う~ん授業改善報告書かあ・・・・。

 私は、縁あって関西学院大学の法学部と、法学研究科(大学院)で、春と秋に一つずつ演習講座を担当させて頂いている。

 ぶっちゃけ非常勤講師のお給料は安い。関関同立の非常勤講師は結構安めに設定されているとの、捨て置けない噂もあったりする。西宮北口から山の上にあるキャンパスまでタクシーを利用することや、事務所維持費を考えると完全赤字だったりもする。

 しかし、私は教えることが好きだったりするので、ちょっと大変でも講師を続けさせて頂いている。法学部で教え始めてからもう12年ほどになる。

 大学院では会社法についてお話しさせて頂いているが、法学部では、ペットに関する法律の諸問題と題して、ペットの法律上の扱いからはじまって、ペットがトラブルを起こした場合等の法的構成などについて、かなり実務家的視点を交えて、お話しさせて頂いている。

 最近、大学側から、学生による授業評価を実施するようにと、多くの講師もいわれているようだが、私も例にもれず、大学側から指示を受けた。

 そこで、学生にインターネットで授業評価を提出するように伝えた。

 先日、大学側から親展で、その結果が届けられた。

 結果的には全学平均や学部平均よりも高い評価を学生さんから頂いた。授業に関する10項目ほどについての学生さんの評価は、5点満点で5~4.5点であり、特に授業満足度は5点を頂いた。

 他の大学のある教授にお伺いしたところ、学生の評価なんか気にしてちゃダメですよ、とのお言葉を頂いたが、やはり評価してもらえると嬉しいものである。

 ところが、大学側は、授業改善報告書を出せというのである。

 私としては、ここまで学生さんに満足して頂けているのなら、改善する必要は、そんなにないんじゃないかとも思うのだが、おそらく、学生を募集する際に、うちの大学では、教員に対して、このような評価もして常に改善に取り組んでいると対外的に示せるし、文科省に対する対応も含めてこのような報告書を大学側は求めているのだろうと思う。

 大学側も、大変なんだな~と同情する反面、これだけ評価して頂いているのであれば、改善報告書が必要なのか?と、改善報告書を求める一律の扱いに対して、少し反発心を覚えてしまったりもするのである。

セミの鳴き声に

 先日、酷暑のなか、物好きにも、税理士さんに誘われたゴルフに参加した。

 暑さでぼーっとなりながら、ラウンドし、その後半のスタート前に、ティグラウンドでツクツク法師の鳴き声が聞こえた。

 ツクツク法師が鳴き出すと、もうそろそろ秋が近いなと感じる。

 小中学生の頃の記憶では、高校野球も終わり、夏休みの終わりが凄い勢いで近づいてくる頃にツクツク法師の鳴き声を聞いていた記憶が重なるのだ。

 子供の頃の夏休みときたら、はじまった頃は、このまま休みが終わらないんじゃないかと思うくらい一日が長く感じられたくせに、ツクツク法師が鳴き出す頃には、夏休みは一気に加速していき、まだ手をつけていない自由研究と読書感想文をどうしようかと考えているうちに、あっという間に終ってしまうのが、常だった。

 夏の暑い盛り、ぐったりしてしまいそうな頃は、クマゼミかアブラゼミ、ミンミンゼミが元気だ。特にミンミンゼミは、ミーン・ミーン・・・・・ジーと鳴くのだが、最後のジーと鳴いて泣き止んだ瞬間になぜだか、周囲の暑さが、どっとおしよせてくるように感じられた。小学校のプールから帰り、水浴びしてきたくせに何故か少しほてったように感じられる身体で昼寝をしているときと、ミンミンゼミの鳴き声が私の記憶では結びついている。

