資格を得るためには結局高額の学費を納める必要があるので、仮に受験に失敗すれば、法科大学院費用分の借金が、ずっしりとのしかかってくる制度設計になっています。(坂野)

--法科大学院制度や新司法試験は、旧司法試験の知識の詰め込みを否定し、柔軟な思考力を持つ法曹を養成をする理念がある
「試験が難しくて、それどころではない。私も法科大学院で教えているが、学生は『まず、受からなければ話にならない』という意識だ。試験でどのような答案を書けば合格できるのか、そこに関心が集中するのは仕方ない。実態は旧司法試験と変わっていない」
→つまりは、法科大学院自体が受験予備校化しつつあるということの指摘のようです。よく法科大学院維持論者が旧司法試験では知識の詰め込み、法科大学院では柔軟な思考力を持つ法曹を養成する理念がある(注:「理念がある」というだけで養成できると断言していないようですね。)、と胸を張っていいますが、理念だけ正しくても現実に機能していなければ意味がありません。また、柔軟な思考力も最低限の知識を保有した上でなければ活用できません。因数分解の知識がなければ微分・積分は分かりません。医者だって、病気の知識がなければその病気の治療に工夫を凝らすことができないのと同じです。日本は成文法の国です。実務家にとって必要な最低限の法律の知識でも、相当の量になります。いくら思考力を鍛えたところで、必要最低限の知識がない実務家では実務上使いものにならないのです。
近時の新司法試験採点雑感等では基礎的知識の不足が盛んに指摘されており、そればかりではなく、パターン化された思考力が感じられない答案が見られるという指摘も、一向に減る気配がありません。この点、空疎な法科大学院の理念を一蹴している安念氏の指摘は、当たり前ではありますが現実に目を向けているなと感じさせます。(坂野)

--現状を打開する手段は?
「毎年の合格者数をどんどん増やせばよい。平均的な法曹の質は当然低下するが、誰が困るというのか。上位合格者の質は変わらないだろうし、良い弁護士に相談したければ、医者や歯医者と同じように、自分で探せばよい」
→たとえば、「薬害の生じる可能性のある薬品でもどんどん認可すべきだ。それで誰が困るんだ。自分で薬害の発生しない薬品を探せばいいのだ。」と安念氏が発言したとしたら、誰も安念氏の発言を支持しないでしょう。
「あの薬は薬害があるようだからやばい」と、一般の方に評判が広まるまでには相当多くの薬害犠牲者が生じます。それらの方は救われません。
法曹の質を低下させてもよいから合格者を増やすべきだという安念氏の指摘は、上記の薬品の認可と同じ問題を孕んでいます。ただ、一般の方は弁護士に依頼する状況をあまり具体的に想像できないので、安念氏にそう断言されると、何となく困らないような気になっているだけなのです。
仮に法曹の質が全体的に低下し、て弁護士・検察官・裁判官の質、全てが低下してしまった場合、起訴してきた検察官がハズレ、依頼した弁護士がハズレ、裁判官もハズレ、となれば救われるべき方が、救われない事態が生じ得ます。本来救われるべき方が救われていない場合等に、是正する最後の機会がハズレの担当者ばかりでよいのでしょうか。仮に安念氏がいうように良い弁護士を自分で探しても、検察官・裁判官がハズレであった場合、本当に司法を全面的に頼って良いものでしょうか。安念氏のいう「法曹の質の低下、問題なし論」は、あまりにも現実無視の暴論のように思えます。(坂野)

●弁護士も実力主義に
--弁護士も就職難だが
「事務所を設けて顧客の相談に乗る従来と同じ弁護士業務をやろうとすれば、当然そうなる。旧司法試験は毎年の合格者が約500人の時代が長く、今も国内の弁護士業界のパイはそれに応じた大きさだ。法曹資格だけで食べていける時代ではないということだ」
→弁護士ニーズ論に関連する問題ですね。弁護士のニーズとは、国民の皆様方が、お金を出してまで弁護士に解決を依頼したい問題がどれほどあるのか、ということであり、無料で相談したいという希望は弁護士ニーズではありません。タダで、法科大学院の正規の授業を受けたい人が100万人いても、法科大学院のニーズがあるといわないのと同じです。食べていけないかもしれない資格を取得する試験を受験するために、どうして法科大学院卒業が必要なのか、そのために高いお金を法科大学院に支払わなければならないのか、私には全く理解できません。
法曹資格だけで食べていけないのであれば、弁護士も仕事を開拓しろということなのかもしれません。弁護士が仕事を開拓するということは、誰かに対して法的責任を追及することがメインになりそうです。その矛先が、大企業だけに向いていればいいのかもしれませんが、一般市民の方に向くかもしれません。そうなればアメリカのような訴訟社会の到来の危険性は相当高まります。また、弁護士も職業ですから仕事をした以上、報酬を取ります。したがって、当然リーガルコストは高くなっていくでしょうし、訴訟のリスクに備えて各種保険料も高騰していくでしょう。しかし、本当にそのような訴訟社会を国民の皆様は望んでいるのでしょうか。極論すれば弁護士が活躍しない社会の方が望ましい社会なのではないでしょうか。弁護士を無闇に増やして競争させよという主張には、その点に対する配慮が全くないように思えてなりません。(坂野)

--法科大学院は不要か
「今のままでは、誰も行かなくなるだろう。教育内容などから法科大学院を出たことを世間が高く評価するようになれば、自然と入学志望者は集まってくる」
→この点は安念氏の意見に賛成です。但し現状では、教育内容や卒業生のレベルにおいて、社会では評価されていない状況ですから、現状の法科大学院は存続させておく価値は社会的にはない(税金の無駄)ということになると思われます。(坂野)

