京大入試のこと

 先日、京都大学在学中に刑法ゼミでお世話になった中森喜彦先生(京大名誉教授)と、中森ゼミ同期生5名で、食事をする機会があった。

 懐かしいメンバーを見ると、学生時代と大して変わっていないような気がする。

 おそらく他人から見れば、ええ歳こいたオッチャンとオバチャンなのだが、若い頃を知っていると脳が勝手にバイアスをかけるのか、余り変わったようには思えないのだ。

 同様の感覚は、高校の同窓会でも感じたので、おそらく正しいのではないかと秘かに思っている。

 食事中には学生時代の話や、現在の話、さらには京大入試の話題もでた。

 Oさんは、入試の試験監督が中森先生であったことを話してくれた。私が合格した年は、数学が異常に難しく、良くできる人でも苦戦したと聞いている。確か、120分で5問出題されていたように思う。

 Oさんは、数学はまあ良くできる方で、通常なら3問は軽く完答できる実力だったそうだが、余りの難しさに、ほとんど書けず、ふと見上げた先に見えた、試験監督の中森先生が「気の毒になあ~」という顔で、Oさんの何も書かれていない答案用紙に視線を投げかけていたことが忘れられないそうだった。

 京大入試のことをもう少し言えば、私は一浪しているが、現役のときも、京都大学法学部を受験した。

 しかし、受験会場は京大ではなかった。

 関西文理学院、つまり予備校だった。

 その当時、京大は、法学部と理学部?が交互に関西文理学院を試験会場として使用していたそうだ。

 しかも現役受験の際には、力いっぱい不合格とされ、門前払いどころか門の前までも行けなかったのか~と、がっくりきたものだった。

 私も数学は人並みだったので、試験終了となったとき、頭が真っ白になった。現役の時は2問半から3問は解けたはずなのに、1年余分に勉強したのに全然解けないなんて。

 1年かけて実力が落ちたのか?

 恥ずかしさにたえて浪人してきた俺の、この1年はなんだったんだと思った。

 捲土重来を期した、一浪受験時だったが、数学で完全にノックアウトされたと思った私は、心の中で泣きながら、しかし、あきらめたらそこで終わりだと、残りの科目に挑んだ記憶がある。

 このように、一浪時の入試では数学の問題はほとんど解けなかったので、私の京大合格は、絶対に得意の国語(予備校の模試で2位をもらった。1位は京大文学部に合格した人で、よくできたと思っても1点差で躱され、どうしても勝てなかった。)と英語で点数を稼げたからだと未だに信じている。

 気持ちが切れなかったのは、浪人して図太くなった効果だったかもしれないし、合格日時は覚えていないが早稲田・慶應にも合格していて2浪の心配がなくなっていたからかもしれない。

 たくさん回り道をしたこともあったが、旧司法試験をもう一度受けろと言われたら、攻略方法は分かるつもりだし、受験時代の体力・集中力・記憶力があるならもっと短期で合格することは出来ると思う。

 しかし、京大にもう一度合格してみろと言われると、どうしても自信が持てないのは、やはり入試の数学でコテンパンにやられた記憶が邪魔をするからかもしれない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です