J・Sバッハ オーボエ・ダモーレ協奏曲 BWV1055

 オーボエって何?と仰る方もおられるかもしれません。オーボエは楽器の一つであり、世界で最も演奏するのが難しい木管楽器とされているものだそうです。私は、楽器は何一つ演奏することは出来ませんが、高く、遙に澄み切ったオーボエの音色は大好きです。

 かつて宮本文昭さんが、NHK朝の連続テレビ小説「あすか」の主題曲をオーボエで演奏され、一時、かなりオーボエの音色が注目されたので、覚えておられる方も多いと思います。

 そのオーボエの名手、ハインツ・ホリガーが、バッハの協奏曲を演奏したものがあります。

 私の持っているCDは、そのうちBWV1053・1059・1055の曲が入ったもので、1055のみオーボエ・ダモーレを用いて演奏されているものです。

 いずれの曲も素晴らしいのですが、特に美しいのがBWV1055で、なかでも、私はその第3楽章が大好きです。第2楽章の膝をかかえて物思いに沈んでしまっているかのような音楽のあと、第3楽章に入り、割と明るいオーケストラの演奏のあと、初冬の早朝にだけ見られるような明るく澄み渡った青空を思わせるオーボエ・ダモーレが響き渡ります。

 ホリガーのオーボエ・ダモーレで演奏されるその部分は、単に透明な明るさを持った青空というわけではないように思います。うまく言えませんが、何事もなかったように周囲には明るく振る舞いながらも、実は恐ろしいほど深い悲しみを感じている人が、その悲しみの中で、本当に何気なしに見上げた青空に、今まで気付かなかった高さ・美しさを見出したかのように感じられます。言い換えれば、表面上は明るいながらも、深い悲しみの中にそっと救いを包み込んだような音楽に感じられます。

 忙しい年末の時期ですが、機会があれば是非一度、耳にされることをお薦めします。

 当事務所の本年の業務・本年の私のブログの更新は、本日で終了させて頂きます。イデア綜合法律事務所を御支援くださった方、私の拙いブログを読んで下さった方、誠に有り難うございました。皆様が良き新年をお迎えされることを祈念しております。

 新年は、1月5日(月)から業務を開始する予定です。ブログの更新も、細々と続けていくつもりですので、今後ともイデア綜合法律事務所をよろしくお願い致します。

映画 スカイ・クロラ~

 完全な平和が実現した世界で、大人達が作った、「ショーとしての戦争」。

 そこで戦い、生きることを決められた子ども達がいる。

 思春期の姿のまま、永遠に生き続ける彼らを人々は<キルドレ>と呼んだ。

 空と地表の境で繰り返される、終わらない愛と生と死の物語。

 宮崎駿監督の「崖の上のポニョ」が話題になっている、この夏のアニメ映画ですが、私のお薦めはこの「スカイ・クロラ」です。ご覧になっていない方のために、詳しい内容を紹介することは避けますが、できれば事前の情報を入れずにご覧頂き、なんだかよく分からないけれど何かが心のどこかに引っかかると思いつつ、公式HPを見ると、もう一度映画館で見たくなる映画かもしれません。

 発進前に、ラダー・エルロン・エレベーターなどの動作をきちんとチェックするところ、計器板の表示、キャノピー越しの太陽、空の美しさ、リアルすぎる雲、飛び交う曳光弾など空戦シーンは圧倒的なリアリティに溢れています。人(キルドレ)の命がかかっている戦場なのですから、本来極めて残酷なシーンのはずなのですが、ここまでリアルに表現されると、空の描写と相俟って、却って非日常的な美しさすら感じてしまいます。

 一転して、地上世界の人間描写は、リアリティの感じられない、アニメ的な描写になります。

 キルドレではない大多数の人間にとっては、空戦シーンがショーであり、地上世界が現実であるはずなのに、映像表現は完全に逆です。

 原作は森博嗣の「スカイ・クロラ」ですが、映画では原作のラストが変更されています。私としては、映画のラストの方が好きです。

 上映している映画館は、ポニョほど多くはありませんが、空戦シーンだけでも、映画館の大画面で見る価値は十二分にあると思います。

ザ・マジックアワー

 6月7日に公開された、三谷幸喜監督最新作の映画です。とりあえずご覧になって下さい。

 もともと私は、主演の佐藤浩市さんのファンですが、そんなことを抜きにしても十二分に面白い映画に仕上がっています。笑えます。少し幸せと元気をもらえます。そんな映画です。

