法科大学院卒の司法修習生

 司法試験に合格しただけでは、裁判官や弁護士、検察官になることはできません。司法試験に合格後は、最高裁判所に管轄される司法研修所と各地の裁判所などで、司法修習(分かりやすくいえば、医師の昔のインターンのような制度)を行います。そして、最終的に2回試験と呼ばれる卒業試験(司法修習生考試)に合格して、初めて弁護士などになる資格を得ることができるのです。

 ところで、ご存じのとおり法科大学院制度が実施されておりますので、第1期の法科大学院を卒業して新司法試験に合格し、司法修習を行っている司法修習生になっている方々がいます。これまでの司法試験とは全く異なる法科大学院~新司法試験制度を突破されてきた方々なので、どのような方々なのかという点には興味がありました。

 この点に関して、法務省のHPに公開されている「第34回司法試験委員会ヒアリングの概要」に、法科大学院を卒業されて新司法試験に合格された新60期修習生の印象が、記載されていましたので紹介します。おそらく司法研修所教官の方の印象だと思われますが、主に、次のような点を指摘されていました。

・熱意の点は概ねまじめで熱心である。

・ビジネスロイヤー志向が強く、刑事系科目を軽視している修習生が多いという声もある。

・口頭表現能力は高いと言えそうであるが、発言内容が的を得ているかというと必ずしもそうではない。

・予備校のテキストを使用している者が意外に多い。

・教官の中で最も意見が一致したのが、全般的に実体法の理解が不足しているということである。単なる知識不足であればその後の勉強で補えると思うが、そういう知識不足にとどまらない理解不足、実体法を事案に当てはめて法的な思考をする能力が足りない、そういう意味での実体法の理解不足が目立つというのが、非常に多くの教官に共通の意見である。

・全般的に言えば優秀な修習生がいることに変わりはないが、能力不足の修習生も増えている。

法科大学院卒の司法修習生に限らず、最近の修習生の傾向として、

・就職活動に熱心であり、修習よりも就職活動を一生懸命にやっている。

・年々まじめになってきているが、それが必ずしも成果に結びついていない。立場を変えて思考することが上手くできない修習生が増えている。

 私の個人的意見を言えば、合格者を増やせば、当然全体のレベルは下がります。どんな試験においても優秀な方から普通の方まで並べるとピラミッド型になりますから、合格者を増やせば増やすだけ、ピラミッドの下の部分が増えるからです。だから、能力不足の修習生の絶対数は従来よりは間違いなく増えていると思います。ただし、このことは修習生全体が能力不足という意味ではありません。おそらく修習生の上位の方は、今までの司法試験の上位合格者と同レベルの能力をお持ちだと思います。

 しかし、あまりに性急に司法試験合格者を増やしすぎており、能力不足の法律家を粗製濫造してしまう危険が今まで以上に高まっているのは事実でしょう。これは法曹を目指す方のせいではなく、このような制度設計をした側の責任だと思います。

 これまでマスコミは、法律家不足を宣伝し続けてきました。しかし、企業が企業内弁護士としてどれだけの法律家を雇用しているでしょうか。一般の方に、法律家の需要がどれだけ増えた実感があるでしょうか。ほんとうに法律家が不足しているのであれば、なぜ、司法修習生が就職に困難を来しているのでしょうか。 法律家の急増が社会の真の要請でないとすれば、従前に比べて能力不足の可能性を指摘されている法律家を濫造すべきではありません。また、仮に、社会に法律家急増という要請がある場合であっても、それは従前以上か、少なくとも従前並の質を保持した法律家を社会は求めているはずです。

 先日、ある法科大学院の教授もされている学者の方とお話しする機会があったのですが、最近の法科大学院の学生の質の低下も顕著であり、こんなことなら、以前の司法試験制度の方がまだ良かったと仰っておられました。

 日本では、ある制度が誤りであったと明らかになっても、直ぐに是正されることは少ないように思われます。しかし、能力不足の法律家を多数輩出してしまうかもしれない懸念が非常に強くなっている現在の制度は早急に見直されるべきだと考えます。