 これに比べて、ツクツク法師は、「オーシ」ではじまって「ツクツクホーシ・ツクツクホーシ・・・・・」と続いたあと、「ツクツクイーヨー・ツクツクイーヨー・・・」と変化して最後は「ジジジジ」で終わるように聞こえた。一匹の鳴き声を聞き終わったあと、その他のツクツク法師もじつは鳴いていたのだと気づくことも多かったように思う。

 夏の初めの頃と、終わり頃にヒグラシが鳴いていた記憶がある。ヒグラシだけは、私の記憶では、一夏で2度鳴き声を聞くチャンスがあったように思う。

 なかなか太陽が落ちきらない夏の終わりの夕方に、ツクツク法師とヒグラシの鳴き声が重なってきこえたりすると、夏が終わってしまうのだという思いと同時に、訳の分からない巨大な喪失感のような感覚を、少年の私は、なぜだか、とてつもなく強く感じていたような気もする。

 何が私にそのような感覚を覚えさせたのか未だに分からないが、ツクツク法師やヒグラシの鳴き声を聞くと、ときどき、子供の頃の泣きたくなるような、胸がつまるようなその感覚を、もう一度だけ感じてみたいような気になったりもするのだ。

京大入試のこと

 先日、京都大学在学中に刑法ゼミでお世話になった中森喜彦先生(京大名誉教授)と、中森ゼミ同期生5名で、食事をする機会があった。

 懐かしいメンバーを見ると、学生時代と大して変わっていないような気がする。

 おそらく他人から見れば、ええ歳こいたオッチャンとオバチャンなのだが、若い頃を知っていると脳が勝手にバイアスをかけるのか、余り変わったようには思えないのだ。

 同様の感覚は、高校の同窓会でも感じたので、おそらく正しいのではないかと秘かに思っている。

 食事中には学生時代の話や、現在の話、さらには京大入試の話題もでた。

 Oさんは、入試の試験監督が中森先生であったことを話してくれた。私が合格した年は、数学が異常に難しく、良くできる人でも苦戦したと聞いている。確か、120分で5問出題されていたように思う。

 Oさんは、数学はまあ良くできる方で、通常なら3問は軽く完答できる実力だったそうだが、余りの難しさに、ほとんど書けず、ふと見上げた先に見えた、試験監督の中森先生が「気の毒になあ~」という顔で、Oさんの何も書かれていない答案用紙に視線を投げかけていたことが忘れられないそうだった。

 京大入試のことをもう少し言えば、私は一浪しているが、現役のときも、京都大学法学部を受験した。

 しかし、受験会場は京大ではなかった。

 関西文理学院、つまり予備校だった。

 その当時、京大は、法学部と理学部?が交互に関西文理学院を試験会場として使用していたそうだ。

 しかも現役受験の際には、力いっぱい不合格とされ、門前払いどころか門の前までも行けなかったのか~と、がっくりきたものだった。

 私も数学は人並みだったので、試験終了となったとき、頭が真っ白になった。現役の時は2問半から3問は解けたはずなのに、1年余分に勉強したのに全然解けないなんて。

 1年かけて実力が落ちたのか?

 恥ずかしさにたえて浪人してきた俺の、この1年はなんだったんだと思った。

 捲土重来を期した、一浪受験時だったが、数学で完全にノックアウトされたと思った私は、心の中で泣きながら、しかし、あきらめたらそこで終わりだと、残りの科目に挑んだ記憶がある。

 このように、一浪時の入試では数学の問題はほとんど解けなかったので、私の京大合格は、絶対に得意の国語(予備校の模試で2位をもらった。1位は京大文学部に合格した人で、よくできたと思っても1点差で躱され、どうしても勝てなかった。)と英語で点数を稼げたからだと未だに信じている。

 気持ちが切れなかったのは、浪人して図太くなった効果だったかもしれないし、合格日時は覚えていないが早稲田・慶應にも合格していて2浪の心配がなくなっていたからかもしれない。

 たくさん回り道をしたこともあったが、旧司法試験をもう一度受けろと言われたら、攻略方法は分かるつもりだし、受験時代の体力・集中力・記憶力があるならもっと短期で合格することは出来ると思う。

 しかし、京大にもう一度合格してみろと言われると、どうしても自信が持てないのは、やはり入試の数学でコテンパンにやられた記憶が邪魔をするからかもしれない。

緑の占領?