 映画は皆さんに見て頂くとして、先日の土曜日の深夜、撮影の終わったザ・マジックアワーの映画セットを案内するという番組をやっていました。案内役は、三谷監督御自身です。最初は、公開してからも宣伝活動とは、監督って大変なんだ、とちょっと冷めた目で見てましたが、それは間違いでした。

 三谷監督は、 ときには階段を駆け上がり、ときには道路に寝そべりながら、セットを案内していきます。その監督の様子がとても良いのです。本当に心の底から、自分の作り上げた映画がいとおしくてたまらない様子です。そして彼にとっては、おそらく、その映画を産み出す舞台となった、大がかりなセットも完成した映画と同じくらい、いとおしく思えたのでしょう。できれば、映画の中だけの街ではなく、ずっとそのままにしておきたかった街のはずです。

 しかし、映画のスタジオとは、次の映画を産み出すために、今あるセットは壊され、次のセットが作られなければならない場所でもあります。セットを使って作られた映画は残り、人々を感動させ続けますが、セットは残り続けることはできません。

 監督自身も、残念だったのでしょう。冗談めかして、このまま置いておきたいといったけど、ここのスタジオの人には早くどけてもらいたいと言われた、という内容の発言をされていました。

 セットの細かな部分まで、一生懸命に説明する三谷監督の姿から想像するに、三谷監督自身、何らかの形でセットとお別れをする儀式をしなければ踏ん切りがつけられないくらいのお気持ちだったのではないでしょうか。そのお別れの儀式を、セットを解説するという番組に仮託して、三谷監督は行っていたのではないかと私には思えます。

教会で聴く音楽

 教会と聞くと堅苦しいように思われるかもしれませんが、ヨーロッパのキリスト教教会は、一部を除いて原則として、日中は立ち入り自由のところが多いようです。

 街の散策に疲れたり、急な雨で困ったときは、教会の中で休ませてもらったりしたこともあります。

 たまに、教会に立ち寄った際に、パイプオルガンや合唱の練習に出会うこともあります。私は、オルガンの音色がとても好きなので、そのようなときにはラッキー♪と思って、しばらく聞いていたりします。

 特にバッハのオルガン曲が演奏されているときなどは、とても素晴らしい気分にさせてもらえることもあります。私の知人が、教会での音楽は、音楽がぐるぐる回って昇っていくようだ、と表現したことがありますが、私の印象は似ていますが、少し違います。

 上手く言えないのですが、教会で美しい音楽を聴いた際、私達の座っている地上から、天に向かって音楽という名の儚く、美しく、壊れやすい、硬質の透明な螺旋階段が、すっとのびていくように思えるのです。そして、その階段は、その儚さ・美しさ・壊れやすさ故に、無論私達自身が登れるものではありません。私達の切なる願いを届けるものでもないようです。地上から天へと向かって伸びる階段ではありますが、人間が主体となって伸ばしていく階段ではないようにも思います。

 むしろ天上から何かをさしのべるために、神(という存在があるのであればですが)が、演奏家に命じて音楽を奏でさせ、天と地を一瞬だけ結ばせるように取りはからった、その結果、地上と天を音楽で結ぶことが許されているのではないかと感じられます。ですから、地上から天へと向かって伸びる階段ではあるのですが、同時に天から地上へともっと大きな流れがあるような気がするのです。

 結局、何のことかよくわからなくなっちゃいましたね。感覚を伝えようというときには、いつも言葉足らずになってしまい、もどかしい思いをします。

 とにかく、もし、機会があれば、是非一度教会での音楽を体験されることをおすすめします。

人形劇

 小学生のとき、両親に連れられて初めて東京見物に行った際に、劇団プークの人形劇を見ました。

 演じられた出し物が何であったのか、どうしても思い出せないのですが、面白かったという印象だけは強く残っています。

 その印象が残っているせいか、海外旅行に出かけた際には、美術館・博物館よりも、人形劇があるとつい心が引かれてしまいます。

 といっても、人形劇が年中開催されているわけではないので、これまで、ミュンヘン・プラハくらいでしか見物できたことはありません。

 なかでもプラハは人形劇が盛んな街のようで、土産物屋でもマリオネットがよく売られています。私はプラハのミノール劇場で、偶然、子供向けの限定公演?を特別に見ることができました。