そして僕は天使になった  池谷剛一 文・絵

 ある日僕はあたりまえのように死んでしまった

 この絵本は、いきなり衝撃的な文章で始まります。
 表紙の挿絵と題名からは、想像もつかない始まりです。
 主人公は、飼い主より先に死んでしまった犬ですが、犬本来の姿で描かれるのは、最初の2ページ目までと、飼い主との日々を回想するページだけです。

 静かで、でも何故かほっとする絵が、次第に読み手の心を温めてくれるような気がします。
 この絵本の犬のように、真っ白い月の光の中、親しい人との素晴らしい想い出だけを抱いて、天に帰れるのなら、天使になるのも悪くない・・・・・と素直に思えます。
 

 大事な人を失った人、何らかの別れにより傷ついた大人の方向けの絵本ではないかと思います。
 「素晴らしい想い出だけを静かに、大事に抱いて、待っていて下さい。」そんな気にさせてもらえる絵本かもしれません。

光琳社出版1800円
(現在ではパロル舎より1500円(税別)で出されているようです。)

少年法改正のポイント

 平成19年6月1日に、改正少年法が公布され、遅くとも平成19年11月中に施行されることになりました。

 法務省のホームページによりますと、今回の少年法改正のポイントは次の5つということです。

 ① いわゆる触法少年及び、ぐ犯少年に係る事件についての警察官の調査手続を整備すること。

 ② 警察官の調査に関し、付添人の選任権など、少年の権利保護のための規定をおくこと。

 ③ 少年院に送致可能な年齢の下限を設け、おおむね12歳とすること。

 ④ 保護観察中の者に対する措置につき、遵守事項違反が新たな審判事由であることを明らかにすること。

 ⑤ 一定の重大事件につき、国選付添人制度を新設すること。

 ここでは、③・④がマスコミで大きく報道されましたので、簡単に説明します。

③については、「小学生も少年院に送致できるようになる」と報道されたので、ご存じの方も多いと思います。法務省の説明では、14歳未満の子供でも凶悪・重大な事件を起こすなど、内面に大きな問題を抱えている少年の存在は否定できず、その子供たちの処遇のためにふさわしいのであれば、少年院で教育すべきではないかという趣旨だそうです。

 確かに年齢だけで、画一的に閉鎖された少年院か開放的な児童自立支援施設かとの分類をすべきではなく、少年の個性に応じて対処するという方針自体は正しいと考えられますが、少年の社会復帰はできるだけ、社会に近い状況の下で行われるのが望ましいことから考えれば、疑問がないわけではありません。ただし、14歳未満の少年による悪質な事件の存在も否定できないようなので、難しいところだと思います。

④についてですが、これまでは、少年審判で保護観察に付された場合には、保護観察処分が終局処分であったため、保護観察中に遵守事項の違反を少年が繰り返しても、それを理由に少年を少年院に入れることができない状態にありました。その結果、少年が保護観察を軽く見てしまい、保護観察が機能しない場合もあったようです。そこで、今回の法改正においては、「少年が遵守事項を守らず、保護観察を続けても本人の改善・更生が見込めない場合には、家庭裁判所が審判を行い、少年院等に送致することがある」ことを定めました。この点に関し、少年は事件を一度しか起こしていないのに、その事件で保護観察と少年院送致と2重に処罰するのではないかという指摘がありましたが、法務省は、「保護観察中の遵守事項を守らなかったという新たな事情を理由として、新たな保護処分を行うものであり、少年を2重に処罰するものではない」としています。保護観察が機能しない場合の問題は、かなり以前から指摘されていましたので、この制度の新設により、保護観察の実効性が高まることが期待されているようです。

司法試験論文式試験受験者の方へ

 とにかくお疲れ様でした。よく頑張られましたね。私も論文試験を何度も受験して、不眠症や円形脱毛症になったりもしましたので、その精神的・肉体的な苦しさは分かるつもりです。

 まずは、試験で疲れた心身をいたわって上げて下さい。論文式試験は想像以上に体力と精神力を使います。栄養のあるものを食べて、睡眠を十分にとって、たまっている疲労をとるよう心がけて下さい。