 叔父が急逝し、仮通夜のために、とりいそぎ田舎に戻った。普段は自動車で帰省するのだが、急だったこともあり、久しぶりに列車での帰省にならざるを得なかった。

 寂しさを紛らわすかのように、あれこれと忙しく動き回っている叔母の姿や、型どおりにお経を上げる坊さんを、何故だか少し現実離れしたような感覚で私は受け止め、焼香をして叔父に別れを告げた。仕事の都合で、仮通夜しか出席できなかったのだ。

 翌日、郷里の無人駅から、事務所に向かうために、私は特急列車を待っていた。

 国鉄時代、常に3人以上の駅員がいたこの駅も、ずいぶん前から無人駅になっている。この路線は、確か私が小学生の頃に電化されたのだが、電車だけでなく、汽車も多く走っていた。

 かつて私は、高校への通学のために、この駅から汽車(電車ではない。)に乗り、この駅から駿台模試を受験するためだけの目的で、夜行列車に乗り込んだこともあった。高校の生徒会長を補佐して文化祭の準備をするために、朝5時頃の列車に乗り込んで高校へと向かったこともあった。もう覚えておられないとは思うが、当時私がお手伝いした生徒会長は、鎌倉円覚寺管長の横田南嶺老師となられている。

 冷暖房の効く急行型車両(キハ)の通学もそれで楽しかったが、電気機関車(EF58)が牽引する古めかしい客車での通学は、今思えば相当風情があった。ドアは手動で、いつでも開けられたし、開いているままのことも多かった。最後尾の客車のデッキからは、遠ざかる線路が何の障害もなく見え、いつでも飛び降りることが可能だった。トイレは、水は流れるがそのまま線路に排泄物を落とす仕組みで、鉄橋などを通過する際には、下からの光が見えるときもあった。
 もちろん、冷房などはなく、夏になると窓を全開にし、天井の扇風機を回すくらいしか、涼をとる手段はなかった。扇風機も確か、カバーにはJNR(日本国鉄)の頭文字が残ったままだった。
 その扇風機が、それぞれ個別の方向に向かって、そして、少し腹立たしいほどゆっくりと、首を振っている様子を、窓から吹き込む夏の暑さとともに、高校時代の私は眺めていたのだと思う。

 当時よりも、さらに過疎化が進んでいることから、民営化したJRは当然のように列車の本数を減らしたようで、駅の隅に張り出された時刻表には、空白の時間帯が目立っていた。いずれ複線化されるのではないかと噂もあったが、複線化は白浜まででストップし、そこから先の複線化は放置されたままであり、今後もそれは変わらないだろう。

 私は駅の階段をゆっくりと上り、ホームの端まで歩いてみた。
 もっと広くて大きかったような気がした階段だが、実はそうでもないように感じた。自分が高校時代から物理的に、格段に大きくなったわけではないのに、この感覚のギャップは妙におかしかった。

 ホームの端まで歩きながら、今までなかったものが、線路にあることに、私は気付いた。

 雑草が線路の中に生えているのである。

 線路内に雑草が生えている状況は、これまで、廃線区間でしか見たことがなかったので、少し驚いた。

 少なくとも私が高校生の頃はこのようなことはなかった。
 もちろん、走行列車の本数が激減したことも影響しているのだろうが、JRは線路内の雑草を放置するようになったのだろうか。

 かつて、二酸化炭素だらけで生物がいなかった地上に、最初に上陸したのは植物だと何かの本で読んだことがある。
 最初は、植物が地上を支配していたのだ。

 線路に生えた雑草の姿は、植物がかつて地上を支配したときのように、人間が過疎化した土地を植物が静かにゆっくりと取り戻そうとしているかのようにも思えた。

 そう遠くない未来に、ひょっとして郷里の駅や線路は、人々にかつての想い出だけを残して、緑に占領されてしまうのかもしれない、そんな幻想を抱きながら、私は少しだけ遅れて到着した列車に乗り込んだのだった。

谷間世代に日弁連会費を減額!?