産経新聞~金曜討論

産経新聞の金曜討論で、法科大学院の問題が取り上げられている。

討論者(といっても、インタビューだが)は、一橋大学法科大学院教授・法科大学院協会専務理事の後藤昭氏と中央大法科大学院教授安念潤司氏だ。

いずれも法科大学院関係者という、利害関係者によるインタビュー記事だが、毛色は若干違う。

後藤氏は、法科大学院協会専務理事という役職から、法科大学院維持・司法試験合格者の更なる増加を求めるというポジショントーク全開だ。
安念氏は(合格者の更なる質の低下はやむを得ないという前提ではあるが)司法試験合格者の更なる増加を求めている点で後藤氏と共通する。しかし法科大学院の理念(多様な人材を法曹にする理念)は全く実現出来ていない、と現状を正しく把握している点ではまだ、後藤氏よりマシだ。

後藤氏のインタビューは下記の通り(産経新聞HPより引用~コメントは坂野個人の意見です。)

■人材輩出に貢献している
--制度の現状をどうみるか
「社会人の入学が少ないなど理想とはズレがあるが、優れた法曹育成などの成果は着実に出ている。問題の答えを暗記するのではなく、自分で考えて法的問題を解決できる人材を輩出できている」
→まず、嘘をつくなと申しあげたい。もし後藤氏が指摘しているように自分で考えて法的問題を解決できる人間を輩出できているのであれば、法務省が公開している司法試験の採点雑感等に関する意見(司法試験採点者の意見)に、次のような指摘がなされる事態はあり得ないはずでしょう。公法系科目1頁目だけでも以下のような指摘がなされています。(坂野)

・内容的には,判例の言及,引用がなされない(少なくともそれを想起したり,念頭に置いたりしていない)答案が多いことに驚かされる。答案構成の段階では,重要ないし基本判例を想起しても,それを上手に持ち込み,論述ないし主張することができないとしたら,判例を学んでいる意味・意義が失われてしまう。
→実務の基本である判例について、言及・説明できない答案が多いという指摘です。法科大学院の判例の教え方に大きな問題点があるということだということでしょう。(坂野)

・まず何よりも,答案作成は,問題文をよく読むことから始まる。問題文を素直に読まない答案,問題文にあるヒントに気付かない答案,問題と関係のないことを長々と論じる答案が多い。
→自分の頭で考えるということは、問題と無関係なことを書いて良いということとは異なります。たとえば、民事裁判で争点と全く無関係な点を、自分の考えだからといって書き連ねても全く意味がないばかりか、かえって有害です。自分の頭で考えるということは、きちんと問に答えられないことへの言い訳であってはならないはずですが。(坂野)

・答案構成としては,「自由ないし権利は憲法上保障されている,しかしそれも絶対無制限のものではなく,公共の福祉による制限がある,そこで問題はその制約の違憲審査基準だ。」式のステレオタイプ的なものが,依然として目に付く。このような観念的でパターン化した答案は,考えることを放棄しているに等しく,「有害」である。
→自分の頭で考えることのできる人材が書いた答案なら、どうして観念的でパターン化した、考えることを放棄したに等しい答案が目につくのでしょうか?後藤氏に説明して頂きたい。(坂野)

・憲法を,具体的な事例の中でどのように適用するか(活用するか)という観点からの答案が少なく,一般的,抽象的な憲法の知識を書き表しただけの(地に足が着いておらず,何が問題であるかを見抜けていない)答案が多かった。
→仮に(百歩譲って)自分の頭で考えることができても、何が問題であるのか全く分からないのであれば、法律家として意味がないのでは?法科大学院の厳格な修了認定をくぐり抜けて卒業し、初めて司法試験が受けられるのですから、法科大学院教育に問題があることは明白ではないでしょうか。(坂野)

・今年の問題は,日頃から日常生活を取り巻く法的問題に関心を持って自分でいろいろと考えをめぐらせていれば,特に難しい問題ではなかったはずだが,答案を見ていると,受験者は紙の上の勉強に偏しているのではないかという印象を持つ。
→法科大学院が実践するはずの法と実務の架橋、プロセスによる教育って一体なんですか?自分で考えれば分かるはずと採点委員が言っている問題にきちんと解答もできずに、法科大学院が卒業を認めて良いんでしょうか。(坂野)

◯合格率上げれば増加
--入学者の定員割れが相次ぎ法科大学院離れが指摘されている
「(法科大学院修了者が受けられる)新司法試験の合格率が低く、頑張っても法曹資格を取れる見通しが低いことが最大の要因だ。受験者全体の単年度合格率を50%程度に上げれば、上位校では80~90%の合格率に達する。本質的に法律を学ぶ姿勢が一般的になり、会社を辞めてでも法曹を目指そうとする人が増える」
→法科大学院側がいつも持ち出す責任転嫁論です。どんなに甘く採点しても合格させるだけの実力がないので落とされているのです。
また、法曹資格を取得しても就職難もあるし、生活が苦しい可能性があるのであれば、誰が、会社を辞め、馬鹿高いお金を法科大学院に払って、人生に役立たない資格を取得しようと考えるでしょうか。後藤氏の論は、法曹資格を取得すれば食いっぱぐれがなかった昔の時代だけに通用したお話です。つまり後藤氏の頭の中では20年以上前の実務家の姿が前提となっているのです。ちなみに、その時代は合格率数%でしたが年々受験生は増加する傾向にありました。その時代の志願者増加傾向を考えると、法科大学院離れの最大の要因は、需要もないのに法曹資格を濫発させてしまい、職業としての法曹の魅力を失わせてしまった点にあると考えるのが相当でしょう。(坂野)