 予備校の模範解答も出回っていることと思いますが、必ずしもその解答が正しいとは限りません。模範解答を見てしまっても、自信を失わない方だけごらんになればいいと思います。もう、合否は試験委員に委ねられているのですから、論文試験の失敗した点を悔やむ必要はありません(失敗の分析と反省は必要です。悔やむだけなら意味がないということです。)。

 一息ついたら、口述試験の準備を必ず行って下さい。そのまま夏休みモードに入ってしまうと、せっかく司法試験向けに研ぎ澄まされたあなたの頭脳を、鈍らせてしまいます。1人ではなかなか気が乗らないことが多いでしょうから、友達と何人かで口述ゼミを組んで、口述問題を試験形式で行うのも非常に有効です(私もやりました)。

 口述試験が3科目になってから、商法・会社法の細かい知識は口述試験では不要になりましたが、その分、1科目のウエイトが重くなっています。1科目の失敗でも大変な違いになってしまいます。そうだとすれば、口述試験対策を怠るわけにはいかないはずです。よく合格体験記で、口述対策はしていなかったなどと書かれる方がいますが、それはたまたま運良く口述プロパーの問題が出なかっただけに過ぎません。

 また、法律家にとって知識は、非常に大切です。すでに弁護士過剰状態に陥り始めていますから、知識はあるだけ有利になります。研修所での2回試験においても知識不足は致命傷になりかねません。「研修所に入ってから身につければいいや。」と思っていると、思いの外、修習生活が忙しくて、そのような余裕を持てずに2回試験に臨まなければならなくなります。

 辛いかもしれませんが、もう一頑張りです。論文試験を受験された全ての方に合格可能性があることを忘れないで下さい。

「ゆき」 斎藤隆介著 

 天上に暮らし、天と地を真っ白な雪で清める雪の「じんじい」と「ばんばあ」。しかしこの頃は、潔白な雪で下界を清めても、雪はたちまち真っ黒になってしまう。下界で悪いことが行われているからだ。「じんじい」は「ばんばあ」との間の娘である雪ん子を、下界におろし下界の掃除をさせると言いだした。もしも下界の汚れに負けてしまえば、雪ん子は消えてしまう。下克上時代でもあった室町時代末期、野盗や領主を名乗る地侍、あくどい地主、等がはびこる東北の農村を、雪ん子は、村の地面いっぱいに汚れないきれいな雪がつもる世界に変えていけるのか。そして、外の敵がいなくなったときに初めて分かる心の中の敵に打ち勝てるのか。

 斎藤隆介って誰?と思われる方がほとんどかもしれません。しかし、絵本の「モチモチの木」、「八郎」、「三コ」、「花さき山」に「ベロ出しチョンマ」の作者である事までお伝えすれば、誰でも一度は読んだことのある本の作者である事に気づかれるでしょう。

 近代は人の自我の確立の時代でもありますが、近代から現代に至るまで、自我の確立・主張を重んじるばかり、人は、優しさや、思いやりを次第に失っていきがちであり、人として大事なことを失いつつあることにすら気づいてこなかったのかもしれません。それは、自分の心の中にある敵に知らず知らずのうちに屈してしまっている状態とも言えると思います。作者は農民達の心の中にある敵を「神人」として表現し、「ゆき」と対決させます。そして、作者はあとがきで、「心の中の敵とたたかうことは、ほんとうににむずかしいものですね。でも、それとたたかって勝たなければほんとうに勝ったということはできません。ゆきは、勝ったのでしょうか、まけたのでしょうか。」と読者に問いかけます。今から40年ほど前に書かれた作品なのですが、競争社会化が著しい現在では、より重い問いかけのように思えます。

 他人の苦しみや痛みを思いやり、理解し、そしてその痛みや苦しみを黙って見逃すことが出来ない人物を描いた短編を数多く書いてきた斎藤隆介が、初めて書き下ろした長編童話がこの「ゆき」です。滝平二郎の切り絵による挿絵も素晴らしく、絶版となっているのが非常に残念です。図書館等にはあるかもしれませんのでもし見つけられたら、童話であるというだけで敬遠せずに、一読されることをお勧めします。

ps 個人的には宮崎駿さんに映画化して頂けたら、すごいのに・・・・と思ってしまいます。

旧司法試験 論文式試験受験生の方へ

 暑い日が続きますが、頑張っておられることと思います。

 論文試験が迫ってきましたが、調子はどうですか?