 はじめに:ちょっとまとまりのない、雑感になることをお許し下さい。

 司法修習を受けている間に、国庫から給付を受けられなかったいわゆる谷間世代の問題については、私は当初から、国の政策の誤りだったのだから、責任は国にある。したがって、対応を求めるのは国に対してであるべきであって、弁護士会が対応を行うことは理屈に合わず、間違いだと述べてきた。

 間違いであるばかりか、給費制復活を目指して活動中の方々に対しても、「立法政策の問題ということもさることながら、弁護士会や日弁連が対応しているようですから、もういいでしょう」と反論する論拠を相手に与えかねず、悪影響を及ぼしているはずだ。

 百歩譲って、悪影響がないとしても、会員間における差別的な扱いには間違いなくなるだろう。同じ施設を利用し、同じサービスを受けるにもかかわらず、支払う対価を一部免除される者とそうでない者に分かれるのである。
 仮に、会費が余っていたとしても、それは会費の徴収のしすぎということになるから本来は支払った人に返すべきお金のはずだ。

 また、谷間世代から、修習時代の借金のせいでどうにもならないのでなんとか助けてくれという筋違いの陳情が日弁連執行部に多数届いたという話も聞かない。救済すべきであるという事実があるかどうかもはっきりしていないのである。

 それにも関わらず、日弁連は、谷間世代への日弁連会費の減額を行う意向を有しているようだ、との報告を先日の常議員会で聞いた。

 谷間世代に対して、日弁連会費を毎月3500円、10年にわたって減額するという案が日弁連理事会で討議されているようだ。総額で40億円を超える規模になるとの試算だそうだ。
 つまり、仮にこの試算通りに減額すると、40億円もの日弁連会費の実質的流出が生じるのである。

 日弁連執行部主流派は、良いだろう。自分達が主導して谷間世代救済を行ったと胸を張れるからだ。また谷間世代は会長選挙の際には相当大きな票田になりうることも、おそらくその背景にはあるのだろう。

 しかし、その実態は、他人の金(谷間世代以外の会員の会費)を使い、さも自分が救済したかのような顔をすることになるだけの話だ。

 たとえ筋違いの谷間世代救済策であっても、真に困窮している者が多数いて看過できない状態にあり、救済してあげたいと考えるなら、救済したい連中だけで基金を作ってその範囲内でお金を給付すればいいだろう。
 資金拠出者も明らかになるし、他の会員を犠牲にすることもない。自分の名前が出るのが嫌だというのなら、匿名で基金に寄付すればよいだけの話だ。
 その上で、「助けてやった」と胸を張りたい人は、胸を張ればいいじゃないか。

 本当に谷間世代が惨憺たる状況で、その状況を憂いて救済したいと強く願っている人がいたなら、既にそういう行動をとっていてもおかしくないのではないか。

 現日弁連会長の菊地裕太郎弁護士が、選挙前に代表となって設立していた、「広げよう!司法の輪 日弁連の会」とかいう団体などは、お金をかけて豪華なパンフレットを全弁護士に配ってまで日弁連や弁護士のために、なにかやりたいと主張していたようだから、格好の受け皿になって活動していそうなもんだがなぁ。
 一体どこへ消えたんだ。