--法科大学院離れに対する危機感は?
「大きい。入学志望者が増えれば、入学段階で厳しい選抜を行うことができ、優秀な学生が集まる。法科大学院に活気があり、多くの人が入学を目指すことが、法曹界のためにも重要だ。そのためには、新司法試験の合格率を上げて、法科大学院に入る魅力を高める必要がある。ただ、法科大学院は定員削減を進めてきており、現在の合格者数を維持すれば、合格率は上がっていくだろう」
→旧司法試験に比べれば、合格率は10倍以上に上がっています。新司法試験の合格率を上げても、質の低下した法曹が増えるだけで、国民の皆様のためになりません。
次に、一般社会で良い人材を得ようとする(ヘッドハンティングなど)場合に、お金を積むか、名誉や権力を与えるなどそれなりの対価が必要です。後藤氏の場合この対価を法曹資格と考えているのでしょうが、司法試験合格率を上げて、法曹資格を取りやすくすればするほど、法曹資格の価値は下がります。それにも関わらず、後藤氏は、司法試験の合格率を上げて法曹資格の価値を下げれば、その価値の下がった法曹資格を目指して優秀な人材が集まると言っているのです。よくもそんなことを堂々と言えたものです。法科大学院維持のためのポジショントークであることを割り引いても、学者さんの肩書きがなければ、なに寝ぼけたこと言ってんの、と一笑に付されても仕方ない意見ではないでしょうか。(坂野)

--官民ともに職員や社員を海外の大学院に留学させることは多いが、国内の法科大学院で学ばせることは少ない
「日本は法曹資格を取得するのが、今でも過度に難しく、企業などが社員を法科大学院に行かせるだけのメリットが見いだしにくい。同じ理由で、海外から日本の法科大学院に入る留学生が非常に少ないのも大きな問題だ。日本の法曹資格をもっと取得しやすくしなければ、こうした留学生や会社員が増えずに日本法の国際的影響力が弱まり、日本全体の国際競争力の低下にもつながりかねない」
→日本の法曹資格取得の問題で、日本全体の国際競争力が低下するなんて、どこをどう解釈すればそう言えるのでしょうか。論理の飛躍と思い上がりもたいがいにして頂きたい。大手企業の多くは、大学法学部出身者等を雇用し、きちんと法務部を組織して法務問題に対応しています。弁護士資格がなくても、きちんと法律知識を身につけて会社で活躍されている方は大勢います。
アメリカでは大学法学部がないため法的知識等についてロースクールで学ぶことになりますから、全く制度が違うのです。しかし、後藤氏の頭の中には、「法曹資格がない=法的知識がない=社会で法を扱えない」、とつながっているのでしょうか。
企業法務部の方々に、あまりにも失礼な言い方ではないでしょうか。(坂野)

--法科大学院はなぜ必要か
「試験で測れる能力は限られている。専門職としての教育をしっかり受けることが大切だ。医師と同じで国家試験にさえ合格すればよいのではない。実務感覚を備えた法学研究者の養成にも役立つ。法科大学院を経ずに新司法試験の受験資格を得られる予備試験は、経済的事情のある人などに向けた例外的な措置と考えるべきだ」
→専門職の教育をいくら立派に施しても、それが身についているかは全く別問題でしょう。試験に合格しただけでは足りないからこそ、旧試験時代でも司法修習が2年間行われていたのであって、旧制度でも十分対応できていました。また、専門職の教育をしっかりするはずの法科大学院が試験問題漏泄に近い不祥事を起こしていたのは何故でしょうか。司法試験予備校はいろいろ批判はされていましたが、試験問題漏泄等という、こずるいことはしていませんでした。また、本当に法科大学院が立派な、実務に役立つ教育をしているのであれば、予備試験合格者を制限しろなどと、せこいことを言わずに、むしろ堂々と予備試験受験者と渡り合ったらどうですか。(坂野)

◯官民で理念の推進を
--弁護士の就職難をどう考えるか
「企業や自治体に籍を置く組織内弁護士の潜在的な需要は大きいはずだが、現状では他の先進国と異なり、市場が小さいままだ。大学院を通じて法曹人口を増やし、活用の場を広げる司法制度改革の理念を官民ともに推進しなくては、国際水準から遅れた“ガラパゴス社会”化が進行してしまう」
→企業や自治体の需要が本当にあれば、既に弁護士はたくさん雇用されているはずです。日弁連アンケートでも企業の弁護士需要はほとんどありません。日弁連はずいぶん前から企業内弁護士を薦めてきましたが、需要は開拓されていません。後藤氏が仮に本当に潜在的需要が大きいとお思いなら、後藤氏が勤務されている一橋大学法科大学院で法律事務所を設立して就職難の修習生を雇用して、潜在的需要を開拓したらよいのです。ネームバリューもありますし、潜在的需要が開拓できて法律事務所の儲けが出れば、一橋大学法科大学院の経営上にもプラスになるでしょうし、卒業生に対するアフターサービスにもなりますから、志願者も増えて良いこと尽くめではないですか。法曹人口を増やせば全て解決、ガラパゴス社会化が解消されるというのなら、その根拠を具体的に示してから、ご発言して頂きたいと思います。(坂野)

(引用ここまで)

安念氏発言に対する突っ込みは、元気があれば次回行う予定です。

事後的救済社会と司法

司法改革が叫ばれていた頃、確か、司法改革審議会かなんかの学者の方だったと思うが、「今後は規制緩和により、事後的救済社会になるから司法の役割が増大する」、という趣旨の発言をした人がいたように記憶している。一見もっともらしい意見だし、エライ学者さんがそう言うんだから、何となく説得されそうな気がする。

確かに規制緩和を進めると、経済活動がどんどん自由になり経済的利益の追求が主となってしまい経済的弱者の基本的人権が侵害されるなど、事後的に救済が必要になる問題が噴出してくる可能性はあるだろう。ここまでは学者さんの意見でも正しいように思う。
しかし、規制緩和によって生じた各種の問題が、本当に司法による事後的救済が可能なのか、本当に司法の役割が増大するのか、といわれると私には自信がない。むしろ逆のような気がするのだ。