 切符売り場の人が、なにやら(多分子供限定だから駄目だということだったのでしょう)言っていたのですが、私があまりにも言葉がわからなかったため、仕方なく入れてくれたような感じでした。ほかの観客といえば、平日の午前中でしたので、引率されてやって来た幼児か小学生しかいなくて、本当に見せてもらって良いのか、席に着いてからも落ち着かなかったことを覚えています。

  出し物は、言葉が全くわからないこともあり、何のことやらよくわからなかったのですが、非常に工夫されているようでした。出演者の熱演もあって、子供達がどんどん引き込まれ、夢中になっていくのが感じられました。全てを劇中で見せて説明してしまうのではなく、紙芝居・絵本のように次々とシーンを見せて、そのシーンの間にあったであろう出来事を想像させているようにも見えました。

 全く出し物が異なる夜の部の一般公演も見ましたが、なぜだか、子供達だけに向けて実施されている(と思われる)午前の部の公演の方が記憶に残っています。このような劇を見ることができるプラハの子供達は恵まれているのでしょう。

 機会があれば、是非もう一度、訪ねてみたいと思っています。

興福寺 阿修羅像

 私が広隆寺の弥勒菩薩と並んで大好きな仏像の一つであるのが、この興福寺の阿修羅像(国宝)です。

 阿修羅については、お釈迦様の説法にニワトリをぶら下げて乱入したなど、様々なお話があるそうですが、私が一番好きな阿修羅のお話は、そして興福寺の阿修羅像に最もぴったり合ったものと感じられるお話は、中学時代に読んだ光瀬龍氏の「百億の昼と千億の夜」というSF小説の後書きにあったお話です。

 光瀬龍氏の「百億の昼と千億の夜」それ自体が、日本SF史に残る傑作だと思いますが、その世界に圧倒された後に読んだ、「あと書き」に、光瀬龍氏の大好きな阿修羅王のお話が記載されていました(昨年本屋で見かけた文庫本では後書きが変わっており、私が読んだ頃の後書きではなくなっていました)。

 光瀬氏によると次のように阿修羅は描かれていました(以下の文章は、「あとがき」の一部分ですが、私の記憶なので細部は違うかも知れません)。

 (前略)

 阿修羅王は、乾脱婆(がんだるば)王の美しい一人娘に、心を奪われ妻にと乞うのです。しかし、仏教徒ではない異教徒であった阿修羅王の願いは容れられません。阿修羅王は一度はあきらめるのですが、どうしてもその美しい娘のことがあきらめきれず、ついに精鋭を率いて乾脱婆王のもとに攻め込みます。

 仏教徒である乾脱婆王は、仏界の最高の王である天輪王に助けを求め、天輪王は帝釈天に阿修羅王を討伐するよう命じるのです。

 阿修羅王の軍勢は、魔力まで備えた比類なき精強な軍隊ですが、帝釈天の率いているのは天兵です。天兵を率いている以上、帝釈天は決して負けることはないのです。

 ついに阿修羅王は、決して勝つことの出来ない相手に対して、永遠に戦い続けることになりました。もはや決して得られることのないたった一人の美しい娘を得るために、彼は永遠に戦い続けなければならなくなったのです。

 興福寺の阿修羅王像のあの憂愁に閉ざされた眉をご覧なさい。泣き出すこともできず、自嘲の笑いとてなく、絶望を越えた向こうからひたすらに見つめるそのまなざしは、絶対者に向かって「なぜ」と問いかけているのです。

 その瞳の奥には、密かに愛した一人の美しい少女の面影も既になく、己の命運を掌握するものへの尽きることのない問いかけだけがあるのです。

(後略)

 私個人の思い入れかも知れませんが、興福寺の阿修羅像は、かつて美しい少女に恋をし、阿修羅王と同じような思いをしたことのある仏師が、この悲しくも壮絶な物語を知り、大好きな阿修羅王を形にしたくてたまらなくなって、自らの思いのほとばしるままに作り上げたもののように思われてなりません。

 そして、おそらくその仏師は、その後、同じように美しくも悲しい阿修羅像は作れなくなってしまったのではないでしょうか。阿修羅のあまりにも深い憂愁に触れてしまう機会を得てしまったが故に。