 論文試験はこれまでも言ってきたとおりです。
 自分を必要以上に飾り立てると自滅します。
 自分の実力で問題文を必死で分析し、その実力を試験官に対してわかりやすく示してくればよいのです。

 まず問題文を読み違えないように、落ち着いて良く読むことです。
 簡単そうに見えても問題文を読み違えないで読むことは意外に大変です。しかし、読み間違いのないように意識して読めば大丈夫です。

 次に何を聞いているのか、何をどう答えなくてはならないのかをはっきりとさせて下さい。
 例えば「いかなる主張ができるか」という問であれば、「~という主張ができる」というのが答となるでしょう。「○と△を比較して論ぜよ」と言う問であれば必ず比較して論じている部分がなくてはなりません。

 それから、結論、おそらく皆さんのリーガルマインドからすれば妥当な結論は分かると思いますので、その結論を導くに至った思考過程を表す方法を考えます(答案構成ですね)。

 出発はあくまで条文です。特に憲法で忘れがちなので注意して下さい。

 どの条文のどの文言がどういう形で問題になり、その条文(文言)をどのような理由でどう解釈していくのか、そして、その解釈した結果に事例を当てはめればどのような結果になるのか、順を追ってていねいに説明してやることです。

 論文試験の解答は、論文という以上、論理的な文章である必要があります。つまり、最初のひと文字から最後の句読点に至るまで論理的に繋がっていなくてはなりませんし、書く必然性があるから書いたものでなくてはなりません。書く必然性がないものを書けばそれだけで論理性に疑いをもたれる危険があります。
答案の価値は基礎的な知識を正確に論理的に表現しているか否かで判断されるものであって、決して書いた量で計り得るものではありません。
 隣の受験生がたくさん書いていたとしても、気にしないことです。むしろかわいそうにと思ってあげても良いくらいでしょう。  

 ただ、あくまで書面審査ですので、読みやすく、接続詞まで配慮して書いてやることです。何百枚もの答案を夏の暑い盛りに読む試験委員のことを考えれば、接続詞で上手に繋がっていればそれだけでも印象はよいはずです。この点に注意するだけでも随分違うと思います。

 試験中には必ず、逃げたくなるときがあります。
 前提論点で少数説で逃げればよく知らない論点を書かずに済む場合などです。
 この場合結論的にいえば、逃げずに何とか妥当な結論を導こうと苦慮していることを示した方が、私の経験上では高評価だったように思います。

 また、終わった科目で致命的な失敗に気付くこともあります。しかし結果は発表まで分かりません。特に合格者のレベルが大幅に低下している昨今、致命的なミスの一つ・二つくらいは誰でもやっていることと思われます。

 以前から言ってきたと思いますが、問題に逃げずに正面からぶつかって真剣に考え、その過程を素直に自分を飾らずに表現してくれば良いと思います。

 自分の真の姿を偽っても、結局自分以上にはなれません。他人がどうであれ、素直に自分の精一杯の力を見てもらってきて下さい。そのためには、最後の最後まで問題に食らいついて諦めずに戦うことです。

 それができれば上出来だと思います。

 論文試験前の私の励ましは、これが最後になります。読んで下さった皆さんの健闘をお祈りしております。

突然の面会要請

 2年半ほど前の、ある冬の日の夕方、風邪気味でノドが痛く、声までかすれてきていた私は、「今日くらい早く帰ろうかな」と考えていたところ、突然大阪府警留置管理係から電話がかかってきました。