 かつて、私の祖母は、入院中に言っていた。
 「年金を頂けて、入院しても無料にして頂いて、本当に有難い。」
 確かにこれまで国を支えてきた老人を大事にすることは悪いことではない。しかし実際に、費用を負担するのは国民全体だ。目先の議席のことをばかり考え、一票を持つ老人には利益を与えて優遇し、他方で一票を持たない子供をないがしろにしてきたつけがいま、顕在化しつつあるのではないのか。
 国民全体が、平等かつ持続的にその恩恵を享受できるように制度設計するのが政治家の仕事のはずだ。
 その理は、日弁連の会務執行において執行部が果たすべき役割と、変わりがない面もあるはずだ。
 

 日弁連執行部は、他人にツケを回すな。他人の金を使って、筋違いの救済をしようだなんて、ええカッコしようとすんな。

京阪特急座り方試案

 私は、司法修習時代から京阪電車を通勤に利用している。

 京都に住んで大阪の事務所に通うためには、出町柳~淀屋橋間を結ぶ京阪電車が便利なのだ。

 もちろん、高槻市・茨木市等に住んで、30分以内の通勤時間で済ませる方法も考えられた。この点、京阪電車は出町柳~淀屋橋間約1時間弱なので、時間的には不利だ。

 しかし、出町柳駅も淀屋橋駅もともに始発駅なので、ほぼ座って通勤できるというメリットには代えられない。座ることができれば、通勤時間を読書や睡眠時間に充てられる。たとえ混雑していても、次の特急を待てば、確実に座れる。

 しかも、京阪特急のエレガントサルーン(2階建て客車とプレミアムカーを連結する編成)は、通常座席もそこそこ座り心地がよいので、私は勝手に、「京阪神の通勤電車最強」は、京阪電車ではないかと秘かに思っていたりする。

 20年以上、京阪電車で通勤をしてきたが、やはりエレガントサルーンの通常座席(中央通路をはさんで、進行方向に向かって2名ずつの座席が並ぶ、いわゆるロマンスシート配置)には、より心地よく過ごすための座り方があると思う。

 2人並んで座るため、座り方によって、隣の客と腕がぶつかり続けるなど、気を使う状態が続く場合がある。

 ときおり、腕を強引に押しつけて自分のスペースの占有を態度で主張してくる客もいて、それはそれで気分がよろしくない。

 だが、座り方によっては、それを避けることもできるのだ。

 座り方のキーポイントは、通路側の客の座り方だ。キーポイントと言ったが、方法は極めて単純で簡単だ。

 通路側の客が、できる限りお尻を通路側ギリギリまで寄せて座る、これだけでお互い気持ちよく過ごせることが多いのだ。

 私は175㎝、72キロだが、私よりも体格のよい男性と並んで座っても、通路側の人がお尻を通路側ギリギリまで寄せれば、ほぼ腕は当たらない。それどころか若干スペースが空くことがほとんどだ。

 それでは通路側の客が窮屈なのではないかと思う方もおられるかもしれないが、実際やってみれば分かるが、通路側の客は通路側ギリギリまでお尻を寄せて座っても、お尻より幅の広い肩は、通路側の肘掛けの上あたりまでで収まるから、実は、通路に大きくはみ出ることはないのである。
 逆に、窓側の客は窓側の腕が窓側の壁に当たってしまうため、お尻を窓側ギリギリまで寄せて座ることは、身体の構造上、困難だ。私は始発から終点まで乗るため、途中下車する客の邪魔になりにくいように窓側に座ることが多いので、経験上、これは間違いないことといってよいだろう。

 とっても単純なことで、実践してくれている人も結構いるようだが、ときおり、腕をぐいぐい押しつけて自分のスペースを確保しようとする人が隣に座ってきたりすると、もう少し、お互い気持ちよく過ごせる方法があるのになぁ~と、残念に思ったりもするのだ。

近所の喫茶店

 近所の喫茶店に設置されている雨よけテントの裏側に、毎年ツバメが巣を作る。

 喫茶店の方も心得たもので、巣を撤去したりはしないし、ヒナが孵って巣から糞などが落ちる場合は、客にかからないように段ボールでカバーしたり、注意書きを出したりするなど、ツバメを大事にしている。