いうまでもなく、日本において司法による解決は基本的には法律に則って行われなければならない。すなわち、法律家にとって、法律とは依るべき基準であり、また社会的弱者から依頼を受けた場合には、社会的強者と対等に戦うための武器でもある。
裁判所では、社会的弱者でも社会的強者でも全く平等に扱われ、どちらの主張が法原理的に正しいのかについての判断を受ける為に、争うことが可能である。

ところが成文法国家である日本においては、規制緩和を行おうとすれば、従前規制されていた部分に関する法律等を改廃することにならざるを得ない場合が多いように考えられる。そうすると、規制緩和は、同時に規制を緩和した部分において、法律という社会的弱者の武器をも奪う効果を持つように思われるのだ。

例として適切ではないかもしれないが、時間外労働には割増賃金を支払う必要があるという法律の条文がなくなってしまえば、いくら正規の時間を越えた残業だから割増賃金を払うべきだと主張しても、日本の司法での解決は困難だ。割増賃金を支払えという主張は、あくまでそうすべきである、そうして欲しい、という根拠のない主張に過ぎなくなり、裁判官も法律上の根拠がない以上、割増賃金を支払えとの判決を下せないことになるはずだ。

これが判例法の国なら違うのかもしれない。先ほどの例で言えば、規制緩和しても、従前の判例が残業では割増賃金を支払えと言っているのだから、割増賃金を支払うべし、という判決も不可能ではないように思われるからだ。この場合であれば間違いなく司法の役割は増大すると思われる。

すなわち、日本のような成文法の国では、規制緩和は経済的活動を促進し、経済活動による歪みを生じさせ各種の問題をおそらく確実に引き起こす可能性があるが、それと同時に、その問題に対する司法による救済手段を奪う可能性があるものであったのではないかと思われる。

したがって、規制緩和を進めれば進めるだけ、司法により事後的に救済する手段も同時になくすことが多いのだから、(特別な手当をしない限り)結局、弱者は救われない。結果的には司法の役割は増大しないのではないか。
そんなことも考えずに、規制緩和は事後的救済社会をもたらすと本当に考えていたのか、それとも、事後的救済ができなくなることを分かった上で、司法改革を進めるために敢えて事後的救済社会が来ると、もっともらしい主張をしていたのか。もし後者であれば、その主張の罪はかなり重いと思う。

法科大学院に関する提言案への意見

 総務省からも散々叩かれた法科大学院制度だが、日弁連の法科大学院関連の委員会が、法科大学院を維持・改善すればよくなる、といわんばかりの意見書を日弁連の意見として出したがっており、各弁護士会に、意見照会が来ている。

 日弁連で、法曹人口政策会議が昨年、中間とりまとめとして司法試験合格者原因に言及するや、直ちに法科大学院関連の委員会が法科大学院堅持の意見書を日弁連の意見として提出させるという手段に出て、法曹人口政策会議の中間とりまとめの効果を減殺しようと画策したのとよく似た構図が再度実行に移されつつあるのだ。

 私の聞くところによると、日弁連の法科大学院関連の委員会には、法科大学院と利害関係のある方々が多数在籍しており、法科大学院ありきの議論しかできない状況にあるようだ。

 そりゃぁ、法科大学院を残したい方々の集合体なら、当然意見は法科大学院維持に偏る。しかし、そんな自分の利害関係ばっかり考えていて良い状況なんだろうか。昨年、法曹人口政策会議において、私を含めて守旧派ではない先生方の何人かは、法曹人口政策会議と、法科大学院・司法修習の委員会と合同で話し合うべきだと何度も提言した。反対する守旧派が多い中、意見交換会が開かれたことは、宇都宮会長の英断の一つであったと私は思っている。

 そこで私が感じたのは、法科大学院関連の委員会の先生方は、法科大学院ありきの議論しかできておらず、問題点を出来るだけ矮小化してなんとか目つぶろうとしている姿だった。理念は間違っていないという話もあったように思うが、理念が正しくても、実際に弊害が出ているならその手段は正しくはないと言うことだと思う。

 今回の提言案についても、宇都宮会長が法科大学院関連の委員会に諮問した事実はないようなので、法科大学院関連の委員会が、俺たちの意見を日弁連の意見として出せと、要求しているのが実態ではないだろうか。この提言案を、各単位会に意見照会したことは、広く意見を求めるという点で少なくとも前回の議論もなく提出された提言案に比べればマシである。

 おそらく、これも宇都宮会長でない守旧派の会長であれば、理事会を素通しして、日弁連の意見です!として発表されていたかもしれない。

 提言案を読んでみたが、やはり、法科大学院維持で凝り固まった方々は、変わってないないな、と半分あきらめの気持ちを抱かざるを得ない。

 ただ、余りに、ひどい内容だったので、私も意見を提出させて頂いた。ごく短時間でまとめたので不備・不当の点もあるだろうが、以下に掲載させて頂く。

法科大学院制度の改善に関する具体的提言案に対する意見

大阪弁護士会会長 藪野恒明 殿

                                                    平成24年4月25日

                                      大阪弁護士会会員 坂 野 真 一 

第1 具体的提言案作成過程について
 

  法科大学院制度の改善に関する具体的提言(案)(以下「本案」という。)については、まず、日弁連会長が諮問していないにもかかわらず、関連委員会が日弁連の提言案として提案しているものと聞いており、仮にそれが事実だとすれば、日弁連内の一部会がその部会の意見を、対外的に日弁連の意見として表明したいと主張しているにすぎないものではないかと思料される。