 その日は当番弁護の日ではないし、私が担当する刑事事件で被疑者が大阪府警に拘留されている事件もありませんでしたので、不審に思いつつ電話に出ました。

「坂野先生ですか。少年○○が先生に是非来て欲しいと言うとるんです。先生とは何の面識もないそうなんですが、来てやって頂けませんか?」

「少年○○君?確かに知りませんが、どうして私の名前を知ってるんでしょう。」

「さあ、それは分かりませんが、とにかく先生に来て欲しいと言うとるんです。ご迷惑だと思いますが来てやって頂けませんか。」

「分かりました。誰か分かりませんが、『弁護人となろうとする者』の資格で面会しましょう。20時くらいにはそちらに行けると思います。」

「すみません。よろしくお願いします。」

 こういうやりとりの後、仕事を済ませ、私は大阪府警本部に向かいました。とても寒い日で、風も強く、コートが風にあおられていたのを覚えております。

 いざ接見室に入って、自己紹介の後、どうして私の名前を知っているのか尋ねました。少年が言うには、鑑別所か留置場の壁の落書きに「坂野弁護士はよくやってくれるから、頼んだ方が良い。」と書かれていて、それを覚えていたから連絡してもらったのだと言うことでした。そして、親もお金を出してくれるだろうから、何とか自分の罪を軽くしてもらえるように弁護をやってくれないかと、少年に頼まれました。しかし1時間ほどかけて事件のことをあれこれ聞いてみると、少年の話によっても被害者に落ち度はないと思われるのに、自分は悪くないという話や、逮捕されたのは運が悪かったと言わんばかりの話が続々と少年の口から出てきたのです。

 私は、「罪を軽くして欲しいというだけであれば僕は受けられない。君が本当に今回の失敗を最後にしたいと思っていて、どうしても立ち直りたくて、その立ち直りの手助けをして欲しいというのであれば、頑張ってみようと思う。だから、壁の落書きから君はとにかく罪を軽くするために活動する弁護士だと僕のことを思ったかもしれないが、君が想像した弁護士とは違うかもしれないよ。それでも良いのであれば、ご両親と相談して連絡をくれれば頑張ってみよう。」と答えました。そして少年の親にも面会の様子を伝え、本人とよく相談するようにお願いしました。

 私の採った態度が正しかったかどうかは未だに分かりません。

 しかし、私の経験から言うと、少年事件を起こす少年は、彼が生み出したのか周囲が植え付けたのかは別として、一様にガン細胞のような問題点(心のキズ・ゆがみ)を抱えているような気がします。そしてその問題点には、少年自身が、事件についての反省の過程でいかに被害者に迷惑をかけたか、いかに自分がくだらないことをしてしまったのか、何故悪いと分かっていながら止められなかったのか等、様々な事について深く考え、苦しんでガン細胞のありかを突き止めようとする姿勢がなければ、近づけないように思えます。周囲の者が勝手に見立てて、「君の問題点は、此処にあるからこのように直しなさい」と指摘しても、ある程度の治療は可能でもガン細胞の根は残ってしまい、再発する危険がどうしても残る気がするのです。

 別の言い方をすれば、少年自身が自らの問題点に気づこうとしない限り、少年の事件の問題点は根本的な解決が極めて困難だと思います。そしてその問題点を見つけた後、どのように改善するかについても少年が必死に考える必要があると私は思っています。そうだとすれば弁護士が事件を起こした少年に対してできるのは、あくまで少年が立ち直りたいと思っている場合に、その立ち直りのため付き添って一緒に考え、手助け・ヒントを与えてあげるくらいではないのでしょうか。むろん弁護士は、審判に向けて、調査官や裁判官と面談するなど、様々な活動を行いますから、事件自体についてやることはたくさんあります。しかし、当の少年がこれまでの自分と決別して立ち直ろうと考えない限り、真の解決は難しいのだと思います。

  弁護士に出来ることは限られているかもしれませんが、その中で一生懸命頑張って、今後も少年の立ち直りにつきあっていこうと考えております。

「ひまわりの祝祭」 藤原伊織 著

 真夜中、突然、かつての上司であり大学の先輩でもある人物が尋ねて来て、500万円を賭博で一晩で使い切って欲しいという奇妙な依頼を主人公にする。主人公には賭博に関して一種独特の才能があった。非合法カジノに向かった二人はそこで、主人公の亡き妻とうりふたつの女性と出会う。主人公の妻英子は何年か前に自殺していた。妻は妊娠を隠していた。妻の死にまつわる真実を探り始めた主人公は、7作品しか現存しないと言われる、ファン・ゴッホの残した8作品目の「ひまわり」が鍵であることにたどり着く。果たして本当にファン・ゴッホは8枚目の「ひまわり」を残していたのか、主人公の妻の自殺の理由は何だったのか?