 私が、興福寺の阿修羅像に最後に会ったのはもう、10年くらい前になると思います。そのときは興福寺の国宝館におかれていました。阿修羅像の視線の真っ正面先には、帝釈天像が配置されていました。これが興福寺の意図的な配置であれば、なかなか粋な計らいではないかと思った記憶があります。

 奈良にお出での際は、是非ともご覧頂きたい仏像の一つです。

J・Sバッハ「管弦楽組曲第3番よりair」

 先だって、受験時代のH君との話とカヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲のことを書きましたが、その際に私が候補にあげた曲の一つがJ・Sバッハ「管弦楽組曲第3番の「air」楽章」です。いわゆるG線上のアリアとして有名な曲ですから、ご存じの方も多いでしょう。いろいろな楽器で演奏されますが、やはりオーケストラによるものが一番しっくりきます。

 私がこの曲からうける印象は次のようなものでした。

 既に私はこの世での生を終えています。天上に向かう途中のようです。冥界の使者なのか天使なのかは分かりませんが、ある存在が、ゆるやかに、私に立ち止まって振り返るように身振りで伝えます。

 私は何の疑問もなく、そうするのが当たり前であるかのように、振り返ります。私の動きは水中であるかのように、ゆっくりです。人々が生活し、暮らしている、しかし、私のいなくなった地球を眺めながら、自分の人生を静かに想い起していきます。楽しかったこと、悲しかったこと、どうしようもなく切ない思いに暮れたことなど、自分が人生で体験した光景が、既に記憶の底にしまい込み思い出すことさえなかったことまで含めて、ゆっくりと目の前を流れていきます。しかし不思議と話声や音は聞こえません。

 心はもはや何物にも乱されることはありません。感情から解き放たれ、ひたすらに静かに穏やかなだけです。ただ、私が体験してきた全てのことに、やはり意味があったのだという想いだけは間違いなく感じられるようです。

 ここまでで、私がこの曲から受ける印象のおよそ半分くらいです。これ以上は私の言葉で表現することはできません。あとは、実際に曲を聴いて感じて頂くしかないようです。私の個人的な印象ですが、この曲は、もはや、人の領域を超えて神の領域までをも表現した曲であり、神の領域を人間の言葉で表現することは不可能であるからです。

 おそらく、この曲を作曲したときのバッハの魂は、完全に浄化され、あらゆる色を拒絶して純白に輝きながら結晶化しており、既にこの世ではなく、天上に存在していたにちがいありません。

 わずか5分程度の小曲ですが、その曲に含まれた世界は広大です。忙しい師走ではありますが、少しだけその広い世界を覗いてみられてはいかがでしょうか。

 今年のブログは、これで終わります。今年6月からはじめた、読みにくいブログを読んで下さった方々、有り難うございました。皆様が、良き年をお迎えになることを願っております。

 なお、当事務所は新年は1月7日より始業いたします。ブログも更新していく予定です。

 今後ともイデア綜合法律事務所をよろしくお願いいたします。

カヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲

 一番美しいと思うクラシック音楽は何だろうと、司法試験受験時代に受験仲間だったH君と話し合ったとき、H君が推したのが、このカヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲です。

 映画ゴッドファーザーパート3でも効果的に使われていましたし、TVCMにも何度も登場しているので、耳にすれば「ああ、この曲なのか」と思われる方も多いでしょう。

 静かな、霧に包まれた牧場の夜明けを思わせるような導入部から、この曲は始まります。

 そして、次第に朝の光が増していきます。誰にも汚されていない清澄な空気が立ちこめ、あたりは霧でボーっと明るいようです。その中で一人、しっとりと湿った大きな樹に背中を預けながら、甘美であったが決して結実することのなかった、かつて過ごした夢のような時間へと、自分一人で戻っていきます。
 しかし、そこはあくまでかつて過ごした夢の時間であって、取り戻すことも、今後もう一度経験することも、もはやできません。

 そして、過ぎ去った美しい時間(とき)の記憶に後ろ髪を引かれつつも、人は、今の現実へと帰ってこなければならないのです。どうしても・・・・・。

 わずか3~4分程度の曲ですが、そのような情景を、初めて聞いたときに思い浮かべてしまいました。

 昔の時間の中に何か忘れ物をしてきてしまったような気がするときには、この曲が良いかもしれませんね。

広隆寺 弥勒菩薩半跏思惟像

 国宝第1号としても有名な、広隆寺の弥勒像です。私はこの弥勒様が大好きです。同じくらい好きな仏像に奈良興福寺の阿修羅像がありますが、それについては、いずれ触れたいと思います。