   特に、法科大学院に関する部会は法科大学院関係者(いわゆる利害関係人)が多数所属しており、利害関係人が多数いるが故に、法科大学院制度に関する公正中立な議論がなされることなく、安易に法科大学院制度を是とする前提に拘った意見が散見されるように見受けられる。

   少なくとも、現時点では、法科大学院は法曹養成制度の中心に据えられているのであるから、法科大学院制度を検討するに当たっても、法曹人口政策会議のようにひろく委員を募り、公平公正な立場で議論を戦わせるべき問題であるところ、法科大学院に関しては、そのような民主的手続が日弁連内に確立されておらず未だ、一部委員の意見が日弁連の意見として表明されようとしていることに、当職は大いなる危惧を抱くものである。

第2 提言の趣旨について

 1 法科大学院制度について
   本案は、法科大学院制度の改善策として①教育の質の向上のため入学者選抜を強化すること、②法科大学院の地域適正配置、③教育の質の向上のための施策、④法科大学院修了までの経済的負担の軽減、⑤情報開示、について、提言する。

   ①に関して言えば、より多くの法曹志望者を集めるためには、法曹の魅力を回復するしか手段はない。どんな名監督(名教授)であっても、草野球選手だけを集めて大リーグの球団と戦うことは不可能である。すなわち、多数の優秀な法曹志願者を集める必要があるところ、受験競争率や学生定員充足率などの数字あわせでは、優秀な人材を集めることには全くつながらない。無意味な改革である。なお、一部学者が、司法試験合格率を上げれば志願者は増加すると、なんの根拠もない主張をしているが、旧司法試験は合格率2%台でも志願者が増加していた事実をどう説明するのか聞いてみたいところである。旧司法試験が如何に苛酷でも志願者が増加していたのは、法曹という仕事に魅力があったからである。それが昨今の、無思慮な弁護士激増政策により、新人弁護士の就職難が明らかになり、法曹という仕事に魅力が失われたのである。優秀な人材を集めるためには、お金を積むか、名誉を与えるか、権力を与えるかくらいしかないところ、そのいずれも法曹という仕事に見出せないとなれば、どうして優秀な人材が法曹界を目指すだろうか。その事実をまず見据えるべきであり、法科大学院の小手先の改革で全てが改善されると考えるのは、全く現実を把握できていない者の主張であることにまず気付くべきである。

   ②についていえば、幾ら法科大学院を適正に配置したところで、旧司法試験に比較して法曹への途は著しく狭められていることにまず注目すべきである。旧司法試験では、働きながら、何度も受験しながら実力を貯えて合格することも可能だった。また、地域的な差別もなかった。たとえば当職は、和歌山県南部の太地町出身であるが、法科大学院に通学しようと思えば、仮に和歌山市に法科大学院が設置されていたとしても、そこまでJR特急列車で片道3時間はかかるため、絶対に通学できなかった。特に地元に就職していた場合は退職して下宿をしながら法科大学院に通わねば司法試験の受験すら出来ないことになる。しかし、旧司法試験では法科大学院卒業という無意味な受験制限がなかったので、受験することは出来たのだ。つまり法科大学院の適正配置と幾ら言ったところで、過疎地の受験生は実質的にはその適正配置により何ら受験の道が開かれるわけではない。却って旧司法試験よりも受験の途が閉ざされるのである。全ての法科大学院が、全ての法曹志願者に対応した受講設備を整えてくれるのであれば話は別だが、経営を優先する法科大学院は過疎地の法曹志願者を切り捨てて、そのような対応を行わない。幸い都会で就職し、会社が通学を許容してくれる場合、夜間の法科大学院が必須となるが、その夜間法科大学院ですら、数えるほどしかないではないか。これでは、多様な人材を法曹界に受容しようとする理念に、全く逆行する結果である。法科大学院制度が多様な人材が法曹界を目指すことを逆に制限している結果になっている事実を直視すべきである。

   ③に関していえば、これまで法科大学院協会は、教育や厳格な卒業認定について問題はないと言い張っていなかったか。民法において、不動産の即時取得を主張した司法修習生の存在や、各地の修習担当者から実力の低下が危惧されている話は、多数耳にするところである。司法試験の採点雑感も基礎的なことが出来ていないと毎年のように指摘され、その数は年々増加しているうえ、ついには、平成23年度新司法試験の採点雑感に関する意見において、民事系の採点者は、一応の水準でも合格させていることを明らかにし、合格しても優秀と勘違いせずにしっかり勉強するように、と釘を刺すにいたるという危機的状況にまで陥っている。法科大学院が看板通りに、きちんと素晴らしい教育行い、厳格な修了認定をしていれば、このような事態が起こるはずがないのであって、法科大学院教育に重大な問題があること自体は明白である。したがって、履修上限を緩和したり少し単位数を増やしたりするだけで、教育の質に関する問題が解決するはずはない。

   ④に関していえば、限られた国家財源をどのように配分するかの問題であって、そうであれば、合格するかどうか(修了できるかさえ)も全く分からない法科大学院生に経済的援助をするよりも、修習生の給費制を復活させて、司法試験に合格した者の経済的負担を軽減する方が優先事項であることは明白である。水田に一面にばらまかれた芽吹くかどうかも分からない籾にお金をかけるよりも、きちんと育ってきた若い苗にお金をかけた方が明らかに効率的である。法科大学院制度に費やす費用を給費制に回せば、給費制の財政的問題は大きく改善されるはずである。法科大学院制度は、結果的には、大学・学者の食い扶持のために、法曹志願者が食い物にされている制度であると言われても仕方がないであろう。

   ⑤に関していえば、法科大学院が税金を投入されて維持されている制度である以上、情報開示は当然であって、それを義務づけられることもなく推移してきた事態の方が異常である。当然のことを改善策として主張するのはみっともない。