 同作者の「テロリストのパラソル」が乱歩賞と直木賞を史上初めてダブル受賞した事で有名ですが、この作品も非常に素晴らしいものであると思います。主人公は、一見さえない中年男で、幼児性を残していると周囲から指摘される人物です。読み進めていくと分かるのですが、銃の達人でもあり、真相に迫る際の頭の切れ具合も鋭すぎるくらいで、中年の主人公が(しかもハードボイルド小説の中で)、自分を指す一人称として「僕」を用いていることに違和感を覚えるかもしれません。
 しかし、この本のラスト近く、英子の自殺の理由を主人公が悟る場面で、何故読者に違和感を感じさせかねない「僕」を用いて作者が話を進めてきたのかが理解できます。感情を排し、短い文章を淡々と積み重ねたその部分は、この本の白眉であると私は思います。すでに語られた、まばゆく美しい「僕」と英子の高校時代の描写が効いています。
 様々な読み方があるでしょうが、私はこの小説を、主人公と英子の愛の話として読みました。もちろんミステリーとしても非常に面白い作品になっていると思います。

 一言で言えば、格好良くて悲しい物語。そう読めました。

講談社文庫 752円(税別)

「幻の女」 ウイリアム・アイリッシュ著

 やってもいない妻殺しの罪により、死刑を宣告された主人公。証拠は全て彼の犯行を裏付け、控訴も却下された。しかし、違和感を覚えた捜査担当の刑事は、直感で主人公の潔白を信じ、主人公に親友に依頼して、無実を証明するための唯一のアリバイ証人を探してもらうようアドバイスする。

 そのアリバイ証人とは、主人公が行きずりで食事と観劇をした、名前も分からず、顔も覚えていない、へんてこな帽子をかぶった女であった。主人公の死刑執行を18日後に控え、親友は必死にその女を捜す。しかし、親友が手がかりに近づくたびに、まるでその女が幻であるかのように、その女への手がかりは次々と失われていく。容赦なく近づいてくる死刑執行の日。女は主人公の記憶の中だけに存在する幻の女なのか・・・・・。

 この小説はサスペンス小説の古典的名作といわれ、ミステリー小説の読者投票などでも常に上位にランクされる作品ですから、すでにご存じの方も多いと思います。それでも、まだ読まれていない方には、是非ご紹介せざるを得ない傑作です。どんどん主人公の死刑執行の日が近づいて来る構成ですので、できれば、途中で休まずに一気に読まれた方が、盛り上がるし、緊張感もとぎれなくて面白いと思います。素直に作者の導くまま読み進めていくと、結末の意外性に仰天させられること請け合いです。

ハヤカワ・ミステリ文庫 840円(税込)

頑張れ論文受験生

 司法試験の論文式試験まであと、10日ほどになりました。

 最後の論文式試験の模試も今週末くらいに実施されると思います。

 みなさんは、これまで一生懸命に頑張ってこられたものと思います。これからは、体調管理に十分気を配ることです。睡眠を十分とって試験時間に頭が働くように生活のリズムを作って下さい。夜寝る直前に頭をあまり使いすぎると、私の経験上、頭が冴えて眠れなくなることがありますので、ご注意下さい。試験直前に眠れなくても、ベッドに横になって目をつむり休息するだけで、疲れはとれていきます。

 ひとりひとり、背負っているものは違いますが、試験の条件は皆同じです。実力以上を出す必要もありませんし、出せることはまずありません。みなさんの持っている力を発揮できれば、それでいいのです。そう考えれば、試験を心配する気持ちも少しは楽になると思います。

 そして万一、眠れなくても気にしないことです。眠れるにこしたことはありませんが、眠れなくても試験にはそんなに影響しないものです。

 但し何度も言いますが、体調だけには十分気を配って下さい。寝苦しい夜が続く時期ですので寝冷えなどなさらぬよう。