 昨年までは、春から夏にかけて、子育て上手のつがいが、何羽もの雛を孵し、雛がエサを求めて大騒ぎするにぎやかな光景が見られていた。私は、小さい頃にチャボを実家で飼っていたこともあり、鳥の雛をみると、ついほほが緩んでしまうところがある。有り体にいえば、ツバメを含め、鳥の雛を見ることが好きなのだ。

 ただし、今年は、豪雨で巣が一度落ちたこともあってか、近所の商店街では次々とヒナが元気な姿を見せる中、このつがいの巣では、雛が孵った様子が見られなかった。あれだけ子育て上手のつがいだったのだから、おかしい。今年は代替わりして、経験の浅いつがいが巣をかけたのかもしれない等とあれこれ想像したりもしていた。

 ここしばらくは、つがいが、巣から少し離れたテントの骨組みに2羽で寄り添って止まり、寝ている姿が続いていた。

 何となく気になって、喫茶店の前を通る度に下から覗いていたのだが、いつの間にか、寝ている姿を見せるツバメも1羽だけになり、パートナーに事故でもあったのかと少し心配になっていた。

 先週、夜の10時半頃、ジョギングを終えて自宅に戻る際に下から覗いてみると、やはり一羽だけがテントに止まり寝ていた。

 可哀相に、渡りの季節が来るまで、お前はひとりなのかい・・・・と同情していたわたしに、微かな鳴き声が聞こえた。

 微かではあるが、間違いなく、巣の中から聞こえる。

 ヒナの鳴き声だ。

 おそらく、つがいのうち一羽が卵を温めていたのだろう。そして、他のツバメたちにだいぶ遅れたものの、やっとヒナを孵すことに成功したのだろう。

 ツバメからすれば、あんたなんか関係ないよ、ということかもしれないが、勝手に心配していたこちらからすれば、やはり、嬉しい気持ちになった。

 これからは、相当暑いから、かなり大変だろうけど、父ちゃんツバメ・母ちゃんツバメとも頑張って!

和歌山市

 私は和歌山県南部の出身だが、和歌山市とは実は縁が薄い。

 確かに和歌山市は県庁所在地ではあるが、私の田舎からは特急で約3時間かかるため、あと少し我慢すればもう大阪なので、用事があっても大抵は素通りして大阪まで出てしまう。

 和歌山市を訪れたことは、共通一次試験を泊まりがけで和歌山大学で受験した事(このときの大学受験とも思えないとんでもない出来事は、前の事務所時代のブログにも記載したと思う。)を除けば、小学校の修学旅行くらいの時くらいしかなかった。

 先日、和歌山地裁に用事があって、出かけたのだが、平日のお昼過ぎだというのに、裁判所近辺はかなり人通りが少なかった。裁判所の駐車場もがらがらだった。

 裁判所からそう遠くはない和歌山市ぶらくり丁も、かつてはTV和歌山などで見ていた頃は、相当な繁華街だったという記憶があるのだが、シャッターの降りている店もそこここにあり、活気が余り感じられないのが残念だった。

 高齢者・介護等の看板や、お葬式関連の看板が目についた気がして、おそらくそちら方面の需要が高まりつつあることが窺えた。

 あくまで、私の勝手な印象ではあるが、かなり高齢化も進んでいる可能性がある。

 和歌山県出身者としては残念だが、これも時代の流れなのだろうか。

 他の地方の県庁所在地は、果たしてどうなのだろうか。

藤井七段、棋聖挑戦まであと1勝

 最近、将棋観戦を楽しむ人が増えているようだ。

 私自身、小さい頃に父親に教わってから、将棋のルールくらいは知っている。
 もちろん、ヘボ将棋で実際の実力は5級程度あればいい方だが、故米長永世棋聖の将棋ソフトを使って初段の認定をして頂いた。
 嬉しくて、将棋連盟に初段の免状を申請したら、確か3万円くらいかかったように思う。