 弥勒菩薩とは一般には、釈迦入滅後56億7千万年のちに現れ、衆生を救うといわれています。

 私は、大学時代に京都にいましたので、時々お寺をまわっては仏像を見ることもありました。その際に、広隆寺で弥勒菩薩像を見たのですが、他の仏像とは何か異なる印象をうけました。

 上手くは言えないのですが、おそらく長い年月信仰の対象とされてきた仏像には、それぞれに信心を捧げた人の思いのようなものがこもっているように感じられることが殆どです。それまで見てきた、仏像はいずれも多くの人の思いがこもっていて、祈りを捧げた人たちが仏像に込めた何らかの力が、仏像から放たれているような感じを受けることが多いのです。

 ところが、広隆寺の弥勒菩薩は、私にはそう感じられませんでした。あくまで優しく、市井の人々のあらゆる思いを、ただひたすらに静かに受け止めているように思えました。

 例えとしては不適切かもしれませんが、人間が誰も足を踏み入れることができず、目にすることも叶わない深い山奥に、澄んだ水をたたえた小さな湖があり、何かを放り込んでも決して水面が乱れることもなく、水も濁らず、また音を立てることもなく、すっとその中にしまい込んでしまうような感じを持っている、といえば多少は私の感じた弥勒菩薩の印象に近いでしょうか。

 もちろん、私の印象に過ぎませんから、きっと違った感じを受ける方も多いでしょう。ただ、あまりにも素晴らしい仏像なので、京都観光の際には必見の仏像の一つであることは間違いないと思います。京都太秦に行かれる際には、映画村も良いですが、是非広隆寺の弥勒様にお会いされることをお勧めします。

悲しいほどお天気

 松任谷由実さんの曲に「悲しいほどお天気」という名曲があります。

 実は、私も、一度だけ高い空にひんやりとした悲しさを感じたことがあります。

 既にブログで書いたかと思いますが、大学時代、私は、体育会グライダー部に所属していました。 

 1993年6月にグライダー部の仲間であり、既に卒業して就職していたM君が尾瀬で遭難し命を落としました。経緯に若干不審な点もあるようにも思えたのですが、当時の私は司法試験受験生にすぎず、何の力もなく、ご家族になにも手助けをして上げることが出来ませんでした。

 グライダー部の友人である辻昭一郎君と相談した結果、二人で尾瀬に出かけて彼が発見された沢の近くまで行って、M君の冥福を祈ろうということになり、お互いの都合がつく10月のある日に尾瀬に出かけたのです。京都から新幹線で東京に行き、当時、虎ノ門病院に勤めていた辻君と合流。更に新幹線で上毛高原まで出て、レンタカーで尾瀬に向かいました。

 私たちが尾瀬の登山口に着いた頃には、もうお昼もまわっており、下山してくる方が殆どで、これから登ろうとするのは私たちくらいでした。秋の日暮れは早いこともあり、急ぎ足で彼の発見された沢への入り口付近に向かい、辻君と二人で黙祷を捧げました。

 その際に、尾瀬ヶ原にも出たので少し休憩したのですが、夕方が近づいていることもあって誰1人周囲に人影は見あたらず、普段は良くしゃべる方の辻君もあまりしゃべらなかったので、尾瀬ヶ原の金色に染まった草原をわたる風と揺れる草の音だけが耳に聞こえていました。

 そのとき見上げた空は、ただひたすらに遠く、そして高く、そして澄み切っていながら、どうしようもく悲しい空でした。どちらが言いだしたのか忘れましたが「そろそろ行こうか」と口に出すまで、二人ともあまりしゃべらなかったような気がします。

 私は、M君から大学時代に、不要になったステレオセットをもらったことがあります。アンプなどはもう駄目になってしまいましたが、スピーカーだけは、片方が鳴らないときもあるものの、20年以上経った今でも使っています。バスレフ型のスピーカーで大きくて重いのですが、柔らかな音が出ます。明るく振る舞うことが好きで、それでいながら周囲への優しさをいつも忘れなかったM君の人柄のような音を出してくれます。今年のM君の命日にも、そのスピーカーを使って音楽を聴きました。

 先日松任谷由実さんの「悲しいほどお天気」を耳にしたので、少し思い出話をしてしまいました。