2 司法試験制度について

   本案は、短答式試験が法科大学院に悪影響を及ぼすとして、短答式試験の科目削減や出題を基礎的なものに限定させようと主張する。また論文式試験についてはじっくり考えて回答する内容にできるよう分量を減らすべきであると主張する。要するに司法試験を簡単にせよという主張であると見受けられる。

   確かに、司法試験法1条4項には、司法試験は、法科大学院と司法修習との有機的関連の下に行うものとする、と規定されている。そうだとすると、法科大学院卒業レベルと司法試験合格レベルに大きな格差があるのであれば、有機的関連を強調して、司法試験を簡単にせよと主張することには一理ないではない。しかし、有機的関連を主張する前提として司法試験法1条1項には、司法試験は法曹になろうとする者に、必要な学識および応用能力を有するかどうかを判定することを目的とすると明記されている。つまり、いくら法科大学院を卒業しても、法曹実務家として必要な知識と応用能力が認められなければ、司法試験に合格させるわけにはいかないのだ。旧司法試験の短答式は難問だったといわれているが、実際に受験してみれば分かるが、聞かれていることは極めて基礎的な知識だった。旧司法試験の合格率が高くなかったことから直ちに難問奇問が出題されていたと主張することは誤っている。

   前述したとおり、平成23年の司法試験採点雑感において、基礎的知識の不足がほぼ全ての科目で指摘され、民事系問題の採点者に至っては、「一応の水準」でも合格させていることを明らかにし、司法試験に合格したから優秀なんて思うな、と釘を刺している。つまり、本来合格させるべき水準ではないレベルですら、司法試験で合格してしまう状況まで合格レベルは下がっているのだ。法科大学院教育が大失敗に終わっていることは、その指摘だけからも分かる。こんな状況で、さらに司法試験を簡単にし、さらに合格しやすくした場合、法律家のレベルが一段と下がってしまう危険性があることは子供でも分かるだろう。

   確かに、法科大学院の経営として、また学者のメンツとしては、自分のところで相当の費用を取って教育したのに、実務家として使い物になりませんと司法試験で判断されては困るだろう。しかし、実務家として使い物にならない法曹を生み出されては国民が困る。法科大学院は、導入当時は今まで以上に優秀な法曹を育ててみせる、と大見得を切ったのだから、むしろ、法科大学院側としては、司法試験はどんどん難しくしてもらっても大丈夫と言えなければおかしいだろう。法科大学院は優秀な法曹を生み出すための手段であったはずである。その手段を維持することが目的になっているのだとしたら、本末転倒も甚だしい。学者達(全員とは言いません)が、法科大学院維持に注力している姿を見ると、既得権益にすがろうとする浅ましい学者の姿が透けて見えてしようがない。

   なお、司法試験の受験回数制限については、5年5回といわず、撤廃すべきである。それによって、じっくり実力をつけるタイプの人間が法曹界に参入することが可能になるからである。それによって合格率が仮に下がっても、法科大学院が素晴らしい実務家向けの教育を施し、厳格な修了認定を行っており、更に法科大学院協会がいうように経済界が法律家を欲しがっているのであれば、司法試験に合格しなくても、経済界が法科大学院修了者を放っておかないだろう。法科大学院の主張が本当に正しいのであれば、法科大学院卒業生は就職戦線において、引く手あまたでなければおかしいはずである。仮にそうでないとすれば、法科大学院の主張はどこかに嘘が混じっているということになる。

第3 提言の理由に関して

1 旧司法試験でも司法収集過程においてプロセスによる教育は実施されていたのであり、プロセスによる教育は法科大学院制度の専売特許ではない。

   また、法科大学院制度によりこれまでよりも総体として多様なバックグラウンドを有する法曹が誕生したとの指摘があると述べるが、それは、当初の数年だけであり、現在は法学部出身者が多数を占めている現実を無視している。既に現時点では他学部出身者の数は旧司法試験時代と変わらないとの指摘もある。

   さらに、調査能力が優れているとしても、アメリカのように判例法の国であるならいざ知らず、日本は成文法の国であるから、調査能力の前段階としてまず条文の知識が必須である。成文法に関する能力が高まっているのであれば、法科大学院にも存在理由はないではないが、単に調査能力の向上というだけでは何らの意味も見出しがたい。特にインターネットが急速に普及している現状では、旧司法試験合格者でも今の時代では優れた調査能力を発揮している可能性もある。

 2 その他、本案は法科大学院制度に関して改善策を縷々述べているが、そのような改善策で改善できる問題であれば、とっくの昔に解決が出来ているはずである。
   すなわち、法科大学院制度は、理念こそ素晴らしかったが、法制度がまるで違う米国型法科大学院をなんの批判もなく受容したこと、法科大学院卒業を司法試験受験資格としたこと等から、法曹志願者や法曹の質に極めて大きな悪影響を及ぼし続けている存在であって、もはや法曹養成において望ましい存在とはいえないことが明白である。

   総務省の提言にも問題が指摘されている法科大学院制度は、思い切って廃止し、旧司法試験制度に戻すことが最善の策と考えられる。

第4 結論
   以上より、当職は、本案は、問題の大きすぎる法科大学院制度の堅持をその根底に置き、法科大学院制度の問題点を到底克服できそうにない小手先の改善策を縷々述べているだけなのであって、このような提言を日弁連が行う意味は全くないと考える。

                                                                  以上 

司法試験を簡単にしろとの法科大学院側の要望について。

法科大学院を維持しようとする人たちから、司法試験をもっと簡単にして合格しやすくしろとの要望が出ていると聞いた。法科大学院側のこの論調に賛成するマスコミもいるようだ。