 届いた免状は、立派な桐箱に入っており、当時の将棋連盟会長二上達也さん、当時の竜王藤井猛さん、当時の名人(現将棋連盟会長)佐藤康光さん、の直筆署名がなされており、それを眺めて、にやにやしていると、なんだか将棋がうまくなったような気がしたものだ。

 何故だか、私の好きな谷川九段が将棋連盟の会長を務めていたときの免状でもなく、竜王や名人を取っていた時のものではない。また、あれだけタイトルを獲得した羽生九段が名人にも竜王にもなっていない時期であるため、お二人の直筆署名を免状にいただくことはできなかった。

 それはさておき、私も将棋の観戦は好きである。といってもペーパー初段の私にはプロの棋士が指す一手の意味など分かるはずがない。かつては将棋連盟のHPで勝ち負けを確認し、主な対局の内容や様子は、週間将棋新聞を買って、通勤電車の中で確認するという方法をとっていた。谷川九段がタイトル戦に出ているときは、将棋世界を買って対局の様子を読んだりしたものだ。

 今では、インターネットを用いてリアルタイムで対局と解説を同時に楽しむことができるので、とてもありがたい。

 マスコミでも話題になっているが、天才棋士藤井聡太七段が、昨日、佐藤天彦九段を破り棋聖戦の挑戦者まであと1勝と迫っている。

 次の相手は、永瀬拓矢二冠だ。

 私はこれまで谷川九段のファンであることを公言しているが、谷川九段以外にもファンとまではいかなくても、注目あるいは応援している棋士というものはある。

 奨励会時代に次点を二度獲得すればフリークラス四段になれるという権利を得ながら、その権利を行使せず堂々と実力で奨励会を突破した佐藤天彦九段も注目している棋士の一人だったが、昨日の対局で藤井七段に敗れてしまった。

 棋聖戦挑戦者決定戦で戦う、藤井聡太七段と永瀬拓矢二冠も、いずれも、心の中で注目乃至応援している棋士である。

 その二人が棋聖戦の挑戦者決定戦でぶつかる。

 藤井七段には、最年少タイトル挑戦という記録がかかる。一方、永瀬二冠にもタイトル保持者としての矜持がある。

 応援している棋士が挑戦者決定戦でぶつかるというのは、必ずどちらかは挑戦者になることは決まっているので、うれしく思う反面、勝手ながら、どちらをより応援するか悩ましいという問題が付きまとう。
 

 天邪鬼で、アンチヒーローを好む傾向のある私からすれば、マスコミが藤井七段をこぞって取り上げて注目しているので、今回は永瀬二冠に肩入れしてしまいそうな気もする。

 どちらを応援するかは、ぜいたくな悩みだと思いつつも、お二人の素晴らしい盤上の戦いを期待している。

野良牛?

 私がNZを旅行する際には、レンタカーでまわることが多い。

 これは、NZでは、日本とほぼ同じく右ハンドル左側通行であること、公共交通機関が余り発達しておらず、自由に観光することを考えた場合レンタカーが最も便利であること、が主な理由だ。

 とはいえ、人間よりも羊の方が多い国なので、かつて何度か、牧場から逃げ出して、とっとこ道路を歩き回っている野良羊を何度かみたことがあった。牧場近辺には牧草が生えているような土地も多いため、牧場から逃げ出しても十分食べていけるのだろう。

 野犬もそんなにいないのかもしれないが、羊ものんびりしたもので、一匹で気ままに歩き回っているように見えた。

 今回は、野良牛が道路をふさいでいた。しかも母牛と子牛2頭の合計3頭だ。

 私は、牛が移動するまで待とうと路側帯に車を駐めたが、後ろから来たBMWが牛を躱して前に出ようとした途端、母牛に威嚇され、睨まれていた。

 どんな生き物でも、子連れの母親は強いものだと、妙に感心した覚えがある。