確かに、司法試験法1条4項には、司法試験は、法科大学院と司法修習との有機的関連の下に行うものとする、と規定されている。そうだとすると、法科大学院卒業レベルと司法試験合格レベルに大きな格差があるのであれば、有機的関連を強調して、司法試験を簡単にせよと主張することには一理ないではない。

しかし、有機的関連を主張する前提として司法試験法1条1項には、司法試験は法曹になろうとする者に、必要な学識および応用能力を有するかどうかを判定することを目的とすると明記されている。

つまり、いくら法科大学院を卒業しても、法曹実務家として必要な知識と応用能力が認められなければ、司法試験に合格させるわけにはいかないのだ。

当たり前だろう。いくら大学医学部が、良い教育をしています、きちんと厳格な単位認定をしています、と主張しても、それだけで、医師国家試験を簡単にせよとは言えないはずだ。医師として必要な学識と応用能力がない人が医師になっては、国民が困るからだ。

現に、平成23年の司法試験採点雑感において、基礎的知識の不足がほぼ全ての科目で指摘され、民事系問題の採点者に至っては、「一応の水準」でも合格させていることを明らかにし、司法試験に合格したから優秀なんて思うな、と釘を刺している。

つまり、本来合格させるべき水準ではないレベルですら、司法試験で合格してしまう状況まで合格レベルは下がっているのだ。法科大学院教育が大失敗に終わっていることは、その指摘だけからも分かる。

こんな状況で、さらに司法試験を簡単にし、さらに合格しやすくした場合、法律家のレベルが一段と下がってしまう危険性があることは子供でも分かるだろう。

確かに、法科大学院の経営として、また学者のメンツとしては、自分のところで相当の費用を取って教育したのに、実務家として使い物になりませんと司法試験で判断されては困るだろう。しかし、実務家として使い物にならない法曹を生み出されては国民が困る。

法科大学院は、導入当時は今まで以上に優秀な法曹を育ててみせる、と大見得を切ったのだから、むしろ、法科大学院側としては、司法試験はどんどん難しくしてもらっても大丈夫と言えなければおかしいだろう。

法科大学院は優秀な法曹を生み出すための手段であったはずである。その手段を維持することが目的になっているのだとしたら、本末転倒も甚だしい。エライ学者さん達(全員とは言いません)が、法科大学院維持に注力している姿を見ると、既得権益にすがろうとする学者の姿が透けて見えてしようがない。

大阪弁護士会パネルディスカッション~その5

★法科大学院の問題

正木氏

・点からプロセスというスローガンだけで、思考停止しているのではないか。

・米国型を無批判に取り入れたことも問題。

・LSの地域的偏在、費用の問題もあり、公平・平等だった旧司法試験が駄目になっている。

・志願者激減の問題もある。

河野氏

・多様な人材確保が目的の一つであり、それを可能とする体制とするべきはずだったが、経済的負担、リスクなどもあり、結果的に多様な人材が確保できなくなっている。

・7~8割合格とは、医師国家試験が念頭にあったのではないか。

・まず法科大学院ありきの、本末転倒したアプローチだった。

・法科大学院を一つの選択肢にできるかどうかが問題ではないだろうか。

・司法審の考えを中心とすると、結局駄目になる。

井出氏

・LSについては、同意見。とにかく作りすぎた。

・管轄が文科省に行ったのが問題。

・それだけ多くの学生に素晴らしい教育などできない。

・いずれにしてもLS制度は見直しが必要。

・7~8割合格が望ましいが、それも厳格な終了認定がなされることが前提。

★予備試験について

井出氏

・予備試験には否定的。旧司法試験の復活になる。主客転倒は避けるべき。

正木氏

・ LS修了者と同等の学識を有するかを確認する試験のはず。

・LSの費用・偏在からすれば、予備試験ルートを広げるべき。

河野氏

・LS本道主義で本当によいのか。

・LSがきちんと素晴らしい教育をしてくれるなら、例え予備試験ルートが広がっても学生は来るはず。

・LS維持が先になっていないか。

★給費制について

井出氏

・受益者負担だ。どうして法律家だけ国費を投入しなければならないのか。

河野氏

・人材が来なくなるということに関して、貸与制は問題。

・裁判官が金持ち出身ばかりになってしまっていいのだろうか。

正木氏

・法曹は社会的インフラだと思う。

・給費制があったからこそ、弱者のために手弁当でも頑張る弁護士もいたのではないか。

(以上の引用は、私の手控えによるものですから、実際の発言とは異なる部分があるかもしれませんし、私の誤解があるかもしれません。ご容赦下さい。)

パネラーのお話のあと、ようやく質問の時間が与えられました。

私は、井出さんに対して、3つの質問をさせてもらいました。

①法科大学院教育を中心にと仰いましたが、本当に朝日新聞社説がいっているように、法科大学院教育が司法審の目指した、夢のような法曹を作れるとお考えですか?

②企業には沢山の需要があると仰っていましたが、朝日新聞には何人の弁護士さんが社内にいますか?

③弁護士は社会的インフラであるから当然増やすべきと仰っておきながら、給費制になると突然、個人の資格だから受益者負担であると仰るのは何故ですか?

①については、「そのようなことを社説に書いたのは私ではないので・・・。」というご回答。

②については、朝日新聞には弁護士の社員は、少なくともパネルディスカッション当時は、いないそうです。 あれだけ、企業に需要があるといいながらこの体たらくです。さすがに井出さんも、決まり悪そうでした。苦しそうに「弁護士さんが応募してこないので・・・・」と言っておられましたが、応募を求める前に企業には弁護士の需要があると、朝日新聞は言ってませんでしたっけ?朝日新聞は弁護士を募集していたのでしょうか??

需要があるなら、募集するでしょ、普通。

③については、なんだかよく分からないお話で、きちんとしたお答えを頂けませんでした。

インフラストラクチャー(infrastructure、略称・インフラ)とは、国民福祉の向上と国民経済の発展に必要な公共施設を指す。公共の福祉のための施設であり、民間事業として成立しにくいため、中央政府や公共機関が確保建設、管理を行う経済成長のための基盤。

 というのがインフラの一般的理解のようだけど。

 弁護士が市民の間に浸透していないと言いつつ、手弁当で人権救済活動する弁護士は無視した上で、(債務整理で司法書士の方がぼったくっている場合もあるのに)弁護士は高いと印象づけるような記事ばかり一方的に垂れ流し、弁護士への依頼を暗に遠ざけることはやめて欲しいとは、お願いしておきました。

 私の質問のあと、中本会長(4月からは前会長です)が、司法による解決が必要な問題は確かに存在するが、司法による解決を行うための制度が何も整備されていない。裁判官・検察官不足の問題、費用の問題、民事法律扶助制度の問題、法制度の問題、全て放置されて弁護士増員だけが実現している。それをおかしい、バランスの取れた司法制度にしよう、として何が悪いのだ、と熱弁をふるわれました。

 その後、中本会長に対して、重鎮の山下潔先生が、質問するなどされていました。

 私は、緊急案件の方が事務所に来られ、お待たせてしまったので、やむを得ず途中で退席しましたが、非常に面白いパネルディスカッションだったと思います。

 残念なことは、若い方の参加がほとんど無かったことです。若い方ほど、今後の弁護士人生が長いのですから、大きく影響を受けるはずです。良く考えて、自分たちが声を上げていかないと、上の人は聞く振りはしてくれますが、その実、全く聞いてくれません。

 日弁連会長の再選挙もあります。

 自分たちの未来を、私たちが黙ってることで喜ぶ人達に任せることは出来ないのではありませんか?

(終わり)

大阪弁護士会パネルディスカッション~その4

(続き)

★質の低下論について

井出氏

・質の低下については分からない。

・データがないし、抽象論で言われても分からない。

・合格者が増えているので法廷活動に関しては劣っていると言われればそうかもしれないが、500人合格時代と法曹のあり方が違っているのではないか。

・即独、ノキ弁の多さは想定外ではある。

・少数の弁護士が高い技能を保持しているやり方がこれまでのもの。2000人合格しても上位500人は今までと変わらないはず。残り1500人を社会に放出する社会と前のやり方といずれがよいのかの選択の問題。

正木氏

・司法試験委員等のヒアリングからも明らか。

・最高裁が公表した2回試験トンデモ答案集を見れば分かる。

・OJT不足は否めない。

河野氏

・LS教官は、答えにくい様子である。

・合格者増では質の低下は当たり前の部分がある。

・質の担保されていない弁護士に市民が当たってしまう可能性が高くなる。

・競争淘汰で良いといっても、本当にLSが質を担保してくれているのか。

・取り敢えず社会に弁護士を増やせばいいという考えだけで、本当の市民の利益を見ているのか。

・資格が質を保証してくれないと市民は困る。

(続く)

大阪弁護士会パネルディスカッション~その3

(続きです)

★企業内弁護士はどれくらいで広がると考えるか

井出氏

・何年で広がるかは分からない。

・司法試験合格者2000名なので、既に需要に合わせて法曹人口を考えることに実質的になっているのだろうか。

・司法審の考えはそうではなかったはず。個人や企業の法的ニーズは増える、そのためのインフラが必要という視点が司法審の考え方。

・ただし、そこまでの需要は広がっていない。法曹人口増大が必ずしも良い方向に向かっていないのか?

正木氏

・企業のニーズが増えているというのであれば、マスコミはどれだけの弁護士を雇用しているのか。

・よく言われるインハウス弁護士の意味もきっちり確定していないように思う。

・企業が弁護士を採用していないことは、弁護士の努力不足が原因なのか、ニーズがなく募集しないからではないのか。今ならいくらでも応募はあるはず。

・司法審のニーズの想定が誤っていたのであれば直ちに修正すべきなのではないか。

★司法ニーズについて

正木氏

・有償ニーズと無償ニーズをごっちゃにしている。

・そもそも被疑者国選導入段階の弁護士数で、十分対応は可能であった。

・過疎問題については、お金を出すなど政策的誘導がないと解決しない。

井出氏

・たとえば原発ADRの申立は被害者数34万人以上いて、1332件、そのうち8割は本人申立である。

・一方で合格者減員を言いつつ、制度的整備を求めても説得力がない。

・福祉の関係者と話したら、被害を受けているのに自覚のない人も多い。

・アウトリーチの手法、法テラススタッフ弁護士の指摘をみれば、ニーズはたくさんあるはず。

河野氏

・司法審の唱えたニ割司法もあって、弁護士はニーズがあると思ったのだろうが、有償ニーズと無償ニーズがあることを見落としていたのではないか。

・無償ニーズのために弁護士を増やすのであれば、当然それを支える制度を議論すべきだったがそれがなかった。

・弁護士さえ増えれば国民は、弁護士に大量に資金を投入して使ってくれるとの考えは間違っていた。

・弁護士に対して仕事を掘り起こせ、仕事獲得の努力をしろと言うことが、果たして国民にとってプラスなのか。本来司法で解決されるべき仕事の掘り起こしと、弁護士が食べるために無理矢理事件を焚きつけることの区別は、国民にはつかない。

・もともと、需要が拡大するから増員が必要というのが司法審の言い方だった。

・司法過疎については、政策的誘導がないとむりだろう。

・弁護士の数さえ増やせば、質が高まるとか地方に行くなどの考えは誤り。

・弁護士が活動できる環境の整備が必要。

(続く)